にっぽん紀行は「奄美大島」。新聞に載っているタイトルは「にっぽん紀行奄美大島まごころ弁当笑顔広がる奇跡の物語」とある。

将君。主人公はそう書いてひとしと読む。お母さんんと二人三脚で開いたお弁当屋さん。将君は、小さい頃、おじいやおばあに可愛がられた事が心に残っていた。

塩豚や切り干し大根。豚が駄目な人には、その代わりに切り干し大根を入れ、その人に合う弁当を作る。

大雨の日、将君は弁当を運ぶ。このおじいは、喘息で余りよく動けない。鉄うじと呼ばれている。このおじいの体重は33キロちょい。私の半分だ。一口食べて箸が止まり、おかずに醤油をたっぷりかける。だが、やっぱり食べられない。食べたおかずは切り干し大根だけ。

注文が止まる。病院で診て貰う鉄うじの体は、げっそり痩せていた。

将君は、鉄うじの様子を見に行く事が出来なくなった。「どうすればいいのか」と、彼はそれを自分の足りないところだと言う。

夜、青年団が集まり、夏祭りの手長海老を獲る。それは、お年寄りには最高のご馳走だったそうな。喜んで食べて貰えると思った。

途中で映像に挟まれる南の海は、本当に限りなく美しい。

将君は夏祭りでの司会を受け持った。沢山のお年寄りも集まった。紙コップに入れた手長海老が、飛ぶように売れる。だが、鉄うじの姿はそこになかった。

ああ、鉄うじの姿が見える。鉄うじがやって来た。だが、手長海老は売り切れていた。会場から出て行った鉄うじは、道端のコンクリートを椅子代わりに腰を掛ける。そして、祭で買った焼きそばを食べた。ちらし寿司なら食べていた鉄うじは、久し振りに焼きそばを食べた。締め括りの花火が上がる。それを、鉄うじは、1人、じっと見上げていた。

1年を迎えた将君の店で、出汁の取り方をお母さんから教わる。「出汁は塩豚と炒り子出汁だけ」と母親は言う。「味が薄かったら、塩を加える」とだけ言う母親。

こうして、奄美大島大和村の将君のお弁当屋さんの話は終わった。

将君と鉄うじとのドキュメンタリーだったようだ。

私は、何故このNHKのドキュメンタリーを見てそれを書こうとしたのか。何故? 答えは簡単だ。私が、涙脆くなったからだ。将君の姿勢が素晴らしく、その透明な心が胸を打ったからだった。

ちょっとでも心に触れるものがあると、私は何故か涙が溢れる。テレビはマンネリ化した出演者を見る事と、お笑いだったり、出演者に口汚ない言葉を掛けたり、頭を叩いたりする事で成り立っていると思える落胆。もう、そんなもので貴重な時間をやり過ごす事は出来ない。だが、テレビでも選んで観れば、素敵な放映は幾らでもある。

私の基準は「涙」である。それにしても、最近頓に涙が流れる事が多い。テレビにも、心に触れる事がこんなにも多かったのだ。

涙・・。それは私には紛れもなく感動の伴うものである。三線の唄が聴けると思ったが、それはなかった。今執筆で忙しいシマさんには、ちょっと物足りなかっただろうか。

台風18号も北に足を速めたが、また傷跡を残した。神戸の私の地域でも、昨晩からの風雨は凄まじく、あるだけの雨戸は全部閉めた。

今朝は、雨戸を開けようとするとその周りは熱を帯びていた。外は青空で、何事もなかったかのような様相を呈していて、太陽は燦々と熱を送っていた。
「オカリナフェスティバルin神戸」はオカリナのお祭りである。今年は17回目を迎えた。

抽選で出場が決まり、原則としてプロアマを問わないが、プロは矢張りゲストとして呼ばれる誉があると思われるので、6分に制限されたエントリーは見た事がない。

8月26日(土)に始まり27日(日)に終わった2日間に、夏に燃えた人は多かっただろう。高校野球が燃えて終わり、怒涛のような蝉の声が消え、オカリナフェスティバルで私の夏は閉じた。これからは、もう秋だ。コオロギも鳴き出した。秋は紅葉で燃えるだろう。

8時半にスタッフは神戸文化ホールに集合する。2日分のプログラムの書かれた冊子と記念品の入った数を袋毎に確認して、段ボール箱に順番に並べて置く。それから、それぞれの仕事の場所に着く。この会議室は、受付に変わる。

皆黒っぽい服装で、リハーサル室の係、音出し部屋に誘導する係、また出場を待つ所に誘導する係など、それぞれの場所に分かれる。9時から受付が始まる。11時から、初めの挨拶が終わり、愈々開演となる。

夕方の6時前に57組の演奏が終わると、ゲストの40分位の演奏が開始される。そんな状態が2日間行われるのだ。

お祭りだと言ったが、上手い人が必ず出演する事もなく、誰でも抽選に依ってエントリー出来る仕組みだ。高みを目指そうと思うなら、コンクールがある。本格的な文化ホール(中)で演奏出来る事が多くの人達の魅力を誘う。

今年は176組が応募し、60組が落選した。大体毎年、こんな感じである。

長丁場の演奏が延々と続き、初めから終わりまで聴き続ける人もいれば出場するとなると人数が多い組などはリハーサルだけでは時間が短いのか、外の公園で練習するグループもある。オカリナや楽譜や伴奏入りのCDを販売するブースが5つもあり、そこに群がる人達も多い。

そんなこんなで最初の方は入場者が少ない。上手い人が最初の方に当たると、ほんの一握りの人にしか聴いて貰えないのでそれは残念な事だろう。

3時頃から人は多くなり、満員になった時もかつてはあったが、最近では8割以上の入りとなる。ゲストが目当てと言う事もあるが、4時以降の出場者は大いに気を良く出来る。ただ、ステージ上と観覧席との一体感があり、音響もずば抜けていて気持ちがいいのは時間に関係はない。

26日のゲストは「NIGHTオカリナアンサンブル」で、女性7人が黄色はなかったが、それぞれの美しいドレスを着てアンサンブルを行った。グループで演奏する人達には、目から鱗の参考になったと思う。感動させられた。

ナイトオカリナと言えば大塚楽器だが、そこには数十名のオカリナ楽団員がいて、そこから選抜された者で結成されたのがこのアンサンブルなのである。2014年には韓国ホンソン国際オカリナコンクール7重奏部門でグランプリ(大賞)を受賞している。だから常任指揮者(田島篤)もいる。

指揮者は付いて来ていたが、今回は指揮はしなかった。7人は、指揮なしで十分にその任をこなしていた。大塚楽器の専属になるが、今回社長も来ていた。

7時を回ったが、懇親会を始めた。まだ着替えが済んでいないと見え、ゲストが集まって来ない。かと言って時間の制約もあり、開催した。すると間もなく食堂兼喫茶、2階にある「紫陽花」に入って来た。今年はゲストの7人と2人、また翌日のゲストであるミルトさんを入れるとそれだけで人数が10人だ。

今回の入りは多分70人位になっただろうか。懇親会のこの食堂が満員となった。

8時30分には終わる話になっている。会費は安く設定してあるのでビールは浴びる程は出ない。また、食事はバイキングだから並んで早い者勝ちみたいなものだ。ただ、ゲストと触れ合うと言っても、皆が立ち上がってゲストの側に行って話すなど出来ない相談で、このままだとだらだらとただ時間が過ぎるだけである。

私はそう言う面白くない状況を想像して、演奏を聴きながら、もう終わりになろうとしている頃、プログラムの冊子に質問を12問考えて書き込んだ。暗い上にシャープペンシルの薄い芯。字が良く見えない。殴り書きで勘を頼りに書いた。

実際懇親会の時に見ても酷い字だった。だが、それが功を奏し、思わぬ盛り上がりを見せた。私もその一人ひとりが答えた後にアドリブで、適当な事を言った。それも楽しく聞いて貰えたようで、会場の皆の顔が笑顔に満ちていた。

あのような場所ではたったこれだけの事で盛り上がるのだから、誰かが質問してくれるだろうなどと甘く考えると折角の1時間半が台無しになる。ひいては、次の懇親会に人が集まらなくなるだろう。

関東方面で演奏活動をしているNIGHTオカリナアンサンブルは、関西は初めてだったようだ。こちらの方々もいい人だとつくづく思った。

ミルトさんには本人が発明したオカリナの弱音装置の、画期的な結果を齎す「ふけるん」の説明をして貰ったり、2、3話して貰いたい事を振って見たが、全部に真摯に答えて頂いた。こうして間近で会って話すと、その人柄が伝わって来る。とても性格のいい人だと感じた。

もう1度聴きたい位のアンサンブルだった事は間違いない。こうして明日へと続いた。

次の日も同じ時間に出掛けたが、もう私の仕事も演奏もない。全くのフリーとなった。Tシャツで行けたのが嬉しい。会う人毎にロビーで話したりした。ホールは冷房が効き過ぎて寒いので、外に出て日に当たったりした。またあちこちうろうろした。

最初は少ないが、増え方の状況は2日間大差がない。愈々ミルトさんの演奏の時間が来た。ギターとコントラバスが加わって、彼独特な世界が繰り広げられた。エフェクターを駆使する、今までにないオカリナの音を確立している。

斬新だからではない。会場の皆は、その演奏に驚きもし酔い痴れもした。6時頃から、アンコールを含めて6時45分まで行われたが、もっと聴きたいジャズ的な演奏だった。ギターとコントラバスの演奏は、その素晴らしさを見せつけられる事にもなった。

本人は一番苦手なのはクラシックだと面白く話したが、アンコールはジャズをアレンジした「モルダウ」を演奏した。私も吹きたい曲だったので、とても不思議な気がした。私はジャズ風には吹けないけれど。

後は自然解散だ。文化ホールの係の人に挨拶をして、ホールを出た。

初日は態々来てくれていた卓球の仲間と言うか同僚だった事のあるN君のメールが入っていた。シマさんも夫婦で来て私の演奏も聴いてくれたが、用事の為途中で帰った。4ケ月も入院していたNa君は知り合いから言われて私の演奏と彼女の演奏を聴いてくれた。ゲストの演奏が終わると、ロビーでこのNa君と、Ki君O君の4人が出会った。少し話して別れた。私は懇親会に出なければならなかったから。

幾つか上手いなと思う演奏がある。それは大いに参考になる。私は随分オカリナに精神を張り詰めさせて来たが、やっぱり凄い人達は五万といる事に思い当たった。つまり、そんなに私はオカリナが上手い訳ではないと悟った。それで、初心に帰って私の出来る事を出来るだけやって見ようと思ったのだ。但し、矢張りしょげないでチャレンジだけはして行こうと・・。歳を眺めると先が限られているから、知れてはいるが。

ゲストのミルトさんには刺激を受けたと言うよりも、もう私には出来ない別物のモンスターだと感じないでは居れなかった。1度森の国オカリナフェスティバルで以前聴いたが、それとは又違った演奏を聴いた。

ミルトさんが中々ロビーに出て来ないので、私は帰りの集団の中に混じって、文化ホールを離れた。

来年の1年を見据えながら、今年の熱いオカリナの日々があっと言う間に終わったのだった。

「オカリナどないやねん」

「ぼちぼちでんな」
新開地駅からメトロを東に歩き卓球場に行こうとしたが、3時までには30分程時間が早かった。それで、近くのタンポポと言う喫茶店に入り、抹茶ミルク小豆を食べた。時間潰しの意味合いも兼ねているが、珍しくカキ氷を今夏は食べていなかった。下までミルクと抹茶は染み込んでいた。小豆は天辺にドンと乗っていて、どうして食べたものかと思案した。

片側のカキ氷を食べてその窪みに丸い小豆を落とした。そこを基地にして、少しずつ小豆をスプーンに掬ってカキ氷を食べた。如何にも下町の匂いのする広い店内で、カフェと呼ぶより喫茶店と言う方がしっくり合う。それに、若者はいなくて、年配の人やお年寄りが結構いるのに静かだった。

食べ終わると汗が滲んでいたのがすっと引いて、体中が冷え切った。冷やす力を改めて感じる時だった。口の中は感覚がなくなり、何かが歯茎にくっ付いているようだった。段々、何もくっ付いてはいない事が判明する。

卓球場に着くと、5分前に白い短パンに紫色のシャツとサングラスのY君が来て、向こうが声を掛けてくれなかったら分からなかった。彼は今日(23日)の2台2時間分の費用を払いに入って行った。

入口からすぐ左端13番と右の9番がやっと取れたが、随分離れてしまった。その内に集まり始めたのは去年の仲間達だった。1人如何にもアスリート風の、見かけない若者がいた。そう見えたのだ。私と比べれば30歳は違うが、若い歳でもなかった。Y君が嘱託で勤務している職場にSu君はいて、彼が誘ったのだった。

Y君は私がTシャツと長い密着したパンツでやるのかと、私の姿を見て何度か聞いて来た。私は、コープで卓球をする時もこの長いパンツだが、その下にはいつも卓球用の短パンを履いている。上は卓球用の半袖シャツで練習をする。

私が躊躇したのは、卓球用の短パンは2枚持っているのにも拘わらず、コープではそんな姿を見せた事がなかった。私の白い肌を晒すのが、この歳になると結構恥ずかしい。ここでは流石に長いパンツの人はいず、更衣室で上は着替え、下は長いパンツを脱いだ。恥ずかしいもので、禁断のヴェールが剥がされたようだった。

この仲間内では1番強いN君とKiku君もいた。まだ後2人が来ないが、今いる5人は2つの台に分かれて1ゲーム3セットマッチをする事になった。2セット先取で交替した。するとNo君がやって来た。高校野球の優勝戦を観ていたらしかった。

これで6人で人数は合うが、去年からの仲間が6人ではなかった。そうこうしていると唯一女性のTさんが遠くに見えた。彼女は9番台に行って、支払窓口のある幅の広い壁に隠れてしまった。唯一最後まで、戦う事もなく離れたままだった。2台とも3人になったり4人になったりしたが、私は13番の台を1度も換わる事はなかった。Tさんはちょっと来て、暫くすると帰って行った。地蔵盆の係をしていたのだった。

Kiku君には矢張り負けた。2度も負けたが、1セットも取れなかった。

Su君には勝てそうで勝てない。サーブの球種も少ないし、ドライブ主戦型である。だが、そのドライブがよく効き、しかもどこに返してもドライブで打ち返して来る。反応がずば抜けて良かった。中学時代から軟式テニスをやっているそうで、運動神経とセンスの良さが感じられた。来年もあれば、1セットは取りたい。

No君にはストレートで勝った。

向こうに行っていたY君がこちらに戻って来て、私と対戦する事になった。1ゲームの1セット目はジュースで取られた。去年私に負けたのを悔しがっていたから、本気モードだった。だが、2、3セット目は私が勝ち、去年のような緊迫感はなかった。彼とは2ゲームやったが、こ2ゲーム目はストレートで勝った。

2時半頃にN君がこちらにやって来て、私と始めた。若く見えるSu君が審判をしている。先入観からか、勝ちたい思いはあるが勝てる気がしない。私はペングリップで、ラバーは裏ソフト1枚しか貼っていない。彼は勿論の事シェークグリップで、1枚は裏ソフト、もう1枚はかなり強力な表ソフト(私達はイボと呼んでいる)で、このイボで返されると球が殺されて戻って来たり、こちらが変化した球を返すとそれが増幅されて戻って来る。ラケットに当たらずに抜けて行ったり、ネットの前で落ちてしまったり、台をオーバーしてしまったりする。

恐ろしく変化をする上に、甘い球が帰って来るや今度はスピードの出る裏ソフトラバーで角度を付けて返して来る。もうお手上げで、台のどちらのコーナーに飛んで来るのか予測も付かないのだ。

1セット目はやっぱり力の差が歴然としているのか、慣れない捌きに付いて行けていないかのどちらかで、3本しか取れなかった。サーブに活路を求める私の卓球は、2本ずつで交替するサーブをどのように打ち出すかでポイントになる可能性が高い。

2セット目はN君のミスも目立って、初の1セットを取った。だが、取らせてくれたかどうかには、疑惑が残る。それを物語る3セット目は取れなかったからだ。

コープでは1台に4人が向かい合い、斜め同士が練習する。2台しかない卓球台に、多い時は12人はあつまるから、当たり前の1対1のシングルではやった事がここ何十年もないのだ。それがいきなりこの広さで戦うのだから、動けないし付いて行けない。私の戦形で救われるのは、私が前陣だと言う事だ。相手に押されて下がってしまうと途端にやられてしまうが、前陣でスマッシュやバックのプッシュが決まればそれが1番なのだ。

2時間はすぐに過ぎた。だが、勝っても負けても楽しいのが、この仲間との戦いなのである。女性のTさんとは話も卓球も出来なかったが、結局3勝2敗の成績となった。2人とは2度やったので、それも入れるのなら4勝3敗となる。

私の好きな「しそわかめ」(しっとりタイプの振りかけ)を今日5つ買って置いた。6人が会うと思っていたから。それが私を入れて7人になったので1人分が足らない。どうしようかと悩んでいた。

Tさんが帰ったので5人に持って帰って貰う事が可能になった。だが、No君も昨日のテニスで疲れているからと早く帰り、Su君も地蔵盆の見回りで帰る事になった。それで、初対面のSu君に1袋上げる事にした。安いのは安いが、食べると安過ぎる程美味い。朝など、私は熱々のご飯にこれを振りかけて食べることが殆どだ。

結局4人が残り、びしょびしょになった服を着替える為に、Y君がよく行くと言う銭湯に行った。学生時代学校が違う8人が下宿をしていたが、よく洗面器にタオルや石鹸を入れて、世田谷の銭湯に通ったものだ。この新開地の銭湯に入るのはそれ以後の事で、ざくっと言えば50年振りだった。

Y君、N君、Kiku君と私は、久々の銭湯の番台の横に立ち、女将さんの電話が終わるのを待った。

「なんぼや」

と皆は言って、値段の書いた額を見付けると言った。

「おお、480円だ」

皆千円札を出すと、電話が終わるのを待った。Kiku君の千円札に、女将さんは520円を渡した。

次の私には、

「はい、ごひゃくにひゃくえん」

と言った。電話を切って慌てていたのか、その咄嗟の言い方が面白くて笑ってしまった。本人も可笑しかったのだろう、笑っていた。

浴槽に入ると突然の深さにつつっと倒れそうになった。2つ並んでいて、こちらは胃の辺りまでお湯があるような深さだった。こんな風呂は知らない。お爺さんが、

「深いやろ」

と言って笑っていた。これは、まるで狭いプールの様だった。

あんなにびしょびしょだった体もゆったりと浸かって、新しいメンパンとTシャツを着ると、まるで気持ち良く生き返った心地がした。

N君が卓球場にトレーニングパンツを忘れたと言って取りに行った。私達は、先に「髙田屋」と言う居酒屋に入った。丁度4人座れる席を示され、そこでの語らいが始まった。最初はマイナス2度のビールで乾杯。心地良い冷たさだった。

N君が戻って来て、彼はプリン体が駄目なので芋焼酎にした。そこでまた乾杯。私は先ずは肉じゃがだ。

話の内容は豊富で、忘れてしまったので割愛する。

ビール2杯、後は芋焼酎をロックで3杯は飲んだ。私は顔面を打ち、右手の小指側を骨折している。手はもう大丈夫だと言われたが、握ったり開いたりすると痛い。これはきっと日にち薬だろう。鼻は1番低い所の傷と上唇の傷がまだ鮮やかな色をしている。この色が薄くなるのに3ヶ月から6か月は掛かると言われていたので、それで最大全治6か月なのかと思った。

インターネットで調べていたら、何故転んでけがをしたのかが分かった気がした。アメリカかどこかの研究で、短時間に強い酒などを4、5杯も飲むと、それは転ぶリスクが普通の25倍にも上ると書いてあった。これを「ビンジ飲酒」と言うそうだ。

今回は時間は少し掛かってはいるが、何だかその言葉が妙に蘇って来る。

忘れぬ内に、「しそわかめ」を3人に渡した。Su君に渡しただけだったから後4袋残っている。

「じゃんけんで勝ったらもう1つ上げるよ」

と言うと、即座にじゃんけんが始まり、Kiku君が更に1袋ゲットした。きっと暫く美味いと言ってくれるだろう。

Kiku君は10月15日の3ステージまである第2ステージで「人生のさがしもの」(井上陽水・中島みゆき名曲選)で神戸男声合唱団第42回定期演奏会に於いて指揮をする。神戸文化ホール(大ホール)でやると言う。今回で指揮を降りるそうだ。

私達3人は、是非聴きに行きたいと言った。彼の顔が急に嬉しそうになり鞄のある所まで歩いて行った。

「聴きに来てくれるの。それなら招待するから」

と言って座席指定と交換するチケットを3人にくれた。でも私達は、彼に入場料の1,000円ずつを渡した。恐縮しながらも喜んでいた。帰ってから予定表を見たら、その日はコープ対抗の卓球の試合が垂水体育館であった。
幸いな事に演奏会は4時からだ。卓球は午前中にリーグ戦が終わり、後は勝ち順に依るクラス別に別れてのトーナメントとなる。ここで負けたらすぐに帰れる。勝ったら私が抜けてでも試合を続行して貰うように話してみる積もりだ。

取り敢えず、ほっとしている。重なる時は重なるもので、大学生時代の同窓会がその日にはあるのだ。残念だが、これは行かない事に決めている。いつかもう1度位、東京に出掛けられる予定を仲間が作ってくれることを期待している。

8月26日と27日は同じ神戸文化ホールで「第17回オカリナフェスティバルin神戸」がある事を私も喋ってみた。私は26日の出演だと言うと、聴きに行くと言ってくれた。N君はメモをしていた。後の2人は26日と私の大体の出演時間は覚えている事だろう。都合が合えば是非聴いて貰いたいと思う。

外に出ると、足ががちょっとふらついた。ビンジ飲酒の事を思った。

N君は私に付き添ってくれていて、近くまで付いて行くと言った。だが、彼は北区に住んでいる。大丈夫だからと言ってそこで別れた。Kiku君は垂水までは一緒に行けると言った。まあ、少し大げさな事だが、垂水まで彼と電車に乗った。

「垂水ですよ」

と言ってくれるまで、私は気持ち良さそうに眠っていたのだった。慌てて降りたが、いい仲間達だなとつくづく思った。
昼過ぎに届いたレターパックからは、u田さんからの「坊がつる讃歌」が入ったCDが出て来た。お願いしていたのだから、当たり前と言えばそうなのだが。

もう2年と少し前の事だが、加古川の別府公民館でオカリナの演奏をする事になり、打ち合わせを丁寧にして頂いた時から親しくしている1人にKikさんがいる。彼は私より首の差程年上である。

そのKikさんにこの前数人で会った時、

「詩さんのオカリナに『坊がつる讃歌』が合うと思いますけど」

と言われた。1回切りではなく、何度となく口から出るその言葉に、知ってはいるが詳しくは知らないこの歌。心のスイッチが入った。Kikさんが何故ここまでと思うが、大きな理由がある。彼の出身地が大分県竹田市なのだ。そして、坊がつるは竹田市にある盆地であると共に湿原でもあるのだ。

私はそれから、何でもいいから伴奏CDを探した。やっと見付けたものの、それはもうかなり古いもので、販売先にも手元にはないとの事だった。

それからu田さんのブログのコメをした時に、その事をちょこっと書いてみた。するとu田さんの返事に、自分で良ければ作ってみてもいいと書いてあった。それは青天の霹靂かはたまた雨天の虹か。渡りに船と言っていいのかどうか、それは嬉しい言葉だった。即座にお願いをした。

それは7月のブログでの事だった。遅くなるが、8月のお盆の頃には出来上がるとの返事だ。私はそれ位で出来るのには全く支障はなかった。9月に入ってからでも良かったのだから。

それが、u田さんのブログが8月14日に更新された。そこには、u田さんのギター伴奏と、彼の演奏がアップされていた。概して言えば、私への「坊がつる讃歌」の伴奏が出来たと言う知らせでもあった。

早速PCで聴いてみた。u田さんの生で入れた伴奏だ。それは心地よく溶けた。想像を越える素晴らしいものだった。体も心も惹き付けられ、何度も聴いた。そして、オカリナのアルトC管とソプラノF管を持って来て、合わせて吹いてみた。何と心地よく馴染む事だろう。百戦錬磨のギタリストの音は、私のそんなに上手くないオカリナの音を包んだ。

彼の考えと私の考えがぴったりで、掌が合わさったような感覚だった。私がただ合ったと言っているだけかも知れないが、この生伴奏の包容力に歓喜した。

何度合わせて演奏したか分からない。PCではコラボ出来るが、よそで演奏するにはCDが要る。それを待つ事約1週間。今日それのCDが届いたのだった。

早速ラジカセで鳴らしたが、その迫力は素晴らしかった。私の横で弦を掻き鳴らしているのではと思える程だった。u田さん本人が、実演しながら録音したものだから、この音には彼の魂が籠っている。

u田さんは一筆箋に、「生ギターのカラオケ制作は初めてで苦労した」と笑いながら書いていたが、笑い所ではなかったかも知れない。初めてで、苦労があったと思う。そんな中で届いた[坊がつる讃歌」だった。

ぴったりの日に出来上がったのも凄い事なのだが、丁寧な人柄が思われる中で、その伴奏の素晴らしさと今日のCDの落手に感謝したい。

Kikさんにはいつか聴いて貰うかそれまでに聴かれているかも知れないが、u田さんのギター伴奏と私のオカリナとのコラボが、どれだけ人の心を引き付けるか、そんな積もりで演奏したいと思っている。

1番から9番まであるが、私は、この伴奏通りの3コーラスで演奏する。今は、1番2番そして4番でに飛んで終わりにする事を考えている。

作詞:神尾明正 補作:松本征夫 作曲:竹山仙史

1 人みな花に 酔うときも 残雪恋し 山に入り 涙を流す 山男 雪解の水に 春を知る

2 みやまきりしま 咲き誇り 山紅に 大船の 峰を仰ぎて 山男 花の情けを 知る者ぞ

(3) 四面山なる 坊がつる 夏はキャンプの 火を囲み 夜空を仰ぐ 山男 無我を悟るは この時ぞ 

4 出湯の窓に 夜霧来て せせらぎに寝る 山宿に 一夜を憩う 山男 星を仰ぎて 明日を待つ

調べて見ると、「坊がつる讃歌」は元は広島師範で歌われ、それが九州に持ち帰られてそこで広がって行ったとある。私が生まれる5年前には出来ていたようだった。だが、「坊がつる」は確かに大分の竹田にある、標高約1,200メートルの盆地なのだ。



※ このギター伴奏、演奏を聴きたい方は「u田のブログ」で検索して、u田さんのブログ8月14日の「坊がつる   讃歌」をご覧下さい。
8月の初めにテキストを買いにイオンにある本屋さんに行った。その時、気になっていた文庫本が並んでいるのを見た。手に取っても見ず、瞬間に買うのを止めた。この本を買いに来た訳ではなかったので。


「雨って嫌いだなぁ」
「・・・・本当に君とは気持ちの方向性が合わないよね」
「雨好きな人とかいるの?」
 いるんだな、それが。僕は答えずに彼女の前を歩いた。
                                      (「君の膵臓をたべたい」 住野よる 双葉社)


『・・・・機会があったら、詩さんも、ぜひぜひ読んでみて下さい。タオルとティッシュを忘れずに♪』

余りアップはされないブロ友さんの所へ行き、「観てきました『君膵』」、と書かれたブログを観て来た。コメントへのリコメは8日1:41とあったので、8日の朝にそれを読んだ。

小2の孫が朝来たので(お守りの為)、文庫本だし買う決心をして、イオンの開く9時過ぎに孫と出かけた。667円+税でも、文庫本をそう安いとは思わなかった。ハードカバーなら、見送っていただろう。

4階の反対方向の100均に向かった。お手玉に興味があるようだったので、お手玉と折り紙を買った。自分だけ買って帰る事は後悔の元だ。

一緒に遊んだり、読んだりした。4時には年中組の妹の方を迎えに行き、また遊んだり、読んだりした。自分達だけで遊びたい時もあるようで、そんな時は読みに徹する。

両親が迎えに来たのは7時を回っていた。

「どこまで読んだの」

と聞きながら、親と共に車に乗って帰って行った。

眠くなるまで、テレビはシャットアウトで読み続けた。タオルやティッシュの言葉が蘇ったが、全く必要なかった。若者が読むのにいいかなと思うような表現だと思っていたが、そうでもない事が徐々に分かり始めた。

高校生の青春ものかと思えたがしっかりした筆致だし、私が使っているような単語がちょくちょく覗いた。だからと言って、難しい文章ではない。1度出て来た状況や事柄が、後になるとちゃんと説明されている。構成がしっかりしている証拠でもある。そんな心掛けが、読者を安心させ納得させる。

ひょっとしてタオルやティッシュは必要のない青春ものかと思わせられながら、寝床に入った。しかし、この「君の膵臓をたべたい」は7月28日から全国ロードショーとなって上映されている事を考えると、今迄読んで来た内容で終わるとは到底思えなかった。

9日の朝は孫は2人来た。年中の孫もここに居たいとみえて、保育園には欠席の電話をしなければならなかった。

早速文庫本に目を遣ったので、栞のある所を示した。そして、読んだ所までをパラパラッと指で音をさせると、

「もうそんな所まで読んだの」

と吃驚していた。多分量よりも、パラパラでそう感じたのだろう。昨日のように、一緒に遊んだり読んだりした。

粗筋をここに書く義務も権利もない。それより、これから読む人に対してそんな事は出来ない。

325頁で終わるお話だが、ハッとする場面が幾つかあり、流石に小説家の業だと思った。退屈する事も、もう読むのを止めようと言う気持ちにもならなかった。

私は冷静に読んでいる積もりで、作者の文章表現や言葉の使い方、テクニックなども学びながらだったから、タオルやティッシュの事など諦念と忘却の先にあった。

300頁までには行かない所で、何か急に目と心とに電流が交差したようだった。そうして何の因果か何度も眼鏡を外し手で拭わなければならない羽目になった。手で拭っても涙が滲みないばかりか、濡れた上に重ねて拭うようになる。洗面所にタオルを取りに行った。

私がひ弱なのか堪え性がないのか、何度もタオルで拭う事になる。もう止められないとなれば、やっぱりタオルは定番だと思う。ハンカチはそっと拭う時に使うだろうが、タオルは涙を待ちながら堂々と使う場合に用いられる程目に付く。

流石にタオルで十分だったので、私にティッシュは必要なかった。きっとブロ友さんは、鼻水が出る時に使ったと思われる。

タオルで涙を拭っている時の300頁近辺は、幸いな事に孫達は出ていていなかった。帰って来た時は、もう数頁を残すのみとなっていた。終わるや否や最後のページに栞を挟んだ「君の膵臓をたべたい」を見せた。

「全部よんだの」

と、目を丸くする所が可愛かった。

映画が先か文庫本が先か。それは人に依って違うので、自分の考えは言えても絶対こうだとは、それこそ人の勝手でいらぬお世話であるが、私は文庫本を読んだ。映画を先に観ていたら、出演者が決まっていて人物が特定される。私なら、先に映画を観てしまったら文庫本は読まなかったかも知れない。

久し振りに、これで綺麗な心になれるならどんなにいいだろう。だが、少なくとも自分勝手になら浄化されたと思える作品だった。

「君の膵臓をたべたい」。まずタイトルに吃驚していた作品だったが、これがまた何を意味するかは人の勝手となる。

男の子の孫が加わったので、今この部屋に孫は3人だ。アイスの「うずまき」は1つ足らないので、私はコープに買いに行く任務が出来た。