数少ない忘年会に参加してきた。

 勤めていたころは、会社、交際相手、大学・高校の友人、その他と忘年会は5、6回参加していた。

 男はそういった付き合いが無くなると機会を失う。

 参加した忘年会はグループホームが企画したもので、思わず連絡をもらった時に参加と言ってしまった。ソフトドリンクとお寿司の忘年会は初めてである。

 午前11時から午後2時まで、長さを感じない面白い会となった。

 それはカラオケがあったせいである。

 90代後半の女性が歌い始めると、次々に歌う人が出て、座を盛り上げる。

 何回も演歌を歌う。

 そして、最後は5歳の女の子がクリスマスソングを歌うと、会に集まっていた人間が全員唱和した。

 楽しいことは、人間を活性化する。

 そこに幼子が参入するとさらに参加している人間の表情が4豊かになる。

 いい忘年会であった。

 楽しみの次は苦労である。

 ここ2年は大掃除を放棄していた。

 人が訪ねてこない家なので、始終きれいにしておく必要は感じなかったが、姉が訪ねてきても家の中にいれられないのは困る。

 何人か物好きがいて、わたしの家でパーティーをしようと言ってくれた。

 芭蕉庵には弟子たちがよく出入りしていた。兼好や長明の庵はどうだったのか。

 やはり、訊ねる人が来てくれる家にはしておいた方がいい。

 そう考えていたので、今日は窓拭き、床拭きをした。

 午前10時から始め、午後5時までかかった。

 窓拭きは寒さとの戦い、床拭きは体力勝負であった。

 しかし、気持ちがいい。ここまできれいにできた自分の体力にこれから乾杯することにする。

 寒さと雨の中、仕事に行くつもりだったが、現地で落ち合う相手からメールが入った。

 「風邪を引いてしまい、今日は休みたい」と。

 わたしも雨の中自転車に乗るのはやだったため、

 「日を代えましょう」と、返信した。

 じっくり、昨日やたらと紙詰まりばかりした年賀状印刷に取り組んだ。

 プリンターに激を入れたら、なんとスムースに刷れる刷れる。

 1時間で仕上がってしまった。

 郵便ポストに投函しがてら、年末年始用に本を借りに図書館に寄った。

 和田はつ子さんの料理人季蔵捕物控シリーズの6冊と夏目漱石の『漱石・子規往復書簡集』「漱石日記」である。

 実は昨日まで小林秀雄さんの読書に関する本を読んでいた。

 名文の作家の本を読みなさい、さらにそういう人の全集を読みなさいと書かれていた。

 こりゃ、徹底的に漱石の書いたものは読まなければならない、と殊勝に思ったのである。

 小林秀雄さんは難解である。したがって、読むのをやめていた。

 しかし、いまわたしの座右には小林さんの名著『無常といふ事』が置かれ読み返している。

 読書の本の中に、国語の試験問題を小林さんの娘さんが、この問題の例文の意味が分からないと小林さんに言う場面が出てくる。

 小林さんはその問題文を読む。悪文であると思って、わからないと書けばいいと小林さんが娘さんに言うと、娘さんはこの例文はお父さんの書いたモノよと言う。この人間味がいい。

 昼からガスストーブをつけたり、エアコンの暖房をつけてみた。

 どちらを暖房の主役にするか考えていたのである。

 ガスストーブは暖まるのが早い。エアコンは部屋中がまんべんなく暖まる。

 ところが、ガス代金の請求書が袋戸棚に入っていた。請求書とともにお知らせも入っていた。

 「ガス代を値下げしました」と、アベノミクスにささやかに抵抗するお知らせであった。

 単純に考えると、値上げしている電気よりも値下げするガスに軍配を上げるべきであろう。

 しかし、ガスばかり使うと一月1万を超える。

 ま、せっかくだから電気とガスを寒さに応じて使いまわそうかと考えることにした。

 夜半から東京は雪の予報になっている。

 この寒さからすると必ず雪は降る。

 その時は寝床で寒さをしのごう。

 今日は、初雪を見てからブログを書こうと思ったが、早めに書いた。

 おぅ寒。

 本書は角川春樹事務所から2007年6月18日に刊行された。

 久しぶりに精読できた。

 多分、主人公が料理人であることが幸いしたのだと思う。

 時代小説の主人公は、同心、浪人、岡っ引きが多い。

 ただ、この料理人も表は料理店の板前、裏は北町奉行の命を実行する家業へと変質を遂げていく。

 表が一流なのに裏を持つとはなかなか変なのだが、その変加減が物語を面白くする。

 物語を面白くするには、人が殺されたり、かどわかされたり、過去があったりしなければならない。

 そういった伏線を主人公は乗り越えて、事件解決を図るわけだが、その事件解決に近づくための道具として食べ物が料理として、熟柿として彩りを添えるのである。

 武士から塩梅屋の料理人となった季蔵、塩梅屋長次郎が殺される。

 この本は長い物語の始まりに過ぎないが、主人公の引きずるものはますます重いものになってくる。


 それにしても精読できそうな作者を知ることが読書に弾みをつけてくれるので年末年始は楽しみである。

 

 いちょうの葉もすっかり落ちてしまった。

 さくらといちょうの木が交互に植えられた並木道が冬景色を演出している。

 葉が無くなった木々は、いまや初春に向けて内部充電に入ったのであろう。

 自然のこの規則正しい営みに驚嘆するとともに、来春への希望を感じさせてくれる。

 冬景色とは待つことの大切さと春を迎えることの愉しみをわれわれ人間に語りかけてくれる。

 

 そんな冬景色の中に不思議なお店が私の家から歩いて3分のところにある。

 今年、10月に開店した陶器店である。

 わたしはほぼ毎日この店の前を通る。今日も通った。

 ところが、「本日はお休みです」のプレートが店内への入り口に表示されていた。

 つまり、わたしは入りたいと思っているのだが、入るチャンスがないのである。

 つまり、1週間のうちほぼ毎日休んでいるのである。

 いやあ、自由営業もこうなるとなぜ店など開いたのだろうと思わざるを得ない。

 この並木道には40代のご夫婦で営むおいしいコーヒー屋さんがあるが、週に6日の営業をしている。

 あと16日ほどで今年も終わる。

 年齢を重ねると時間は瞬く間に過ぎていく。

 今年は50年ぶりに会えた人がいた。

 5年ぶりに会った人もいる。

 高校のクラス会では20人以上集まった。

 残念なことは約束していた有馬温泉行が実現できなかったことである。これは来年実行するつもりでいる。

 本もよく読んだ。夏目漱石の読み返しと時代小説。

 ところが、12月に入って読み疲れが出てきたようで、読んでいても面白さを感じられなくなっている。

 小説の内容、盛り上げ方に不満がある小説を読んでいるのかとしばしば思う。

 新しい読み筋を探さなければならないと考え始めている。

 来年早々には哲学講座「徒然草」の読み会に参加する。

 徒然草を哲学のテキストに考えている人がいるのである。

 参加する人間は243段すべてを読んでいかなければならない。

 学生時代に予習をしたことがないわたしにとっては驚くべきことである。

 目先の変わった本を読むことは、何かのきっかけになるかもしれない。

 人、本とくればあとは食べ物ぐらいだが、もんじゃを3人でがやがやと食べた美味しさが印象に残る。

 八千草薫さんが来年も美しく演じてくれる映画が出てくればいいと思う。

 買い物を終え、団地の路を歩いていた。

 わたしは、いつまで黄葉が枝を離れずに頑張っているのかと、上を見つめながら取り留めもなく考えていた。

 わたしの後ろから叫び声が上がった。

 「ねっ、人が倒れていますよね。ねっ、ねっ」

 わたしにかけた声だと思ったので、前方を見つめると、30メートル先の芝生に倒れている人に気がついた。

 あわてて、その倒れている人に走り寄った。

 仰向けになっていたのは老婦人であった。

 「どうしましたか。大丈夫ですか」

 声をかけると、その老婦人は。首を縦に振った。

 そこへ。老婦人を知る、初老の婦人が、

 「○さん、郵便局に行ったんだよね。この人は突然倒れることがあって、つい最近もゴミを出した後倒れて近所に人に助けてもらったのよ」

 「じゃ、帰るところだったんですね。自宅は近いのですか」

 「この棟よ」

 これぐらいならば、背負って行けると、体力に自信のないわたしは思った。

 「おばあちゃん、わたしが背負うから」

 と言うと、老婦人はともかく立たせてほしいと言う。

 立たせると、わたしの腕をつかんで

 「歩く」

 50メートルほどを5回の休憩を入れながら歩ききった。

 その間、わたしに

 「ありがとうございました」

 「ご迷惑をおかけしました」

 と、何度言ったことか。

 「私は○さんの上の階の人間なんだけど。○さんは人の支援を拒んでね。私は主人と息子が一緒だからまだ暮らしていけるんだけど。○さんはね」

 老婦人は95歳で一人暮らしである。

 多分老婦人は誰にも迷惑をかけず、生きてきたのであろう。

 わたしも今の時点では、誰にも迷惑をかけず生きてきた。

 しかし、加齢は人間の能力を容赦なく奪い去る。

 これに対応できるのは人間の力を借りることであろう。

 

 年末に来てこんなラッキーなことがあるのだと実感した。

 わが街の名店きょうやはそばどころである。

 わたしがこだわっているのはそばをすすりながらおいしい日本酒を飲むことにあるのだが、ここ2回は獺祭が品切れであった。

 今週の8日にはその純米大吟醸酒が入るころだと考え行ったのだが臨時休業だった。その理由もちゃんと聞いた。

 「8日には獺祭は入るませんでした。今日入りました」

 言われたことは最もである。責任者がいるところで入荷したのである。

 わたしは昼そばをごちそうになる顔をしみじみ見た。

 福の神に見えたのである。

 いるんだよね、福を呼び寄せる人間は。

 わたしは貧乏神が身についている人間である。

 宝くじも福引きも当ったことがない。

 しかし、わたしの友達は福を呼び寄せるほどの強運をもっているのだと。

 信じてしまった。ありがとう。

 9日には昼そばをした。

 昨日、ボーナスが支給されたのでごちそうしたいとの連絡が入った。

 その友人のためにもここはごちそうにならなければいけない。

 先日、突然臨時休業していた「きょうや」をリクエストした。

 最近の若い人はやることに隙がない。

 「明日のきょうやの昼そば、私の名前で予約しました」

 と、連絡が入った。

 わたしがボーナスをもらえなくなってからもう13年経つ。

 ボーナスは貯蓄に回ったり、生活費の補てんに回ったりする。

 定期収入であった。

 無ければないで、どうにか生活はできたが潤いのある生活をするにはあったほうがよい。

 友人はかれこれ10年ぶりのボーナスである。

 もらえるまでの生活の立て直しをしてきた友人は偉いと思っている。

 潤いと余裕ある生活を創りあげている友人がいることは嬉しいものである。