奈良奉行所 4 餅飯殿センター街です | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。

今回は餅飯殿センター街です。

 

下図Bの餅飯殿商店街を

赤い線に沿って歩きます。

 

現在地にある案内板です。(上が北)

Bから②の方に歩きます。

 

少し歩くと

 

ゆるキャラのせんとくんと

まんとくんの立看板があり

ます。

 

左側の解説板には

 

餅飯殿の解説板があります。

この町の若者7人衆が理源大師と

ともに、大峰山の大蛇退治に出て、

持って行った餅と飯を配り、大蛇

を退治したので、参加した勇者に

理源大師は「餅飯の殿」の称号

を与えました。以来この町のこと

を「餅飯殿」と言いました。

 

さらに歩くと

 

下図②の所に春日大社大宿所

があります。解説板が逆光で読

みずらいので、拡大して明るく

すると

 

②にある解説板です。

おん祭りの願主役を務める大和士

(やまとざむらい)が大和の国中か

ら集まり、願主役の清め無病息災

を願う「御湯立(みゆたて)神事」

と、祭りの無事執行を祈るための

「大宿所祭」が行われます。

約450年前に秀吉の弟である、

豊臣秀長が南都奉行に任命した、

井上源吾高清に命じて建てさせ

た大宿所です。

この時代は奈良奉行所の前身

である、南都奉行所が豊臣家臣

であった、椿井町の中坊屋敷を

利用していました。

 

椿井町を赤枠で囲んでいます。

下図より大宿所の横にあった

のです。中坊家の詳しい位置

は石碑も無いので分かりません。

 

中坊秀政は関が原で東軍だった

ので、その後は彼が自宅で奈良

奉行をしています。徳川幕府は

大坂の豊臣家への押さえが必

要と考えて、堀の幅が10mも

ある、城ともいえる奈良奉行所

を、1615年までに造っていま

す。

 

大宿所の中に入ると

 

 

 

春日若宮おん祭の始まりを告げる

大宿所詣の行われる、春日大社

大宿所です。

左端に見えるのは大福稲荷神社です。

 

 

大福稲荷神社は大宿所の敷地内

にある小さな春日大社末社です。

 

「く~にゃん雑記帳」様のブログから

お借りしました。「春日若宮おん祭」の

初日12月15日に、春日大社大宿所

(おおしゅくしょ)で、祭り奉仕者を清め

無病息災を願う「御湯立(みゆたて)

神事」と、おん祭りの無事執行を祈る

「大宿所祭」が行われ、その写真です。

分かりにくいですが、お湯を沸かした

釜から湯気が出ています。

おん祭りに奉仕する大和士(やまと

ざむらい)たちが精進潔斎のために

参篭した場面です。

 

餅飯殿センター街の通りの方は

 

通りの向かい側にFMラジオ局があり

生放送中でした。

ならどっとFM78.4MHzという、地域

密着コミュニティエフエム放送局です。

平成12年に開局しています。

可聴範囲は奈良県北部の奈良市・

生駒市・大和郡山市・天理市と京都

府南部です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。

希望があれば、読者(フォロアー)相互登録出来ます。

毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン

キングは出来るだけ押しに行きます。

 

Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
 お手数ですが、よろしく。下矢印ダウンぽちっと下矢印ダウン押すだけ
                                              にほんブログ村 歴史ブログへ

 

                                               ブログランキング・にほんブログ村へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ

 

                                               にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ

                                               
                  お願いします。