瞬間瞬間は、瞬間に過ぎ、そして消える。
コロナ禍の精神的物質的な圧縮で、もう息絶え絶えな人達は多くいる。それは地球規模の中で、この地球にしかない世界的災禍である。だからと言う訳ではないが、そんな中宇宙はショーを繰り広げてくれた。11月8日の皆既月食だ。日本では殆ど観られる予報だったが、雲が多かったり雨が降ったりした地域もあっただろう。
幸い、兵庫県北部は気候が良くないと言う予報だったが、神戸では完全なショーを観る事が出来た。映画2本立てを観るような長さだろうか。
18時9分前に、阪神・淡路大震災で皹の入った立つのがやっとのテラスと言うにはほど遠い囲いに体を委ねた。椅子1つが辛うじて乗っかる。
満月が目平に昇っている。夏では明る過ぎて無理だったかも知れない。晩秋などとは言っておれない立冬に入った今、この時間は夏を知る者には信じられない位に家々の明かりや信号の三色の鮮やかな規則的な変化の繰り返しや街灯の明かりが見える。
その18時9分は部分食の始まりの時刻だった。テラスと言うのが格好いいのでそう呼ぶが、そこに10分毎に立ったり座ったりしながら月を眺めた。スマホで10分毎に変化を撮る為だった。何度も真面目に写真に収めたが、欠けた部分がどうであれ、写っているものは同じ形だった。流石に写すのは止めた。
そんな時、Ki君から電話があった。感動していると言う。今まで余り興味もなかったようだ。しかし、今は外に出て眺めていると言う。
「寒くないの」
「ちゃんと防備をしてるから大丈夫。それに、ちょっと飲んでるから」
思わず笑ってしまった。
「僕は天王星が隠れる瞬間も観たくて双眼鏡も持って来てるけど。小さいのは駄目だね。それで、昔買っていた7-50のを探して、それで観てる」
「そうか。肉眼では見えないんだね」
「白内障の手術をしてるから、それは先ず無理だよ」
彼は、
「自慢じゃないけどニコンの双眼鏡を持ってるから、見えると思う。いつ頃どこら辺に隠れるのかなあ」
と言った。
「愈々満月の黄色い部分がなくなるね。月が赤銅色に変わって行く。遂に皆既食になった」
それが19時16分頃の事だった。
それから86分間もの間皆既食は続く事になる。皆既食が終わるのは20時42分だ。天王星は地域によって少しずつ時間は違うが、20時31分頃大阪では皆既食の後ろに隠れる予測があった。私は、21時20分頃から、双眼鏡を月の真下の左側の方に向けた。到底肉眼では観る事の出来ぬ、まるで千枚通しで開けた穴のような星が見えた。だがそれは、時には消えたようになったり又蘇ったように見えたりした。これが天王星だ、と自ら確信した。
段々皆既食の底辺左にそれはくっ付き、隠れて行った。ただ惑星の1つが皆既食に隠れただけだったが、それが凄いとは中々思えなかった。皆既月食は見る機会は何度もあるが、同時に惑星も皆既食に隠れると言うのは442年目の事だと言う。それは土星だったそうだが、これが安土桃山時代だったと言う事の方が不思議な感覚に襲われる。
次に観られるのは322年後だと言う。誰が見るのだろうか。それとも、この愛おしい地球に、人類はまだ住んでいるのだろうか。そんな想像しか、私には出来ない。戦争をしないと言う賢明な選択が、世界中で守られる未来があればこそ。人が自然を破壊しないと言う不文律があればこそ、である。
話を戻そう。月は皆既月食で、同時に天王星が皆既食の裏側に隠れて通り過ぎる。地球からは各星々も同じような大きさに見える。だが、大きさは太陽の数百倍だとか、地球からの距離は天文学的距離を呈する。だが、こんなに配置よく見られる美しさはそれも不思議の1つだ。
地球から月までの距離は約38万kmである。太陽までの距離は平均1億5000万kmと言われている。では、今回話題に上った天王星までは何キロメートルだろう。調べてみると25億8650万kmから31億5550万kmだそうだ。月までの距離くらいまでは何とか想像出来るが、この2つの距離は想像もつかない。
太陽の直径に地球が109個並ぶと言うのはよく聞いたが、地球に対して太陽がこんなに大きいとは、直径1メートルの太陽を描いて、その直系の上に地球を109個並べてみると如何に太陽が大きいかと言う事が分かる。それの数百倍の星があると言う事を知ると、頭の中がどうにかなりそうだ。
地球から到達する時間は光でどのくらいだろうか。光は1秒間に約30万km進み、地球を7周半回る。それで、月までは1秒ちょっとで届く事になる。太陽までは、
8分少々で到達だ。では天王星まではどうだろう。約2時間40分かかる。天王星が如何に遠くにあるのかを思い知る。
20時42分に皆既食は終わり、再び黄色くなって行く。それから約1時間部分食は徐々に黄色い色は増し、21時49分に満月に戻った。光の関係だろうが、この時刻と全く同じではなく、僅かの時間のずれは感じられた。今度は何度か外に出て、最後まで皆既食の宇宙ショーを見届けた。
何でもないかのようにただの満月に戻っていたが、惑星食と共にあった皆既月食は心の中に赤銅色の食と天王星食を確実に残した。古の人達は月が欠けて行く事は見て来ただろうが、惑星食と共にあった事などは全く知らない事であったのだ。442年前の人達が第一惑星を知らなかっただろうし、地球さえも太陽の周りを回っているなど図り知れない事であった。
文明や文化や科学は長足の進歩を遂げ、膨大な頭脳の発達の旅を休ませない。私は、この旅について行けず、自分がどんどん遠ざかって行くことを唯々俯瞰して見ているだけである。実際の天王星の規模ではなく、まるで針で突いたような絵画的な天王星が、頭の片隅に残っているだけである。