8月の初めにテキストを買いにイオンにある本屋さんに行った。その時、気になっていた文庫本が並んでいるのを見た。手に取っても見ず、瞬間に買うのを止めた。この本を買いに来た訳ではなかったので。


「雨って嫌いだなぁ」
「・・・・本当に君とは気持ちの方向性が合わないよね」
「雨好きな人とかいるの?」
 いるんだな、それが。僕は答えずに彼女の前を歩いた。
                                      (「君の膵臓をたべたい」 住野よる 双葉社)


『・・・・機会があったら、詩さんも、ぜひぜひ読んでみて下さい。タオルとティッシュを忘れずに♪』

余りアップはされないブロ友さんの所へ行き、「観てきました『君膵』」、と書かれたブログを観て来た。コメントへのリコメは8日1:41とあったので、8日の朝にそれを読んだ。

小2の孫が朝来たので(お守りの為)、文庫本だし買う決心をして、イオンの開く9時過ぎに孫と出かけた。667円+税でも、文庫本をそう安いとは思わなかった。ハードカバーなら、見送っていただろう。

4階の反対方向の100均に向かった。お手玉に興味があるようだったので、お手玉と折り紙を買った。自分だけ買って帰る事は後悔の元だ。

一緒に遊んだり、読んだりした。4時には年中組の妹の方を迎えに行き、また遊んだり、読んだりした。自分達だけで遊びたい時もあるようで、そんな時は読みに徹する。

両親が迎えに来たのは7時を回っていた。

「どこまで読んだの」

と聞きながら、親と共に車に乗って帰って行った。

眠くなるまで、テレビはシャットアウトで読み続けた。タオルやティッシュの言葉が蘇ったが、全く必要なかった。若者が読むのにいいかなと思うような表現だと思っていたが、そうでもない事が徐々に分かり始めた。

高校生の青春ものかと思えたがしっかりした筆致だし、私が使っているような単語がちょくちょく覗いた。だからと言って、難しい文章ではない。1度出て来た状況や事柄が、後になるとちゃんと説明されている。構成がしっかりしている証拠でもある。そんな心掛けが、読者を安心させ納得させる。

ひょっとしてタオルやティッシュは必要のない青春ものかと思わせられながら、寝床に入った。しかし、この「君の膵臓をたべたい」は7月28日から全国ロードショーとなって上映されている事を考えると、今迄読んで来た内容で終わるとは到底思えなかった。

9日の朝は孫は2人来た。年中の孫もここに居たいとみえて、保育園には欠席の電話をしなければならなかった。

早速文庫本に目を遣ったので、栞のある所を示した。そして、読んだ所までをパラパラッと指で音をさせると、

「もうそんな所まで読んだの」

と吃驚していた。多分量よりも、パラパラでそう感じたのだろう。昨日のように、一緒に遊んだり読んだりした。

粗筋をここに書く義務も権利もない。それより、これから読む人に対してそんな事は出来ない。

325頁で終わるお話だが、ハッとする場面が幾つかあり、流石に小説家の業だと思った。退屈する事も、もう読むのを止めようと言う気持ちにもならなかった。

私は冷静に読んでいる積もりで、作者の文章表現や言葉の使い方、テクニックなども学びながらだったから、タオルやティッシュの事など諦念と忘却の先にあった。

300頁までには行かない所で、何か急に目と心とに電流が交差したようだった。そうして何の因果か何度も眼鏡を外し手で拭わなければならない羽目になった。手で拭っても涙が滲みないばかりか、濡れた上に重ねて拭うようになる。洗面所にタオルを取りに行った。

私がひ弱なのか堪え性がないのか、何度もタオルで拭う事になる。もう止められないとなれば、やっぱりタオルは定番だと思う。ハンカチはそっと拭う時に使うだろうが、タオルは涙を待ちながら堂々と使う場合に用いられる程目に付く。

流石にタオルで十分だったので、私にティッシュは必要なかった。きっとブロ友さんは、鼻水が出る時に使ったと思われる。

タオルで涙を拭っている時の300頁近辺は、幸いな事に孫達は出ていていなかった。帰って来た時は、もう数頁を残すのみとなっていた。終わるや否や最後のページに栞を挟んだ「君の膵臓をたべたい」を見せた。

「全部よんだの」

と、目を丸くする所が可愛かった。

映画が先か文庫本が先か。それは人に依って違うので、自分の考えは言えても絶対こうだとは、それこそ人の勝手でいらぬお世話であるが、私は文庫本を読んだ。映画を先に観ていたら、出演者が決まっていて人物が特定される。私なら、先に映画を観てしまったら文庫本は読まなかったかも知れない。

久し振りに、これで綺麗な心になれるならどんなにいいだろう。だが、少なくとも自分勝手になら浄化されたと思える作品だった。

「君の膵臓をたべたい」。まずタイトルに吃驚していた作品だったが、これがまた何を意味するかは人の勝手となる。

男の子の孫が加わったので、今この部屋に孫は3人だ。アイスの「うずまき」は1つ足らないので、私はコープに買いに行く任務が出来た。