NHKの『路線バスの旅』を見ていた。

  突然、会社を辞めて、山陰旅行をした時のことがよみがえった。

  大阪を旅立ち、山口を一泊目と考えていた。

  二泊目は津和野である。

  山口には夕暮れが覆う時間についた。

  自分は失業している平日であるから、泊まるところは簡単に見つか   

 ると、高をくくっていた。

  駅前の旅行案内所で宿屋探しを頼んだが、空いてないという。

  医者の学会があり、山口市内のホテル、旅館はどこも満室だとい

 う。

  わたしは、26歳のときまでに野宿はしたことがない。

  困った。案内所からは見離され、自力で探す羽目になった。

  電話帳を手元に電話をしまくった。

  何軒目かは忘れたが、相部屋ならばあるというところに電話がつな  

 がった。

  何でもよかったので、お願いし、その旅館にたどり着いた。

  受付に行き、電話で予約したというと、優しそうな受付の初老の女

 性が、

  「うちは、商人宿なんですよ」

  と、説明してくれた。

  相部屋のお二人は優しかった。

  当時は、そういう人たちと話すすべを心得ていなかった。

  いまは、危うく野宿するところを救ってくれた、優しげに佇んでいた 

 商人宿が懐かしい。


  その後、10泊して山陰を回ったが、宿泊を決めていた駅についた

 ら、即、宿探しをした。

  おいしいものを食べ、いい宿に泊まれた。

  なかでも、商人宿がまだあってほしいと思う。

 昨晩、テレビの番組表を見ていた。

 深夜の番組である。

 あった。『孤独のグルメ』。午前3時から。

 まてよ、4日は、午前10時15分から愛読ブログでよかったと言われている『レ・ミゼラブル』を観に行くと決めたのではないか。

 手が勝手に動き、予約してしまった。

 

 ああ、気がつくと松重豊さんが、商談相手に、お土産のキーウィを買っているところであった。

 『孤独のグルメ』はタイトルが同じコミック(原作・久住昌之、作画・谷口シロー)を実写化した作品である。テレビ東京で2012年1月から放映されていた。

 松重豊さん扮する、個人輸入雑貨商、井之頭五郎が脇役の仕事の合間に、主役の昼食や夕食を外で楽しむ物語である。

 「モノを食べるときはね、だれにも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあだめなんだ」

 と、五郎さんは確固とした信念でつぶやく。

 「腹もぺこちゃんだし、夜食でも食って一息つくか

 「焦るんじゃない。俺は腹が減っているだけなんだ」

 人間の三大欲求のひとつ、食欲にすべてをささげつくすことを決めた男の見事な生きざまを、松重さんは演じきっている。

 食べることをエンターテインメントにした番組とは、まるで迫力が違う。

 街のどこにでもある実在の大衆食堂や喫茶店、昼間営業せざるを得なくなった居酒屋が舞台である。

 勘で店に入り、味を堪能する。その食いっぷりが見事なのである。

 沖縄料理店に入り、アグー豚の塩焼き、そーきそばなどを平らげ、デザートまで頼んでしまう。3人前は食べているのではないかと、見ている、わたしが驚くほどの量を胃に収めてしまうのである。

 この時の五郎さんの言葉が「今日は、沖縄まつりにしてしまおう」。


 まったく、ドラマらしい出来事がない。五郎さんが注文する、食べる、

独白、食べつくすだけである。

 それを見ていて、孤独のグルメの究極を究めようとする、俳優、松重豊さんの、静かな存在感に引かれた。

 わたしが見たのはSeason1の12話である。

 Season2は昨年12月26日最終回であった。

 再放送を楽しみに待つとともにと、原作者は次回作に意欲を示していた。

 待つ楽しみは、こんなところにあるのだ。

 箱根駅伝で2校、途中棄権。

 まず、城西大の5区のランナーが低体温症になり棄権、その後中大の5区のランナーがゴールまで1キロ強を残す地点で低体温症になり、棄権。この失敗を次に生かしてもらいたい。

 中大は28年連続していたシード権を手放した。

 どん底に落ちて、力を発揮するチームがある。

 わたしと箱根駅伝とのつながりは小学2年から始まる。

 わたしの家は、渋谷区初台でパン屋をしていた。

 その隣が、中央大学自動車部の合宿所であった。

 わたしの家族と合宿所の世話役をしていたおばさんとは仲が良かった。わたしはそのおばさんを「中大のおばさん」と呼んでかわいがってもらっていた。

 いわば、合宿所はわたしにとっては、自分に家より居心地の良い場所であった。夏はいつも昼寝とおやつにありつける場所になっていた。

 中大のおばさんが「駅伝見たいか」と聞いたので、「うん」と答えた。

 小学2年の時、自動車部の学生に連れられて、見に行った。

 当時は、自動車部がジープを提供、運転、そのジープが監督車となり、全区間伴走していたのである。

 わたしが、小学5年で引っ越すまで、毎年直接見に行っていた。

 強い中大のイメージが残っている。

 

 なぜか、中大はわたしの母校となり、もっぱらテレビで応援している。

 今年は最悪のレースになってしまった。

 しかし、応援者のスタンスは変わらない。

 

 1月2日である。

 大掃除を31日にしたのは、元旦は掃除をしてはだめの慣習による。

 

 今日は、みなさん、洗濯物を干している。

 生活が戻ってきたのである。

 

 2日は続けて携帯メールが2通入った。

 9日には高校のクラス会の幹事会がある。

 それに出席するとの返信であった。

 これがわたしにもたらせてくれたお正月からのプレゼントである。


 幹事は8名。8名全員が集合してくれる。

 3月31日には、いいクラス会ができると確信した。

 明るい言葉は言えないのではないかと思っている。


 わたしの大好きなブログを読んで今日を過ごさせてもらった。

 午前6時には「新年」と「あけましておめでとうございます」とブログに書いていたブロガーは4人。

 すがすがしいお正月を迎えられたのであろう。

 みなさん、さあ、新年と、新しい時間に立ち向かうすがしさにあふれていた。

 新年はいいものである。

 自分の夢を持っているものは、夢を実現しようと思う初めの日である。

 自分の思いがかなえられると、確信する日である。


 そのような、前向きの思いを、正月にかざす。

 正月だからできることなのである。

 

 正月だから、思うことってある。

 

 ある歳を超えると、1年は速くなる。

 今年も、早かった。

 記憶にあるのは、初詣。

 その間の記憶は見事にない。

 そして、大晦日の大掃除である。


 今年をベースに考えた。

 ときめきがないと。


 ときめいていた10代、20代、30代は1年が長かった。

 ときめきの明日がとても長く感じた。

 永遠ではないかと、何度も思った。

 それがなくなってから、早くなった。


 考えることが無くなっていると、思う。

 このことが問題の核心ではないかと思い至った。


 ときめきは、毎日、充実させてくれる。

 それがないと、時間は時間どおりに進む。


 ときめきは、時間をいとおしんでくれている。

 ときめきを取り戻さないと、時間は自分のものにならない。

 

  年末に雨なのは、あまり記憶がない。

  いつも行動は自由であった。

  今日は家の中しか動けない。


  そこで考えた。

  何で生きているのか。

  あまり意味なく、特にこの2年間は生きた。

  生き続ける、このことは、意味がなくても大切だと自分の中に刷り込まれている意志である。


  ほんとうは、愛する相手がいることが生きる意味であると、わたしは高校のころから考えていた。

  それでも、愛する相手がいなくても、生きていけることが不思議なのである。


  愛なくても、生命がある限り、生きよという声が聞こえる。

  この声が聞こえている限り、来年も生きようと、思う。


  大掃除は明日と、決めたとたん、気が楽になった。

  明日は、東日本は晴れである。

アンクルのブログ


来年用の誕生日の贈り物である。

上から、水仙、梅、紫詰草。1月、2月、5月である。

誕生日の花があることは,

「きょうちゃん」のブログで知った。

フラワーキャンドルの存在である。誕生花を形にして贈る。

これだと思った。

依頼し、作品が贈られてきた。

きれいで、かわいい。

女性のキーワードが詰まっていた。


今日は大掃除を中断して、1月誕生日の女性と会った。

いろいろと話ををした後に、プレゼントを渡した。


よかった。珍しいプレゼントに大満足。

「大地震が来て、停電になる。俺の愛が必要になったとき、

このキャンドルに明かりがつく。生きたいと思うはず」


余計なことを言ったが、愛を形には、今回はうまくいきそうである。、 

 


 ロンドンオリンピックでは、「感動した」をよく聞いた。
 自然の中に入った人は、「癒された」とよく言っていた。
 わたしは、感動も癒しも、本人の思いだからどうぞご自由にどうぞお使いくださいと言うしかない。
 言葉は、軽くなってしまった。
 他人の快挙に感動してもいいのだが、自分が関与していることに使ってもらいたい。
 癒しとは、人間関係の中で、感じてもらいたい。

 真の感動は、他人の行為によって生まれるものではないと思う。
 自分が関与したことにより、他人が喜んでくれたり、立ち直ってくれたりした姿を見て感じる情感だと思う。
 真の癒しは、やはり他人の生きる姿を見て感じる情感だと思う。

 それだけ、感動したり、癒されることが、人間関係からは生まれてこないのだと思うが・・・。
 なぜか、淋しい1年であった。
 午後7時に帰宅した。 
 食べるもがなかったので、買い物に出た。
 真正面に月が、こうこうと輝いていた。
 遮るものがない月のひとり舞台であった。

 ひさしぶりに、自然の神々しさを感じた。

 月光をまぶしいと思ふわが目にしかと焼き付けん永遠のとき

 歌までできてしまった。

 自分の情感はどこへ行ってしまったのか、さびしい思いでいたが、自然が輝いていてさえいれば、
 人間は、まだまだ人間を止めたいとは思わない。

 こんばんは月に感謝。