黒猫宅急便から小型の包みを受け取って、部屋の時計を見ると11時13分だった。だから、受け取ったのは12分だったのではないかと思う。

ドキドキしながら開けると、新聞紙で固められた中に桐の箱があった。もどかしくもその蓋を取ると、益子の土で焼かれたオカリナ、アルトC管が顔を覗かせた。昨日送ると連絡があったから、今日の午前中に届くだろうとじっと待機していたのだ。

上箱の裏には「益子白土オカリナ洋介」と毛筆で書かれ、落款が押されてあった。夏頃から1本頂きたいとお願いをしていたのだ。何故か?


Ranの名でユーチューブに幾つも投稿している若い女性を知らないだろうか。多分オカリナを吹いている人ならきっと知っていると思うのだ。いつも宗次郎さん推薦のTNGで吹いている女性。去年位から、綺麗な音を出す人だと感心しながら聴いていた。

その中原蘭さんの為に作られたオカリナを販売する記事をたまたま目にした。途中経過は割愛するが、それで注文する事にした。

蘭さんは息が強いらしく、「蘭forte」がモデルとなって販売される。蘭シリーズは今の所ACだけで、3種類しかない。息の弱い人用(natural12,000円)。普通位の息の人用(midium14,000円)。強い息の人用(16,000円)だ。

私は蘭forteにしたが、恐れる程の息圧が必要でもなく、これで良かったと思っている。思った程強くもない。

板垣洋介さんと言う方が作っておられるが、販売はこの秋口からだから、ずっと長い間作り続けている人でもない。中原蘭さんの教室の生徒さんであるらしい。そこで蘭さんと出会い、彼女の為に、彼女の注文を聞いて作り上げたと言う。来年は、2人のデュオを組んで、演奏活動もされると言う事も聞いた。

蘭さんのモデル。益子焼のオカリナ。それだけで触手が動くには十分だった。

黒か褐色のオカリナだと思っていたが、私に送られて来たものは焦げ茶色をベースに、右手の部分から背中にかけて、渋い橙色が2センチほどの段差のある帯状になっている。こんな色合いのものは持っていないので、とっても気に入った。

さて音だ。段々に吹きあがって、高音のレ・ミ・ファ辺りになると強い息を入れなければならない。それはどのACのオカリナでも大同小異で当たり前の事なのだが、forteとなると胸に引き寄せないといけない部類に属する。それはそれで表現が豊かに出来ると考えて良いだろう。

亜音のややくぐもった音とは違うし、澄んでいるけれどTNGの澄んだ音とも違っている。つまり、それらと違っていて良かったのだ。ではどんなオカリナかと言うと、女性作家の真っ白な庵オカリナに近い。違いは、庵は弱い息を吹き入れる必要があり(私は強い息が入れられるように少し弄ったが)、forteはやや強い息を必要とする所だろうか。

オカリナを選ぶ時、音がどんなに美しかろうが私は自分の指の位置が今までのオカリナと似ている事を重視する。持ち替えて吹いた時、穴が確実に押さえられなくて音が狂ってしまう事の方が恐ろしいからだ。

AC管「蘭forte」はこれから吹き込んで行きたいオカリナだと思っている。「ヒロミチ」のような音とは質を異にするが、気になる向きは検索してみても損はないと思う。

「土音オカリナ」と入力したり、「板垣洋一オカリナ」で入力したりすると、私が説明するまでもなく、或る程度の情報を得る事が出来るだろう。「土音」は「ひじおと」と読む。

蘭シリーズでなければ、AC管だけでなく、SC管からAC管まである筈だ。AG管からBC管までは特注になると思う。

昨日「Ocarina vol.19」が発売になったが、巻頭3ページに渡って、「ZOOM IN 中原蘭」の記事で、彼女の事が載っている。この事は、つい2、3日前に知り、三宮のヤマハに買いに行った。

板垣さんは、「自分に合ったオカリナを探すのではなく、そのオカリナに自分を合わせなければ良く鳴ってくれない」と言うような事を何処かに書いていた。意味の深い、味わいのある言葉である。

「蘭」と刻印のあるオカリナ。私のforuteには「0124」の数字も刻まれている。このオカリナはゆったりした曲に合いそうだ。初めて吹いてみたのが「いのちの歌」だった。

徐々に満足して行く自分がいる。素敵なオカリナになって行く予感がある。


このオカリナではないけれど、今欲しいオカリナが3つある。どれ1つ取っても、今年中には買えそうもない。その方が、いつまでも希望があっていいのかも知れない。しかも、あれこれしている内に、必要がなくなったり諦めたりするオカリナも出て来るだろうから。
路上ライブの次の日(23日)は、コープの卓球大会である。明石から須磨辺りまでのグループが参加する。非常にアバウトだが、AからFグループまでに分けられ、それぞれが5チームだったり6チームだったりする。つまり、30チーム以上が参加している事になる筈だ。

私達はFグループで、6チームのリーグ戦だ。1チームはダブルス3組でそれで戦うが、リーグの場合のみ、2組目で勝ち負けが決まっても、3試合目もやる。全員が楽しめる為だ。ここで5試合出来るのである。

9時に間に合うようにバスに乗ったが、もう数人のいつもの顔触れがあった。日曜日だと言うのにバスは満員になった。或る女性がハンカチで額を拭っていた。それを見た途端、急に暑さを感じて来た。意識とは面白いもので、本当に人いきれでムッとする程の体感が襲った。

垂水東口で降り、暫く歩くと垂水体育館はある。9時から開くと思っていたが、もう開いて、卓球の参加受け付けをしていた。

広いようで狭い2階の体育館には、12台の卓球台を置く事で精一杯のようだった。後は1階の体育室を使った。ここには4台が並べられていた。私達は2階で試合をした。

もうその場でペアを決めた。私だけが男(男子は1チームに2人まで出られる)だが、私のペアになる人はKaさんと言い、最後まで固定した。

昼過ぎまで掛かったが、リーグ内での5試合で、私達ペアは4勝1敗だった。チームとしては3勝2敗となり、リーグ内では3位か4位だろうなどと話し合っていた。

それが決定すると、1位グループから6位グループに分かれてのトーナメント戦となる。各グループの優勝から3位までが表彰される事になり、少ない賞金と参加賞を貰う。

私達のリーグには、毎年1位グループで優勝しているRと言うチームがいる。私達は1位通過は元より、2敗しているので2位通過も難しい。よしんば通過しても、入賞は無理と言うものだ。過去が立派に証明している。

1階で昼食を摂るように指示されていて、降りると満席だった。入口のソファーかベンチの中間位の長椅子2脚に6人が座り、私は朝買って置いたカルビ弁当を食べた。全面白米に肉片が覆い、それはそれは美味く、食べ応えがあった。セブンイレブンのそれは、もう1度買って来て、家で温めて食べてみたい気がする程だ。

前日にTVで観ていた新発売のおにぎりを2種類買って食べる積もりだったが、私には何だか躊躇するものがあり、その下に並んでいたカルビ弁当が私に声を掛けて来た。可愛い声だったので、それに決まった。カルビ弁当はたった1つしかなかったのだ。

食べ終わって再開の1時半になる前に2階に上がった。何位グループか見た。目を疑った。2敗しているのに2位グループに入っていた。後で聞くと、細かく点数が記録されており、その合計が3位になったチームと1点差だったとの事だった。

下位のグループに入る程優勝は狙えると思うが、2位になるなんて珍しくもまた遣り甲斐も出て来ると言うものだ。

これは2位グループ6チームのトーナメント戦だから、2つ勝っても負けてもそこで終わりとなる。

シードと言えば聞こえはいいが、ただ形はそのようになっていて、1回戦に勝てば準優勝は確定する。シードならではの恩恵かもしれない。

因縁の嫌なチームがいて、厳密にはその中の1人の女性だが、それを思い出してしまった。そのチームと当たったのである。それだけなら良かったが、去年嫌な気にさせられたその女性のペアと私達のペアが、1番手でぶつかった。こんなマイナーナ感情など書きたくもないが、ここまで思い出されてしまっては心穏やかではなかった。

主審は相互にじゃんけんで決めるが、1回戦の主審は向こうのチームから出ていた。最初は何とも感じていなかったのに、私の相棒のサービスのトスが短いと言って注意して来たのだ。決まりでは、トスは16センチ以上掌から上げなくてはならない。これは投げ上げサーブでもしない事には、守れている人はほんの一握りである。

相棒も、上がっているのにと不審顔だった。それに止まらず私のサービスの時にも注意した。しかも、私の傍まで寄って来て。普段、サービスの事にはとても注意しながら練習しているから、こんな指摘を受けるなどあるとは思っていなかった。自分では上げているのだ。他のグループでは、そんな指摘などしていない様子で、和気藹々と試合を進めている。私は気分が悪くなった。

これは国体などの試合なのだろうか。親睦の精神がなくて何の参加だろうと思った。各所で行われているコープの卓球教室が一堂に会して知り合ういい機会なのである。執拗に注意する事が必要なのだろうか。目の錯覚だってあるのだ。

挙句の果てはそのグループの責任者にその事を訴え、その人にも注意をさせた。どんな考えを持っているのだろうか。

相手チームからも、「自分達も上がっていないから」との声が聞こえた。それでも気持ちは納まらない。そんな精神的ダメージを与えて自分のチームを有利に進める積もりなのか。滅多な事で注意はしないのだが、高飛車に言って来る。手に握ったり、全く上げないでサービスする人には注意しなければならないと思う。私の球がそこまで上がっていなかったのだろうか。

「上がっていないと、サービスが有利になります」

なんて事まで言われた。私の横切り回転や下切り回転には通用する人には威力を持つ。もしそれが取れないから言われていたとしたら、それは心外だ。

この主審をしている女性も、自分は卓球の申し子だみたいな態度を取っている。それが、今戦っている女性も去年そうだった。ごちゃごちゃ私が主審をしていた時に難癖を付けていた。その女性と当たっているのだ。その時はその女性は執拗ににやにや笑っている。私もそんな気持ちを引き摺っては駄目だと思い、態度を変える事にした。それも何処かに残っているから、そうすぐには上手く行かなかった。

冷静だったら勝てている相手だったが、

「強いから私達が負けるわ」

などと口走りながら試合を続ける。その笑っている顔が、皮肉な顔に見えた。最後の私のサービスを跳ね返されて万事窮すだった。その時、同じサービスを2度続けたが、2つ目は変えれば取れなかった事は99パーセント間違いではなかったと思うが、気持ちの余裕のなさから同じサービスをしてしまった。

どちらにしても、あいての所為にしてはいけないのである。そう言う精神面でも勝っていなければならないが、余り見た事のないサービスの注意のされ方には恐れ入るばかりだった。中立の審判員なら分かるけれど、相手側から出ている主審が、自分のチームに同じ注意をする訳がない。

今回は、因縁の対決となってしまった。私は負ける訳には行かない。昨日のアルコールもまだ十分に引いてはいず、体はだるかった。だが、一球一魂で戦った。楽しくも何ともない。だが、そんなに苦労もなく勝ってほっとしていた。挨拶をして後ろの壁際に戻った。

よっこらしょと座った時だった。試合をした相手が2人こちらに来て、握手を求めた。

「試合が終わったら握手するでしょう」

と言いながら。私はもうすんなりとは立てなくてそのまま手を出して応じた。その捨て台詞が凄かった。

「この人は、立ちもしないで握手をした」

と。

終わった時。たまにその場で握手をする事はあったが、こんな所まで態々握手をしに来る相手を見た事がない。しかも、相手は負けているのだ。負け惜しみを言いに来ただけかもしれないと思った。お互いに健闘を称え合う握手とは、到底思えなかった。

主審の事さえなかったら、こうまで書かなかったし、そんな事はもう忘れさえしていた。それを思い出したからだったが、そんな主審に注意されたのだったら、勝つ事しかないのではなかったか。親睦とは程遠い、私には信じられない光景だった。

私達のチームは私達のペアが勝っただけで、全体では1対2で負けた。勝ったらスカッとしただろうが、負けた事には拘ってはいない。そんマイナス思考を引っ提げて来年も参加するのはご免である。

リーグでの最強の相手は全部3対0で、1位グループに名を連ねていた。私達のグループも2敗したが、3番手で出た私は、その力を知りたかった。スカートと短パンを穿いた、自信に満ちた女性のペアだった。1セット目はきつかったがジュースに持ち込み、勝ちを拾った。2セット目は相手が警戒し出した。チャンスだったが、私の積極性が発揮されなかった。1、2本は、自分でも驚くほどの低い球のスマッシュが決まったけれど。結局1対2で負けた。アルコール負けか。

この時の得点が3位と1点差で2位になったのではないかと、チームの者達が言っていた。点数ではなく、このジュースは貴重な体験だった。因みに私達ペアは全部で7回試合をした事になるが、Rには負けたけれど6勝1敗の結果となった。

1時半からトーナメントの試合で2回戦からの出場だが、残念ながら敗退した。これで帰るのだと思った矢先、3位決定戦があると言われた。それには皆の力で勝つ事が出来、3位になれた。因みに私達ペアは全部で7回試合をした事になるが、Rには負けたけれど6勝1敗の結果だった。

2位グループの中での3位は快挙だと思うが、それでも自分も強くなったと思える所がある。日曜日に1回だけの練習だが、それでも自分なりに課題を儲けて練習した積もりだったから。化石でも進化するんだなと、妙な事に感心する自分に感心した。
22日は10時までに行く事になっていた。

元町商店街の4丁目は、いつになく活気を帯びていた。宍粟市の産物を並べる準備がされていた。アーケードの通りの真ん中にそれぞれの物産を乗せる大き目のテーブルが4丁目の端から真ん中辺りまで並べられ、その詰まりにテレマン楽器の音響機材が設営されようとしている所だった。

道路の真ん中に3丁目に向かって2つのスピーカーが備えられ、その両側が通路となる。椅子も確保され、12脚のパイプ椅子が変則に、5列に並べられた。

背中しか見えないが、背の高い女性がいた。テレマンの従業員かと思った。近付くと、それは玉田るみさんだった。ツッキーさんの話の後ろには、べた褒めのプロ達の姿が浮かぶ。私は、そんな中で演奏を強いられていた。

ハンチング帽子を被った男もいて、それが小林俊介さんだと分かるのに時間は掛からなかった。両方に挨拶を済ませ、私はるみさんと、設営の続きを見ながら喋り始めた。色々話したが、彼女は22歳だと言う事、5年前からオカリナヲ始めた事、家の中だけで吹きこのような演奏をするようになるなど思ってもみなかった事などが分かった。ツッキーさんやふんずさんを、彼女はよく知っていた。

暫くして、彼女から音出しが始まった。全部、エレクトーンとのコラボをするらしかった。凄い音が響き渡った。私にとっては初めての大音量だった。テレマンの若社長は、3丁目の方に歩いて行って、音の大きさや伝わり具合を確かめていた。私もファーストステージが始まり、るみさんの演奏が始まった頃、同じ方に歩いてみた。4丁目と3丁目の境に行っても、その音は小さくなってなっていても、かなりよく聴こえた。

私も音出しをした。先ず小林さんの伴奏と最初の曲「天空のオリオン」を合わせてみた。すぐ途中で切った。次に合わせる「stand alone」もその次の「千の風になって」も途中で切った。

CDで普段演奏している私は、CDには慣れっこになっていた。彼と合わせるのは少し違っていて、恰好いいものの、出だしを間違ったりする可能性は十分にあった。しかし、演奏しづらい事は分かっていても、これこそがコラボの醍醐味だし、こんなチャンスを逃す訳には行かなかった。

後はCDでの音量などを試したが、ダビングしているCDが鳴ってくれるかが最初の懸念している事だった。これが大丈夫だった事は、今日の明暗を大きく決定する。駄目だったら全部がアカペラになり、そんな事があっては絶望的だ。

「11時15分からしましょうか」

と若社長は言った。何故かと言うと、彼がグループでする「楽団四想」の演奏がなくなったと言う。中心の演奏者が盲腸炎になって、演奏が出来なくなったそうだ。すると私が最初に演奏し、玉田るみさんが演奏したら1つのステージは終わるのだ。

路の端っこに据えられたミキシングの機器や、販売の為に置かれたオカリナ、るみさんのCDのあるテーブルの後ろに座った。そこにシマさんとそらの陽さんが姿を現した。そらの陽さんは午後から自分の演奏で聴けないと分かっていたのだが、シマさんは3時から来るといっていたから吃驚した。午後から用事があるとの事だった。

シマさんはブログに載せられていた、叔母さんから送られて来た小さなバナナと黒糖をお土産に持って来てくれた。初めて見る小さな奄美のバナナだ。普通のものより甘く、味わいが違った。これは、家に帰ってから早速1個食べた感想だ。そらの陽さんもチョコレートをお土産にくれ、気を遣ってくれたようだった。

この時間帯に、他に3人の知人が来てくれていた。5人共、その12脚の椅子に座っていた。

ファーストステージの最初は小林さんの伴奏だ。拍子を数えていなければ、上手く入って行き難い。いつも2人で練習していたらそれこそ完璧なのだろうが、所謂ぶっつけ本番なのだった。

だが、響きは最高だ。後ろから音がしっかり聞こえる。右を見れば彼の姿があり、私を援護してくれる。また、彼の解釈に依る溜めなどが伝わって来る。プロとは、こう言った人の事を言う。何でも来いで、コード進行を元に、伴奏が進んで行く。

リバーブが凄い効きだと思った。こんなに響いてもいいのだろうかと思ったが、るみさんも同じように自分には響いて聴こえていた筈だ。それが、離れて聴くと、素敵に響くのだ。つまり、私の演奏も響きは素敵な筈だった。

1st stage

天空のオリオン(小林さんの伴奏)
平城山
津軽海峡・冬景色
里の秋

「里の秋」はアカペラで加えた。20分に少し時間が余るからだった。それで、全曲14曲に考えていたものが15曲となり、ステージ毎に5曲ずつとなった。

私が20分で、るみさんは40分の演奏だった。時間は知る由もない事だったが、彼女はプロとしての演奏である。私は皆には前座だと言って演奏した。私をちらちら見ながら通り過ぎる人。立ち止まり聴いている人。写真を撮っている人。様々な人がいた。それが路上ライブなのだ。道行く人達に聴く事など強要されないし、遠慮などしないで歩けばいい事なのだ。ホールとは訳が違うのである。

私は大きなミスを犯した。ファーストステージでは一番の売りの「津軽海峡・冬景色」だったが、アルトC管でツーコーラス吹き、最後はソプラノC管でサビの後半部分を吹く。それが、ワンコーラスが終わったのかツーコーラスが終わったのかしっかり把握していなかった。

なんと後半部分になっていたのだ。手には有るとC管を持っている。もうソプラノC管には持ち替えられない。明らかに変な音が出て、そこからは手に持っていたアルトC管で吹き終えた。サビの部分をソプラノで響かせるのが売りだったのに、サビが本当に錆び付いてしまった。

「ちょっとおかしくなったの分かりましたか」

そう言いながら、

「ここには私よりお歳の人はおられませんが、皆さんもいずれ私のようになります」

と、トークで凌いだ積もりになった。だからと言っておかしくなった所が修正される筈がない。笑いで誤魔化したが、こんな大ミスでも、後悔がないと言うのが不思議な位だった。12席の人達の温かい笑顔があったからだろうか。それとも人通りの中、これがライブの良さ? なのだろうか。ホールだったら一大事である事は確かだった。

閑散としていると思われた4丁目だが、結構な人通りだ。昔はこの辺りでは、閑古鳥が鳴いていた筈だったのだが。

昼食は、若社長以下我々4人で食べるものと思っていた。だが、売り物が置いてあるし、我々のオカリナなども置かれている。それぞれが好きな所で食べて、領収書を貰って来る事になった。私はハンバーグランチとコーヒーにして、1時20分からのセカンドステージに間に合うように、早目に戻った。若社長と小林さんは2人で弁当を食べていた。小林さんがそこらで買って来たそうだ。だったら、私もそれで良かったのだ。

るみさんはお母さんとおばあさんがが来ていて、その食堂で合流したようだ。おばあさんとは話す事が出来た。

「素敵なお孫さんですね。楽しみですね」

と言った。

少し慣れて来たが、一番気にすべきは、間違わない事だった。しかし、これは守って出来る事ではなかった。音楽とは、次々に規則に従って刻んで行かなければならない音の流れだと思うからである。

2nd stage

故郷の原風景
船頭小唄
stand alone(小林さんの伴奏)
さとうきび畑
崖の上のポニョ

誇張した演奏と言うか、サビ部分はかなり気張って表現した積もりだった。これが私の演奏パターンかも知れない。相変わらず路を通り過ぎる人もいたが、立ち止まって椅子の横に立つ人、後ろに立つ人などがはっきり分かった。気を取られるとミスを誘発するので、特に集中が必要だった。

退職をしてから白馬に移住したKaさん夫婦が聴きに来てくれた。それは懐かしく、素敵な再会だった。あれから10年は経ったと思うが、1度白馬を訪ねたかったのは事実だ。だが、彼らは、また神戸に戻って来た。後から皆で飲もうと言ったが、奥さんんも一緒だし、私とゆっくり飲みたいと言うので、今回は別れる事にした。大きなお菓子の詰め合わせのお土産を貰った。兎に角彼は10年前と違ってはいなかった。ただ懐かしい気がした。

私とは従姉妹になるTちゃんも来てくれていた。出雲の妹が連絡していたのだ。忙しい合間を縫って、駅から走って来たと言う。汗を拭いていたので、時間がアバウトなのが悪かったが、ちゃんと聴いて貰えて良かった。

るみさんは、同じパターンに1曲位違った曲を入れ替えて演奏した。40分を3回、全部曲を違えるのは大変だと思った。

12席はいつも満員だった。周りに人だかりが出来るようになった。これこそ路上ライブの醍醐味である。誰も関心を持たずに素通りされたら、心が騒ぎ穏やかではないだろう。

Ki君もK君もS君も来た。サードステージの前に、終わったら行く所が即決した。

3rd stage

リュブリャーナの青い空
越冬つばめ
アランフェス協奏曲
赤とんぼ
千の風になって(小林さんの伴奏)

多分、サードステージが一番乗っていただろうか。選曲の変化が一番大きかったかも知れないし、思い入れの曲もあったり、リバーブや響きにも慣れたしで、自分で勝手に盛り上がっていた。曲に支えられているとも思った。おっと、聴いてくれている人達が1番だ。

るみさんの演奏は昼前から3度聴いたが、ずっと聴く者としては聴く事に慣れ過ぎてしまう感を免れなかった。だが、演奏そのものは素晴らしいと言うしかない。セカンドステージではアンコールが起こった位だから。私には勿論アンコールはないが、

「私は玉田るみさんの前座ですから、本命は私の後にいます」

と言っていた事も影響しているだろうし、それも言い訳に聞こえるかな。だが、何はどうあれ、今日の演奏に関しては自分のミスは放置して、この音響の満足度が今までになかった程大きかった事だけは記して置きたい。

小林さんに関しては、老祥記で豚まんを買って来て我々に振る舞ってくれる優しさがあった事を付け加えて置く。とても親しみを感じさせるくれる人のようだ。また何かの折りに伴奏とかパーカッションとかをお願いしてもいいかと聞いたら、快い返事もしてくれた。

演奏全てが終わり挨拶を交わし、その場を3人の友と一緒に離れた。3丁目の方に向かう途中には、宍粟牛のコロッケがあり、それと串カツを買った。家で食べようと思った。K君とS君はその場で買って食べていた。

試飲は小さなプラスチックのコップに、300円とか500円のものがある。「一献」を買った者もいる。私は「老松」の300円の試飲をした。「老松」の古酒を500円で買った者もいる。少しずつ飲み合いをしたが、フルーティーだとか甘かっただとかしたが、私のが適当に辛口で旨かったような気がする。

ニューミュンヘンでビールで唐揚げの積もりだった。だが、Ki君は3丁目にある「青葉」に我々を連れて行った。7時までには見回りで帰らないといけないからとの理由もあるが、彼の行きつけの店なので、そこに誘われた気もしないではない。鰻の店である。コースなので、酒のあてにはキラキラ光っている。

ビールを飲み、日本酒を飲み、芋焼酎に梅干しを入れて貰って飲んだ。

出雲出身のミニ同窓会となった。懐かしさも伴い、話が弾んだ。Ki君を除いた2人は、甲子園での出雲高校の応援以来だったからだ。私の演奏の事も話してくれたが、音響の凄さの所為だったのか、頻りに褒めてくれた。

「音を聴いて、立ち止まる人が結構いたよ」

と。それは有り難い話だった。

Ki君が帰らなければならない時間になった。彼と別れると、3人はニューミュンヘンに入って行った。生ビールと唐揚げでまたまた話が盛り上がった。今ここで言う事は出来ないが、S君の言う事は凄い提案だった。その時が来たら、ブログに載せるかも知れないが、今は明かせない。

その後、ジャンカラへと向かった。S君が歌いたいと言うのを初めて聞いた。彼は吹田に住んでおり、K君は宝塚に住んでいる。それなのに、30分が1時間になった。何を歌ったかさっぱり覚えていないが、歌った事だけは事実だった。

S君はいつになくはしゃいでいた。その時、私は思った。「実現こそ夢」だと。

もっと分かり易く言うと、「現実になる事こそ全てだ」と言う事だ。S君は、それを頭に描いたのではなかったか。私は、今日の路上ライブの事を思い描いていた。終わった時に初めて、それは現実として獲得されるのである。

「夢が実現した」と言えばいいのだろうが、「実現こそ夢」とは、ニュアンスや進行性が違う。思っていた事が結果的に叶った事を差すのが「夢が実現した」のであり、実現と夢がイコールで同じ土俵に存在する積極的な意味を持つのが「実現こそ夢」なのだ。

オカリナ1つにしても、こうしてまた新しい発見があった。このような機会が与えられ、信じられない姿で実現した事は正に現実の夢だったと言えるだろう。
もう暗くなった頃の我が家への帰路。曇りのないまん丸い月が、皓皓と輝いていた。もうすぐ4歳になろうとする孫が、2日前に車の中から「お月さまがついて来る」と言った。自分も小さい頃、それが不思議でならなかった。500mや1,000mなら、前にいる月もすぐに後ろに行ってしまうだろうが、37万kmも先にある月がついて来るのは、今はよく分かる。

2日前にKi君から電話があって、加古川のO君が久し振りに会いたいと言って来たと言った。こんな歳になると人恋しい時もあろう。それが、今日の1時に明石駅に集合となった。

私は朝、そう言う事もあって、クリニックに9時までに行った。沢山の人だったが、意外に早く進み、9時30分には名前が呼ばれた。何故か咳が出て、鼻水が出て、痰が出て、食道の辺りがゼイゼイ言っていた。いつもなら放っておくのだが、これは一大事だった。

22日には元町商店街で、路上ライブがあるのだ。練習中も、オカリナを吹いている時に咳込んだ。これが本番で起こったら悲劇だ。土曜日の今日は、幸い午前中は診察をしてくれる。意を決して診て貰った。

4つの薬と吸入薬が出された。「フェキソフェナジン塩酸塩60mgEE」、「アスベリン錠20mg」、「アンブロキソール塩酸塩錠15mgタイヨー」、「レボフロキサシン錠500mg日医IP」と吸入薬「フルタオド100ロタディスク」だ。

隣りの薬局に行った。目がよく見えるようになった所為か、調剤をお願いした薬剤師も、説明をしに来た薬剤師も、久し振りに美人だった。笑顔も素敵で、説明もしっかり聞いたが、喋らずにはおれなかった。

「この吸入器で思い切り吸い込んで下さい。そして、粉末が外に出てしまうと勿体ないですから、口を閉じて5秒間数えて下さい」

「目は閉じなくていいですか」

可笑しそうに笑うと、

「それはいいです」

と言った。

主治医は、喘息の傾向もあるのでこの吸入薬を出してくれたのだった。アレルギー性鼻炎を押さえる。咳を鎮める。痰の滑りをよくする。感染を防ぐ。と言った、納得の行く薬が出され、しかも喘息発作を予防する吸入薬が出される事に、もう治ったような気がしていた。マイコプラズマではなかったみたいだった。

孫5人が来ていたが、明石に出掛けた。明石駅には12時40分過ぎに着いたがO君が私の肩を叩き、すぐ前にはKi君がいた。私は1時までどうしようかと思っていたが、私が3番目だった。古稀を過ぎると暇になるのだろうか、気が急くのだろうか。

O君が是非連れて行きたいと言う、明石港「ジェノバライン」の近くの「みどり食堂」に着いた。昔からの漁師を相手にする、食べたい皿を勝手に取って来るシステムの店だった。鯖の煮付けや鯛の粗炊きなどを取って来て、昼間から生ビールを飲んだ。

Ki君が度々立ち上がってオカラやヒジキの煮物を取って来た。芋焼酎のお湯割りに梅干しの入ったものも注文した。その後Ki君は梅干しの入っていないもの、私は入っているものを注文した。2つ同じものが来たので私は、

「梅干し入りを注文したんだけど」

と言うと早速梅干しを入れて来てくれたが、1個の筈が2個入っていた。

漁師を相手にしていたと思われるこの店の形跡は、朝7時から営業している事だったが、終わるのも夕方は7時半仕舞いだった事に見られた。

下町の、歴史の有る店を出て、O君は「ジェノバライン」に誘った。

500円で岩屋港まで行く事が分かり、3人はその船に15分間乗った。明石海峡大橋をを見ながら、あっと言う間に淡路島に辿り着いた。流石にこれはなかった計画だ。

海を渡って明石から淡路島まで。これだけでもロマンを感じた。渡って30分したらすぐにまた明石に帰る積もりにしていた。男女4、5人がサビキの釣りをしていた。主にマイワシを釣っていた。すぐに2、3匹が釣れた。

すぐ近くに風化した岩があった。その岩は、マーブルのような珍しい模様をしていた。石に、歌が刻まれていた。西行の歌だった。

千鳥なく 絵島の浦に すむ月を 波にうつして 見るこよいかな

この歌を見て、家路に向かう暗くなった頃に、美しい満月を見ようとは思わなかった。

明石に着くとKi君が、カラオケに行こうと言った。言い出すとひっこめない彼は、カラオケが好きで溜まらないのである。ないと思っていたのに、駅の近くのビル6階に「ジャンカラ」があった。

私はあんまり歌いたくなかった。すぐに喉が痛くなるし、叫ばないと歌えない。昔ならまだしも、自分でもお世辞にも上手いとは言えなかった。だが、昔歌った歌を少し歌う羽目になった。Ki君はどんどん歌って行く。O君と私は、その後を追った。

暫くして精密な点数が出る事が分かった。何点であろうと、そんな事上手い下手とは関係がない。後半は点数を出しては一喜一憂した。この前TVで、3人が100点を出して優勝したのをずっと聴いていた。それと同じシステムだろうと思った。

声が外れると赤い色になり、ビブラートが入るとポイントが増える。「夜霧よ今夜もありがとう」を歌った。声の音程の正確性が乱れている。自分が歌うように歌った。カラオケに合わせる気持ちは更々なかった。だが、小数点以下は覚えていないが、89点だった。この機械、適当に緩めてあると思った。

えらい長く歌っていると思い、Ki君に聞いた。2時間頼んだと言った。道理でゆったりしていたが、2時間がこんなに早く経つとは思わなかった。

そうしてO君は西へ、Ki君と私は東へと分かれた。私は垂水駅で降り、バスに乗った。

西行は、澄む月を波に映して見たが、私は空をついて来る満月を見た。西行も、同じ満月を見たのではなかったか。
おひまなら来てよネ 私淋しいの♪

おひまなら来てよネ、元町商店街の4丁目にね。

私淋しいの、と言うのは意味がちょっと違うのだけれど。


【お知らせ】

今日、電話ではっきりしてきたことなので、先ず間違いはないと思う。

宍粟市はかつて宍粟郡だったが、今は市になった。その宍粟市に山崎町がある。その中に山田180-3、テレマン楽器が凛として佇んでいる。いや、君臨している。

楽器屋さんだがオカリナの扱いもかなりなもので、テレマン楽器に電話すれば何でも揃い、相談にも乗ってくれる。

元町商店街4丁目では、宍粟市を知って貰う為のイベントが行われる。10月22日と23日、11時から18時までだ。

主催は山崎中心市街地活性化委員会。協賛は神戸元町4丁目商店街振興組合とこうべまちづくり会館。

酒蔵通りの宣伝では、播州一献、千年の藤、老松、松風、善次郎などの酒が販売される。試飲はあると信じている。

宍粟牛コロッケや宍粟牛ステーキ。泳がせあまごの塩焼き。しそスイーツ。農産物。木工品。里山の木。山野草など、魅力溢れるものが販売される。

そして、テレマン楽器は、音楽で宍粟市をアピールする役目を担った。

私が電話を受けたのは、若い社長さんからだった。寝耳に水の事で、私にもオカリナの演奏をしてくれないかとの話だった。数多オカリナ吹きは溢れる程いる中で、何故私が、と思った。しかも玉田るみさんと言う新進気鋭の、それこそ彼女が前座演奏をしたり共演をしたりしたプロが、舌を巻いたオカリニストだ。21歳位だと思う。そんな凄テクの女性と一緒の路上演奏をと言うのだった。

2日間でもと言われたが、22日は出演出来ると言っていた。23日は、ずっと前から決まっている団体の卓球の試合に出なければならなかった。況してやダブルスだから、断る事は不可能だ。

だから、私は22日(土)だけの演奏となった。それで良かったのだと、本当にそう思った。

テレマンの楽団。私。玉田るみ。この順番で3回演奏する。

1回目は11時から。2回目は13時から。3回目は15時からだ。私の持ち時間は20分で、

1回目 11:20~11:40

2回目 13:20~13:40

3回目 15:20~15:40

の3回、凡そこの時間だ。

さて場所だが、大丸側の元町商店街からだとイタリア製フルラのバッグの店を見ながら、元町1番街に入って行く。その通りには、三宮に移ったヤマハ楽器があったのである。

そこをもっと行くと3丁目になり、すぐ右手に若い女性に人気のカフェ観音屋がある。その通りを更に歩くとイベントのある4丁目がある。音が聞こえるし、何かが売られていたりしたら場所はすぐに分かると思う。その先5丁目には、ひっそりとした場所に書道用品で有名な「みなせ」がある。その先は6丁目で終わりとなる。かつて、三越デパートがその先には有った。

私の経験では、4丁目は賑やかな所ではないようだった。微妙な場所で、イベントがある事を知って来る人があれば集まると思われる。音に導かれたなら、関心のある人は来てくれるだろうか。

私は人数に期待はしない。路上のコンサートは、歩く人の思いと勝手でしかないからだ。だから、只管一生懸命に演奏するしかないのだ。人がいなかろうがいようが・・。どうなるかは、私が考える事ではないのである。

このブログを読んで、タイトルではないが、来れる方々は是非来て、聴いたり食べたり買ったりして頂きたい。オカリナの立場から言えば、私はもう1つであっても、玉田るみさんの演奏は別嬪さんである。是非聴いて、これがオカリナか、と言う事を感じて頂ければと思っている。

何故私がと言う疑問は残るが、少なくとも玉田るみさんの演奏を聴く事は、オカリナ演奏の新しい1ページを開くと思うのだ。私自身も、それを期待している。

長いお知らせになった。

10月22日(土)。11時。13時。15時。それぞれの時刻から、3組で約1時間位の演奏になるようだ。

五月みどりの歌のタイトルが耳を衝く。 「おひまなら来てね」。