三が日はまだ正月だと思える。
恵那の夫婦は2日の真夜中に着くように帰って来ると言っていたが、流石に眠いらしく、3日の朝9時前にやって来た。その後もう一家族、そしてまた一家族が、10時頃には我が家に集合完了した。物理的に部屋が狭くなる筈もないのだが、普段の2人に加えて、総勢13人となり、いきなり火山が爆発しているような狭い部屋となった。
雑煮を求めて、それは蜜に群がる蝶のようではなくて、鶏のようだった。
1人は家の片付けで止まり、12人は近くの多井畑厄神に、車2台で行った。初詣になる者達もいたし、この神社にはもう今年3回目になる者もいた。私は元日にパスをしていたので、今年は初めてだった。
私は賽銭の他は何も買わなかったが、皆さまざまで、人形を買って水に浮かべる者、おみくじを引いて一喜一憂する者もいた。石段と石段が途切れた所にはお祭りには欠かせない屋台店が並んでいた。いつもなら唐揚げやたこ焼きを買って食べるのだが、それには誰も手を出さなかった。
1時頃になったと思う。3台の車で13人は西へと向かった。
姫路を越え、行った先は室津。参勤交代が行われていた頃はこの港は大いに栄え、ここに乗り入れて陸路を歩いて東へと向かった。本陣が6つもあったと言うから驚きだ。
たつの市御津町室津には、海鮮バーベキューの出来る150年も前に創業された海鮮問屋「堀市」がある。一昨年だったか、その時はそこで久留米に帰る家族とは別れた。だが、今度はぐっと胸の詰まる瞬間はない。
食材を選ぶ。沢山は買えないが、サザエ、ホタテ、カキ、蟹の足、蛸の足、鮭の切り身、野菜、子供の好きな大き目のウインナーなどを揃えた。デッキテラスに出ると、2つのテーブルを独占した。だが、向こうとこちらに分かれてしまった。
私と恵那の旦那は、この前も2人が大きな炭火の網の上で焼く係を買って出た。のではなく、そうなってしまった。
どんとサザエやホタテやカキを乗せる。孫にウインナーを焼くように言うと、喜んで網の上で転がせた。孫は熱いと言うが、この前の2人は、顔が日に焼けたようになった位熱いのを経験している。
向こう側で焼いているおじさんのの方にカキの汁が飛び散った。服がその汁で汚れたが、その人は怒りもしなかった。申し訳ないと思いながら焼いていると、私にも自分達のカキの汁が飛び跳ねた。白いメンパンに、その痕が染まった。
そろそろテーブルに着いて食べようとしたが、孫達も結構食べていた。今まで色々食べて来た経験のある者にとっては、焼くなどのサービスは願ってもない事だった。
恵那の旦那は、アサヒスーパードライを自販機で買って来た。焼き係の2缶。後の男2人は帰りも運転しなければならず、飲ませる訳には行かない。味噌汁が美味しく、中にカキの剥き身が2、3個入っていた。これは美味かった。
サザエを内蔵も全部くるくると取り出して食べたが、これはどうしても食べたい物だっただけに、満足だった。1個しか食べなかったが当たり前の事である。1個400円だ。ホタテに至っては500円で、これは食べたい者が1口ずつ齧る事にした。貝は掌位にデカいが、中身は手にちょこっと乗る位のものだ。私にはサザエが絶品だ。
今度は私が缶ビールを2つ買って来て、男4人ではなく、また焼き係2人で飲んだ。海鮮食べながらなら、ビールでしょ? 日本酒や焼酎は売ってないからね。
言い忘れていたが、このテラスからは播磨灘が一望出来る。この場所でバーベキューではなかったら、ちょっとしたバカンス風の気分になる。向こうには淡路島や四国が見える。晴れているから、景色は抜群に美しい。
この日この「掘市(ほりいち)」が休みかどうかは調べて行かなかった。また、人の込み具合も分からない。正月だから開いているだろうとの見切り発車だったのである。ラッキーと言って置こう。
2時半頃店のお兄さんの声がした。「これでラストオーダーになります」。吃驚して時計を覗いた。午後から車で1時間は掛かった海鮮問屋。まさか3時で終わろうとは努々思わなかった。
3台の車は「道の駅みつ」へと入って行った。この前はハーレーダビッドソン始め20台位の2輪車のツーリングが、爆音を立てながら入って来たのと出くわした。他の人達も、目を皿のようにしながらこの異人種と車に見惚れた。それに比べると、今回はそれよりは規模の小さな10台位のツーリングを見るだけだった。
ここは横に長い石段を下りて砂浜に出る事が出来る。食べた後は運動だ。それぞれが思い思いの遊びをした。男3人と4年生の孫とは、最後まで石を投げて遊んだ。もう1人の男は写真を撮りまくっていた。
石投げをした。昔は私は7間も8間も跳んで行ったものだ。所が、1間跳べば良い方で、後はドボンと海に入ったら、それ切りだった。孫でも3間所か、5、6間跳ばす時もあった。次は遠投だ。
流石に焼き係の旦那は肩が良くて、随分遠くに投げられる。何と私は大声と気合いだけだった。孫にも負けている。そんな筈がないと思ったが、紛れもない事実を念頭に置いていなかった。私が1番だと思っていて、古稀を過ぎた事を忘れていた。現実の悲哀は、こんな所にも確実に忍び寄って来ていた。
遠くにブイのようなものが浮かんでいた。それに当てる競争をした。旦那はその辺が限度だったが、確実に距離は届いていた。私は、そんな所まで届く事はなかった。
ボールより大きな石を拾って皆に言った。参加したのは殆ど男だった。
「この石を海に向かって放り上げるから当てて見て。当たったら1,000円上げる」
と言ってしまった。3回行ったが、その度に胆を冷やした。中には両手に石ころを持って、それを投げた者もいた。幸いにも当たる事はなかった。この大き目の石に、容赦なく投げられた石が向かって行く。ゲームをしているようでもあった。
大きな流木に孫だけ並んで、写真家? が楽しそうな表情を写した。長くなるから書かないが、写る性格がそれぞれに面白い。次は全員で写る事になった。写真家? は、セルフタイマーをセットした。暮れなずむ空は、砂の上の人達全部を、映像のように包んでいた。
家に着くと夕食が待っている。すき焼きのようだ。先ずは孫5人のを器に盛る。孫達は台所のテーブルで。男4人はこちらのTVのある部屋で。女性は向こうかこちらか、好きな方に分かれた。孫もいる事だし、女性群は殆どが台所にいた。
大分してから、今度は大人用を手掛けたが、鍋奉行としては砂糖を塗し、醤油を垂らして先ず肉を食べるように、すき焼き専門店のようにしたいと思ったが、すき焼き用のたれが用意されていた。これだったら、小さい方の孫にでも出来ると思った。折角だから、これも味わうチャンスであると考えを換え、どくどく注いで、煮えるのを待った。
滅多に全員が集まる事はない。また、運転で飲んでいない者もいる。先ずは上等のビールから飲み始めた。発泡酒は、余程飲み足らなかったらにして、「えびす」から。次に「一番搾り」。後からは、日本酒にした。
写真家? が元旦に一升瓶でぶら提げて来た「雪紅梅」を、焼き係と運転手は飲んでみたいと言った。旨いと口々に言った。写真家? は、ぶら提げて来たと言っても名誉の為に書いて置くが、本人はビールをちょっと飲むだけで、ビールや日本酒などは、旨いと思った事がないと白状した。
私が買って、少し飲んでいた500mlの特別純米酒「山田錦」も、皆はまろやかだと言った。恵那の旦那が1番強いが、恵那の岩村醸造の720ml 「しぼりたて原酒」を持って来た。これは、他の日本酒が15度位であるのに対して20度はあるのだ。これも旨い酒だった。何しろ、私の好きな「女城主」の酒がある酒蔵のものだから、尚更である。私は、どうも先入観にも弱いらしい。
私を除く3人の男は、同年代で話が合う。だから、私もその歳に戻って、たまに口を挟む。いや、ちょっと積極的に。
10時半を過ぎた。恵那の夫婦だけ残って、後は車で帰ったり、送って行ったりした。送ったのは私ではない。
冬の大三角の星がとても綺麗だ。オリオン座は、大きく迫って来る。何処にいても目に入る。この日3日の真夜中辺りから未明にかけて、北極星を少し離れた位の所で流星群が観られると言う。かなりの好条件だ。私は、真夜中の、そんなに暗くはないウオーキングの道を、キリン堂のずっと奥に入っていった。真上にはオリオン座。冬の大三角。双子の兄カストールと弟ポルックスがその上にすぐに目に入る。
少し暗がりだが、北極星所か、その周辺の星が目に入らない。暫くして慣れてからもはっきりしない。卓球台のこちらはオリオン座だが、ネットの向こうは薄暗い海のようだった。流星が流れれば、きっと尾を引くから、それだけははっきり見えると思っていた。全然だ。1時間に40個は見えるとの予測が書いてあったのに。2分に1個は観られる期待があったのに。
次はマルハチの奥に入った。同じ事だった。この夜は何度オリオン座と冬の大三角を見た事だろう。暫く真上を見ていた。首は痛かった。空気は冷たかった。人通りなど全くなく、怖い程だった。
飲んでいるので、気持ち良くよろめきなら、家に戻ろうとした。諦めるしかなかった。もっと灯りのない真っ暗な場所に行けばきっと観られたと思う。残念で仕方がなかった。
帰るや否や、
「どこまで行ったの」
と、余り寝ていないで我が家にやって来た娘が聞いた。
「マルハチの辺まで行ったよ。でも、1つも見られなかった」
「へぇ、その近くまで2人で行ってみたのに」
と、意外な声が返って来た。最初は一緒に3人で出かけたのに、すぐに1度帰って、後私だけが出て行った。ずっと連れ歩くのは可哀想だと思ったからだった。もう真夜中なのだ。
彼の提案で、4人で飲む事になった。喋ったり飲んだり。もう余り飲めなかった。眠い方が先に立った。結局、2時には轟沈した。
娘に最後の最後の行程である折り紙の折り方を聞いた。図解では、最後が分からない。私が1時間は悩んだ事が、ほんの僅かの時間で分かったようだった。その折り紙のコースターの作り方は、いとも簡単に解明した。驚きながらも私は眠り、次の朝1人で完成品を見て、作る事が出来た。そうだったのか、と言う複雑な満足感だった。
どうしても思い出してしまう事がある。「播磨灘」が引き金となった事で。
数年前、加古川でオカリナの演奏を依頼してくれたO君が、Ki君も一緒に周辺を案内してくれた事があった。その時、名前を度忘れしたお寺の案内板に書かれてあった事が妙に思い出される。
「一円からお参りされる方が多いです」と書かれていた。私は「何でだろう」と不思議でならなかったのだ。賽銭なんぞは、多い程いいと思うのに。
数十行書かれている真ん中辺のこの文は、1番上から続いている。幾ら考えても変だ。私は、その前の行の文から読み直してみた。「・・播磨一円から お参りになる方が多いです」。訳が分かったので笑おうとしたが、上手く笑えなかった。2人に説明する事で一杯だった。
文章の区切る場所をちょっとだけずらせば、私のように悩む人を作らなくていいのにと、本気で思った。また、日本の言葉の面白さも知った。その時、お寺に知らせて上げようとしたが、馬鹿みたいな話なので止めた。だからと言って、このお寺が儲かる訳でもない。しかし、私のようにいい加減に読んで、1円だけ賽銭箱に入れる人が増えたら、お寺も嬉しくはないだろう。
播磨灘や播磨は、どうでもいいようなそんな事まで思い出させる。風光明媚な、穏やかな、そんないい所なのである。