「シナの食人習慣」と「孔子の教え」 | 人差し指のブログ

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『 中国人韓国人にはなぜ 「心」 がないのか 』

加瀬英明 (かせ ひであき 1936~)

KKベストセラーズ 2014年5月発行・より

 

 

 

 儒教が怪しい、胡散(うさん)臭いものだと、はじめて、気付いたのは、大学に進んだころだった。

 

 

 私は、孔子が生きた春秋時代(紀元前七七〇年~紀元前四〇三年)について、孔子が出入りしたどの宮廷にも、宦官(かんがん)が多くいたことを知った。

 

 

春秋時代と呼ばれるのは、孔子の教えを編纂(へんさん)した、儒教の経典の 『春秋』 から、きている。

 

 

 

 儒教が、美しい言葉を並べて、うわべを飾り立てているが、見せ掛けのものではないかと、思った。

 

 

 孔子は、『孝経』 のなかで、(略) (髪の毛の一本一本から、膚(はだ)にいたるまで、親から貰った身体だから、あえて、これをいささかも、傷つけてはならない)と、教えている。

 

 

 これは、孔子の多くの教えのなかで、もっとも有名な言葉だろう。

儒教のなかで、もっとも重要な教えと、なっている。

 

 

 

 『孝経』 は孔子の十三経の一つで、儒教の根本理念であり、徳の基本について、述べた経典である。

 

 

 では、孔子がそのように、ほんとうに信じていたのだろうか?

 

 

 宦官は若い男性の生殖器を切除するのだから、残酷きわまりなく、宦官は、皇帝や、皇帝の女が住む、後宮(こうきゅう)で執事をつとめたり、身の回りの世話をするだけでなく、しばしば、君主の重要な補佐役として、仕えた。

 

 

 それにしても、宦官制度は、非道きわまるものだった。

 

 

 長いあいだにわたって、麻酔もなかったし、十分な消毒、殺菌も行われなかったから、生殖器を切除する時には、想像を絶する苦痛に耐えねばならなかった。

 

 

ほとんどが、生命を失って、生殖機能を奪う宮刑を受けた者は、

五人に一人ほどしか生き残れなかったという。

 

 

 

 もっとも、ヨーロッパのキリスト教会にも、一八七八年まで宦官(ユーニック)が存在した。

 

この年に、ローマ教皇レオ十三世が、宦官制度を廃止した。

一八七八年というと、明治十一年に当る

 

 

日本で、ヨーロッパ文明に憧れている人々は、はたして、この事実を知っているだろうか?

 

 

 

 そのうえ、中国では、人を食べる食人習慣が、ひろく行われていた。

 

 

 豚や、牛や、鶏、犬を食べるように、人肉を何ら罪悪感もともなわずに、口にしていた。

 

 

 遠征する軍隊は、携帯食料として、食用人間の群れを、連れていった。

敵を捕らえたら、食べてしまった。

 

 

 毛沢東が発動した、人民文化大革命(一九六五年~一九七五年)の時には、紅衛兵たちが、造反有理(ぞうはんゆうり)を叫びながら、殺人を働き、その肉を貪(むさぼ)った。  何が、文化大革命なのか。

 

 

 文化大革命は、四十年前のことである。

 

つい、このあいだのことだ。その後、食人習慣がなくなったとは、信じがたい。

(略)

 

 孔子が、仁や、義や、恕(じょ)(人を許すこと)や、徳などを、もっともらしく説いたが、支配階級の人々とのあいだだけに、適用されるものだった。

 

 

 儒教の高邁(こうまい)な徳目は、仲間うちだけのものだった。

 

とくに 仁は慈(いつく)しみ、他者への思いやりを意味している。

 

 

 だから、人民であれば、男のもっとも大切なところを、いくら切り取ってもよかったし、空腹をみたすために、いくらでも殺して、食べてしまってもよかった。

 

 

 中国では、民草はいくら刈っても、また、生えてくるものだから、殺しても、

煮ても、焼いて、食べてもよい、存在であってきた。

 

 

 ところが、日本では、民草は慈しみ、守るべき、対象であってきた。

 

 

 日本のように、万民が人として、それぞれの人生を生きた文化ではないのだ。

 

 

 私は、孔子が仁を説いているのにもかかわらず、宦官制度や、食人習慣を、一度たりとも批判しなかったことに、中国社会のおぞましさを、垣間(かいま)見た思いがした。

 

(略)

 

私は、1999(平成11)年に、埼玉県にある、安岡正篤(やすおかまさひろ)記念館から、講師として招かれた。

 

 

安岡正篤氏は、昭和の儒教の哲人だったが、日本の多くの政財界人から、儒教の師として仰がれた。

 

 

池田勇人、佐藤栄作首相をはじめとする政治家が、師事していたことによっても、知られている。

 

 

 私は、儒教について書いたり、話していたことがあったために、一時間半、講演する依頼を受けた。

 

 

はじめ、「でも、儒教について、悪くいいますよ」 といって、辞退したが、

「どうぞ」 ということだったので、喜んで引き受けた。

 

 

 講演で、宦官制度と、食人習慣があったのにかかわらず、孔子によるどの経典を、ひもといても、孔子が批判したことが、まったくないと、指摘して、儒教は対象を特権階級に限っており、ひろく人の道を説いたものでか、けっしてないと、説いた。

 

 

 私は聴衆に、親から贈られた、大事な体をたとえ髪一本であっても、損ねることがあってはならない、と戒めながら、男の大切なところを切ったり、丸ごと食べてしまうとは、いったいどういうことなのだろうか、と質問した。

 

 

 そして、古書によれば、孔子が好物として、人肉を発酵調味料に漬(つ)けた醤(ひしお)を、毎日、食べていたことに触れた。

 

 

孔子がもっとも愛していた弟子だった子路(しろ)は、内乱にあって、敵にたべられてしまっている。

 

 

 子路は、孔子の十人の直弟子である。十哲の一人として、有名である。

 

 

 

 注・人差し指~子路の屍(しかばね)が敵によって塩漬けにされたと聞いた孔子は、家中の塩漬類をことごとく捨て、それから一切、それらは食膳に上らなかった。( 山本七平著 「論語の読み方」 より )

 

 

 

                                        

 

 

「宗教が生まれた場所には、その宗教の主張とは反対の状況がある」 と渡部昇一が言ってます。2018年6月5日に 「宗教はなぜ生まれたのか」 と題して紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12366245695.html

 

 

 

文化大革命のときには多くの人民が死んだ。でも墓がない・・・・?。

「食べたんでしょう」 と中国人に聞いたら 「・・・・よく分かりましたね」

2017年5月10日に 「文化大革命と人肉食」 と題して日下公人の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12271881035.html

 

 

 

2017年3月29日に 『 「三国志」 と人肉食』 と題して 渡部昇一と日下公人の文章を紹介しました。コチラです。 ↓

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12241666520.html

 

 

 

2017年10月17日に 「中国の過剰な人口と戦乱」 と題して宮崎市定の文章を紹介しました。コチラです。

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12318901769.html

 

 

 

2017年7月29日に 「孔子の教えと中国共産党」 と題して山本夏彦の発言を紹介しました。コチラです。 

https://ameblo.jp/hitosasiyubidesu/entry-12295741865.html

 

 

 

朝霞(埼玉)の花火大会 8月4日 中央公園にて撮影