22日は10時までに行く事になっていた。

元町商店街の4丁目は、いつになく活気を帯びていた。宍粟市の産物を並べる準備がされていた。アーケードの通りの真ん中にそれぞれの物産を乗せる大き目のテーブルが4丁目の端から真ん中辺りまで並べられ、その詰まりにテレマン楽器の音響機材が設営されようとしている所だった。

道路の真ん中に3丁目に向かって2つのスピーカーが備えられ、その両側が通路となる。椅子も確保され、12脚のパイプ椅子が変則に、5列に並べられた。

背中しか見えないが、背の高い女性がいた。テレマンの従業員かと思った。近付くと、それは玉田るみさんだった。ツッキーさんの話の後ろには、べた褒めのプロ達の姿が浮かぶ。私は、そんな中で演奏を強いられていた。

ハンチング帽子を被った男もいて、それが小林俊介さんだと分かるのに時間は掛からなかった。両方に挨拶を済ませ、私はるみさんと、設営の続きを見ながら喋り始めた。色々話したが、彼女は22歳だと言う事、5年前からオカリナヲ始めた事、家の中だけで吹きこのような演奏をするようになるなど思ってもみなかった事などが分かった。ツッキーさんやふんずさんを、彼女はよく知っていた。

暫くして、彼女から音出しが始まった。全部、エレクトーンとのコラボをするらしかった。凄い音が響き渡った。私にとっては初めての大音量だった。テレマンの若社長は、3丁目の方に歩いて行って、音の大きさや伝わり具合を確かめていた。私もファーストステージが始まり、るみさんの演奏が始まった頃、同じ方に歩いてみた。4丁目と3丁目の境に行っても、その音は小さくなってなっていても、かなりよく聴こえた。

私も音出しをした。先ず小林さんの伴奏と最初の曲「天空のオリオン」を合わせてみた。すぐ途中で切った。次に合わせる「stand alone」もその次の「千の風になって」も途中で切った。

CDで普段演奏している私は、CDには慣れっこになっていた。彼と合わせるのは少し違っていて、恰好いいものの、出だしを間違ったりする可能性は十分にあった。しかし、演奏しづらい事は分かっていても、これこそがコラボの醍醐味だし、こんなチャンスを逃す訳には行かなかった。

後はCDでの音量などを試したが、ダビングしているCDが鳴ってくれるかが最初の懸念している事だった。これが大丈夫だった事は、今日の明暗を大きく決定する。駄目だったら全部がアカペラになり、そんな事があっては絶望的だ。

「11時15分からしましょうか」

と若社長は言った。何故かと言うと、彼がグループでする「楽団四想」の演奏がなくなったと言う。中心の演奏者が盲腸炎になって、演奏が出来なくなったそうだ。すると私が最初に演奏し、玉田るみさんが演奏したら1つのステージは終わるのだ。

路の端っこに据えられたミキシングの機器や、販売の為に置かれたオカリナ、るみさんのCDのあるテーブルの後ろに座った。そこにシマさんとそらの陽さんが姿を現した。そらの陽さんは午後から自分の演奏で聴けないと分かっていたのだが、シマさんは3時から来るといっていたから吃驚した。午後から用事があるとの事だった。

シマさんはブログに載せられていた、叔母さんから送られて来た小さなバナナと黒糖をお土産に持って来てくれた。初めて見る小さな奄美のバナナだ。普通のものより甘く、味わいが違った。これは、家に帰ってから早速1個食べた感想だ。そらの陽さんもチョコレートをお土産にくれ、気を遣ってくれたようだった。

この時間帯に、他に3人の知人が来てくれていた。5人共、その12脚の椅子に座っていた。

ファーストステージの最初は小林さんの伴奏だ。拍子を数えていなければ、上手く入って行き難い。いつも2人で練習していたらそれこそ完璧なのだろうが、所謂ぶっつけ本番なのだった。

だが、響きは最高だ。後ろから音がしっかり聞こえる。右を見れば彼の姿があり、私を援護してくれる。また、彼の解釈に依る溜めなどが伝わって来る。プロとは、こう言った人の事を言う。何でも来いで、コード進行を元に、伴奏が進んで行く。

リバーブが凄い効きだと思った。こんなに響いてもいいのだろうかと思ったが、るみさんも同じように自分には響いて聴こえていた筈だ。それが、離れて聴くと、素敵に響くのだ。つまり、私の演奏も響きは素敵な筈だった。

1st stage

天空のオリオン(小林さんの伴奏)
平城山
津軽海峡・冬景色
里の秋

「里の秋」はアカペラで加えた。20分に少し時間が余るからだった。それで、全曲14曲に考えていたものが15曲となり、ステージ毎に5曲ずつとなった。

私が20分で、るみさんは40分の演奏だった。時間は知る由もない事だったが、彼女はプロとしての演奏である。私は皆には前座だと言って演奏した。私をちらちら見ながら通り過ぎる人。立ち止まり聴いている人。写真を撮っている人。様々な人がいた。それが路上ライブなのだ。道行く人達に聴く事など強要されないし、遠慮などしないで歩けばいい事なのだ。ホールとは訳が違うのである。

私は大きなミスを犯した。ファーストステージでは一番の売りの「津軽海峡・冬景色」だったが、アルトC管でツーコーラス吹き、最後はソプラノC管でサビの後半部分を吹く。それが、ワンコーラスが終わったのかツーコーラスが終わったのかしっかり把握していなかった。

なんと後半部分になっていたのだ。手には有るとC管を持っている。もうソプラノC管には持ち替えられない。明らかに変な音が出て、そこからは手に持っていたアルトC管で吹き終えた。サビの部分をソプラノで響かせるのが売りだったのに、サビが本当に錆び付いてしまった。

「ちょっとおかしくなったの分かりましたか」

そう言いながら、

「ここには私よりお歳の人はおられませんが、皆さんもいずれ私のようになります」

と、トークで凌いだ積もりになった。だからと言っておかしくなった所が修正される筈がない。笑いで誤魔化したが、こんな大ミスでも、後悔がないと言うのが不思議な位だった。12席の人達の温かい笑顔があったからだろうか。それとも人通りの中、これがライブの良さ? なのだろうか。ホールだったら一大事である事は確かだった。

閑散としていると思われた4丁目だが、結構な人通りだ。昔はこの辺りでは、閑古鳥が鳴いていた筈だったのだが。

昼食は、若社長以下我々4人で食べるものと思っていた。だが、売り物が置いてあるし、我々のオカリナなども置かれている。それぞれが好きな所で食べて、領収書を貰って来る事になった。私はハンバーグランチとコーヒーにして、1時20分からのセカンドステージに間に合うように、早目に戻った。若社長と小林さんは2人で弁当を食べていた。小林さんがそこらで買って来たそうだ。だったら、私もそれで良かったのだ。

るみさんはお母さんとおばあさんがが来ていて、その食堂で合流したようだ。おばあさんとは話す事が出来た。

「素敵なお孫さんですね。楽しみですね」

と言った。

少し慣れて来たが、一番気にすべきは、間違わない事だった。しかし、これは守って出来る事ではなかった。音楽とは、次々に規則に従って刻んで行かなければならない音の流れだと思うからである。

2nd stage

故郷の原風景
船頭小唄
stand alone(小林さんの伴奏)
さとうきび畑
崖の上のポニョ

誇張した演奏と言うか、サビ部分はかなり気張って表現した積もりだった。これが私の演奏パターンかも知れない。相変わらず路を通り過ぎる人もいたが、立ち止まって椅子の横に立つ人、後ろに立つ人などがはっきり分かった。気を取られるとミスを誘発するので、特に集中が必要だった。

退職をしてから白馬に移住したKaさん夫婦が聴きに来てくれた。それは懐かしく、素敵な再会だった。あれから10年は経ったと思うが、1度白馬を訪ねたかったのは事実だ。だが、彼らは、また神戸に戻って来た。後から皆で飲もうと言ったが、奥さんんも一緒だし、私とゆっくり飲みたいと言うので、今回は別れる事にした。大きなお菓子の詰め合わせのお土産を貰った。兎に角彼は10年前と違ってはいなかった。ただ懐かしい気がした。

私とは従姉妹になるTちゃんも来てくれていた。出雲の妹が連絡していたのだ。忙しい合間を縫って、駅から走って来たと言う。汗を拭いていたので、時間がアバウトなのが悪かったが、ちゃんと聴いて貰えて良かった。

るみさんは、同じパターンに1曲位違った曲を入れ替えて演奏した。40分を3回、全部曲を違えるのは大変だと思った。

12席はいつも満員だった。周りに人だかりが出来るようになった。これこそ路上ライブの醍醐味である。誰も関心を持たずに素通りされたら、心が騒ぎ穏やかではないだろう。

Ki君もK君もS君も来た。サードステージの前に、終わったら行く所が即決した。

3rd stage

リュブリャーナの青い空
越冬つばめ
アランフェス協奏曲
赤とんぼ
千の風になって(小林さんの伴奏)

多分、サードステージが一番乗っていただろうか。選曲の変化が一番大きかったかも知れないし、思い入れの曲もあったり、リバーブや響きにも慣れたしで、自分で勝手に盛り上がっていた。曲に支えられているとも思った。おっと、聴いてくれている人達が1番だ。

るみさんの演奏は昼前から3度聴いたが、ずっと聴く者としては聴く事に慣れ過ぎてしまう感を免れなかった。だが、演奏そのものは素晴らしいと言うしかない。セカンドステージではアンコールが起こった位だから。私には勿論アンコールはないが、

「私は玉田るみさんの前座ですから、本命は私の後にいます」

と言っていた事も影響しているだろうし、それも言い訳に聞こえるかな。だが、何はどうあれ、今日の演奏に関しては自分のミスは放置して、この音響の満足度が今までになかった程大きかった事だけは記して置きたい。

小林さんに関しては、老祥記で豚まんを買って来て我々に振る舞ってくれる優しさがあった事を付け加えて置く。とても親しみを感じさせるくれる人のようだ。また何かの折りに伴奏とかパーカッションとかをお願いしてもいいかと聞いたら、快い返事もしてくれた。

演奏全てが終わり挨拶を交わし、その場を3人の友と一緒に離れた。3丁目の方に向かう途中には、宍粟牛のコロッケがあり、それと串カツを買った。家で食べようと思った。K君とS君はその場で買って食べていた。

試飲は小さなプラスチックのコップに、300円とか500円のものがある。「一献」を買った者もいる。私は「老松」の300円の試飲をした。「老松」の古酒を500円で買った者もいる。少しずつ飲み合いをしたが、フルーティーだとか甘かっただとかしたが、私のが適当に辛口で旨かったような気がする。

ニューミュンヘンでビールで唐揚げの積もりだった。だが、Ki君は3丁目にある「青葉」に我々を連れて行った。7時までには見回りで帰らないといけないからとの理由もあるが、彼の行きつけの店なので、そこに誘われた気もしないではない。鰻の店である。コースなので、酒のあてにはキラキラ光っている。

ビールを飲み、日本酒を飲み、芋焼酎に梅干しを入れて貰って飲んだ。

出雲出身のミニ同窓会となった。懐かしさも伴い、話が弾んだ。Ki君を除いた2人は、甲子園での出雲高校の応援以来だったからだ。私の演奏の事も話してくれたが、音響の凄さの所為だったのか、頻りに褒めてくれた。

「音を聴いて、立ち止まる人が結構いたよ」

と。それは有り難い話だった。

Ki君が帰らなければならない時間になった。彼と別れると、3人はニューミュンヘンに入って行った。生ビールと唐揚げでまたまた話が盛り上がった。今ここで言う事は出来ないが、S君の言う事は凄い提案だった。その時が来たら、ブログに載せるかも知れないが、今は明かせない。

その後、ジャンカラへと向かった。S君が歌いたいと言うのを初めて聞いた。彼は吹田に住んでおり、K君は宝塚に住んでいる。それなのに、30分が1時間になった。何を歌ったかさっぱり覚えていないが、歌った事だけは事実だった。

S君はいつになくはしゃいでいた。その時、私は思った。「実現こそ夢」だと。

もっと分かり易く言うと、「現実になる事こそ全てだ」と言う事だ。S君は、それを頭に描いたのではなかったか。私は、今日の路上ライブの事を思い描いていた。終わった時に初めて、それは現実として獲得されるのである。

「夢が実現した」と言えばいいのだろうが、「実現こそ夢」とは、ニュアンスや進行性が違う。思っていた事が結果的に叶った事を差すのが「夢が実現した」のであり、実現と夢がイコールで同じ土俵に存在する積極的な意味を持つのが「実現こそ夢」なのだ。

オカリナ1つにしても、こうしてまた新しい発見があった。このような機会が与えられ、信じられない姿で実現した事は正に現実の夢だったと言えるだろう。