先ず、枠組みから書こう。25日午前3時半にWと神戸を発ち、(因みに私をMとする)27日午前1時半に神戸に着いた。大分県は、豊後高田市役所2階の多目的ホールが目的地だった。
行きも帰りも、車で8時間から9時間掛かる。幾つものサービスエリアで外の空気を吸ったり、トイレ休憩をする為に、このような時間差が出て来るのだ。また、車のスピードにも依る。
九州の地を踏むとジョイフルで昼食だ。何と鶏飯がある。私は迷わずそれにした。ついこの前東淀川で、店が昼の忙しい時間に入る理由で、目の前にして食べられなかったばかりだ。それがここにあるなんて、思ってもみなかった。
迷ったのは、鶏飯丼にするか、何故かトンカツ付きにするかだった。が、トンカツ定食だけでも良かったものを、鶏飯も一緒に食べたと言う、それは暴挙に等しかった。「いーさん、ごめんなさい」と、体の中心にある私の内臓にお詫びをした。それは夜まで祟った。
亀の井ホテルは、奇しくもジョイフルの創業者穴見保雄が、68歳にして挑戦、26か店を展開したホテルである。「シンプル・イズ・ベスト」を地で行ったホテルで、すっきりして無駄がなかった。それに、安い。4階の部屋が、25日の宿泊場所となった。
すぐそこにある昭和の町を歩いてみようと思ったが何度も行っているので、今回は5時半までここで寛ぐ事にした。この前まで亀の井ホテルだった名称が、「HOTEL AZ」(株式会社アメイズ)に代わっている。詳しくは聞きそびれた。
義兄(あに)夫婦とWとMの4人で、6時から割烹「菊八」で食事をする事になっていた。義姉(あね)が呼びに来た。
先ずはアサヒの生ビールで乾杯。次から次へと、入れ替わり立ち替わり料理を運んで来る。大分県は海産物も豊富で、刺身は特に美味い。また、そんな店だから、この日は既に、各部屋満席だった。先ずはたらふく食べたのは鱈の白子だった。こんなに量が多いのは初めてで、小鉢に入ったそれは、食べても食べてもなくならなかった。
話は続き、ゆったりと時間が流れた。ここで飲めるとは思わなかったが、予てからの焼酎「赤霧島」のお湯割りを飲んだ。明日の本番の為、2杯で終わりにした。だが、料理を完食するのには中々の労力が要った。義姉さんやWは、数品パックして貰って持ち帰った。
ホテルでは夜の9時前だった。普段の大きな睡眠不足を少しでも解消しようと、すぐにベッドに入った。何しろシンプルが売りのホテルだから、ベッドと言っても薄い掛布団で、飽く迄シンプルだ。
頻繁に夢を見た。目が覚めると2時だった。普段より長く眠れたと感激した。風呂にお湯を溜め、温もってからもう1度眠る積もりだ。便座には熱線が入っている訳もなく、座る度に冷たくて跳び上がりそうになった。徹底したシンプルさがよく分かった。
エアコンは22度の設定にしたが私には適温だったとみえ、5時過ぎまでまた夢を見ながら、確かに眠っていた。合計5、6時間も眠ったのは珍しい。でもこれで今迄の超寝不足が解消された訳もなく、却って欠伸が頻繁に出る始末だった。
宿泊料に入っている朝食はバイキングだった。7時半に1階の食堂「長参」に行った。フワトロの玉子を器に入れ、刻んだキャベツを取り、梅干やキュウリのピクルスを添え、どれだけ小さいかと思われる焼き鯖の切り身を乗せ、ウインナーを置き、海苔の袋と納豆のパックを引き寄せた。
味噌汁を掬いご飯をよそうと席に行ったが、結局は数少ないものを全部集めていただけだった。誰も選択の余地もなく、同じものを唯々集めて横歩きをしただけだった。ここにもシンプルが顔を覗かせていた。
コーナーを回るとジュースや牛乳やコーヒーがある。そこは洋食コーナーなのか、掌に隠れる程のパンがあった。折るとマーガリンとジャムが出て来る仕掛けのもの、ヨーグルト、ブルーベリーのジャム、それにパイナッポーの切ったものがあった。何とした事か、小さなパンにマーガリンとジャムを付け、ブルーベリーも付けた。よくよく考えるに、ブルーベリーはヨーグルト用だったと思われる。
兎も角、何処までシンプルか。昨夜の満腹には良かったのかも知れないのが救いだった。「シンプル イズ ベスト」は、書類を短くまとめる時にだけ使う言葉でいい。
ぎりぎりの10時前にチェックアウトをする事にして、桜井淳子の食べ歩きのTVをたまたま観ていた。チャンネルを替えた途端に、「題名のない音楽会」の時間がどんぴしゃりだった。毎週観ているのに、この日がそうだとは思いもしなかった。ラッキーだ。
サントリーホール大ホールからの放映で、しかも放送2500回記念になっていた。世界で活躍している若手のアーティストが参加している超豪華な演奏会だった。
南紫音(ヴァイオリン)、山根一仁(ヴァイオリン)、成田達輝(ヴァイオリン)、田原綾子(ビオラ)、宮田大(チェロ)、横坂源(チェロ)、小原美樹(ヴァイオリン)、有田朋央(ヴィオラ)
このメンバーでF.メンデルスゾーンの「弦楽八重奏曲より第4楽章」。女性2人はふわっとした薄い赤いドレス。1人は鮮やかな黄色いドレス。何と豪華な演奏が実現した事だろうか。
2曲目はF.ショパンの「ピアノ協奏曲第1番第3楽章より」。上記のメンバーに辻井伸行(ピアノ)、司会者五嶋龍(ヴァイオリン)と加藤雄太(コントラバス)が加わった。豪華絢爛のドリームアンサンブルとは良く言ったものだ。
3曲目は極短いが、G.ガーシュウインの「3つの前奏曲1.変ロ長調」を辻井伸行と五嶋龍が演奏した。30分足らずの「題名のない音楽会」で、これだけの演奏家を集めて聴かせてくれる。一滴の涙を心臓の鼓動に震わせながら聴く、凄過ぎる音楽会だった。溢れんばかりの豪華なバイキングを食べた気がした。
12時に市役所を開けて貰えるそうで、その時間に行けば良かった。2時からが演奏会だ。12時に開くまでに2時間あり、ここから10キロ行けばある修験者の寺六郷満山天念寺へ行った。昔水害があった為に、川の中に作られたと言う「川中不動」を見た。大分は石仏の宝庫だ。本堂は通りに面していて、そんなに大きくはない。聳える絶壁が慄かせるが、それも修業の場であろう。
此処から更に10キロもあろうか、田染荘(たしぶのしょう)へ車を走らせる。宇佐神宮の大勢力を持っていた頃の荘園だ。この広々とした田畑や山は当時のままで、今それがそのまま残されている。誰も手を加える事は出来ない。鎌倉から安土桃山の歴史の流れを垣間見る事が出来た。
大分には3大叡山の1つである西叡山があり、時の比叡山はその勢力が拡大される事に危機を感じ、尼をスパイに使い火を放たせた。その為六郷満山を統括した西叡山高山寺は3日間燃え続けたと言う。みほとけの里に相応しく、国東(くにさき)の味わい深さを、今頃乍らに知る。
まだ時間があり、高山寺の末寺の一つ富貴寺へ向かった。富貴寺大堂は国宝として保護されている。阿弥陀如来は国宝でもあり重要文化財にも指定されている。
以前来た時は自由に入れたが、今は300円の見学料を取られる。時は様変わりを見せている。それはそれとして、この大堂の中の壁画が素晴らしい。彩色は剥落していてその歴史が感じられるが、色が戻ったらどんなにか美しいだろうと、想像を掻き立てられるのだ。四壁には五十仏が描かれていると言い、堂内には三千仏が描かれていると言うから驚きだ。忘れかけていた国宝が、再び見られたのには感動した。
演奏の事など全く頭になかった。12時に集まる事になっている事だけは覚えている。11時30分になっていた。車の中ではただただ眠たくて、眠ったり欠伸をしたりしていた。運転はWがしている。
12時前に着くとガラスの扉が開けられた。義兄が取り次いでくれた演奏会だ。すぐに義兄と会い、2階の多目的室を見た。パーテーションがあり、部屋は2つに区切られているが、それを外すと倍の広さになる。この日の演奏会には何人集まるか分からないが、1つの区切りの部屋に椅子が並べられた。数えてはいないが50位である。
ピアノ奏者のY.Yさんは数曲、オカリナの伴奏をして貰う事になっている。それは義兄からの以前からの申し入れだった。今初めて会い、初めて合わせてみる。ライトが当たらなくて暗くて、楽譜が見辛いようだ。その辺りのライトが点いた時、彼も私さえも、楽譜がよく見えるようになった。
簡単に合わせてみる。私がCDで慣れている伴奏のようではない。しかし、こちらに合わせて貰える事はお手の物だろうと思った。流してみて、大凡の感じが掴めた。Y.Yさんはオリジナルの曲を弾く事が多かった。キーボードの台がグラグラし、長テーブルに換えた。椅子が低過ぎる。義兄は何処かから椅子も台も持って来た。台も恰好よくなったし、椅子も調節し、丁度いい高さになった。
3曲ピアノ伴奏でやったら私はパーテーションの反対側にある部屋に下がり、Y.Yさんのオリジナルが3曲披露される。その後数曲CD伴奏の曲を私が吹き、最後は2人のコラボで終わるようにした。もしアンコールがあったらと言う事で1曲決め、いきなりの彼のアレンジで合わせることにして置いた。
義兄にはCD伴奏を流す役目をして貰うので、音出しをしなければならない。ラジカセは義兄に用意して貰っているが、最大音量で何とかと言う具合だった。すると、電機や音関係にも精通している義兄は、小さなカステラのようなボーズのスピーカーを持って来て接続してくれた。完璧な音量や音質になった。
そうこうしていると何ハウスと言うのだろう、規格で12分の1と決められているトイハウスと言うのかミニチュアハウスと言うのか、結構大きな楽しそうな家が4つか5つだったか並べられた。来た人に興味を持って貰う為のものだった。
13時30分が過ぎた。45分頃には椅子の半分に人が座っていた。前に出て来て私のオカリナを珍しそうに見ている人達もいた。私とY.Yさんは前にいたから、話もしたりした。Y.Yさんは福岡県豊前市の人だが、知っている人もいたようだった。私は豊後高田の人とばかり思っていた。
パーテーションの後ろに隠れ、2人の初めの話を聞き、司会者の我々2人の紹介があった。それから登場となった。固くならずに自然体で話し、Y.Yさんの伴奏で1曲目が始まった。2曲目も3曲目も、彼は本気モードを出したようで、リハーサルの時の会話と演奏とはまるで違っていた。私はまるでリードして貰ってでもいるかのように、自由奔放に演奏出来た。
「皆さん優しくていい人ばかりだから、話がしたくなりました」
と言って、時間を気にしながら話もした。オカリナが珍しいのか、しっかり、しかも温かな表情で聞いて貰えている事を実感した。前にいると色々な表情がよく分かる。
Y.Yさんの独奏の間私は隠れて聴いていた。優しい豊かな癒されるオリジナル曲だった。私のオカリナ演奏がメインだったから、彼とは交替して、今度はCD伴奏での演奏となる。初めの方は目を閉じていたのに、暫くするとしっかり私を見ている人。ちょっと目が合うと体を横にずらして私を見ようとしている人。笑顔がとてもいい人。体をゆすりながら聴く人。はっきりと泣いているのが分かる人。眼鏡の男の人は、眼鏡を外して涙を拭くのは憚られるのだろう、眼鏡の下から指で目をさっと拭いていた。
演奏の途中で絶体絶命の危機がやって来る事がある。正にそれがやって来た。もう半分も過ぎた所だから、間違って伴奏と合わなくなったらもう1度は私としてはやりたくない。途中で、楽譜の場所が分からなくなってしまったのだ。唯々分からないままに吹いていた。どうなるかを案じながら。すると、何となく「ここだ」と言う場所を見付けた。それが間違いではない事が分かると、瞬間天に昇って行った気がした。豚なら木の上だ。
これが凌ぎなのだろうか。大袈裟と思われるかも知れないが、九死に一生を得た気がした。
最近ソプラノC管で、音が外れて変な音になる事がよくある。前はソプラノC管は嫌いではなかったのだが。穴はしっかり塞いでいると思うし、本当に不思議で堪らない。親指や人差し指は痺れていて感覚がないからそれも分からないでもないが、右手の親指と人差し指だから、これはしっかり押さえられている。親指の付け根が痛く、昔のようにはよく動かない事も考えた。オカリナと接していると発見もあるが問題も出て来る。
一人ひとりの顔を順番に横に見ながら吹いた。感謝の気持ちもあるけれど、この時は吹きながら人数を数えていた。こんな場合一石二鳥とは言わないが、人数は約70名であることが分かった。こんなに多くの方が日曜を潰してまで来て下さっている事が本当に有り難く嬉しい。これを出会いと縁と言わずして何と言うだろう。世界70億の人達の中の70人がここで出会っている事は、奇跡でしかない。1億人分の1を担う人達が70人来て下さっていると言う凄さ。不思議。
ピアノとのコラボで終わった。頭を下げた。そのまますぐに退場して隠れたら、ひょっとしてアンコールの拍手が鳴っていたかも知れない。私はいいが、もしアンコールがあったらと1時間半前に話し合ったから、もう1曲位は一緒に演奏出来たらと思っていた。
頭を下げて、暫く上げなかった。駆け引きをしたなどと思わないで頂きたい。私は、そう言う事に器用ではないからだ。まだ止んでいない。だが「アンコール!」の声が掛からない。私は遂に頭を上げて言ってしまった。
「アンコールですね」
笑いが起こり、一段と拍手が大きくなった。良かったと胸を撫で下ろした。そうして再びのコラボで終える事が出来た。
Y.Yさんにも義兄にも、無事に終わった事のお礼を言いたい。また違って、楽しい演奏が出来た。演奏の間に危険な状況があったりもするが、それも人生の縮図となるだろう。
全て終わりオカリナを片付けに出て来ると、前に4、5人の人が出て来て、オカリナを生で初めて聴いたとか、このオカリナの音が良かったとか、オカリナのケースの中を写したり、色んな人がいた。最後までいた人は、「10年やっている」と言った。「今度ヒロミチオカリナを注文したがどうか」と聞いた。「とっても素敵なオカリナです」と言うと嬉しそうに目を輝かせた。「あの震えるのはどうやって吹くんですか」とも聞く。簡単には答えられないが、「演歌歌手が喉を震わせているような感じで吹いたらいいと思いますが」と答えたりした。いい加減かも知れないが、今言ってすぐに出来るようになるのがビブラートではない。
大分の農業公園でゲスト演奏をする宮村将広さんに習っていると言う。そのフェスティバルに、大分前に私が出た事を知っていた。これこそ何かの縁だと思われた。
最後はまた4人で、近くの「ホテル清照」でお茶を飲んで別れる事にした。その前に若宮神社に行ってみた。何度通ったか分からないが、今回初めて境内に入ってみた。私は、その後車の陰で着替えをした。
清照にはレストランもある。コーヒーはエスプレッソ40gを注文した。この苦さが中々いい感じだ。義姉さんが「どんな味?」と聞くので「とっても苦いよ」と言った。私もWも昼は食べていないので、私はスパゲティーミートソースにした。久し振りだが、美味かった。ケチャップも入っているようで、食べる度に口の周りを拭いても、しっかりとおしぼりを汚した。
2人は用事で、お茶を飲んだだけで帰った。
こちらはWもMも後は神戸に帰るだけだが、娘達の家族にお土産を買おうと言う事になり、勿論行きつけの唐揚げ屋さんに行った。ここのはホンマモンだ。鶏は日本のもの。この店の大将は豊後高田に来て40年になると言う。継続が大切と言うが、よくぞここまで頑張られたと思う。義兄が言うには、今唐揚げが大流行りで店を持つ者が増えているが、どれも美味くないそうだ。それに引き換え、ここの店ともう1つある店は昔から美味いし安心出来るそうである。先ず、外国の安い鶏を仕入れて、ぼろ儲けをしようとしている、と。これは義兄も大将も異口同音に言う。
食べ易いといつも骨なしにしていたが、美味いのは骨付きで、骨の出汁が出ると言った。骨を吸うのも美味いと。これは知らなかった。ただ食べ易さで食べていた。それでもここのは激旨だが、今度行ったら骨付きを半分買ってみようと思っている。
大量に我が家のも含めて買ったが、冷めたら電子レンジではなく、オーブントースターで温めると美味しさが戻ると言う。冷蔵庫には入れないようにと。
砂肝も揚げて貰った。どうせ真夜中過ぎてから着くだろうから、着いたら兎に角日本酒でキュッとやりたい。唐揚げさんも砂肝さんも、しばらく待っちょっちくれ。
帰り際、大将が帰りの車の中で食べ、と言って唐揚げをくれた。まあ、8個は確実に入っていた。もう安心して関門海峡大橋を渡れる。九州地方と中国地方の橋渡しをしているこの橋を、何度渡った事だろう。勿論何十篇だ。
まだ日は暮れていないが、暮れなずんでいる夕日は夕焼けを見せてくれるだろうか。
サービスエリアでおにぎりを2つ買った。唐揚げばかり食べていても美味いには美味いが、ご飯が加わるとバージョンアップする。おかかと昆布のおにぎりにした。唐揚げを貰っていなかったら、さっきパスタを食べたばかりなのに食べなかっただろう。いーさんに、最後まで謝りっ放しだ。
もう、反対車線の車の眩い前照灯や、進行方向の車の赤いテールランプ、バックミラーに映るフロントライトしか見えない。トラックをよく見る。あれ? と思った。前を行くトラックの中は見えないが、後ろに「競走馬輸送中」と書いたプレートが貼ってある。こうして競馬馬を運ぶのだなと思った。運転はWがやっているが、その車の後ろが安心できると言った。しかし、時には110キロ位出したり、また80キロ位だったりする。追い越し様、横を見た。上部に窓がある。馬は見えない。
サービスエリアに入る時、もうこのトラックは見られないと思っていたら、同じ所に入った。たった1台所ではなく、5台も6台も止まっている。私達が追いかけていたのは「TOHKAI303」と書いてあるトラックだった。違うトラックを見ると、天辺に馬の頭が微かに見えた。こんな仕事もあるんだなと、新しい発見をしたようだった。
後の運転は私と代ったが、やっと帰り着く事が出来た。帰りは8時間半程の時間を要した。到着は夜中の1時30分頃。荷物を降ろすと唐揚げと砂肝をオーブントースターに入れ、焼いた。適当な温度になった時に取り出して、コップ1杯の日本酒で食べた。それは至福の時、至福の唐揚げ、至福の酒だった。
25日3時30分神戸を発つ。27日1時30分神戸に着く。丸2日間、46時間の旅だった。