運命じゃない、うんめい話をしようかと思って。

「べっぴんさん」を観て、ちょっとだけ「あさイチ」を観て、ペインクリニックに歩いて向かった。凡そ1.2キロしかない道程を。

寒い朝だ、今日は。8時40分頃に着いた。3番目だった。だが、予約が優先かも知れない。私は3番目には呼ばれなかった。呼ばれると血圧を測った。シャツの上からで再トライ。それも駄目。シャツを上までたくし上げた。そんなに締め付けられる程ではなかったが、ここで測るいつもより15位高かった。

すぐ、採血。今日は薬を貰う日で、この日に検査をする事になっていた。夏の健診が早まっただけであるが。

待つ間、「暮らしの手帳」を見ていた。簡単なレシピがあったので、2つ覚えた。もう忘れているだろうが、思い出せるだけ思い出して、今夜かいつか作る為に、今日もまた備忘録だ。

1つは、「焼き豆腐」。何だったかしっかり頭に入っていないので、このような料理名にしておこう。

帰りに、家にないと思われる材料はコープで買っている。

1.ごま油をフライパンに小さじ1杯分入れてネッスル。これはコーヒーだ。いやいや、大事な時に申し訳ない。熱するのだ。熱くなったら木綿豆腐1丁の半分を入れ、木べらで大雑把に潰しながら、焼き色が付くまで混ぜる。

2.焼き色が付いたら、細いネギを数センチに切り、それと鰹節1パックを入れ、醤油を小さじ2分の1垂らして混ぜる。

3.それで出来上がりだ。記憶が正しかったら、美味い筈である。まさか、もう1度医院に行ってその雑誌を見る訳にはいかないだろう。


次は、チヂミだ。ニラの話をブログでしていたら、ふんずさんがニラチヂミをよく作るとかコメしていたので、ここでまさかのシンクロだ。こんな事、私にはしょっちゅうある事なのである。開いたページにチヂミ。さあどうだ。今から思い出しながら、このレシピを書こうとしている。

大丈夫かな~、と思いながら頭をポンポンと叩く。何も出て来ない。憧れの打ち出の小槌を持ってみたい。何でも出て来る喜びは、昔話でしかないのか。

「チヂミ」。

1.人参の4分の3位を千切りにする。ニラはやっぱり1把。3センチ位に切る。

2.カップ4分の1の水に卵1個を落とし、混ぜる。ボールがいいだろう。

3.2に薄力粉カップ半分と塩小さじ2分の1を入れて混ぜる。

4.フライパンにごま油を大さじ1杯入れ、熱くなったら3を流し入れる。3分焼き、裏返しにしてまた3分。

5.これで完成だ。「暮らしの手帳」は言う。これにポン酢を垂らして食べるのも美味い、と。

※どちらも大体中火。弱火の中火とか強火の中火とか書いてあったと思うが、どっちがどっちか分からない。もう、最後の「越乃寒梅」を、コップ1杯飲んでいるので、いい気持ちで書いている。なので、間違っても「ゆるいて」。これは紛れもない高知弁だよ。

と言う訳で、作る勇気のある人は、この思い出しレシピで作って頂きたい。勿論、ご自分の料理に対する感性を信じて。


医院に来た時、まだ9時になっていなかった。受付で、

「朝は何も食べていませんね」

と聞かれ、

「はい、13時間大丈夫です」

と自信を持って、口角を上げてニコニコしながら言った。気持ち良く笑ってくれた。


薬局で薬を貰って帰る道すがら、頬を寒風が過ぎ、右手からは太陽の熱がほかほかと伝わった。寒くて温かい。それが交互のだったり一緒にだったりした。寒さは感じるが、気持ちのいい寒暖を浴びていた。

コープで、木綿豆腐1丁とニラ1束と人参を1本買った。帰って冷蔵庫を見たら、人参が3本あった。人間、事前の確認が大切だ。でも、チヂミを作る前提で医院に行っていないし、仕方がない。人参のバター焼きでも作ればいい。


今日から15日まで、そごうデパートの9階で「飛騨高山物産展」がある。昨日の新聞広告で見ていた。行きたいと思った。高いものは買えないが、飛騨牛のコロッケくらいなら買える。だって、行ってから驚いたが、飛騨牛のサンドイッチが5,400円だった。

「アリス食堂」は「飛騨高山カントリークラブ」のレストランやロッジ、結婚式場、造り酒屋など手広く運営している。私が先ず入り口付近の通称「アリス食堂」、漢字で書けば有巣だから、谷村新司が経営している訳ではない。

そこで、私はロースのオリジナル「かつサンド」を買った。5,400円出して買いたかったが、まだ100年早い。それで、その「かつサンド」の値段は864円だった、と思う。中々覚えられないなあ。それに、飛騨牛コロッケを3個も。1個270円。そんなコロッケ食べた事がない。

歩いて行くと、欲しいものだらけ。飛騨高山は、行って泊まってみたい所なのだ。中味が濃いのだ。ちらっと横目で見ながら進む。やあ、「金山寺味噌」がある。金山寺の付いたものは何度も食べているので、麹屋の「もろみそ」にした。味見をせずに買った。446円だ。どうせ美味いんだろう。表現は変だが、そう思って味見はなしだ。

ほうば味噌はスルー。切りがない。お金もない。元気もない。

途中、飛騨ラーメン、飛騨牛丼ぶりなどの簡易食堂も設置してある。ラーメンは「もっこす」がある。牛丼は「吉野家」がある。と言い聞かせて更に歩く。後ろ髪を引かれるようにして歩く。そんなにない後ろ髪でも、飛騨高山の魔の手は伸びる。もう出ようと思った。居るだけ、財布のジッパーが開く運命にある。

3,000円以上で抽選出来ると言う話を小耳に挟んでいる。ありゃ? 左手に飲み比べがある。ここの磁石はきっとNだろう。私はSだから、ぴたっと引き付けられてしまった。しまったしまった島倉千代子、は馬鹿にされる程古いギャグではあるが、ゴルフをやっている頃、よく使っていた。アイアンの先がが土に入り込んだ時などは、神田正輝。逸れてしまった。オービーだ。

それで、ABCがあって、Cにした。Aが甘口、Cは辛口だ。Bは多分中間だろう。A-①②③、B-④⑤⑥、C-⑦⑧⑨。

⑦大吟醸氷室 ⑧鬼殺し怒髪衝天辛口 ⑨どろどろ濁原酒。小さなグラスに入り、それらは出て来た。酒粕をやいたものだと言って、1センチ四方のものが2切れ。あては粗塩だった。あては自由に持参していいと言う、面白い店だ。私は、粗塩を手に取り、舐めながら飲んだ。

原酒は濁っていて、とても美味い。氷室と鬼殺しの味の違いはよく分からない程似ていた。強いて言えば、氷室がややマイルドで、鬼殺しは輪郭がはっきりしていた。何回も比べ乍ら飲んだので、なくなってしまった。これで701円。1円は流石に負けてくれたが、出来たらゆっくりABC全部を飲んでみたいものだと思った。

ガラガラとお馴染みの取っ手を回した。頭に白い球が浮かんだ。ポトンと落ちたのは、白い球だった。飴にするか箸にするかだったが、当然だろう、箸にした。結局、帰ってみたら無くなっていた。こんな時、どうでもいいような事にとても悔しい思いをする。

飲んだのは良いが、帰ったら孫のお迎えで、何とか醒めるのは分かっているが、一瞬吃驚した。

もう、財布のYKYが緩むのが怖くて、すぐに退散した。阪急西口の狭い通り、七兵衛へと向かった。サン地下の長兵衛でもよかったが、久し振りにここのカツ丼を食べたかった。木のスプーンで食べる。カットしてご飯に乗っている。結構美味しいのだ。

ステーキハウス神戸、或いはステーキハウス神戸館かのどちらかに入ってみようかとも思った。シェフが、鉄板を前にして高級ステーキハウス然とした佇まいで焼いてくれる。何と、100グラムなら1,080円だ。「神戸」も「神戸館」も近くで、同じものがだされるから、姉妹店だろう。その、「神戸」は並んでいるし「神戸館」には団体が15、6人エレベーターに乗ったのが見えた。故にカツ丼である。

酒も飲んだばかりだし、ちょっとコーヒーでも。以前は「青山」と言っていた喫茶が、今は「HONOLULU COFFEE」になっている。経営者が変わってから1度も行っていなかったので覗いた。コーヒーはSMLで、私はMを頼んだ。結構満足度のある量だった。味も、ハワイアンを聴きながらなのか、まあまあの味で、リピーターでも苦しゅうない。

高速バスに揺られ、遠き山に日は落ちていない家路へと。風が強く、朝より寒い気がした。

暫くして孫のお迎えに。すっかり酔いなどどこへやら、普通の自分に戻っていた。元々酔うような量ではない。

今日は下の孫をその家に送り、自分の家に帰った私は、2切れあるでっかいかつサンドを頬張った。美味いなあ。これは絶品だ。5,400円も出して買うものでもない。有る人は好きにすればいいが、私は好きにも出来ない。やっぱり、大金持ちにはなれなくても、小金持ちにはなってみたい。お金あってのゆとりだろうと思う。小銭持ちにはなりたくないよ~。

ああ、哀しいかな、スポンサーを見付けるしかない。ああ、どこかにいないのか。スッポンも実際に見た事のないものに、どうしてスッポンサーが現れよう。

ああ、物産展の奥にもう1つ、飛騨牛コロッケを売っているところがあった。ここは若干安かったが、すき焼きコロッケを1つ頼んだ。コロッケも勧められた。1個買う事にした。食べ比べをしようと思った。「無理をさせてしまいました」と言われたが、こんな奥に。やっぱり地の利と言うのはある。

このコロッケは、本当に美味いかと言えば肉に違いを求めればだが、それを単に牛肉だと思えば、大して変わらない味だと思った。「越乃寒梅」もコロッケ達も、空になったコップや皿を横目に見ながら、このブログも終わりにしようっと。

ちょっと長くなったかな。良いや、誰も来てくれはしないのだから。「お手紙」の中のガマ君みたいだが、来てくれる人がいたら、それは親愛なるかえる君なのだ。

♪ああ、愛しさが深くなる。そんな季節にあなたを思い出す♪ 松田聖子のこの歌良いな。
を観た後は、引き続き「あさイチ」を観てしまう。だらだら観て行き、チャンネルをプッシュしながらぐだぐだしていると「よ~いドン!」が始まり、これも観てしまう。するとお昼前になり、ちょっと早いレトルトカレーの準備をする。

準備と言っても、お決まりの皿にご飯を盛ってカレーを乗せラップして、2分間チンをするだけ。梅干を2個乗せたら食べる。

その「あさイチ」で、今日はニラのお勉強。ここに書かなくてもいいけれど、中には今日の「あさイチ」を観ていなくて料理に関心がある人が参考にしてくれるかなと思い、私が観ていた事を自分の為にも作り易いように書き留めておこうと思った。今晩は、きっとニラのあてになるにら。


2品の内の1品目から、万能ダレ。

量はにらも調味料も適当に・・。ニラを白い部分も青い部分も細切れにして、生姜、七味、ごま油、醤油を混ぜた中に入れたら完成。

これは、ご飯にかけて食べたり、湯豆腐に乗せて食べると美味そうだった。今晩は、湯豆腐もありかな。


2品の内の2品目から、ニラ玉。

順番に書いてみよう。番号は、作り方だけの順序ではないので、気を付けて読んで欲しい。

1.ニラの白い部分は細かく、青い部分(ほんとは緑色だけど)は長く3~4センチに切る。

2.ニラ一把に対して卵4個。このベースで話しを進めよう。その卵をボールに入れ、酒と醤油を適当に、自分の 才能と経験に従って入れ、攪拌する。

3.テフロン加工ならそれでいいかも知れないフライパンで軽く掻き回し、半熟状態にしたらボールに移しておく。

4.ここまでもこれからも火力はマックス(と言っても強火でいいと思うけど)で。フライパンにサラダ油を敷き、細切りにした薄い豚肉とニラの軸の方を入れて、ちょっと炒める。アバウトだけれど、自分の素晴らしい感性で、ね。

5.そこで青いニラの葉を入れ、15秒炒める。この15秒が勝負で、しゃきしゃきの食感はここにあり。

6.火を止めるとさっきの、半熟になってボールで出番を待っている卵を入れ、余熱で掻き回す。ここだけ余熱である。

7.これで完成だが、皿に乗せたニラ玉の上にごま油を垂らして本当の完成だ。


今晩はこの2つがあてになる事を宛てにしている。さあ、「よ~いドン!」が終わったら、早速ニラを買いに行くぞ~。飽く迄これは私の備忘録である。

ニラニラしながら買いに行こうとしている自分がいじらしい!


もう1つ。ニラと言えば匂いが気になるではないか。どうすればいいかを、TVは教えてくれた。食べたあとすぐに食べるものがある。それは果物で、出来たらニラ玉を食べている時に同時に食べるのが良いが、それは好き好きで。但し、その果物を食べるのが遅くなるほど効果は落ちる。

その果物とは、りんごだ。説明は面倒なので省くが、皮は剥いて食べるのがベストだそうである。まだまだ書きたい私がここで終わるのは奇跡に近い。これで、実況放送を終わる。

私の目には歪な金星が一際美しく、だが月はその側にはいない。2月26日の朔から7日目の月が、3月4日の福島の空の金星から随分離れた所に、まだ三日月然としてに在った。


三日月の下に在ると、それは涙のように美しいが、そうそういつもその情景が見られる訳ではない。

そんな事を思っていたら、天体の好きな人の為に、今年見られる状況をほんの少し・・。

 3月29日(水) 水星と火星の接近(西没後西の空)

 4月10日(月) 月と木星の大接近

 8月21日(月) 皆既日食

11月13日(月) 金星と木星の大接近

12月13日(水) 双子座流星群


支離滅裂なブログになりそうだ。さっき帰って来たが、22時15分頃だった。月はまだまだ半月にもなっていないがそれでも流石に皓々としていて、折角のオリオン座も感動の数歩手前だった。おまけに、たった1つの街灯の為に、その明るさも値打ちを失っている。

「北秋田」や「越後桜」はもうとっくに無く、今は「白鶴 大吟醸」がグラス1杯残っているだけだ。並々とグラスに注ぐと、零れる手前で瓶は空になった。明日はまた何を買い求めようか。

私をカネテツが待っていた。すぐに板から外し、包丁で切った。8切れになった蒲鉾を中皿に乗せ、小皿には醤油とワサビを入れた。あてはその他カボチャの煮付けと丸い豆腐。これに鰹節を乗せて醤油をかけると、蕩けるような味になる。「100%北海道産大豆、オホーツクにがり使用」とあるが、製造者は「男前豆腐店株式会社」と書いてある。京都府南丹市八木町までは分かるが、4つパックされていて2つ食べた分、それから先は文字が分からない。

もうないのか、日本酒。後は芋焼酎があるだけだ。それにしても、今頃になって嫌いだった日本酒がこんなに美味いと思えるようになるとは。因みに、濃い味の秋田や新潟のこれらの酒とは違って、これは醤油で言えば薄口の部類だ。あっさりしていてフルーティーだが、好みから言えば、ちょっと甘い気がする。


兎に角、大阪で新快速を降りると、環状線に乗ろうとして1・2番線内回りの方に急いだ。もう普通電車が出発寸前だった。飛び乗ろうとしたが、「女性専用」だった。慌てて左に走り、次の車両に乗り込もうとした所でドアが閉まり始めた。すぐに足を入れて再び開こうとしたが、以前のように開いてくれない。危機感を覚えて足を引いた。勝ち誇ったように動く電車と「女性専用」に振り回されたのには閉口した。

すぐに凄く並んでいる後ろに並んだ。暫くすると派手な電車が来た。ユニバーサル スタジオ ジャパンと書いてある。私の前を「女性専用」車が過ぎ、次の車が止まってほっとした。殆どの列が崩れずにそのままだ。余り誰も乗る気配がない。心配になって聞いた。

「これは、福島に止まりますか」

「はい」

とホームにいる職員は言った。以前は、大阪の次の福島を通り越して、幾つも先の駅に止まった電車があった。そんな事があると、また戻らないといけない。私は列から外れ、その電車に乗った。電車から壁を見ると、これぞと言わんばかりに目の前に「Momiji Manju」と書いた広告がある。その上を見ると長ったらしい英語が書いてある。何でそれも英語なのか。それを読んでいる内に電車が動き出した。

腹癒せに読んだのは、こんな文だった。

A sweet bun filled with smooth bean paste in the shape of a maple leaf.

これで合っているかどうか分からないが、最後は動いてから読めた部分だ。集中力だけでも付いていたらいいのだが。


ザ・シンフォニーホールでのコンンサートは19時からだ。終わるのは多分21時頃だと計算出来た。ホール寄りの店で、カツ丼とビールを注文した。帰りに飲んだり食べたりしようものなら、三ノ宮からの高速バスに乗れないばかりか、垂水駅まで電車で行ったとしても、歩いて帰るとなると、1時間以上歩かなければならないのだ。タクシーは絶対勿体ない。

前置きがこんなに長くなった。酒も効いて来た。


「あら? ようこ!」なんて言ったら叱られるだろう。だが、そう読めてしまう。多分子供の頃など、そんな風に言われていたのではと思った。

「想い出がいっぱい 珠玉のシネマ名曲 SELECTION Vol.3」

荒庸子チェロ・リサイタル2017が行われたのだ。

ピアノは山田武彦。東京藝術大学大学院修了、パリ国立高等音楽院ピアノ伴奏科首席卒。現在洗足学園音楽大学教授である。荒庸子は同じ大学の准教授だ。

オカリナ演奏にも参考になる曲を演奏する。薄いブルーの衣裳を着けて出て来た。ピアノとチェロの融合が素晴らしかった。チェロは概して優しく柔らかい音を奏でた。1階と2階のステージから真後ろの席が一杯だった。2階の両サイドは入れていないのか、誰もいなかった。

映画音楽が好きだそうで、オードリー・ヘップバーンは特に好きなんだそうだ。それでかどうか分からないが、最初は「ムーン・リバー」から始まった。


『ティファニーで朝食を』より ムーン・リバー:マンシーニ

『ライムライト』より エターナリー:チャップリン

『モダン・タイムス』より スマイル:チャップリン

『エデンの東』より テーマ曲:ローゼンマン

『ニュー・シネマ・パラダイス』より 愛のテーマ:モリコーネ

『海の上のピアニスト』より 愛を奏でて:モリコーネ

『優しい時間』より 明日:ギャニオン

    休憩

G線上のアリア:バッハ

シチリアーノ:パラディス

無言歌op.109:メンデルスゾーン

歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より ”間奏曲”:マスカーニ

ヴォカリーズop.34-14:ラフマニノフ

白鳥:サン=サーンス

ハンガリー狂詩曲op.68:ポッパー

ユー・レイズ・ミー・アップ:ラヴランド

〈アンコール〉 リベルタンゴ:ピアソラ


荒庸子は楽しそうに演奏している。ピアノ伴奏がまた素晴らしい。チェロの音はこのホールにやや弱い音で響いた。今年でこのホールは3回目らしい。正確なチェロの音は心地よく響いた。今度は、小ホールのような所とか、もっと狭い部屋で聴いてみたい。チェロ本来の音がお腹を擦るだろう。

休憩の後はピンクの衣裳だ。

「もうすぐ桜の季節が来るので、その色に合わせました」

「モーツァルトも天才ですがメンデルスゾーンも天才です。モーツァルトは華やかな天才、メンデルスゾーンは知的な天才です」

映画音楽ならまだまだ一杯聴きたい曲がある。「ひまわり」「慕情」「太陽がいっぱい」「シェルブールの雨傘」「ロミオとジュリエット」等々。

後半はクラシックが中心だったが、「白鳥」はチェロにはなくてはならない曲だろう。これは五臓六腑に染み込んだ。「ハンガリー狂詩曲」のテクニックには、皆惜しみない拍手を送った。そしてすぐにラストの曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」になる。15曲はまるで立体のCDを聴くようだった。アンコールは、「リベルタンゴ」。オカリナに合う曲、私が吹きたい曲も数曲採取出来た。

崎元蘭奈さんの姿が浮かんだ。悠介と出来るだけ早い時期に、3人で遊んでみたい。荒庸子さんのチェロの駒の下方、アジャスターに近い弦の低音の方の2本は巫女さんの袴のような緋色の糸が巻いてあり、高音の方の2本はモスグリーンの糸が巻いてあるのが、双眼鏡から覗けた。とても印象的で、綺麗に見えた。

その右手の薬指に、小さなダイヤが並んだ指輪が光っていた。双眼鏡は、1階でも曖昧な近さ遠さなら、必需品である。

チェロの音の魅力に、改めてその虜になった。
先ず、枠組みから書こう。25日午前3時半にWと神戸を発ち、(因みに私をMとする)27日午前1時半に神戸に着いた。大分県は、豊後高田市役所2階の多目的ホールが目的地だった。

行きも帰りも、車で8時間から9時間掛かる。幾つものサービスエリアで外の空気を吸ったり、トイレ休憩をする為に、このような時間差が出て来るのだ。また、車のスピードにも依る。

九州の地を踏むとジョイフルで昼食だ。何と鶏飯がある。私は迷わずそれにした。ついこの前東淀川で、店が昼の忙しい時間に入る理由で、目の前にして食べられなかったばかりだ。それがここにあるなんて、思ってもみなかった。

迷ったのは、鶏飯丼にするか、何故かトンカツ付きにするかだった。が、トンカツ定食だけでも良かったものを、鶏飯も一緒に食べたと言う、それは暴挙に等しかった。「いーさん、ごめんなさい」と、体の中心にある私の内臓にお詫びをした。それは夜まで祟った。

亀の井ホテルは、奇しくもジョイフルの創業者穴見保雄が、68歳にして挑戦、26か店を展開したホテルである。「シンプル・イズ・ベスト」を地で行ったホテルで、すっきりして無駄がなかった。それに、安い。4階の部屋が、25日の宿泊場所となった。

すぐそこにある昭和の町を歩いてみようと思ったが何度も行っているので、今回は5時半までここで寛ぐ事にした。この前まで亀の井ホテルだった名称が、「HOTEL  AZ」(株式会社アメイズ)に代わっている。詳しくは聞きそびれた。

義兄(あに)夫婦とWとMの4人で、6時から割烹「菊八」で食事をする事になっていた。義姉(あね)が呼びに来た。

先ずはアサヒの生ビールで乾杯。次から次へと、入れ替わり立ち替わり料理を運んで来る。大分県は海産物も豊富で、刺身は特に美味い。また、そんな店だから、この日は既に、各部屋満席だった。先ずはたらふく食べたのは鱈の白子だった。こんなに量が多いのは初めてで、小鉢に入ったそれは、食べても食べてもなくならなかった。

話は続き、ゆったりと時間が流れた。ここで飲めるとは思わなかったが、予てからの焼酎「赤霧島」のお湯割りを飲んだ。明日の本番の為、2杯で終わりにした。だが、料理を完食するのには中々の労力が要った。義姉さんやWは、数品パックして貰って持ち帰った。

ホテルでは夜の9時前だった。普段の大きな睡眠不足を少しでも解消しようと、すぐにベッドに入った。何しろシンプルが売りのホテルだから、ベッドと言っても薄い掛布団で、飽く迄シンプルだ。

頻繁に夢を見た。目が覚めると2時だった。普段より長く眠れたと感激した。風呂にお湯を溜め、温もってからもう1度眠る積もりだ。便座には熱線が入っている訳もなく、座る度に冷たくて跳び上がりそうになった。徹底したシンプルさがよく分かった。

エアコンは22度の設定にしたが私には適温だったとみえ、5時過ぎまでまた夢を見ながら、確かに眠っていた。合計5、6時間も眠ったのは珍しい。でもこれで今迄の超寝不足が解消された訳もなく、却って欠伸が頻繁に出る始末だった。

宿泊料に入っている朝食はバイキングだった。7時半に1階の食堂「長参」に行った。フワトロの玉子を器に入れ、刻んだキャベツを取り、梅干やキュウリのピクルスを添え、どれだけ小さいかと思われる焼き鯖の切り身を乗せ、ウインナーを置き、海苔の袋と納豆のパックを引き寄せた。

味噌汁を掬いご飯をよそうと席に行ったが、結局は数少ないものを全部集めていただけだった。誰も選択の余地もなく、同じものを唯々集めて横歩きをしただけだった。ここにもシンプルが顔を覗かせていた。

コーナーを回るとジュースや牛乳やコーヒーがある。そこは洋食コーナーなのか、掌に隠れる程のパンがあった。折るとマーガリンとジャムが出て来る仕掛けのもの、ヨーグルト、ブルーベリーのジャム、それにパイナッポーの切ったものがあった。何とした事か、小さなパンにマーガリンとジャムを付け、ブルーベリーも付けた。よくよく考えるに、ブルーベリーはヨーグルト用だったと思われる。

兎も角、何処までシンプルか。昨夜の満腹には良かったのかも知れないのが救いだった。「シンプル イズ ベスト」は、書類を短くまとめる時にだけ使う言葉でいい。

ぎりぎりの10時前にチェックアウトをする事にして、桜井淳子の食べ歩きのTVをたまたま観ていた。チャンネルを替えた途端に、「題名のない音楽会」の時間がどんぴしゃりだった。毎週観ているのに、この日がそうだとは思いもしなかった。ラッキーだ。

サントリーホール大ホールからの放映で、しかも放送2500回記念になっていた。世界で活躍している若手のアーティストが参加している超豪華な演奏会だった。

南紫音(ヴァイオリン)、山根一仁(ヴァイオリン)、成田達輝(ヴァイオリン)、田原綾子(ビオラ)、宮田大(チェロ)、横坂源(チェロ)、小原美樹(ヴァイオリン)、有田朋央(ヴィオラ)

このメンバーでF.メンデルスゾーンの「弦楽八重奏曲より第4楽章」。女性2人はふわっとした薄い赤いドレス。1人は鮮やかな黄色いドレス。何と豪華な演奏が実現した事だろうか。

2曲目はF.ショパンの「ピアノ協奏曲第1番第3楽章より」。上記のメンバーに辻井伸行(ピアノ)、司会者五嶋龍(ヴァイオリン)と加藤雄太(コントラバス)が加わった。豪華絢爛のドリームアンサンブルとは良く言ったものだ。

3曲目は極短いが、G.ガーシュウインの「3つの前奏曲1.変ロ長調」を辻井伸行と五嶋龍が演奏した。30分足らずの「題名のない音楽会」で、これだけの演奏家を集めて聴かせてくれる。一滴の涙を心臓の鼓動に震わせながら聴く、凄過ぎる音楽会だった。溢れんばかりの豪華なバイキングを食べた気がした。

12時に市役所を開けて貰えるそうで、その時間に行けば良かった。2時からが演奏会だ。12時に開くまでに2時間あり、ここから10キロ行けばある修験者の寺六郷満山天念寺へ行った。昔水害があった為に、川の中に作られたと言う「川中不動」を見た。大分は石仏の宝庫だ。本堂は通りに面していて、そんなに大きくはない。聳える絶壁が慄かせるが、それも修業の場であろう。

此処から更に10キロもあろうか、田染荘(たしぶのしょう)へ車を走らせる。宇佐神宮の大勢力を持っていた頃の荘園だ。この広々とした田畑や山は当時のままで、今それがそのまま残されている。誰も手を加える事は出来ない。鎌倉から安土桃山の歴史の流れを垣間見る事が出来た。

大分には3大叡山の1つである西叡山があり、時の比叡山はその勢力が拡大される事に危機を感じ、尼をスパイに使い火を放たせた。その為六郷満山を統括した西叡山高山寺は3日間燃え続けたと言う。みほとけの里に相応しく、国東(くにさき)の味わい深さを、今頃乍らに知る。

まだ時間があり、高山寺の末寺の一つ富貴寺へ向かった。富貴寺大堂は国宝として保護されている。阿弥陀如来は国宝でもあり重要文化財にも指定されている。

以前来た時は自由に入れたが、今は300円の見学料を取られる。時は様変わりを見せている。それはそれとして、この大堂の中の壁画が素晴らしい。彩色は剥落していてその歴史が感じられるが、色が戻ったらどんなにか美しいだろうと、想像を掻き立てられるのだ。四壁には五十仏が描かれていると言い、堂内には三千仏が描かれていると言うから驚きだ。忘れかけていた国宝が、再び見られたのには感動した。

演奏の事など全く頭になかった。12時に集まる事になっている事だけは覚えている。11時30分になっていた。車の中ではただただ眠たくて、眠ったり欠伸をしたりしていた。運転はWがしている。

12時前に着くとガラスの扉が開けられた。義兄が取り次いでくれた演奏会だ。すぐに義兄と会い、2階の多目的室を見た。パーテーションがあり、部屋は2つに区切られているが、それを外すと倍の広さになる。この日の演奏会には何人集まるか分からないが、1つの区切りの部屋に椅子が並べられた。数えてはいないが50位である。

ピアノ奏者のY.Yさんは数曲、オカリナの伴奏をして貰う事になっている。それは義兄からの以前からの申し入れだった。今初めて会い、初めて合わせてみる。ライトが当たらなくて暗くて、楽譜が見辛いようだ。その辺りのライトが点いた時、彼も私さえも、楽譜がよく見えるようになった。

簡単に合わせてみる。私がCDで慣れている伴奏のようではない。しかし、こちらに合わせて貰える事はお手の物だろうと思った。流してみて、大凡の感じが掴めた。Y.Yさんはオリジナルの曲を弾く事が多かった。キーボードの台がグラグラし、長テーブルに換えた。椅子が低過ぎる。義兄は何処かから椅子も台も持って来た。台も恰好よくなったし、椅子も調節し、丁度いい高さになった。

3曲ピアノ伴奏でやったら私はパーテーションの反対側にある部屋に下がり、Y.Yさんのオリジナルが3曲披露される。その後数曲CD伴奏の曲を私が吹き、最後は2人のコラボで終わるようにした。もしアンコールがあったらと言う事で1曲決め、いきなりの彼のアレンジで合わせることにして置いた。

義兄にはCD伴奏を流す役目をして貰うので、音出しをしなければならない。ラジカセは義兄に用意して貰っているが、最大音量で何とかと言う具合だった。すると、電機や音関係にも精通している義兄は、小さなカステラのようなボーズのスピーカーを持って来て接続してくれた。完璧な音量や音質になった。

そうこうしていると何ハウスと言うのだろう、規格で12分の1と決められているトイハウスと言うのかミニチュアハウスと言うのか、結構大きな楽しそうな家が4つか5つだったか並べられた。来た人に興味を持って貰う為のものだった。

13時30分が過ぎた。45分頃には椅子の半分に人が座っていた。前に出て来て私のオカリナを珍しそうに見ている人達もいた。私とY.Yさんは前にいたから、話もしたりした。Y.Yさんは福岡県豊前市の人だが、知っている人もいたようだった。私は豊後高田の人とばかり思っていた。

パーテーションの後ろに隠れ、2人の初めの話を聞き、司会者の我々2人の紹介があった。それから登場となった。固くならずに自然体で話し、Y.Yさんの伴奏で1曲目が始まった。2曲目も3曲目も、彼は本気モードを出したようで、リハーサルの時の会話と演奏とはまるで違っていた。私はまるでリードして貰ってでもいるかのように、自由奔放に演奏出来た。

「皆さん優しくていい人ばかりだから、話がしたくなりました」

と言って、時間を気にしながら話もした。オカリナが珍しいのか、しっかり、しかも温かな表情で聞いて貰えている事を実感した。前にいると色々な表情がよく分かる。

Y.Yさんの独奏の間私は隠れて聴いていた。優しい豊かな癒されるオリジナル曲だった。私のオカリナ演奏がメインだったから、彼とは交替して、今度はCD伴奏での演奏となる。初めの方は目を閉じていたのに、暫くするとしっかり私を見ている人。ちょっと目が合うと体を横にずらして私を見ようとしている人。笑顔がとてもいい人。体をゆすりながら聴く人。はっきりと泣いているのが分かる人。眼鏡の男の人は、眼鏡を外して涙を拭くのは憚られるのだろう、眼鏡の下から指で目をさっと拭いていた。

演奏の途中で絶体絶命の危機がやって来る事がある。正にそれがやって来た。もう半分も過ぎた所だから、間違って伴奏と合わなくなったらもう1度は私としてはやりたくない。途中で、楽譜の場所が分からなくなってしまったのだ。唯々分からないままに吹いていた。どうなるかを案じながら。すると、何となく「ここだ」と言う場所を見付けた。それが間違いではない事が分かると、瞬間天に昇って行った気がした。豚なら木の上だ。

これが凌ぎなのだろうか。大袈裟と思われるかも知れないが、九死に一生を得た気がした。

最近ソプラノC管で、音が外れて変な音になる事がよくある。前はソプラノC管は嫌いではなかったのだが。穴はしっかり塞いでいると思うし、本当に不思議で堪らない。親指や人差し指は痺れていて感覚がないからそれも分からないでもないが、右手の親指と人差し指だから、これはしっかり押さえられている。親指の付け根が痛く、昔のようにはよく動かない事も考えた。オカリナと接していると発見もあるが問題も出て来る。

一人ひとりの顔を順番に横に見ながら吹いた。感謝の気持ちもあるけれど、この時は吹きながら人数を数えていた。こんな場合一石二鳥とは言わないが、人数は約70名であることが分かった。こんなに多くの方が日曜を潰してまで来て下さっている事が本当に有り難く嬉しい。これを出会いと縁と言わずして何と言うだろう。世界70億の人達の中の70人がここで出会っている事は、奇跡でしかない。1億人分の1を担う人達が70人来て下さっていると言う凄さ。不思議。

ピアノとのコラボで終わった。頭を下げた。そのまますぐに退場して隠れたら、ひょっとしてアンコールの拍手が鳴っていたかも知れない。私はいいが、もしアンコールがあったらと1時間半前に話し合ったから、もう1曲位は一緒に演奏出来たらと思っていた。

頭を下げて、暫く上げなかった。駆け引きをしたなどと思わないで頂きたい。私は、そう言う事に器用ではないからだ。まだ止んでいない。だが「アンコール!」の声が掛からない。私は遂に頭を上げて言ってしまった。

「アンコールですね」

笑いが起こり、一段と拍手が大きくなった。良かったと胸を撫で下ろした。そうして再びのコラボで終える事が出来た。

Y.Yさんにも義兄にも、無事に終わった事のお礼を言いたい。また違って、楽しい演奏が出来た。演奏の間に危険な状況があったりもするが、それも人生の縮図となるだろう。

全て終わりオカリナを片付けに出て来ると、前に4、5人の人が出て来て、オカリナを生で初めて聴いたとか、このオカリナの音が良かったとか、オカリナのケースの中を写したり、色んな人がいた。最後までいた人は、「10年やっている」と言った。「今度ヒロミチオカリナを注文したがどうか」と聞いた。「とっても素敵なオカリナです」と言うと嬉しそうに目を輝かせた。「あの震えるのはどうやって吹くんですか」とも聞く。簡単には答えられないが、「演歌歌手が喉を震わせているような感じで吹いたらいいと思いますが」と答えたりした。いい加減かも知れないが、今言ってすぐに出来るようになるのがビブラートではない。

大分の農業公園でゲスト演奏をする宮村将広さんに習っていると言う。そのフェスティバルに、大分前に私が出た事を知っていた。これこそ何かの縁だと思われた。

最後はまた4人で、近くの「ホテル清照」でお茶を飲んで別れる事にした。その前に若宮神社に行ってみた。何度通ったか分からないが、今回初めて境内に入ってみた。私は、その後車の陰で着替えをした。

清照にはレストランもある。コーヒーはエスプレッソ40gを注文した。この苦さが中々いい感じだ。義姉さんが「どんな味?」と聞くので「とっても苦いよ」と言った。私もWも昼は食べていないので、私はスパゲティーミートソースにした。久し振りだが、美味かった。ケチャップも入っているようで、食べる度に口の周りを拭いても、しっかりとおしぼりを汚した。

2人は用事で、お茶を飲んだだけで帰った。

こちらはWもMも後は神戸に帰るだけだが、娘達の家族にお土産を買おうと言う事になり、勿論行きつけの唐揚げ屋さんに行った。ここのはホンマモンだ。鶏は日本のもの。この店の大将は豊後高田に来て40年になると言う。継続が大切と言うが、よくぞここまで頑張られたと思う。義兄が言うには、今唐揚げが大流行りで店を持つ者が増えているが、どれも美味くないそうだ。それに引き換え、ここの店ともう1つある店は昔から美味いし安心出来るそうである。先ず、外国の安い鶏を仕入れて、ぼろ儲けをしようとしている、と。これは義兄も大将も異口同音に言う。

食べ易いといつも骨なしにしていたが、美味いのは骨付きで、骨の出汁が出ると言った。骨を吸うのも美味いと。これは知らなかった。ただ食べ易さで食べていた。それでもここのは激旨だが、今度行ったら骨付きを半分買ってみようと思っている。

大量に我が家のも含めて買ったが、冷めたら電子レンジではなく、オーブントースターで温めると美味しさが戻ると言う。冷蔵庫には入れないようにと。

砂肝も揚げて貰った。どうせ真夜中過ぎてから着くだろうから、着いたら兎に角日本酒でキュッとやりたい。唐揚げさんも砂肝さんも、しばらく待っちょっちくれ。

帰り際、大将が帰りの車の中で食べ、と言って唐揚げをくれた。まあ、8個は確実に入っていた。もう安心して関門海峡大橋を渡れる。九州地方と中国地方の橋渡しをしているこの橋を、何度渡った事だろう。勿論何十篇だ。

まだ日は暮れていないが、暮れなずんでいる夕日は夕焼けを見せてくれるだろうか。

サービスエリアでおにぎりを2つ買った。唐揚げばかり食べていても美味いには美味いが、ご飯が加わるとバージョンアップする。おかかと昆布のおにぎりにした。唐揚げを貰っていなかったら、さっきパスタを食べたばかりなのに食べなかっただろう。いーさんに、最後まで謝りっ放しだ。

もう、反対車線の車の眩い前照灯や、進行方向の車の赤いテールランプ、バックミラーに映るフロントライトしか見えない。トラックをよく見る。あれ? と思った。前を行くトラックの中は見えないが、後ろに「競走馬輸送中」と書いたプレートが貼ってある。こうして競馬馬を運ぶのだなと思った。運転はWがやっているが、その車の後ろが安心できると言った。しかし、時には110キロ位出したり、また80キロ位だったりする。追い越し様、横を見た。上部に窓がある。馬は見えない。

サービスエリアに入る時、もうこのトラックは見られないと思っていたら、同じ所に入った。たった1台所ではなく、5台も6台も止まっている。私達が追いかけていたのは「TOHKAI303」と書いてあるトラックだった。違うトラックを見ると、天辺に馬の頭が微かに見えた。こんな仕事もあるんだなと、新しい発見をしたようだった。

後の運転は私と代ったが、やっと帰り着く事が出来た。帰りは8時間半程の時間を要した。到着は夜中の1時30分頃。荷物を降ろすと唐揚げと砂肝をオーブントースターに入れ、焼いた。適当な温度になった時に取り出して、コップ1杯の日本酒で食べた。それは至福の時、至福の唐揚げ、至福の酒だった。

25日3時30分神戸を発つ。27日1時30分神戸に着く。丸2日間、46時間の旅だった。
朝7時過ぎには家を出た。雨は止んでいて、空は黒く、霧が流れていた。8年前まで出勤していた事を思い出す朝だ。そんな人達を運んで、バスは垂水に着く。ゆっくり歩く人を探すのは大変な通勤風景を横切って、JRの電車に乗った。

これがラッシュアワーと言うのだろう。西へ行く電車でも、座る事は出来なかった。窓の外は暗い雲に覆われていた。乗り降りする側の席の壁に凭れ掛かっていた。オカリナを11個入れたアタッシュケースは下に立てかけた。鞄は肩に掛け、譜面台は手に持った。ガラス窓の内側は水蒸気で曇っていて、「津軽海峡・冬景色」の2番の歌詞のように、指を伸ばして軽くこすってみた。だが、「♪遥かに霞み見えるだけ」のような状況にはなかった。「♪息で曇る窓のガラス拭いてみたけど」の真似事をしただけだった。

JR加古川駅には1時間程で着いた。Ki君とO君に会うと、8時50分の約束のバンに乗り、Mさんの運転で加古川公民館へと向かった。

9時に3階のホールに上がると、もう殆どの人達が席に座っていた。Ki君にCD伴奏の音を出して貰い、音量の確認をした。O君は一番後ろに、Kikさんと座った。Hさんはこの公民館の関係者でもあり、後からの話に依ると、外で聴いていたと言った。

そのまま用意された席に着いた。「加古川寿大学」での演奏と講演に呼ばれていた。約150名だ。校歌が歌われ、体操があり、私の紹介があって、それからが出番だった。60歳以上が入学出来るそうで、4年制である。

私は公演と講演を1時間30分の内にしなければならない。どちらかだけならどちらかに集中出来るが、もうこのパターンは加古川ではこれで3回目だ。2015年5月に別府(べふ)公民館でやり、次の年の5月には陵南公民館でやった。毎年やっている事になる。今年の末になるか来年になるか分からないが、また加古川での演奏が予定されている。

「体操は足の指を動かす運動が効きました。今日のボードのテーマが『オカリナの世界』とありますが、『オカリナと私』と言った内容で進めて行きます。まるで日本ハムの大谷選手のように二刀流仕立てでやらなければならなくて、私には昼と夜が一緒になっている感覚です」

と言って、先ずは「コンドルは飛んで行く」をアカペラで吹く事から始めた。アタッシュケースには入らないアルトG管で吹き、転換した後半の速い部分では、ソプラノG管を使った。大学と名の付く以上、演奏だけのお楽しみムード一辺倒では困るだろう。飽く迄講座なのだ。

曲は15曲準備していたが、11時には終わって欲しいと担当の女性Mさんから言われていたので、最低それだけは守ろうと思った。結果的に3曲を割愛する事になった。ステージ紛いの場所から正面に時計が見える。これは有り難かった。一々腕時計を見るのも見苦しく、煩わしい。それによって、演奏も話も調節出来る事で安心した。

説明をした曲もあった。皆で歌う曲は演奏曲以外に5曲用意した。流石に大きな声で、上手な歌声を聴かせてもらった。

話としては、「出会い」に纏わる事。皆に色々な出会いがある事。どうすればいい出会いと仲間作りが出来るかと言う事。五感を働かせ、体を使って、色んな事が出来る自分を愛する。同時に他人を愛する。そして、自然を愛する。また、度感動し感動出来る事が大事だと言った。

私は大学の先生でもなく、そんな事を偉そうに話せる立場でもない。だが、自分が思っている事を話した。それから、「今」が大切な事。「今」の自分の行為が、違った明日を、又未来を作って行くのだと言う事。動いている正に「今」、為したり考えたりする事で、良くも悪くも変えられると言った。

掻い摘んでそんな柱に、色んな例を交えて話した。演奏以外は、皆がどっと笑うような話し振りを、さり気なくした。皆、時々笑っていた。堅苦しい講義などしたくないからである。こんなに喜んで貰えるとは思っても見なかった。最初に笑って貰った事で、食い付きも良く、目の色も変わって行った。私は、演奏より、その事の方が楽しかった。

時計を見ながら、ぴったり11時に終えた。こんな時、調子に乗って、5分位過ぎてもいいだろうと勝手に判断すると、たった5分の為に、人柄を含めた印象までガラッと変わってしまう。5分長引けば5分遅れる原理だ。皆が迷惑する。

この後、寿大学生には、話し合いが予定されていたのである。ホールを出る時、色んな人が私の方を向いて満面の笑みを浮かべてくれた。これも、5分を惜しんだりしなかった事に依る。始め良ければ終わり良し。終わり良ければ全て良し。演奏や話の中身がどうあれ、これこそ大袈裟に言えば、私の中では快挙ではなかったかと思う。今後も、気を付けたい。

コーヒーを飲み、館長さんに5人(Ki君、O君、Kikさん、Hさん、私)は加古川駅まで同じ車で送って頂いた。11時半を回っていた。ここから歩いて割烹「おおにし」に着いた。O君が設定してくれていたのだ。

ここからが本番だ。5人は生ビールを飲み、「私には悪いが、芋焼酎ではなく麦焼酎を注文してある」とO君が言った。大分の「二階堂」の一升瓶がでんと君臨した。皆もお湯割りで飲んだ。料理もここのは美味いのである。写真をアップ出来ないのが残念ではあるが、焼酎は私もかなり飲んだ。1杯や2杯ではない。一升瓶は、最後には1センチしか残っていなかったとO君が言った。

ここでは、Ki君とO君は同郷の友達だが、KikさんとHさんは盛んに3人の仲が良いと褒めてくれた。また、今日の話が面白かったと言い、勉強にもなったと言った。そして、時間がきっちり終わったのには吃驚で、紹介した自分は誇らしい、などと何度も言い、私は縮み込んで居場所を失いそうになった。そこまで言って貰えて嬉しいけれど、こんな褒め方をされた事がとんとなかったので、恐縮してしまった。

Ki君は、いつでもカラオケに行こうと言う。強引なまでに誘う。皆も観念しているのか、彼に委ねる。Hさんは用事が出来て、今度は必ず一緒に行くと言う言葉を残して帰って行った。Ki君は、O君の奥さんに来て欲しいと、O君から電話を掛けて貰っていた。奥さんは、来る事になった。O君の家の近くまで、タクシーに乗り、奥さんが来るのを待った。

待つほどでもなかったが、タクシーは止めて、暫く歩く事にした。軈てカラオケルームに到着した。1度来た覚えがあった。212号室は3段になっていて、階段上の面白い形をしている。私は、一番上に上がった。4人は下にいた。2時46分。この時間から2時間。

O君とKikさんは上手だが、余り歌わなかった。O君の奥さんの歌は聴いた事があり、とても上手い。それでもそんなに歌わなかった。香西かおりや石川さゆりの歌が似合う人だ。私も余り歌わなかった。何故か。

Ki君がマイクを独占した。余程歌いたかったのだろう。どんどん歌って行った。ゴロンと寝転んだので、

「ちょっと寝とってくれ」

と言うと素早く起き上がり、また歌い出す。声に張りがあるのは羨ましい。酔いもあるのだろうが、奥さんに次々歌を予約して貰って歌う。

「今度は僕に歌わせて」

と言うと、

「駄目」

と言う。作戦を考えた。こちらで自分が歌いたい曲を予約する事だった。流石にこれでは歌えないだろう。すると、自分も一緒に歌い出す。もう可笑しくて仕方がなかったが、

「私のオンステージです。アンコールですか」

と、この言葉で何曲歌ったのだろう。よく知っていて感心する。20曲はとっくに歌っている気がする。まあ、聴きながら、選曲して予約しながら、こちらも隙間を見付けて歌った。闘いだった。もう2時間になったが、終わらない。30分延長の積もりになった。

2時46分から4時46分までで2時間だから、5時16分で終了だ。奥さんが階下に降りて、幾ら掛かったか聞いて来た。すると、

「1人900円だけど、8時までは同じままだそうです」

と言った。これを聞くと帰る訳もなく、更に歌い続けた。Ki君の独壇場だった。皆も1、2曲は歌った。Ki君の次に多いのは私だった。勧めても、皆歌う気配がない。

「もうこんな時間だ」

と、O君が言った。7時だった。4時間以上も歌っていたのだ。Ki君のワンマンショーを、皆も楽しんでいたのかも知れない。中は暑く、終わりの頃に気が付いた。エアコンが入っていなかった。

外に出ると、O君の息子さんが仕事帰りに寄ってくれ、Kikさんは別に迎えを頼み、5人は息子さんの車で加古川駅まで送って貰った。

奥さんは、

「ほんとに、今日はとっても楽しかったです」

と、如何にも楽しかったかのように言った。Ki君の面目が潰れずに済んだ。またいつか、歌える時が来るだろう。

Ki君と各駅停車に向かい合わせで乗った。頻りに私を誘った。

「神戸まで行こう」

そこには彼の行き着けの飲み屋さんがある。私は、

「今日はもう飲めないし、行けないわ」

と答えた。もうお酒も食べ物も入らないし、何しろ疲れているので、また今度行く事にした。一緒に行きたかったようだが、私は垂水で降りた。Ki君は須磨で降りるのだけれど、神戸に行ったと思う。いや、行っている。彼は元気だ。

家に着いたのは8時20分だった。どうしてもブログを書く元気がなかったが、だらっとしながら、兎に角今日の記録を認めた。今から寝ようと思うが、明日は寝られるだけ寝てみたいと思った。

2017.2.23