メモ:
金融資本によって支えられる物質主義には降伏しないアートの精神的な価値こそが、人々を魅了し、世界を豊かなものにすると知っているからである。
アメリカの印象派アーティスト、ジャクソン・ボロックの未発表の作品「ナンバーゼロ」が、香港で開催されるサザビーズのオークションに出品されることになった。予定落札額は5~8000万ドル。その作品は印象派の名の通り、大きなキャンバスの上でアーティストが動き回り、それにあわせてペンキを塗りたくるというもの。香港の高校生、張英才は、アーティストで世界を変えるという夢をいだき、これまでにない作風に挑んでいた。「これこそが!」と思った手法は、すでにボロックにより実現されており、肩を落としていた。しかしアートへの思いは変わらず、熱い情熱を内に秘めた、ひっこみ事案の少年である。
彼の元に「アノニム」と名乗るメールが届く。「世界を変えてみたいと思わないか?玄関ドアの横を見ろ」。玄関の横には、大きな丸めたキャンバスと、ペンキ、刷毛等が置かれていた。
世界中のオークションに現れては、高額の落札額で狙った絵画を落札していく、スーパー富裕層。
その裏(表?)で暗躍する謎の集団「アノニム」。彼らは世界で盗難にあった絵画を盗み返し、しかるべきクリーニングを終えた後、完璧な状態で鑑定書を付けて、しかるべき人物や場所へ返還する。彼らは世界中のオークションに現れ、チームで落札額を引き上げ、それを盗む。今回の彼らのターゲットは、「ナンバーゼロ」。
高校生の張英才は、ディスレクシア(難読症)を幼少の頃から煩っていて、文字が文字として認識できない。そんな彼が偶然にもボロックと同じ手法を思いついたことから、「ナンバーゼロ」の贋作を作らせる。「もしうまくいけば、本物の「ナンバーゼロ」を見せてやる」。張英才は、その言葉に乗り、PCの画面に映る「ナンバーゼロ」を製作していく。あたかも、ボロックが乗り移りでもしたように。
時は2019年。香港の中国への返還を迎え、自由と民主主義を掲げて学生達がデモやストライキを起こし、香港政庁へ抗議を繰り広げている真っ最中であった。学生の情熱はほとばしるが、世の中はそう簡単には変わらない。香港には、現状への不満が渦巻き、爆発寸前の状況。しかし富裕層の人達は、高額のマンションにすみ、高級ホテルのプールサイドでドリンクをゆったり楽しんでいる。そんな大きな矛盾も同時に渦巻いていた。
いよいよ「アノニム」が仕掛けを施した、サザービーズのオークションが始まる。オークショニストは、「彼にかかれば30秒で3000万ドル落札額が高くなる」と評判の「ネゴ」。そして遂にその時がやってくる。作品が大きすぎるため、実物はオークションテーブルには乗らないので、その画像だけが表示され、実物は既に梱包を施され、落札次第直ちに出荷されるよう、トラックまで待機中である。
「ネゴ」が登場し、今日のアートを順番にオークションにかけていく。いよいよNo.45「ナンバーゼロ」の番だ。ネゴの巧みな話術で場は盛り上がり、3000万ドルから始まったオークションは、あっというまに1億ドルへ。ここで冷やかしが全員パドルをさげ、本命だけがパドルを上げる。手に汗を握るオークションの駆け引きの末、歴史上最高額2億3000ドルで落札された。同時に梱包された「ナンバーゼロ」は、待機していたトラックに乗せられ会場を後にする。その後、トラックのすり替えが行われる。偽物は、落札者の指示通り、パリへ出発していった。
「アノニム」から張英才に届いたメール。香港学生運動集会へ行って、そこでスピーチをやるよう指示される。数千人が集まる会場に行ってみると、すでに根回しは終わっていて、彼は三番目のスピーカーとしてステージに上がる。昨日「アノニム」から届いて暗記したスピーチは、興奮のまり飛んでしまい真っ白の状態。ステージで立ち尽くす彼のもとに届いた次の指示。「昨日のは忘れて、このスピーチを読め」。添付されていたのは、白紙の原稿だった。張英才は、自らのアートへの思い、一人ではなにもできないかもしれないが、何もしなければ何も起きないのだ。一人は小さな力ではあるが、みんななら世界を動かせる。そして自分はアートの力で、世界へのドアを叩き続ける。大きな歓声を拍手を受けてスピーチを終えた彼の後ろ、ステージの緞帳があがり、そこに張られていたのは、なんとあの、2億3000万ドルの「ナンバーゼロ」のオリジナルだった。
アノニムは、またしてもあるべき人のあるべき場所へ、アートを届けたのである。
美術大学に、アート協会の支援を受けた張英才は入学し、恋人の玉麗と一緒に絵画を学ぶ。その教室の後ろには、あの「ナンバーゼロ」が壁一面に張ってある。
その横に小さなプラスチックプレートに「アノニム(作者不詳)」の札が貼られていた。
原田マハの作品は、アートに覚えがなくても、知らないうちにその世界に手を引いて入れてくれるような、筆の力を持っている。ハラハラ、ドキドキするオークションのシーンから軽妙洒脱なアノニムチームのやり取りや会話。007なみのガゼットまで屈しして盗難を行うが、彼らはそれぞれに、業界は違えど、大変なお金持ち達で、金を目当ての美術盗難等ではないからこそ、その会話はますます軽妙洒脱で、盗難が楽しそうでならない。
香港における時代背景も描きながら、絶妙なミステリーに仕立て上げた原田マハに、またしても「乾杯!」
「もし犯人が、本当は11個しかないのに、爆弾は12個あると脅迫してきて、
どれだけ探しても11個しかみつからなかったら、私たちは、ありもしない
1個の爆弾を、延々と探し続けなければいけない」
この方がテロだ。