5月12日

御在所ロープウェイの駐車料1,000円には驚いた。払った限りは、ロープウェイに乗らない訳には行かない。それに、三重県にまで来たのだ。

大雨の予報もあり曇ってはいたが、雨の気配はない。かなり長い時間、往復2,160円の乗車料のそれは、見晴らしのいい、かつて海から隆起した面白い岩をも観乍ら、上って行く。まさか梅や桃なんかではない花が、ピンク色を呈して綺麗だ。

頂上に到着すると、曇った景色を眺めた。写真を写す場所が設定してあり、そこには1,212mと記してあった。ここからさらに往復600円でリフトがあったが、曇りを考慮して、それは止める事にした。さっきの花はアカヤシオと言って、躑躅の仲間だった。

晴れていたらどんなに美しかっただろうか。下りると、すぐ近くの国民宿舎湯の山ロッジに入った。午後5時が集合時間で、兎に角、義兄の夫婦など、7人が集まった。毎年、どこかで会う事になっているからだった。もう先に来て、風呂に入っている者もいる。

私は、天然鉱石温泉である展望浴場へと向かって行った。と言っても、すぐ目と鼻の先にある。1人、誰か先客がいる。勿論知らない、少し精悍な男だった。細長い台形のような風呂だった。広い方にその男。脚を伸ばせない程の狭い方に、私は入って行った。まさか、並ぶ訳にも行かないだろう。

無言の時が流れた。それでも良い。彼が上がって行けばそれまでの事である。だが、私から声を発した。ワーンと声が響いた。

「どちらからいらっしゃったんですか」

なんだか、急にインタビュアーになったようだった。

「岐阜からです」

岐阜? 娘がいる所ではないか。ちょっとだけ調子が上がった。

「岐阜のどの辺ですか。恵那とか中津川とか」

自分のペースに入って行くようだ。

「そちらの方ではなくて、岐阜市の隣りなんです」

「今日は何でいらしたのですか」

「山に登っていました」

「山がお好きなんですね。きっと5時間位山にいらっしゃったんでしょう?」

「ああ、まあ11時間程」

「おー、もう専門家じゃありませんか。外国の山は?」

「それはないです」

「私は島根県出身で、大山とか三瓶山とかが近くなんですよ」

「行かれた事は」

「よく知ってはいますが。山には月に2回は登ります」

「いい趣味なんですね」

と、話は続く。こういう事が人を知ると言う事だと思った。

「下山して、ここに来ました。風呂を浴びたら帰る積もりです」

成程、そう言う入り方もあるんだと認識させられた。

6時から、食事である。私達と他に数人。彼はここにはいなかった。

私には余り関係のなさそうな事だが、義兄達は、部屋に戻ってから1つの部屋で、皆でどこそこの誰とつながっているだの調べた系図で話し合っていた。昔の本人達の古い写真もあって、暫く談笑した。勿論夕食はビールや焼酎を飲みながら、美味しく頂いた。鮎の塩焼きを、背中から豪快に齧って食べたが、それが1番美味かったように感じた。

酔いが回り、いつしか寝入っていた。

5月13日

明け方になると、かなりの激しい雨がゴーゴーと川の音と一緒になって、前日に御在所岳に登った事を喜ばせてくれていた。

朝食は7時半からだった。全員がその時間に集まった。チェックアウトは10時で、その時間前に湯の山ロッジを出た。今朝までの激しい雨で、車はフロントもバックもルーフも、飛ばされた葉っぱで一杯だった。手で取り除き、何とか動けそうになった。軽い雨が降り注いでいた。

道の駅でお互いがそれぞれの道に分かれた。来年は指宿辺りがいいなどと言っていたが、果たしてそれはどうなるか分からない。

私達は義妹も乗せて、3人で帰路に入った。折角なので、平城宮跡資料館に行った。入館料もガイドもただだった。平城宮がこのように復元された様子などがとてもよく分かった。

第一次大極殿は奈良時代の前半のものだが、聖武天皇は東の方にある内裏の南にまた大極殿を作り直している。これを第二大極殿と言う。

また、長岡京に都が移る時、全てを持って行って立て直しているので、平城京の遺構は、田んぼで覆われてしまった。それが発見され、明治時代の終わりに、建築史家に依って平城宮跡を発見するきっかけとなった。その後地元の住人が保存運動に取り組み、今日の礎を築いた。それまで平城宮は眠っていたのだ。

これで私は2度目だが、この後は崖崩れなど危険個所もあるので、そのまま家路へと急いだ。

5月14日

朝体重計に乗ると2kg増えている。ああ恐ろしや。原因は何だと考えて見ると、コロッケや串カツはその原因の片棒を担いでいるにしても、日本酒をコップ2杯と、そのあてに甘栗を200g食べた事が大きいように思う。これは、今後気を付けなければならない事項となる。

1時半から三響楽器御影サロンでS.SさんとS.Mさんの2台のピアノでの演奏会がある。M.Uさんの、演奏の合間合間に朗読がある。

子どもへの憧憬Ⅱは、子どもも大人も楽しめるもので、連弾は「ブルグミュラーでお国めぐり」。

 1.恋をした天使のシャンソン(フランス)
 2.おしゃべりなスペイン娘(スペイン)
 3.アラビアの嘆き(サウジアラビア)
 4.無邪気な思い出(日本)
 5.タンゴ・デ・アラベスク(アリゼンチン)

次は2台のピアノでサン=サーンスの「動物の謝肉祭」だ。全曲繋げて聴く事が出来るのである。これはまたとないチャンスでもある。

M.Uさんの語りが曲の間に入り、臨場感のある劇を観る思いがした。上手いし、まるで役者そのものだ。

 1.序曲とライオンの行進曲
 2.メンドリとオンドリ
 3.野生のロバ
 4.亀
 5.象
 6.カンガルー
 7.水族館
 8.耳の長い登場人物
 9.森の奥のカッコウ
10.大きな鳥籠
11.ピアニスト
12.化石
13.白鳥
14.フィナーレ

連弾も然る事ながら、「動物の謝肉祭」の迫力のあった事。ピアノの音が明瞭で鮮明で正確で、その音たるや凄い迫力だ。流石にプロ2人。上手いには違いないが、そのピアノタッチと言うのか、それが感動的だったのである。

旦那さんが受付をしていて、帰る時もそこにいた。それから、シマさんの三線の演奏会の後の反省会と言うか懇親会と言うか飲み会と言うのかに誘われていて、そちらに行かなければならない事を告げて、その会場を去った。

板宿での飲み会は4時からになっているが、まだ3時を少し回った時点で、地下鉄の新長田駅に着いていた。その次が板宿駅なのだ。新長田駅で降りて、奄美会館に足を向けた。シマさんの唄っている声が聞こえる。三階に上がった。

その相方のMさんとのデュオを暫く聴き、それで終わった。そこまでは良いが、私がオカリナを吹く事になった。そんな積もりはさらさらなかったが、そらの陽さんももう演奏し終わったと言う。

そらの陽さんが来ているとは思わなかったが、午前中の仕事を終え、それからS.Sさんの所に行くのでは遅くなるし迷惑にもなると言う事で、ここに来たのだと言った。それでも少々遅れたと言っていた。

既に1巡の発表会は終わっていて、私がもし来たら演奏させる積もで、シマさんと相方のMさんは時間を稼ぎながら唄ってくれていたかも知れない。そこで演奏させて貰えるなど、全く思ってもみなかったから、それでも前に出て、椅子に座った。口から出まかせみたいな事を言って、演奏した。ふんずさんがアップしていた「ふるさと」を吹いた。

終わったと思ったが、アンコールの声が! それで曲名を3つ言って、1つ選んで貰う事にした。すると「虹の彼方に」と「津軽のふるさと」の2曲の演奏になった。なかなか上がった息が収まらない。シマさんの演奏が終わったらどうしようと思って、3階まで駆け上がって来ていたからだった。

その後すぐ、そらの陽さんと本来の「ふるさと」のデュオをして、その場はお片付けとなった。デュオも楽しいので、こんな時のレパートリーを数曲増やしておきたいと思った。いつもいつも「ふるさと」ではなあ。

地下鉄で、愈々飲み会の店に行った。10数人が集まった。奄美の料理が中心だが、サラダや蕗の煮物もある。とても美味い。ホルモンや豚の骨付き肉もあり、大皿を回しながらつついて食べた。シマさんの力量や人徳で長く続いている会では、いつも楽しく参加させて貰っている。

お客さんもいつしか増えて、満員状態となった。矢張り皆、カラオケが好きなようだ。いい喉をしている。


急ぎの3日間だったが、明日からはまた、ゆったりした日が流れる事だろう。昨夜から恵那の娘が友達の結婚式で来ていて、18日までは家にいる予定だ。そんな訳で、朝は湊川神社まで送って行く事になった。靴のヒールが高くて歩き難いと言っていたので、送って正解だったかも知れない。

3日間の日記を、だらだらと書いただけの、工夫も何もない文章になった。まあ、これでいい事にしておこう。また当分は書く事もないだろうから。

1日目は曇り空。夜通し大雨だったようで2日目は雨のち曇り。そして今日3日目は、布団が干したい位の気持ちのいい晴れ模様だった。