何年も何年も、殆ど関心のなかった流星群。その星座の名前を除いては。
しぶんぎ座流星群は四分儀の事だ。90何年か前に星座が88個に決められた時、しぶんぎ座は採用に漏れ、今は幻の星座となり、却って脳裏に定着されている感じだ。
どうあれ初日の出を置けば、新年早々の天体事情である。放っておく手はない。昨年暮れ近く、ふたご座流星群の活動があった事が、しぶんぎ座に私が心を寄せる事になる。大まかに言えば、ふたご座流星群の極大になる14日の午前3時から5時までの2時間、寒いのを堪えて家の玄関辺りで流れ星を見続け、12個見られただけでも快哉を叫んでいたものだ。
2025年はすぐにやって来た。早朝に生田神社のある三宮に行き、JRの電車の窓から初陽と対面した。どうしても見つめる事は出来ない。初詣をして、再び家に向かった。空は晴れて、風もなく、気持ちのいい朝だった。
孫を連れて来ては、お雑煮やお節を食べていろんな話をして、近くに住む者たちは
自分たちの段取り通りに去って行く。
3日には岐阜の家族と孫が来た。夕方に着くと言っていたが夜の8時頃になると言う連絡があった。車なので雪が心配だったが、そんなトラブルはなかったようだ。これが一番の心配事だった。
娘の旦那が風呂から上がると、ちょっと遅い夕食となった。雑煮は明日になるだろう。皆アルコールの瓶を下げて来るが、焼酎か日本酒かのどちらかだ。彼は日本酒の中では私の大好きな地元の「女城主」を持って来た。高級感に溢れる銀色の箱に納まった大吟醸酒だった。
早速その日本酒を開け、グラスのコップに注いで乾杯した。こちらの部屋では彼と2人。隣の台所のテーブルでは4、5人。海苔や海鮮や大葉や酢飯が大皿に盛ってあり、2人は平べったい海苔にスプーンで酢飯を広げ、大葉を乗せ、好きな具材を乗せて巻いて食べる。何か工作をしているようで楽しい。「女城主」も進み、ビールも飲み、結構満足な夕食となった。
一頻り話をしていると、ビールも「女城主」も空になり、時計は11時半を示していた。
彼は運転の疲れもあるだろう。明日は摩耶山に行くと言っていたし、洗車にも行きたいと言っていた。寝る事にするようだった。
もう3日も終わろうとしていたが、ここで外に出て空の様子を眺めた。しぶんぎ座流星群を見る事にしていたし、1つ位流れてくれるのではないかと思って。いつになく星々は輝き、空気は澄んでいるのだろう、何とも言えない空の配置と美しさだった。空の上を眺めていると、4日に切り替わった。コートも着ていたが寒くて少し震えが来た。
部屋に戻って、酔ってはいなかったがそのまま布団に寝転んだらいつの間にか眠ってしまっていた。
1時間に120個流れた時があって、私はそれに期待を持っていた。普通なら1時間に30個ほどだが、今までの流星群でそのように予測されていても、たいていその4分の1にも及ばなかったりする。それどころか10分に1個さえ流れてはくれなかった。その通りになるなら2分に1個流れるのだから(平均だとしても)いつまでも上を向いていられるのだ。
目が覚めると3時過ぎだった。3時から5時までは流星群が極大になると言うから、これからが本番だと思いながら外に出た。立って、首をほぼ真上に向けて出来るだけ視界を広げていた。またがっかりか、と半分諦めムードで空を眺めていると、ちらっと光った気がした。それは私の頭が動いて、遠くの住宅の明かりが木の間に光ったからだった。
だが、3時26分、小さな小さな流れが一瞬のうちに見えて、消えた。確かに、見えた事は見えた。これなら、じっと見ている値打ちはあるだろう。
今度は少し長い尾を引いて、消えた。1秒とは持たないが、希望の灯が点った。携帯を見ると35分だった。このままいると寒さで体に悪いと思い、震えながら見る事は止め、長期戦の体勢を作る事にして、1度家の中に入った。靴下やスニーカーは既に履いていた。
先ず、台所の椅子を持ち出して、一番下のコンクリート壁の方に置いた。風はそれで防げるのだ。次に、毛布を引っ張り出して体に巻き付けた。ミノムシみたいで歩きにくかったが、数段の石段を下りて行って座った。首も楽に上向きになった。毛布の役目は甚大で、とても暖かい感じがする。スースーしないので、全く問題はない。次になにかあったら、帽子とマフラーは考えて置こうと思った。頭は意外と寒いのだ。
5時半には観察は止めようと思っていたので、そのまま天を仰いでいた。小さいの、短いの、長いのは数個。結局終わるまでに8個見て終わった。
4時半が過ぎた頃、決して明るくはないが大きな玉のようなものが南西の方から尾を引いて来て、しかもその姿を目で追いかけて行く事が出来た。3秒位して家の屋根の上に消えて行ったが、驚きが訪れた。1秒以内にさっと消える事もない。かなり大きい。それだけで火球ではないかと思った。火球の定義ははっきりしないが、明るさは普通1等星などよりもっと明るく、−3とか−4とかの明るさのものと言われている。これは暗いけど、隕石ではないだろうかと思った。それを「火球」だと言うには矛盾があるだろうが、隕石なら燃えてしまったものが落ちて行くのだと思えば、火球としても納得がいく。
暫くそれでも感動すら感じながら余韻に浸っていた。すると10分後位に7個目の流れ星が北東の方から流れて来た。今までに見た事もない明るさで、2、3秒はしっかり観る事が出来た。光りながら屋根の上を通り、その見えない時の時間を入れればもっと長いだろうと思う。「これだ! これが観たかった『火球』なんだ」。胸のざわめきと興奮は収まらなかった。火球を見た。私は長い間の望みが今叶ったのだ。
色々調べてみると、簡単に誰にでも見られるものではないと書かれていた。全然すぐに消える流れ星とは違った。明るさも、金星などの惑星やアルデバランなどの恒星とは一線を画している。凄いものを見た。そう言う思いだった。
私の家には3時前には新聞が届いていたが、5時前にバイクの音がした。違った新聞が届けられているのだ。私は隠れ家にいるように椅子に座って小さくなっているので、新聞配達の人に見られることはなかった。だが、8つ目の流星を見たらすぐに部屋に入る準備をした。その時、5時半頃だったが通勤で歩いているおじさんに確かに毛布を巻き付けたミノムシを見られてしまった気がする。その人は、きっとドキッとした事だろう。宇宙人と思っただろうか。
私の方は隠れているようなものなので、ドキッとする事などはなかった。でも、想像は付く。私はきっと変なおじさんだと思われていると。その人は、ドキドキが収まらない。私は、感動で胸の騒ぎが収まらないのだ。