参考資料830 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

失楽園後の「アダムとエバの生涯」とは
「食べてはいけない知恵の木の実を食べて、エデンの園から追放されるアダムとエバについても「創世記」が教えてくれることは意外に少ない。追放されたあと、彼らはどうなったのだろう?
「創世記」が教えてくれるのは、アダムとエバの子カインとアベルが反目し合い、カインがアベルを殺し、神に罪を追及され、カインがノド(さすらい)の地に追いやられたことくらいである。エデンの園を追われてから、アベルの代わりにセトをさずかるまでの間、アダムとエバがいかなる艱難辛苦をなめたかを語ってはくれない。
「ヨベル書」からちょっと離れるが、寄り道をして、この点についてもふれておこう。
『旧約聖書』の偽典「アダムとエバの生涯」は、エデンの園追及後の二人の行状を詳しく紹介している。地上に追放されたアダムとエバは、神の戒めを破って知恵の木の実を食べたことを痛切に悔やむ。とくにエバの悔恨の情は深かった。彼女のすすめで夫のアダムも知恵の木の実を食べ、楽園を追放されてしまったからである。
 二人は、くる日もくる日も神の怒りがとけることを願って祈りつづけた。そして、子のセト(=セツ)に、彼らの苦しみの日々を語って聞かせるのだった。

「私とお前のお母さんが楽園から追い出されて後のことだが、一緒に祈っていると、神の使いである天使長ミカエルが私のところにやってきた。
そして、私は風のような車を見たが、その車輪は火であった。
そして、私は義の楽園に連れ去られた。
そして、主がすわっておられるのを見たが、その姿は、燃え上がる、耐えがたい火であった」(25節)

 厳しい姿の神が、アダムにこう声をかける。

「見よ、そなたは神の命令に背いたゆえに死ぬであろう。
そなたの意に服させるべきものとして私がそなたに与えた妻の声のほうをそなたは聞き、そして彼女の言うことを聞いて、私の言葉に背いたからである」(26節)

 神の言葉を聞いたアダムは、地にひれ伏し、許しを乞うた。
 すると神は、言われた。

「私に仕えるため、お前の子セツをとりあげることはないであろう」(27節)

 その言葉を聞いて、アダムはふたたび地に身を投げ、感謝の意をあらわした。
 天使長ミカエルが、ひれ伏したアダムの手を取り、ふたたびアダムを楽園から地上へと導いた。こうして地上に戻ったアダムは930歳になった時、自分の日が終わるのを知って、子どもたちを枕辺に集め、彼らへの最後のメッセージとして、みずからがなした恥ずべき行為と神から受けた罰について語りはじめた。

「主なる神が私たちに対してお怒りになり、主は私に言われた。
『そなたが私の命令を棄て、私がそなたに念を押しておいた、その私の言葉を守らなかったので、見よ、私はそなたの身体に、七十の傷を入れる。
そなたは、頭と目と耳からはじまって足の爪に至るまで、身体中どの肢体も種々な苦痛に悩まされるであろう』」(34節)

 アダムは、七十の傷が子孫全員に与えられた体罰であるとも述べた。
 それを聞いて、エバが泣きながら言った。

「私の神なる主よ、あの人(アダム)の苦しみを私の中に移してください。
罪を犯したのは私なのですから」(35節)

 すると、アダムが言った。

「セツと一緒に楽園の近くまで行き、自分の頭に塵をかぶって地に身を投げ出し、神の御前で嘆いてくれ」(第36節)

 エバは、アダムに言われたとおり、セツをともなって楽園を望む地に向かった。その途上、また悲劇が彼らを襲った。突然蛇が現れ、セツにかみついたのだ。
 エバはそれを見て泣いて嘆いた。

「『ああ、私は何と哀れな女なのかしら。
私は、主の命令を守らなかったので呪われてしまった』と言った。
そして、エバは蛇に向かい、大声で、
『のろわれた獣め、どうして神の似像に立ち向かうことを恐れず、あえてこれと戦うのですか。あなたの歯はどうしてそんなに強くなったのかしら』と言った。
獣が人の声で答えた。
『エバよ、俺たちの悪意がきさまたちに向けられていないとでもいうのか。
俺たちの凶暴な怒りは、きさまたちに対するものではなかったか。
さあ、エバよ、言ってくれ。
主なる神が食べてはいけないと命じた、あの実を食べようとして、きさまの口はどのように開いたのだったかな。
今、俺が、きさまをあなどりはじめたなら、きさまはこれに耐えられないのではないかな」(37~38節)
 
 気丈にも、エバは獣を叱り、神の似像(セト)から離れるよう命令した。
 危機を脱したエバとセツは、死の床のアダムを救うべく、聖なる油を求め、楽園の入り口にひれ伏し、頭に地の塵をかけて一心に祈った。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より

感想
前回も述べたが、偽書でもシンクロニシティーを起こす可能性があるので正典と同じ扱いで考察する。
(イエス・キリストが自分は旧約聖書に書かれているメシアであると言って、実際に預言通りに死んで復活したが、他の部分などを調べるとシンクロニシティーレベルでかなり違っていた(比喩みたいになっている)。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12044464992.html(「富める者とともに葬られ」てはいないね。)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12044859324.html(「わたしの手と足を刺し貫いた」とあるが「死ぬ」とは書いてないね。旧約聖書「詩篇」第22章16節)
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12042577775.html(酢と酒は違うね。)

「知恵の木の実」を「悟り・解脱」、「蛇」を「クンダリニー」と感じたのは私だけだろうか。

補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12040264416.html

おまけ