「目立つ方がいいから、真っ赤な背広にした方がいいわ」

 

と私は言われて、赤い背広を着たままステージの袖で悩んでいた。もうすぐ出演が迫っている。他の出演者は決して目立つ衣装を着ている訳ではなかったので、突出した目立ち方の自分が納得行かなかった。何しろ初めての事だった。上下とも真っ赤である。

 

だが、夢から覚めるとその赤さが脳に張り付いて離れなかった。早速調べて見た。夢で見た赤色にどんな意味があるのかを。単純なイメージだけの判断を、色に関しては嫌うらしい。つまり、良い暗示と悪い暗示の両方があると言う事だ。良い方は「力、情熱」を意味し、悪い方は「危険、悲しみ、憎悪、病」を意味するとあった。どう判断していいか分からないものの、最近感動した事が殆どなく、ならばもう少し情熱を滾らせて歩めということかなと、勝手な解釈をした。

 

悪い方は好きではないので、目を瞑る事にした。それにしても、赤い背広とは、久し振りに見た夢だった。だからと言って、感動した訳ではない。

 

去年の初め頃から、私は布団を少し斜めに敷き、頭の部分が北に向くようにしている。いつもではないが、その所為か面白い夢が時たま見られるようになった。布団は部屋の四方の線に沿って敷くのを常にしていたが、斜めになってもこれが習慣になってしまった。面白い夢が見られるようにと・・。

 

 

話が飛ぶが、ついこの間原田マハさんがテレビに出て、小説「旅屋おかえり」が紹介された。面白そうだと思って、文庫本を買った。それは、秋田県が書かれていると言うので、余計読んでみたいと思った。所が、一昨日から毎日5日間、BS3で午後7時から30分間ずつ「旅屋おかえり」が放映される事が分かった。私は、秋田県に行く事があったら乳頭温泉に浸かったり、雪の景色を眺めたりしたいと思うようになっていた。ローズマリーさんや旦那さん、またU田さんと知り合ってから、秋田には気持ちが向くようになった。

 

このドラマは一昨日と昨日が「秋田・前編」「秋田・後編」となっていた。今日からは「愛媛・高知編前編」となるのは余談として、文庫本とテレビとがいい塩梅に繋がっているのが面白かった。テレビの出演者が本の中の人物と重なって、それは想像する事を許さなかったが、とても配役がぴったりで楽しく見ている。

 

バスの頭の行き先表示が乳頭温泉になっているのが面白かった。作品の粗筋など言ってしまうと迷惑がかかると思うので、それは止めにして置こう。ただ、原田マハさんの文章がとても読みやすい書き方で、どんどん読んで行った。いま、200ページを越えた所でストップしている。秋田編が終わった辺りだからだ。

 

段々、読んでいて涙が出てしまう。何度ハンカチをポケットから出した事か。歳の所為で涙とはまた違った液体が浮かぶのもあるだろうが、心が連動する時はぐっと来た時だ。どこでぐっとなるかは人其々だろうし、涙など出ない人もいるだろう。私は、この本は誰かに紹介してもいいと思った。

 

表現も上手いし美しい。私(主人公)と大志さん(角館玉肌温泉の主人)が夜に自販機でビールを飲みながら話しているすぐ後に、「外は、雪。いつまでも、しんしんと降っている」と書かれている。前に情景があるからこの雪の文がとても美しい文に思えて来る。私の大好きな雪景色への昇華へと運んでくれる。これが145ページ。最後は343ページだが、今日明日には読了する積もりだ。テレビも、明後日には終わる。しかし、秋田は昨日で終わりだ。

 

ただ、内容は言わないが、何度も涙をハンカチで拭った事だけは伝えて置きたい。皆さんは、そんな所で涙が流れたりしないだろうとは思うけれど。文章が上手い。肩が凝らない。共感出来るのだ。

 

今朝見た真っ赤な背広の夢は、私に感動の素晴らしさをもう1度思い起こさせ、そして感動させてやろうとの何ものかの思いであったのかも知れない。感動する事の素晴らしさを、もう1度認識させて貰った事に、やっぱり感謝だな。

今迄に、例えば宝くじを例に取ってみても、今度は当たるかなと思っていると、必ずと言っていい程当たった事がない。そんな時は、全く思いもしなかった時にこそやって来ると言う事が、まるで数学の公式であるかのように定着して来て、驚く羽目になる事が常だ。スクラッチもすぐに答えが分かるので買うと決めたら買う。1枚が200円で、私は何枚買っても当たる時は当たると言う考えの元に、5枚買う事にしている。「上から5枚にしますか下から5枚にしますか」と言われると、どちらでもいいからただ5枚くれたらいいのにと思う。これさえも、当たるか当たらないかと思う事もなく、何気なく削っていると、何だこれは、と思う記号が現れた時それが1万円の当たりだと気付く事が多い。と言っても、1万円が当たった事は2回しかない。これは、色んな事に当て嵌まる。

 

ああ、枕文章がこれだけで終わったのは、昨年の文章作法に関する精進の賜物である。

 

昼前にマルハチに出掛けた。どうしてもカツ丼が食べたくて、揚げたカツを買いに。それと、ふと晩の焼酎のあてに肉じゃがを作りたかった。

 

カツはイオンで売られているのが本命だが、それは既にイオンに行ったが、まだ出来ていなかった。マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどが売られているエリアにカツ丼を売っている店もある。1度買ったが何故こんなに不味いのかと思った事があり、私は自分で作ることにしたのである。

 

ありゃ? また書きたい事を書いていない。いらない文章が続くのは、私の性格なのか、生活習慣なのか、頭の構造に無駄が多いのか。まず、ここから書きたい事を書こうと決心した。ここまで書いた文章より多く長く終われば、余程の拙文作家であろう。読んでくれる人には、琵琶湖の水全部の量ほど申し訳ないと思う。

 

昼前に、マルハチに出掛けた。外に出ると、微かに白いものがチラッと見えた。雪だ! それを雪と呼びたい程の心の揺れを感じた。風に煽られ、ヒュッ、ヒュッと飛んで行く。それでも、私にとってはそれは初雪だった。

 

揚げたカツは6つにカットされている。それから牛モモ肉、ジャガイモ、ニンジンを買い、家にあるものは買っていない。つい目に付いてしまうものがある。ウイスキーボンボンだ。瞬間悩んだが、ボンボンの中味についてだった。ボトルを模ったチョコレートが焼酎入りか日本酒入りかなどで。沢山の種類があり、4個で1,000円のものまであったが、私は迷わずウイスキーボンボン10個入りで400円位のものを手に取った。

 

スーパーから外を見ると、雪は、少し雪らしく、仲間を連れてあちこち遊びながら降りて来た。早く外に出て雪に濡れたかった。この感動は何だろう。子供の頃に見た積もった雪。長靴を履いて小学校に歩いて行った。ゴム長靴、それの前面には朝日長のマークが入っていたと思う、その隙間から雪は入って来て、学校に着くと足の先は濡れて冷たかった。そんな時、しもやけになった思い出もある。靴を脱ぐと、ダルマストーブの近くまで足の先を近づけ、暖めた。足の指が、決まって痒くなった。

 

しんしんとだんべら(ボタン雪の方言)が顔から体まで宇宙の果てから全身を圧迫するように次から次へと止まる事もなく迫って来る。努めて上を向いて雪の物言わぬ軍団を受け入れていた。一面に田畑を覆う純白の広がりゆく絨毯を、今でも鮮やかに思い出される。そんな昔の決まった映像が、雪に感動する体質を作ったと言えないだろうか。

 

マルハチを出て上を向いた。かつての習慣からすっと顔に迫る雪を見たが、ひらっと見えては消えた。だが、それは雪である事には間違いなかった。車に乗ってもそれはそれ以上ではなかったが、瞬時に消える事こそなかったにしろ、降りしきる雪の願いは叶わなかった。ワイパーを動かす程の事もなく、それは水滴になり直ぐに雪の面影はなくなった。まるで妖精のようだったなどと歯の浮くような表現はしたくない。そんなに美しい、楽しいひと時ではなかったからだ。

 

家に着くと、雪など何処にもなく、濡れたフロントをひと拭いするだけで終わった。車のタイヤが滑るほど降って貰いたいとは思わない。子供の頃の夢は、今の現実とは一致しない。何処までも降ってとは言えない。危険が伴う事は、最早夢ではなくなっているからだ。

 

いなり寿司も食べたかったのだろう、5個入りの透明な蓋を開けると、早速肉じゃがを作り始めた。少ししてから、カツ丼も一緒に作り始めた。その途中でちょこちょこ食べていたいなり寿司も、跡形もなくなった。

 

神戸の雪はもう見る事はないのだろうか。真昼前に見た雪は、午後を過ぎるや目に映る事はなくなった。東北の辺りも描かれている筈の原田マハの「旅屋おかえり」を読み始めている。その中に、また雪の映像が垣間見られるかと思う気持ちが優先する。ずっと続く、私の雪への憧れである。

 

一頻り、芋焼酎のお湯割りを飲みながら肉じゃがを箸で運ぶ。自分勝手な、人には何の得もないブログを書き終え、すっかり冷めてしまったお湯割りをもう1度作って飲もう。かなり作った肉じゃがが、まだ残っているかどうか。その後、娘の家族がやって来て、「美味い。甘さも丁度良い」などと言いながら、結構あった肉じゃがが見る見るうちに姿を消した。私は、その代役をキムチに任せた。

 

珍しく蔓延防止等重点措置が兵庫県にはまだ出ていない。23日はオカリナの練習がある。そんな発出があったら今まで通り中止になるのが常だが、これならぎりぎり皆集まるだろう。24日は加古川で親しくなった人達との所謂新年会がある。これも、まだ飲んでもいい集会だと、確かめに行った加古川の、その会の代表が聞いた。ほんのちょっとのズレで、動けたり動かなくされたり。いや、飲めたり飲めなくされたり。飲まずに食べる新年会など、私の先入観に浸った脳みそは、聞いた事がない。

明けましておめでとうございます。相変わらず勝手なブログですが、今年もよろしくお願いします。

 

パソコンが繋がらなくなる事が頻繁になり、ブログを書く気力も減退するようになったが、今年も何かあるだろうと思うと、まだ止めるまでには至っていない。辛抱しながら続けたいとは思っている。と言っても、見てくれる人はほんの決まった数人だけれど、それでも嬉しい気がする。それが、繋がっている喜びなのかも知れない。

 

1年を送る為には、年越しそばを食べる風習がある。子供の頃はそばが嫌いで、うどんを食べた年もあった。出前の中華そばを食べる事になった時は狂喜した。でも、そばが相場だからか、後ろめたい気持ちになったのも事実だ。今ではそばに安定しているが、そばでない時もあったと言う話。

 

不変なのは、いつからなのか毎年NHK紅白歌合戦は欠かさず見続けている事だ。2021年も変わらず観た。これがないと新しい年は来ないと思えるほど、ルーティーンとなっている。長い長い年月に、最初の頃は歌謡曲や流行歌が当たり前であったが、いつ頃からかポップスやグループの激しいダンスしながらの歌やアップテンポのものが持て囃されるようになっていた。丁度そんな交じり合った分かれ道の時は、流石に違和感を覚えたものだった。

 

今年の紅白歌合戦は演出の素晴らしさを見せつけてくれたように思う。ここまで素晴らしいステージ等を作るのには、相当の日数や技術やアイディアや人数が必要だっただろうと想像する。全体が芸術のようだった。以前の違和感どころか、目を離さずにテレビを、時には体を乗り出して観たりした。MCも良かったしね。そうして7時30分から11時45分がきちんと終わった。すぐに画面は切り替わり、清水寺の鐘が鳴り出した。

 

牛と虎がカウントダウンで入れ替わった瞬間が2021年の24時と2022年の0時で、それをやや過ぎて2022年になってから眠った。12月31日は昼過ぎとスーパーに行く途中に、数少ない雪がひらひらと舞うのを見た。純白ではなく、少し汚れの見える、やや灰色がかった雪だった。それでも、心な中では雪! だった。

 

2022年は朝7時過ぎてから高速バスに乗り、三宮に出掛けた。マフラーをするのは止めにしたが、そんなに首筋が寒くもなかった。バスから見る雲は、まるで六甲山が連なっているように壮大だった。そらは青く晴れていた。

 

生田神社に着く前に、若いグループがすれ違い、誰かが「よお」と叫んだ。気が付いた数人の中の1人が驚いたように「おお! あけおめ」と言った。こう言う省略した挨拶があるのは知っていたが、目の前で聴けて、それはそれでリアルだった。

 

いつもは屋台が並ぶ短い参道には何もなく、消毒液の入ったいつも見るプッシュする容器が置かれ、それを数名の確認している人がいた。鳥居を潜ってからも、その道は同一方向に3つに分けられ、帰りはそこを通れない一方通行だった。

 

いつものような賑やかさも人出もないが、ディスタンスを取りながら、皆は初詣の何かを2礼2拍手1礼の中に込めていた。昨年のお礼だっただろうか今年のお願いなのだろうか。十人十色であろう。

 

お御籤を引いた。色々の項目は別として、今年は「第三十三番 吉」で、いつものように歌が書かれている。作者未詳十四・三四二四 「下毛野 美可母の山の 小楢のす ま麗し兒らは 誰がけか持たむ」

 

訳がかいてある。『「みかもの山のコナラのように美しい娘はだれの食事の世話をするのだろう」つまり「だれと結婚するのだろう」の意です。他人の目や動向が気になりやすいときです。しかし、人目を気にせず、自分の足下をしっかりと見つめて行動を起こしてください。』

 

私への忠告は、しかし以下を念頭に置いて今年は歩めと言う事らしい。生田神社のお御籤は、いつでも読むに値すると自分では思っている。

 

ベビーカステラも買って帰るつもりだったが、参道には屋台がない。ああ、今年は買えないのかと思ってメインロードに出た途端、その横に走る道路の向こう側に屋台があった。早速ベビーカステラの所まで行くと、私の前でなくなり、焼き上がりを待った。

 

「500円と1,000円はどの位の数が入っていますか」

 

と聞いた。

 

「500円は15個」

 

「じゃあ、1,000円はその倍だね」

 

「そうです」

 

誰でもこの位の計算は出来るが、せめて1,000円は30個ではなく33個位入れて貰えてもいいのではないかと勝手に思った。それなら500円のでいい。

 

「500円のを下さい」

 

「はい、ありがとね」

 

女の人はそう言った。私のすぐ前の人の袋は大きく膨らんでいたので、多分1,000円の次の2,000円のものを買ったと思った。

 

帰りは三宮からのバスは11時過ぎてから運行なので、JRで垂水駅迄行き、そこからは普通のバスで帰った。お陰で、9時30分には帰る事が出来た。

 

昼からは娘の家族が来る。孫にいつも買って帰る事にしているのがベビーカステラだ。美味しいとは思うが、開けて吃驚。余りにも小さい。ビー玉の大きいのがあるが、あれ位か少し小さいかだ。1個、約34円は高い。屋台とはそんなもんなのだ。

 

1時前に来た。早速雑煮を食べる。これも習慣で、子供の時から私は食べて来た雑煮だ。皆それぞれ自分の家で食べて来た当たり前の、しかし懐かしい雑煮がある筈だ。私の家のは炒り子を醤油に入れて出汁を作り、中には鰤の切り身、芹、牛蒡、豆腐、岩海苔(十六島海苔)を入れる。この雑煮がないと、今年が始まらないと思う私である。他の家族も別の日に来るから、また食べられる。年末と年始の、私のルーティーン的習慣である。

 

今年は特に金運があると言われている五黄の寅の年だ。生田神社のいつもは8人の巫女さんが2人1組で本殿の下の中央の庭でお御籤を売っているが、去年も今年も本殿に向かって左横の広場で売られている。それが上に書いたお御籤売り場になっているが、よく願い事を書いて吊り下げている屋根の形をした木の札を見かけるが、その形を背の高さ位い大きくしたものに、虎の絵が描いてある。正しく五黄の寅だ。こんな事した事がないのに、携帯に撮り、待ち受け画面にした。顔が光の陰になってはっきりしないが、なかなかいい。

 

今年は、どう虎と付き合って行くか、それを考えて行こうと思う。何だかんだ言っている内に、また月日は矢のように速く、すぐに虎と兎がバトンタッチする時が来るだろう。実感した明るい喜びの有る2022年、令和4年となるように願いたい。

 

 

 

ふたご座流星群を2回目に観た時は14日の夜が15日に変わった1時45分の事だった。ちょっと外に出てみた。真夜中まで雲に覆われ、とても流れ星は見られないと思っていた。だが、嘘のように晴れて、雲が何処に行ったか分からない好条件になっていた。それと同時に、寒さは遠退いていた。

 

天に高くオリオン座が席巻まではしていないが、広く己の場所を誇っていた。ふたご座は左側のやや上方に、星座としてはオリオン座のようにはっきりしないが、兄のカストルと弟のポルックスは仲良く並んでいた。上の方が兄で、弟より僅かに暗い。その兄カストールのすぐ上辺りが群流星の放射点となっている。それを意識して空を満遍なく眺めていると結構広範囲に流れ星は見られる。

 

その時間に7個しか見る事が出来なかった。それでも見るのを止めたのが2時45分頃で、約1時間は見ていたのだなと、そちらの方に感じ入っていた。1時間に50個は見られると言う鳴り物入りだが、その前日も、10個位しか見られなかった。流星群の成り立ちを見れば、どうなるかは水物だ。

 

寒さを感じ乍ら、布団に潜りこんだ。

 

次の日、お昼の2時からの予約をして、床屋さんに行った。仲良しの感じのいい2人で、喋られずにいられない。どちらも、話によく反応してくれる。前面の大きな鏡の横には、いつも今月と次の月の手作りのカレンダーが貼ってある。2人の姉妹が、中学の頃からずっと書き続けているカレンダーだ。工夫が凝らされていて中々上手く、まっ先に目に付く。今は大学生と高校生になっている。

 

「ふたご座流星群の流れ星を見たよ」

 

私が言うと、

 

「そう! それは見たかったけど見られなかったです」

 

そう言いながら、2人で仕事の手は止めずに降り注ぐ程の流れ星を見た話をしてくれた。天体が好きそうな事は前から分かっている。

 

それはこんな話だった。

 

『2人で車で東京に行った時、夜中だったが休憩する為に入った所が公園だった。2時頃だったと思う。星が次から次へと止む事なく降って来て吃驚し、胸を打たれた事がある。20年くらい前だったと思う』

 

「うわぁ、羨ましい。そんなの見た事ないよ。帰ってから調べてみるね」

 

2001年11月19日未明の状況が記されていた。それはしし座流星群で、その時1時間辺り数千個が流れ、最も多い時1秒に1個は流れたようだ。5~10個が同時に流れる事も有り、それは素晴らしいに違いなかったと、容易に想像できる。しし座は、3大流星群のように沢山流れる中には入っていない。しし座は大穴だったのだ。

 

流星の歴史を紐解くと、1799年11月11日から12日にかけて12日の早朝に見られたのをドイツのアレクサンダー・フォン・フンボルトが見た記録を残している。前代未聞だ。今見たら、心臓が停止するかも知れない位の代物だと思う。それは、1時間に100万個降ったと言う。どう数えたかは分からないが、ちょっと計算して見よう。1分には約1万6千個降り、1秒では約270個降る。とても流れると言うのんびりした言葉は使えないが、シャワーなんてものではない位の流星は、見たくて観られるレベルではない。

 

床屋さんの2人が見たしし座の流星群でさえ、百数十年振りの流星だと言うのだ。こんな流星を是非見たい。私も、その頃勤め人だった。今のような情報網があったら見る事が出来ていた筈だ。2人は、偶然だったと言う。話しは逸れるが、宝くじだって「どうか当たりますように」と言って当たった例がない。

 

 

13日の夜から15日の明け方まで、ふたご座流星群が観られる。真夜中位からが見頃だと言うので、13日の夜はテレビを見ながら気になっていた。だが、やっぱり眠い。すぐに眠れる程若くはないが、寒さも伴って寝床に導かれた。

 

毎年この時期にふたご座流星群を見ようとするものの、期待ばかりで流れるのを見た記憶がない。暫く空を見て、見えないと諦めていた。だが、14日になる1時前に目が開いて、寒くて起き難かったが、防寒対策なしで玄関の外に出て見た。都会? にしては珍しく、星たちが迫っていて、零れそうだった。

 

ふたご座はオリオン座の少し左のやや上に見える。ふたご座の辺りから放射状に見られると言うが、オリオン座の方に目を向けていたら、スーッと空を広域に流れるのが分かる。

 

1時間に50個以上と謳われているので期待していた。見ようと決心しているので、そんなに寒くはなかった。少し待っていたら、短いが、確かに流れた。時間的間隔は大雑把に1分間に1個流れる事になるので、1時間に数個流れる事も有るだろうし、数分に1個流れる事にもなろう。1分以上は待つ事にして空を眺めていた。首が痛くなる。

 

左や右から、上から下から流れる。が、見られる間隔がやや長い。家に入って寝ようと思ったが、決断が着かない。次、もう1、2個見たらと思いながら、30分見ていたようだ。その間、10個は見たと思う。

 

ずっと昔、学生の頃、田舎で茣蓙を敷いて家族で寝転んで見た頃が懐かしい。冬ではなかったから、数時間は平気だった。寝転んでいるから首も痛くない。それに、もっと沢山流れていたから、休む間もなく楽しめた。

 

歴史的には、止まる事もなく流れ星が降り注いだ時もあったようだ。そう聞くと、1度位、流れ星のシャワーを浴びたいと言う思いが募る。今夜は、流星群が思いついたように流れるだけだろうが、今年最後の天体ショーになるだろう。少し曇りそうだが、コートを着て家の前に出てみようと思っている。

 

幸い、家の前にぽっかり空いた空は、狭いけれどオリオン座が目先に見える好条件だ。さて、どれだけどのように見えるかは未知数ではあるが、見えるのは間違いない事実だろう。ワクワクするような事が起こればどんなに楽しい事だろう。

 

半分は空に、半分は寝床に引かれる。気力がないと中々真夜中に空を見上げる元気が衰えた歳になったようだ。