日韓年の差夫婦☆バイリンガル育児☆脱ステ -2ページ目

日韓年の差夫婦☆バイリンガル育児☆脱ステ

元ホステス、その後ハワイへ。同じ大学だった、12歳年の違う韓国人旦那と結婚。子供をおうちでバイリンガルにすることを成功しました。『相手の好きに触れる』このテクニックがホステスも育児も同じだな~と思う今日この頃。独自の育児法や家庭学習のことなどを綴ったブログ

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意2016年から書き始め

途中で放置していたので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでくださいキメてる

 

 

 

 

 

 

ホステスとは知らずに

ホステスになった話①

の続きです。

 

 

 

 

 

高校卒業後は

美術が好きだったのもあるし

先生に勧められたので

美大に行ってもいいかな

なんて、思っていたんだけど

 

 

普段あまりものを言わない父が

 

それは、よく考えた末での

進路なの?と。

 

 

それで飯を

食っていけるの?

 

 

 

好きなことをやって

金を稼げるやつは

ほんの一握り。

 

 

 

それほどに

好きなことなの?

 

 趣味にするのか

 

職に出来るのか

 

もう一度考えてみたら?

 

 

 

 

そっか、なるほど....

 

と、父の言葉に

あっさりと納得した私は

 

高校3年生の時に

初めて真剣に考えたの

 

 

じゃあ

稼ぐためには? 

 

自分はどれくらいの

お金が欲しいの? 

 

どんな

仕事をしたいの?

 

 

 

 

 

その頃、ちょうど学校では

大学の進学の話とか

就職先の各企業の話とかを

聞かされていたんだけど

 

私のやりたい事は

これらじゃない....

 

もっと高収入な

仕事がいいな

 

という結論に

いとも簡単に達してしまい

 

だからと言って

高収入の仕事がなんなのか?

なんてことは

具体的に、知らないし

調べもしないし。

 

 

そんな心の動きがあった

高校3年生の夏休み。

 

 

 

たまたま目に止まった

時給が良いバイトを見つけて

 

引き寄せられるように

面接へ行き

 

 で、採用されて

 ホステスになった。

 

 

 

水商売という言葉を

聞いたことはあったけど

 

それがなんなのかさえ

よく知らない

 

純粋な(無知な)17歳が

そんな流れで夜の世界に

足を踏み入れました。

 

 

 

 

当時の私は

怖いもの知らずで

好奇心だけはあったので

 

どんな物事に対しても

ネガティブな

不安感情みたいなものが

全くなくって

 

 

接客をするのに

男性のすぐ横に

座わらせられても

 

 

男性がなぜ

女性がいる店に

飲みにくるのかとか

 

いわゆる、男性の下心

みたいなものも

全く理解していないから

 

不快感もないし

怖さもないし。

 

 

ただ

指示されるがままに動く

みないな、ね。

 

要するに

なにも考えていなかったんだと

思う。

 

 

 

 

 

でね

 

その後、すぐに

知ってしまうのよ

 

 

 

夜働くと

こんなにも

お金がもらえるんだ

 

コンビニの収入と

全然違うじゃん

 

・・・って 札束キラキラ

 

 

 

 

 

そんな感じで

お金を稼げる面白さを

知ってしまった私は

 

高校3年生の2学期からは

ほとんど学校にいかなくなった。

 

 

 

だって、私のしたいことに

高校卒業は関係ないと

思ったし

 

 

教習所と車の購入費が

欲しいと言う目的があって

 

なのに学校にこのまま通っても

時間の無駄だなと思ったし

 

 

大検で高校卒業同等資格は

得れることは知っていたし

 

必要なら後で受ければいいや的な。

 

とにかく仕事がしたかったの

お金がもらえるのが楽しくて。

 

 

 

 

 

そんな感じで

 

時々、気が向くと

友達に会う目的で

学校に行ったりもしてたけど

 

卒業アルバムの撮影も終わって

あとは卒業式を待つだけの

高校三年生の3学期

 

私は中退しました。

 

 

 

 

もちろん

私が卒業間近でやめると

言い出したので

 

母親、校長先生、担任との

話し合いの場を持たれて

大人たちには

いろいろ言われたけど

(なにを言われたのかは

よく覚えてないけど....)

 

 

時間がもったいない

ここにいても

意味がない

 

と、自分の気持ちは

決まっていたので

揺らぐことなく中退しました。

 

 

 

このときは両親はまだ

私がホステスのバイトを

していることを知りません

 

(後にばれます)

 

 

そうそう、お店でもね

 

入店時に17歳で働いていたことが

オーナーにバレた。

 

でもその時はもう

あと数日で

18歳の誕生日だったので

小言を言われながらも

許してもらえたけど キメてる

(あの店は身分証明書の

提示もなかったな....)

 

 

 

 

読んでくれて

ありがとうございます~ キメてる

続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日が楽しくて高収入な

夜の仕事、ホステス

 

そんな 20年間に終止符を打ち

ハワイに渡ることを決意 飛行機

 

心が子供から大人へと

成長する過程での

私の思考と価値観の変化を

ここに書いて残そうと思います

 

注意2016年から書き始め

途中で放置していたので

リタイプしながら再投稿します。

水商売次代のお話が主になりますが

良かったら読んでくださいキメてる

 

 

 

 

私がハワイへ留学したのは

37歳の時

 

それまでの20年間は

ホステスをしていて

 

そのうちの13年間は

小さなお店を自分で経営していました

 

 

事の始まりは17歳

高校3年生の時

 

 

自動車免許の教習所代と

車を買うためのお金が欲しいので

 

時給の良いアルバイトを

探していたら

ある看板に目にとまったの。

 

 

 なんのお店か不明だけど

外装の雰囲気から

 

ビリヤードの台が置いてあるような

BARみたいな所かな~と思って

即、面接に行ってみたら

 

その店は、夜のお仕事

と言われるものだった

 

 

 

その日、ほっぺの赤い

丸顔のアンパンマンみたいな

おじさん社長に面接された私は

 

なぜだか、即採用となり

(年齢は18歳と嘘をついた)

 

 

その時に、最初に出勤してきた

従業員らしき女の人が

 

『 ここ働きやすいよ

お客さんもいい人多いし 』

 

と声をかけてくれたんだけど

 

 

ビリヤードをするお客さんに

飲み物を届けるのが

仕事だと思い込んでいたので

 

 

なんでこの人

ウエイトレスの制服を

着ていないんだろうと思って

 

『 制服はないんですか? 』 

と聞いてみたら

 

『 うん、ないよ、

スーツなら何でも大丈夫だよ 』

 

と教えてくれた。

 

 

え~なんでスーツ?っと、一瞬

スーツなんて堅苦しいし

面倒臭いなと思ったけど

 

 

翌日

 

スーツ系の服を

沢山持っている友達から

何着か服を借りてきた。

 

 

 

 

当時はまだ現役高校生。

 

 

 

ホステスというものが

なんなのかが

全くわかっていなかったし

 

単純に 

コンビニのバイトは

21時までしか出来ないけど

 

18歳といつわれば

この店は

夜中までアルバイトが出来るんだ~

 

それくらいにしか

思ってなかかったんだよね 知らんぷり

 

 

 

にしても

 

バイトに行くのに

スーツを着て家を出るというのは

母親になにか言われそうだし

 

根掘り葉掘りと

色々、聞かれるのも嫌だし

 

 

私服で家を出て

お店で着替えることにしました

(最初は自転車通勤でした)

 

 

 

 

で、すぐに 迎えた

バイトの初日

 

 

 

別に緊張することもなく

戸惑うこともなく

 

言われるがままに

動いてただけというか。

 

 

1つだけ覚えていることが

 

『 あ~、想像してた仕事と

違ったね~ 』 

 

って、思ったことだけ。

 

 

別に動揺するわけでもないし

怖いわけでもなく。

 

目的はお金が欲しくて

仕事しているわけだから

 

ま、なんでもいっか!

みたいな、本当に軽い感じ。

 

 

 

なので当初は

 

それが水商売、ホステスと

言われる仕事だってことは

全然知らなかったし

 

仕事内容なんて

全く知らなかったの。

 

 

 

 

バイトの初日に

 

『水割り』という物の

作り方を教わったんだけど

 

ブランデーとかウイスキーとか

銘柄も初めて聞くものばかりだし

 

お客さんのタバコにも

火をつけなきゃいけなくて

 

 

 

これを作って.... 火をつけて...と

 

なにも考えず、なにも感じず

 

ただ、言われた通りに

するだけの私。

 

 

 

 

 

初日はもちろんだけど

働き初めて数ヶ月経っても

 

ほかの女性からも

お客さんからも

 

『 あなたは

座ってるだけでいいよ~ 』 

 

と言われてたので

 

 

私はお客さんにポッキーを

あ~んとか食べさせもらって

 

なにもしゃべらず

ただ横に座って

ウーロン茶を飲んで

 

目の前にあるお客さんの

おつまみを食べて

(食べていいよって言うから)

 

 

みんなが話してるのを

ただ聞いていただけ。

(でも聞いていても、話の

内容は理解できていない あせる

 

 

それで終わったのが

初日です 滝汗あせる

 

 

 

その後

自分の店を持ち

お水街道まっしぐら~

だった私が、なぜ

 

お店を閉め

海外留学を選んだのか?

 

 

これから

留学をするまでのお話を

書いていこうと思います

 

 

 

こんにちは~ ひらめき気づき

最近は、気がつくと
やりたいことが盛り沢山で
アレコレと忙しい日々を
過ごしてましたが ランニングあせる


そういや~
それもそうよね... と 真顔


占星術で言うと
もうすぐ冥王星が完全に
山羊座から離れ
水瓶座に移動するんだったwa

やぎ座 バイバイ

15年間続いた
山羊座冥王星時代は
11月19日で終わり

本格的に冥王星
水瓶座時代の到来!



私は、若い時から
『占い』と言うものに
全く興味がなかったので

占星術などにも

詳しくは、ないのですが。



ある時、易学、気学に出会い

その学問の深さが面白くて

深堀で学び続けていると


『占い』と呼ばれているもの

ほぼ全てのベースが


宇宙の法則、惑星の配置や

宇宙からのエネルギーに

通じているということが見えてきて


なるほどね~ と


全ては、宇宙からの

エネルギーなんだ....と

ガッツリと腑に落ちまして。






何故だかは分からないけど

私は、幼少期から
月とか太陽とか
神様や龍神、妖精たちに
お願い事というか

話しかけることを良くしていた。


中学生くらいになると
寝る前に意識を宇宙に飛ばして
宇宙遊泳なんかをしたりして

誰かに教えて貰ったわけでなく

宇宙からの壮大な
エネルギーみたいなものを感じて
よく天に祈っている人でした。



私は、基本、気学から
自分に影響のある
エネルギーの流れを読み解き

その自然界のエネルギーで
健康、幸福、繁栄を
向上させることに利用している

星キラキラ

プラス、天体の動きが良くわかる
占星術で惑星の大きな動き
運気の流れなんかも見て

月光浴の日のチェックや
潜在意識へのアプローチ
などもしているんですが。




今回、山羊座冥王星時代の
完全の終わりを前にして

過去の自分を振り返ってみたら
改めて気がついたことがあってね。


それは

私は、かなり動物的というか
本能的、右脳的に

宇宙からのエネルギーをキャッチし
突き動かされて来たんだな
と言うこと。




それの1つとして例をあげると




山羊座冥王星時代が始まりが
2008年


冥王星の象意は
変容、力、極端、死と再生

冥王星は潜在的な力
無意識の動機
深層心理を示すんだけども

エネルギーが強力で
劇的な変化をもたらすことが多い




私は、毎日が楽しくて
天職だと思えた
20年間続けたホステスを辞めて

ハワイに渡ったのが
2008年なの。


この年に動いたのは
まさに、冥王星の

破壊と再生のエネルギーを

ガッツリとキャッチしてたから

なんだなと、今だからこそ思う。




当時は、ホロスコープは

全く見ていなかったので


この年が

山羊座冥王星だったことは

知らない。




2008年の2月を

渡米の日に決めた理由は


『気学』から割り出した

私にとって

最高の学びの実りが多い方位

最大吉方位だから !




で、さらに興味深いのが

私が渡米したのは2008年だけど

ハワイの方角が
最大吉方位になるのを
3年間待っていたので

留学を決意したのは
正確に言うと2005年あたりなの。


このね

破壊と再生のエネルギーが強くなる
山羊座冥王星に入る数年前から


私は
自由でお金にも困らなくて

仕事とは言え
異性を自分に惹きつけることも
簡単に出来て。

やりたいことは何でも出来る
時間もあって

応援してくれて
金銭援助をしてくれるお客様も
数人いたり

なんの不満もない
満足した日々を過ごしていた


なのにね

それは、突然に
襲ってきたんだけど


で?

この先には
なにが
あるの?

って。


その日から
私は、自分の次なる場所
言うのを探し始めるんですが。


その事を書いておこと思って

2016年から
『37歳からの留学』
っていうカテゴリーで書き出した

どうやってホステスになって
何故、渡米することにしたのか

っていうお話を書いていたのに

完結せずに放置していました~
滝汗あせるあせるあせる

(アメブロ繋がりの人には
ホステス記事が好きでした!
とのお声を多く頂いていたのに
すっかり忘れて今や2024年💧)


山羊座冥王星の完全なる終了の
今年の11月19日まで
このお話を書き終えれるか
わかりませんが

過去記事をリタイプしながら
再ポストしていくつもりなので

良かったら読んであげてくださいキラキラ



韓国のチュソク(Chuseok)

日本のお盆に似た
先祖や亡くなった人を
供養し感謝の気持ちを伝える日

義母の好きだった
ぶどうを用意しました

シオモニ!可能ならば
旦那と娘の夢に
出てきてあげてくださいね~

キラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラキラ

そういえば

このぶどうを買った
道の駅での話

チュソクのお料理
シャインマスカットだけじゃなく
ぶどうを数種類
用意するのはどう?

シオモニも、食べ比べ
してみたいんじゃない?

と、私が提案したら
旦那が、それいいね~グッ

って、答えたのと同時に
テーブルにおいてあった
旦那のスマホが

誰も触ってないし
当たってもないのに

突然
Youtube musicが
大きな音で流れました 




すぐさま、旦那が

おおお!
オンマが、ぶどう食べたいって
返事してきたじゃん ニコニコ

と、めちゃくちゃ
喜んでたな。

良かったね 


 日韓   年の差夫婦です

韓国  日本  気づき

 

バイリンガルの9歳娘の学習や

日本での暮らしの中で感じたこと

などを綴っています 指差し 



突然ですが


老婆の覚悟を

今日ここで宣言します バイバイ


痩せます






実はここ3年間ね


ウォーキングしようが

風邪で寝込もうが

逆にバクバクと食べまくろ~が


体重が100gも前後せずに

Just 60kg ~ 滝汗あせる

(マジで体重計の故障を疑うレベルで

体重が動かない....)



って、私はもともと

洋食、洋菓子全般が好きではなく


肉や揚げ物、中華とか

ラーメンや丼物も

好きじゃない


ピザラーメンたこ焼きカレーパスタステーキ


好んで食べるものは和食で

精進料理みたいな

京都のおばんざいとか

具だくさんスープが好きなので


満腹になるまで食べてても

浮腫知らずだし

簡単に太るタイプではない



なので人生で

ダイエットをしたのは

高校3年生の時の1度だけ。



中3で部活を引退し

友達との外食が頻繁になった

高校生時代ね


62kg までに肥えた yoあせる

(人生で1番デブったのがこの時。

身長は171cmです)



その時に、食品成分表を片手に

キチンと食品の分量を量って

ダイエットノートも付け


サウナに運動.....と

5kg痩せた


その後も、ま、食の好みが

ヘルシーな傾向にあるので

リバウンドもなく


20~30代のホステス時代は

52~53kgで


37歳でハワイに渡ると

周囲から『痩せすぎ!

とうるさく言われ


頑張って長距離歩いて

ジムにヨガにと頑張ったら

筋肉が付いて 54~55kgに チョキ



で、42歳で娘を授かり

妊婦中体重増加は

5~6kgだったので

出産前のmaxで

61kgあるか、ないか。



赤子を産み落とした2日後には

妊娠前の体重に戻っていて


その1ヶ月後には

妊娠前より痩せるという

(養分を吸い取られヨレヨレネガティブ)



で、その後

数年間、封印されていた

アトピーが再発し


肌熱がある数年間は

体重も変化なしで

太らずだったけど


体内炎症が治まってきた頃から

身体が太る余裕が出てきたようで

57~58kgになりまして~ キメてる



で、その辺からね


いつも手足が冷たくて

万年寒がりだったのが

『手足あったか冷えない人』に

シフト出来た感があって 拍手




風邪も引きにくいし

冬でも寒さを感じる事がない


おお、これがベスト体重じゃん!

って感じだった

......んですが。



たぶん、更年期が手伝って

その後もジワリと ➕ 2kg




でも

60kgから100gの前後もない

3年間って


ど、どうなのかな....って。




体調が良いし

これがベスト体重じゃんって

思っていいのか、悪いのか


アトピーもまだあったし

3年間、様子見で来たんだけど。



ようやく

人生2度目のダイエットを

することに決めた ze キメてるおいで




と、言っても



1年間かけて

2~3kgを落とすつもり

(気づくと背中肉が育ってたので

全体的にひとまわりシェイプしたいゲロー)



夏の間、お休みしていた

ウォーキングも

一昨日から再開したよん キメてる




身体のラインが出ない服が

定番化されていた10年だけど


また、服を選ぶのを楽しめる日は

来るかしら?  Tシャツスカートエプロン気づき


 

 日韓   年の差夫婦です

韓国  日本  気づき

 

バイリンガルの9歳娘の学習や

日本での暮らしの中で感じたこと

などを綴っています 指差し 

 

 

娘の夏休みが終わり

今日が2日目の登校 学校気づき



40日間の休み明けなので

娘の使う通学路に変わりがないか


昨日、ウォーキングがてら

パトロールをしてみたら...





ご....

ゴミが

すげぇー






てか、本当に


スーパーの大きさ大くらいの

白い買い物袋に詰め込んだ


お弁当やペットボトルゴミを

車の窓から捨てていく人とか


バーベキューやキャンプで

使ったトングや

使わなかった箸や食材


大きな折りたたみチェア


酷い時は、小型テントや

1m以上あるテーブルとかが

不法投棄していく人もいる




1番びっくりしたのが

(随分前のことだけど)



何グループかがいる河原で

みなが片付けをしはじめた

夕方近くになって


若い子グループの何人かが


40リッターくらいの

パンパンのゴミ袋 3つ


川投げ込んだの 驚きあせるあせるあせる



ひゃひゃひゃ

って笑いながら


どんぶらこ~って流れていく

ゴミ袋をみて

騒いでいたっていう 滝汗あせる





なんで平然とポイ捨てが

出来る人がいるのか? 

と考えてみたけど



おそらく、彼らには


それが普通!


もしくは、外なんだから

ゴミを捨てるくらい

たいしたことじゃねぇだろ!


って感じなんだろうなと。





って、ことで今日は


娘が帰宅するのを待って


草刈り班の父と

それの助手の旦那


娘と私は、長いトングと

ボランティアゴミ袋を持参して


通学路のゴミ拾いと

草刈りをしてきたわ 煽りあせるあせる

(草はエラいボーボー)




つか、食べ残しがある

デカイキムチパックとか


食べなかった

開けてない枝豆の袋とか



それらを歩道や雑草の隙間に

捨てるのも良くないけど


食べ物を簡単に

無駄にしてるってことにも

なると思うよ? 


(ありえないデカさの

キャンプ道具のゴミ達は

1箇所にまとめて、役所に

回収依頼をしておいた)







罪の大きさに関わらずさ


自分のした行いが

良くないことだった場合


遅かれ早かれ

その行いの報いは

必ず受けると


私は思っている

(たかがゴミ、されどゴミ)






誰かの犯した悪行で


こうやって

善を積める人もいるわけで


宇宙の法則っていうか

何事にも両極があるのが

面白いよね~ キメてる





 
 
ポイ捨て族の皆さんパー

You達の捨てたゴミが重すぎて
トングが指にくい込み
痛かったけど

善を積む機会をくれて
本当にありがとう
 

道行く街のおいちゃん達とも
情報交換も出来たし

楽しい
ボランティアDayだったよ