佐野元春さんの『彼女はデリケート』

ナイアガラトライアングルver.


 

ナイアガラトライアングルは私の青春のアルバムなのですが、その中でも特に気に入っている曲のひとつ。

 

沢田研二ver、佐野さんのセルフカバーによるシングルver…と、この作品ひとつだけで様々なパターンが存在していますが、私はこのナイアガラverの『彼女はデリケート』が1番耳にしっくりきます。

と言うのも、このバージョンだけに挿入されている、イントロのセリフがたまらなく好きなのです。

 

出発間際にベジタリアンの彼女は東京に残してきた恋人のことを思うわけだ。

 
 
さすが佐野さん。
セリフでさえ、シティの雰囲気がこれでもかと言うくらい漂っている!
 
舞台装置となっている言葉の1つひとつのチョイスがとにかく秀逸です。
「ベジタリアン」「サンドウィッチスタンド」「コーヒーミル」「サンフランシスコ」…。
 
絶対にローカル空港じゃないだろうなという確信を得させてくる、これぞ佐野元春クオリティ!
 
 
 
結構長めのセリフですが、ある種のリズムが内在していて全く聞き苦しくありません。
すんなり音楽の一部として受け入れてしまえる軽妙さがありますね。
 
また、この冒頭のセリフがあることで上手い具合に緩急が生まれ、イントロの持つ爆発力がより鮮烈に発揮されていると思います。
 
アルバム内ではリード曲『A面で恋をして』の次にこの楽曲が続くのですが、大滝ファンであれば耳に馴染みのあるナイアガラサウンドの直後にこのイントロ、佐野さんのシャウト…と展開してきましたので、初めて聴いた時はインパクトが凄かったです。
 
佐野さんも杉真理さんも、アルバムのコンセプトに寄せて曲を作っていらっしゃいますが、統一された空気感の中でも、大滝・佐野・杉というアーティスト、各々の個性が発揮されていて、とにかく贅沢なアルバムでした。
 
 
そんな佐野さん、最近知ったのですがなんと御年65歳だそうで、アッと驚く為五郎。
この時代のロックンローラーって、最近の若者より元気なんじゃないだろうか。
 
いつ見てもシュッとしてらっしゃるし、いつ見てもシティの雰囲気漂わせてるし、いつ聴いても彼の音楽はお洒落。
 
ちょっとジャンルは異なりますが、私の初恋ポール・ウェラーにも通じるような「変わらないカッコよさ」を佐野さんには感じます。
音楽って、人の魂を若くさせるのかもしれません。
 
 
 
 
 
そして、『彼女はデリケート』ついでに少ししべりあ自身の話を。
毎度のことながら、自分語りで申し訳ありません(興味ない方はブラウザバック!)。
 
でも、これまで自分自身の不安や、それにまつわる通院についてブログで書かせていただいていたので、結果のご報告として今回もお話させていただきたいと思います。
 
昨日、夫と一緒にこれまで受けた検査の結果を踏まえての診断を聞きに行きました。
 
結果としては、通院当初のざっくりとした診断通り、私の悩みやストレスの根本に「ADHD」という発達障害があり、それによって職場で上手く適応できず、二次障害として不安障害や抑うつを発症させている、とのことでした。
 
この診断に至るまで、結構な数のテストを受けました。
 
そのうちの一つに、「ウェクスラー式知能検査」というものがあり、それによって出されたデータによると、私は「言語理解」のIQが130以上で飛びぬけて高く、それ以外(知覚推理・ワーキングメモリー・処理速度)が平均より低いか、ギリギリ平均、という数値が出ていました。
 
この数値の凸凹、能力差が大きいことによってアンバランスが生じ、「理解できているのに行動に移せない」「全体を見通し判断するのが苦手」などの弊害が起きているのだそうです。
 
このように、自分自身について言語化・数値化をしていただき、データとして自分の得意なこと、苦手なこと、何故これまで苦労してきたのか…という事がわかり、勿論ショックも多少はあったのですが、それよりも、自分自身を正しく知ることができた事で、安心感を得ることができました。
病因へ行って、きちんと診察を受けることができて良かったと、素直に思います。
 
 
 
 
そして、こうやって発達障害について知り、詳しく調べていく中で、私はとある小説の登場人物を想い出しました。
 
それは、ブロンテの「ジェーン・エア」という物語に登場する、ヘレン・バーンズという少女です。
 
ヘレンは、主人公ジェーンが寄宿学校で出会った友人で、整理整頓が苦手であったり、授業中の先生の話に集中できないことから、学校では「劣等生」的な扱いを受けていました。
 
しかし、実はヘレンは歴史やラテン語など、彼女が興味を持つ事柄には非常に深い知識と思慮を持ち合わせた、類稀な才能の持ち主だったのです(これは現代でいうADHDの症状そのもので、認知こそなかったものの、この小説が書かれた1800年代にも同じような症状に悩む人がいたことがわかります)。
 
また、とても謙虚で寛容、想いやりに満ちた性格で、作中のヘレンの次のような言葉が、私は「ジェーン・エア」の中で最も心に残っています。
 
(自分に虐待・折檻という仕打ちをし続けてきた義母を憎むジェーンに対しての言葉)
「夫人のきびしい仕打ちを、それによって引きおこされた、あたのはげしい、たかぶった気持ちといっしょに忘れてしまうようつとめたら、あなたは、もっと幸福になれるんじゃないかしら。人に恨みを抱いたり、まちがった仕打ちを、いつまでも忘れずにすごすにしては、この人生は、あまりに短すぎるようにわたしには思えるのよ」
 
「憎しみにうち勝つ最上のものは暴力ではないわ。また傷を癒す最良のものは復讐ではないことよ」
 
「わたしたちはみんな欠点の重荷をしょって、この世に生きているし、生きていなければならないのだわ」
 
 
 
「ジェーン・エア」を初めて読んだのは高校生の頃でしたが、その時からヘレンの姿や生き方、価値観、彼女の苦しみにシンパシイを感じていたのは、私自身が潜在的に、無意識のうちに、同じような懊悩や生きづらさを抱えていたからかもしれない…と、今となっては思います。
 
と同時に、「発達障害」によって悩むことも、苦しんだり恥ずかしい想いをする事も多かったけれど、そんな部分も含めて受け入れ、自分自身を素直に愛せるようになりたいと、ヘレンの姿を想い出しながら、そう思いました。
 
「ジェーン・エア」の作中では、ジェーンの言葉によって、ヘレンについて次のように語られています。
 
「世に欠点のない人間はいない。どんなに澄み切った月の表にも、これくらいのしみはあるのである。スキャチャード先生のような人の目は、このような些細なアラは見ることができても、みなぎる太陽の光には盲目同様なのであろう」
※スキャチャード先生とは、作中に登場する、ヘレンの欠点を許容できず厳しく接する先生のこと
 
作中、ヘレンは度々先生から叱責され、「怠け者」と烙印を押されてしまうこともありましたが、いち読者の視点から見る彼女はそういう欠点を含めて、ヘレン・バーンズという人間であり、そして、そんな欠点という重荷をしょったヘレンだからこそ、どこまでも美しく、どこまでも光輝いていました。
 
私自身も、生まれつきの欠点という重荷をしょっているけれど、それでも、太陽のようにみなぎる何か、光のようなものを身体の奥深いところに、持っていると信じていたい。
 
 
それ故、薬剤による治療は少し不安でもあります。
 
私の不安障害や抑うつの症状の原因はADHDにあるので、そのADHDの症状を改善する薬が処方されました。
 
しかし、前述したように、私は本当は、心の奥底では、自分自身のこのADHDとしての性質を含めて自分自身として受け入れ、愛せるようになりたいのです。
 
とは言え、現状、職場や時には家庭内でさえ自分のこの特徴によって他人に迷惑をかけたり、負担になってしまっているのが現実であり、それもとても嫌なことです。
 
他人に迷惑をかけたくない。
でも、自分自身を丸ごと許容したい。
 
そういう、極めてデリケートなジレンマに、私は今悩まされています。
 
夫に相談したところ、せっかく受診をしたのだから、試しに服用してみても良いじゃないか、それで状況が改善すれば喜ばしいことだし…と言っており、そういう夫のアドバイスもあり、とりあえず服用してみることにしました。
 
うーん、でも…
 
ADHD特有なのかな? いつも頭の中で絶え間なく音楽が流れていたり、ひとつの事柄からあちこちに思考が飛び回って、過去の追想から未来への想像まで忙しなく動きまわる、このとっ散らかった頭の中がしーんと静かになると考えると、すごく寂しい気がします。
 
まあ、夫の言う通り服用してみないことには何も変わらないし、不安や抑うつが続く現状を何も打破できないと困るのは自分であり、周りでもあるので、呑みますけれど。
 
なんて面倒くさい奴なんだ、と自分でも呆れかえるほどデリケートなしべりあでした。
 

おまけ。
今日通院ついでに食べた、長崎名物「ちりんちりんアイス」!


 夏はもうすぐそこです。