瞬間瞬間は、瞬間に過ぎ、そして消える。

 

コロナ禍の精神的物質的な圧縮で、もう息絶え絶えな人達は多くいる。それは地球規模の中で、この地球にしかない世界的災禍である。だからと言う訳ではないが、そんな中宇宙はショーを繰り広げてくれた。11月8日の皆既月食だ。日本では殆ど観られる予報だったが、雲が多かったり雨が降ったりした地域もあっただろう。

 

幸い、兵庫県北部は気候が良くないと言う予報だったが、神戸では完全なショーを観る事が出来た。映画2本立てを観るような長さだろうか。

 

18時9分前に、阪神・淡路大震災で皹の入った立つのがやっとのテラスと言うにはほど遠い囲いに体を委ねた。椅子1つが辛うじて乗っかる。

 

満月が目平に昇っている。夏では明る過ぎて無理だったかも知れない。晩秋などとは言っておれない立冬に入った今、この時間は夏を知る者には信じられない位に家々の明かりや信号の三色の鮮やかな規則的な変化の繰り返しや街灯の明かりが見える。

 

その18時9分は部分食の始まりの時刻だった。テラスと言うのが格好いいのでそう呼ぶが、そこに10分毎に立ったり座ったりしながら月を眺めた。スマホで10分毎に変化を撮る為だった。何度も真面目に写真に収めたが、欠けた部分がどうであれ、写っているものは同じ形だった。流石に写すのは止めた。

 

そんな時、Ki君から電話があった。感動していると言う。今まで余り興味もなかったようだ。しかし、今は外に出て眺めていると言う。

 

「寒くないの」

 

「ちゃんと防備をしてるから大丈夫。それに、ちょっと飲んでるから」

 

思わず笑ってしまった。

 

「僕は天王星が隠れる瞬間も観たくて双眼鏡も持って来てるけど。小さいのは駄目だね。それで、昔買っていた7-50のを探して、それで観てる」

 

「そうか。肉眼では見えないんだね」

 

「白内障の手術をしてるから、それは先ず無理だよ」

 

彼は、

 

「自慢じゃないけどニコンの双眼鏡を持ってるから、見えると思う。いつ頃どこら辺に隠れるのかなあ」

 

と言った。

 

「愈々満月の黄色い部分がなくなるね。月が赤銅色に変わって行く。遂に皆既食になった」

 

それが19時16分頃の事だった。

 

それから86分間もの間皆既食は続く事になる。皆既食が終わるのは20時42分だ。天王星は地域によって少しずつ時間は違うが、20時31分頃大阪では皆既食の後ろに隠れる予測があった。私は、21時20分頃から、双眼鏡を月の真下の左側の方に向けた。到底肉眼では観る事の出来ぬ、まるで千枚通しで開けた穴のような星が見えた。だがそれは、時には消えたようになったり又蘇ったように見えたりした。これが天王星だ、と自ら確信した。

 

段々皆既食の底辺左にそれはくっ付き、隠れて行った。ただ惑星の1つが皆既食に隠れただけだったが、それが凄いとは中々思えなかった。皆既月食は見る機会は何度もあるが、同時に惑星も皆既食に隠れると言うのは442年目の事だと言う。それは土星だったそうだが、これが安土桃山時代だったと言う事の方が不思議な感覚に襲われる。

 

次に観られるのは322年後だと言う。誰が見るのだろうか。それとも、この愛おしい地球に、人類はまだ住んでいるのだろうか。そんな想像しか、私には出来ない。戦争をしないと言う賢明な選択が、世界中で守られる未来があればこそ。人が自然を破壊しないと言う不文律があればこそ、である。

 

話を戻そう。月は皆既月食で、同時に天王星が皆既食の裏側に隠れて通り過ぎる。地球からは各星々も同じような大きさに見える。だが、大きさは太陽の数百倍だとか、地球からの距離は天文学的距離を呈する。だが、こんなに配置よく見られる美しさはそれも不思議の1つだ。

 

地球から月までの距離は約38万kmである。太陽までの距離は平均1億5000万kmと言われている。では、今回話題に上った天王星までは何キロメートルだろう。調べてみると25億8650万kmから31億5550万kmだそうだ。月までの距離くらいまでは何とか想像出来るが、この2つの距離は想像もつかない。

 

太陽の直径に地球が109個並ぶと言うのはよく聞いたが、地球に対して太陽がこんなに大きいとは、直径1メートルの太陽を描いて、その直系の上に地球を109個並べてみると如何に太陽が大きいかと言う事が分かる。それの数百倍の星があると言う事を知ると、頭の中がどうにかなりそうだ。

 

地球から到達する時間は光でどのくらいだろうか。光は1秒間に約30万km進み、地球を7周半回る。それで、月までは1秒ちょっとで届く事になる。太陽までは、

8分少々で到達だ。では天王星まではどうだろう。約2時間40分かかる。天王星が如何に遠くにあるのかを思い知る。

 

20時42分に皆既食は終わり、再び黄色くなって行く。それから約1時間部分食は徐々に黄色い色は増し、21時49分に満月に戻った。光の関係だろうが、この時刻と全く同じではなく、僅かの時間のずれは感じられた。今度は何度か外に出て、最後まで皆既食の宇宙ショーを見届けた。

 

何でもないかのようにただの満月に戻っていたが、惑星食と共にあった皆既月食は心の中に赤銅色の食と天王星食を確実に残した。古の人達は月が欠けて行く事は見て来ただろうが、惑星食と共にあった事などは全く知らない事であったのだ。442年前の人達が第一惑星を知らなかっただろうし、地球さえも太陽の周りを回っているなど図り知れない事であった。

 

文明や文化や科学は長足の進歩を遂げ、膨大な頭脳の発達の旅を休ませない。私は、この旅について行けず、自分がどんどん遠ざかって行くことを唯々俯瞰して見ているだけである。実際の天王星の規模ではなく、まるで針で突いたような絵画的な天王星が、頭の片隅に残っているだけである。

 

 

むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんがすんでいました。

 

いつのことなのだろう。どこに住んでいるのだろう。どんなおじいさんとおばあさんなのだろう。昔話は、こんな手法で事細かくなく大らかだ。私も、そんな気持ちでブログを書いてみようと思った。

 

まず19日は父の日だった。ある人から焼酎が送ってきた。私にも送って貰って感激もする。「せごどんはなたれ」と言う名の芋焼酎だが、初垂れ(はなたれ)だけを集めた贅沢で希少な焼酎だ。蒸留されタンクに溜まり、一番最初に滴り落ちる1~10

%の部分だ。

 

何度か飲んだ事はあるが、またこれは違った味がした。豊かな芳醇な味、深い味。これだけでわかるだろうか。早速に、一番のお勧めのロックで飲んだ。グラスに氷を沢山入れ、そこに初垂れを注いだ。ほんの少し口に入った途端に、普通の焼酎と味が違った。43度は、私にはぐいぐい飲めるものではなかった。少しずつ薄くはなったが、それでも濃い味だ。

 

そのうち顔や体が火照って、すぐにでも寝転んで、素敵な夢が見られそうだった。まわりも速い。勿体なくて、まだ少し先まであると言うか、少し先まで残している。

 

さて、書き残して置きたいメインは20日の事である。まず気の置けない竹馬の友3人が、ある所で夕方から集まる会の前に昼過ぎからミスタードーナツで会った。気の置けない仲間だから、好きな話が続きながら、肩も凝ることはなかった。

 

内容は省くとして、私は前以て冗談交じりに言っていたように、ドーナツを3個食べた。遅いランチの為のもので、滅多に食べない甘いものはこうして多めに食べる。コーヒーは何杯お替りしてもよく、私は3杯飲んだ。話は飛び交ったが、時はゆったり過ぎた。1人が3個のうちの2個を既に用意してくれていてびっくりした。

 

昔話のように分からない曖昧な部分も残しているが、その後、5時半からと言われている会場に、5時前に着いた。主と女将が帰って来て扉を開けた。この日は貸し切りとなっていた。4人ずつ座れる鉄板付きのテーブルが横1列に4つ並んでいる。パーテーションで2つの部屋紛いに区切る事も出来るが、オープンで16人座れる席となる。

 

今回はこのお好み焼きや焼きそばなど、鉄板で焼けるものを中心とした食べ物でのお祝い会だった。この店の娘さんを祝う会で、男は12人、女は3人集まることになっていた。

 

O君はラジカセの機器を持って来てくれており、それをKi君はCDの伴奏を動かしたり止めたりしてくれる。その為、私は横長い入り口から2つ目の席奥にKi君と並んで座った。オカリナを吹くように言われていたからだ。この位置からなら両側にウイング状に音が広がる気がすると思ったからだ。

 

そこの主と女将は娘さんの両親で、娘さんの小学生の息子も最初は姿を見せていた。会が始まると旦那さんの姿も現れた。

 

5時半になると、会が始まった。車で来ていた女性の1人はノンアルコールの瓶ビールを注文していた。後は先ずは生ビールだ。私も乾杯はしたが、舐めるようにするだけだった。ピクルスさえも食べなかった。私とKi君の前には娘さん以外の2人の女性が座っている。

 

私は舐めるだけで飲まないので、生ビールは減る事もなく酔う事もなかった。「ちょっと飲めば」などと言う人もいたが、それはしなかった。Ki君と彼の前の女性は、お互いにビールのお替りをするタイミングを同じにして、同時に注文していた。もう4杯目だった。彼の前の女性は、「ビールなら幾らでも飲める」と言った。そこまで言えるとは凄いだろうなと思った。

 

話したり、生ビールを舐めたりしながら時を過ごし、1時間が経った。遂に私の演奏する時が来たが、私が主役でも何でもない。立つ事は簡単ではなく、不自由な中腰で立ってお祝いの言葉を言った後、演奏は座ってする事にした。

 

私の演奏会ではなくお祝いの為に吹くオカリナだ。以前依頼の時リクエストがあった曲も含め、ゆったり目の曲を6曲、約20分を用意していた。今までアルコールを口にしてからなら少し酔った状態で楽に吹けると思いながら、何度もこれで演奏がおかしくなった事も屡だった。今回は、飲まないでしっかりした意識で吹いたオカリナを聴いて貰いたいと思った。

 

皆はそこそこに飲み食い、私はビールを舐め水を飲んでいた。人は飲んでいても私は私なりのきちんとした演奏がしたかった。

 

演奏曲は、

 

1.栄冠は君に輝く

2.坊がつる讃歌

3.夏は来ぬ

4.故郷の山や海

5.かあさんの歌

6.祝い酒

 

アンコールがあったらと3曲用意はしていたが、もしあっても1曲だけにしようと考えていた。寧ろ、祝い酒で終わりたかった。

 

1番と6番はリクエストがあった曲で、どちらもオカリナの伴奏としては、探してもなかった。しかし、何曲もの応援歌の入っているCDが見つかり、しかも「栄冠は君に輝く」には歌う為の伴奏も入っていた。すぐに購入する。

 

「祝い酒」は坂本冬美の歌3曲とそれぞれのカラオケが入ったCDがあった。演歌を好きで歌う人は絶対に欲しいCDだろう。これでリクエストに対して義理が立つ。丁寧にも坂本冬美と同じキーのカラオケと半音低いカラオケが入っている。

 

「栄冠は君に輝く」は、アルトC管で吹くとカラオケより音が高くなる。何とか息を殺して吹くと音にならないし、到底正しい音程では人の耳に聞こえない。それで考えたのが大沢トリプルオカリナの漆塗りのソロ用だった。息の強い人用で、それでは余計音が合わない。私が買ったのは、私の普通の息で吹いて綺麗な音だと思ったからで、本当はとても強い息で吹かなければ442Hzには合わない代物だった。

 

宝の持ち腐れになっているが、「ボレロ」の後半を吹く時だけはお見切り強く吹き音量も上げられて、それだけは役に立っている。勿体ない買い物だったが、知識も持たずに買うのは銭失いか箪笥の肥やしになるだけであると分かった。或る人には最高のものになるし或る人には最低のものになる。

 

がしかし、それこそ息を弱くして吹けば、この曲には合いそうだった。それで解決したかと喜んでいた。ほんの少しの違和感は否めなかったにしても。しかし、私の娘が何気なく聴いて、「音が合っていない」と指摘してくれた。確かに、気持ちよくは吹けていなかった。

 

その日は18日で、演奏する日は20日なのだ。これでは駄目だと自覚したが、いい加減な音で聴いては貰えない。再び無い知恵を絞った。そうだ、私はアルトC管に拘っていたが、アルトB♭管を持っている。そう閃いてすぐに試してみた。何とそれで普通に吹いて気持ちよく合う事が分かった。3コーラス目は1オクターブ上のソプラノB♭管で吹きたいが、そのオカリナも持っている。九死に一生を得た気分で、娘に感謝した。

 

私とKi君の間の座席の狭い空間に、持って行った9本のオカリナを所狭しと重ねながら並べた。

 

最初「栄冠は君に輝く」を吹き始めた時、音がおかしいと思った。アルトC管で吹いたのだ。すぐにアルトB♭管に替えて、初めから吹いた。とても気持ちよく吹けた。口ずさんでいる人もいて、幸先がいいと感じた。それは愛嬌に過ぎなかった。

 

私の心は、何一つ動揺していなかった。1日前に分かって修正出来たからだった。1コーラス済んでも拍手が飛んで来たのは意外だった。それは、情感を込めた独りよがりにならない演奏が出来たからだと思った。

 

「坊がつる讃歌」は、秋田のローズマリーさんたちのギター伴奏をしているU田さんに依頼した生伴奏を入れたCDで演奏した。2コーラスまではアルトC管、3コーラスはソプラノF管で演奏出来るように伴奏して貰っているが、素敵な伴奏に仕上がっている。

 

「夏は来ぬ」はアルトC管から3コーラス目はソプラノC管を使った。その方が、聴く人にとっても変化があっていい。皆よく知っている歌でこれも口ずさんでいるが、きっと童謡や唱歌は懐かしいのに違いない。夏が来たんだからこの曲にしたが、聴く人の望みや気持ちも垣間見た気がする。

 

14年位前に「イカロス」と言う3連のオカリナに魅力を感じて、お願いに漕ぎ着けてから、7か月経って入手出来た。その喜びは今も覚えているが、3連のオカリナの為に作った曲が「故郷の山や海」だった。最初は「出雲の山と川」だったが、限定し過ぎだと思い普遍的に近いこのタイトルにした。伴奏曲にしてくれたのは私の甥で、今はベースギターのプロとして活動している。一か月半オランダにいると言っていた。

 

「かあさんの歌」は、ずっと吹き続けている小さな白いソプラノB♭管だけで吹くが、この曲でも涙ぐんでいる人がいた。この曲だけではなかったようだが、浸って聴いてくれている人がいるのはとても嬉しいものだ。

 

最初から私の右手のテーブルには斜交いに娘さんの旦那さんが座っているが、とても興味深く私を見ているのが朧げに分かった。隣の人に私の事を聞いているのだろうかと思える程に、その人と時々短い話をしているようだった。

 

「祝い酒」は、1曲を2度聴いて貰おうとずっと思っていた。最初か後かは別にして、歌だけとオカリナだけにして。しかしどう考えても同じ曲を2度聴くのは辛いだろうし、すっきりしない。それで考えたのは、3コーラス全部坂本冬美さんが歌って、私は2コーラス目だけオカリナで吹く事だった。これは自分ながらいい考えだと今も思っていて、結局何のストレスもなかった。

 

「坂本冬美さんをお連れしていますが」と言った時の微かな驚きと期待は面白かった。「CDで」と言った時に笑いが起きた。今回は、一切曲目は知らせていなかったので、曲名を聞く度に何らかのアクションがあったのも愉快だった。

 

終わった時はほっとした。やっと飲み食い出来ると思った時、何人かが「アンコール」と言った。自然体で演奏出来たし、気持ちをしっかり込められたと思った。また儀礼的なアンコールでもなかったように感じた。サン=サーンスの「白鳥」を、それしか吹かない3連の「イカロス」で吹いた。気持ちが緩んではいたが、これこそ美しく吹かなければならない。

 

ローズマリーさんを思い出した。彼女は「白鳥」は3連の大沢オカリナ「アニバーサリー」で吹く。「イカロス」と「アニバーサリー」は音色も吹き口の間隔も違う。私は「イカロス」でしか吹けない。だが、マリーさんの「アニバーサリー」で吹く「白鳥」は素晴らしく絶品だ。太刀打ちは出来ないが、その美しさを今も感動と共に思い出す。

 

終わった。気持ちは最高だった。こんな風にリラックスして吹けた事が今までにあっただろうか。私は今から何回か唇を湿らせていた生ビールを、グーッと飲んだ。幹事さんが気を利かせて「次も生ビールにしますか」と言った。「うーん」と言っていると「焼酎がいいですか」と聞く。彼の飲んでいるのを見て「それ何ですか」と聞いたら「赤ワインです。白ワインにします?」と言って赤ワインの入っている生ビールと同じジョッキを見せた。「赤ワインにします。半分で」と返答した。

 

お好み焼きや焼きそばを少しずつ皿に乗せて食べたが、それはとても美味かった。赤ワインが来た。何となみなみと一杯に注がれた赤ワインだった。これは素直に体に入って行った。

 

旦那さんが私に聞いて来た。「CDがありますか」「えっ? 作ってはいますが」「それ貰えますか」「ここにはないので、帰ったら送ります」と言って、実際にはもう21日に送っている。何が嬉しいと言って、初対面の旦那さんと初めて出会ったばかりでなく、初めて私のオカリナを聴いて、すぐにCDが貰いたいと言って貰えた事だ。

 

まあ未熟なオリジナル12曲で2013年11月28日に出来上がったものだ。事情があって2時間で12曲を一発録音したもので、拙いのは棚に置いて、満足出来ていない。今度作る機会があったら、出来るだけ満足の出来るCDを作りたいと思う。

 

旦那さんはこんな事も言った。「『故郷の山や海』のCDはないのですか。あれはよかったですね」と。他の人も何人かが「あれはいい曲でした」と言ってくれた。こんな嬉しい事はない。

 

左側のずっと奥に座っていた人が私のそばに来て、「オカリナは素人で初めてですが、どんなのがいいですか」と訊ねる。「アルトのC管がいいと思います」と言って、どこで購入したらいいかもお知らせした。その人は、オカリナは初めてでも音楽性に富み、トロンボーンを演奏して来た人だった。

 

色んな事が学べたし、嬉しい事があったし、爽やかな気持ちになれた1日だった。こんなオカリナ冥利に尽きる日があったなんて。指は痺れ穴も確実に抑えられない事もあっても、何だか自分がリセットされて、初心に帰ったような気になった。

ああ、今日は私の誕生日だ。そう思って、寝床の中でゆっくりしていた。岐阜から連れ帰った娘と孫。その3歳と8か月の一番小さな孫が、

「じいたん、おはよう」

と、私の寝ている部屋に入って来た。

「おはよう」

と、私は言った。でも、特別な日なのか今日は8時になっていた。すぐに起きて朝食のパンを焼いた。近くに住む泊まっていた孫たちも、朝食を食べる準備をしていた。娘も他の娘の孫たちも、みんなで両手をキラキラと振った。よく見るパーターンだ。

「おめでとう」

みんな覚えてくれていたのかと思う反面、「これだけ」と思って1人笑っていた。

 

妹たちはメールを送ってくれた。恒例の事業のようだった。親友のKi君は、川柳を5つ位書いて、メールにしてくれていた。「真の喜寿 酒酌み交わし 祝い酒~酒」。私は、川柳の好きな彼に、川柳で返した。「これからは 変わらぬ喜寿の 背番号」。背番号77はカッコいい。川柳など作った事もなく、でもなかなかいいと自分で己惚れた。すると、彼から返しの川柳が送られて来た。「気に入った 喜寿の背番号 合言葉」。流石の返しだった。

 

「飲めるだけ 飲もう 我らの祝い酒」。私は、そう送った。これだけでも嬉しい喜寿の祝いの数々。孫たちと遊んだ。7日はオカリナの演奏をしに行かなければならない。だけど、練習などしなかった。なるようになるさ!

 

昼は、1人の孫にカツ丼を作り、だしまきを作ったら3人の孫と娘が1切れずつ食べた。美味いと言ってくれた時は、流石に私も嬉しかった。

 

だらだらと時間は過ぎ、時間的には夕方になった。TVを楽しんでいた時、

「お父さん、6時半にMちゃんたちが迎えに来るよ。出掛ける準備をしておいて」

と娘が言った。

「何?」

「皆で食べに行くので、迎えに来るから」

娘は、改めてそう言った。

 

何も分からぬまま服を着替えた。暫くすると、娘の家族がやって来た。昼過ぎまではいい天気だったが、今は雨が降っている。孫が起こされて大声を上げて喚いている。どうしても機嫌が治らない。だが、彼の運転する車に我々の車も付いて出掛けた。どこに行くのだろう。焼肉と聞いたからいつもの所かと思った。でも態々迎えに来るからには、場所が違うのかも。

 

或るステーキの店に着いた。初めての店だった。L字になった席の真ん中に座れとしつこく言う。集まって来たのは全部で12人。娘たちの家族とその子供たちだった。何だか高そうな店で、メニューを差し出して娘は私が食べたいものを聞いた。何でもいいのにと思ったし、何故私中心にするかが余りはっきりしなかった。

 

最初、袋をくれて、みんなで書いたと言う寄せ書きを私にくれた。その寄せ書きを貰っている私を皆は写真に撮った。それから、私の好物の「龍力」の大吟醸酒を手渡してくれた。それらは、孫達の仕事だった。

「開けて見ないの」

と娘が言う。ビリビリ破ったら、当然その日本酒が出て来て、私は日本酒の宣伝する男のように、皆に撮られた。ああ、これは私の唯一の喜寿の祝いと、こんなに祝って貰った事はない誕生日とのコラボの日なのだと悟った。考えなくても、私の会を設定してくれていたのだ。

 

そう思ったら私は饒舌になった。私の為の会なのだから。皆、男連中は車の運転だからアルコールはNGだ。私も彼らに習ってジンジャーエールを頼んだ。だが、結果は生ビールになった。皆と飲み交わしたいと思ったのに。

 

2センチの厚さの鉄板の上で、職人の3人は分担して焼いたり作ったりした。新米もいたが、ベテランはその彼を何気なく導いていた。いずれ立派な職人になるだろう。その点ベテランと思える職人は巧みだった。話すタイミング、途中で入れる演出、こちらの言う事への返答、全てに熟練していた。まるで手品のような手さばきの凄さ。皆、圧倒された。そして火祭り(笑)。一瞬に油と共に燃え上がる炎。こちらの体がさっと熱くなった。皆写真に撮りたがった。もう1度、やってくれた。まるで、アフリカの火祭りだ。

 

私にだけ特別に聞いて来たステーキのメニューとランク。

「何でもいいから、そちらで決めて」

と言った。とんでもない値段。だが、私だけシャトーブリアンになっていた。素敵な味のステーキだった。塩は岩塩。何とはっきりした味なのだろう。少しずつ色々なものが出されて来るが、お腹は膨らむ。2度とない私の自分で思った77の背番号。この会を、気持ち良く娘たちは演出してくれたのだった。

 

生ビール2杯。赤ワイン1杯。それ位で十分に楽しめた。職人と我々のコラボは楽しく、とんとんと進んで行った。3時間近く楽しく飲んで(アルコールは私だけ)騒いだこのひと時は一瞬に終わりはしたが、確かに思い出に残る長さに感じられた。

 

後は被り物を皆が被るようにしてくれた。そして、写真を撮ってくれた。孫たちには、長い風船で動物を作り、それをくれた。素敵な演出ではあった。退屈する暇もない、素晴らしい時。職人たちにも感謝だが、こんなひと時を計画してくれていた娘たちとその家族にありがとうと言いたい。皆が、いつか主役になる日も必ず来る。それが、今日の私だったのだ。

 

岐阜から娘が来たのも、その為だった。みんなで計画して、私を祝ってくれたのだ。こんな時を本当に幸せだと思う。13人の寄せ書きがあるが、どれも思いのこもったものだった。その中でも、今年高校1年生になった(私にとっては1番初めの)孫の言葉がジンと胸に来た。

「おじいちゃんへ 77才の誕生日おめでとう! ずっと遊んでくれてありがとう! 受験のときもすごい応援してくれてうれしかったです。これからも元気でいて下さい! ○○」。これだけだけど。

 

やっぱり人だ。この店の職人たちは、私たちが喜ぶように動いていた。この店も、人で成り立っていると思った。

 

 

そして、暫く会っていない宝塚の親友K君からも、祝いのメールが来ていた。コロナが怖くて外には余り出ていなかったが、もういいかと思うと同時に、君と会って一緒に飲みたい、と言うような事だった。私も凄く会いたいと思っていた。すぐに電話をした。お互いの真ん中辺りの三宮でいつか会おうと言う事になった。

 

昨日は同級生のTちゃん(女性)から、出雲で出来る葡萄を送って来てくれていた。何も私の誕生日を祝っての事ではなく、たまたまこの日になったのだが、誕生日の前日とは面白い。孫たちも喜んで食べた。数年前から送って来るようになったが、何だか嬉しくも楽しい。

 

一瞬に終わった、不思議な日と時間。特別な日が終わった背番号77の私の日。自然に笑顔の出る日だった。岐阜の娘は、私の為にTシャツを3枚作って、さっきくれた。

「嬉しい?」

「とっても嬉しい」

と私は言って、

「良かった」

と、娘は言った。孫は、

「おやすみ」

と言って、ママの所へ行った。

昔の人は感知力や観察力が研ぎ澄まされていて、言い伝えられ残されている言葉に自分の感じた受信電波が合い、既にそんな言葉が平然とそこに有って感動さえする。ついこの間2022年の1月を迎えたと思ったのがもう4月も半ばを過ぎている。そうして、改めて先人が残したこの言い古した言葉を新鮮なものに思う。「光陰矢の如し」がそうである。

 

4月の初旬は桜の花が見たいと、まるでテーマであるかのように浮かんで来る。いつもは車で遠くの公園に行き、桜の木の下にシートを敷いて食べたり遊んだりする。おにぎりの美味さは格別だが、今年はそんな予定はしなかった。ところがKi君から、花見に行こうと連絡があった。

 

4月6日がその日に決まった。久し振りの明石が堪能できそうだ。明石城跡を抱えた公園は、老若男女の格好の遊び場だった。何が面白いと言って、神戸からはKi君と私、それに加古川からはOm君とKikさんが参加する事になっていて、男ばかりの4人の花見となった。

 

空も青く、暑い位だった。桜は満開で、最高の条件ではないかと話した。コロナの3文字を除けたら何の変りもないような人出だった。スッキリしない日々を送っていたので、この日は天候にも恵まれ、とても気持ちがいい。

 

宴会は幾ら4人でも遠慮しないといけなかったが、ビールは売っているから1つ位いいではないか? と思って参考までに店に値段を聞いてみた。買う人もいないのだろう、にこにこしながらやって来た。

 

「ちょっと聞くだけですが、このビールは幾らですか」

 

と350mlの缶を指差した。

 

「450円です」

 

「ああ、そうですか。ありがとう」

 

と言ってすぐにその場を離れた。普通の3倍の値段では驚いたし、買う気もしなかった。

 

歩いていると、野球場にぶつかった。8回の裏だったが練習試合なのだろう、結構名も知られている東洋大姫路高校と友が丘高校が戦っていた。友が丘高校も1対2で善戦していた。バックネットから自由に見られたのが新鮮だった。テレビとは違って全体が観られるのと、キャッチャーが受ける球の音がバシッと心地よく、気持ちを引き締めた。

 

桜の花も愛でた所で、魚の棚を歩いた。昔は安かったと思うが、もうそれほどでもなくなっている。ランチタイムに明石焼きを食べたかったが、並んでいたので諦めて、船着き場へ足を向けた。その近くに好みのおかずの入った皿を取って食べる店があり、そこでシェアした。Ki君は瓶ビールを何本か注文した。ここで飲めるとは。いいシナリオだ。

 

「あの船に乗って、淡路島に行ってみないか」

 

と言った。誰も拒むものはいなかった。大切な1日を楽しく過ごすにはまだまだ時間はある。530円はリーズナブルである。淡路島の北端、岩屋へと船は進む。生活の為の、所謂バスのようなものである。観光船ではない。結構人は乗っているが、4人は階段を上がり外に出た。海の風、潮の匂い、海の色、周りの景色。久し振りの乗船だ。航跡が生まれるように跡を作って行く。

 

岩屋は静かで特別なものはない。石の上に座って、4人はたわいもない事を話した。岩屋の船着き場に行くと、皆午睡を楽しんでいるようだった。あの柑橘類の匂いを思い出し、文旦を2つ買った。大きい割には中味は小さい。しかし、こんなに重いとは思わなかった。

 

明石に着き、近くの「舞子海上プロムナード」を案内する事にした。JR舞子駅はあっと言う間だった。明石海峡大橋の起点だが、高齢者は100円で入場出来る。3人は、来た事はないと言った。

 

最上階の8階で降りた。ぐるっと歩いて回る事が出来るようになっている。一か所およそ50メートル下の海面が見える厚いガラスの路がある。最初はとても怖く、高所恐怖症の人は渡れない程だ。それでも目を瞑ったり、端っこのガラスでない所を歩いたりすれば渡れない事もない。慣れたら何ともなくなるだろうが、怖いものは怖い。私は平気そうに渡るが、怖い事を想像しないようにして渡っている。

 

Ki君は、皆が説得しても渡らなかった。とうとう、来た路を引き返して行った。戻ると、8階の喫茶でコーヒーを飲んだ。常に、橋を車が渡っている振動が伝わって来る。まるで震度の低い地震のようだった。振動がなくなる事はなかった。夕方には、2人ずつ、東西に分かれた電車に乗って別れた。

 

 

4月16日はPink Moonと呼ばれる満月の日で、実際は17日の午前3時55分が正真正銘の真ん丸満月なのだが、肉眼では16日の夕方でも普通に満月に見える。何故満月の事を書いたかと言うと、16日の夕方用事から帰る途中、目の先の山の上に見えた満月に目を見開く程に驚いたからだ。どっと迫る満月が尋常な大きさではなかったからである。

 

「あっ」と叫んだと思う。まだ、辺りは明るく白い色の月だった。速度制限の丸い標識を近くに見た大きさよりももっと大きい月だったからだ。その月も、夜中に真上に上った黄色い月も大きさは変わらず錯覚なのだが、この大きさは生まれて此の方初めて見た仰天大だったのだから。

 

そんな月も夜中の寝る前にもう1度観た。黄色い、どら焼き位の月。美しく輝いていた。すると真上にチカチカ光る光が・・。それは尾を引いている。何だ、飛行機雲か。こんな闇にどんどん尾が長くなり、よく見える雲は南西の方角にずっと直線を描いて、飛行機だけが消えて行った。

 

2番目に大きいのは1995年1月16日に見た月。これは1月17日5時46分の阪神・淡路大震災の前日の月だった。夜家への帰り道、それは真ん丸い盆のように大きく、朱色のような爛れたような月だった。それが大地震の前触れだったのかと、今になって思わざるを得ない。あの地震からもう27年も経ったなんて。もうそんなに経ったのかと思う。

3月25日。この日大相撲は13日目だった。明後日は千秋楽だが、12日目迄は1敗が若隆景と高安。若隆景は東の関脇、高安は前頭東7枚目である。かつては大関まで駆け上った逸材だった。だが、幕の内での優勝は1度もない。元関脇の舞の海秀平さんは言う、「大相撲の七不思議だ」と。今更ながら私も言われてそう思った。

 

後は3敗が新大関御嶽海と前頭西6枚目の琴ノ若だが、年々様変わりしている。元横綱白鵬はいない。横綱になった照の富士も忘れられたかのような雰囲気で、横綱のいない場所となっている。大関正代も初日から4連敗した時は又変な気がしていた。次は1勝。また1敗で5敗。7日目からは目つきも変わった気がしたが昨日まで6連勝した。大関のカド番なのだ。

 

若隆景にも優勝して欲しいと思うのは私だけではないだろうが、願うらくは高安だ。幕内優勝の賜杯を1度はその腕に抱えて欲しいのだ。特に誰が優勝して欲しいなど願いは今はなく、その様子と雰囲気で考える。今は、高安に照準が合っている。

 

若隆景と御嶽海は土俵の下で次の呼び出しを待っている。2人とも同じ大学で、2歳御嶽海が先輩となる。若隆景の目は、上目遣いになったり左右をきょろきょろしている。目を伏せる姿もあったが、心が落ち着いていないような気が、私にはした。一方御嶽海は堂々としているように見えたし、心の弱さが見られない。ここまで表情に出ない力士も5本の指を出ない。体の違いもあったが、押し合う力は御嶽海が勝っていた。寄り切るのに時間は掛からなかった。若隆景は悔しかっただろうが11勝2敗となった。その結果御嶽海は10勝3敗。辛うじて優勝圏内には残った。

 

さて高安の番が来た。相手は西の大関貴景勝である。どちらにも弱点はあるが、それを上手く捉えられた方が優勢となるだろう。11日目に高安は若隆景に敗れているからどうしても負けて欲しくなかった。1度は大関にもなった高安。もう成れないと言う理屈は何処にもない。しかし、今場所の高安は何を思っていたのだろう。そう簡単には崩れなかった。微かな期待を持たせてくれた。押しも強かった。すぐに崩れる事もなく、上手投げで貴景勝を投げ倒した。高安12勝1敗、高景勝8勝5敗となった13日目だった。この1敗を千秋楽まで保ち千秋楽も勝てば完全に優勝だが、高安が明日負けて若隆景が勝てば千秋楽は勝敗によっては混戦になる。明日、兎に角高安が勝つ事を願い、千秋楽に賜杯を抱く事を思い描きたい。

 

強い若手もどんどん幕内の土俵に上がるようになっている。体と体。力と力がぶつかり合い、作戦をぶつけ合う国技を神事から発展した格闘として日本に残して欲しい。礼に始まり礼に終わる姿は、相手に敬意を表す心技体の素晴らしい形であり姿の1つではないかと思うからだ。