コの字型に並んだ肘掛椅子が、入口に近い方には2脚、反対側には5脚、奥になる部分にも5脚並んでいる。真ん中には背もたれのない、3人座れる長椅子が1脚入っていて、つまりヨの字に並んでいるのだ。真ん中に座る人は一方からは対面し、もう一方からは背中を観られている。

このクリニックに私は月一のお客様だ。薬を貰いに行くだけだが、人が多いと1時間は超える。

台風5号の影響で雨も風もあるが、強くはない。9時から診察は始まるが、それまでに行く事が多い。今日などは8時40分に着いた。そんな日には人は余り行かないだろうと考えたのだった。以前は「自分だけは考えも行動も他人とは違うだろう」と考えていた時期があった。優越感とかそんなものではなく、恐らく個人主義的な考えからだったと思う。これだけ姿形の違う人間が、全く同じ行動はしないとの詮索があったのだ。

クリニックでなかったらサロンかと思われる、溜まり場のような待合室に、満席で15人が座れる。丸い椅子が2つあるのを除いて。しかし、もう10人は集まっていた。誰しも同じ考えで、五十歩百歩だった。

受付からは、ヨの字型になったすぐそこの4分の1位しか分からない。

「今日は少ないでしょう」

と、今入って来た女の人が聞いた。

「いや、かなりいらっしゃってますよ」

と受付の人が答える。

「え?」

と言ったその人は、入って来てちらっと確認すると、何もなかったかのように空いた椅子に座った。こちらには、皆によく聞こえていた。自分の思っていた事と同じで、私も表情を変えずに笑った。

クーラーは、お年寄りの事を考えてか、冷えていると言った感覚はなかった。隅にいる私は、少しずつ汗ばんで行くのが分かった。他の人は乾いているように思われた。私は、喜んでいいのかどうか、汗が滲むのを楽しんでいた。

反対の診察室には、奥様が診る部屋がある。小児科だけではないだろうが、反対側には行った事もなく、奥様、所謂女医さんの顔を知らない。時折、子供の激しく泣く声がする。

週刊誌や新聞のラックがあり、私はいつもNHKの「きょうの料理」を取って来て読む。さっと目を通す所もあれば詳しく何度でも読み返す所もある。7月号と8月号が剥き出しになっている。7月号は茄子の特集みたいな感じだった。茄子に目のない私はそれを見ようと思ったが、やっぱり最新号の8月号を手にして椅子に戻った。

いつも見乍ら、どれか作れるものはないかを探す。記憶力を検査されているような面持ちである。いつもそうだが、どうしてたった1つの料理の材料や作り方が覚えられないのだろう。確かに覚えられないばかりか、思い出せない事が激増している。6月27日に顔面を打ち付け、前頭葉がおかしくなったのではないかと思う程だ。前頭葉が記憶と関係しているかどうかは分からない。そんな事を思うと、何故か頭痛がして来るような気にもなる。

どうせ1時間は待たされると思うと、そのままぼおっとしている訳には行かない。周りは静かでも私は暇でも、悠々自適な訳がない。周りは老人が多い。私もお仲間ではあるが、自分で在って自分ではない瞑想の世界に微睡むのは私自身には合わないのだ。

8月2日の献立を見た。今日は7日だが、「きょうの料理」をいつも観ているのではなく、2日のも観てはいなかった。思うに、筆記用具を持って行けば一発で記憶出来なくても正確に記録出来るが、それは流石に恥ずかしい。

ちょっと覚えるとその端から忘れ、また初めから繰り返さないと記憶出来ない。ラックに返してからもまた取って来て確認しなければならない事が多々ある。読んでいる時に診察室から名前を呼ばれたらそこでお仕舞だ。まるで受験の時間リミットみたいなもの。

全てが終わると10時半になった。早くから来ているので2時間近い薬貰いとなった。薬は隣りの薬局で貰うのは当然の事だ。

もう既に作って食べたが、これが案外美味い。旨いものは共有したいと思うのが常だ。たったこれだけの材料だが、記憶力テストをするかのように、思い出しては作ってみた。帰りにコープで豆腐と鶏肉ミンチは忘れずに買った。

先ずタイトルから思い出さないといけない。それは「彩りの炒り豆腐」だったと思う。断言出来ないのが悲しいが、衰えとはそんなものかも知れない。指導者の名前は覚えようとはしなかったが、確か梅夏美智子さんだったような。苗字が珍しくてここまでやっと覚えていたのだと思う。確信は勿論ない。

私の記憶だけで、何度も何度も見て覚えた積もりのレシピを掲げて置こう。私も、もう何回かは作りたいと思っているので、曖昧な記録だろうが。


「彩りの炒り豆腐」

材料(2人分)

ニンジン・・1本、 ネギ・・適量、 木綿豆腐(700g)、 鶏ミンチ(100g)、 カツオ・・1パック、 スリゴマ・・大さじ3杯、 卵2個、 ごま油

調味料(A)  砂糖・・大さじ2杯、 醤油・・大さじ2杯、 塩・・小さじ1/2

作り方

1.フライパンにごま油大さじ1杯を熱し、豆腐を食べ易いように手で解して入れる。油が飛び散るので注意す  る。(水分が出るので、私は何度か笊に戻してはフライパンに入れ直した。焦げ目まで付かなくてもいいように  思った)。

2.キッチンペーパーで豆腐の水分を取って、置いておく。

3.空いたフライパンにごま油1杯を入れ、4センチの長さに切ったニンジンを千切りにし、ネギは小口切りにしたものを入れて炒める。(私は千切りより厚くなったがそれでも美味しい。ネギはカットしてあるものが買ってあったので、それを使った)。2分もすれば十分だろう。そこに豆腐と調味料(A)を入れて木べらなどで混ぜる。溶き卵を回し入れて混ぜたら火を消す。

4.3の上にカツオ1パックとスリゴマを入れ、混ぜれば出来上がり。

クリニックで観たNHKのテキストには冷たくても美味しいと書いてあり、更にそこにミョウガを1個細く切って入れ、大葉を5枚手で千切って入れて、混ぜて食べるのもよいと書いてあった。私は家にミョウガがなく、おおば5枚を入れて混ぜた。3人前位の量になったと思うが、結構な味だった。

なんだかレシピの話だけにすれば良かったかも知れないが、こんな書き出しのブログになってしまった。

何か忘れていないかな? 何度も何度も読み返して覚えたレシピは、心許ない。雨混じりの風が、次第に強くなり始めている。
時は夏。昨日(4日)の事である。

午後4時を過ぎていて少し慌てていた。高速バスに乗り遅れないようにと。

部屋からカーテン越しに、曇ったなと感じた空を見上げた。さっきまでは青空があったが、それはもう灰色の雲に覆われ出していた。すぐに雨に変わり、傘が要ると思った。折り畳みにするか、常用の傘にするか思案した。風もあるらしく、木の枝も葉も揺れている。

引き戸を開けると結構雨は激しく、常用の傘でも長めのものを選んだ。小さいものでは用は果たせないと思ったからだ。雷の音さえ聞いた。

バスに乗っても、雨脚は衰えなかった。外気は暑く汗が滲む程だったが、車内のクーラーを体に向けて冷を楽しんだ。家からバス停までの間が激しくて、歩道にはもう水溜りが出来ていた。経験上、スニーカーに水が入らないように気を付けた。

事故の為にその区間だけ渋滞していたバスも、やっとワイパーと共に軽快に動き始めた。勿論普段の時間内には着かなかった。雨は何処にもなく、すっかり止んでいた。これも台風5号の影響だったのだろうか。

出発は出たとこ勝負のようだったが、新快速が三宮駅を出る時間の2分前にプラットホームに着けた。次を待てば、汗は確実に吹き出す事を思えば、何とラッキーな事だったろう。座れなくても、乗れた事の方の天秤が大きく傾いた。

ザ・シンフォニーホールでコーヒーを飲もうと思ったが、苺パフェが美味そうでそれにした。上着を脱いで、3つのオカリナが染めてあるTシャツになった。やっぱり今日も暑いのである。

開演は7時からだ。村治奏一のギターが聴きたかった。姉は勿論村治佳織。4歳違いだ。

全部彼が演奏すると思っていたが、大阪交響楽団と一緒で、彼のソロがあったり楽団と一緒に演奏したり楽団だけが演奏するプログラムだった。

指揮者は23歳の、小柄な太田弦。フリーアナウンサーの早田和泰が司会する所までは知らなかった。大阪交響楽団は1980年に創立。2016年4月からは外山雄三がミュージック・アドバイザーに就任し、寺岡清高が常任指揮者となっている。

ルビーラ:映画『禁じられた遊び』より「愛のロマンス」

タレガ:「アルハンブラの思い出」

アルベニス:『スペイン組曲』第5番「アストゥリアス」

この3曲は無伴奏で、シンフォニーホールに響き渡った。ギターを爪弾く男がたった一人、ステージの中央にスポットライトを浴びて奏でている、その上手さ。聴き入るとはこの事だ。

「アストゥリアス」は技巧超絶に弾く。最初の2曲はアルペジオだが、それがまた正確で、これも別の意味で超絶技巧だと改めて思わせて貰った。

マーラー:交響曲第5番より「アダージェスト」

これは楽団と一緒に演奏した。楽団は全部ストリングスで、これも心地よい響きを齎した。ハープがあったりパイプオルガンがあったりチェンバロがあったりした曲も1曲ずつあった。

次は楽団だけ出の演奏だ。

マイヤーズ:映画『ディア・ハンター』より「カヴァティーナ」

ファリア:歌劇『はかなき人生』よりスペイン舞曲第1番

マーラーの後でアンコールがあり彼は、

アントニオ・カルロス・ジョビン:映画『黒いオルフェ』より「フェリシダージ」

を熱演した。ギターを弾く為に生まれて来た、或る意味約束された人だと思った。そんな人は沢山いるが、私は全くそんな世界に生まれてはいなかった。今も模索しているのだから。これは私の知識ではなく単に調べてみた事柄だが、英語単語に「手探りする」と言う意味で”grope”がある。副詞では”gropingly”となり「暗中模索して」となる。正に、私の今を表している言葉だと思った。

さて休憩20分の後。

ロッシーニ:弦楽のためのソナタ第1番ト長調

マスカーニ:歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲

は、オーケストラだけで。

ヴィヴァルディ:リュート協奏曲ニ長調RV.93

これは共演だったが、素晴らしかった。本来はリュートで演奏だが、今回はギターでの共演となった。こちらの方が魅力的に思えた。やっぱり、ギターの申し子は感動させてくれる。

最後は楽団だけ。

モンティ:チャルダーシュ

オカリナでの参考になると思うと、楽しく聴けた。オカリナでは私には難曲だと思う。

アンコールは、

ララ:グラナダ

で、これはオカリナでも楽しく吹ける曲だ。熱の入った演奏だったが、最後の辺りがちょっと違った感じに受け取られた。それはそれ、終わって見ればとても素晴らしい2時間だった。

大規模な編成ではないが、「ライト・シンフォニックコンサート~大人の贅沢~」は聴き応えがあった。「35th ANIVERSARY since1982」、記念の年。「僕も35歳です」と言って拍手を貰っていた。

外は雨も無く、店の灯りやネオンで夜の感じがしなかった。三宮から最終は10時30分。これを逃すと家まで歩いて1時間10分は掛かる。それは苦しい。だが、9時過ぎに終わっているのでそれには間に合う余裕がある。

しかしだ、生ビールも飲めない。野菜のスムージーを飲んで、環状線福島駅から電車に乗った。次の大阪駅で新快速に乗り換え、三宮には余裕の到着。寧ろ待つ時間が長く感じられた、10時22分発の高速バスに乗った。

生ビールはどうしたかって? 飲まずにはおられない。帰ると風呂に入り、黒にんにく3粒をあてに、芋焼酎をグラスにグイーっと空けた。何だか体に力がなく、ブログを書く意欲が失せていた。気力を失うと、こんな結末になるのかと思ったが、芋焼酎だけは喉を伝ったのが不思議な位だ。

今、台風5号は奄美が大変だ。奄美地方、種子島・屋久島地方には厳重警戒が発令されている。雨が酷く「50年に1度の記録的大雨」だそうだ。もう、普段の8月の雨が、既に降ってしまっているそうだ。シマさんの故郷徳之島を含む奄美大島は、台風が来ると避けて通らない事が殆どだ。島の人達の思いは如何ばかりだろう。

長く居続けている5号は、まだこれからどのような進路を取るか分からない。昨日の瞬間的な大雨は、まだこれからの予兆だったのか。被害は最小に、列島を縦断する事なく、真っ直ぐ空高く昇って消えて欲しい。

災難は自然的でも人的でも、余りにも規模が大きくなって攻めて来る。考えや心の大きなすれ違いが、ここまで大きな地球の崩壊を齎す事態になろうとしている。人の心が1つになる事がどれだけ難しい事かを感じる日々だ。それぞれの国の有り様をみると一律な言葉で言い表す事が出来ない。

だが、エゴを捨て、優しい心を持ち、皆が心を開き合う事がなければ、美しい国、美しい自然、美しい地球は、ただの夢でしかなかった事にならないだろうか。

明日は広島に原爆が投下された日。すぐ後に長崎が。一瞬にして訳の分からない内に消えた人々。阿鼻叫喚の中で亡くなった人々。肉体と心の痛みに耐えながら生きて来た人々。そんな事態はあってはならないと、はっきり分かった72年間。

世界中が分かり合える時が、一体いつ、本当に来るのだろうか。平和こそ、全人類のオアシスなのだ。
7月24日から27日までの実際の物語。
私は、何をし、何を見、何を食べ、何を思い出したか。
神戸から出雲へ。出雲から神戸へ。その幕が開けられ、幕が閉じた一瞬の出来事だった。

24日(月)

朝10時半頃、垂水駅の西口ロータリーに車を走らせた。K君が宝塚から来て待っていた。ここから出雲まで、285キロの旅が始まった。時間は決まっていない。

米子道に入ると、先ずは蒜山を目指す。必ず入るSA蒜山がある。彼も私も目的は1つ。大山の濃いジャージー牛乳で作られたソフトクリームを食べる事だった。もう有名になったこの一角。何人かはいつも並んでいるが、今もそうだった。

有名になれば値段が上がろうと人は食べようとする。380円はちと高い気もした。気合いと気持ちで食べるから、何だか美味さも増し加わっているようだった。

2人共、お昼ご飯は余り食べたくもなかったが、肉うどんを食べる事にした。何だかんだ言っても、結局私など出汁は最後の1滴まで飲み干した。美味い出汁は必ず最後まで飲む。今までに、余り不味い出汁に出会った事がなかった。

青々とした景色を見ながら、話も止む事がなく出雲へと向かう。出雲市駅の裏、つまり、南側に建てられている出雲グリーンホテルモーリスへ彼を下すと、そこで別れ、私は上の妹のいる家に着いた。3時半頃だったと思う。折角仕事を休んでくれているので、昔話をしたりした。周りの田んぼは青々として心も洗われる。私もK君も、この地では高校生の終わりまで住んでいたのだった。

ゆっくりしてから、私と上の妹Kuは別々の車を出雲縁結び空港へと走らせた。略6キロの道程で、着いたのは6時25分前だった。横浜の下の妹の家族が4人、この飛行場に着く。予定は30分。電光掲示板には5分遅れが表示してあった。

私が4人を乗せて帰れば1台で済むが、妹は私に2階の売店で見せたいものがあったのだ。それがノドグロの開きで、大き目のもので2,700円で売られていた。如何に高価なものかを見せたかったのだ。

納得しながら1階のお迎えのスペースに行った。どんどん下りて来るが、大抵最後の方になる。やっと顔を見て旦那と悠介と弟のKeiの3人が私の車に乗り、下の妹TaはKuの車に乗った。

もう7時になる。直接、毎年必ず寄る大きな食堂に直接行った。

6人全員が違ったメニューを注文した。Keiは毎年うな重を食べる。彼が最高高値のものになるが、明日25日は土曜の丑の日だ。しかし、私は手が出せない。けれど、トンカツ定食は美味しかった。

帰りはスーパーに寄って、妹達はジーマを買い、私はビールとノンアルコールのビールを買った。家では乾杯をする。男は私を除くとアルコール飲料は少ししか飲めないので、私がやっと考えたのがノンアルコールだったのだ。これなら、気分は皆ビール色だ。

夜中も2時頃までだった。話より眠りが勝った。Kuは皆の持て成しで遅く寝て早く起きる。私もそれに倣うのが常だった。

7月25日(火)

8時半過ぎにはTaが起きて来て、10時頃には悠介だったりKeiだったりする。旦那はその後で下りて来る。

午前中に行くべき所に行こうと決めて了解していても、殆ど午前中に行けた事はない。この日は島根ワイナリーと出雲大社に行く事になっていたので、私は折角だから日御碕神社にも行く事を提案した。

昨夜の雷は凄まじいものがあったようだが、私はその時は既に寝てしまっていたので何にも感じないでいた。

朝雷鳴があり、こんなのが幾つもあったのかと思った。確かにこちらに近付いたら怖いだろうと思った。やっぱり午後の出発となったが、雨の途切れた頃に車に乗ったので、誰1人傘を持って来なかった。途中から激しい雨となり、2台の車はワイパーを最速にしなければならなかった。

何故か誰も心配した様子もなく、「着いたら止むよ」と口走ったり、それを疑う様子もなかった。

出雲大社の駐車場に着くと、雨は綺麗に止んだ。これはラッキーだったが、皆は「神様が歓迎している」と真面目に思っていた。それにしても、こんな事があるとそう思わずにはいられない体質があるのだろう。

神楽殿と本殿で2礼4拍手1礼をして、一回りすると車に乗って、日御碕へと向かった。上り坂、ヘアピンカーブの上り道。日御碕灯台はパスして、そのすぐ手前の日御碕神社に詣でた。天照大神と素戔嗚尊が下と石段の上とに祀られている。朱塗りの美しい神社だ。

普通のおみくじ50円。金色の小さな稲穂やカエルなどの入ったおみくじが200円。皆私に倣って、このおみくじにした。私は何年もこれで、今回は初めての真ん中を射た的が入っていた。おみくじは末吉だったが、要は「感謝の気持ちで努力を重ね、謙虚に生きるべし」と言ったような事だった。それは大切な事だと私も思う。

雨は降らなかった。それから島根ワイナリーで皆はお土産を買ったりした。赤ワインの塩、白ワインの塩、ロゼの塩。赤ワインの塩が目に付いた。特に赤ワインの味がすると言うのでもなかったが、悠介も私も面白くてそれを買った。瓶は 1,000円近くする。なので、セロファン紙に入った100円の塩にした。赤と白。赤と言っても赤に近い紫色の塩だ。

それから雨はぴたりと止んだが、あの激しい雨は何だっただろうか。歓迎の雨。そうだったら嬉しいのだが、兎に角信じられない程の大雨に濡れることなく出雲大社と日御碕神社が回れたのが何よりだった。

K君と一緒に帰ったのには訳があって、私が帰るとミニ同窓会を開いてくれる仲間がいて、K君も参加する事になっていたのだ。

7時から、同級生が営んでいる飲み屋「輝子」で集まった。私は何度来たのだろうか。ここのママも入れて女性が4名、男性が4名となった。飲んで騒いで丘には登らなかったが話は途切れない。私に態々会いに来てくれたD君がいて驚くやら嬉しいやら。だが彼はこの日来る予定でもなくすぐに帰ったが、つい先日胃を全部切ったと言っていた。何も食べられないのが残念だ。

暫くしてカラオケを歌い出した。ここの音響は歌っていて気持が良い。私は歌う気など更々なかったのに、「昴」を誰かが入れていて歌わなければならず、それからは数曲歌ってしまった。

誰かが「オカリナを吹いて」と言った。鞄に一応は入れていたので、伴奏なしで3曲も吹いた。指はオカリナを吹く時は痛くない。ややスピードは落ちるけれども。他のお客も聴いてくれていた。カセットデッキを持って行って吹いた事もあるが、今回は要望がなかったら吹かない事にしていたのだ。

ではまたと握手をしながら別れたが、11時前だった。Kuに迎えに来て貰った。

帰ると皆起きていて、それからまたビールと焼酎、ジーマとノンアルコールビールで乾杯。出題者が20問単語を決めて、後の者は只管20問を記憶する。全部言い終わったら紙に書いて行くのだ。昔は自信があったものだが、今でも自信があると思っていた。が、若い分悠介が15、6問覚えていたのには恐れ入った。

次は出題者が代わった。私の記憶はがた落ちだ。今こうしてブログを書いていて分かった事だが、他の者は酔っていない。私は、飲んで飲まれてまた飲んで、そんな中での記憶力テスト。こりゃあ駄目だったと納得だ。来年と言っても、飲まずにやれる訳がない。まあ、爺さんは爺さんらしく、蝉のようにジイジイ鳴いていたらいいと思う。

7月26日(水)

朝はからりと晴れていた。でも、いつもの事で起きるのが遅い。私とKuは、いつも早く起きて持て余している。いやいや、Kuは皆の為に恐ろしく美味い料理を作ってくれているのだ。

今朝と言っても皆が食べ始めたのが10時をとっくに過ぎていたから、朝昼兼用となる。私は出雲に帰ってこれが食べられたら最高に幸せなので、それを恐ろしいで表現している。私のセレクト3種の神器はこれだ。ナスの味噌炒め。玉子焼き。牛肉の甘辛煮、または牛肉ピーマンの・・。

これに味噌汁が付く。味噌が美味いのだろうが、タマネギと豆腐を入れると言ったので、ジャガイモも入れて貰った。昨夜は、蜆の味噌汁だったと思う。皆が食べ終わったのが11時半頃だった。これなら兼用と言うより、単に昼食と言った方がいいのだろう。

11時出発と言っていたメインの美保関は、とうとう2時前になった。

松江市内だが、半島の先。それは67キロ先になる。鳥取県との県境にある。最初に美保神社に行くと決めた。それは閑静な、鄙びた、心の鎮まるような境内だった。造りは出雲大社によく似ている。それもそうだろう。大国主命の息子、事代主神(ゑびす様)がお祀りしてあり、それはゑびす様の総本宮でもある。三穂津姫命の2柱が祀られている。

青畳石通りがあり、随分寂れた感じだが不思議な雰囲気を醸し出し、19年前には貴乃花も参拝しており、その他有名人もやって来ている。もう1度来ようと思っている。美保湾が美しい。

それから美保関の灯台に寄った。ここは航海の安全を祈願して、たくさんのお地蔵さん祭られていた事から、地蔵埼と呼ばれている。山陰一の最古の石造りで、1898年(明治31年)に地蔵埼灯台として建設されている。光源は石油で1等レンズ(内径1.8メートル、高さ2.8メートル)が使用され、光度は67,500カンデラだったそうだ。

各地に地蔵埼の名称があり、大正11年に美保関灯台と改称された。今は460,000カンデラと言う。地上から頂部まで14メートルとかなり低い。が、日本の灯台50選の5位以内に入っている。世界の歴史的灯台100選にも入っているのだ。

灯台の外から日本海に浮かぶ隠岐の島が見える。左が島前、右が島後だ。与謝野鉄幹、晶子の短歌がある。

「美保関 事代主の御燈にも 烏賊乾しわたす 注連縄張る如く」 晶子

「切石を 敷かぬ方なき 磯の町 三味の音して 水に灯映る」 鉄幹

高浜虚子の俳句にこんなのがあった。

「烏賊の味 忘れで帰る 美保の関」 虚子

烏賊が食べたくなった。

もう皆夜は作る気がないらしい。Taが、[もう1年も食べていないから、それが食べたい」と言って、皆それに靡いた。元の67キロの道を引き返し、出雲の「You Me タウン」に行った。外国のモールのように広いが、そこで先ずケンタッキー・フライド・チキンを買う。

そこから帰りに王将に寄り、チャーハンを人数分買った。これは正解だった。フライドチキンだけだったらお腹は満腹にはならない。チャーハンのお蔭で、満足の夕食となった。ナス炒めも出て来た。また同じパーターンの飲み物で、私は少し酔った。

明日は私は帰るので、早目に寝る事にした。毎晩2時3時までは辛い。本当は27日ではなく、28日に横浜組を飛行場に送ってから帰るのだが、今年は28日にどうしても車が要るらしい。それで、K君の帰る日に一緒に帰る事になった。

7月27日(木)

K君も出雲に生まれ育っていたから友達と会い、結構楽しんでいた。朝電話が掛かったが、私の携帯がとても変だった。ただ、2時半にホテルに迎えに行く約束は出来た。朝は、やっぱり食べなかった。

悠介が起きて来て、彼を出西窯に連れて行った。お世話にこれからなるだろう人に、ご飯茶碗をお土産にすると言う。ここの藍色は素晴らしい。いいものを1つ選んだようだった。ここではコーヒーが飲める。また生姜糖が食べられる。私は買わなかったが、コーヒーと生姜糖は頂いた。

昼前に、ナスと牛肉はなかったが、玉子焼きが出て来た。この大きさなら卵10個は使っていると思う。一切れの貫録たるや凄い。何と、ノドグロが出て来たではないか。もう食べられないと思っていたものが食べられた感動は忘れられない。食べ乍らも食べ終わっても、何か話していた。

後2時間。後1時間。後30分。後15分・・。

「もうそこでいいよ」

と言ったが、道に出て来て皆が送ってくれた。次の再開を祈り、また明日までいた筈がいられない状況を詫び乍ら。しかし、折角の雰囲気のいい別れに、もう1度戻った。このPCを忘れていたからだ。ああそうだ。昨日の夕方はお墓参りをしていた事を記さなくちゃあ。

出雲グリーンホテルモーリスに着くとなんとD君が来てくれていた。高校生になった時同じ学級になった。その時、出雲大社まで歓迎遠足がある。行く道中D君は盛んに私に話をして来た。そして仲良しになったのだった。

もう、去年東京で同窓会をしたのを加えても50年振りだ。彼は胃を切ってしまったが、釣りは大好きで、来年は船で烏賊釣りに行こうと言う事になった。私は、釣り上げてすぐにワサビに醤油を掛け、それで透明の烏賊を食べたかった。彼は本当に釣りが好きなんだなと思ったのは、そのまま切って、海水に浸して食べるのが一番だと言った。もし実現するなら、私は取り敢えずチュウブに入ったワサビと小さな醤油の入った入れ物を隠し持って行く積もりだ。

30分話して、D君と別れた。K君と車に乗ると、只管神戸に向かってアクセルを踏んだ。

最初に寄ったのが、蒜山のSAだった。ソフトクリームが食べたかっただけだ。外は雨後の為か中で売っていた。それは350円で、しかもコーンに盛られていた。なんと濃くて美味い。30円も向こう側の蒜山よりも安くて美味かった。

そして垂水駅を目指した。西口のロータリーで別れ、彼はそこから宝塚へと帰って行った。中国自動車道で福崎 I Cを下りないで真っ直ぐ進んだら宝塚まで行く。でも、垂水駅になった。申し訳ない気もする。

何をし、何を見、何を食べ、何を思い出したか。

それは神社を訪れ、美しい景色を見、茄と卵焼きと牛肉を食べ、全て人との絆の深さと懐かしさを思い出したのだった。人って、何て素晴らしいのだろうかと・・。

人との繋がりを大切に、それを感じさせてくれる偉大なものへの感謝。それを強くした旅だった。だが、それはあっと言う間もなく過去に流されて行った。また会おう。また会いたい。私も、歳を取ったものだ。

皆、出来るだけ元気でいよう。そうして、再会の瞬間を楽しもう。感謝に堪えない4日間だった。あっと言う幕引き。
9時15分に迎えの車が来た。今日は私が乗れないので。

2人の人(女性)も乗っていて、運転者(男性)も入れた4人は、須磨の練習場に着いた。

他の2人(女性)は既に来ていて、オカリナ吹く音が聞こえていた。注文のTシャツを配っていたら、もう1人(女性)もやって来た。6人全員が注文していた。気に入ったようで、ほっとした。

大まかに言えば基礎練習と曲の練習をする。途中でおやつタイムを挟んで、また練習。私は個人演奏を1人ひとりにやって貰う。それが自分の力量を知る上で大切な事だと思っている。大体2時間半時間を作るが、人数的にはこれ位が限界だ。

この前は指を固定していたのでオカリナが吹けなかったが、今日は大丈夫だと言う事を分かって貰う為にも、カムバック演奏をした。

12時にはここを出なければ、後は一弦琴の人達が練習に使う事になっていた。

近くの老舗の商店街へと7人は車で移動した。今日はお昼を一緒に食べる事になっていた。

「志らはま鮨」と言う歴史のある店で、中も広く、どっしりしていた。天井の梁もしっかりしていて、黒光りがしている。皆はコの字に座った。

この店をよく知っている女性が2人いて、予約がしてあった。ここの名物だと言う花巻寿司(盛り合わせ)にした。皆同じものを注文した。名前を忘れてしまったが、穴子鮨、太巻き、かっぱ巻き、それに鯖に柚子の匂いのするオカラが乗った鮨が2貫。これは珍味だった。何しろ、初めて食べたから。美味いの何の。また来たい店となった。次も、この皆で来たいものだ。

初めてと言えば、穴子鮨に山椒の粉を振り掛けて食べた。これが中々行けた。鰻には掛けるが、穴子には初めてだったのだ。皆も、美味い美味いと言いながら、山椒の粉を振り掛けた穴子鮨を食べた。

赤出汁も美味い。壁には棟方志功の絵が掛けられていた。版画ではなく、色彩が美しく落款も押してあった。本物かどうかを聞く機会を失った。その上には、3枚の大皿が飾られ、九谷焼のようだった。私は骨董に詳しくはないが、それはお値打ち品のように見えた。今度来たら、聞く事が2つ出来た。

私に気を遣ってくれたのか、本当に生ビールを注文してくれた。飲めない人もいるが、夜なら飲むと言う女性もいた。まあしかし、私は中ジョッキで、他の3人の女性は小ジョッキを3つのグラスに分けて飲んだ。いやー、私1人が中ジョッキと言うのも気が引けた。

このお寿司もそんなに安くはない。けれど、私は奢って貰った形になった。幾らか聞いたのに、それはいいの一点張りだった。ご馳走になる事にした。話は食べる事が殆どで、私が提案した数件の店には、皆でまた行こうと言う話になった。気の早い人は、それまでに行くだろう。

私が好きな、鷹取駅を降りると少し歩いた所にお寿司屋さんがあるが、そこを1人の女性がよく知っていて驚いた。ここの店主は女性で、とても美味しく気持ちのいい店である。ここには行って見たいと言っていた。8人位は入れるから、これは貸し切りとなる。またいつか。

皆で食べると、やっぱり旨い。それは、気の置けない事が条件だ。
先ず、石川さゆりのコンンサートで貰った、四つ葉のクローバの話。水を絶えずにやっていた所為か、芽がすぐに出た。毎日毎日私は卵の殻(紛い)を覗きながら、砂のような土が乾かない様に水を遣り続けた。だが、葉っぱはどれも3枚。三つ葉のクローバでしかなかった。

或る数日、観るのに疲れていた。萎れた細い数本の三つ葉。もう、いくら水を遣っても駄目だと気付いた。あんなに長く遣り続けていたのに。少し可哀想な気がしたが、四つ葉のクローバを必死で待っていたのだった。がっかりだった。「四つ葉のクローバが必ず出て来るとは限りません」とか何とか書いてあれば、この状態でも諦めが付いたのだろうけれど。

こんな報告になって悲しい気分でいる。

S.Sさん宅に午後6時にぎりぎりセーフで着いた。親や子供達が集まっていた。シマさんも奥さんと一緒に来ていた。S.Sさんが教えている「ホームコンサート」が始まるのだ。だが、15日から始まり、今日は最後の日だった。15、16、17日は休日なので、午前と午後の部がある。こう数えると、10回に亘る大きなイベントだ。

小学生以前から高校生まで、また子供の母親までが演奏した。S.Sさんとの連弾もある。全部プログラムを載せるのは難儀だが、ポルカパーティーやジュ・トゥ・ヴや、珍しい所ではラルゴとオーソレミオはS.Sさんの伴奏で、母親が歌った。細い体で良くあれだけの声が出る。ただで聴けるのが微妙だった。後で聞いたが、ピアノは小さい頃からやっていて、歌は声楽が専門との事だった。

小さな、と言ってもグランドピアノが2台入っている部屋だが、その部屋に声が充満した。ピアノの腕前は、今は主婦をしながら練習していると言うが、ブラームスのバラードop.118-3を奏でるものだった。

私は、プログラムに名前と曲名が載っていた。だが、18日に固定を外したばかりで、リハビリを余儀なくされている。演奏出来ない理由を述べた。

全ての最後はショパンの幻想即興曲を弾いた別の母親が、S.Sさんとの連弾で、VACATION! とリベルタンゴを演奏した。私が演奏する筈だったリストの愛の夢をリコーダーで吹いてくれたSさんは、この連弾の演奏ではカホンを鳴らした。この演奏も、ただで聴くには微妙な程心を打った。

シマさんは、徳之島一切節を演奏し、子供の前でも平気な唄だと説明し、大いに笑いを取った。次はワイド節だ。元気な、活きの良い曲である。ワークショップではないが、終わった後皆に三線を回し、弦を弾かせたりしていた。これも良い試みだった。

ちょっと前からそらの陽さんが来て、驚いている所だった。昨日ゲストで演奏している。今日(21日)は、打ち上げがあるので、遠い姫路からやって来ていた。賑やかになる予感がした。

全てが終了すると、SさんとS.Sさんは、水道筋の焼肉屋さんに私達を誘った。他シマさん夫婦にそらの陽さんと私の6人が、さんど亭に入った。コースが安心できる。先ずはビールで乾杯だ。いつもながら、色んな話が出た。気の置けない者達が集うと、どうしてか楽しく時が過ぎて行く。

王子公園駅でSさん夫婦と別れ、三宮で後の3人と別れ、私は高速バスの乗り場に速足で近付いた。10時22分のバスが停まっている。乗ろうとすると、満員のようだった。私は満員プラス1名と言う所で乗れなかった。最終が30分で、それには十分に乗れた。だが、出発する時間になると、殆ど満員状態だった。このバスで帰れなかったら、垂水までJRで行き、そこからはタクシーか歩くかのどちらかになる。垂水からのバスも、最終は30分位だから、乗れる筈はない。高速バスに乗れて良かったと言う話だ。

シマさんがあの美しい完熟に近いトマトをくれた。早速冷蔵庫に入れて冷やした。もう冷たく食べ頃だろう。ブログを書き終わったら塩を掛けて齧り付く積もりだ。そうそう、焼酎も飲む事を忘れてはならない。トマトをあてに飲むと、アルコールが私を微睡ませてくれる。NHKの深夜便を今夜こそ聴かずにぐっすり眠りたい。

明日は、オカリナの仲間達が、練習の後お昼に、私を鮨を食べに連れて行くと言っている。シマさんにTシャツを渡し、明日はこの仲間達にTシャツを渡す事にしている。中には、東北の友達がオカリナを買ったので、私のCDを贈りたいと言っている人がいる。そんな事を今でも考えている人がいる事が何とも嬉しい。明日も、きっといい日になりそうだ。