奈良奉行所 6 奈良市立史料保存館 前編 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は奈良市立史料保存館前編です。

 

 

下図④から撮影した奈良市立

史料保存館です。

ここにこれまでも紹介した奈良

奉行所の史料がたくさん展示

されています。

今回はその一部の紹介です。

 

現在地にある案内地図です。

 

奈良市立史料保存館入口です。

町家を利用してます。

 

下の解説板を拡大すると

 

定の解説板です。

キリシタン禁止の1682年(天和2)

の高札です。

 

高札場の模型です。

その他にもいろいろな定め

があります。

 

高札場の解説板です。

 

奈良奉行所模型です。(右が北)

総坪数は約8695坪(約3Ha)あり、

一辺約167mありました。

大坂町奉行所2960坪、京都町奉

行所5327坪などと比べると、奈良

奉行所は大きな奉行所です。

奈良には大坂城や二条城のような

城が無いので、その代用処置です。

手前に並ぶ与力屋敷は300坪で、

多聞町の与力屋敷は120坪だった

ようです。定員6名でしたが、後の

1670年頃には定員8名に増員さ

れました。石高は6人の時に60石

でしたが、8人になると45石に減

らされました。与力は一代限りでは

なく、正規の幕臣でした。
 

同心は屋敷が100坪で、多聞町

にありました。石高は10石ほどで

した。また、同心は一代限りなの

で、能力がなければ入れ替えら

れました。

1670年頃には30人から25人

に減員されますが、奈良回り8ケ

村は20人の郷同心を採用します。

郷同心の給料は1石七斗でした。

 一石はお米150Kgで、お米10

Kgを5000円とすると、一石は

(5000円×150kg)÷10kg=

7万5千円です。江戸時代は1両

=1石=75000円でした。

空地で農業をしないと食べて

いけない給料です。

 

1767年に描かれた絵図です。

奈良奉行所与力であった橋本

喜久右衛門によって作成され

たと考えられる図で、奉行所内

の建物の配置や間取りなども

詳しく描かれています。また、

青、茶、黄色の3色に彩色さ

れており、青が瓦葺、茶色が

桧皮葺、黄色が板葺の屋根

材の別を示しています。

 

奈良奉行所模型です。(上が北)

 

奈良奉行所模型です。(上が東)
 

模型の解説板です。

警察署と裁判所が同居して、

町人や寺社を管理していま

した。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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