日本庖丁道清和四條流・師範の許状をいただきました。
何度も庖丁式や料理のはなしを書いているが、
改めて庖丁という文化について書き残しておこう。
庖丁とは日本人なら誰しもが一様に通じる名前だが、
この呼び名は日本人にしか通用しない。
中国では菜刀という。
どちらかというと、道具の意味としては
菜刀のほうがしっくりとくる。
「庖丁」とはもともとは紀元前の春秋戦国時代、
秦の始皇帝が中華統一を果たすまでの
戦乱のさ中の人物の名前である。
庖丁(ホウテイ)。
とはいうものの
道教の始祖の一人、荘周が記した書、
「荘子」の中に出てくる架空の人物ではあるが。
「庖丁」が人物名であるのに、
かの料理に使う庖丁の名前となった
日本での詳しい経緯は知るところではないが、
逸話の中で伝説的な庖丁さばきの名人に
敬意をはらって、彼が使用した道具に対して
「庖丁」と呼ぶことにした、
これが妥当なところだろうか。
荘子の逸話中のホウテイは
魏の恵王の前で見事に牛をさばく。
感心する恵王はホウテイに
その極意をたずねる。
ホウテイは答える。
菜刀使いの技以上に
道を極めることで
強引に力任せに切らずとも
見るものを魅せるような音楽を奏でるかのような、
刀使いができるのだと。
恵王はこれを聞いて無理をしないことが
人生において良い事と心得た。
(意訳です。正確に知りたい人は荘子を見てね)
まあ、
道教の聖典にあたる老子・荘子を読むとこういった
無為無策、自然まかせみたいものを
良しとするような感じの哲学だから、
ホウテイの話の結末もさもありなん。
春秋戦国時代やそれ以降も断続的に
日本へは人々が渡来してきていることは
遺跡の数々からわかっている。
そうした戦乱を避けて、または亡国の末に
日本へと渡来した人々の中には
儒家・道家や諸子百家の学者もいたであろうことは
想像に難くない。
荘子という哲学思想書の物語を
いったいいつの時代から古代日本人が
知っていたのかしれないが、
平安時代には藤原中納言山蔭をして、
庖丁式の始祖とされているから、
1200年前にはすでに
荘子を基にしてホウテイの逸話から
「庖丁」が日本文化の中で名詞化しているのである。
(清和四條流・家元庖丁刀、近江神宮饗宴祭にて)
庖丁式で使う庖丁は
「庖丁刀」という。
ホウテイの刀である。
まさに荘周が記した、
道教の聖典・荘子の逸話を
日本語と日本文化の中に保存しているのである。
現在の中国人にとって
荘子は単なる哲学書のひとつなのかもしれないが、
ぜひとも中国人も古代春秋戦国時代の1ページを
自らで文化継承することを考えてもらいたいものだ。
あとがき
庖丁の由来論議は多々あって、ホウテイは人物名ではなく役職の名前である、や、庖という役職の丁という名前の人だったとか、庖という名前の丁という役だったとか。細々したことはややこしくなるが、庖丁の初見は荘子であり、現在日本人はいわゆる料理に使う刀は庖丁とよび、庖丁式に使う庖丁は庖丁刀と呼ぶことは紛れもない事実である。