5月12日

御在所ロープウェイの駐車料1,000円には驚いた。払った限りは、ロープウェイに乗らない訳には行かない。それに、三重県にまで来たのだ。

大雨の予報もあり曇ってはいたが、雨の気配はない。かなり長い時間、往復2,160円の乗車料のそれは、見晴らしのいい、かつて海から隆起した面白い岩をも観乍ら、上って行く。まさか梅や桃なんかではない花が、ピンク色を呈して綺麗だ。

頂上に到着すると、曇った景色を眺めた。写真を写す場所が設定してあり、そこには1,212mと記してあった。ここからさらに往復600円でリフトがあったが、曇りを考慮して、それは止める事にした。さっきの花はアカヤシオと言って、躑躅の仲間だった。

晴れていたらどんなに美しかっただろうか。下りると、すぐ近くの国民宿舎湯の山ロッジに入った。午後5時が集合時間で、兎に角、義兄の夫婦など、7人が集まった。毎年、どこかで会う事になっているからだった。もう先に来て、風呂に入っている者もいる。

私は、天然鉱石温泉である展望浴場へと向かって行った。と言っても、すぐ目と鼻の先にある。1人、誰か先客がいる。勿論知らない、少し精悍な男だった。細長い台形のような風呂だった。広い方にその男。脚を伸ばせない程の狭い方に、私は入って行った。まさか、並ぶ訳にも行かないだろう。

無言の時が流れた。それでも良い。彼が上がって行けばそれまでの事である。だが、私から声を発した。ワーンと声が響いた。

「どちらからいらっしゃったんですか」

なんだか、急にインタビュアーになったようだった。

「岐阜からです」

岐阜? 娘がいる所ではないか。ちょっとだけ調子が上がった。

「岐阜のどの辺ですか。恵那とか中津川とか」

自分のペースに入って行くようだ。

「そちらの方ではなくて、岐阜市の隣りなんです」

「今日は何でいらしたのですか」

「山に登っていました」

「山がお好きなんですね。きっと5時間位山にいらっしゃったんでしょう?」

「ああ、まあ11時間程」

「おー、もう専門家じゃありませんか。外国の山は?」

「それはないです」

「私は島根県出身で、大山とか三瓶山とかが近くなんですよ」

「行かれた事は」

「よく知ってはいますが。山には月に2回は登ります」

「いい趣味なんですね」

と、話は続く。こういう事が人を知ると言う事だと思った。

「下山して、ここに来ました。風呂を浴びたら帰る積もりです」

成程、そう言う入り方もあるんだと認識させられた。

6時から、食事である。私達と他に数人。彼はここにはいなかった。

私には余り関係のなさそうな事だが、義兄達は、部屋に戻ってから1つの部屋で、皆でどこそこの誰とつながっているだの調べた系図で話し合っていた。昔の本人達の古い写真もあって、暫く談笑した。勿論夕食はビールや焼酎を飲みながら、美味しく頂いた。鮎の塩焼きを、背中から豪快に齧って食べたが、それが1番美味かったように感じた。

酔いが回り、いつしか寝入っていた。

5月13日

明け方になると、かなりの激しい雨がゴーゴーと川の音と一緒になって、前日に御在所岳に登った事を喜ばせてくれていた。

朝食は7時半からだった。全員がその時間に集まった。チェックアウトは10時で、その時間前に湯の山ロッジを出た。今朝までの激しい雨で、車はフロントもバックもルーフも、飛ばされた葉っぱで一杯だった。手で取り除き、何とか動けそうになった。軽い雨が降り注いでいた。

道の駅でお互いがそれぞれの道に分かれた。来年は指宿辺りがいいなどと言っていたが、果たしてそれはどうなるか分からない。

私達は義妹も乗せて、3人で帰路に入った。折角なので、平城宮跡資料館に行った。入館料もガイドもただだった。平城宮がこのように復元された様子などがとてもよく分かった。

第一次大極殿は奈良時代の前半のものだが、聖武天皇は東の方にある内裏の南にまた大極殿を作り直している。これを第二大極殿と言う。

また、長岡京に都が移る時、全てを持って行って立て直しているので、平城京の遺構は、田んぼで覆われてしまった。それが発見され、明治時代の終わりに、建築史家に依って平城宮跡を発見するきっかけとなった。その後地元の住人が保存運動に取り組み、今日の礎を築いた。それまで平城宮は眠っていたのだ。

これで私は2度目だが、この後は崖崩れなど危険個所もあるので、そのまま家路へと急いだ。

5月14日

朝体重計に乗ると2kg増えている。ああ恐ろしや。原因は何だと考えて見ると、コロッケや串カツはその原因の片棒を担いでいるにしても、日本酒をコップ2杯と、そのあてに甘栗を200g食べた事が大きいように思う。これは、今後気を付けなければならない事項となる。

1時半から三響楽器御影サロンでS.SさんとS.Mさんの2台のピアノでの演奏会がある。M.Uさんの、演奏の合間合間に朗読がある。

子どもへの憧憬Ⅱは、子どもも大人も楽しめるもので、連弾は「ブルグミュラーでお国めぐり」。

 1.恋をした天使のシャンソン(フランス)
 2.おしゃべりなスペイン娘(スペイン)
 3.アラビアの嘆き(サウジアラビア)
 4.無邪気な思い出(日本)
 5.タンゴ・デ・アラベスク(アリゼンチン)

次は2台のピアノでサン=サーンスの「動物の謝肉祭」だ。全曲繋げて聴く事が出来るのである。これはまたとないチャンスでもある。

M.Uさんの語りが曲の間に入り、臨場感のある劇を観る思いがした。上手いし、まるで役者そのものだ。

 1.序曲とライオンの行進曲
 2.メンドリとオンドリ
 3.野生のロバ
 4.亀
 5.象
 6.カンガルー
 7.水族館
 8.耳の長い登場人物
 9.森の奥のカッコウ
10.大きな鳥籠
11.ピアニスト
12.化石
13.白鳥
14.フィナーレ

連弾も然る事ながら、「動物の謝肉祭」の迫力のあった事。ピアノの音が明瞭で鮮明で正確で、その音たるや凄い迫力だ。流石にプロ2人。上手いには違いないが、そのピアノタッチと言うのか、それが感動的だったのである。

旦那さんが受付をしていて、帰る時もそこにいた。それから、シマさんの三線の演奏会の後の反省会と言うか懇親会と言うか飲み会と言うのかに誘われていて、そちらに行かなければならない事を告げて、その会場を去った。

板宿での飲み会は4時からになっているが、まだ3時を少し回った時点で、地下鉄の新長田駅に着いていた。その次が板宿駅なのだ。新長田駅で降りて、奄美会館に足を向けた。シマさんの唄っている声が聞こえる。三階に上がった。

その相方のMさんとのデュオを暫く聴き、それで終わった。そこまでは良いが、私がオカリナを吹く事になった。そんな積もりはさらさらなかったが、そらの陽さんももう演奏し終わったと言う。

そらの陽さんが来ているとは思わなかったが、午前中の仕事を終え、それからS.Sさんの所に行くのでは遅くなるし迷惑にもなると言う事で、ここに来たのだと言った。それでも少々遅れたと言っていた。

既に1巡の発表会は終わっていて、私がもし来たら演奏させる積もで、シマさんと相方のMさんは時間を稼ぎながら唄ってくれていたかも知れない。そこで演奏させて貰えるなど、全く思ってもみなかったから、それでも前に出て、椅子に座った。口から出まかせみたいな事を言って、演奏した。ふんずさんがアップしていた「ふるさと」を吹いた。

終わったと思ったが、アンコールの声が! それで曲名を3つ言って、1つ選んで貰う事にした。すると「虹の彼方に」と「津軽のふるさと」の2曲の演奏になった。なかなか上がった息が収まらない。シマさんの演奏が終わったらどうしようと思って、3階まで駆け上がって来ていたからだった。

その後すぐ、そらの陽さんと本来の「ふるさと」のデュオをして、その場はお片付けとなった。デュオも楽しいので、こんな時のレパートリーを数曲増やしておきたいと思った。いつもいつも「ふるさと」ではなあ。

地下鉄で、愈々飲み会の店に行った。10数人が集まった。奄美の料理が中心だが、サラダや蕗の煮物もある。とても美味い。ホルモンや豚の骨付き肉もあり、大皿を回しながらつついて食べた。シマさんの力量や人徳で長く続いている会では、いつも楽しく参加させて貰っている。

お客さんもいつしか増えて、満員状態となった。矢張り皆、カラオケが好きなようだ。いい喉をしている。


急ぎの3日間だったが、明日からはまた、ゆったりした日が流れる事だろう。昨夜から恵那の娘が友達の結婚式で来ていて、18日までは家にいる予定だ。そんな訳で、朝は湊川神社まで送って行く事になった。靴のヒールが高くて歩き難いと言っていたので、送って正解だったかも知れない。

3日間の日記を、だらだらと書いただけの、工夫も何もない文章になった。まあ、これでいい事にしておこう。また当分は書く事もないだろうから。

1日目は曇り空。夜通し大雨だったようで2日目は雨のち曇り。そして今日3日目は、布団が干したい位の気持ちのいい晴れ模様だった。
青色のメンパン。上は娘が作ってくれた、オカリナをあしらったTシャツ。その上に夏向きの薄くて軽いブレザー。少し寒いかと思ったが、もう早着替えを終えた自然の空気は清々しく暖かかった。

桜が満開だと思っていたのも束の間もう葉っぱだけで、花は記憶と携帯の待ち受け画面にあるだけだ。だが、もう待ち受けにする訳には行かず、足立美術館で幾らか撮っていた庭に変えている。

ウオーキングも、5月になるともう躑躅の順番が回って来ていた。蕾が初々しかったが、満開状態を横目にもう美しいとは言えない状態になっている。目には見えねど鶯が、ケキョケキョ、ホケッキヨと鳴いていたが、毎日聴いている内に少しずつ上手く鳴けるようになっているのが分かる。

ホーが言えるようになると、それにホケキョをくっ付ければいい。きっとあの鶯に違いないと思うのだが、ホーホケキョと自信を持って鳴いている。

鶯の声を聴きながら、桜がすっかり躑躅に変わっていたそのスピーディーな変化に、驚きながら舞子駅で降りた。12時40分位で、駅にはパンが売られ、しかもコーヒーが飲める店があった。「肉がゴロゴロのカレーパン」とあったので、早速カレーパンとホットコーヒーを注文した。小さな店で、止まり木のようなカウンターが背中合わせに5人ずつ並べるだけのスペースだった。肉はゴロゴロなんかしていなかった。

1時30分から舞子公園にある旧木下家住宅で庭園ライヴが1時間の予定で行われる。チラシを貰っていて、「行けたら聴いて下さい」と言われていた。すぐに予約はしたものの、二胡の音は私には苦手なものだった。

「JyaJyaUmaコンサート二胡&革胡」と言って、二胡は鳴尾牧子さん、革胡は重松涼子さん。鳴尾さんはチェロも弾くが、鳴尾弦楽団の音楽監督でもあり指揮者でもある。

美しい庭園は西の端っこだけが陰になっていて、日の当たる面積の方が遥かに広かった。私の顔を見るや手招きをして、その日陰に並んでいる椅子に誘ってくれた人がいた。結局、2人はよく知っている人で、オカリナを一緒に練習している人だった。

日は西に傾くに連れて、日影が広がって行った。反対でなくて良かったと思った。椅子は好きな所に持って行って良かったが、それでも日向にいて、傘を差している人もいた。カンカン照りと言うほどでもなかったが、暑い事だろう。日陰は涼しくて、気持ちが良かった。

白いドレスを着て、2人がテントの下に登場した。二胡と革胡の演奏が始まったが、鳴尾さんは話が好きと見えて、話が弾んでいた。マイクの調子が悪いのか音量がないのか、聴き難かった。

あの苦手な音が今から始まるのかと思うと何とも言えなかったが、あれ? と言う思いに変わった。ビブラートは掛けてはいるが、ヴァイオリンのような音に聞こえた。革胡は弦が4本ある。そして、二胡のメロディーを支えていた。10キロ位の重さがあると言った。

夜来香
蘇州夜曲
見上げてごらん夜の星を
空山鳥語
陽関三畳
サザエさんのテーマ
明石だこのマーチ
イカナゴ狂騒曲
四季より夏
ローズ
戦馬奔騰

「夏」のパッセージは、矢張りプロのものだった。「戦馬奔騰」は圧巻で、二胡でこんなに凄い演奏が出来るのか、と感心した。鳴尾さんも言っていた。「速い指遣いの曲が求められているのです」と。

終わって2人は席を立って消えかけた。遠慮しているのか、アンコールの拍手が鳴るのが遅かった。その手拍子も大きくなり、2人は戻って来て、「糸」を演奏した。私は、二胡を苦手意識と言うか、嫌味なしに聴く事が出来た。少しは意識も変わるだろうか。

鳴尾さんの話から、JaJaUmaはどちらも蛇の皮が貼ってあり、お互い午年だと言う所から名付けたと言う事だった。成程自分の考えとは違ったが、どう見てもじゃじゃ馬の心を秘めているようにしか見えなかった。結局はじゃじゃ馬ではないのか。すらっとした、背の高い白馬と言って置こう。

二胡の仲間には、中胡があり革胡がある事も分かった。革胡は皮が貼ってあるのだろうと考えたが、それは最近近くなって作られた、所謂革命的な楽器と言う事で、革胡と名付けられたと言った。


旧木下家住宅の中を見て回った。凄い建築だったが、もう1度来て、その時はじっくり見ようと思った。パンフレットの言葉を借りれば、神戸で海運業を営んでいた又野良介氏の私邸で、昭和16年に建てられた数寄屋造近代和風住宅だ。それを昭和27年に明石で鉄鋼業を営んでいた木下吉左衛門氏の所有となり、平成12年に息子の木下吉治郎氏の遺族から、兵庫県が寄贈を受けたのだ。

阪神間では多くの和風住宅が姿を消して来ているが、その屋敷構えを残す貴重な建物として、平成13年11月20日に国の登録有形文化財に登録されたのである。


3時を過ぎていた。次の目的は垂水駅に戻り「王将」に行く事だった。ビールを飲まないコンサートの後なんて、私には音の出ないマイクと同じ事である。

生ビールを注文した。それと酢豚。餃子は持ち帰りで焼いて貰った。中々酢豚が来ないので、ビールは半分近くに減ってしまった。来るまでは、啜るように飲んだ。結構大きな酢豚はニンジンやタマネギやピーマンやジャガイモに盛り上げられて7個位あったのだと思う。

始まったばかりの冷麺に目が行った。本当は、酢豚にするか冷麺にするか迷った程だ。だが、ビールのあてに冷麺はなあと、常識っぽい考えにうっちゃられたのだった。それで酢豚になったのだが、本日のおすすめで貼ってある「春キャベツとシラスの梅チャーハン」が目に付いた。期間限定で、しかも白川台店、須磨店、垂水店、板宿店の4点でしか食べられない。きっと5月一杯で終わる事だろうと思うと、どうしても食べない訳には行かなかった。

「王将」の通常のチャーハンは美味いのだが、私は冒険を試みた。春キャベツ、シラス、梅。これだけ並んだチャーハンは今食べなかったらと、即決した。

ピンク色のチャーハンが運ばれた。梅の色だと分かったのは少ししてからだった。キャベツもシラスもちょこっと混ざっている程度だが、満更でもなかった。チャーハンの面影はないが、油が入っている所とれんげが付いている所は、所謂チャーハンと同じだった。春を惜しみながら、春キャベツやシラスや梅を味わった。美味い事にも変わりはない。

小さな鞄と、餃子と、舞子駅近くのお惣菜屋さんで買った揚げたてのコロッケとヒレカツも一緒に、家に帰ったのは4時30分だった。今から、1人で酒盛りだ。芋焼酎に、餃子、コロッケ、ヒレカツが取り巻く。焼酎が中心のようだが、実は私が親分なのだ。と言う事は、胃袋が王様か。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹 

この視覚と聴覚と味覚を俳句に収めた山口素堂の感覚の鋭さを思いながら、五感の素晴らしさを私なりに総動員して、巷で言うゴールデンウイークの終わりに、明日へと繋げたいと思った。素堂は、当然五感を盛り込みたかったと思うが、こんな短い文の中に芸術的に全部入れられただろうか。きっと、その他の感覚は、自分で感じてみなさいと言っているに違いない。

そうそう、思い出した。コンサートの時、1曲終わる毎に、まるで鳴尾さんの話になるのを待つかのように、すぐ近くを走る山陽電車の音がした。

カーカーと鴉が鳴いた。キアゲハが曲線的に立体的に飛んでいた。木々の緑は滴るように美しく、躑躅が鮮やかだ。そんな自然の匂いを風が爽やかに運ぶ。風は頬を掠めて、姿も見せずにまたどこかに行った。もう周り中、初夏の色が見えるようだった。
4月9日、大阪はフェスティバルホール。1時からは「春昼」、5時からは「春宵」と題して、デビュー45周年記念スペシャルコンサートが行われる。もう2時を過ぎているが、私は5時からのコンサートを聴く事にしている。


11日まではまだ阪神デパートで、福岡・熊本・鹿児島の物産展が開催されている。私は気に入ってしまって、何かの序でにもう1度来たいと考えていた。今日は、絶好のタイミングだった。

2時半頃にデパートの8階に上がった。日曜日とあって、流石の人の流れではある。先ず博多純情らーめん「ShinShin」に並んだ。時間が時間なだけに、7、8人並んでいたがすぐに在り付けた。チャーシューの沢山入っているラーメンにした。コクはあるが、嫌味な程こってりしているのでもなく、麺は素麺のように超細いもので、珍しい位の博多ラーメンを食べる事が出来た。

この前は日本酒の飲み比べをしたので、今回はビール4種の飲み比べをする事にした。「ブルーマスター創業15周年大感謝祭!」と銘打っている。

ブルーマスターのブルーはBLUEではなくBREW、つまり醸造すると言う意味である。カタカナだけではよく分からない事がある。

1.プレミアムアイスブルーマスター
2.かぼす&ハニー
3.ヒーリングタイム
4.あまおうノーブルスイート

地ビールそのものの味であったり、かぼすが入っていて甘かったり、苦くてコクがあったり、甘くてコクがあったりしていた。アイスビールに就いては、0度より低い温度で熟成させて香りと甘味を封じ込めている。美肌や美白を謳っているはと麦が原材料の為、酒税法上ビールと表記出来ないので発泡酒となるが、麦芽比率は99%以上なので税率はビールと同じそうだ。

あては無しだ。岩塩を持って来ていたら良かったが、つい忘れてしまっていた。美味しく飲み終えた後、行列の出来ていた「完熟あまおうの生いちごパラダイス」で、ソフトクリームに苺がスライスして乗せてあるのを買って食べた。とても量は少ない苺だったが、太陽のいちごと書かれているだけあって、美味~いいちごだった。

熊本の豚肉コロッケがこの前美味かったので、5個買った。160円は高いとは思うが、中のジャガイモが忘れられない程美味かったのである。他に、ぶらぶら歩き、大宰府えとやの「梅の実ひじき」を買った。ご飯に塗して食べるのが楽しみだ。振り掛け感覚で食べたいと思う。


時間はまだあるが、兎に角フェステイバルホールの近くまでは行って置く必要がある。5時からの開演に間に合わなかったら何の意味もないからだ。近くには朝日新聞社があって、ガラスケースの中に新聞が貼られ、誰でもその日の新聞が読めるようになっている。

さらに近くのカフェで、コーヒーを飲んだ。やっぱり家で飲んでいる1杯20円位のものとは味が違う。嬉しいのは、外出をした時には望めば美味いコーヒーが飲める事だ。

私の歳前後の人達が、エスカレーターに乗って上って行く。私もその集団に混じって、上って行った。チケットを見せた途端に、

「ずっと上まで上がって下さい」

と言われた。またそれ以上ない高さの、3階の最後尾から2つ前の席となっている。急勾配のステージを臨む事になる。

石川さゆりの生の姿。また生の演奏で歌う姿を観たかった。彼女の歌唱力は大いに認めている所である。それが、もうじき実現する。私はオカリナで「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」を吹いている。石川さゆりの表現力を吸収して、少しでもその気持ちをオカリナに乗せてみたい事もあった。今、それが実現しようとしている。

辺りは真っ暗になった。暗黒の世界が暫く続いた。三味の音がして、緞帳が上がった。三味の伴奏者はいなかった。音が変わり、いきなり「津軽海峡・冬景色」が歌われた。金襴緞子に近い感じの着物姿で歌っている。小さくてよく見えないが、そこは双眼鏡のお出ましだ。

かなりの傾斜で見下ろしているので、流石に顎のホクロは見えなかった。別に観たいとも思っていなくて、そこで石川さゆりが確かに歌っていると思っただけでわくわくした。知らない曲も結構あって、それがまた楽しかった。前半1時間の中頃で、着替えをして出て来た。今度は、紺色のドレスに灰色のショール姿だった。ドレスは珍しい。

歌も、ずっと演歌を聴いていた訳ではない。

「吉岡治先生の奥様が、『もう新しい曲が出来る訳ではないのよ。自分で作ったり、これからは違った分野の曲にも挑戦しなきゃあね』と仰って、演歌以外の曲を歌う事でも自分を広げています」

と言って、演歌らしからぬ曲も歌ったりした。今は、脱皮も考えているのではないだろうか。

「それでは今から15分間休憩です」

と大きな声で彼女が言ったと思ったら、緞帳が下りて行き、また江戸時代の人々の姿で賑わっていた。

再び真っ暗になると、また三味の音がして、暫くして幕が開いた。知っている曲も幾つかある。「夫婦善哉」「滝の白糸」など。

着物に着かえていた。照明はふんだんに変わる。帯締めが2本留められていて、上が黄色、真ん中が黄緑色だった。それがとても鮮やかな線となって目に刺さる。

石川さゆりは演奏者を紹介する。向かって左の集団は、エレキベースとドラムスとエレキギターだった。右の集団は、ピアノとキーボード、サックスや篠笛、ヴァイオリン、チェロで、総勢7人の集団だった。よくこれだけで、歌える伴奏が出来るものだと感心していた。

前方ではファンクラブの人達が列を為してお土産を渡していた。色や大きさは変わるが、同じ様な紙袋に入ったものが殆どだった。

「これは何ですか」

「551の蓬莱ね」

30人近くステージの前に並んでいたのではないだろうか。受け取っては握手をしていた。

「私は、これを楽しみにしていたので」

「ちょっとしか入ってない? ・・・本当だ」

と言って笑わせてくれる。

「これは?」

「ちょっとしたもん!」

結構長い時間だったが、殆どがファンクラブの法被を着ていた。彼女の歌は小説から来ているようなのもあって、その中身を彼女が録音で映像を見せながら朗読している間に、最後の衣裳替えをしていた。帯留めはオレンジ色だったが、それは大胆にも斜めに留めてあった。

ここまで結構な音量で響いて来るが、1階の左右の前列辺りの人達はどうなんだろう。大きなスピーカーが左右にあるが、耳を劈く程の音ではないだろうか。そんな音だったら、中々慣れるまでは行かないと思う。必ずしも高価な席の前がいいとは言えないのではないかと他人事ながら心配になる。

後半も15分の休憩とプレゼントの受け取り15分とすれば、7時半に終わったが、結局実質歌っている時間は1時間となる。全部で2時間の熱唱だった事になるが、同じステージをやった後だから、喉の負担も大変ではなかったかと思う。

最後の前は「風の盆恋歌」で、これはとても美しい歌だった。最後の最後はこれしかない。「天城越え」だ。「津軽海峡・冬景色」で始まり「天城越え」で終わるなんて、憎い演出をしたと思う。そうして、緞帳が下りた。だが、アンコールの拍手は鳴り止まなかった。

緞帳が再び上がり、石川さゆりはもう歌い始めている。それは、何となく奄美の唄の調子が何カ所もあった。タイトルは確認していない。それに、今迄にそんな歌を歌っているのを聴いた事がない。私は、ユーチューブで聴いてみた。しっかり聴いていなかったので、文句もよく覚えていない。曲も頭に入っていない。なので、他にまだそんな唄があるのかどうかも分からない。

けれど、その歌ではなかったとしても、司会者の語る口調を載せ、歌詞を一通り書き抜いて置こうと思う。10年程前に作られた唄だが、シマさんは知っていただろうか。


「奄美大島の民謡朝花節が、好きだった人との思い出の唄。この唄を支えに生きる女の心が描かれています。石川さゆり、朝花」

                           
     朝花
          作詞・作曲 樋口了一

夏は過ぎ 胸に残る唄ひとつ
あのひとと 唄った 唄がひとつ
悲しく 悲しく 響いた時
優しく 優しく 包まれた時
あの朝花の 調べに寄り添い
ハイハイ ハ~レイ ヨイサヨイ と
生きて 生きてきました

子は育ち やがて子の親となり
この唄を 集い 唄うのだろう
楽しい 楽しい 時に唄え
苦しい 苦しい 時こそ唄え
あの朝花の 調べに寄り添い
ハイハイ ハ~レイ ヨイサヨイ と
あなたを 想い
あの朝花の 調べに抱かれて
ハイハイ ハ~レイ ヨイサヨイ と
生きて 生きてゆきます


石川さゆりさんは、みんなにお土産をくれていた。それは、「 Happy Egg ~きっと見つかる四つ葉のクローバーセット~」と言う、卵が1個入ったパック。両手で包んでやっと隠れるかどうかのもの。本物の卵ではなく、卵の形をした多孔質セラミックだ。

その頭を叩いて破り、中に土が入っているので底に染み出すまで水を掛ける。土全体が湿ったら芥子の種のような23個程入った種の半分を蒔く。それから霧吹きで腐らないように水を与えると言う作業を2、3ケ月続けなければならない。残りの種は、失敗した時ように残して置くものなのである。

上手く行ったら鉢に植え替えればいいので、そこまで行ったら楽しいだろう。小さな卵1個だが、何千人の手に渡った事だろう。そうして皆、石川さゆりの45周年記念を思い出しながら、四つ葉のクローバーが頭を覗かせるのを楽しみにして待つだろう。

こんな形のお土産を貰えたコンサート、今日の今日まで初めての事だった。
大阪駅桜橋口から数分で行ける所に、「劇団四季」の大阪四季劇場はある。見たのさえ初めてだった。咳が酷いと言っても昨日程ではなく、願っていたが故に、行かない訳には行かなかった。「CATS」はPianoさんのブログで知って、行ってみたいと言う気になっていた。

8階に上がると更に上の階、その一番最後の席に位置した。凄い俯瞰状況だ。

ゴミ捨て場であろう。大きなタイヤ。薬缶。手提げの懐中電灯。何と、運動会などで使うライン引きもある。丸いステージの前は、ゴミの山だ。

1時半になると、途端に真っ暗になる。すると、下で観ている人にはここで見ている数は見られない程、黄色い猫の目があちこちで光っては動く。猫の目を持って通路を動いているのだが、光る目しか見えない。

猫がステージ上のゴミ捨て場に1匹また1匹と集まり出して、猫になり切った動きをする。そして、集まると踊り出す。凄い動きだ。1時間の上演の後20分の休憩を挟み、又1時間演じる。台詞はなく、歌で代弁されている。

オペラのようなストーリー性は始めよく分からなかったが、チラシを見ながら自分なりに纏めると、

「満月の夜、24匹の猫が集まって来る。それは人間に飼い馴らされる事を嫌った猫たちだった。強かに生きる。強靭な思想と無限の個性、行動力持つ猫。それがジェリクルキャッツだ。今宵は長老猫が、最も純粋なジェリクルキャッツを選ぶ日だ。猫たちは人生を歌い踊りながらアピールする。それは、最初皆から嫌われた娼婦猫だった。彼女はそこで2度も『メモリー』を歌った。年少の子供猫が、去って行こうとする汚れ傷ついた心や体のグリザベラの純粋性を感じ引き留めた。皆もそれに気が付いたように仲間に入れた。天上に上り新しい人生を生きる事を許されたグリザベラは、天に上って行った」

と言う、深く広いストーリー性はそんなに感じられなくても、その踊りは初めから終わりまで圧巻だった。猫になり切った演技、そして纏まった時の統一性や、個性的な各自の表現力は見事としか言いようがない。

劇団四季の「キャッツ」の事もチラシから纏めてみると、

「ブロードウェイを始め大ヒットした『キャッツ』。1983年に劇団四季が初めて上演して以来30余年、通算公演回数は9,200回。総入場者数は910万人を超え、驚異的な記録を更新し続けている、奇跡のミュージカルだ」

と言う事になる。今回13年振りとなる大阪公演は、圧倒的な人気を誇っているが、むべなるかな、である。もう1度行くかと問われれば、チャンスがあれば行っても良いと思えるものがある。


4時に終わり、阪神デパートの8階に上がってみた。福岡、熊本、鹿児島3県の物産展があるからだ。財布のジッパーをしっかり締めたまま歩いてみた。鹿児島県の「かからん団子(よもぎ)」が3個入ったものを買ってしまった。2枚の葉で挟まれた団子からは、今にも蓬の匂いがしそうだった。

横には餡子蓬餅が並んでいて、蓬懐かしさに、それも1個だけ買った。頼りないチャックだ。

おお、九州3県銘酒バーが嫌でも目に入る。幻の焼酎と言われる「森伊蔵」があるではないか。これでも安い方で、975円。だが、1杯30mlしかない。グラスに10cmちょっとだ。これで限定50杯と言う販売である。単純計算しても、1升58,500円の焼酎と言う事だ。

もう1つは、「森伊蔵楽酔喜酒」。これは2003年物で、20杯限定。20mlで3,240円。同じく単純に計算して、1升が291,600円の焼酎と言える。実際1升が幾らかは調べたら分かる事だが、それよりも手に入らない代物と言う印象の方が強い。

ここも商売だから少しは高いだろうと思う。だが、ここまで高価な焼酎は、飲んだ事はない。勿論私は、「森伊蔵」30ml975円を飲む事にした。オンザロックにしたのは間違いかも知れなかったが、その味は値打ちの味がした。もう、「森伊蔵」は、飲む事はないだろう。素晴らしい体験だった。

後は3種飲み比べを注文。これは日本酒だ。あては塩もなかった。コロッケを1個買い、それがまた美味いジャガイモだった。「三井の寿」「庭のうぐいす」「旭菊」。どれもとろりとしていたが、「三井の寿」は甘口に近く、「庭のうぐいす」は辛口に近く、「旭菊」は生酒のような味だった。

この数日、アルコールは全く飲みたくもなかったが、こうしていいミュージカルを観た後は、飲んでみたい気にさせてくれた。起爆剤は、「森伊蔵」だった。餡子蓬餅の美味かった事。ああ、八女茶も300g1,080円の量り売りを買っていた。これがまた、何と美味い事。
80㎞の道程を走るべく、朝8時40分に家を出た。山崎文化会館で、第10回森の国オカリナフェスティバルがある。私は2日位前から、とても行ける状態ではなかった。熱はいつもないけれど、今回も洟は出る、咳は出る。こんな状態でホールで聴く訳には行かない。

馬鹿は風邪を引かないと言うはっきりした言い伝えがあるのに、引いた。馬鹿だと思うのに、引いてしまった。孫が2人共引いていて、昨日も一昨日も、私はそれはそれは近くで折り紙を一緒にしていた。昨日も一昨日も、床に入ったのは夜の9時だった。だが、それでも今朝は辛い状況だ。

私は出場しないけれど、聴きに行ったり、ブースを見て回るのはこんな時にしかない。10時半から開始だが、30分は回って見たかった。しかし、興味はなかった。買う積もりなど全くないからだ。もう、自分のオカリナを、どう吹いていい音を出せるか、それが問題だった。

知った人もいたが、テレマンの若い社長が、

「2階の展示は凄いですよ」

と言った。下のブースはちらっと見ただけで、2階に上がった。うわ~。そこには植田先生夫婦がいて、自分達の所有のオカリナ等を並べていた。え~、と唸った。テンションが上がり捲った。オカリナの変遷を思わせる楽器が、整理されながら並んでいた。この部屋全部、彼らのオカリナだった。

ここからは、後で書き留めておこう。この時は、洟も咳も出なかった。気が、オカリナに向けられていた。階下は皆が演奏して楽しめる、今時のオカリナのブースが並ぶ。オカリナが欲しい人で占めている。ドナーティイのオカリナは多分アンサンブルなどには今は音などの変遷で、誰も使わないだろう。が、あの頃の音が、こんな音だったのかと思われる程、大きな、素敵な響きがした。値打ちがあった。

1,000円出して、もう余り残っていない2階の一番前の席にした。朝から51組が演奏する。全部で51組だから、5時を過ぎると思う。私は、18組が終わってから、昼の部のゲスト演奏を聴いた。急に席が埋まって行く。メインゲストは茨城智博さん。オカリナは後4人。佐々木一真、山本奈央、前田麻希、奥村香織の面々。この5人で演奏した。

茨木さんのピアノ伴奏は森浩司さんだったか、森悠也さんだったか。苗字も一緒だし、何だか似ているし、よく分からなかった。最後はまた5人とピアノで演奏をし終えた。上手いと言えばとても真似の出来ない位上手い。私が手を出す分野ではない。

隣りに座った女性が、演奏中でも話して来る。これには参った。どこかに消えたと思ったら、何か昼食のようなものを買って来て、

「これ食べて下さい」

と言う。私は、すぐに断った。変わった人だと思ったが、垂水に住んでいるそうだ。携帯を広げたと思ったら、音をさせて閉じた。介護の仕事をしていると、自分から言う。広告の紙を破っている様子だった。何をしているのだろう。

何と、住所、氏名、電話番号を書いて、私に渡した。暫く何もしないでいたが、これは手にした。どんな意図があるのかさっぱり分からない。私は、指定席でも、ゲスト演奏が終わったら買って来ていたおにぎりを食べて、今度は1階の席に座ろうと思った。もぞもぞと、咳が上がって来る。これを押さえるのがどれ程大変か。

30数曲聴いて、もう帰ろうと思った。茨木さんの演奏は、前半を聞いたので、もう未練はない。それより、咳が酷い。悪寒がする。ここまで聴いて、良かったと思える演奏は1つか2つだった。私の耳が肥えたのかも知れない。肋骨の真ん中辺を押さえ乍ら、咳を止めようとした。ヒヒ、ヒヒと言う声が震えながら上がって来る。



もう1度、展示してある2階に上がった。奥さんの方がいた。数人は入れ替わり立ち代わりしていたが、こんな凄い展示を見に来る人が少ないのには驚いた。

オカリナの歴史は浅く、しかしイタリアが発祥の地となっている。ジュゼッペ・ドナーティ Giuseppe Donati(1836~1925)が作り始めて、仲間と楽団を組み、あちこちに演奏に行っている。その時のオカリナがあるではないか。3個だった。1つはアルトC管で、後はもう少し小さいオカリナだった。歪な形をしていた。植田先生は、

「吹いて下さい」

と言った。えっ? と言った瞬間、舞い上がった。

「先ず吹いてみてくれませんか」

それは何と大きな音で、滑らかではないが、ややかすれたような感じの音がした。全くソロには遜色はないと思うが、誰も今の楽器と比べると敢えてこの笛を選ばないと思う。或る意味、好事家か収集癖のある人は、手に入れるかも知れない。つまり音質とかが違うからである。素敵なオカリナには違いない。

私は、大きいのも小さいのも吹いた。いい音が出るとか何とかは二の次で、その時代のオカリナを吹いたのである。

ドナーティのオカリナは、ブドリオ時代(第1世代)~1876。ボローニャ時代(第2世代)1878~1906。ミラノ時代(第3世代)1907~1925。このドナーティのオカリナを吹いた。これで、もう森の国オカリナフェスティバルの意義は達せられたと思った程だ。

後、どんなオカリナが展示されていたか、記して置く事は意味のない事ではない。

○ 中国木製のオカリナ (楽土)パラダイス製

○ ホナー製のオカリナ (ドイツ20世紀当初)

○ EWA社のオカリナ (オーストリア20世紀初頭)

○ フィーンのオカリナ Heinich Fiehn(オーストリア1846~1920)

○ 金属製のオカリナ(フランス1890年20世紀初頭)」

○ マイセン柄のオカリナ(ドイツ1910~1920頃)

○ カネックのオカリナ Antonio Canella(伊1861~1952)

○ ミンヤーニのオカリナ Carrgo Mignan(1918~1997)

○ チェザリのオカリナ (1888~1962)

○ キエザのオカリナ Guido Chiesa(1884~1965)

○ ヴィチネッリ Cesare Vicineli(1841~1920)

○ E・メッツェッティーのオカリナ Frcopl Mezzetti(1841~1918)

ここからは新しいもの、或いは歴史を継いだものと言われているものだ。

○ メナーリオのオカリナ (ブドリオ5代目の製作者)

○ バリッラーラのオカリナ

○ コロンボのオカリナ

○ パッキオーニのオカリナ 

それと、私が手で持って吹いてみたいオカリナがあった。なんと、フェステイバルのような所で売っていたと言うから、驚木桃の木山椒の木だ。

それは、ホンヤミカコさんが好んで吹く「ミカレジーナ」である。これは、2009年に静岡理工科大教授志村史夫と共に「オカリナの音の科学的研究の成果」として発表したものだ。ここで、またまた吹かせて貰える事になった。結構な出力がある。きっと、素敵なオカリナだと思った。だが、私には吹けない事が判明した。普段吹くオカリナと穴を閉じる指の間隔が、かなり違うのだ。このミカレジーナが手に入った所で、私には宝の持ち腐れとなる。

そして、最後に世界最大級のオカリナを吹かせて貰う事になった。よこの長さは多分80cm位あるだろう。これは、台湾のTNGのトリプルバスC管。BBBC管と言われているものだ。普通オカリナは右手を上から被せ、左手は向こう側から手を回し左手を上から被せる。リコーダーの要領だ。

この大きなオカリナは台に置いといて、右手は普通と同じように塞ぐ。左手も右手と同じようにこちら側から被せる。これを買ったと言うから、只者ではない。凄い低い、聴いた事のないような音が響く。大きな音ではないが、慣れると凄い役目をすると思う。

もう、山崎文化会館ではゲストの演奏が終わっているだろう。私がそこまで居れると仮定して、家に帰り着くのは8時前になろう。今やっとこうして書くだけ書いた。あんまりあても胃袋に入らない。焼酎も旨くない。もう、寝る事が1番のように思う。今日は、こんな事をしていたのだった。

オカリナの名称や謂れは、植田先生が書いてオカリナの前に置いているものを写した。

日本では、穴の数を2つ3つ増やして、効率の良いオカリナにしたのは、アケタオカリナの改良者、明田川孝さんである。私は、そんな当時のオカリナは小学6年生の時貰ったが、これは「レル民族楽器研究所」、アケタの前身のオカリナだった。魅力一杯だった事を覚えている。