6 ガンマン対さむらい (5) || 池袋ぐれんの恋 | 西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」
2013年02月28日(木) 00時09分40秒

6 ガンマン対さむらい (5) || 池袋ぐれんの恋

テーマ:6 ガンマン対さむらい (5)

 (5 ) 

 冬のやわらかい日ざしが、おだやかな東京湾のさざ波にキラキラ映えている。
 昭和二十二年の正月を迎えていた。

 ♪ 菜の花畑に 入日うすれ 見わたす山の端 霞ふかし……

 明るい歌声がきこえてくる。
 夏なら東京近郊の海水浴場としてにぎわう幕張に近いのどかな海辺の道を、オート三輪が走る。やがて到来する戦後の軽三輪トラックブームより数年前だから、戦前の無免許小型自動車規格の三輪だ。

 海浜ニュータウン計画によって昭和四十八年に埋め立てが始まるが、それまでは現在の国道14号線あたりが砂浜で、京成電鉄幕張駅から鄙ひなびた民家の建ちならぶ道をすこし歩くとすぐ漁船が並び、海苔の養殖場など、のどかな海辺の光景がひろがっていた。
 道といっても自動車ために作られた道路ではない。物資などの大量輸送は水上航路にまかせ、集落と集落をつなぐ人が歩くための道で、街中は右左折やカーブが多かったからスピードは出せない。
 現代人から見ればお粗末だが、当時オート三輪はすすんだ乗り物だから、運転する岩間は得意顔だし、荷台でガタガタゆられる桃子と岳士も気持よさそうに歌っている。
 二人のあいだには大きな一把の菜の花が置かれ、桃子も一輪手にしている。
 声をあわせて唄うそのはずみに、二人の目があった。
 岳士が肉親の姉にするようににんまりする。
 桃子も笑みをかえし、
「よかったね岳士君」
 岳士はうなずいて、
「♪ 春風そよ吹く空を見れば……」
 遠くに目をやり将来を夢見て胸ふくらませる様子の岳士に、桃子が急に涙ぐんで顔を手で覆った。
「え?」
 岳士がおどろいて歌をやめ、桃子をのぞき見る。
「お母ちゃんも喜んでくださってるだろうな、と思ったら急に……でもいいよね? うれし涙だもの」
「桃ねぇちゃんに手を合わせてるよきっと」


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-泣き出した桃子


 実際岳士は手を合わせる母の面影を思い浮かべていた。彼が入学したい学校へ、母のかわりに桃子が付きそって願書を提出してきた。
 岩間の実家、南房総の千倉の家にも寄ってきた。菜の花が咲き乱れ、太平洋の廣い海がひろがるすばらしい大自然につつまれた素朴で古いありふれた農家で、二人は岩間に案内され、潮風を胸いっぱい吸い込んできた。菜の花は岩間の父が摘み取ってくれた。
「あんなところで学校へ通えるなんて、しあわせよ」
「うん、ついてたしね、旧制最後の学年だなんて」
「ホント、幸運よ。お母ちゃんが守ってくれたんだわ」


 幸運とは学制改革、つまり6・3・3制への移行だった。
 千葉県立安房農学校は大正十一年創立の旧制(五年制)の中等学校だったが、この年から新制の農業高校(三年制──現・千葉県立安房拓心高等学校の前身)に格上げされるため、新一年生は募集しなかった。
 全国的に旧制学校と新制学校が混在した二年間の始まりで、旧制中学の三年生は新制高校一年生にそのまま進級したが、一年生と二年生は行き場をうしなった。そこで、すべての公立中学校と足並みをそろえて、安房農業高校併設中学校を仮設してその二年生と三年生になるのだった。つまり池袋で小学校高等科一年を終了する岳士は、その仮設校の二年生への転入試験を受けられる学年──という歴史の過渡期の幸運であった。

「よかったわね、6・3・3制になってどうなるのかと気をもんだけど」
 帰った二人を迎えて、恭子もよろこんだ。
 狭い店へは入りきれないから、持ってきた大きな菜の花の束を店の前に立てかけたまま、三人は立ち話だった。
「合格すれば義務教育の新制中学へは行かないで、ぎりぎり最初から農業の専門教育をうけられるんだよ。学力検査は二月の十二・十三日で結果の発表は十九日だって。千倉のつぎの南三原っていう駅から歩いて学校まで十分。定期券を買って、電車通学なんだ」
 岳士が悦びに興奮した早口で恭子に報告し、桃子が付け加える。
「そう、駅から太平洋に向かって歩くと学校は海の手前にあるのね? いいところよ。房総半島の南端だから、岳士君日に焼けて真っ黒にになるわよ」
「何よりだわ、まだ顔色の悪いのが気になっていたから」
 恭子が小さく拍手をおくり、
「初子も新制の池中、池袋中学というのができてその一期生になるし、真弓は来年から忠信幼稚園だし」
「みんなでお祝いしないとね」
 という桃子に恭子が、
「ありがとう。桃ちゃんがついて行ってくれてよかった」
「うん、やっぱり父兄がいないと、カッコつかないもんね」
 岳士がほこらしげに桃子を見る。
 保護者という言葉はあったが、当時は桃子のように女性であっても父兄と呼ばれ、こんにちの保護者会を父兄会といっていた。まだまだ男性中心社会のままだった。
「岩間さんのお父さんに感謝しなければね、学費を出してくださるなんて夢のようだわ」
「家は古いけどお金はあるのねきっと」
「桃ちゃん、今夜うちでご飯食べて行きなさいよ、 菜の花でおひたし作るから」
「そうね、せっかく仕事を休んだんだからゆっくりしたいし、笙子さんのお宅へもすこしおみやげに持って行きたいわ」
「それがいい。こんなにたくさんあるんだからご近所にも配って……」
 そのときだった。
「あら、菜の花。うわあ!」
 と、通りかかって奇声をあげたのは、紺のモンペに真っ赤な半襟が似合って初々しい十七・八歳の美少女で、パッとその場の空気がはなやいだ。
「あらヤッちゃん、あげるわよすこし」
 恭子がふり向いていうと、
「え? ホント? 私大好きなの。そうだおばさん! ねえ売ってこれ全部。おねがい!」
 と身をよじる姿は甘える幼女のようで愛らしい。
「ぜんぶ?」
 恭子は思いがけないたのみに一瞬絶句したが、すかさず横から口をはさんだのは岳士だった。
「いくらで買いますか? これ、電車賃かかってるんだけど」
「え? そうね……五百円でどう?」
「売ります」
 岳士はたたき売りの商人のようにポンと手をたたいて即答した。
「わあ、うれしい!」
 ヤッちゃんは三回飛び上がって喜び、さっそく懐から大きな財布を出して百円札をかぞえた。
 のけ者にされた感じで、恭子と桃子はポカンと顔を見合った。
「はい、ありがとうございます」
 と岳士は受け取った札を恭子に押しつけてから、菜の花の束を肩にかつぎ、
「運びます。汁粉屋のヤッちゃんの店はわかってるから」
「え? そうお。私も帰るところだから。じゃ、ありがとおばさん」
 と恭子に挨拶し、人ごみを抜けてスタスタ歩いていく岳士を追って、ヤッちゃんはあわてて小走りに帰って行く。
 見送った恭子と桃子は呆気にとられたままだ。
「おひたし、お預けね」
 桃子がいい、恭子は手にした札を見て、
「おみやげも、ご近所も……」
「電車なんか乗りもしないのに、あの子ったら……」
 と桃子がいったとき、
「いやぁ、やりますねえ……」
 磯海がおどろき顔で出てきた。
「岳士君、ヤミ商人見込みありですね。相手が金持ってるのにつけこんじゃって……」
「ただよあれ、おみやげですもの……」
「でしょ?」
 と桃子と恭子のやりとりを聞いた磯海が、団扇うちわを使うように手をふり、
「かまわないですよ。ヤッちゃんの店は一日の売り上げ八千円だっていうんだから。まったくコチトラみみっちい商売してるっていうのに……」

 佐山も客の応対をそこそこにすませてきて磯海の袖をひく。

「いやそれにしても……見てたよ。五百円っていえば、サラリーマンの月給なみだよ。すごいなあ」
「あんなに食べきれないでしょうに……」
「ねえ、お汁粉につけて売るつもりかしら」
 と恭子と桃子がうなずきあったとき、岳士が帰ってきた。
「ただいま……あの花、食べるんじゃないんだよ」
「ええ?」
「行ってごらん……」
 とニヤリとなった岳士に店番をまかせ、恭子と桃子は狐につままれたような顔でヤッちゃんの店へむかった。
[ヤッちゃんの店]──
 という看板を出した汁粉屋は、連鎖商店街の一坪の店を二つぶち抜いてつないだ間口二間、奥行一間の横長の店で、ヤッちゃんと母親、もう一人の若い娘の三人が、つめかけた大勢の客を相手に忙しく立ち働いていた。一杯十円の汁粉を一日八百杯売るとの評判だからもうてんてこ舞いだが、
彼女たちの後ろの壁面にはズラッと黄色い菜の花がならべられ、貧乏ったらしく何のかざりっけもないヤミ市の中で、ここだけはまるで春の花園のようである。
 だから三人の美貌がますます引き立ち、生き生きして見えるし、客も春の気分を満喫しながら気持よさそうに汁粉をすすっている。
 のぞき見て、恭子も桃子も舌を巻いて言葉がない。やっと桃子がつぶやく。
「なるほどねぇ、頭いいわあの子、この店だけ春がきて活気づいちゃって……古着屋さんとはちがうわね」
 と姉をからかうが、恭子はなにを考えるのか相手にせず、真剣な目で店を見つめていたが、ふと独り言のように、

「世の中どんどん変わりつつあるわね……」
 桃子はキョトンとなって姉をみつめた。

 ヤミ市の肉屋で恭子が肉を買い、ふり向いてはずむ様子で、
「お待ちどうさま」
 と、道で待っていた桃子と岳士のところへ来て、岳士のもつ買い物籠へ入れる。籠にはすでにネギなどがはいっている。
「やっぱりすきやきのほうがよかったでしょ、花よりは」
 と岳士がそっくりかえって得意げだ。
「そうだったわね。岳士の機転のおかげで今日は大ご馳走ね」
 恭子もうれしい。
 三人ならんで幸せそうに軽い足取りで帰って行く。 
 恭子が訊く。
「その三輪トラックって、たくさん荷物を運べるんでしょ?」
「え、そりゃ、荷物を運ぶためのトラックだもん」
 と岳士が答え、桃子が探る顔つきで、
「なに考えてるの?」
「花をたくさん運んできたら商売になるんじゃないかと思って」
「やっぱり……ムリムリ。あれは商売に使ってるのを、昨日一日だけっていう約束で岩間さん借りてきたそうだから」
「花なんか持ってきたって売れないよ。みんながヤッちゃんじゃあるまいし」
 と岳士が相槌うったが、桃子が思い出したように、
「そういえば、野菜や魚は地元のおばさんたちがかついで、電車に乗って東京へ売りに行ってるっていってたけど……」
「かついで?」
 何かがひらめいた様子で恭子が訊きかえしたとき、
「あ、米の配給だ!」
 岳士が叫んだ。
 角を曲がって家の近くの道にはいったところで、前方を、誠一の手をひいた初子が重そうなリュックをかついでヨタヨタ帰る後姿が見えたのだ。
「おうい、待て待て」
 初子と誠一がふり向いた。初子のあかるい顔がはじける。
「ああ、お帰んなさい!」
 誠一は走りもどって桃子に甘えてその手にぶらさがる。
 初子に追いついた岳士が、
「よこせ。俺がかつぐから、お前これ持て」
 と買い物籠を押し付けてリュックを奪おうとする。
「いい。もうすぐだし、これは私の仕事だもん」
 と強い調子で振り払って、初子は行く。
「ちぇっ、意地っ張りだからなあいつは」
 と苦笑するが、だから岳士は気に入っているのだ。
「ホントに働き者ね初子ちゃん」
 感心していう桃子に、恭子はうなずきながら目がウルッとなって、
「性格かしらねえ……」

「この家の家族になったのがうれしいのよ」

「それもあるのね、一生懸命だわ。この頃配給はほとんどあの子が取りに行ってくれるのよ。助かるわ、私が長い時間並んでたら仕事にならないもの……さあ、うんと栄養つけてやらないと」

 恭子は晴れ晴れとした顔つきで胸をはった。苦境のなかで二人の幼子を立派に育て上げようと悲壮な覚悟だったころから一変して、岳士と初子が生きる楽しさを持ち込んでくれた。焼け跡のなかのデコボコ道までが、美しい豊穣な世界に思えてくる。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-今夜はすきやき


 その夜の首藤家はすき焼きだった。すき焼きこそがご馳走の代名詞といえた時代である。
 子どもたちがうれしそうに見守る前で、七輪の上においた大きな鍋に恭子がどんどん肉や豆腐や野菜をつぎ足している。
「じゃおばあちゃん、すみません。そのへん、もう煮えていますから」
 という恭子に、ハイハイと答えて粂子が肉などを皿に取り、飯の茶碗と一緒に盆に載せて玄関から出て行くが、慣れている様子で誰もが気にもとめない。
 入れ違いに磯海と佐川がきた。
「こんばんは……お言葉にあまえまして」
「すきやきの匂い、やっぱりいいですねえ」
「あ、あがってあがって」
 と恭子が手招きする。


「初子ちゃん、配給のお米って、あれどのぐらいあったの」
 と桃子が訊いた。
 台所でネギを切っていた初子がふり向く。
「ああ、あれ、一斗九升五合いっときゅうしょうごんごうです」
「ええ? じゃあ二斗近いのお? 一俵いっぴょうの半分じゃない。初子ちゃんには重すぎるよね?」
「でも私が行かなきゃ……」
 初子は当たり前のようにいいながら包丁を使う。
 恭子がそうなのよ、とばかり桃子にうなずいて見せる。
 一俵は四斗である。一斗は18.039リットルだからかなりな重量だ。大家族の主婦にとって一か月分まとめての配給の場合は重労働であったが、当時の子どもは体格は貧弱でも労働を苦にしなかった。体に一本筋金が入っていた。
「さあ、初子もこっちへきて食べなさい。もう煮えたから」
 恭子が立って行って、初子に代わって切ったネギを皿に取る。
「いただきまあす」
 岳士の一声で、初子もくわわって真弓も誠一もうれしそうに箸をだす。
 ネギをはこんだ恭子がそれを桃子にまかせ、
「おばあちゃんどうなさったかしら」

 と立ち上がる。
 桃子はネギを鍋に入れながら隣の初子に、
「初子ちゃんがよく働いてくれるから助かるってよ」
 初子が微笑んで、
「私も嬉しいんです」
 と肩をすぼめる様子に、浮浪児時代の初子の生活を想像して、今度は桃子が目を潤ませた。
 磯海と佐山も桃子の気持をくみ、初子にやさしい目をむけてうなずきあう。この二人も家庭的な雰囲気には飢えていたから嬉しげだ。

 鍋からあがる湯気を中心に、あたたかく平和な空気が部屋をつつむ。


 恭子が玄関から出ると、秀雄の防空壕の前で粂子がションボリしゃがみ込んでいた。
「おばあちゃん……」
 声をかけると、粂子は顔だけむけて弱々しく首をふった。目の前の石の上に、手つかずの料理を載せた盆が置いてある。
「………」
 恭子は盆をとって防空壕へ降りて行く。
「あなた、全然召し上がれないんですか?」
 だが秀雄は向こうをむいて横たわったまま、ふりむきもしない。
 恭子は思わずためいきをつくと、怒りがこみあげてつぶやく。
「まったく、なんのための戦争だったのか……」
 
 轟音をあげて、ゼロ戦がつぎつぎ飛びたって行く。
 南太平洋の夜明けの空である。
「小隊長どの、一足お先にまいります」
 という部下たち大勢の声が重なりあってつづくのへ──
「おう、武運をいのる。俺もあとから行く……俺もいくぞ……俺も行く!……」
 矢之倉が叫び続ける。



西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-うなされる矢之倉


 病室のドアをあけて横田医師がかけつけ、ベッドでのたうちまわっている入院患者矢之倉を起こす。
「矢之倉君! 矢之倉君! 起きるんだ。目を覚ましなさい!」
 と頬をたたく。
 矢之倉はやっと目をさまし、横田を見る。
 二人、じっと見合う。矢之倉の呼吸ははげしい。
「また、同じ夢みていたね?」
「……お騒がせしました……恥ずかしいことで」
「いや……苦しんでいるんだね……さ、いったんはっきり目を覚ましなさい」
 横田は矢之倉をそっと助け起こしてベッドに腰かけさせ、並んで自分もすわる。
「部下はもう呼んでなんかいないさ……とっくに戦争は終わったんだ」
 矢之倉はうつむいたまま、だまっている。
「私はね……君と身近に接してみて、この度のような戦争をはじめた日本軍をけしからんと思うようになった。国のために役立とうという気持は誰にでもある。もちろん私にもあった。しかしそういう大勢の尊い愛国心を軍隊はじつに軽く扱ったということが、君の苦しみを見てきてわかったんだ」

 矢之倉はがっくりうなだれた。
「軽く扱った奴がいたのは確かです……しかし戦争を始めたこと、そのものは決してまちがいではないんですよ」
「いや、誰がなんといっても絶対まちがっていた。新聞でもいろいろな人たちがいっているじゃないか、日本は実にバカな戦争を始めた、特攻隊は犬死だったと……」
「今になってそんなことをいう奴らは卑怯です。それが信念だったら、彼らはなぜ戦争中黙っていたんでしょうか」
「君にはまだわからんのかね、まだ軍国思想に洗脳されっぱなしなのかね」
「洗脳じゃありません……やむにやまれぬ思いというのはあります」
「呆れたな。単純すぎるよ君は」
「ええ、単純です。それを誇りに思っています……戦争にはバカな戦争も正しい戦争もありません。どっちにも言い分があるから始めるんです」
「言い分なんかない! 国民をこんな目に合わせたのはバカだよ。悪だよ」
「……先生は、関ヶ原の合戦の東軍と西軍、どちらが正しかった、どちらが悪だったと思われますか」
「関ヶ原?……」
 予期せぬ質問に、横田医師は言葉を飲んだ。
「結果として、西軍は負けました。トップが無能だから負けたのであって、豊臣家を守ろうとした武将たちは、やむにやまれぬ思いで始めたんです。純粋な気持をののしることはできません」
「それは、そうだが……」
「勝てば官軍負ければ賊軍……勝ったほうは相手を悪ときめつけて自分たちを英雄として歴史にきざみ、負けたほうのいい分は葬られるのです」
「わかるが、それとこれとは……」、
「ちがいません。数千もの若い特攻隊員たちは、国のために命を捧げたのです。靖国神社に祭られている尊い御霊みたまたちを悪だと決めつける連中を私は許しません。そういう奴らが充満している今の日本を許せません。弱い劣等国と見下されてヘラヘラ笑っていられる奴らは日本人じゃない。腰抜けになって生きながらえるよりは、犬死といわれても腹を切るのが武士、さむらいというものです。自分の命という、最も大事なものをあえて軽視してみせたから潔いさぎよいのです。崇高なのです」
 困惑する横田を前に、矢之倉の目には涙がある。
「ううむ……ま、ま、今日のところは気をしずめて、静かに寝てくれ。いや、起きろといったり寝ろといったり……なんとかその夢から解放されないもんかなあ」
「今度はいつごろ外出できますか」
「……まだ出かけたいのかね」
 矢之倉の目に力がこもる。

 明るい朝日を浴びて、荒川にちかい天馬邸の前に岩間の運転するオート三輪が来る。荷台から大河原と柱谷が飛び降りた。
 古い木製の門はオート三輪を通すために、片方の門柱ごと動いて大きく開かれるように改造されている。大河原と柱谷がその門を開け、岩間は今日も大得意でエンジン音をあげてノンストップのまま玄関前へと進む。
 玄関脇の庇の下には、矢之倉が乗っていたラビットも置いてある。


西条道彦の連載ブログ小説「池袋ぐれんの恋」-三輪バイクで乗りつける


 天馬が釣竿の手入れをしながら顔をあげた。
「どうだ、矢之倉の容体は……」
 彼の道楽のための釣り道具にかこまれた部屋で、岩間が暗い面持で答える。
「それが、外出許可がなかなか頂けないもんで……」
「フッフ、おとなしく医者のいうことを聞いているとは、あいつらしくないな」
「でも、やらなければならない大仕事があるとか……」
「大仕事? なんだそれは……」
「さあ……そろそろこちらの、つまり隠匿物資もなくなるころだからでしょうか」
「………」
 天馬は一抹の不安を覚えるが、竿磨きにうつる。

 岩間は遠慮がちに言葉をかける。
「物資の売り払いが終わったら、オート三輪はお返しになるんでしょうか?」
「返す? 誰に」
「いえ、もう用がすんだら、そうなるんじゃないかと……」
「冗談じゃない。これからは自動車の時代だ。敗戦で市場を失った航空機産業からの転入企業が乗り込んで、三輪も四輪ものびる。俺ももうあんなリヤカー代わりじゃなく、もっといい奴を買って乗りまわそうと思ってるんだ」
「もっといい奴……」

「うむ、進駐軍の将校が乗ってるだろう、ああいう奴だ」

「ホホウ……」
 岩間の目が輝いた。
「よろこぶな。今年三月に内務省管轄の自動車取締令が改正される。小型自動車の無免許優遇措置は廃止になるぞ」
「廃止……どういうことになるんですか」
「どうって、免許のない奴は運転できなくなる」
「ええ? それはこまります」
「だったら試験に合格するように勉強しろ」
「勉強、ですか……」
 岩間はしぶい顔になる。
「さてと、もう待てん。病院へ行ってみるか……矢之倉を連れ出さんと仕事にならん。案内してくれ」
 と天馬が膝をたてた。
「ちょっと待ってください。兄貴はかならず近いうちに来ますよ。天馬さんが行くと面倒なことになります」
 岩間はあわてた。

 矢之倉の病室へ、岩間が報告に来ていた。
「始末が悪いですよ。天馬さんはここの先生をやぶ医者と決めつけているんですから。もっといい病院へ連れて行くって……」
 ベッドにうつ伏せの矢之倉は、枕に顎をうずめた姿勢で苦笑する。
「あいつらしいな」
「親友とはいえ、兄貴にそっくりですね。あのかた、ここへきたら先生を怒鳴りまくりますよ」
「いや、ここの先生を俺は信じている。しばらくおとなしくしているさ。退院どき、外出どきは、俺が決める」
 体力が弱った様子の矢之倉を見て岩間は不安にかられているが、口には出しにくい。彼の頭には、岳士から『一生のおねがい』と頼まれたときのことが引っかかっていた。

 岩間は去年の暮、そのことを矢之倉に打ち明けている。
「一生のおねがいだあ?」
「困ってるんですよ」
「岳士って、お恭の家のとなりのガキか、根性がある、とかいってたな」
「ええ、浮浪児生活できたえられて、したたかなんです。百姓になっておふくろ、を助けたい、家族みんなに腹いっぱい飯をくわせたい。岩間さんのお父さんに、僕を使ってくれるようにたのんでくださいっていうんですよ」
「お前の実家、人を雇うほど裕福になったのか?」
 岩間の父正造も若いころは矢之倉商店の丁稚をやっていたから、今も矢之倉とは親しい間柄である。半農半漁で貧しいことを知っているだけに、矢之倉は意外だった。ただ、この年にはじまった農地改革の話題が彼の頭にあった。


 農地改革とは、大地主から政府が強制的に土地を安く買い上げて、それまで地主から借りて耕作していた貧しい小作人たちに安く売って自作農を増やそうという政策で、農地解放とも呼ばれ、何百年もつづいてきた農村の地主小作人制度を崩壊させた戦後史の大転換だった。昭和二十二年から二十五年までの三年間に小作農から自作農になった(裕福になった)人たちが続出したので、岩間の実家もそんなことになったかと矢之倉が考えたのは無理からぬことだったが──
「まさか……ウチは貧しいままですよ」
 岩間は手をふった。
「じゃ、ことわればいいじゃないか」
「ことわりましたよ。でも『一生のおねがい』って食い下がられましてね……泣けちゃったんですよ。真剣なんです。あいつの心根を聞いたら、可愛い奴だなって思っちゃって……」
 岩間はホロリとなる。
「小学校の高等科へ行っていると聞いたけど……中退する気か?」
「それが……一生懸命働くから、できたら農学校へ行かせてもらいたいって……」
「農学校へ? はっはっは、虫がいいな」
「いのちがけっていう顔で拝まれちゃって。もうちゃんと調べてるんですよ、千葉県立安房農学校へ行きたいって。ところがそんな学費、出してやる余裕なんてうちにあるはずないでしょう」
 岩間の顔をじっと見ていて、矢之倉には一つの考えがうかんだ。
「ううむ……成程したたかだ……よし、行かせてやれ。正造さんには俺が手紙を書く。学費は内緒で俺が出す」
「え? やっぱり!」
 岩間は涙ぐんで顔をクシャクシャにした。
「兄貴はそういう人だと思ったんですよ。こんなこといったら、お前はクビだって怒鳴られるかと思ったんですけど、でもあいつのために、お願いしてみようかと……」
 矢之倉は腹の底からわらいあげた。
「わかってるさ、お前もそういう奴だ。そのかわり、正造さん以外には秘密だぞ」
「もちろんです。早速つたえてやります」
 岩間は吹っ飛ぶようにして岳士の防空壕へ行き、こんな風に話した。
「学費は俺のオヤジが出してくれることになった。そのかわりいっとくけどな、ウチは本当は貧しい。俺の兄貴、長男が継いでるんだが、オヤジも働いている。真面目にやって仕事をおぼえろ。オヤジのいうことはよく聞くんだぞ」
「はい! 一生懸命やります」
 岳士は涙をながしてよろこんだ。

 ベッドの矢之倉も、そのことは忘れていなかった。
「学費のことだけどな、近いうち卒業までの分まとめて渡そう」
「ええ? ありがとうございます」
 岩間はホッとした。矢之倉の中には、岳士というより岩間に対する愛があった。こういう命がけになれる人間、他人の命がけの心情をくみとれる男を彼は好きだった。
 ただ、そのためにも、彼はこれから大きな勝負をしなければならなかった。病院にジッとしてはいられないのだ。 
 岩間はいいにくそうにしていたが、思い切った様子で、
「そうそう、お恭さんですけど……黙ってますけどね、兄貴のことを知りたいらしいんですよ、すごく心配しているようで」
「仕事で関西のほうへ行ってると……」
「いいましたよ。でも、自分も顔あわせるたびに、つらいんですよ……いいんじゃないですか、入院して療養中っていってあげても」
「いうなといったろう」
 矢之倉はきびしくいって顔をそむけた。     


 つづく



<< 6 ガンマン対さむらい (4) に戻る   || 目次  ||  6 ガンマン対さむらい (6) に進む >>



芸能人ブログランキングへ 小説ブログランキングへ 人気ブログランキングへ



西条道彦,作家,脚本家さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

コメント

[コメントする]

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス