高速道路は渋滞しているからと、高速バスは違う道を選んだ。

普段私を乗せて高速道路を走るバスは、三宮まで25分から30分が相場だ。だが、今日(19日)は違う道も渋滞していて、動いては止まり、止まっては動くと言った状態だった。寝不足だった所為か気持ち良く寝ていて、そんな状況に気が付いたのはもう三宮に近くなってからだった。

到着して更に時計を見ると、55分掛かっていた。凡そ2倍の時間を要した。

プラットホームに駆け上がると、新快速の扉が開き、各扉の集団が中に入ろうとしている所だった。或る意味乗れて良かったのだが、普段なら100円の棒状の菓子パンを買い、ゆっくりエスカレーターに体を任せ、プラットホームに着くとすだちのジュースを飲むのが常だった。

席が空いたのは尼崎駅だった。そこに座ると大阪や新大阪を通り越して京都まで座ったままだった。

地下鉄に乗り換えると、記憶は定かではないが9つ先の駅、北山駅まで行った。あの新快速に乗れたお蔭で、時間はまだあった。黄葉した銀杏並木の内側を歩いているとパン屋だの洋食屋だの蕎麦屋だのが散見される。急にラーメンが食べたくなって、「肥後もっこす」に入った。

神戸にある「もっこす」とは、チャーシューの盛り方も切り方も味も違ったものだった。こってりしているのは同じようだった。少し汗ばんで来た。1,080円也のチャーシューラーメン。

地下鉄の階段を上って外に出ると、すぐに京都府植物園がある。その横を天蓋の有る道を通ればすぐに京都コンサートホールはある。

ヴァイオリンと言えば千住真理子、川井郁子、寺井尚子が、私に取っては列をなす常連だ。だが今日は前から気になっていた天満敦子のヴァイオリンを聴きに来たのだ。勿論初めての事だった。

大ホールではなく、小ホールでの演奏だ。510人入るホールは、略満員に近かった。この京都コンサートホールのスロープには、日本のみならず有名な指揮者などの写真が並んでいる。天満敦子は中々関西では出会えない。

東信州の無言館で毎秋演奏してもう18年になるそうである。無言館には出征直前まで絵筆を握っていたが学生達の遺作が並べられている。そんな天満敦子のヴァイオリン演奏とはどんなものかと思う。

ステージの天井には、まるで神戸のメロンパンのような巨大な形の楕円形の窪みの周りに、36個の照明灯が規則正しく並んでいた。その内側には、身長30メートルはありそうな巨人が投げるボールのような照明もある。

天満敦子が姿を現すと、いきなり無伴奏のアルマンド(J.S.バッハ)を弾き始めた。その音を聴くや鳥肌が立つ思いだった。上手いなどの言葉を遥かに通り越し、またそんなレベルではなかった。感動以上の驚きだった。

その無伴奏アルマンドでは、1つのヴァイオリンから別の音が離れた所から聞こえたり、絡まって聞こえたり、降って来るように聞こえたり、その立体感に驚きながら聴いている自分がいた。姿は大阪のおばちゃんみたいな感じもするし、話や仕草が意図的で面白いのだが。

プログラムは、

J.S.バッハ:アルマンド(無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ より) ※無伴奏演奏

クライスラー:ベートーヴェンの主題によるロンディーノ

フォーレ:夢のあとに

フォーレ:シチリアーナ

サン=サーンス:白鳥

マスネ:タイスの瞑想曲

シューマン:トロイメライ

ブロッホ:祈り

ポルムベスク:望郷のバラード

〈休憩〉

J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ より) ※無伴奏演奏

小林秀雄:落葉松

團 伊玖磨:花の街

菅野よう子/和田 薫編曲:花は咲く

和田 薫:雅俗二譚〈ピアノ・リダクション版〉

ホルスト:ジュピター

ピアノ:勝呂真也(すぐろまや)、女性。

全て終わり、アンコールに現れた天満敦子は、ホール全体真っ暗になったステージだけが微かに浮いて見える演出で、「見上げてごらん夜の星を」を奏でた。無伴奏で、情感たっぷりに。だが、自分に酔っている所など微塵も感じられなかった。

次に勝呂真也を呼んで、「知床旅情」を演奏した。ヴァイオリンの低音が聴いた事のないような音になった。勝呂真也は、素敵な伴奏をする。細くて綺麗な人で、前から4列目の一番左側の席の私には、その背中だけが見えていた。

天満敦子は、ステージの上でも気さくなおばちゃんだった。失礼な言い方かも知れないが、そんな演奏者を見た事がなかった。面白い顔をして見せてくれたりもする。

「私の主人と、来年の6月6日に30周年記念を迎えます。こんなに長く続いた人はいないと言っていいでしょう」

それが自分の弾いているストラディヴァリウスの事だったのだから、お笑いのセンスもありそうだ。

「このストラディヴァリウスは281年生きています」

兎に角、いつも見慣れたアーティストの様ではなかった。出入りも、お茶目なおばちゃんと言った感じ。だが、演奏はそれはそれは凄い。速いパッセージも当たり前のように弾いている。何の苦労もない風に、自然に、当たり前に。休憩が終わってから直ぐの無伴奏演奏の凄さは、凄さを感じさせないようでいて凄い。こんな表現しか出来ないが、ゆったりした曲の演奏の豊かさも凄かった。

CDを買った人が並んでいる姿を遠目から見ていた。サインは2人でしていたが、天満さんは特に知った人を見るとその場で立ち上がって、ハグもする。そんな場で、友達感覚でも話している。次の人を待たせながらだ。

「あんた、またこっちから連絡するわ」

そんな言葉がこちらに飛び込んで来た。

天満敦子のストラディヴァリウスは、まるで彼女の思いに引き出されて行くかのように、その思いをホール一杯に伝えて行く。寸分違わず、豊かに、素敵な強弱を伴って、それは感動となって染み込んで来た。音には艶と迫力があり、もうそれは彼女の体だった。

「私はね、ヴァイオリンを弾いて来てほんとに良かったと思っています」

この言葉が、天満敦子の真骨頂ではないだろうか。そう思いながら、京都タワーの近くの居酒屋で、茄子の田楽とドテ焼きで、ボジョレヌーボーをグラスで頼んで飲んだ。まろやかな、いい味だった。その後から生ビールを飲んだが、今迄の飲み方の順番ではなかった。

型破りな豪快さも持ち合わせている天満敦子が繊細さも含めて聴かせる演奏に、生ビールが先だとか、ワインが先だとか、そんな事どうでも良く思えた事だった。