「何故売れなかったのか」と悔やまれてならないアイドルはたくさんいるんですが、その中でも、少女隊は特に、売れなかった直接的な原因が本当に不運としか言いようがないためか、惜しい気持ちが募ります。

 

ものすごく、お金をかけて(40億と言われています)大々的なプロデュースの末に生み出されたアイドルが少女隊でした(このあたり、セイントフォーと通じる部分がありますね)。

 

レコード、PVは全てアメリカで収録、撮影。

 

現地のミュージシャンを巻き込んでのレコーディングで、おかげでサウンドの質は当時の日本のレコードの中で頭ひとつ、ふたつ分くらい抜けた出来になりました。

 

ファーストシングルとアルバムの作曲を担当したのは、ピンクレディーやフィンガー5などの楽曲で知られる、70年代屈指のヒットメイカー、都倉俊一氏。

 

彼が80年代に挑んだ一大プロジェクトが、少女隊だったのです。

 

こちらがデビュー曲の『FOREVER ~ギンガムチェックstory~』。

 

ちなみに、B面の『ピンクのタオル』が絶品の名曲で、こちらの方が個人的には好き。

動画サイトに曲がないので、ここで名前を挙げるだけに留めておきますが、一聴の価値ありです。

 

少女隊は、本当にバランスのとれた良いチームでした。

 

後にメンバーが変わるのですが、綺麗系でソプラノ担当のミホ。

キャットボイスが魅惑的な、メゾソプラノ担当のレイコ。

ショートカットの元気印、アルト担当のチーコ。

 

三人のハモリはとても綺麗だし、三人とも可愛いし、キャラクター性も個々にたっている。

 

正直これで売れないわけがないと私は思うのですが、しかし、彼女たちは早くも、デビューで躓いてしまったのです。

 

まず、彼女たちを襲った不運その1。

「グリコ・森永事件」。

どうやら、当時のグリコや森永の社長を誘拐し、身代金を要求する、という事件が当時起こっていたらしく(しかも、犯人は捕まらず、迷宮入りになったらしいです)、その影響で、少女隊が知名度アップのためにレコード&PV発売前に出演する予定であったCMの放送が、延期になってしまったのです。

 

※こちらが、そのCM。「一心同体、少女隊」は彼女たちのキャッチコピー。

 

この一件により、少女隊はほとんどTVに露出しないまま、「プロデュース費40億!」というやたら仰々しいフレコミだけが先走ってしまった状態で、デビューすることになってしまったのです。

 

他にも、彼女たちが出演する予定だったTV番組がキャンセルされたり、これは都市伝説的な感じで眉唾ものだけれど、少年隊と名前が被っていたからジャニーズ事務所に潰されただの…。

 

とにかく、デビュー当初だと言うのに、彼女たちには不運が尽きなかったわけです。

 

結果、レコード売り上げも人気も微妙な数字に。

 

全く売れていない! と言うわけではないのだけれど、とにかく莫大な資金を投資してプロデュースしたことを考えると、もとが全然とれない数字でした(この辺も、セイントフォーと通じるものが…)。

 

しかし、厳しいオーディションを勝ち抜き、アメリカでレッスンを受けてきた彼女たちの実力はかなりのもの。

楽曲のクオリティも高く、しべりあ、紹介せずにはいられません。

 

 

『お元気ですかマイフレンド』

都倉俊一作曲のセカンドシングル。

とにかくレイコメインのボーカルだけれど、曲の雰囲気にぴったりだし、ウィスパー気味で柔らかな声音は聴いていて幸せ。レイコみたいな声のアイドルって、後にも先にもいません。

 

 

『渚のダンスパーティー』

最高の夏歌。

今風に言うと神曲?(笑)

三人のハモリは相変わらずキマッていて、ダンスもフォーエバーの時よりぐんと上達していて、元から上手かったけれど、更に見応えのあるものに。

ここまで歌って踊れるパフォーマンスができたアイドルって、当時はセイントフォーくらいだったでしょう。

 

 

『素直になってねダーリン』や『渚のダンスパーティー』を出して、プロ色の強いアーティスト的路線からアイドル色を強くした路線へシフトチェンジをはかり始めていたこの頃から、徐々に人気は右肩上がりになっていき、「これは、少女隊の時代、とうとうくるか…?」と、思い始めていた矢先!

 

またもや、少女隊を不幸が襲うのです。

 

それは、チーコの、病気による脱退。

 

これは、かなり痛手でした。

 

と言うのも、少女隊のボーカルの魅力って、やっぱり三人のハモリであって、チーコの力強く澄んだアルトボイスが支えとしてあったからこそ、甘さのあるミホやレイコの声が存分に生きていたのであって、これが欠けるとなると、ちょっと物足りないと、個人的には思うのです。

 

チーコの代わりに新しく入ったのはちょっと生意気なトモという子で、なんと、引田天巧の娘です。

 

ポニーテールの良く似合う女の子で、とってもキュートなのですが、声質はどちらかと言えば甘さのある感じで、ハモリという点に関しては、やっぱり、チーコ時代の方がバランスが良かった、と言わざるを得ないのではないかと思われます。

 

しかし、ここでピンチをチャンスに変える少女隊。

 

当時の少女隊ファンが、おそらくハガキ出しまくって頑張ったんだと思いますが、このタイミングで出したシングル『Bye-Byeガール』が、とうとうザ・ベストテンでトップ10入りしたのです!

 

ドラマの主題歌になったことも大きいかもしれませんが、実際かなり好い曲で、少女隊が出したレコードの中では、一番の売り上げを誇っています。

 

 

 

その後、トモが加入した新体制で、活動を続けていく少女隊。

 

個人的にはチーコ時代の方が曲は好きなのですが、トモ時代の曲にも名曲があって、『もっとチャールストン』は少女隊のダンスの魅力が感じられる、素敵なナンバー。

ミホもレイコも、デビュー当時と比べてかなり大人っぽく、綺麗になっています。

秋元さんの作詞も、少女隊での仕事に関してはたまに『ナポレオンのくしゃみ』みたいな超絶駄作があるけれど、これはかなりの秀作。

 

 

正直、私が好きな少女隊はこのあたりまでです。

 

と言うのも、この後、少女隊はまた路線をシフトチェンジしていき、まあ、もともと歌もダンスも地力があったからこそ成せたシフトチェンジではあったのですが、アーティスト路線へと再び戻っていくのです。

 

レイコはなんと茶髪になり(初めて見たとき絶望した)、PVのパフォーマンスも当時のアイドルとは一線を画したものに。

ちなみにこの少女隊ver『君の瞳に恋してる』、アイドルファンではないけれど、ひどくコアな音楽ファンからかなり支持を得ているようです。

 

まあ、実際かなりクールだし、お洒落だとも思うんだけど、私はあくまで「アイドル」が好きなので、この路線変更は受け入れがたいものでした…(好きだったレイコもどんどんケバくなっていったし…それに反比例するように、トモはどんどん可愛くなっていった)。

 

 

しかし、「こんな少女隊は嫌!」という私の声はあくまで偏屈なアイドルオタクの叫びでしかなく、少女隊はこの後から、アジアでの展開を開始し、しかもそれが、成功していきます。

 

日本国内よりも、アジアでの人気が高い、おそらく聖子ちゃんよりも成功した国際的な昭和アイドルへと上り詰めたのです。

 

そんな当時の彼女たちの様子がうかがえる動画があったので、あげておきます。

韓国の番組に出演した少女隊。

普通に日本語で歌うもんだと思ってたら、何と、流れてきたのは韓国語verのBye-Byeガール。

外国語でここまでパフォーマンスができるようになるまでに、どれほど努力をしたことでしょう。

なかなか報われないことも多いアイドル人生だったと思うのですが、彼女たちのアイドルという仕事に対する真摯さは、本当に素晴らしいです。

 

 

 

こんな風に、二転、三転としながらも、アイドル活動を続けていった少女隊。

 

なかなかこういうタイプのアイドル人生の変遷、って見られないし、ここまで歌って踊れるアイドルも、今と昔を見回しても、そういないです。

 

もっと世に知られてほしい、ずっとそう思っています。