三宮の何処かで、手の甲の親指側の幾つかの島の最後の島が噴火した。

それは昨日(17日)の事だったが、私の皮膚から私の1部が死滅して剥がれて行った。小指と薬指ははっきりと固定されている。時々動かさなければ、不安になるし安定しない。オカリナの練習に出掛けたのだった。

勿論、私は全く吹かなかった。右手のレとドは全く出す事は出来ない。かと言ってミ以上の音は出るには出るが憂鬱で、とても吹く気にはなれない。私の鞄には、1つとしてオカリナは入っていなかった。

顔の真ん中のラインの瘡蓋はもうない。右手の甲の瘡蓋は、一番大きなものを残すのみとなっていた。半分は捲れているので、剥がれるのは時間の問題だった。私の1部が再生されて、その上にあった私の死に絶えた1部は、三宮の路上に姿を消した。

顔は初めて見た人なら、1歩引くだろう。これだったのだ、完治するのは3ヶ月とも半年とも言われたのは。でも、やっぱり帰りはビールを飲んだ。飲まずには帰れない。

そして今日は整形に行った。出来るだけ庇って来た右手だった。医師は、固定を外した。1月後に来るように言われた。お盆の頃になる。それで何もなかったら、それで終わりだと、その気の合いそうな医師は言った。

何だかざわざわしている10日目の相撲を観始めた。この変換しようとしているそのざわざわは、私に何の魅力も感じさせなかった。だが、相撲は好きなので、最後まで観た。何だかつまらない。

勿論、ビールを飲みながら観ていた。サントリーの「頂」を。まずまずの味だ。すぐにコープに行った。右手の甲の固定が外されて初めての事だった。ニンニクと国産牛肉のこま切りとパルム(アイスクリーム)を買った。オーストラリア産なら、もう100円は安く、いつもはそれ以外は買わなかったが、今日は国産と言う言葉に拘った。

こま切りは、いつもはフライパンで塩コショーをすると加熱して、後はソースをかけてビールや芋焼酎のあてにする。今日は、味を換えてみた。2欠片のニンニクを薄切りにして、油で炒めた。その上に、塩コショーをしたこま切り肉を入れ、赤味がなくなるまで炒めた。その上に醤油を撒いた。

何だか足らない。砂糖を少し加えたが私にはソースが馴染んでいた。ソースを振り撒くと、再びビールのあてになった。結構美味いじゃないか、そう思った。その前に、パルムを食べた。これも美味い。ビールを飲んで、こま切りを食べても、尚パルムもその味を留めていた。料理でもパルムでも、美味いものはその味を長く記憶させる。

リハビリではないが、固定されていた小指と薬指を動かしてみる。すぐにグーに出来る筈もなかった。おまけに、小指ならまだしも、薬指の付け根が痛い。ここもひょっとしたらと思うと、痛いまま明日の朝を待ってみるしかなかった。

私が勝手に気が合うと思っている整形の医師は、火曜日が担当である。明日痛かったら、もう違った医師でも行くしかない。所謂、小指と薬指は怠けていたのだ。怠けるとは、これだけのダメージを受けるのだと思った。

蝉が、やっと一昨日から鳴き出した。やっぱり夏の風物詩だと言う事は、私の中では変わらなかった。そっと庭の木に近寄ってみると、5、6匹のクマゼミが低い位置に固まっていた。昔はミンミンゼミかアブラゼミでしかなかったが、今はクマゼミだ。昔こそ、遠い梢で鳴いていると思われた垂涎の的だったクマゼミが、今ではどこでも観られるし鳴いているが、ミンミンゼミの声こそ懐かしく珍しいものになってしまった。

口の中にはパルムの味が消えていない。これを打ち終わったら、もう一度冷凍庫を開けてパルムを味わいたい。パルムで始まってパルムで終わった筈のブログアップは、またパルムを味わう事で様々な事を思い返す。やっとアップ出来そうになったこの出来事は、ちょっとした指のダメージを抱えながら、オカリナが今までのように吹け、コメントをしに伺える事を願っている。

8月の初めに外されると思っていたギプスが、今日外された。これはラッキーではないか。指を握ったり開いたり、そうしながら左手の元気さに励まされている。

パルムは、一連の私のアクシデントを、いつまでも忘れないように足枷とした。さてと、いい加減に終えて、パルムを冷凍庫に取りに行こう。

ちょこっと、身勝手な日々は続くかも知れないけれど、人生なんてそんなものかも知れないなあ。
6月27日に転んで顔面に怪我をしました。朦朧とした私に通りががりの方が救急車を呼んで下さいました。病院でも記憶が余りないのですが、検査は拒否していたようです。色々な方々にご迷惑をお掛けし、この歳で恥ずかしいですが、お礼を申し上げます。

28日は同じ病院に治療して頂く為に行きました。大した事はないのですが、恐ろしい顔に慄きました。30日には、もう来なくてもいいと言って貰いました。

でも右手の小指側が痛く、腫れも引きません。安心の為に7月4日に整形外科を受診しました。レントゲンを撮って戻ってみますと、すぐさま先生から、

「骨折してる」

と言われました。小指の線の掌の真ん中辺りです。

「ヒビじゃないんですか」

と尋ねると

「骨折です。あれから1週間でしょ。ズレていなくて良かったね」

と言われました。

「ズレていたらどうなるんですか」

と聞くと、

「小指が短くなります」

と言われ吃驚です。

「固定しないといけません」

「私は演奏で小指を使いますが、いつまで固定していたらいいですか」

「1ケ月です」

大袈裟に見える、固定して包帯で巻かれた掌も、これではオカリナどころではありません。早速7月21日の、数曲の演奏もお断りしなければならなくなりました。風呂も面倒になりますが、オカリナの練習が1ケ月も出来ないのが堪りません。

皆さんのブログにお邪魔するかも知れませんが、気が滅入り、また文字の打ち込みが厄介でコメント出来ないと思います。出来なくはないでしょうが、コメントしないかも知れません。どうか、そんな気紛れをお許し下さい。1ケ月と言われていても、もう少し早くこの固定を解放して頂きたいと思っています。

暫くですが、どうぞその期間の我が儘をご容赦下されば幸いです。
9月は川柳の会の集まりで演奏をする事になっている。それも加古川で、その後はすっかり溶け込んだ6人が、私の演奏が済むとカラオケで歌う事に決めてある。何も6人でなければいけないと言う事はないが、女王蜂を取り囲む5匹の蜂が群れる。

働き蜂と書きたかったが、私はあんまり働かないので気が引けたのだ。群れると言っても、巣箱の中とは大違いだ。女王蜂は飛べず、他の蜂より随分大きい。夜、明かりを求めて家に入り込んだ働き蜂は、もう自分の巣箱に帰る事は出来ない。そんな事を考えると、結構辛辣な世界でもあるのだ。

そんな事とは全く関係のない王女様と言った方がいいMさん。親しくして頂いているHさん、Kikさん。同級生だが加古川在住のO君。ここまで4人は加古川の住人である。Ki君と私は神戸市に住んでいる。この日(29日)この仲間に初めて参加したKo君は、同級生だが宝塚に住んでいる。因みに、この4人の同級生は、高校までを出雲で暮らしていたのである。

1ヶ月ちょっと前に、Ko君が久し振りに会って話したいと言っていた。加古川での6人の仲間は9月にも会うけれど、Ki君を通じてO君に話すと、この日にも皆で会えるように設定してくれた。王女様のMさんも来ると言う話を聞いて、その優しさに打たれた。この前6人で会ったのと同じ場所になった。私が、ここのすき焼きの肉が食べたかったのである。

5時に山陽電鉄の駅別府(べふ)で会って、それからバスで新野辺(しのべ)に行く段取りだ。

快速で東二見まで行き、そこで降りて普通に乗り換える。前の方に乗ったが、Ko君が私のいる所の入口から入って来た。私を無視しているのだ。えっ、と言うような顔になって、山高帽を被っている私を見た。額には傷があり、眉間の下のやや抉られた部分にはパッチが貼られ、中には白血球が戦った残骸が溜まっている。それをティッシュで漏れる度に拭かなければならなかった。目の内側は腫れ、鼻の下はまるでヒットラー口髭のように擦れていた。どの部分も赤く、痛々しい。

3つ程先の別府に着いた。ファミマでウコンを飲み、ゼリー状になったビタミンを手で搾り出して飲んだ。

27日の昼過ぎだったが、滅多にない事に焼酎をストレートで何杯も煽っていた。昼飲む事も先ずないのだが、この日は車の運転とかの用事は何もなかった。それで、飲んだ後にウオーキングに出掛けたのだった。

段々ふらふらして来た。多分真っ直ぐは歩いていなかったのだろう。こけた事も分からなかった。倒れた私の周りに3人の人が依って来て、何やら話し掛けて来た。私は、「大丈夫です。大丈夫ですから」と立ち上がれない体で答えていた。意識はあるようなないようなそんな感覚は不思議だった。

誰が呼んだのか、救急車が来た。どのようにして乗ったのかは分からない。何だか勝手な事を喚いていたみたいだ。こんなに親切にしてくれる救急隊員の人に向かって・・。「ここでは私が一番偉いんだから、私の言う事を聞きなさい」と言われているのは何となく分かった。もう観念したのか「はい」と言ったような気がする。

それからは意識は殆どなかった。だが、それは気持ちの良さそうな感じで微睡んでいたからではなかっただろうか。家からは聞き付けて車で迎えに来ていた。次の急患もいるので、いつまでもいる事は出来ない。ボーッとしたまま車椅子に乗せられた。その時、白いパンツが真っ赤な点々で、水玉模様になっているのが分かった。

家に連れ帰られても車から降りる事が出来なかった。大分経ったと思う。息子(娘婿)が呼ばれて、ここまで来てくれた。私はまだ朦朧としていたが、彼が来たのは分かった。暫くして、私はよろけながら車から降りると、ふらふらと家の戸口まで歩いた。

後で聞いた話だが、どうして私を抱きかかえようかと悩んでいたらしい。自分が彼にお姫様抱っこをして貰っている姿を想像すると、この重さでは無理だと思ったし、それより何より、抱っこされなくて良かったと、本気で思った。

よく来てくれたと思い、椅子に座ってやや落ち着いた私は、3人で喋った。お茶を淹れる力は戻っていた。

鏡を見に行った。鼻は十文字にテープが張られていたし、額や鼻の頭や上唇の傷は思いの外目立ち、異常な顔立ちになっていた。

こうして27日の夜はすぐに寝る事にした。右手や肘の擦り傷はいいとしても、右手の小指側の掌が、打ち身の為に痛かった。夜中じゅう汁がテープの下から流れ出て、その度にティッシュで拭いていた。暗くしているので、何色かまでは分からなかったが、28日の朝に、それが黄色いような色だと分かった。

10時に病院に行った。外科では、そのテープが外され、医師は「かなり深い傷です」と言いながら消毒した。その上から今度はパッチを貼った。ちょっと心配になったが「ちゃんと隆起しますよ」と言ってくれた言葉で、無知な私は少しは安心出来た。

「自分でもパッチを家で貼る事も出来ますが、どうしますか」と聞いて来たので、「安心出来ますので、明日も来たいです」と言って、10時の予約が貰えた。だが、医師の言った意味は、すぐ後日に納得出来る事になる。

パッチの中はすぐに汁が溜まっているのが分かった。漏れた少しずつの汁は、その度にティッシュで拭き取った。

29日も10時に予約なしで行った。予約しなくても、回転は速かった。この日、つまり7人が集ったこの日は、消毒はせずにパッチだけ取り換えられた。医師は違う。

家を出たのは3時45分前頃で、バス、電車と乗り継いで、別府までやって来た。私はコンビニに、Ki君とO君は逆に駅の改札の前辺りに居るのが分かった。Ko君が呼びに行った。私はこちら側から帽子を被ったまま手を振った。

近付いて来た2人は、私を見るなり吃驚したようだった。それは尤もなのだが、Ki君が「チャップリンの髭みたいだ」と言った。ヒットラーの髭だと言われなくて良かった。

バスは小さいが、何に例えたらいいだろう。可愛らしいバスだった。定かではないが、新野辺5丁目と言うバス停で降りたと思う。「しのべクラブ」に入って行き、私達の予約してある部屋に入って行った。HさんとKikさんはもう既に来ていて、テーブルにはすき焼きの鍋2つや、その他カツ等が並んでいた。

が、私の顔を見るや、矢張り驚いた顔をしたのは案の定だった。また少し、経緯の説明となる。これで男が6人揃った。Mさんは、仕事の関係で、6時になるそうだが、5時半からのプチ宴会なので、この時間には刺身が並べられ、ビールで乾杯した。

久し振りに集まるこのメンバーは、懐かしさと親しみとがある。Ko君もすぐに馴染んだようだった。

Ko君は娘さんがロスに住んでいて、カリフォルニアのビンテージワインを持って来ると言っていた。Mさんが来るまで冷蔵庫で冷やす事になった。結局Mさんは、何かで違った場所に行ってそこから歩いて来る事になった。6時半にはならなかったが、到着した時は皆の目はそちらに注がれた。暫くすると、私がMさん1人の注目対象ととなった。

「今日は皆に会いたかったし、Mさんが初めて会うKo君が高価なワインを持って来ると言うので、この顔でも来ました」と言った。

Mさんは、「元の顔を知っているから何ともありませんよ」と言った。こう言う所が、大人の優しさである。

「私は自分の顔が分からないからいいけど、皆さんはこの顔をモロに見るので暫くは窮屈でしょうね。でも、梅原猛さんは、人間は慣れる動物だと言っているし、すぐに慣れて頂けると思っています」と言うと、そんな事知っていたと言わんばかりに、皆首肯した。

「Mさんと私とは、これでミュージカルに出演出来ますね」と言った。それに、もう自分もそうなったような気がしていて、ミュージカルも映画も観ないで済むと思った。「美女と野獣に出演出来るんじゃないですかね」。

一番年上だが、力の強そうなHさんがコルクを引き抜いた。Ko君が持って来たワインは「HEWITT VINEYARD 2007」。7つのワイングラスに注がれ渡った。乾杯! 私にだって美味さは分かる。CA(カリフォルニア)のワインだった。買えば2万円はすると言うレッドワインは、再び生き生きと血管を巡った。

王女様のMさんは、鮮やかな手付きですき焼きの女奉行になってくれた。この前もそうだったが、肉の焼き方も手慣れていて、鍋への具材の並べ方も美しかった。

Hさんは、また私にいつかオカリナの演奏をやって貰うと言った。私はやっぱり加古川の準市民なのだと、自分でそう思った。Ki君自身もきっとそう思っている。加古川には公民館が12あると言ったが、もう既に3つで演奏している。こうなれば序でに全公民館破りを成し遂げようとさえ考えた。お呼びが掛かればの事ではあるが。

話も色々弾んでいる。何かかんか喋らされ喋ってしまい、恐ろしく吃驚されてしまう。Hさんが私に柔道か何かやっていたかと聞かれ、柔道は小学生の頃やりたいと言ったが、骨折などを理由に母にやらせて貰えなかったと話した。

その代わり学生の頃武道への憧れがあり、ほんのちょっとだけ空手を習いに通った事を白状し、その時三島由紀夫に目と鼻の先で出会ったと言った。彼は剣道はかなりの腕前で、ボデイビルなどもやっていて筋肉隆々の体だったが、空手は習いに来て間がないようだった。三島由紀夫と会うなんて私だって吃驚したのだから、HさんやKikさんが何度も感嘆の目で私の顔を見つめるのも分かる気がした。

8時30分になって、お開きとなった。この会場の人に、終了を告げられたからだった。名残惜しいのは仕方がないが、また次の日への期待がある。Mさんは、「今度は4時頃からカラオケに行きましょう」と言った。Ki君の顔が急に蘇生したようだった。今度こそ、マイクは握っても離してくれと思った。ここまでカラオケの好きな人間に、まだ出会った事がない。

Ko君、Ki君とJR加古川駅から電車に乗り、私は最初に垂水で降りた。顔の事は気にならなかった。自分で自分の顔が見えないからだ。

あっと言う間に29日は終わり、6月30日、今年の半分が終わる日が来た。今度は9時半に着くように病院に行こうとした。車に乗って出発しようとした途端、また汁が垂れる感じがした。するといきなりぽたぽたと鼻血が上着に落ちた。ティッシュを左の鼻の穴に突っ込んだが、すぐに赤く染まる。何度換えても駄目で、部屋に戻った。

暫く寝転んでティッシュを換えていたが、少しずつ納まって行くようだった。初めてヒエピタなるものを鼻に貼った。

午後からはオカリナの練習があるので、10時には着きたかった。結局はどの日も同じ10時到着となった。28日の最初の先生の筈だったが、都合でまた初めての3人目の医師になった。

今度は助手がパッチを剥がし先生が傷口を診た。「大分良くなっています。これなら石鹸で顔を洗ってもいいです。寧ろ洗って下さい」と言った。そうして、上から流し込んだ最初の医師のような消毒ではなく、球状の綿に消毒液を染み込ませ、ピンセットで傷口を消毒した。

「もう来なくていいですよ。自然に治癒するから、来ても来なくても同じです」と言った。

「この傷はどの位したら綺麗になりますか」と聞くと「3ヶ月から半年位かなあ」と言った。耳を疑ったが、半年と言えば今年の大晦日。イケメンになれるのは、紅白歌合戦でも観る頃だな、と思った。

3人3様の処置の仕方が面白かったが、鼻を突き破った何かがもし目に入ったりしていたらと想像すると空恐ろしくなる。そうでなくて良かったと思うばかりだった。結果的にはそう大事にならなくて良かった。

救急車の音が聞こえる度に「また救急車か」と思っていたが、もう他人事には思えなかった。音が聞こえると、どんな事で運ばれているのだろうか、大丈夫だろうか、そう感じるようになった。関係ない者には本当に関係ない事は沢山あると思った。寄り添う事のある勉強を、自らさせて貰ったようだった。

それにしても引っくり返って白いパンツを赤く染めている私を、心配しながら関わって救急車まで呼んでくれた3人の人達。また救急車で運んでくれた消防隊員。きっと来ていただろう警察官。病院で迎え入れ処置してくれた人達。心配そうに見ていただろう人・・。これだけでも、自分の不注意から沢山の人に迷惑を掛けてしまった。

やっぱりここにあるのは、感謝の気持ちである。私は、まだ死んではいなかったのだ。そこにはもっともっと大きな力も存在しているだろう。その大いなる力にも心から手を合わせよう。

今年は暦などに依れば私は厄年で、八方塞がりだと言う。あと半年が安寧に過ごせるよう、また来年こそは八方広がりの年になるよう願う。無茶な事は止めて置こうと、只管思う水無月の最後の日が刻々と消えようとしている。

オカリナの練習などと書いたが、何より辛いのは右手掌の小指付け根辺り半分が腫れていて痛く、「ド」の部分の穴が上手く塞げない事だ。医師にも見せたが、レントゲンも撮らなかった。医師の言うように単に打撲なら日にち薬だが、骨にヒビが入っていないだろうか。骨折なら痛みはもっと酷いだろうから、それはないだろうと思う。

「ド」がぎりぎり塞げる状態だが、速くなどとても動かせない。今のままでは練習も儘ならないから、「小指の思い出」だけであって欲しい。
オカリナを練習していて、そろそろ朝の10時も回った。私のオカリナにジャズの範疇はないが、それでもジャズ風のテクニックは少しでも習得したかった。けれど、それがメインになる事はない。ジャズなんて演奏した事もない。オカリナは素朴な演奏をするものだと思っていたから。

童謡や唱歌にはピッタリだ。だが、最近はクラシックやジャズや、超絶技巧的な演奏が一部で流行っている。複数管オカリナが出回って、その3オクターブも出る音階の魅力に憑りつかれた所為もある。流行とも言えるだろうが、まったく3連オカリナを無視は出来ない。

それで、ジャズ的な演奏の練習をしていたのだ。

12時から、同期会があり、元町の北に上がり、西に少し歩いた所にその割烹はある。14人位で一杯の部屋があり、そこはその部屋しかなく予約を入れて会食をする。誰にも遠慮する事もなく、我が家のような雰囲気で楽しむ事が出来る。

何度か使っているが、気持ちの籠った、美味しい料理が出される。いつか、私もこの割烹を使う事があるだろうか。

全員で14人が集まった。乾杯から一人ひとりの近況報告など、皆結構長く話す。私は、一番初めになった。だが、極短く話すように心掛けた。私は、話せば長い人だからである。

今日のメインは、秋に出掛ける旅行の話だ。場所を決めないと係が計画出来ない。私は以前、松山を希望していた。行った事がなかったからだが、夏目漱石の「坊ちゃん」で有名だから、是非行きたいと思っていた。結局はここに決まった。しかし、去年までは自家用車数台で出掛けていたが、今回は歳の事を慮ってか、高速バスなどを利用して行く事になった。

乾杯の後、皆楽しんで飲んだり食べたり話したりした。あっと言う間の2時間だったが、女性4人は今回は話があると言うので、男性10人ばかり、或る館の1階カフェで、コーヒーを飲んだ。

外に出ると、右左に分かれたが、結局3人はまた飲み直す事になった。ビール、芋焼酎を飲んではいたが、やっぱりもう少し飲みたい者もいた。シマさんは、11月19日13時からに予定されている「YOSOMI好きなヤツコンサート」の会場使用料を払いに行くと言った。それを引き留めて、彼と私とT君の3人は、三宮に近い阪急西口の狭い路地にある餃子を食べに行った。

泡盛はストレートで注文した。30度ある。餃子は一人前ずつの注文だ。味噌ダレに浸けて食べるのが私は好きだ。元町の「ひょうたん」に行きたかったが、違う店がいいと言うので入ったこの店が、また「ひょうたん」だった。関連のある店で、これは美味かった。また1つ、いい店を見付けたと思った。

T君は言う。オカリナもそうだが、何処かで演奏するには、日本の良さを出さねばならない、と。つまり、技巧的に走る事など更々ないと言ったのだった。

彼はまた、高価な接続のコードを買ったと言った。また聴きに来てとも言った。是非ともまた行きたい。聴きたいCDを持って行って聴いてみたい。彼こそ、3,000万円を超えるオーディオセットを備えているのである。勿論シマさんと1度お邪魔した事があった。私のCDが、あそこまでの迫力で聴けたなんて感激だった。

彼は無類の餃子を作り慣れていて、この店の餃子より自分の作る餃子が美味いと言った。私は「シーッ」と言ったが、それでも何度か当たり構わず言うのだから、これも是非味わってみたいものだと思った。

店を出ると3人はそれぞれの道に分かれた。空は少し曇って来ている。

家に着くと、庭の紫陽花を見に行った。鉢植えにしたまま数年を経ているので、あのふんわりした紫陽花ではない。小さくなって、これが紫陽花かと思ったが、路地植えにしなければと、先日庭の木の横を掘った。だが、根が張っていて、とても掘り切れなく、埋め戻したのだった。

この紫陽花こそ、島根県で改良された、「万華鏡」だった。私のCDの最初の曲が「万華鏡」で、とても親近感を覚える名前である。普通の紫陽花とは違い、まるでカレイドスコープを覗いているような花だ。青色のものでも随分高価だが、ピンク色になるともっと値が張る。

万華鏡はその美しさを伝えてくれる。私は、万華鏡こそ未来の素晴らしさを、そこに覗かせてくれるものだと思っている。良き、希望に満ちた世界が、その筒の中から覗ける事が、最良の幸せに繋がっている。「万華鏡」は、そんな紫陽花であり、そんなオリジナル曲でもある。

仲間と集える一瞬を、私は嬉しく思った。
牧村邦彦を知っていた訳ではない。国内で最もオペラ指揮回数の多い指揮者である。今日、芸術文化センター大ホールで行われる、宝塚市交響楽団の客員指揮者だった。

1週間前オーケストラ千里山のチケットを送ってくれたオーボエ奏者も演奏する楽団である。このチケットも彼女に送って貰っていたのだ。以前、オカリナアンサンブルにも所属していたし、臨床心理士が本職で、そんな関係からよく知っている。

今回はドイツがテーマとなっていて、演奏曲は、

ヘンゼルとグレーテル序曲 エンゲルベルト・フンパーディンク

ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら 作品28  リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス

交響曲大2番 ニ長調 作品73 ヨハネス・ブラームス

1階の後ろ辺りの場所だったが、左でも右でもなく、略真ん中の場所だった。これこそ双眼鏡を持って行くべきだった。朧げには分かったが、彼女をはっきりとは確認出来なかった。オーボエだが、何人かの顔がよく似て見えたからでもある。

この楽団は、いつも聴く楽団の楽器とは配置や数が違っていた。普通右側に見える第2ヴァイオリンの場所に、8つのチェロが並んでいた。左側の第1ヴァイオリンとの対比が凄く、まるでお母さんと赤ちゃんだった。その更に右には、コントラバスが6つ集まっていた。

全体では70人位の編成で、特にトロンボーンが活躍していた。プロなのかアマチュアなのかは分からないが、迫力ある演奏だった。強弱が面白く、迫力十分だった。指揮者の動きが、普通ではなく、指揮台上を横に歩いたり、タクトを振る動きも余り目にするものではなかった。激しく、体力がなければ無理な指揮だった。

またまた満足の演奏で、終わった後、思い切り拍手をした。何と掌に打撲したような痛みを感じた。1週間前の演奏で拍手を長い間続けていたので、それでだろうと思った。しかし、掌打撲なんて、私には初めてのものだった。自分の手で、自分の手を打ち合わせて出来るのを打撲と言っていいのだろうか。

アンコール曲があったが、これもメリハリの効いた曲だった。ホールの出口にも掲示してなくて、何の曲かは分からなかった。テーマがそうだから、ドイツの曲だとは想像が付く。

帰りはちょこっと居酒屋に入り、ビールを飲み焼き鳥を食べた。それ以上食べたいとも思わず、三宮に戻り、高速バスに乗った。今朝TVで観た「題名のない音楽会」で先週に引き続き、「芸術界の東大! 東京芸大の㊙校内探訪」を放映していた。

演奏がない訳ではなく寧ろそれが主で、歌もヴァイオリンもサックスもあった。だが、食堂も見せてくれた。そこで人気のあったのがバター丼だった。それは極めて安く出来、簡単で、それを作ってみたいと思ったのが、家路への足を早めさせたのだった。

バター丼と名付けられてはいるが、ここはマーガリンがいいと言うのだ。材料を買い、作った。丼だからご飯に乗せて食べるのが至極当然だが、今回はご飯なしに、それをビールのあてにしてみたのだ。


ここまで書いたからには、参考までにレシピを載せてみたい。TVでレシピを披露された訳ではないが、PCで調べてみたものだ。映像だけでも作れる程簡単なものでもある。

材料(1人前):

マーガリン大さじ2杯、木綿豆腐1丁(200g)、モヤシ1袋、醤油大さじ1杯強。これでいい筈だが、私は旨味調味料を少々入れ、出来上がったら七味を振り掛けた。

作り方:

1.火は点けないで、フライパンにマーガリンを入れる。角切りにした豆腐を、水切りはしないで入れる。モヤシを入れる。醤油をかける。(旨味調味料を入れる)。

2.火を点け、豆腐が軽くきつね色になるまで蓋をして置く。目安は3分位だ。火を止め、軽く混ぜ、水分を半分捨てる。

3.(七味を振り掛ける)。

これらを丼のご飯に乗せる。(私はビールのあてにしたので、まだご飯に乗せてはいない)。

温かい内がいい。マーガリンの香りが美味さに期待感をもたせる。量は、私に1人前は多かった。若き芸大生が食べるには最適な量だろう。ああ、美味かった!