6 ガンマン対さむらい (2) || 池袋ぐれんの恋 | 西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」
2012年04月29日(日) 16時42分37秒

6 ガンマン対さむらい (2) || 池袋ぐれんの恋

テーマ:6 ガンマン対さむらい (2)

 ( 2 )

 そのころ、池袋駅西口にちかい〔三笠食堂〕で、矢之倉とボブ、桃子の三人がビールで乾杯していた。


 焼跡の決闘では、二人の男の間へ桃子が捨身で踊りこんだ。矢之倉が刀をとめ、ボブが銃弾をそらしたのはいうまでもない。
「姉の恩人とは知らず、大変失礼をいたしました」
 と手をつく桃子に、
「姉?」
「はい、私首藤恭子の妹です」
「そうだったのか……」
 矢之倉は刀を鞘におさめた。
 ボブが桃子の手をとって立たせた。
「どのようなご恩をいただいたのかはまだ聞いておりませんが……」
「恩というほどのものじゃない」
 矢之倉はにが笑いした。

 桃子が手短に英語で説明すると、

「オー……」 
 ボブは両手をひろげて非礼をわびた。彼はすぐれた拳銃の遣い手だし、学生時代にフェンシングもやっていただけに、矢之倉の構えを見て腕のたしかさを察知し、その気迫に惚れ込んだ。拳銃を手早く腰に収めて、
「ワンダフルサムライ」
 八双のかまえを真似てからにっこりし、握手をもとめた。
 矢之倉も苦笑して握手をかえし、機嫌をなおして、
「プレゼントだ」
 日本刀を白木の鞘ごと突き出した。
「オオー……」
 ボブは目を丸くしてよろこび、桃子に通訳をたのんだ。
「ぜひお話をしたいそうですが、ビールをおつきあいいただけますか」
「ああ……」
 武人と武人は目で興味をしめしあった。
 当時進駐軍に接収され、米兵のためのビアホールになっていた三笠食堂(現・三菱銀行脇を入ったあたりの突き当たりにあった)へ矢之倉を招いた。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-矢之倉とボブ


 矢之倉は浮浪者の風体ゆえに米兵たちの奇異の目にかこまれ、最初は油断のない目つきだったが、ボブが親しい友人扱いで陽気にふるまったので、兵隊たちもしだいに打ちとけて矢之倉に覚えたての日本語で声をかけるようになった。
 あいだに入った桃子の通訳もたくみだった。もともと社交的な性格だし、PXで客扱いに慣れていただけに、気難しい矢之倉をも笑いの中に誘い込んだ。
 ボブは30前、矢之倉とほぼ同年齢であり、矢之倉よりは表情が明るいが目の底には矢之倉に劣らぬ鋭さがあり、態度にも将校としての重みがあって、周囲の兵たちを威圧していた。
 ボブはおおらか、矢之倉は寡黙で沈着だが、矢之倉の元日本軍将校の骨のすわった姿勢にボブが好感をもったし、矢之倉もボブに親友天馬に通じる豪快さ奔放さをおぼえて親近感をいだき
、桃子が国境を越えた友情の芽生えのようなムードを感じるまでに、さほど時間はかからなかった。
 ビールがはかどったが、それを恭子が知るよしもない。

 翌朝恭子が防空壕をのぞくと、秀雄はすでに起きていて、入り口の明かりが差し込むところで注射をすませたあとだった。
「筋肉注射と書いてあるから、早速やってみた。揉むんだろうな」
 と、矢之倉のメモに目をやったまま腕を揉んでいた。
「まあお一人で……さあ、やっぱり揉むんでしょうね」
 といったが恭子もまるで自信はない。
「よかった、さすがですわ。私は怖くて……」
「顔洗おうか……」
 秀雄がタオルを手に、二日酔いのこめかみを揉みながら出てきた。
「昨日はご苦労様でした。私はまだ復学のことまで気がまわらなくて……」
 やはり岳士や真弓、そして誠一の教育のためにも夫はかけがえのない人だと思いながら井戸端までついて行き、ついでに足をのばして岳士を起こそうと、防空壕をのぞいた。
 岳士はまだ寝ていたが、恭子が物音をたてぬようそっと戸板をあけてのぞくと、気配を察してパッと跳ね起きて警戒の目をむけた。
「ああ、おばちゃんか……」
 まぶしそうな、ホッとした様子の頰が涙でぬれている。
「岳士ちゃん……」
 どうしたのかと訊こうとしたが、言葉が出なかった。
 幸せだったころを夢に見ていたのだろうか、浮浪児生活のあいだは寝ていても油断ができなかったに違いないと、恭子はいたわしかった。
「寒いでしょう? 今朝はすいとんよ。起きていらっしゃい。学校へ行くんだから」

 やさしく声をかけ、母の心になっていた。

 朝食をすますと、岳士は秀雄が、初子には恭子がつき添ってそれぞれの学校へ出かけて行ったが、恭子は一人で帰ってきたところでメンソラのおばさんに出会って、
「ああ恭子さん、ちょっとちょっと……」
 とびっくり顔で彼女の家(といっても小屋なみだが)に引っ張り込まれた。一間きりの四畳半の部屋に向かい合って座らせられると、おばさんはいきなり説教する態度できりだした。
「あなたヤミ市でご商売なさってるんですって?」
「あ……」
 突然のことに、恭子はすぐ反応できなかった。
「ダメよダメダメ……あなたそんなことできる方ではないじゃありませんか。ご近所では評判なのよ。いえ、実は私信じられなくてね、昨日のぞきに行ったのよ。もうびっくりしたわ」
「あの、いずれおばさんにはお話ししようと思ってたんですけど……」
「そうよ水臭い、何で相談してくれなかったの? いってくだされば私が最初からピシャリと止めたのに……」
「お金が必要だったんです。背に腹かえられなかったんです。子どもたちをちゃんと育てたいし、主人が実は、結核で……」
「え!? ケ……」
 おばさんはのけぞって驚いた。
「はい、おばさん内緒にしてくださいね」
「……道理で、お顔の色がお悪いとは思っていましたけど……」
「薬代がかかるんです」
「結核は直らないけど」
 とおばさんは声をひそめて、
「ストレプト……」
「はい」
「まあ……それはお高いって聞いてるわ」

「そうなんです。でもせっかく生き残って帰ったんですから、何とか助けたくて……」

「……わかりました!」
 おばさんはポンと膝を叩いた。
「いってくだされば最初から協力したのに。水臭い!」
 と、今度は恭子の膝を力いっぱい叩いた。真実腹を立てていた。
 しびれが走るほど痛かった。が、それ以上にうれしさがこみあげて、恭子は両手で顔を覆って泣いた。涙が止まらなかった。この病を患えば命はない。しかも伝染病である。近所から爪はじきにされるから隠してきた。おばさんの声は神の声に聞こえた。
「わかりました。誰にもいいません……あなた命を張ってらっしゃるのね? えらい! 私がついてるわ。何よ、民主主義じゃないですか。個人の自由じゃないですか。何をしょうと勝手です」
 おばさんが民主主義をどれほど理解していたかわからないが、良きにつけ悪しきにつけ、この言葉は便利によく使われる時代だった。

「まあ可哀相に……この手でヤミの商売なんて……」

 別れ際に、おばさんは恭子の手を取ってさすってくれた。
 礼をいい、涙を拭ってから恭子が家に帰ると、防空壕の入り口で秀雄がみかん箱に腰をおろしてうなだれていた。
「ただ今帰りました」
 お互いの学校での話が交わせると楽しみだったのだが、声をかけると秀雄は力なく顔をあげ、
「ああ……吉井君が見舞いにきてくれた。ついさっき帰っていった……」
 昔、日曜日というとちょくちよく一緒に釣りに行っていた役所の同僚の名である。
「あら吉井さんが……お会いしたかったわ」
 恭子は懐かしかったのだが、
「辞表を出したそうだ」
「ええ? どういうことですの? お元気で勤めていらっしゃるとお聞きしていたのに」
「うむ……行政整理ということで、大幅人員削減をはかっているんだ……俺の場合も、たとえ健康になっても絶望的らしい。吉井君の話では、戦犯に似たような制裁の意味もあるらしいというんだ」
「そんな……」
 恭子は言葉がなかった。
 国のためにまじめに働いた役人が整理されるなんて、と思うが、国鉄の大量人員削減の例もあり、文句をいってもどうにもならないのだろう。

「すまんなあお前を楽にしてやれなくて……苦労させるだけなら帰らんほうがよかった」
「なにをおっしゃいます!」
「いや……家族にひと目あえれば死んでもいいと思って帰ったんだったが……」
 と、またうつむいた。
(この人を守ろう……)
 恭子は腹立ちの涙を飲み込んで、喉をつまらせた。

 その年の暮が押し詰まるころ、秀雄の衰弱はいちだんとすすんだ。
 その後都庁に呼び出されてはっきり行政整理による退職を告げられ、辞表提出を勧告されて受け入れざるを得なかった。そのショックが、徹底的に彼を打ちのめした。
 恭子は、子どもたちのためにも絶対生きていてもらわなければと、そのためにはストレプトマイシンしかないとあせり、客が売りにくる古着を買いたたくようになった。
「ちょっとひどいよな、あれじゃあくどい農家と同じじゃないか」
「ここんところ、人が変わっちゃったよなあ」
 と磯海と佐川が陰口をいい合うのも知らず、恭子は生活苦にあえぐ売り手の弱みにつけ込んだ。
 矢之倉のくれたストレプトマイシンが残り少なくなったが、効き目はあらわれないばかりか、秀雄ははげしく血を吐いて恭子はますますあせった。パンスケのトミちゃんにたのんで二世のGIヒガシを紹介してもらい、ためた3000円をわたしてストレプトマイシンをたのんだ。
 ヒガシは、明日沖縄へ行って来月もどるから、手に入れてくると約束した。
「ヒガシさんねえ、私をオンリーにしてくれるんですって。誠実でとってもいい人なのよ」
 トミちゃんは幸せそうだった。

 冷たい雨が上がって寒風が吹きすさぶ昼下がりだった。
「おいババア……」
 恭子の店に愚連隊が乗り込んできた。
 顔に見覚えがあった。この三白眼は矢之倉と決闘したときの一人だと気づいたが、相手は恭子の変装に気づかない。矢之倉のことをいおうと思ったが間に合わなかった。
「これだよこれ」
 ついてきた中年の女が、台の上の着物をつかみあげた。
「ほら、いくら何でもひど過ぎるだろ。あたしから買った値段の三倍以上だよこれ。もとの値段払うから返してよ」
 恭子も内心まずいと思った。だが返すほどの金は財布になかった。
「そんなこといったって……こっちは商売なんだから、買った金額より高く売るのは当然でしょ」
「なんだとこのババアッ、そういうのをアコギってんだよ」
 愚連隊が大声あげて突き飛ばし、恭子は店の一番奥まで転がり込んで倒れた。
 女は着物を抱えたまま逃げた。
 店の前には人がたかり始めていたが、愚連隊は睨みをきかせながら去っていく。
 磯海と佐川が人をかきわけてきて恭子を助け起そうとしたが、恭子はすぐには立ち上がれないほど膝を強く打っていた。
 逃げていく愚連隊とすれ違うようにして来たのは桃子だった。ネッカチーフも口紅もつけていない。清楚な学生姿にもどっている。
 一軒一軒たしかめるようにのぞき込み、探しながら来て、恭子の店の前に立った。
「おねえちゃん! そうなのね?」
 土間にうずくまって膝を抱え込んでいる恭子を見て目を疑った。
 振り返って驚いたのは磯海と佐川だった。
「ああ、妹よ……こちら、磯海さんと佐川さん、お世話になってるの」
 恭子が紹介した。
「あ、桃子と申します。ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
 桃子の美貌に見とれていた二人はあわてて身をひいた。
「そうだ、ちょっと、店おねがいできる?」
 と恭子がいうと、二人はいそいでどうぞどうぞと答えた。
 恭子は桃子に肩を借りて、足を引きずりながら裏の焼跡へ行った。
「どうしたの?」
 桃子が案じたが、
「うん、ちょっところんだだけ。それよりもどうしたの? こんなところへ来ちゃダメじゃない、物騒なのよ」
「おねえちゃん、そんな格好して商売しているの?」
「どうお? すれっからしの闇商人に見えるでしょ?」
 桃子はそれには答えず、困った様子を見せたので恭子が訊いた。
「どうしたの? 仕事は?」
「休んできたの。大事なお話があって……」
「大事な?」
「あの、矢之倉さんってどんなかた? おねえちゃん恩人だっていったけど……愚連隊?」
「まさか……どうして?」
「かなり大きな闇行為をしていることはたしかでしょ?」


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-恭子と桃子


「それは……私もそのお蔭で働かせていただいてるわけだし……でもどうして桃子がそんなこと……」
「私、困るんです。ボブが矢之倉さんに利用されてヘンなことしているようだから」
「ボブ……」
 恭子は不快な顔をして、
「だってあの二人は……」
 殴り合いをしたはずである。利用したりされたりというところに、恭子の中で結びつかない。
「おねえちゃんにはまだいってなかったけど、実はあのあと大変なことがあったの」
 桃子はその後の二人の交友ぶりをかいつまんで説明した。
 三笠食堂で矢之倉に惚れ込んだボブは、サムライ、ゼロ・ファイターと、得意になって自分の仲間たちに紹介したのだが、矢之倉は交友関係を深めたボブの友人たちと結んで、進駐軍の物資を大量に横流ししているという。
「その人たちも遊ぶ金がほしいから喜んでいるようだけど、あまりあからさまにやるとボブがまずい立場になると思って……」
 というのが桃子の悩みだったが、恭子の関心はほかへ流れた。
「利用されるって……桃ちゃんも矢之倉さんと会っているの?」
「ああ、あれから何度かあったわ」
「どこで?」
「米軍の将校クラブなんかでで……」
「将校クラブ……あの人、矢之倉さん今どこに住んでいるの?」
「さあ……お姉ちゃん、そんなことも知らないの?」
 問い返されて、恭子は反応に迷った。
「あなたの気持がわからない。どうしてそんなGIなんかのことを心配するのよ」
 冷たくいいはなった。
「お化粧したりネッカチーフをかぶったりしなければ、あなたはそんなに美人じゃないの。気がしれないわ」
「おねえちゃん……」
 桃子は悲しげにうつむいて、
「私……」
「あの男を、好きなのね……」
 と恭子は憎らしげにいった。何もかも思うようにならない鬱憤が、桃子に捌け口を求めていた。
 だがそこまでいわれて、桃子も爆発した。
「お姉ちゃん、我慢してきたけど、どうして私を束縛しょうとするの?」
「束縛?」
「もちろんそれがお姉ちゃんの愛情、私を心配してくださるお気持だとわかっているわ。でもお姉ちゃんだって子どものためにそんな身なりをして、怪我をしてまで危険な商売をしているじゃないですか。闇商人でございますって、女学校時代の同級生たちの前に堂々と出られる? 出られないでしょう?」
「桃ちゃん……」
 恭子は桃子の逆襲に面喰った。
「私だって精一杯生きているのよ。これでももう一人前の女よ」
 桃子はめずらしくいいつのった。
「ううん、私、お姉ちゃんを立派だと思っているのよ。よく世の中の変化を先取りして、そこまで変身してくださったと、心配しながらも尊敬しています。でも私も真剣に自分の信じる道を生きています。お互いに相手を認め合って信じあわなかったらこれからは生きていけないと思うの。お姉ちゃんだって金髪のお人形作ってるじゃないですか、いいアイディアだって感心したわ」
「………」
 恭子は、桃子をしあわせにしょうとする気持が空振りばかりで、逆に束縛していたことに初めて気付いた。これもそそっかしさだと気づき、素直になろうと自分をおさえた。
「わかったわ桃ちゃん……すこし冷静になって考える」
「ごめんなさい、生意気いって……」
 桃子は、傷ついた姉に打撃をあたえたことに深く心を痛めている様子だった。

 この年の収穫があってから食糧事情はやや好転したが、それは餓死者が多少減ったという程度のものだった。
 12月1日は小雨が降ったりやんだりの日曜日だった。
「初子ちゃん、岳士ちゃん呼んできなさい。お10時にカルメ焼き作るからって」
 午前10時と午後3時がおやつの時間、というのが戦前からの一般家庭のならわしだった。大半が専業主婦で一日家にいたからできたことだが、そういえば、この子たちが以前の生活に戻ったような気分になってくれるだろうととのねらいだった。配給のザラメで作るカルメ焼きは、甘いものに飢えていた子どもによろこばれたものである。
 一緒に食べてから仕事に出かけるつもりだったのだが、初子はちょっと顔色を変えてうつむいた。
「え? どうしたの? いるんでしょ岳士ちゃん、防空壕に」
 初子は首を横にふった。
「いないの? どこへ行ったの?」
「わからないんです……金曜日から学校へも行ってないし」
「ええ? 何でいわなかったの」
「ご心配おかけすると思って……」
「いわなければもっと心配じゃないの……」

 恭子は初子の手をひいて東口へ急いだ。
 一緒に食事をするようにと何度いっても、岳士は素直には応じていない。
 自分で稼いで食うからと、モク拾いなどで金を得て、一人で食べているようだ。
 浮浪児時代の仲間から誘われるらしいと、初子から聞いていた。
 初子の心当たりのその仲間たちを探して東口のヤミ市を歩きまわったが見つからず、西口を探そうかとガードまでもどってきたとき、思いがけず岳士を発見した。
 靴磨きが並んでいた。
 日本人の闇成り金がみじかい足を、GIが長い足を台にのせて靴を磨かせていたが、その近くで岳士はじっとGIを見張っている。
 なりは浮浪児よりはましだが、恭子が着せた服は大きさもあわず、継ぎを当てた粗末なものだから、大して浮浪児と変わらない。
 そのほうへ急ごうとする恭子の袖を初子が引っぱった。
「え?」
 恭子はなぜとめるのかと初子を見た。
 靴を磨き終って、GIが金を払ってたばこに火をつけて行くのを、岳士が尾けはじめた。
「どうしたのよ初子ちゃん」
 と訊く恭子の手をとって、初子はゆっくり岳士を追いはじめた。
 GIは2、3回吸ったたばこをポイと捨てた。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-岳士のモクヒロイ


 すると岳士がさっと行ってそれを拾い、急いで火を消して袋に入れた。
 初子が恭子を見上げてニコッとしたが、恭子にその意味は通じない。
 初子が走って行って岳士の腕を取って恭子を振り返った。
 岳士も気づいて気まずそうに笑顔をみせた。

 日本人はギリギリまで吸って捨てるからシケモク(小さい吸殻)だが、GIのはでかいのだと説明されて、恭子はやっと納得がいった。
 仲間に誘われて浮浪児生活にもどったのかと気づかったが、そうではなく、丸橋に防空壕から追い出されたのだという。
 丸橋とは、例の大家の若原夫人一家の生活の面倒をみている闇成り金である。
「金も払わないでただで住んでるなんてとんでもない奴だっていうんだもの。あそこの土地売るんだって」
 と岳士は説明した。
「なにいってるのよ。そんな闇成金に借りたわけじゃないのよ」
 とにかく帰りなさいと、恭子はつれ帰ることにした。
「ちょっと待って。帰る時にはボク、おばちゃんたちにおみやげ買って帰ろうと思ってたんだ。おいしいおでんがあるの」
「なにいってるの。そんなお金ないでしょ?」
「え? バカにしないでよ。昨日は1日でズカジュウ稼いだんだよ」
「ええ? そんなに?」
 ズカジュウとは彼らが使う隠語で50円のことである。
 GIを追いかけてたばこやチューインガムのモライをやると1日300円になるけど、仲間たちに会っちゃうからと、岳士は説明した。
 岳士はあたりを警戒しながらヤミ市の中を進んだ。仲間に見つかるのをおそれながら、かくれてモクヒロイをしているらしいと恭子は察した。
「ほらあそこ。GIも食べにくるんだよ。うまいんだ」
 岳士が指さした先を見て、恭子は眉をひそめた。
 おでん屋でパンスケと二人でおでんを食べているGIは二世のヒガシではないか。
 恭子は歩み寄って声をかけた。
「ヒガシさん……」
 振り向いたヒガシは、恭子の顔を見て一瞬ギョッとなった。
「あなた、沖縄じゃなかったんですか? もうお帰りになったの?」
「え? ナニよ沖縄って……」 
 ヒガシはうろたえながら、とぼけた。
「え? あなた……」
 と恭子は声をひそめて、
「ストレプトマイシンはどうなったんですの?」
「ええ? なんのことよ。ミー、ユーなんか知らないよ」
 開き直って、
「ストレプトマイシンだなんて……そんなもの扱ったらブタバコ行きよ。ヘンなこというと警察へいうよ」
「ちょっと……だったら3000円返してください。私有り金全部お渡ししたんですから」
「ちょっと……オマワリサン……」
 いいながらヒガシは走った。
「オマワリサン……」
 と叫びつづけるのに、恭子はうろたえた。
「おいで!」
 岳士と初子の手をひいて急いだ。
 パンスケがびっくりして見ている。
「なにおばちゃん、ヤバイことしたの?」
 走りながら岳士が訊く。
「そうなの。だから……」
「だったらそっちじゃなくてビックリガードがいいよ、交番ないから」
「そう……」
 三人は走った。
 ガーッ
 坂をくだってガード下へ駆け込んだ時、まるで低空で来たB29のような轟音を頭の上に聞いて、恭子は思わずしゃがみ込んだ。

 池袋は、駅の入場券を買わずに東口から西口へ行くガードは二つしかなく、ションベンガード(今のウィ・ロード)のほうが駅や繁華街に近いため、ビックリガードよりはるかに利用者が多かった。
 ビックリガードは、恭子などその存在も知らなかったほどで、昭和38年の拡張工事以前は線路ぞいのせまいホコリっぽい坂道を北から南へむかってくだり、直角にまがって線路の下を通り、また直角に北へむかって坂道をあがるというコの字型のガードだった。ガードの幅はウィ・ロードと同じぐらいだが、坂道はもっと狭く急で、石ころ混じりの歩きにくいガタガタ道だった。舗装してあったのが爆撃で破壊されたのかもしれないが、岳士も昔のことは知らなかった。

 自転車などでいきおいよくくだっていくと、ガードから出て来た人と出あってビックリ。ガードといっても大人が跳びつけば手がとどく高さで、西武線・貨物線・山手線とつづくからとてつもなく長く、下から線路や枕木、その隙間からは空も見える簡易鉄橋で、電車がその底を見せて通過する時は、遠くから近づいてきた雷が真上に落ちたようなもので、不用意に歩いていればビックリどころかはじめての人はぶったまげた。
 そんなところから子どもたちが呼んだ名が通称となり、大拡張して立派になった現代のガードには、まるで正式名称のように「ビックリガード」というプレートが貼られている。

 岳士は恭子の手をしっかり握っていたわるようにして走り、初子が追った。
 西口への坂道をあがりかけた時、恭子は息が切れ、石につまずいてころびそうになったが、初子もあわてて走り寄り、二人ががっちり抱えるようにして支えてくれた。
「ああ、ありがとう……」
 恭子は思わず二人を抱きしめた。
「だまされてくやしいけど、あんな奴を信用した私がいけなかった」
「おばちゃん……」
 恭子の腕の中で初子がいい、
「おばちゃんだまされたの? あの二世に」

 恭子が力なくうなずくのを見た岳士は、怒ったような顔で視線をななめに投げた。
「くやしいこと……だらけだよ。世間なんて」
 初子が腕の中で強くうなずくのがわかって、恭子はハッと胸をつかれた思いで二人を頭の上から見おろした。
 こんな小さな子たちが散々修羅場を潜って生きてきたのに、大の大人が、しかも自分がまいた種なのに、泣き言をいうなんて恥ずかしい。
「あなたたちこそ、くやしいことがもっともっとたくさんあったんでしょうね……でも、もううちの子なんだから、私が、このお母さんがついているからね」
 二人は、恭子をみつめて強くうなずいた。
 恭子は二人がいとおしくてならなかった。
「さあ……お母さんは商売だ」
 恭子は顔をあげた。
「うちの店へ行こう。いずれ二人には手伝ってもらうんだから」


 つづく


<< 6 ガンマン対さむらい (1) に戻る   || 目次  ||  6 ガンマン対さむらい (3) >> に進む



芸能人ブログランキングへ 小説ブログランキングへ 人気ブログランキングへ






西条道彦,作家,脚本家さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントする]

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス