今何していると思う? 22時30分過ぎているけど、今家に辿り着いて「きらめきの島奄美」を飲んでいる。

こんな日が来るなんて、誰が想像しただろうか。私には、1年の内のベストスリーだった。それはベストワンかも知れなかった。また、「奄美」に手が伸びる。チーズにも手を伸ばす。シマさんが持って来ていたものを、1個だけ持ち帰っていた。焼酎に合うではないか。

マカデミアを開けた。9個しか入っていないナッツ入りのチョコレートだ。徐に黒糖焼酎に手を伸ばす。もう3分の1もない。シマさんは言った。

「もう今日は飲まないでよ」

そんな訳がない。私は、ブログを書きながら飲み続ける。


5時30分に、そごうの前で会う事にしていた。相手はシマさんだ。渋滞していたバスが45分掛かって、三宮東に着いた。時間帯の問題だが、普通なら25分ちょいで三宮に着く。それで、会ったのは約束の時間ジャストの5時30分だった。

今日の集合は、18時だった。余り何も分からないまま、プロの集団の会に、臆せずに参加した。

今又、焼酎に手が伸びる。

チョコレートにも手が伸びる。


人数も分からない。誰が来るかも分からない。しかし、自分の食べるものをコンビニで買って、会場KR&ACへと急いだ。6時からだが、まだ3人しかいなかった。鄭重な挨拶を受けた。この会場は、本来は会員制なのである。

まあ、後ろの席に座った。6時になっても、そんなに集まって来ない。だが、35人の席が用意されていた。安い会費で、スナックは用意すると言っていた。自分のものを用意したらいいと言う事だった。

シマさんは配慮からピロシキを買っていた。ローソンに入り、彼はおにぎりを2個買った。私は、サンドイッチを買った。

シマさんは「きらめきの島奄美」を持って来ていた。私は、約束通り、水と紙コップを持って行った。

段々集まり出して、結局演奏を始めたのが、7時だった。当然だが、プロが演奏し出した。3曲演奏しただろう。フルートの演奏だった。もう、これだけで今日の会費以上の演奏に思えた。乾杯の飲み物は、ベンジャヤミン・ツィアフォーゲル氏の奢りだった。餃子あり、向こうにはスナックどころか、凄い食べ物が置かれていた。こんな会費でこれだけの食べ物は、尋常ではない。

シマさんとビールをチョイスし、それから乾杯となった。時間は7時。

どうも蘭奈さんが仕切っているようだ。スープを配ったり、皆に何か説明しているようだった。

また、私は焼酎に手を伸ばす。マカデミアにも手を伸ばす。

隣りの2人の女性と親しく話す破目になった。1人は、フルートを習っているとい言った。1人は、ピアノをやっていると言った。

シマさんも私も、始まるまではそのテーブルなどのアレンジに違和感を覚えていた。だが、段々慣れて行く。赤ちゃんを連れて来た人もいた。だが、その人こそ、ベンジャミンさん(ヴァイオリン)の伴奏者だった。河合由夏さんと言って、素敵な演奏をした。

ベンジャミンさんの演奏は、それはそれは素晴らしかった。蘭奈さんも交えて、トリオで演奏した。ヴァイオリン、チェロ、フルート・・。はっきり言って、この演奏は1万円位の値打ちがあった。

蘭奈さんが、シマさんの所にやって来た。彼が演奏する事になった。前に出た彼は、完璧と言っていい演奏をした。当然、拍手喝采だった。こんな演奏、聴いた事もなかっただろう。だが、プロ集団や聴衆の心の中には、しっかりと奄美の演奏が残って行ったに違いない。

彼は、大きな仕事をなし終えたのだった。もうガヤガヤして打ち解けている中、彼の演奏が始まると皆集中して聴いていた。蘭奈さんは素敵な女性だと思う。彼に三線を持って来るように言っていて、演奏する場を忘れずに作ってくれたからだ。

私はもう、お呼びがなかったら演奏はしなくてもいいと思っていた。だが、8時30分。蘭奈さんは私に、もう時間がないからと演奏を促した。躊躇するのは愚の骨頂だ。前に出て、簡単な話をしてから演奏を始めた。6曲考えていたが、1曲演奏出来たから凄い事だと思う。

「リュブリャーナの青い空」「愛の讃歌」「ボレロ」「春の海」「神話」「タイスの瞑想曲」。だが、1曲で十分な雰囲気だった。徐に、AG管を持ち出して、「愛の讃歌」を吹いた。プロの中に、私が唯一のアマチュアだと言って・・。

「リュブリャーナの青い空」は、ベンジャミンさんの歓迎の積もりで用意していたが、彼はオーストリアの人だった。スロベニア放送交響楽団所属のコンマスで、てっきりスロベニア人だと思っていた。

シマさんと、黒糖焼酎をこそこそ飲んでいたので、私は赤鬼だった。だが、やらなければならない。ここで失敗したら、蘭奈さんも私を見限るだろう。

コンマスは、柱に凭れて聴いている。シマさんの時もそうだが、珍しい楽器なのだろうか、ガヤガヤがなくなり、ちゃんと聴いてくれている。

ライブは間違ったり変な所があったりするものだが、そんな事はどうでも良かった。最後までやる事こそ重要なのである。シマさん共々、かなりの拍手は頂いたと思う。

帰る途中、「素敵でした」と言ってくれる人もいた。嬉しい事に違いない。席に着いても、「良かったです」と言ってくれる人もいた。

その後、ベンジャヤミンさん達カルテットの演奏があり、その後ベンジャミンさんの「タイスの瞑想曲」の演奏があった。「タイスの瞑想曲」や「チャールダッシュ」を、私も下手ながら吹く事があるが、ヴァイオリンではよく聴く曲だ。被らなくて良かった。

もう9時に近かった。ベンジャミンさんは私達の所にやって来た。「きらめきの島奄美」を飲みたいと言う。ストレートで。かなり強そうだ。

彼は、ずっとスロヴェニア人かと思っていたが、交響楽団はスロヴェニアでの仕事だと言った。オーストリア人だったのである。

「アイ ハヴ ビーン ウオンティング トゥー ミーチュー フォー ロング タイム」と言ってから、握手したのはもう10回近くにもなった。力強い握り方だった。腕力もありそうで、また素晴らしい男だとの印象を持った。

もう色んな人と話をした。英語で話すのは、ベンジャミンさんだけだった。

「メイ アイ コール ユー ベン?」

「OK」

「オー、コール ミー ヒロ、ノット ヒーロー」

と言った。

いい男だが、演奏はプロ中のプロだ。そんな雰囲気の中に、シマさんと私はいたのだ。こんな3時間は、1年間の中でも、凄い時間だと思った。

ベンジャミンさんとまた会う機会があった時、私やシマさんの顔は覚えてくれている事だろう。10回近くも握手に応じてくれる男なんて、そうざらにはいないからだ。こんな交わりなんて、あっていいの? と言う事が先に立つ。

蘭奈さんは言った。私の演奏に、

「感動しました」

と。

まさかとは思うけれど、適当な言葉と思いたくはなかった。何故なら、1度偶然にもコラボする機会があった時、やっぱり、感動したと言うような事をメールで送ってくれた事があった。社交辞令かも知れないが、その一言の余韻を次に繋げたいと思う。

ああ、もう「きらめきの島奄美」が少なくなっている。チョコレートも2個しかない。いやー、ほんとに凄い3時間を過ごす事が出来た。そして、この瓶に入った「きらめきの島奄美」の残りを、私がゲットしたのだった。
コンドルが悠々と、芸文センター阪急中ホールの天井付近を気流に揺られながら滑空している。コンドルは、滅多に羽をばたつかせない。ホールに、飛べるだけの気流がある訳はないが、私が操縦しているのだ。

またまた2階の最後尾の1つ前の席だ。だから、私もコンドルになって俯瞰しているのである。

外は雨。7時になると、黒い女豹が、4人のミュージシャンを引き連れて登場した。女豹は寺井尚子。言わずと知れたジャズ・ヴァイオリニスト。ピアノは佐山雅弘。ベース金子健。ドラムスが荒山諒。パーカッション松岡”matzz”高廣の面々だ。寺井尚子はこれらの猛者を組み込んだ。誰1人を取っても、日本を代表するア-ティストと言っていいだろう。

寺井尚子の肌が現れている部分は、両の腕と首と顔だけだ。後は、足の靴まで黒い。ベルトも黒いが、ふわっとして太いのがポイントだ。ポニーテールの女豹は、プログラムもない中、パフォーマンスを心掛けながら、先ずは[Tango pour Claude(リシャール・ガリアーノ)」の演奏。長いが、トップバッターの曲としては、最初から惹き込んで行った。

「今日は、ノンストップでやります」

と言って、喝采を得た。休憩がないから、延々と楽しめる。

「大丈夫ですか」

会場にどっと笑いが溢れた。トイレ休憩がないのだ。

「月の光(クロード・ドビュッシー)」をジャズでやるのだ。もう、上手い。ドラムスとパーカッションの掛け合いも素晴らしいが、ベースが引き立っている。ピアノは凄過ぎた。

「チェリキー(レイ・ノーブル)」と書いているが、知らない曲だ。そもそも、ジャズが楽しく素敵だと思えるようになったのが最近の事だからである。ホール巡りも大分になるが、それがなかったら、ジャズ所かクラシックだって全く分からなかった事だろう。

「Same Old Story」。これはピアノの佐山雅弘の作曲である。知る由もないが、これがまたジャズになっている。これから演奏されて、知られる曲になるだろうと思った。

寺井尚子のヴァイオリンは、私達を包んでくれる。どんなに難しい曲や速い指遣いでも、そんな事を全く感じさせない演奏をする。凄いとか素敵だとか素晴らしいだとか、そんなものをとっくに超越して私達を惹き込み楽しませてくれる。それを、この4人がまた凄いテクニックで彼女を支えているのだ。最強の演奏だと言っていいだろう。

「フラジャイル(スティング)」。「Alone Together(アーサー・シュワルツ)」。共に知らないが楽しい。凄いミュージシャンが集まったものである。

「ブエノスアイレスの冬」。アストル・ピアソラに、こんな曲があるのだ。あの有名な曲にどこかメロディが似ているところがある。それが彼の曲の良さであって、それでいいのではないだろうか。

ここで「きよしこの夜(フランツ・グルーバー)」が奏でられた。ジャズ風のこの曲も、基本的に「きよしこの夜」には違いないので、それはそれで楽しめるものだった。だが、この曲に関しては、もっと純粋な、美しいストリングスを聴きたい。これは勿論私見である。

「これで最後の曲になります。本日は本当にありがとうございました。皆さんのパワーを頂き、明日からまた生きていきます」。

最後は流石「Spain(チック・コリア)」。かなり長い間アレンジ曲が流れ、あの冒頭のメロディが中々出て来ない。もうないかと思っていると、早速始まった。ヴァイオリンを、いとも簡単に弾く。ジャズにする楽しさみたいなものを、ここではどっぷりと感じさせて貰った。

アンコールは、2曲。「星に願いを」と「St.トーマス」だった。「星に願いを」は私も練習している。普通のものと少しジャズっぽいものを。早く帰ってオカリナで吹いてみたいと思った。

寒い雨の中を、三宮に向かった。阪急電車の特急は、すぐに三ノ宮駅に着いた。横断歩道を渡る。雨は「ボレロ」が18分演奏されるとしたら、11、2分の辺りの強さ位だろうと思う。横断歩道と言えど、雨の溜まっている所も在る。傘を差しながら、ビチャッと踏んでしまう。片方の靴の中に水が入ってしまった。

もうバスは来ていて、最後に乗った。そのままなら、ずっと後ろの席に行くだろう所だ。いつもこの時は、素早い判断が求められる。一番前の席に座っている人の隣りに座った。この方が、降りる時に頗る便利なのである。

すぐにバスは発車した。かなりの雨、久し振りの雨の中、バスのスピードは速かった。降りると傘を差しながら、水溜りを避けて歩いた。そのまま、1点だけ残された家の明かりの中へと入って行った。

「Hyogoクリスマス・ジャズ・フェスティバル2016」は、

12月 4日  渡辺貞夫オーケストラwithデイヴ・グル-シン

12月13日  寺井尚子クインテット

12月16日  アトリエ澤野スペシャル ロベルト・オルサートリオ

12月17日  北村英治カルテット

12月23日  山中千尋withラズロ・ガードニー

12月25日  アロージャズオーケストラ&日野皓正withマリーン

と続く。年金暮らしでなかったら、全部聴きに行ったと思う。まあ、毎年1つずつで結構だ。今までに聴いたものもある。渡辺貞夫、寺井尚子、北村英治、アロージャズオーケストラがそうだ。来年は来年で、また考える事にしよう。

温野菜がテーブルの上にあった。それで焼酎を飲む事にした。ついこの間、たまにはいいだろうと買った少々高い芋焼酎だ。「霧島」の白。白は黒より高い。

俯瞰しながら飛んでいたコンドルは、最後には女豹の前に降りたって、しっかりと目を見ていた。同じステージと言う地面に立って見つめた女豹の美しさは心から滲み出て、自信に溢れるものだった。

対峙をしたなど表現はきついが、コンドルの気持ちは既に呑み込まれていた。女豹の怪しい立ち居振る舞いに・・。またそのパフォーマンスには、到底太刀打ち出来るようなものではなかった。ただ傍に近付いて、その妖艶な姿と表情を見ていた。こんなに近くにいるのに、女豹はコンドルを襲う気配も見せなかった。コンドルなど、目に入っていなかったのだろうか。

コンドルは、最上階まで上ると外に出た。殆ど動かさなかった羽を羽ばたかせながら、上空へと舞い上がって行った。雨に打たれ濡れながら、それでもぐんぐんと上昇して行った。気流に乗りながら、羽を預けて大空を颯爽と滑っている事が恋しくて。それにまた、滑空しながら、眼下に見える世界を俯瞰していたい為に・・。
やっと実現した。チェリスト蘭奈さんとのデート。

と言っても、法然と親鸞程も歳の違う女性と、私の血迷う話ではない。

それは、甥の悠介と、三宮でベースとオカリナでコラボの練習をしている時の事だった。チェロを入れてトリオで演奏出来たらいいなと私は言った。

それまでに何度か蘭奈さんの演奏を聴きに行っていて、その前には偶然にも或る場所で、一緒に2曲程演奏する機会があった。プロのチェリストと私がコラボ出来るチャンスは、千載一遇としか言いようのない事でもあった。そこで知り合い、演奏の案内が送られて来たのだった。

そんなこんなで、メールで演奏の案内があった時、勿論電話で話したりした事はないが、「いつかランチでもしましょう」と言った気遣いが書かれていた。それは半信半疑だったが、知り合いになっている事を思えば、いつかそんな時が来ると思っていた。私は、兎に角一緒に演奏出来る機会が欲しかった。

夏に悠介と再び練習した時、彼もプロである以上、幾ら甥であっても私と本気でコラボをするとは思えなかった。それが、案外乗り気になってくれていた。これも先行き短い私への最高の気遣いだったろうと思う。

そこで彼に、再びチェロが入ったら面白いだろうね、と蘭奈さんの事を話した。「呼んだらいいのに」と言った。私としたらそう簡単な事ではなかった。何故なら、ランチの確約が出来ていない事と、そんな話受け入れてくれるかどうかの関門があって、まだ動き出してもいなかった。

「順序を追って行かないと」と私は言う。「先ずランチへの誘いが実現しないとどうにもならないし、その時どう承諾を取るかも問題だ。それがOKだったら一緒に練習出来るようになると思う」と言った。

悠介は「もし必要なら、チェロのパート譜は作るから」と言ってくれた。

11月26日、チェロ、フルート、ピアノの3人の演奏を阪急梅田の1つ手前の中津に聴きに行ったが、それも案内があった。その時私は意を決して「またランチでも」とメールに返事を書いた。すると、幾つかの日を聞いて来たのだ。それが12月8日に会う現実への発端となった。

12時に、JR三宮駅中央口の改札付近で待ち合わせた。今日になったのは、多分中津での大変な演奏が終わるまではと言う気があったのかも知れない。

「どこかいい所ある」

と聞いた。

「余り知らないけど、昨日は中華だったし、和食もいいかなと思って。ステーキなら、並ぶけどリーズナブルな所があるんですが」

「和食でもいいよ」

「和食だったらミントにありますけど」

「僕はカツなんかが好きで」

「私も肉は好きです。よく食べるから、和食もいいかなと思ったんです」

「ああ、何でも好きなんだね。じゃあ僕と一緒で、雑食かな」

「そうです」

と彼女は笑いながら言った。

「僕はトンカツが好きでこの近くの『あかちゃん』と言う洋食屋さんによく行ったんだけど、どこかに移ってしまってねえ」

「その名前は聞いたことあります」

「三宮センター街の地下にハヤシライスにトンカツの乗ったのがあるんだけど」

「そこに行きましょう。それ食べた事ないから」

と言う訳で、地下を通ってその店「金プラ」に入った。今日は満員に近く、でも席は確保出来た。ライスの上にカツが乗り、その上に孫亀、いやたっぷりと牛肉が乗った「カツハイライ2つ」と言って注文したものだから、彼女は聞き返した。「ああ、それはカツハヤシライスの事だよ」と私は答えた。

それにしても、想像する普通のルーではなく、デミグラスソースが肉を繋ぎ合わせているかのような少量のものだった。

美味しいと言ってくれて、雰囲気がある訳でもなく何の変哲もない店だったが、良かったと思った。それ以上に表裏のないポジティブな行動的な、それに自分から言ったが、体育会系の女性でもある事が分かった。

酒は好きそうだったが、昼間からは飲める筈もない。だが、焼酎も好きな様で、

「僕は芋が好きでね」

と言うと、

「私も好きです」

「麦よりも」

「ええ、麦よりも」

合わせてくれているのかどうかは分からないが、好きなものとか音楽はプロとアマチュアだが体育会系だとかはよく似ていた。肩に力は入らなく、どちらもよく喋る。気楽に話す事が出来た。だって、私の娘と同じ位の歳恰好だったからだ。

幾らランチだとは言っても、ではこれで、と言う訳には行かない。肝心な事はなに1つ話していなかったからだ。

「お茶でも飲もうか。まだ話していない事があるから」

と言って、彼女に言われるがままに、ヤマハ楽器の有る近くの西村コーヒーに入って行った。最初覗いた喫茶店は、煙草の煙がもうもうとしていた。

ここで愈々核心に触れなければならなかった。一緒にコラボして貰えるか。から始まって、悠介の事を話した。3人で練習出来るかと聞いた。それは、聞くまでもなかった。喜んで参加するとの返事だった。

シマさんの話をすると、奄美にも行きたいと言い、シマさんとも3人で話したいと言った。ダイビングの免許も取ったので、奄美の海で潜ってみたいとも言った。どこまで開放的な女性かと思った。

スロヴェニア放送交響楽団のコンサートマスターが、松方ホールで蘭奈さんと一緒に演奏するので聴きに行ったが、私にはスロヴェニアは意味深い国だったのである。

そのベンジャミン・ツィアフォーゲルさんが、12月の下旬に再来すると言う。26日に、或る会場を借りて演奏したりどんちゃん騒ぎをしたりして楽しむと言うのだ。私にも「オカリナ持って来ませんか」と誘ってくれた。急だったので即答は避けたが、触手の動く誘いではある。「シマさんも、三線持って来たらいいのに」と言った。

スロヴェニア! リュブリャーナ! と言うのが凄い。

話したり聞きたかったりした事が5つあると言って、私は饒舌になった。今度会う事があれば、その時は私が聞く番だと思った。チェロとオカリナのコラボ、更にベースを合わせた練習や演奏が出来る事になったのが、何よりの収穫だった。これで悠介にちゃんと報告も出来る。

まだ何よりも良かったのは、気楽に話せる女性だと言う事だった。つまり、気難しいのではなく気さくなチェリストだったのだ。

私は彼女に言った。

「今頃になってやっと、プロと言われる音楽家が如何に凄いかと言う事が分かりました」

「私と同じ位の年数やってるんでしょう」

「年数はね。プロが半年やったのと僕が20年やったのと同じ事ですよ。中味は比べようもなく、隔たりは考えられない位に深いんです」

私は心の中では反芻している。オカリナはオカリナの味を出せばいいし、私は私の演奏をすればいい、と。それで一緒にやってくれる人がいたら、それは人と人の出会いだと思う事にした。

「あ、今からレッスンがあります」

もう2時間半近くも、食べて飲んで、話していたのだ。飲んだのはコーヒーだけど。私はブレンドで、彼女はシナモンのスティックの入ったコーヒーだった。シマさんと一緒に会う事があれば、次は間違いなく焼酎だ。

蘭奈さんは、向こうに自転車が置いてあると言った。私は2時半の高速バスに乗り、彼女は自転車に乗ったのだろう。

バスからは、雲が見えた。迫り来る大きな雲の塊りが幾つも。デカいクジラのような雲。牛の形をした雲。こんな雲を初冬の空に見るとは思わなかった。行きの渋滞に反して、あっと言う間にバスは、私のバスストップで止まった。
もう、短いブログにしちゃう。明日は、卓球行かずに麻雀だし。

世界で一番短い手紙が、

「?」「!」ですね。

「元気?」 「元気!」

「売れてる?」 「売れてる!」

「儲かってる?」 「儲かってる!」

何とでも言えて妙だ。でもやっぱり、こんなに短いブログ? は、私には無理無理!


阪急中津駅と言えば、三ノ宮駅から十三まで行き、各駅に乗り換えて次の駅だ。その次は梅田である。

少し速めに行き、「レ・ヌーヴォレ中津」を探した。前以て下調べをして置かないと、2人の友達諸共、路頭に迷う。チラシの裏の地図通りに歩いてみた。駅の北側、右手にサンクス。左手は公園だ。そこをほんの少し歩くと右手にP。その角を右に曲がると両側に煙草店と西田工業があり、その間を北に上がると右手に「レ・ヌーヴォレ」があると記してある。これなら駅からは3分位だ。

すぐに右手に食堂があり、ここで昼飯を食べようと、安易に考えていた。しかし、行けども行けども、右手にホールらしきものがない。「大阪市北区中津3-10-7」と書いてある。右を見るのだが、3丁目はそうでも、9番地の表示しか見当たらない。段々不安になって来た。

随分先に行った所からまた元に戻ろうとした。その先に、後姿がとても若い女性が歩いていた。聞こうか聞くまいか。この辺に住んでいる人なら、分かるのではあるまいか。歩みを速めてその女性を追った。

声を掛けたら不審者と思われないだろうか。

「すみません」

まだ何も悪い事していないのに、すみませんと先に謝るのはどうしてだろう、などと思いながら声を発した。その女性は歩みを止め、こちらを向いた。その辺は狭い路地のようだ。おお、綺麗! 若い女性であった。

「この辺に、レ・ヌーヴォレと言う音楽ホールはありませんか」

「よく分からないのですが」

「この辺にお住まいではないのですか」

「いえ、この辺と言えばそうですが」

私は、チラシを見せた。

「ここなんですが。3丁目10と書いてあるのに、その10番地が見当たらないんです」

女性はチラシをじっと見ていた。

「これがその場所の住所ですね」

「そうです。お急ぎではないのですか」

「いえ、そんな事はないです」

駅へ向かっている事だけは確かだった。しかし、一緒に探してくれた。それに、とても親切に。

スマホを出して場所まで調べてくれているが、詳しくは出て来ない。

「この辺りのようですが」

「お急ぎのようなのに・・」

そうして、遂にその場所が分かった。昼飯を食べようとしていた食道のすぐ隣りだった。金文字で、「Le Nuvole中津」と上部に大きく表示してあるではないか。余りにも近いので、完全に見過ごしていたのだった。

「ありがとうございます。一宿一飯ではないですが、本当に助かりました。友達と中津駅で待ち合わせをしているのですが、下見をして置かないとと思って」

「ここを左にでも右にでも中津駅には行けます」

それは分かる。すぐだ。

「左に曲がれば高架がありますが、それを潜らずに右に行けば駅です」

何と親切なんだろう。こんな女性と出会うなんて、きっと前世で出会っていたかも知れなかった。こんな賑やかな街に挟まれた中津と言う賑やかではない町の中で出会った女性の、親切だった。私がもう50歳若かったら、イチコロだっただろう。今は分別があると思うが、それでも魅力を感じる女性だった。

「忙しい所をすみませんでした」

「いいえ」

ああ、こんな人がまだいるのだ。

2時からのコンサートで、シマさんことYさんとK君とは中津駅の改札口辺りで1時15分に会う事にしていた。もう、食堂に入って食べる程時間はなかった。12時55分だった。サンクスで海老2尾が入った弁当を温めて貰って、公園のベンチで食べた。ものの5分で終了。甘ったるい濃い味で、これならサンドイッチの方がまだ良かったなと、別のベンチでそれを食べている女性を見て思ったものだった。

公園の銀杏の木が、美しく黄葉している。

まだ来ていないだろうと思ったが、駅の階段を上がってみた。2人共私が電車から降りて来ると思っていたのだろう、改札口の外から内側を見ていた。

まだレ・ヌーヴォレに入るには早過ぎる。3人で、演奏の済んだ後飲む店を物色した。結局駅前の2軒と、公園の先の1軒があるだけだった。実は、飲み会にだけは参加したいと言っていた医者のS君が4時半頃に来るので、4人で飲む店を探していたのだ。1駅終点に行けばそこは梅田だが、全く知らない町で飲むのもいいかと思っていた。

レ・ヌーヴォレに入って暫く待った。音響は良さそうだが、どんなに考えても50人は入らない部屋だった。勿論満員だ。

私とシマさんはチェリストの崎元蘭奈さんを知っている。今日の演奏はフルートの川端裕美さんとピアノの橋本尚さんの3人だった。それでも15分の休憩を挟んで、2時間の演奏だった。ピアノは、リストも弾いたベーゼンドルファーで、橋本尚さんは、その音の一端を再現してくれた。

3曲だったが、最初はフルートとピアノで「プロコフイエフ フルートソナタ ニ長調 Op.94」。2番目はチェロとピアノで、「ラフマニノフ チェロソナタ ト短調 Op.19」。最後は「カプースチン フルートとチェロの為のピアノトリオ 作品86」だった。これはジャジーな面白さがあった。

この部屋の音響は良く、3つの楽器が、その音質を遺憾なく発揮していた。アンコールには「ダッタン人の踊り」を演奏した。崎元蘭奈さんが出演するので聴きに来たが、美しい音色を奏でていた。彼女は、決してチェロを離さないと思う。何故なら、チェロに魅入られた女だと思ったからである。

先ず、この3人の演奏を、私はオカリナで再現出来ない。それは、音楽に生きて来た者と、趣味でやっている者との大違い。プロと素人の、また月とスッポンの違いからである。


5時前にS君がプラットホームからの階段を降りて来た。更に階段を降りた所に2軒の居酒屋がある。大きそうな居酒屋に入った。かなりの席があるが、たった1人飲んでいる人がいた。先ずは生ビール。その後は更に生ビールを飲む者、焼酎も芋と麦とに分かれた。

相撲のテレビが放映されている。ちらちら観はしたが、明日は麻雀の予定で観る事が出来ない。13日間ずっと観続けて来たのに、14日目はこんな状態で、明日は全く観られない。明後日の新聞でしか、知る由もないだろう。

いつしか人も増え、6時前には満員状態になった。広々と取られたテーブル席も何か古民家を想像させ、土間を思わせた。高架の下の店とは思われなかった。手慣れた風の小太りのおじさんが殆ど1人で注文を聞き、品を運んだ。

カウンターも離れた先にあり、先程のコンサートは小さな部屋に50人近い聴衆が詰め込まれていたが、ここは人数は30人位とそれより少ないものの、広々とした空間の席は集落を彷彿とさせた。ここでコンンサートがあってもおかしくない集団となった。ただ目的が違うけど・・。静かに聴くのと、飲んで食べて騒ぐのと、ね。

ドテ焼き、肉じゃが、焼き鳥、コロッケ、おでん・・。どれを取っても美味い。甘めなものもあったが、私にはお袋の味を感じさせてくれた。お袋の料理は、本当に美味かった。私は、今でもそれら様々な味を思い出す。今でも、お袋のコロッケを探し回っている位だ。玉子焼きは甘かった。私にはそれが玉子焼きだったのである。

だが、最近は砂糖を入れない卵焼きを作る。ダイエットもそうだが、出来た玉子焼きに、シェフが使うようなケチャップを垂らして食べる。これも又美味い。味の改革である。時たま、砂糖を入れて食べる時がある。それこそお袋の玉子焼きだ。

4人は同年齢だ。色んな話をしたが、覚えていない。無理に思い出さなくても、とても楽しいひと時だった事は覚えている。7時過ぎに店を出た。それぞれの家路を辿る。三ノ宮からの高速バスの待ち時間があり過ぎる。電車に乗った。垂水駅からはバスで帰った。そして、ちょっとだけオカリナの練習をして、その後ブログを書いている。全くタイトルの内容を書いた訳でもなかった。

やや酔ってはいるが、その瞬間瞬間が生きている事を確認させるのだと、しみじみ思う昨今だ。若くなりたかったら、歳を忘れる事だ。そして、生涯青春だと思う事。ポジティブに生きる事。

私の好きな、今懸命に練習している「メモリー~キャッツ~」にある、記憶が曖昧な為に勝手に思い込んでいる一節。「今夜の事を思い出に渡して、明日を生きよう」。ああ、自由とは、解放される事ではないか。勝手気儘ではなく、心が解き放たれる自由を感じて生きたい。
高速道路は渋滞しているからと、高速バスは違う道を選んだ。

普段私を乗せて高速道路を走るバスは、三宮まで25分から30分が相場だ。だが、今日(19日)は違う道も渋滞していて、動いては止まり、止まっては動くと言った状態だった。寝不足だった所為か気持ち良く寝ていて、そんな状況に気が付いたのはもう三宮に近くなってからだった。

到着して更に時計を見ると、55分掛かっていた。凡そ2倍の時間を要した。

プラットホームに駆け上がると、新快速の扉が開き、各扉の集団が中に入ろうとしている所だった。或る意味乗れて良かったのだが、普段なら100円の棒状の菓子パンを買い、ゆっくりエスカレーターに体を任せ、プラットホームに着くとすだちのジュースを飲むのが常だった。

席が空いたのは尼崎駅だった。そこに座ると大阪や新大阪を通り越して京都まで座ったままだった。

地下鉄に乗り換えると、記憶は定かではないが9つ先の駅、北山駅まで行った。あの新快速に乗れたお蔭で、時間はまだあった。黄葉した銀杏並木の内側を歩いているとパン屋だの洋食屋だの蕎麦屋だのが散見される。急にラーメンが食べたくなって、「肥後もっこす」に入った。

神戸にある「もっこす」とは、チャーシューの盛り方も切り方も味も違ったものだった。こってりしているのは同じようだった。少し汗ばんで来た。1,080円也のチャーシューラーメン。

地下鉄の階段を上って外に出ると、すぐに京都府植物園がある。その横を天蓋の有る道を通ればすぐに京都コンサートホールはある。

ヴァイオリンと言えば千住真理子、川井郁子、寺井尚子が、私に取っては列をなす常連だ。だが今日は前から気になっていた天満敦子のヴァイオリンを聴きに来たのだ。勿論初めての事だった。

大ホールではなく、小ホールでの演奏だ。510人入るホールは、略満員に近かった。この京都コンサートホールのスロープには、日本のみならず有名な指揮者などの写真が並んでいる。天満敦子は中々関西では出会えない。

東信州の無言館で毎秋演奏してもう18年になるそうである。無言館には出征直前まで絵筆を握っていたが学生達の遺作が並べられている。そんな天満敦子のヴァイオリン演奏とはどんなものかと思う。

ステージの天井には、まるで神戸のメロンパンのような巨大な形の楕円形の窪みの周りに、36個の照明灯が規則正しく並んでいた。その内側には、身長30メートルはありそうな巨人が投げるボールのような照明もある。

天満敦子が姿を現すと、いきなり無伴奏のアルマンド(J.S.バッハ)を弾き始めた。その音を聴くや鳥肌が立つ思いだった。上手いなどの言葉を遥かに通り越し、またそんなレベルではなかった。感動以上の驚きだった。

その無伴奏アルマンドでは、1つのヴァイオリンから別の音が離れた所から聞こえたり、絡まって聞こえたり、降って来るように聞こえたり、その立体感に驚きながら聴いている自分がいた。姿は大阪のおばちゃんみたいな感じもするし、話や仕草が意図的で面白いのだが。

プログラムは、

J.S.バッハ:アルマンド(無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ より) ※無伴奏演奏

クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ

フォーレ:夢のあとに

フォーレ:シチリアーナ

サン=サーンス:白鳥

マスネ:タイスの瞑想曲

シューマン:トロイメライ

ブロッホ:祈り

ポルムベスク:望郷のバラード

〈休憩〉

J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ より) ※無伴奏演奏

小林秀雄:落葉松

團 伊玖磨:花の街

菅野よう子/和田 薫編曲:花は咲く

和田 薫:雅俗二譚〈ピアノ・リダクション版〉

ホルスト:ジュピター

ピアノ:勝呂真也(すぐろまや)、女性。

全て終わり、アンコールに現れた天満敦子は、ホール全体真っ暗になったステージだけが微かに浮いて見える演出で、「見上げてごらん夜の星を」を奏でた。無伴奏で、情感たっぷりに。だが、自分に酔っている所など微塵も感じられなかった。

次に勝呂真也を呼んで、「知床旅情」を演奏した。ヴァイオリンの低音が聴いた事のないような音になった。勝呂真也は、素敵な伴奏をする。細くて綺麗な人で、前から4列目の一番左側の席の私には、その背中だけが見えていた。

天満敦子は、ステージの上でも気さくなおばちゃんだった。失礼な言い方かも知れないが、そんな演奏者を見た事がなかった。面白い顔をして見せてくれたりもする。

「私の主人と、来年の6月6日に30周年記念を迎えます。こんなに長く続いた人はいないと言っていいでしょう」

それが自分の弾いているストラディヴァリウスの事だったのだから、お笑いのセンスもありそうだ。

「このストラディヴァリウスは281年生きています」

兎に角、いつも見慣れたアーティストの様ではなかった。出入りも、お茶目なおばちゃんと言った感じ。だが、演奏はそれはそれは凄い。速いパッセージも当たり前のように弾いている。何の苦労もない風に、自然に、当たり前に。休憩が終わってから直ぐの無伴奏演奏の凄さは、凄さを感じさせないようでいて凄い。こんな表現しか出来ないが、ゆったりした曲の演奏の豊かさも凄かった。

CDを買った人が並んでいる姿を遠目から見ていた。サインは2人でしていたが、天満さんは特に知った人を見るとその場で立ち上がって、ハグもする。そんな場で、友達感覚でも話している。次の人を待たせながらだ。

「あんた、またこっちから連絡するわ」

そんな言葉がこちらに飛び込んで来た。

天満敦子のストラディヴァリウスは、まるで彼女の思いに引き出されて行くかのように、その思いをホール一杯に伝えて行く。寸分違わず、豊かに、素敵な強弱を伴って、それは感動となって染み込んで来た。音には艶と迫力があり、もうそれは彼女の体だった。

「私はね、ヴァイオリンを弾いて来てほんとに良かったと思っています」

この言葉が、天満敦子の真骨頂ではないだろうか。そう思いながら、京都タワーの近くの居酒屋で、茄子の田楽とドテ焼きで、ボジョレヌーボーをグラスで頼んで飲んだ。まろやかな、いい味だった。その後から生ビールを飲んだが、今迄の飲み方の順番ではなかった。

型破りな豪快さも持ち合わせている天満敦子が繊細さも含めて聴かせる演奏に、生ビールが先だとか、ワインが先だとか、そんな事どうでも良く思えた事だった。