飲んでなくても書きたくなる私。誰も読んでくれないブロブ。それでも何人かは「また長い駄文だろう」と思いながら読んでくれる。その時私は、自分は生きているんだと思う。

だってそうでしょう? この地球上に70人じゃない。7百万人でもない。70億人の人が住んでいる。その中でこのブログに来てくれる人って、どんな人だろう。無数の真砂の中から、ここに来てくれた人達。奇跡の人。決してヘレンケラー女史の事ではない。凄い事ではありませんか。

今? 飲んでますよ。

一番搾りの「岡山づくり」と「北海道づくり」を飲んだ。「岡山づくり」は特に美味かった。それぞれ、やっぱり違う。昨日飲んだ「横浜づくり」は今の所1番だ。


ブログで行き来して、それが本当に出会う、または機能すると言うのは、凄い事? いや、凄過ぎるのだ。信頼がなければ、そんな事実現する訳がない。

2009年7月8日から始めたブログ。毎日書いたし、長い長い文章だった。パッと消える事も1度や2度ではない。原稿用紙10枚分位書いて消えた時のショックは、今もトラウマのように残っている。それも、初めから又書き直したのだから。

色々このブログに来てくれるが、コメントを残し、そうして信じ会える事から今日まで進む事は、そんなに簡単な事ではない。その最初が、私よりちょっと早くブログを開設していたローズマリーさんだった。

こんなに信用出来る人と交われたのが、先ずの幸いだった。普通、秋田から神戸まで1人で来ますか? その時はシマさんにも相談して、2人で伊丹空港まで迎えに行った。

何だかんだそんな事が発端となり、色んな人とブログで知り合いになった。もう4回になった「YOSOMI好きなヤツコンサート」に、全国から飛び飛びに集まってくれている。皆アマチュアだけどね。

ブログでない繋がりもある。チェロのプロと知り合い、今年は甥と共に一緒に練習して貰える事になった。年賀状には、年齢も倍以上違う私を気遣い慮ってか、「年末は、心に残るオカリナの音色に感動しました!! また、ご一緒できるのを楽しみにしています」と書いてあった。

「感動した」と言うのは社交辞令だと思う。況してや、オカリナのプロとか自認している人は沢山いる。私のランキングなんて、10万人目位だろう。それをプロのチェリストがこんなような事、何度も言うだろうか。でも、言って貰えた事は、有り難くもあり嬉しくもある。

それから、とっても素敵な方から、今日お茶が送られて来た。チャームも一緒に・・。勿論ブログで知り合いになれた人だが、私のブログに付き合って頂けるような人ではなく、言わば雲上人だ。

これ以上は詳しく書けないし書かないが、私が今迄出会った事もない別世界の人とのブログでの繋がりである。眩い世界を垣間見させて頂いているが、そこには顕微鏡で観なければ分からない程の接点があったのである。
その頂いたお茶を淹れて、香りと味がなくなる位まで、何度も味わっている。


2017年1月7日の6チャンネルで「一流の外国人料理関係者が選んだなくさないで欲しい冬の日本食ベスト20」と言うのがあった。日本人とはまた違う視点があって面白くはあったが、折角なので、ここに載せてみよう。

20位 きりたんぽ鍋

19位 カブの千枚漬

18位 鍋焼きうどん

17位 伊達巻

16位 干しいも

15位 もつ鍋

14位 伊勢海老

13位 たい焼き

12位 ホッケの炙り焼き

11井 湯豆腐

10位 フグ刺し

 9位 白菜

 8位 ウニ

 7位 数の子

 6位 甘酒

 5位 カニ

 4位 あんこう鍋

 3位 おでん

 2位 ブリ大根

 1位 お餅

我々の選ぶランクは違うが、外国人はこのようなランク付けをしていた。


因みに、2位のブリ大根はどう作るか、極簡単に書いて置こう。これも、映像から見取ったものである。

 骨、頭、身、アラを昆布と煮る。

 あくを取る。

 大根の皮は厚めに剥く。(隠し包丁を入れる)

 醤油を入れる。

 一煮立ちしたらブリの身を入れる。

 5分で終わり。

 ※煮物は一晩冷蔵庫で寝かせる。


酔いながら書いたブログになったが、そんな時は、書かないでもいいような事まで思わず書いてしまう事もある。

おっとっと、このブログを書こうと思ったのには発端がある。「半熟卵をポン酢に入れるだけ」と言うシマさんのブログからである。茹で卵は毎日2~3個は食べる私には捨て置けない記事だ。

誰でも考えそうで、実は考えていない半熟卵のポン酢漬け。彼は書いている。「水から卵を入れ、沸騰したら5分」と。これの実験をしてみた。水から沸騰するまで、大体8分位掛かる。それから5分そのまま茹でる。と言う事は、水から13分茹でるのと全く変わらない。

これは、その人其々のやり方だが、結局は同じ事だ。

私が普通茹で卵を作る時、水から14分を基準にしている。しかし、この場合13分。または12分。これは好き好きだが、とっても美しい黄味の部分が橙色の半熟になる。ポン酢を入れた深皿に、殻を剥いた卵を入れる。暫くしてくるっと回すと、出汁で煮たかのような色が付く。それを箸で割った時、感動は高まり、酒の味が変わる。

全く彼の言う通りの、簡単美味な茹で卵となった。
何にもする事がない。飲むか書くか寝るか。あっ、オカリナを「吹く」が抜けた。だが、今は吹く意欲を失っている。

2月は加古川公民館で高齢者大学(加古川寿大学)を対象の演奏と大分県の豊後高田市役所でのロビーコンサートを依頼されているのにも拘わらずである。

加古川の方は1時間半だが、CD伴奏だ。だが、備え付けの機器が旧いとか、上手く作動しないとか言われて悩んでいる。曲目は数曲の入れ替えをするだけだからいいが、自分のデッキを持参して、その前にマイクを置いてやらなければならなくなるだろう。

豊後高田市での演奏は1時間で、時間は短いもののCDを余り好んでいないようで、ピアノの上手い人がいるからその人に伴奏して貰ったらいいと言うのである。そんな事朝飯前の、技術的に上手いプロなら何でもない事だろう。CD伴奏なら普段練習している通りなので、自分の失敗以外は何とかなるのだが。

しかし、ぶっつけ本番で全曲ピアノ伴奏となると、私には凄いプレッシャーとなる。況してや楽譜もなく練習している曲に至っては、楽譜を渡す事も出来ない。伴奏は何小節で間奏はどうするかと言う事のコミュニケーションが上手く取れればいいが、それでも何調のオカリナを使うとか、速さはどうするとか、私には大きな圧迫と心配と挑戦の問題が浮かび上がる。

曲の種類も大幅に替えなければならない。例えば童謡を5曲位入れてピアノの前奏や間奏にはフリーを入れて合図して貰うとか。

私のオリジナルを何曲か入れるとか、そうでなければクラシックの伴奏譜がある曲を演奏して貰うとか、何だか時間稼ぎを考えているようだ。だがそれだって、私にはそんなにレパートリーはない。ガンバ大阪しかないのか・・。

演歌のタイトルが出来そうな日々である。「憂愁平野」。


こんな自分の演奏の事など書きたくもなかったが、さっき我が家で4泊5日を終えた恵那の娘夫婦が帰って行った。300㎞も離れてはいないので哀しくはなかった。それに、近くに住む孫達の家族も見送りに来ていたし、一切合切が紛れたのかも知れない。

娘には、「睡眠をしっかりとるように。自分を信じてアグレッシブに。兎に角ポジティブに、ね」と言った。何か言わないとと思って。旦那には「元気で頑張って。また会おう」と言った。

孫達の家族も次の目的場所へ向けて、同時に発車した。

私は部屋に入った。10時半頃だった。オカリナを吹く気力はまだ湧いて来ない。1人でビールを飲む事にした。雑煮に入れた鰤の切り身が数切れ残っていた。それを焼いてあてにした。芹のお浸しも少し残っていた。これは極上のあてになると思った。

そう言えば今日は七草粥を食べる習慣の日だ。私はそこまで食べ過ぎてはいないので、この芹だけで十分だ。

貰い物の1ダースのビールの中から無差別に取り出したのが「神戸づくり(兵庫県産山田錦使用、アルコール分5%)」だった。これは「9工場の一番搾り飲みくらべセット」の中の1本なのである。キリンの9工場が特色を生かして作ったもので、普段飲む「一番搾り(3本はこれが入っている)」のとはそれぞれに味や度数が違うと言うものだった。

昨夜は恵那の旦那と、普通の「一番搾り(アルコール5分%)」、「滋賀づくり(滋賀県産大麦麦芽一部使用、アルコール分5.5%)」、「取手づくり(アルコール分5.5%)」を飲み比べて見た。その違いは確かにあった。「一番搾り」の新しい顔を見た気がした。

後残っているのは「北海道づくり」「仙台づくり」「横浜づくり」「名古屋づくり」「岡山づくり」「福岡づくり」だ。どう違うか楽しみだが、本当に楽しめる贈り物ではある。

ちょっと酔って来た。あの賑やかさは何処に行ったのだろう。一瞬一瞬の現実の変化や繋がりはあるが、それはまた、一瞬のうちに物凄い速度で押し流されて行く。頭の中には事実や思い出として残るが、もう現実にはないものと化す。

そう思えば諦めもつくが、その折々の出会いと交わりこそが、人の生きる上での喜びと楽しみになる。その代り、その裏側が伴う事は必至だけれど。石投げをした時のように、その何間か跳び上がった瞬間のスポットの見え隠れが人生のときめきであろう。

出会いと別れ。それは日々当たり前のように繰り返すものや、ゆったりと繰り返すもの。また再び出会う事のないものがある。2度と出会えない思いは、世界中に泪と共に残されて、いつまでも絶える事もなく消える事もない。

今が、今がどれだけ大切な事かを、私は身に沁みて思い知らされている。もう1本「仙台づくり」を今度は選んで、今から飲んでみる。
三が日はまだ正月だと思える。

恵那の夫婦は2日の真夜中に着くように帰って来ると言っていたが、流石に眠いらしく、3日の朝9時前にやって来た。その後もう一家族、そしてまた一家族が、10時頃には我が家に集合完了した。物理的に部屋が狭くなる筈もないのだが、普段の2人に加えて、総勢13人となり、いきなり火山が爆発しているような狭い部屋となった。

雑煮を求めて、それは蜜に群がる蝶のようではなくて、鶏のようだった。

1人は家の片付けで止まり、12人は近くの多井畑厄神に、車2台で行った。初詣になる者達もいたし、この神社にはもう今年3回目になる者もいた。私は元日にパスをしていたので、今年は初めてだった。

私は賽銭の他は何も買わなかったが、皆さまざまで、人形を買って水に浮かべる者、おみくじを引いて一喜一憂する者もいた。石段と石段が途切れた所にはお祭りには欠かせない屋台店が並んでいた。いつもなら唐揚げやたこ焼きを買って食べるのだが、それには誰も手を出さなかった。


1時頃になったと思う。3台の車で13人は西へと向かった。

姫路を越え、行った先は室津。参勤交代が行われていた頃はこの港は大いに栄え、ここに乗り入れて陸路を歩いて東へと向かった。本陣が6つもあったと言うから驚きだ。

たつの市御津町室津には、海鮮バーベキューの出来る150年も前に創業された海鮮問屋「堀市」がある。一昨年だったか、その時はそこで久留米に帰る家族とは別れた。だが、今度はぐっと胸の詰まる瞬間はない。

食材を選ぶ。沢山は買えないが、サザエ、ホタテ、カキ、蟹の足、蛸の足、鮭の切り身、野菜、子供の好きな大き目のウインナーなどを揃えた。デッキテラスに出ると、2つのテーブルを独占した。だが、向こうとこちらに分かれてしまった。

私と恵那の旦那は、この前も2人が大きな炭火の網の上で焼く係を買って出た。のではなく、そうなってしまった。

どんとサザエやホタテやカキを乗せる。孫にウインナーを焼くように言うと、喜んで網の上で転がせた。孫は熱いと言うが、この前の2人は、顔が日に焼けたようになった位熱いのを経験している。

向こう側で焼いているおじさんのの方にカキの汁が飛び散った。服がその汁で汚れたが、その人は怒りもしなかった。申し訳ないと思いながら焼いていると、私にも自分達のカキの汁が飛び跳ねた。白いメンパンに、その痕が染まった。

そろそろテーブルに着いて食べようとしたが、孫達も結構食べていた。今まで色々食べて来た経験のある者にとっては、焼くなどのサービスは願ってもない事だった。

恵那の旦那は、アサヒスーパードライを自販機で買って来た。焼き係の2缶。後の男2人は帰りも運転しなければならず、飲ませる訳には行かない。味噌汁が美味しく、中にカキの剥き身が2、3個入っていた。これは美味かった。

サザエを内蔵も全部くるくると取り出して食べたが、これはどうしても食べたい物だっただけに、満足だった。1個しか食べなかったが当たり前の事である。1個400円だ。ホタテに至っては500円で、これは食べたい者が1口ずつ齧る事にした。貝は掌位にデカいが、中身は手にちょこっと乗る位のものだ。私にはサザエが絶品だ。

今度は私が缶ビールを2つ買って来て、男4人ではなく、また焼き係2人で飲んだ。海鮮食べながらなら、ビールでしょ? 日本酒や焼酎は売ってないからね。

言い忘れていたが、このテラスからは播磨灘が一望出来る。この場所でバーベキューではなかったら、ちょっとしたバカンス風の気分になる。向こうには淡路島や四国が見える。晴れているから、景色は抜群に美しい。

この日この「掘市(ほりいち)」が休みかどうかは調べて行かなかった。また、人の込み具合も分からない。正月だから開いているだろうとの見切り発車だったのである。ラッキーと言って置こう。

2時半頃店のお兄さんの声がした。「これでラストオーダーになります」。吃驚して時計を覗いた。午後から車で1時間は掛かった海鮮問屋。まさか3時で終わろうとは努々思わなかった。


3台の車は「道の駅みつ」へと入って行った。この前はハーレーダビッドソン始め20台位の2輪車のツーリングが、爆音を立てながら入って来たのと出くわした。他の人達も、目を皿のようにしながらこの異人種と車に見惚れた。それに比べると、今回はそれよりは規模の小さな10台位のツーリングを見るだけだった。

ここは横に長い石段を下りて砂浜に出る事が出来る。食べた後は運動だ。それぞれが思い思いの遊びをした。男3人と4年生の孫とは、最後まで石を投げて遊んだ。もう1人の男は写真を撮りまくっていた。

石投げをした。昔は私は7間も8間も跳んで行ったものだ。所が、1間跳べば良い方で、後はドボンと海に入ったら、それ切りだった。孫でも3間所か、5、6間跳ばす時もあった。次は遠投だ。

流石に焼き係の旦那は肩が良くて、随分遠くに投げられる。何と私は大声と気合いだけだった。孫にも負けている。そんな筈がないと思ったが、紛れもない事実を念頭に置いていなかった。私が1番だと思っていて、古稀を過ぎた事を忘れていた。現実の悲哀は、こんな所にも確実に忍び寄って来ていた。

遠くにブイのようなものが浮かんでいた。それに当てる競争をした。旦那はその辺が限度だったが、確実に距離は届いていた。私は、そんな所まで届く事はなかった。

ボールより大きな石を拾って皆に言った。参加したのは殆ど男だった。

「この石を海に向かって放り上げるから当てて見て。当たったら1,000円上げる」

と言ってしまった。3回行ったが、その度に胆を冷やした。中には両手に石ころを持って、それを投げた者もいた。幸いにも当たる事はなかった。この大き目の石に、容赦なく投げられた石が向かって行く。ゲームをしているようでもあった。

大きな流木に孫だけ並んで、写真家? が楽しそうな表情を写した。長くなるから書かないが、写る性格がそれぞれに面白い。次は全員で写る事になった。写真家? は、セルフタイマーをセットした。暮れなずむ空は、砂の上の人達全部を、映像のように包んでいた。


家に着くと夕食が待っている。すき焼きのようだ。先ずは孫5人のを器に盛る。孫達は台所のテーブルで。男4人はこちらのTVのある部屋で。女性は向こうかこちらか、好きな方に分かれた。孫もいる事だし、女性群は殆どが台所にいた。

大分してから、今度は大人用を手掛けたが、鍋奉行としては砂糖を塗し、醤油を垂らして先ず肉を食べるように、すき焼き専門店のようにしたいと思ったが、すき焼き用のたれが用意されていた。これだったら、小さい方の孫にでも出来ると思った。折角だから、これも味わうチャンスであると考えを換え、どくどく注いで、煮えるのを待った。

滅多に全員が集まる事はない。また、運転で飲んでいない者もいる。先ずは上等のビールから飲み始めた。発泡酒は、余程飲み足らなかったらにして、「えびす」から。次に「一番搾り」。後からは、日本酒にした。

写真家? が元旦に一升瓶でぶら提げて来た「雪紅梅」を、焼き係と運転手は飲んでみたいと言った。旨いと口々に言った。写真家? は、ぶら提げて来たと言っても名誉の為に書いて置くが、本人はビールをちょっと飲むだけで、ビールや日本酒などは、旨いと思った事がないと白状した。

私が買って、少し飲んでいた500mlの特別純米酒「山田錦」も、皆はまろやかだと言った。恵那の旦那が1番強いが、恵那の岩村醸造の720ml 「しぼりたて原酒」を持って来た。これは、他の日本酒が15度位であるのに対して20度はあるのだ。これも旨い酒だった。何しろ、私の好きな「女城主」の酒がある酒蔵のものだから、尚更である。私は、どうも先入観にも弱いらしい。

私を除く3人の男は、同年代で話が合う。だから、私もその歳に戻って、たまに口を挟む。いや、ちょっと積極的に。

10時半を過ぎた。恵那の夫婦だけ残って、後は車で帰ったり、送って行ったりした。送ったのは私ではない。

冬の大三角の星がとても綺麗だ。オリオン座は、大きく迫って来る。何処にいても目に入る。この日3日の真夜中辺りから未明にかけて、北極星を少し離れた位の所で流星群が観られると言う。かなりの好条件だ。私は、真夜中の、そんなに暗くはないウオーキングの道を、キリン堂のずっと奥に入っていった。真上にはオリオン座。冬の大三角。双子の兄カストールと弟ポルックスがその上にすぐに目に入る。

少し暗がりだが、北極星所か、その周辺の星が目に入らない。暫くして慣れてからもはっきりしない。卓球台のこちらはオリオン座だが、ネットの向こうは薄暗い海のようだった。流星が流れれば、きっと尾を引くから、それだけははっきり見えると思っていた。全然だ。1時間に40個は見えるとの予測が書いてあったのに。2分に1個は観られる期待があったのに。

次はマルハチの奥に入った。同じ事だった。この夜は何度オリオン座と冬の大三角を見た事だろう。暫く真上を見ていた。首は痛かった。空気は冷たかった。人通りなど全くなく、怖い程だった。

飲んでいるので、気持ち良くよろめきなら、家に戻ろうとした。諦めるしかなかった。もっと灯りのない真っ暗な場所に行けばきっと観られたと思う。残念で仕方がなかった。

帰るや否や、

「どこまで行ったの」

と、余り寝ていないで我が家にやって来た娘が聞いた。

「マルハチの辺まで行ったよ。でも、1つも見られなかった」

「へぇ、その近くまで2人で行ってみたのに」

と、意外な声が返って来た。最初は一緒に3人で出かけたのに、すぐに1度帰って、後私だけが出て行った。ずっと連れ歩くのは可哀想だと思ったからだった。もう真夜中なのだ。

彼の提案で、4人で飲む事になった。喋ったり飲んだり。もう余り飲めなかった。眠い方が先に立った。結局、2時には轟沈した。

娘に最後の最後の行程である折り紙の折り方を聞いた。図解では、最後が分からない。私が1時間は悩んだ事が、ほんの僅かの時間で分かったようだった。その折り紙のコースターの作り方は、いとも簡単に解明した。驚きながらも私は眠り、次の朝1人で完成品を見て、作る事が出来た。そうだったのか、と言う複雑な満足感だった。


どうしても思い出してしまう事がある。「播磨灘」が引き金となった事で。

数年前、加古川でオカリナの演奏を依頼してくれたO君が、Ki君も一緒に周辺を案内してくれた事があった。その時、名前を度忘れしたお寺の案内板に書かれてあった事が妙に思い出される。

「一円からお参りされる方が多いです」と書かれていた。私は「何でだろう」と不思議でならなかったのだ。賽銭なんぞは、多い程いいと思うのに。

数十行書かれている真ん中辺のこの文は、1番上から続いている。幾ら考えても変だ。私は、その前の行の文から読み直してみた。「・・播磨一円から お参りになる方が多いです」。訳が分かったので笑おうとしたが、上手く笑えなかった。2人に説明する事で一杯だった。

文章の区切る場所をちょっとだけずらせば、私のように悩む人を作らなくていいのにと、本気で思った。また、日本の言葉の面白さも知った。その時、お寺に知らせて上げようとしたが、馬鹿みたいな話なので止めた。だからと言って、このお寺が儲かる訳でもない。しかし、私のようにいい加減に読んで、1円だけ賽銭箱に入れる人が増えたら、お寺も嬉しくはないだろう。

播磨灘や播磨は、どうでもいいようなそんな事まで思い出させる。風光明媚な、穏やかな、そんないい所なのである。
なんとなく 今年はよい事あるごとし 元日の朝 晴れて風なし  啄木

皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


2017年と言う方が長さが分かるが、我々日本人には、平成の方が天皇の在位と共に分かり易いのではないだろうか。私は、昭和と平成を跨いで生きている。

昨夜の紅白歌合戦。結構バラエティーに富み、面白かった。Perfumeもよかった。踊りも上手いし。

大竹しのぶが、あそこまで歌えるなんて知らなかった。何故、大竹しのぶか? それは、エディット・ピアフの「愛の讃歌」を歌ったからだ。12月の26日にプロ集団の忘年会に誘って貰い、何も知らずに私がオカリナAC管で吹いた曲だったからである。

これをシンクロと言うなら、もう色んな事がシンクロし捲っている。不思議と言えばそうなんだが、何故だ?

「愛の讃歌」は、今年は私の中心的な曲になる予感がする。じゃあなくて、吹いて行く積もりだ。

秋田の曹洞宗のお寺の鐘から鳴り始めた除夜の鐘も、新年にカウントダウンし出した頃位から私は床に入った。深夜便も聴かなかった。それは、初詣をする為に、早く寝ようと決めた事だったからだ。

5時には目が開いた。そそくさと床を畳み、5時半には、初ウオーキングに出掛けた。まだ星は消えてはいなかった。真っ暗なら、6,000個の星が瞬いて見えると言う。だが、周囲の灯りの為に、50個も見えない気がする。

車は殆ど見かけない。人の歩く姿も、数人だ。2017年が別段変わって見える事もなかった。私は歩いた。出掛ける前の台所の温度が9度だったし、そんなに寒くはなかった。いつかのように、耳が千切れそうだったようでもない。

星を見ながら歩いた。上を向きながら。ふと立ち止まり、首が痛くなるほど真上を見上げた。薄くはあったが、そ
れは大熊座だった。見慣れた、7つ星だった。

柄杓の飲む方の2つの星の長さを6倍か伸ばした先に、北極星がある筈だ。だが、何故か少し歪んでいた。それよりも、もう6年も走ったり歩いたりしているが、方角がよく分からないでいた。コンパスを持ち歩いて、方向を確かめようと思った事も何度かあった。だが、その度に持ち出すのを忘れた。

「ああ、こちらが北か」と言う事が分かり、新しい発見でもしたかのようだった。

少し空が広く見える所に来た。向こうの低い丘が、まるで日本昔話のような黒いシルエットのように見える。あの輝く星は、明けの明星か。その時、もう1度真上を見た。今度は真っ直ぐの延長線上に、北極星があった。さっきのは違った星だったのだ。

柄杓の柄の最後の1つ前の星には連星があり、これが見えると視力がいい(1.5)とされている。昔はくっきり見えたものだが、今はウオーキング中もあって、見える事はなかった。簡単に言えば、白内障の手術をしたとは言え、視力が落ちているのである。

歩いているうちに6時15分の、携帯の音楽が鳴り始めた。すぐに止める事が出来た。

何だか、ゆっくり動いている物体が見える。飛行機なら赤い灯が点滅したりしながら飛ぶ。それに、星のような大きさなのだ。すぐに、と暫くして、の間位で分かった。それは人工衛星だろう、と。歩いていると、草や土の匂いがした。

帰ると身の回りの準備をして、7時前には高速バスの停留所へと。いつしか空は明るくなっていた。

一番前に座り、肩からのシートベルトを締めた。全く渋滞もなく、車は少なかった。「薄桃色の朝のしめりだ(光太郎)」みたいな空。柳原のインターを過ぎた位に、綺麗な朝焼けになろうとしていた。雲も大きかった。その辺りで15分が経っていた。

京橋のインターで逸れて、三宮の終点で降りた。調子が良いと25分で着く事がはっきりした。

人通りの少ない事を除けば、普通の朝だった。途中で、牛丼の匂いがした。いつも通る順路で、すぐ路地には吉野家がある。まだ、日の出にはお目に掛かれない。昨夜のゴミの山がある。

東門の近くに来ると、屋台が目に入った。東急ハンズから右に折れた。その通りをトアロードと言う。両側は、屋台で埋まっていた。結構な人だ。真夜中から賑わっていただろうと思う。若者が多い。

水で手を洗い、口を漱ぐ所に曲がった。こんなに人が多いのに、ここにいたのは女性1人だった。私が元に戻ると、屋台の男が不思議がって、私が行った所を覗いた。何と思ったかは知らない。

神殿に入ると賽銭をそっと入れた。昨年のお礼を言い、今年もよろしく、と言った。

もう帰ろうと思ったが、踵を返し生田の森に入って行った。誰もいなかった。両手を広げてもまだ余りある木に手を当てた。長くいる程、パワーが貰えると聞いた事を思い出したからだ。

さっきの初御籤を見た。小吉だった。それは何でも良かった。必ずしも、大安だからいいという事もなく、或る神社では「凶」が出るのを願う人が後を絶たないと言う。そこでは「凶」が3パーセントしかなく、逆にそれが出るのが望まれると言った。ぐるっと回って、また元来た道を歩いた。

真ん中の仮小屋に、巫女さんが2人1組8人ずつ両側に分かれて立っていた。その反対にはお守りを売っている巫女さんもいる。50人位はいるのではないだろうか。

バスは始発が三宮から8時30分。まだ7時40分で、かなりの待ち時間だ。それで、JRの各停で垂水まで行き、そこからバスで帰る事にした。閑散とした電車。海の見える側の席に座った。初日を見たのはそこが初めてだった。わっと迫った太陽は、1秒として見つめていられなかった。マンションの間から、フラッシュのように眩さが何度も瞬間に光った。

8時15分に垂水に。20分で着く事が分かった。敬老乗車証は持って来ていなかった。まさかこんな筈ではなかったからだ。これで分かった事は、高速バスなら片道500円。JRとバスなら300円と210円だと言う事が分かった。敬老乗車証ならバスは110円になる。

家に着くと、孫達はお昼頃になるとの連絡があった。私は、7時前に行く時、サントリーのコーンポタージュを飲んでいたので、それが初食べになった。だが、じっとしていても始まらない。昨日買って置いた月桂冠特別純米酒「山田錦」500mlを飲む事にした。

簡単なお節もあるが先に食べる訳にも行かず、モヤシに珍しく明太子を入れ、胡椒やケチャップを入れてあてを作った。ソースをちょっとだけかけて出来上がり。いつも作っている超簡単料理だ。安くて美味いとはこの事だ。

どんどん「山田錦」は減って行く。いい気分になりながらブログを書いた。

12時頃、けたたましくインターホーンが押された。孫が押しているのは自明の理だった。旦那は着物姿で恰好よく決めていた。4人でやって来た。本醸造の越後「雪紅梅」の一升瓶を提げて来た。しかし、彼は余り飲めないし、夕方には実家に行く事になっていて、一緒に飲める訳もない。この酒、768品の中から、第8回燗酒コンテストで金賞を受賞していた。きっと美味いに違いない。正月は当分楽しく飲めると思った。

早速雑煮を食べる。この雑煮を食べなければ、私の正月はない。子供の頃から食べているが、他の食べ物を削ってでも、これは食べなければ正月が来た気がしない、私には高価な代物である。

お餅や芹牛蒡は入れるとして、後メインが塩をした鰤の切り身。そして酒に浸けた海苔。鰤は高価だが、この海苔も高価で、島根の十六島(ウップルイ)の岩海苔でなければならないのだ。20グラムが2,500円もし、トータルで40グラムは使う。高くてもそれぞれの家庭の雑煮も、きっといつものでなければならないのじゃあないかと思うのと同じ理屈だ。

屋台で買った三宝屋のベビーカステラは美味しくて、お土産に10個程入って500円のものが、すぐになくなった。

長いだけが取り柄かどうかも分からないブログを書きながら、もうおやつの時間だ。まだ、源氏パイが残っている筈だ。これが終わったら、コーヒーで食べよう。皆多井畑神社に初詣に行って誰もいなく、静かだ。私は行くのを止めたから。


【2017年の目標】

毎日空を見上げよう

そして 微笑んでみよう

心に映った空は きっと

感謝の色に変わっているに違いない
台所は8度。外に新聞を取りに出た。あ、これは雪だ。疎らにちらちらと舞い降りて来る、雪片。だが真っ白ではない。薄汚れた灰色に見える。これを初雪と言うだろうか。雪への憧れと思いを新聞と一緒に抱えて、部屋に入った。また出て見たが、もう雪の欠片もなかった。

久し振りの快晴だった。高速バスに乗る前に、ジェットがゆっくりと、ゆったりと、まるで鰯のように流れていた。実際の速さは尋常ではないが、こうして見上げたり、視点を変えると、こんなにも違ってしまう。何事も、一つの方向からだけ眺めて、結論を出してはいけないと、そんな戒めを感じた。

バスから覗く空は、久々の青空。別世界に紛れ込んだような眩しさだった。寒いから重ね着をして、ジャンパーの上からもコートを着たりしている。だが、左の顔面に太陽のシンバルは、嫌と言うほど連打した。まるで真夏だった。

雲は鮮やかに真っ白で大きく、色んなものに見えた。午前中は、三宮で用事を済ませた。

家に戻ると、1時過ぎだったが、レトルトのカレーを食べた。2時前の垂水行きのバスに乗り、新開地へと急いだ。急いだって早く着く訳もなかった。垂水でバスを降り、山陽電車に乗る前に優待乗車証のチャージをしようと思った。ない! それの入っているパースがない。そんな筈はなかったが、ポケットから卓球のバッグの中までジッパーを開き、手を差し入れて探した。

ない! 顔面蒼白になっているだろう。喉がカラカラに乾いた。もう1度、バス停に走った。行くまでの道には、そんなもの落ちていなかった。バス停からもう1度、道をなぞった。だが、落ちていない。誰か親切な人が警察にでも届けてくれはすまいか・・。そんな思いと、もう仕方がないと言う諦めが雑居した。

今日は、6人で卓球をする事になっていた。3時に間に合わなければならないし・・。もう1度、山陽の改札口辺りでポケットやバッグを弄った。あれだけ探しても無かったのだから、ある筈はないのだ。だが、どうしても、落としたとは思えなかった。確かにバッグに入れた筈だ。

いつも入れる場所にはない。ラケットやペットボトルの入った所も見たが、ない。うんと開いて、底まで見た。

あった!

この思いは如何ばかりなものだっただろう。ほっとするやら嬉しいやら。卓球は、全部負けてもいいと思った。どうせ上手い連中が集まるのだから。私が最長老なのだし。

新開地駅に着くと西口から降りた。そこからメトロの通りを東に歩く。かなり距離はあるが、ぎりぎり3時に着いた。

Y君はすぐに分かった。Kik君は余り話をした事もないが、顔は知っていて、卓球が強い事は分かっていた。一番強いのはNi君だが、彼は何処にいるのだろう。擦れ擦れにお互いが顔を見ているのに、どちらも気が付かなかった。Ni君とは42年振りに会ったのだから、それだけお互いに顔が変わっていた。

やっと合う事が出来た。Ni君との年賀状は、毎年どちらも「今年は飲みましょう」か「今年こそは飲みましょう」かのどちらかだった。40数回も、よくもそんな年賀状を交わしていたものだ。

もう1人は女性だった。Taさんと言う。もう1人No君も来る事になっているが、彼は1時間遅れて来た。3時から5時まで、2台の卓球台を借りていた。

結局総当たりの試合をする事になった。3セット先取で勝ちとなる。3-0か3ー1か3-2で勝ちだ。

Taさんはスポーツウーマンだ。最初、彼女と当たった。強かったらどうしようと思ったが、全力を尽くした。3-0で勝った。

次にNi君と。退職してから、うんと強くなったらしい。歯が立たなかった。シェークハンドグリップで、1面は裏ソフトラバーが貼ってあり、もう1面には粒高のラバーが貼ってあった。これは厄介だ。粒高で返されると、こちらの自由が利かなくなる。ネットに掛かるか、ネットを大きく外れて相手方のエンドラインを越してしまうかのどちたかだ。

結局翻弄されたまま、0-3であっさり負けてしまった。またの機会には是非先ず1セットを取る目標を立てた。

次にNo君が相手となった。楽ではなかったが、3-0で勝利。そして、Kik君とやる事となった。強いではないか。これも悔しいけれど、3-0で敗れた。目標が出来た。2セット取るか勝つか。

普段コープでは1台の卓球台に4人が立ち、半分を斜めに打ち合う事しかしていない。これでは全面で跳んだり跳ねたりして戦う事は無理だった。横に跳べばいいと言うものではないのだけれど、当たり前の練習が、長い間出来ていなかったのだ。

Y君も強いのは分かっている。全て僅差で2-2となった。彼は、私に対して意欲を漲らせていた。5セット目は、彼が9ポイント、私が7ポイントで、辛い運びとなった。幸運にも9-9となり10-9となった。卓球は1セットは11本先取である。

これで勝てるかも知れないと思った時、彼が1点を入れて、10-10のジュースとなった。彼のサービスだ。これを彼はミスした。次は私のサービスだが、渾身の力を込めて、横切りをした。彼のレシーブは、微かに外れた。私は3-2で勝利を得た。

勝負事は勝たなくては意味がないが、力に差がある場合は別として、拮抗している場合は、どうしても勝ちたいと思うものだ。怯んだりビビったり肩に力が入ったりしたら中々勝てない。

今日の収穫は、3勝2敗となった事だった。この6人でまたやる事になった時、目標は4勝1敗になる事である。

5時になり、楽しみにしていた飲み会となった。新開地の高田屋に入った。上は満員だったが、地下が空いていた。

ビールや焼酎や梅酒を、それぞれが好きに注文した。ここはおでんを看板にしていると言う。それぞれが好きな具材を言い、最後は大きな皿に全部が乗って来た。そんなに沢山注文しなくても、皆満腹になった。私は肉じゃがが好きで、それも頼んだ。

話は途切れることなく弾んだ。女性は40歳台だとしても、男の年齢は63歳、66歳、67歳、68歳、71歳だ。それでもNi君は進化している。強くなっているのだ。それもそうだろう。1週間に4回は練習に行くと言うのだ。

2-3で私に負けたY君は、とても悔しがった。やっぱり勝って良かったと思った。

話は色々な展開をする。Kik君は卓球も強いが、音楽をやると言った。声楽で、バリトンが専門だ。神戸市の男声合唱団にも所属し、また男女のコーラスの指導や指揮もしていると言う。

奥さんが、オカリナをしたいと言っているそうだ。私の事を、きっと話すに違いない。彼とばかり話す訳には行かないが、音楽とか表現とか、腹式呼吸だとか演奏する時の心構えなどの話を交わした。夏に、演奏会の招待券を送ってくれると言った。人気で、すぐにチケットは売り切れるそうだ。

彼も、私がオカリナをやっている事など知らなかったようで、驚いたり感心したりの素振りを見せた。私こそ、彼がそんな人物だとは思えず、妙に凄いを連発した。そう言われてみれば音楽家の顔にも見える。眼鏡がシューベルトの眼鏡とよく似ていると思った。卒論がシューベルトだったらしい。道理で・・。

3時間半は過ぎた。お開きとなった。楽しい会合となった。来年早々の予定は立たなかったが、夏に会う事になった。その時は、卓球が終わったら近くの銭湯に行って、その後また飲む事になった。

Ni君は両親が奄美大島の出身だと言った。それなら、次はシマさんの飯盒炊爨に呼ぶよと言った。シマさんとは、時たま会って話をするらしい。それなら尚更彼を木津に誘いたいものだと思った。

一杯話したが、何を話したかはっきりしない。食べ物でも、分からぬ内に栄養になっている。話でもそうだと思う。次に会った時、その栄養が花開くのではないか。

歩いてJR神戸駅まで行った。1人は東へ帰って行く。5人は西だ。新長田で飲もうと誘われたが、私は帰る事にした。もう1人も帰って行った。3人はそれからまた飲むようだが、私の頭の中には、吉野家の肉皿を持ち帰るとか、王将でラーメンを食べて帰るとか、そんな事ばかりが巡った。

勿体ないかなと言う気持ちもあり、垂水駅を降りてバスのある方を見ると、並んでいる人達がぞろぞろ乗る所だった。私はもう何も考えずに小走りに広場を抜けた。すぐにバスは出発した。

帰ってからどうしたかって・・。豚まんをチンして、梅干しを皿に2個乗せて、それで我慢した。考えたり想像したり見たりすると、何だか食べたくなってしまう私は、卑しいのだろうか。さてと、これからコーヒーを飲んだら、白河夜船に乗って旅をしてみようと思う。

きっと、今年はもうブログを書かないだろう。皆さんの来年2017年が素晴らしい年になるよう祈りながら、私にもそんな年になって欲しいと願っている。先ずは3種類の宝くじを3枚買っているので、平成29年の酉年の夜明けは如何なものかと、ご神託を期待しよう。でも、1千万円当たったらどうしよう。私は、それが怖い。