ノムラ證券残酷物語 -8ページ目

Vol.12 「業界用語(1)」

ノムラ証券には独特の社内の言い回しがあります。一部は証券会社独特の共通用語もあれば、ノムラ独特の言い回しは、ノムラの系列の証券には一般的に浸透しているのですが、大手であっても大和や日興にはその用語として通常使われないものがいくつか存在します。


支店に配属されてまず驚いたのは、営業場で掛かってきた電話に出る時、ほぼ全員の営業マンは「もしも!」と電話にでます。決して「はい。野村證券・虎ノ門支店、営業・山田でございます」などと近頃のきちんとした会社の電話の出方の見本のような「呑気」な出方は一切しなかった記憶があります。


この、「もしも!」と出る言い方は単に「もしもし」の「し」を省略したものだと思いますが、実際に当時の営業マンはこのように電話に出ていました。新人も数ヶ月して、電話外交中心に一日中席にいて電話を商いの中心におくようになると、自分の直通の電話と内線電話の2つの電話については、全ての「もしも!」と電話に出るようになったと記憶しています。なんか「先輩社員と同じ言い方で格好良い」と勘違いしていた感じも当時無くはありませんが、転職をして他の会社に移った時に、つい昔の癖で「もしも!」と電話に出て周りの人から不思議がられて困ったことが何度もありました。決してあまり上品な言い方では無いと思いますが、この「もしも!」という電話の出方は、大和や日興にはあまり無かったような気がします。


また、これは今でも日本の証券会社の(ほぼ)共通用語なんだと思いますが、「マル」という言い方が社内で良く一般的に使われていたようなきがします。「今日の飲み会、マルだぁ~」これは「今日の飲み会は中止です」と訳します。「マル=○」なんだから、「予定通り」か「正解です」という意味に取られがちですが、実際にはこのマルは「×」「ゼロ=0」「取り消し」の意味に通常使われます。


ちなみに、一般的に営業現場で最も頻繁に使われる正しい使い方は「てめぇ~、今日は、マルかぁ~!!」で、「貴様!(今日のノルマ)はゼロ=未達成なのか!」が正しい意味で、毎日のノルマの詰め(予算達成の確認打合せ)の時に「T中ぁ~、てめえぇ~今日はどうなんだぁ~?」「マルです…」「てめえぇ~いつまでもただ飯食ってんじゃねえぞぉ~マルは駄目だ!絶対に1件でも、千株でも決めて来い!」という会話というか、罵倒が日常茶飯事でした。(続く)

Vol.11 「ノムラマンのドレスコード(2)」

また夏に、同期のN野が半袖のシャツを着て、その上にスーツを着てきたところ、またもやデブで汗臭いY田課長に「N野ぉ~お前その半袖は何だ!半袖なんか『信用金庫』のお兄ちゃんじゃねぇんだ!会社では腕まくって、外では長袖のシャツにスーツが基本なんだぁ~」って…その日からN野も半袖のシャツは着なくなりました。


ちなみに、冬になり、私が学生の頃に作ったスーツで、お気に入りのスリーピースを着ていったところ、またもやY田課長のお目に止まって呼びつけられました。「K村ぁ~お前、お洒落やなぁ~そのチョッキ(ベ、ベ、ベストなんですがぁ~)!格好付けてんじゃねぇぞ!ベストは厳禁じゃ!10年早いわ!」って…でも、先輩社員で、よくスリーピースのスーツを来ていた人(お洒落なH田主任インストラクターもそうでしたが)も居たのですが、新人には10年早すぎだようでって・・・ただ、本当の理由は、Y田課長様が太ってお腹がせり出してベストを着れないために、意地悪していただけだったのですが…


昨日書いた「丹頂チック?」って何?って思った方も多いと思いますが、今の「マンダム」という化粧品メーカーの有名な商品です。古くからある代表的な整髪料で、チックと言えば(当時は他にヘアリキッドくらいしか無く、ムースもジェルも無かったですね…)、同期のT中も、元硬派で、学生時代に応援団団長の面影は見せず、サラサラの髪を直ぐにかき上げる癖があったのですが、入社早々にY田課長様のお目にとまって「T中ぁ~お前そのサラサラの髪の毛はいかん~!初任給で丹頂チック100本買って来い!それで頭はいつもカチッと固めて出社しろ!お前らが普段会う社長や部長クラスの人には、お前らくらいの年齢の息子が居たりするんだ!その息子と同じように若者っぽい格好なんかしてたら、信用されないだろうぉ~『おう、さすがノムラの若手はキチッとしてるなぁ~~」って感心されたりしねぇだろうぅ~~だから、その辺の若者っぽい?格好は駄目だ!分かったな!」って、ボタンダウンと同じ理由を並べて、その日から我々3人は、頭には必ずベトベトした油がのっており…イケてないサラリーマン姿に成り下がりました。


夏の飛込み外交は、暑さとの戦いで辛かった思い出だけでした。夏になると、汗だくでスーツのズボンの太ももの部分から膝にかけてがマジで「塩吹いて…」、ひざの部分が破けるということまで起ることもあり、やはりY田課長のアドバイスで、飛込み専門の新人は「ステテコ」を買ってきて下に着用!という、それは超~イケてない格好と成り果てました。そうでもしないと本当にあっという間にスーツがボロボロになったのです。


筆者は、当時付き合い始めていた支店の2つ年上の先輩女子社員の彼女と、今日こそ初めて合体!だぁって意気込んで、会社の帰りにデートで、新橋の居酒屋で一緒に飲んでいた時に、トイレに行ってステテコはいているのに気が付き、居酒屋のトイレでスーツのズボンを脱いで、魔法の「ステテコ」を脱ぎ捨て、トイレの脇にあったゴミ箱に捨て、その後ホテルで無事に事を成す寸前に、格好悪い思いをせずにホッと胸をなでおろした事を今でも鮮明に覚えています…多分、新橋の天狗だったかな?と思います。天狗さん、トイレにステテコ捨ててごめんなさい。…(この章終り)


Vol. 10 「ノムラマンのドレスコード?(1)」

ノムラ證券の当時の営業のスタイルは、基本的には「飛込み外交」&「電話外交」の2本立てが顧客開拓の基本でした。新人は「証券外務員試験」に合格しないと顧客に対して支店の外では営業が出来ないので、最初の仕事は「証券外務員試験」に合格することでした。


そのため、過酷な先輩営業社員のノルマに追われる日々を横目に、6月末(確か…)の試験日までの約3ヶ月間は、新入社員は、まず7時過ぎに出社して、先輩社員の雑用を片付けた後、9時過ぎ~5時過ぎまで飛込み外交をして一度支店に戻り、その日の報告や名刺の整理をして、また翌日の準備をして、その後は7時前には新人全員揃って寮に帰宅せよ!という「特別扱い」の生活でした。そんな夢のような楽しい日々はあっという間に終り、暑い夏を迎える頃には、学生気分が抜け切れない若者にも想像を絶する厳しいノルマ地獄が待っていました。


営業の基本の1つとされている飛込み外交は、効率が悪いのと、外でサボっている確率がかなり高いためか、新人の度胸付けのための教育の一環としてのスタイルだったような気がします。ある程度顧客が出来ると、その顧客に対して電話で株のセールスをしながら、空いている時間で新規顧客を電話で開拓するということが、経験的に最も効率的であったためか、飛込み外交自体は、入社して半年もするとしなくなったと思います。


大きな黒いカバンとスーツを着て、必ず長袖のワイシャツを義務付けられていて、頭は丹頂チックでガチガチに固めて、まあその辺のイケてないサラリーマン丸出しの我々は、毎日毎日汗だくになって飛び込み外交をしました。


まず、会社に入って私がボタンダウンのシャツを着て行ったところ、Y田課長に注意されました。


「K村ぁ~、お前その学生みたいな?ボタンダウンは止めろ!カッターシャツ(古いなぁ~)着て来んかぁ!」

「お前らが普段会う社長や部長クラスの人には、お前らくらいの年齢の息子が居たりするんだ!」

「その息子と同じように若者っぽい格好なんかしてたら、信用されないというより、『おう、さすがノムラの若手はキチッとしてるなぁ~」って感心されたりしねぇだろうぅ~~だから、その辺の若者っぽい?格好は絶対に駄目だ!分かったな!」


ってそれ以降、私は学生時代から10枚以上持っていたボタンダウンは、一度も袖を通すことなく過酷な生活にだんだん30キロ以上太っていって、二度と着る事はありませんでした。

(ドレスコード(2)へ続く)


Vol. 9 「水曜日は、5分で昼飯食って来い!」って…

ところで、当時のノムラ證券の虎ノ門支店の昼飯体制はそれは強烈でした。「外出禁止令!」という日があって、水曜日は「組合デー」と称していて「ノー残業デー」となっていましたが、この日は要するに定時(ほとんど残業が出来ないという意味での定時)で帰らないと駄目なため、組合員の若手を過酷なノルマに追い込む時間が少ないので、「どんなに重要な新規のアポイントや商談」があって(本当にあっても、嘘をついて外出しようとていても結果は同じで)も、理由は『絶対に営業マンは上司に嘘を付いて(過酷なノルマ営業だから…)外でサボっているに決まっているから!という理由で、水曜日は一切の「外出」は禁止されており、監獄のような職場で「ノルマ」を背負い「ひたすら電話営業」の日々でした。


水曜はいつも前場が終り、恒例の午後に向けた「ツメ」(公式には簡単な打合せで、当時、野村ではノルマの確認と、ノルマの達成できていない奴を「詰める」ため、一人一人「お前ぇ~~後場から「なんぼ」やるんじゃぁ~」って、ノルマが書かれた「板」と称するメモボードでバンバン頭を小突きながら苛め、そしてノルマ達成を追い込む打合せのことを「ツメ」と呼んでいました)が終わると、次長(営業課長の上席で支店長の補佐役)のU田次長が、「おうぉ!お前ら5分でメシ食って来い!」って叫ぶのが恒例でした。


「5分でメシって来い」って・・・「そんなぁ~ぼかぁ~食事はゆっくり食べないと駄目なんです!なんていう営業マンはこの会社には一人もいないので、でも店で注文して、出てくるまでに最低15分は掛かるよぉ~~」って思っていると、会議室に会社の経費で弁当が用意されており、それぞれが営業マンは軍隊よろしく階段を駆け下り、無言で弁当を5分で駆け込み、食後に歯を磨いている奴なんか誰もいない(良く考えると、汚ねぇなぁ~!って)当時の虎ノ門支店の営業マンは、11時半には全員席について、後場1時から(当時は後場の開始は1時)の予約注文を取るため、また朝、仕切られてまだ売れ残っていた株(「仕切り玉」と言って、間違いなくこの当時も今も、このような「仕切り玉」は正真正銘の証券取引法違反ですね)の注文を、だいたい「嘘八百」(これも証券取引法違反)並べて顧客にセールスの電話をしている毎日でした…(続く)

Vol. 8 「動物園状態…でも、飛び込み初日」

この「あぁ~!ノムラ證券残酷物語」を、メルマガの私のコーナーの独り言で書き始めてから、視聴者からリクエストが何通も来ています。


T中君の素顔は?とか、ノムラ大運動会の話をしてくれ!とか、首都圏対抗野球大会のことを書いてくれとか(この方は、多分元ノムラの関係者でしょうか…)とか、いろいろなりリクエストがありますが、後で何度も登場することになりますが、私の同期の同じ支店に配属された2人は、なかなか個性的な人物でした。しかし、それにもまして、支店の先輩も皆全員それぞれ個性的な人物ばかりでしたので、武勇伝には事欠かないというか、完全な動物園状態であったと思います。


同期のT中君や、N野君もまあ大物でしたが、虎ノ門支店の早稲田大学のボクシング部出身の「H井」さんなんか、上司のイジメに切れると…狂犬のように叫びながらぶっ飛ばしたり(犯罪です)、酔っ払って泥酔し、歌舞伎町の警察官もぶっ飛ばして、トラ箱に泊められ、翌日支店長が車で迎えに行く羽目になったことも…また別の日には、出社もせず朝から連絡が取れないので全員で心配していると、昼頃、歌舞伎町のラブホテルから電話してきて、課長が「H井ぃ~お前どこにおるんじゃぁ~」って電話口で怒鳴ると「すみません…多分歌舞伎町のラブホテルだと思うんですが、隣に知らない女が寝ていて…」ってとか…この辺の話はまた追々にでも。


さて、初めての飛び込み外交はなんだか夢の中でした。ドキドキしながら会社の受付に行き、受付のお姉さんや無人の電話機だけが置いてある受付など、様々な会社があるんだなぁ~って思いながら、それでも最初の頃は夢中でひたすら馬鹿正直にインストラクターのH田主任から言われた通り「社長お願いします!」って繰り返していました。緊張のため初日のことはほとんど覚えていませんが、前場が終わった頃、支店に11時過ぎに戻ると、新人教育担当のY田課長が、太った脂ぎった顔をニヤつかせて、「おう、新人ちゃん!そうだな地下の会議室に集合してね」って、彼は彼なりに優しさをかもし出していたつもりなんでしょうが、私にとっては何だか「妙に気色の悪いおっさんだなぁ~」って言うのが第一印象でした。


大課長様のオリエンテーション&昼飯は会議室で食べながらでした。内容は?って、大したことは話して無いと思います。このY田課長に、そもそもたいした「内容」なんか無かったと思いますし…彼に限らず、当時のノムラの営業マンなんか、まともな勉強をしている奴なんかほとんどいなかったと思いますので。


Vol. 7 「茶でもシバけへんけぇ~~」

我々3人は、9時過ぎに地下の通用口から支店の外に出て、地図を見ながら虎ノ門の交差点の方向に歩き始めました。さっ!やるか!って思って新橋方向に向き始めたら、同期のT中君が「おぅ!みんなぁ~~まずは茶でもシバけへんかぁ~~」って気の抜けた関西弁でまず第一声を発しました。「まず、茶やなぁ~~茶ぁ~~」って…


「そんな最初から力んどったら身がもたへんわぁ~」って…筆者も、この間の抜けた発言に、「よしやるぞ!」って気合の入ってきた気持ちはいっぺんに吹っ飛びました。「この野郎!」って…思ったのも反面、でもなんか高校時代に授業サボって喫茶店で時間つぶすのは得意でしたから、直ぐに私も「おう!そうだな!まずはモーニングでも食べて一服しよう!」って応え、一緒に喫茶店を探す目になっていたところ、3人の中では最も真面目なN野は、一人交差点で立ち止まり「俺は、良いよ!行くわ!」ってなんかいきなり3人はチグハグな関係か!?って感じになってしまいました。


しかし、そう思ったのも束の間、またT中が、「N野ぉ~~、そない堅いこと言うなってぇ~~~ええや無いかぁ~~同期の新しい出発やぁ~~一緒に茶でもシバいて、まずは一服せんかぁ~~~」って…「T中、お前もしかして凄い大物?」って…『ええ、彼はどえらい大物でした…』いろいろな意味で…(続く)

Vol. 6 「社長お願いします!」

名刺とカバンを渡された我々は、引き続きH田主任から飛び込みの要領について説明を受けることになった。「まだ入社2日目だろぉ!何も分からないのに~」って思いが頭の中をぐるぐる巡っていましたが、全く有無を言わさない、そして落ち着き払った、冷たさを漂わすメガネの奥の目には、我々のような学生気分のチンピラには、一切妥協も反論の余地も許さない厳しさがありました。


「まず、ここに野村週報がある。一人今日のところは100部カバンに詰めてこれを持って行け!それとここに地図が3冊ある。お前らの今日回る地域は、まずT中!お前は虎ノ門1丁目、N野、お前は虎ノ門2丁目、K、お前は西新橋1丁目だ!丁寧に端から全部のビルに飛び込んで、この辺は、森ビルが一杯あって、回る会社にはこと欠かないから、全部のビルに飛び込め!まずエレベーターで最上階に行くんだ。その後は、そのビル全部の会社に順番に上から飛び込んで来い!いいな!全部だからな!」って…


「あのぉ~~受付なんかに行って、どんな風に話しかければ良いんでしょうかぁ~~~」同期の全員を見渡しても、「ボケ具合」では傑出の神戸商大応援団団長のT中君が、恐る恐るH田主任に質問しました。「T中!何でも良いんだ!ただの度胸付けなんだから!その代わり、絶対に守って欲しいことが一つある。必ず受付で、『野村證券のT中と申します!この地区を担当となりました!ここまでは何でも良いからな!お前のセンスだな!でも必ずその次は、『社長さんお願いします!』って言うんだぞ!お前らは新入社員でも、野村が取引すべきは企業の社長か、最低でも経理・財務部長なんだ!だから度胸試しの意味もあるが、必ず飛び込みは社長お願いします!って言うんだぞ!」って!


「あっ!それと言い忘れたけれど、俺が1年間お前らの面倒を見るインストラクターのH田だ!なんか分からないことがあったら俺に聞いてくれ!まあ良いか!もう直ぐ9時だから、9時過ぎたら行って来い!それと今日は11時には一度戻れ!Y田課長の話があるからな!」って、そりゃぁ~~~あっさりしたオリエンテーションで、彼は隣の戦場である営業場に戻っていきました。我々3人は少しブースに取り残され9時過ぎまでの10分程度、誰も一言も喋らずただ黙々と名刺を真新しい名刺入れに入れたり、週報をカバンの中に詰め込んだりしていました。私の頭の中は、隣の営業場から聞こえる聞きなれない短波ラジオの音と、何だか分かりませんが、何人もが朝から大声で怒鳴っている声がグルグル回っていてだんだんドキドキしてきました。


Vol. 5 「数字が人格!?」そして「現引き?」

ブースに通された(監禁された)我々3人は、H田主任からの第一声にまず圧倒されました。


「まず、君達に言っておく!野村のモットーは何か!これを頭に入れて過ごして欲しい!それは何か!って『数字は人格だ!』ということだからな!」「残した成績が全てだ!能書きも、屁理屈も何も無い!営業成績の数字が全てだから!これを頭に叩き込んでおくことだ」


「それと社内の女の子には絶対に手を出さない!」「50m四方の女に手を出したら、現引きだからな!」「現引き!分かったか!」って…「現引き」…って何?「数字が人格」よりも何か恐ろしい響きの言葉でした。


「現引き」とは信用取引で通常6ヶ月の期日の来る前に反対売買をして手仕舞うか、それとも「買い建て」の玉の場合、売買代金全額と金利と手数料を払って、現物を引取ることを言いますが…そんな意味なんか全く分かりませんでした。ただ、若い元気な若者には、とても鮮烈で「甘味」な響きのする印象的な言葉でした。


そんなオリエンテーションの中、女子社員の先輩がブースに3人分の名刺と営業用のカバンを持ってきてくれました。H田主任が「ほら!お前らの名刺だぞ!」って渡された名刺は2箱200枚分の真新しい名刺でした。「そうかこれで僕達も社会人の一員なんだ!」って誰だって社会人になって初めて名刺を手にした時は興奮しますよね。私もそうでした。でも次の一言で「???」って思ったのは他の3人も一緒だと思います。


「お前らの手元のその名刺2箱は、お前らの1~2日分の名刺だ!」「足りなくなったら、いつでも営業補助の彼女に頼め!F田さん(営業補助の先輩女子社員)、彼らが足りなくなってもいつでも直ぐ補充できるように、取りあえず2000枚単位(20箱!)で刷っておいてね!」って・・・2000枚!単位・・・「ちょうどいいや、皆、先輩は、場があって忙しいから、今から近所の会社に飛び込み外交に行ってくれ!」って・・・入社2日目だったんですが…飛び込みって…何?(続く)


Vol.4 「4月2日支店配属」

4月2日、研修センターを早朝出発し、朝7時半には虎ノ門支店のシャッターの前で3人でオドオドしながら待っていました。私は立教大学出身ですが、同じ支店に配属された他の二名は、明治大学のラクビー部崩れ・・・の色男(N野)で、もう一人は神戸商大の応援団の団長で、真面目に同期でも傑出の超~~~変人でした(ごめんな!T君)。


同期3人とこれから訪れる不安と期待の中、「頑張ろうぜ!」って声を掛け合いながら、何故だか妙な一体感のあった瞬間だったと思います。事実は小説より稀なりと言いますが、これから起ることはどんな小説よりも感動的に面白い出来事の連続でした。私は野村證券に感謝しています。でもあの当時のノムラ證券は正直狂っていたと・・・そう思うことが何度もありました。。。


さて、その後、誰かがシャッターの前でたたずんでいた我々を見つけて声を掛けてくれ、無事支店の中に入りました。8時前だと言うのに、営業の5課(営業課3課と法人課1課と、投資相談課1課)の営業マン約25名は全員何故か朝も早くから静かに席についていました。


地下の通用口から1Fの営業場に上がると、「おうぉ~~~今年の新人かぁ~~~」って、チビで、太って、頭の薄くなったY課長が声を掛けて来ました。直属の配属課になる営業2課のY課長は、当時精鋭揃いのノムラ證券でも全国1位のコミッション(手数料)成績を何度も取ったことのある超~個性的な、そして、セコさNO1の、敏腕営業課長で、彼の一声で我々の地獄の日々はスタートしました。


「おうぅ~~!H田ぁ~~~お前、今年のインストラクターだったなぁ~~お前先に面倒見とけぇ~~~前場終わったらあいつらに俺が少し話するからぁ~~~」って最初のオリエンテーションを指名されたのは、すらっとしたメガネの奥でいつも冷たい冷酷さを醸し出す、当時ではとても理論派の、またその頃の野村証券には似合わない最も紳士的な顔を持ちつつ、それでいて平気で客を殺す・・・冷酷非常な営業マン、早稲田大学政経卒のインテリ主任でした。


「君達、こっちに」と冷酷非常な顔をした銀縁のメガネの奥に「お前ら、可愛そうになぁ~~~」ってそのH田さんが歩いてきて、ブース(簡易応接室)に通されました。(続く)


Vol.3 入社式(その2)

後で聞いた話ですが、例えば上野駅からは、青森支店に赴任する者、仙台支店に赴任する者など同じ電車に乗る者が出発する度に、人事部/研修部のスタッフが、「万歳」を三唱して見送ったということを聞きました。


「これから想像以上の厳しい社会人生活が待っているんだ!お前ら学生気分じゃ駄目なんだ!」って「でも、俺達(先輩も)も耐えてきた、だから今がある、皆頑張れ!」って気持ちがこもった「万歳」での見送りだったのでしょう。羽田空港でも、東京駅でも同じように地方に赴任する新人に手分けして本社の人間の見送りが行われたということです。見送りに着てくれた人事部/研修部の若いスタッフ達は、皆、とても情熱的な人達であったような気がします。


都内近郊の支店配属の者は、地方支店配属の者のような派手な万歳の見送りも無く、全員寂しく?それぞれが研修センターを後にし、ただ今考えると異常に早い時間に支店に着いたと思います。


それぞれ皆、7時半には支店の前のシャッターの前(通用口が分からず・・・)に荷物を持った真新しい紺色のリクルートスーツを着た若者がオドオドしながらN証券の猛者営業マン達が待ち構える支店にそれぞれ到着したのだと思います。そこは強烈な個性の塊のような職場環境で、まるで動物園のようなところでした。。。(続く)