9月は川柳の会の集まりで演奏をする事になっている。それも加古川で、その後はすっかり溶け込んだ6人が、私の演奏が済むとカラオケで歌う事に決めてある。何も6人でなければいけないと言う事はないが、女王蜂を取り囲む5匹の蜂が群れる。
働き蜂と書きたかったが、私はあんまり働かないので気が引けたのだ。群れると言っても、巣箱の中とは大違いだ。女王蜂は飛べず、他の蜂より随分大きい。夜、明かりを求めて家に入り込んだ働き蜂は、もう自分の巣箱に帰る事は出来ない。そんな事を考えると、結構辛辣な世界でもあるのだ。
そんな事とは全く関係のない王女様と言った方がいいMさん。親しくして頂いているHさん、Kikさん。同級生だが加古川在住のO君。ここまで4人は加古川の住人である。Ki君と私は神戸市に住んでいる。この日(29日)この仲間に初めて参加したKo君は、同級生だが宝塚に住んでいる。因みに、この4人の同級生は、高校までを出雲で暮らしていたのである。
1ヶ月ちょっと前に、Ko君が久し振りに会って話したいと言っていた。加古川での6人の仲間は9月にも会うけれど、Ki君を通じてO君に話すと、この日にも皆で会えるように設定してくれた。王女様のMさんも来ると言う話を聞いて、その優しさに打たれた。この前6人で会ったのと同じ場所になった。私が、ここのすき焼きの肉が食べたかったのである。
5時に山陽電鉄の駅別府(べふ)で会って、それからバスで新野辺(しのべ)に行く段取りだ。
快速で東二見まで行き、そこで降りて普通に乗り換える。前の方に乗ったが、Ko君が私のいる所の入口から入って来た。私を無視しているのだ。えっ、と言うような顔になって、山高帽を被っている私を見た。額には傷があり、眉間の下のやや抉られた部分にはパッチが貼られ、中には白血球が戦った残骸が溜まっている。それをティッシュで漏れる度に拭かなければならなかった。目の内側は腫れ、鼻の下はまるでヒットラー口髭のように擦れていた。どの部分も赤く、痛々しい。
3つ程先の別府に着いた。ファミマでウコンを飲み、ゼリー状になったビタミンを手で搾り出して飲んだ。
27日の昼過ぎだったが、滅多にない事に焼酎をストレートで何杯も煽っていた。昼飲む事も先ずないのだが、この日は車の運転とかの用事は何もなかった。それで、飲んだ後にウオーキングに出掛けたのだった。
段々ふらふらして来た。多分真っ直ぐは歩いていなかったのだろう。こけた事も分からなかった。倒れた私の周りに3人の人が依って来て、何やら話し掛けて来た。私は、「大丈夫です。大丈夫ですから」と立ち上がれない体で答えていた。意識はあるようなないようなそんな感覚は不思議だった。
誰が呼んだのか、救急車が来た。どのようにして乗ったのかは分からない。何だか勝手な事を喚いていたみたいだ。こんなに親切にしてくれる救急隊員の人に向かって・・。「ここでは私が一番偉いんだから、私の言う事を聞きなさい」と言われているのは何となく分かった。もう観念したのか「はい」と言ったような気がする。
それからは意識は殆どなかった。だが、それは気持ちの良さそうな感じで微睡んでいたからではなかっただろうか。家からは聞き付けて車で迎えに来ていた。次の急患もいるので、いつまでもいる事は出来ない。ボーッとしたまま車椅子に乗せられた。その時、白いパンツが真っ赤な点々で、水玉模様になっているのが分かった。
家に連れ帰られても車から降りる事が出来なかった。大分経ったと思う。息子(娘婿)が呼ばれて、ここまで来てくれた。私はまだ朦朧としていたが、彼が来たのは分かった。暫くして、私はよろけながら車から降りると、ふらふらと家の戸口まで歩いた。
後で聞いた話だが、どうして私を抱きかかえようかと悩んでいたらしい。自分が彼にお姫様抱っこをして貰っている姿を想像すると、この重さでは無理だと思ったし、それより何より、抱っこされなくて良かったと、本気で思った。
よく来てくれたと思い、椅子に座ってやや落ち着いた私は、3人で喋った。お茶を淹れる力は戻っていた。
鏡を見に行った。鼻は十文字にテープが張られていたし、額や鼻の頭や上唇の傷は思いの外目立ち、異常な顔立ちになっていた。
こうして27日の夜はすぐに寝る事にした。右手や肘の擦り傷はいいとしても、右手の小指側の掌が、打ち身の為に痛かった。夜中じゅう汁がテープの下から流れ出て、その度にティッシュで拭いていた。暗くしているので、何色かまでは分からなかったが、28日の朝に、それが黄色いような色だと分かった。
10時に病院に行った。外科では、そのテープが外され、医師は「かなり深い傷です」と言いながら消毒した。その上から今度はパッチを貼った。ちょっと心配になったが「ちゃんと隆起しますよ」と言ってくれた言葉で、無知な私は少しは安心出来た。
「自分でもパッチを家で貼る事も出来ますが、どうしますか」と聞いて来たので、「安心出来ますので、明日も来たいです」と言って、10時の予約が貰えた。だが、医師の言った意味は、すぐ後日に納得出来る事になる。
パッチの中はすぐに汁が溜まっているのが分かった。漏れた少しずつの汁は、その度にティッシュで拭き取った。
29日も10時に予約なしで行った。予約しなくても、回転は速かった。この日、つまり7人が集ったこの日は、消毒はせずにパッチだけ取り換えられた。医師は違う。
家を出たのは3時45分前頃で、バス、電車と乗り継いで、別府までやって来た。私はコンビニに、Ki君とO君は逆に駅の改札の前辺りに居るのが分かった。Ko君が呼びに行った。私はこちら側から帽子を被ったまま手を振った。
近付いて来た2人は、私を見るなり吃驚したようだった。それは尤もなのだが、Ki君が「チャップリンの髭みたいだ」と言った。ヒットラーの髭だと言われなくて良かった。
バスは小さいが、何に例えたらいいだろう。可愛らしいバスだった。定かではないが、新野辺5丁目と言うバス停で降りたと思う。「しのべクラブ」に入って行き、私達の予約してある部屋に入って行った。HさんとKikさんはもう既に来ていて、テーブルにはすき焼きの鍋2つや、その他カツ等が並んでいた。
が、私の顔を見るや、矢張り驚いた顔をしたのは案の定だった。また少し、経緯の説明となる。これで男が6人揃った。Mさんは、仕事の関係で、6時になるそうだが、5時半からのプチ宴会なので、この時間には刺身が並べられ、ビールで乾杯した。
久し振りに集まるこのメンバーは、懐かしさと親しみとがある。Ko君もすぐに馴染んだようだった。
Ko君は娘さんがロスに住んでいて、カリフォルニアのビンテージワインを持って来ると言っていた。Mさんが来るまで冷蔵庫で冷やす事になった。結局Mさんは、何かで違った場所に行ってそこから歩いて来る事になった。6時半にはならなかったが、到着した時は皆の目はそちらに注がれた。暫くすると、私がMさん1人の注目対象ととなった。
「今日は皆に会いたかったし、Mさんが初めて会うKo君が高価なワインを持って来ると言うので、この顔でも来ました」と言った。
Mさんは、「元の顔を知っているから何ともありませんよ」と言った。こう言う所が、大人の優しさである。
「私は自分の顔が分からないからいいけど、皆さんはこの顔をモロに見るので暫くは窮屈でしょうね。でも、梅原猛さんは、人間は慣れる動物だと言っているし、すぐに慣れて頂けると思っています」と言うと、そんな事知っていたと言わんばかりに、皆首肯した。
「Mさんと私とは、これでミュージカルに出演出来ますね」と言った。それに、もう自分もそうなったような気がしていて、ミュージカルも映画も観ないで済むと思った。「美女と野獣に出演出来るんじゃないですかね」。
一番年上だが、力の強そうなHさんがコルクを引き抜いた。Ko君が持って来たワインは「HEWITT VINEYARD 2007」。7つのワイングラスに注がれ渡った。乾杯! 私にだって美味さは分かる。CA(カリフォルニア)のワインだった。買えば2万円はすると言うレッドワインは、再び生き生きと血管を巡った。
王女様のMさんは、鮮やかな手付きですき焼きの女奉行になってくれた。この前もそうだったが、肉の焼き方も手慣れていて、鍋への具材の並べ方も美しかった。
Hさんは、また私にいつかオカリナの演奏をやって貰うと言った。私はやっぱり加古川の準市民なのだと、自分でそう思った。Ki君自身もきっとそう思っている。加古川には公民館が12あると言ったが、もう既に3つで演奏している。こうなれば序でに全公民館破りを成し遂げようとさえ考えた。お呼びが掛かればの事ではあるが。
話も色々弾んでいる。何かかんか喋らされ喋ってしまい、恐ろしく吃驚されてしまう。Hさんが私に柔道か何かやっていたかと聞かれ、柔道は小学生の頃やりたいと言ったが、骨折などを理由に母にやらせて貰えなかったと話した。
その代わり学生の頃武道への憧れがあり、ほんのちょっとだけ空手を習いに通った事を白状し、その時三島由紀夫に目と鼻の先で出会ったと言った。彼は剣道はかなりの腕前で、ボデイビルなどもやっていて筋肉隆々の体だったが、空手は習いに来て間がないようだった。三島由紀夫と会うなんて私だって吃驚したのだから、HさんやKikさんが何度も感嘆の目で私の顔を見つめるのも分かる気がした。
8時30分になって、お開きとなった。この会場の人に、終了を告げられたからだった。名残惜しいのは仕方がないが、また次の日への期待がある。Mさんは、「今度は4時頃からカラオケに行きましょう」と言った。Ki君の顔が急に蘇生したようだった。今度こそ、マイクは握っても離してくれと思った。ここまでカラオケの好きな人間に、まだ出会った事がない。
Ko君、Ki君とJR加古川駅から電車に乗り、私は最初に垂水で降りた。顔の事は気にならなかった。自分で自分の顔が見えないからだ。
あっと言う間に29日は終わり、6月30日、今年の半分が終わる日が来た。今度は9時半に着くように病院に行こうとした。車に乗って出発しようとした途端、また汁が垂れる感じがした。するといきなりぽたぽたと鼻血が上着に落ちた。ティッシュを左の鼻の穴に突っ込んだが、すぐに赤く染まる。何度換えても駄目で、部屋に戻った。
暫く寝転んでティッシュを換えていたが、少しずつ納まって行くようだった。初めてヒエピタなるものを鼻に貼った。
午後からはオカリナの練習があるので、10時には着きたかった。結局はどの日も同じ10時到着となった。28日の最初の先生の筈だったが、都合でまた初めての3人目の医師になった。
今度は助手がパッチを剥がし先生が傷口を診た。「大分良くなっています。これなら石鹸で顔を洗ってもいいです。寧ろ洗って下さい」と言った。そうして、上から流し込んだ最初の医師のような消毒ではなく、球状の綿に消毒液を染み込ませ、ピンセットで傷口を消毒した。
「もう来なくていいですよ。自然に治癒するから、来ても来なくても同じです」と言った。
「この傷はどの位したら綺麗になりますか」と聞くと「3ヶ月から半年位かなあ」と言った。耳を疑ったが、半年と言えば今年の大晦日。イケメンになれるのは、紅白歌合戦でも観る頃だな、と思った。
3人3様の処置の仕方が面白かったが、鼻を突き破った何かがもし目に入ったりしていたらと想像すると空恐ろしくなる。そうでなくて良かったと思うばかりだった。結果的にはそう大事にならなくて良かった。
救急車の音が聞こえる度に「また救急車か」と思っていたが、もう他人事には思えなかった。音が聞こえると、どんな事で運ばれているのだろうか、大丈夫だろうか、そう感じるようになった。関係ない者には本当に関係ない事は沢山あると思った。寄り添う事のある勉強を、自らさせて貰ったようだった。
それにしても引っくり返って白いパンツを赤く染めている私を、心配しながら関わって救急車まで呼んでくれた3人の人達。また救急車で運んでくれた消防隊員。きっと来ていただろう警察官。病院で迎え入れ処置してくれた人達。心配そうに見ていただろう人・・。これだけでも、自分の不注意から沢山の人に迷惑を掛けてしまった。
やっぱりここにあるのは、感謝の気持ちである。私は、まだ死んではいなかったのだ。そこにはもっともっと大きな力も存在しているだろう。その大いなる力にも心から手を合わせよう。
今年は暦などに依れば私は厄年で、八方塞がりだと言う。あと半年が安寧に過ごせるよう、また来年こそは八方広がりの年になるよう願う。無茶な事は止めて置こうと、只管思う水無月の最後の日が刻々と消えようとしている。
オカリナの練習などと書いたが、何より辛いのは右手掌の小指付け根辺り半分が腫れていて痛く、「ド」の部分の穴が上手く塞げない事だ。医師にも見せたが、レントゲンも撮らなかった。医師の言うように単に打撲なら日にち薬だが、骨にヒビが入っていないだろうか。骨折なら痛みはもっと酷いだろうから、それはないだろうと思う。
「ド」がぎりぎり塞げる状態だが、速くなどとても動かせない。今のままでは練習も儘ならないから、「小指の思い出」だけであって欲しい。