ああ、今日は私の誕生日だ。そう思って、寝床の中でゆっくりしていた。岐阜から連れ帰った娘と孫。その3歳と8か月の一番小さな孫が、

「じいたん、おはよう」

と、私の寝ている部屋に入って来た。

「おはよう」

と、私は言った。でも、特別な日なのか今日は8時になっていた。すぐに起きて朝食のパンを焼いた。近くに住む泊まっていた孫たちも、朝食を食べる準備をしていた。娘も他の娘の孫たちも、みんなで両手をキラキラと振った。よく見るパーターンだ。

「おめでとう」

みんな覚えてくれていたのかと思う反面、「これだけ」と思って1人笑っていた。

 

妹たちはメールを送ってくれた。恒例の事業のようだった。親友のKi君は、川柳を5つ位書いて、メールにしてくれていた。「真の喜寿 酒酌み交わし 祝い酒~酒」。私は、川柳の好きな彼に、川柳で返した。「これからは 変わらぬ喜寿の 背番号」。背番号77はカッコいい。川柳など作った事もなく、でもなかなかいいと自分で己惚れた。すると、彼から返しの川柳が送られて来た。「気に入った 喜寿の背番号 合言葉」。流石の返しだった。

 

「飲めるだけ 飲もう 我らの祝い酒」。私は、そう送った。これだけでも嬉しい喜寿の祝いの数々。孫たちと遊んだ。7日はオカリナの演奏をしに行かなければならない。だけど、練習などしなかった。なるようになるさ!

 

昼は、1人の孫にカツ丼を作り、だしまきを作ったら3人の孫と娘が1切れずつ食べた。美味いと言ってくれた時は、流石に私も嬉しかった。

 

だらだらと時間は過ぎ、時間的には夕方になった。TVを楽しんでいた時、

「お父さん、6時半にMちゃんたちが迎えに来るよ。出掛ける準備をしておいて」

と娘が言った。

「何?」

「皆で食べに行くので、迎えに来るから」

娘は、改めてそう言った。

 

何も分からぬまま服を着替えた。暫くすると、娘の家族がやって来た。昼過ぎまではいい天気だったが、今は雨が降っている。孫が起こされて大声を上げて喚いている。どうしても機嫌が治らない。だが、彼の運転する車に我々の車も付いて出掛けた。どこに行くのだろう。焼肉と聞いたからいつもの所かと思った。でも態々迎えに来るからには、場所が違うのかも。

 

或るステーキの店に着いた。初めての店だった。L字になった席の真ん中に座れとしつこく言う。集まって来たのは全部で12人。娘たちの家族とその子供たちだった。何だか高そうな店で、メニューを差し出して娘は私が食べたいものを聞いた。何でもいいのにと思ったし、何故私中心にするかが余りはっきりしなかった。

 

最初、袋をくれて、みんなで書いたと言う寄せ書きを私にくれた。その寄せ書きを貰っている私を皆は写真に撮った。それから、私の好物の「龍力」の大吟醸酒を手渡してくれた。それらは、孫達の仕事だった。

「開けて見ないの」

と娘が言う。ビリビリ破ったら、当然その日本酒が出て来て、私は日本酒の宣伝する男のように、皆に撮られた。ああ、これは私の唯一の喜寿の祝いと、こんなに祝って貰った事はない誕生日とのコラボの日なのだと悟った。考えなくても、私の会を設定してくれていたのだ。

 

そう思ったら私は饒舌になった。私の為の会なのだから。皆、男連中は車の運転だからアルコールはNGだ。私も彼らに習ってジンジャーエールを頼んだ。だが、結果は生ビールになった。皆と飲み交わしたいと思ったのに。

 

2センチの厚さの鉄板の上で、職人の3人は分担して焼いたり作ったりした。新米もいたが、ベテランはその彼を何気なく導いていた。いずれ立派な職人になるだろう。その点ベテランと思える職人は巧みだった。話すタイミング、途中で入れる演出、こちらの言う事への返答、全てに熟練していた。まるで手品のような手さばきの凄さ。皆、圧倒された。そして火祭り(笑)。一瞬に油と共に燃え上がる炎。こちらの体がさっと熱くなった。皆写真に撮りたがった。もう1度、やってくれた。まるで、アフリカの火祭りだ。

 

私にだけ特別に聞いて来たステーキのメニューとランク。

「何でもいいから、そちらで決めて」

と言った。とんでもない値段。だが、私だけシャトーブリアンになっていた。素敵な味のステーキだった。塩は岩塩。何とはっきりした味なのだろう。少しずつ色々なものが出されて来るが、お腹は膨らむ。2度とない私の自分で思った77の背番号。この会を、気持ち良く娘たちは演出してくれたのだった。

 

生ビール2杯。赤ワイン1杯。それ位で十分に楽しめた。職人と我々のコラボは楽しく、とんとんと進んで行った。3時間近く楽しく飲んで(アルコールは私だけ)騒いだこのひと時は一瞬に終わりはしたが、確かに思い出に残る長さに感じられた。

 

後は被り物を皆が被るようにしてくれた。そして、写真を撮ってくれた。孫たちには、長い風船で動物を作り、それをくれた。素敵な演出ではあった。退屈する暇もない、素晴らしい時。職人たちにも感謝だが、こんなひと時を計画してくれていた娘たちとその家族にありがとうと言いたい。皆が、いつか主役になる日も必ず来る。それが、今日の私だったのだ。

 

岐阜から娘が来たのも、その為だった。みんなで計画して、私を祝ってくれたのだ。こんな時を本当に幸せだと思う。13人の寄せ書きがあるが、どれも思いのこもったものだった。その中でも、今年高校1年生になった(私にとっては1番初めの)孫の言葉がジンと胸に来た。

「おじいちゃんへ 77才の誕生日おめでとう! ずっと遊んでくれてありがとう! 受験のときもすごい応援してくれてうれしかったです。これからも元気でいて下さい! ○○」。これだけだけど。

 

やっぱり人だ。この店の職人たちは、私たちが喜ぶように動いていた。この店も、人で成り立っていると思った。

 

 

そして、暫く会っていない宝塚の親友K君からも、祝いのメールが来ていた。コロナが怖くて外には余り出ていなかったが、もういいかと思うと同時に、君と会って一緒に飲みたい、と言うような事だった。私も凄く会いたいと思っていた。すぐに電話をした。お互いの真ん中辺りの三宮でいつか会おうと言う事になった。

 

昨日は同級生のTちゃん(女性)から、出雲で出来る葡萄を送って来てくれていた。何も私の誕生日を祝っての事ではなく、たまたまこの日になったのだが、誕生日の前日とは面白い。孫たちも喜んで食べた。数年前から送って来るようになったが、何だか嬉しくも楽しい。

 

一瞬に終わった、不思議な日と時間。特別な日が終わった背番号77の私の日。自然に笑顔の出る日だった。岐阜の娘は、私の為にTシャツを3枚作って、さっきくれた。

「嬉しい?」

「とっても嬉しい」

と私は言って、

「良かった」

と、娘は言った。孫は、

「おやすみ」

と言って、ママの所へ行った。