青色のメンパン。上は娘が作ってくれた、オカリナをあしらったTシャツ。その上に夏向きの薄くて軽いブレザー。少し寒いかと思ったが、もう早着替えを終えた自然の空気は清々しく暖かかった。

桜が満開だと思っていたのも束の間もう葉っぱだけで、花は記憶と携帯の待ち受け画面にあるだけだ。だが、もう待ち受けにする訳には行かず、足立美術館で幾らか撮っていた庭に変えている。

ウオーキングも、5月になるともう躑躅の順番が回って来ていた。蕾が初々しかったが、満開状態を横目にもう美しいとは言えない状態になっている。目には見えねど鶯が、ケキョケキョ、ホケッキヨと鳴いていたが、毎日聴いている内に少しずつ上手く鳴けるようになっているのが分かる。

ホーが言えるようになると、それにホケキョをくっ付ければいい。きっとあの鶯に違いないと思うのだが、ホーホケキョと自信を持って鳴いている。

鶯の声を聴きながら、桜がすっかり躑躅に変わっていたそのスピーディーな変化に、驚きながら舞子駅で降りた。12時40分位で、駅にはパンが売られ、しかもコーヒーが飲める店があった。「肉がゴロゴロのカレーパン」とあったので、早速カレーパンとホットコーヒーを注文した。小さな店で、止まり木のようなカウンターが背中合わせに5人ずつ並べるだけのスペースだった。肉はゴロゴロなんかしていなかった。

1時30分から舞子公園にある旧木下家住宅で庭園ライヴが1時間の予定で行われる。チラシを貰っていて、「行けたら聴いて下さい」と言われていた。すぐに予約はしたものの、二胡の音は私には苦手なものだった。

「JyaJyaUmaコンサート二胡&革胡」と言って、二胡は鳴尾牧子さん、革胡は重松涼子さん。鳴尾さんはチェロも弾くが、鳴尾弦楽団の音楽監督でもあり指揮者でもある。

美しい庭園は西の端っこだけが陰になっていて、日の当たる面積の方が遥かに広かった。私の顔を見るや手招きをして、その日陰に並んでいる椅子に誘ってくれた人がいた。結局、2人はよく知っている人で、オカリナを一緒に練習している人だった。

日は西に傾くに連れて、日影が広がって行った。反対でなくて良かったと思った。椅子は好きな所に持って行って良かったが、それでも日向にいて、傘を差している人もいた。カンカン照りと言うほどでもなかったが、暑い事だろう。日陰は涼しくて、気持ちが良かった。

白いドレスを着て、2人がテントの下に登場した。二胡と革胡の演奏が始まったが、鳴尾さんは話が好きと見えて、話が弾んでいた。マイクの調子が悪いのか音量がないのか、聴き難かった。

あの苦手な音が今から始まるのかと思うと何とも言えなかったが、あれ? と言う思いに変わった。ビブラートは掛けてはいるが、ヴァイオリンのような音に聞こえた。革胡は弦が4本ある。そして、二胡のメロディーを支えていた。10キロ位の重さがあると言った。

夜来香
蘇州夜曲
見上げてごらん夜の星を
空山鳥語
陽関三畳
サザエさんのテーマ
明石だこのマーチ
イカナゴ狂騒曲
四季より夏
ローズ
戦馬奔騰

「夏」のパッセージは、矢張りプロのものだった。「戦馬奔騰」は圧巻で、二胡でこんなに凄い演奏が出来るのか、と感心した。鳴尾さんも言っていた。「速い指遣いの曲が求められているのです」と。

終わって2人は席を立って消えかけた。遠慮しているのか、アンコールの拍手が鳴るのが遅かった。その手拍子も大きくなり、2人は戻って来て、「糸」を演奏した。私は、二胡を苦手意識と言うか、嫌味なしに聴く事が出来た。少しは意識も変わるだろうか。

鳴尾さんの話から、JaJaUmaはどちらも蛇の皮が貼ってあり、お互い午年だと言う所から名付けたと言う事だった。成程自分の考えとは違ったが、どう見てもじゃじゃ馬の心を秘めているようにしか見えなかった。結局はじゃじゃ馬ではないのか。すらっとした、背の高い白馬と言って置こう。

二胡の仲間には、中胡があり革胡がある事も分かった。革胡は皮が貼ってあるのだろうと考えたが、それは最近近くなって作られた、所謂革命的な楽器と言う事で、革胡と名付けられたと言った。


旧木下家住宅の中を見て回った。凄い建築だったが、もう1度来て、その時はじっくり見ようと思った。パンフレットの言葉を借りれば、神戸で海運業を営んでいた又野良介氏の私邸で、昭和16年に建てられた数寄屋造近代和風住宅だ。それを昭和27年に明石で鉄鋼業を営んでいた木下吉左衛門氏の所有となり、平成12年に息子の木下吉治郎氏の遺族から、兵庫県が寄贈を受けたのだ。

阪神間では多くの和風住宅が姿を消して来ているが、その屋敷構えを残す貴重な建物として、平成13年11月20日に国の登録有形文化財に登録されたのである。


3時を過ぎていた。次の目的は垂水駅に戻り「王将」に行く事だった。ビールを飲まないコンサートの後なんて、私には音の出ないマイクと同じ事である。

生ビールを注文した。それと酢豚。餃子は持ち帰りで焼いて貰った。中々酢豚が来ないので、ビールは半分近くに減ってしまった。来るまでは、啜るように飲んだ。結構大きな酢豚はニンジンやタマネギやピーマンやジャガイモに盛り上げられて7個位あったのだと思う。

始まったばかりの冷麺に目が行った。本当は、酢豚にするか冷麺にするか迷った程だ。だが、ビールのあてに冷麺はなあと、常識っぽい考えにうっちゃられたのだった。それで酢豚になったのだが、本日のおすすめで貼ってある「春キャベツとシラスの梅チャーハン」が目に付いた。期間限定で、しかも白川台店、須磨店、垂水店、板宿店の4点でしか食べられない。きっと5月一杯で終わる事だろうと思うと、どうしても食べない訳には行かなかった。

「王将」の通常のチャーハンは美味いのだが、私は冒険を試みた。春キャベツ、シラス、梅。これだけ並んだチャーハンは今食べなかったらと、即決した。

ピンク色のチャーハンが運ばれた。梅の色だと分かったのは少ししてからだった。キャベツもシラスもちょこっと混ざっている程度だが、満更でもなかった。チャーハンの面影はないが、油が入っている所とれんげが付いている所は、所謂チャーハンと同じだった。春を惜しみながら、春キャベツやシラスや梅を味わった。美味い事にも変わりはない。

小さな鞄と、餃子と、舞子駅近くのお惣菜屋さんで買った揚げたてのコロッケとヒレカツも一緒に、家に帰ったのは4時30分だった。今から、1人で酒盛りだ。芋焼酎に、餃子、コロッケ、ヒレカツが取り巻く。焼酎が中心のようだが、実は私が親分なのだ。と言う事は、胃袋が王様か。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹 

この視覚と聴覚と味覚を俳句に収めた山口素堂の感覚の鋭さを思いながら、五感の素晴らしさを私なりに総動員して、巷で言うゴールデンウイークの終わりに、明日へと繋げたいと思った。素堂は、当然五感を盛り込みたかったと思うが、こんな短い文の中に芸術的に全部入れられただろうか。きっと、その他の感覚は、自分で感じてみなさいと言っているに違いない。

そうそう、思い出した。コンサートの時、1曲終わる毎に、まるで鳴尾さんの話になるのを待つかのように、すぐ近くを走る山陽電車の音がした。

カーカーと鴉が鳴いた。キアゲハが曲線的に立体的に飛んでいた。木々の緑は滴るように美しく、躑躅が鮮やかだ。そんな自然の匂いを風が爽やかに運ぶ。風は頬を掠めて、姿も見せずにまたどこかに行った。もう周り中、初夏の色が見えるようだった。