三宮の何処かで、手の甲の親指側の幾つかの島の最後の島が噴火した。

それは昨日(17日)の事だったが、私の皮膚から私の1部が死滅して剥がれて行った。小指と薬指ははっきりと固定されている。時々動かさなければ、不安になるし安定しない。オカリナの練習に出掛けたのだった。

勿論、私は全く吹かなかった。右手のレとドは全く出す事は出来ない。かと言ってミ以上の音は出るには出るが憂鬱で、とても吹く気にはなれない。私の鞄には、1つとしてオカリナは入っていなかった。

顔の真ん中のラインの瘡蓋はもうない。右手の甲の瘡蓋は、一番大きなものを残すのみとなっていた。半分は捲れているので、剥がれるのは時間の問題だった。私の1部が再生されて、その上にあった私の死に絶えた1部は、三宮の路上に姿を消した。

顔は初めて見た人なら、1歩引くだろう。これだったのだ、完治するのは3ヶ月とも半年とも言われたのは。でも、やっぱり帰りはビールを飲んだ。飲まずには帰れない。

そして今日は整形に行った。出来るだけ庇って来た右手だった。医師は、固定を外した。1月後に来るように言われた。お盆の頃になる。それで何もなかったら、それで終わりだと、その気の合いそうな医師は言った。

何だかざわざわしている10日目の相撲を観始めた。この変換しようとしているそのざわざわは、私に何の魅力も感じさせなかった。だが、相撲は好きなので、最後まで観た。何だかつまらない。

勿論、ビールを飲みながら観ていた。サントリーの「頂」を。まずまずの味だ。すぐにコープに行った。右手の甲の固定が外されて初めての事だった。ニンニクと国産牛肉のこま切りとパルム(アイスクリーム)を買った。オーストラリア産なら、もう100円は安く、いつもはそれ以外は買わなかったが、今日は国産と言う言葉に拘った。

こま切りは、いつもはフライパンで塩コショーをすると加熱して、後はソースをかけてビールや芋焼酎のあてにする。今日は、味を換えてみた。2欠片のニンニクを薄切りにして、油で炒めた。その上に、塩コショーをしたこま切り肉を入れ、赤味がなくなるまで炒めた。その上に醤油を撒いた。

何だか足らない。砂糖を少し加えたが私にはソースが馴染んでいた。ソースを振り撒くと、再びビールのあてになった。結構美味いじゃないか、そう思った。その前に、パルムを食べた。これも美味い。ビールを飲んで、こま切りを食べても、尚パルムもその味を留めていた。料理でもパルムでも、美味いものはその味を長く記憶させる。

リハビリではないが、固定されていた小指と薬指を動かしてみる。すぐにグーに出来る筈もなかった。おまけに、小指ならまだしも、薬指の付け根が痛い。ここもひょっとしたらと思うと、痛いまま明日の朝を待ってみるしかなかった。

私が勝手に気が合うと思っている整形の医師は、火曜日が担当である。明日痛かったら、もう違った医師でも行くしかない。所謂、小指と薬指は怠けていたのだ。怠けるとは、これだけのダメージを受けるのだと思った。

蝉が、やっと一昨日から鳴き出した。やっぱり夏の風物詩だと言う事は、私の中では変わらなかった。そっと庭の木に近寄ってみると、5、6匹のクマゼミが低い位置に固まっていた。昔はミンミンゼミかアブラゼミでしかなかったが、今はクマゼミだ。昔こそ、遠い梢で鳴いていると思われた垂涎の的だったクマゼミが、今ではどこでも観られるし鳴いているが、ミンミンゼミの声こそ懐かしく珍しいものになってしまった。

口の中にはパルムの味が消えていない。これを打ち終わったら、もう一度冷凍庫を開けてパルムを味わいたい。パルムで始まってパルムで終わった筈のブログアップは、またパルムを味わう事で様々な事を思い返す。やっとアップ出来そうになったこの出来事は、ちょっとした指のダメージを抱えながら、オカリナが今までのように吹け、コメントをしに伺える事を願っている。

8月の初めに外されると思っていたギプスが、今日外された。これはラッキーではないか。指を握ったり開いたり、そうしながら左手の元気さに励まされている。

パルムは、一連の私のアクシデントを、いつまでも忘れないように足枷とした。さてと、いい加減に終えて、パルムを冷凍庫に取りに行こう。

ちょこっと、身勝手な日々は続くかも知れないけれど、人生なんてそんなものかも知れないなあ。