昨日の続きです。
今回は奈良市立史料保存館までです。
商店街通路にはイベントポスターが貼ら
れていました。
通路に貼ってあった奈良国立博物館の
「特別展お水取り」のポスターです。
神社・寺で大茶会のポスターです。
これは2月13日までです。
現在地にある地図です。(上が北)
②の南にある交差点の南側は
下御門商店街です。
春日大社大宿所の上に椿井小
学校がありますが、この付近が
中坊氏屋敷跡で、中坊秀政は
自宅を代官屋敷として使います。
1603年頃には奈良女子大の
所に、新しい代官屋敷を造りま
す。ここがさらに江戸幕府の方
針で、10mの堀で囲まれた城
のような代官所になります。
中坊秀政は将軍の名代として、
春日大社若宮祭を主催してい
ます。中坊氏はもともと大和の
国人で、興福寺衆徒の家柄な
ので、寺社勢力の強い大和を
治めるのに都合が良かったの
でしょう。
1638年に2代目奈良奉行に
なった、中坊時祐は願い出て、
1650年に与力6騎・同心30人
・牢番1人体制にしています。
1663年に中坊時祐が老齢を
理由に引退します。
1664年に旗本土屋利次が、
奈良奉行に就任します。この
時新たに、中御門町西には、
大和の幕領を支配した奈良
代官所を新設し、公務を分担
しました。
奈良代官所は現在天理教会です。
1727年には公務の合理化
で、73年に及ぶ奈良代官所
が廃止され、奈良奉行所に
統廃合されました。
奈良奉行所模型です。
下図②から③の方に歩いている
途中です。この付近は下御門商
店街です。(下図)
③の現在地にある地図です。
このアーケードを抜けると
地図の現在地になります。
上図③の角にある豪商だった
家です。明治初期に関家が建
てた呉服商(卸商)でしたが、
昭和60年に廃業し、現在は
江戸川といううなぎ屋さんです。
間口がとても広い家です。
当家の由来書です。
東大寺の中門があったところ
が、奈良代官所が出来た場
所の中御門です。
③から北側を振り返えり、
撮影しました。
しもみかどのアーケード
になっています。
この地が下御門町です。
右側に江戸川さんの
黑い建物があります。
上が北です。
この家の間取りは
赤枠が現在の店です。(左が北)
赤枠以外のところは現在、
道路と・駐車場になってい
ます。
③の交差点を越えたところです。
③から④方向です。
先に進むと左側に
奈良市立史料保存館です。
開館時間などがあります。
無料の施設です。(左が北
の地図もありました)
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