水巡饗土Sui-Jun Kyō-Do  ~川西たけしのブログ~

水巡饗土Sui-Jun Kyō-Do  ~川西たけしのブログ~

近江八幡で寿し割烹と日本料理を楽しむお店「ひさご寿し」

料理長のかわにしたけしが料理のことや、近江八幡のこと、営業日誌などを徒然なるままに書いとります。

料理人という仕事はすばらしい経験ができる素敵なしごと。出会いと機会にありがとう。

 

  水を巡る旅

お盆の繁忙期を終えて一呼吸。

今年は妻娘と親子旅。


支笏湖 然別湖 白金青い池。
どこもキレイで観光名所。

山に降り注いだ水が北海道のいろいろな森を経て集まる。

(支笏湖から流れ出す千歳川河口、ブルーとグリーンが綺麗)

 

 

最初に訪れたのは支笏湖。

天気と条件が良ければ支笏湖の遊覧船で湖中を観察できるのだが、残念ながら風のため欠航。

 

支笏湖は新千歳空港から車だと小一時間の距離だから、人気スポットになっていて、8月末のド平日で天気が悪いながらも、支笏湖ビジターセンターの周りはけっこうにぎわっていた。

 

周辺の山々から支笏湖に向かって水が流れ込み、千歳川が唯一の流出河川。

 

なんか琵琶湖と似ているな。

 

最大水深は琵琶湖の4倍深くで360mほど、貯水量は琵琶湖に次いで日本2位であり、琵琶湖の水量と比較すると4:3という。

 

千歳川や支笏湖はウォーターアクティビティもそろっていて、カヤックやサップ、シュノーケリングをやっているグループが、曇雨の中でもいてる。

 

観光地らしく食事処やテイクアウトのB級グルメもそろっているが、迷わず支笏湖の淡水魚を食べられるお店に向かう。

 

 

 
(支笏湖ビジターセンター前のお店。北海道らしい酪農アイスがいろいろとB級グルメのショップは、ちょこっと食べるに最適)
 

 

  北海道の淡水魚を食べる

 

琵琶湖の固有種ビワマスと比べるとよくわかる。

今回食べた2種の淡水魚。

 

まずは支笏湖のチップ。

そして然別湖のミヤベイワナ。

 

 

支笏湖は近代に阿寒湖から放流された紅サケの陸封種ヒメマスがそのまま固定し、「チップ」という名で名物になっている。地域の漁業・観光・食文化資源として、ちゃんと保全されている。

 

琵琶湖と同様に支笏湖は、千歳川から石狩川へとつながり、最終的に日本海とつながっているが、ダムや急流によって支笏湖まで遡上できる環境にはない。なので、チップはもう何世代も支笏湖とその流入河川でのみ暮らしている。

 

 

さてそのお味は?

すし屋さんのような和食屋さんがあって、チップの料理がいくつかのメニューになっている。

チップの塩焼き。

身離れが良くて食べやすい。一般的なサーモン香ではなく、ビワマスやニジマスでもなく、柔らかく個性のある香り。

チップのにぎりと、酢味噌和えにした軍艦。

 

魚体が小ぶりであるが、若干のうっ血した身質が旨味を上げている。シャリが温かく柔らかい仕立て。

 

ヒメマスは魚食性が薄い。エビ類と動物プランクトンに加えて、水面に落ちる陸生昆虫も食べるところが、その味と香りにつながっているのだろう。

 

支笏湖のチップは森の枯葉のような香りと旨味があって、ビワマスの香りとはまったく違うものと言っていい。その身質は小型にもかかわらずビワマスに比べて筋繊維がしっかりしている。この身質はやはり本種の紅鮭と共通するもので、ビワマスとの違いを感じるところ。

 

あとは魚食性のあるビワマスが小鮎を食べて非常に脂がのるのに比べて、魚食性のうすいチップやヒメマスはあっさりする。それは支笏湖の水がそもそも軟水で貧栄養状態であることも影響が大きく、まさに水がチップの味を決めていると言っても過言では無い。

 

 

 

  高度810mの然別湖の水

昼ごはんを終えて、グイっと移動。

 

(十勝平野の白樺とキャベツ畑)
 
(天気予報はかなり悪い中での晴れ間とテンサイと玉蜀黍)
 

十勝から山間部に入って然別湖へ。

 

山を上がっていき、然別湖が現れるとすぐにあるのがコレ。

インスタでバズったらしい場所。

千と千尋の神隠しの水中線路に見えるという事らしい。

うちの娘ご所望のスポット。

かなり山奥にもかかわらず、他にもうちの娘ら世代のグループもいたり、他にも。天気悪くて平日でこれなら、土日はすごい人なのだろう。

 

(宿からの日暮れの然別湖の景色)

然別湖には温泉があって、旅館というかホテルある。

けっこう年期ものの建物ながら、ずっと手入れや改装をしながら綺麗に保たれていて、丁寧さがいたるところに見える。旅館で働いていた身ながら、心地がいい宿。

 

 

さても夕食にはこの然別湖固有種のミヤベイワナが出てくる。

 

オショロコマという北海道で広く生息している淡水魚の亜種で、柄や色はオショロコマと近い。

 

さてそのお味は。

然別湖のミヤベイワナは小鮎のようなコクがありながら、愛知川上流のイワナのようなしっとりとした身質を持っている。

 

ミヤベイワナは然別湖に行くなら、特に料理人は食べるべき魚と言える。

 

ミヤベイワナもビワマスと同じ陸封型で、身質と香りは然別湖の動物プランクトンと水中生物に由来し、わずかな脂をまとっている。チップと違い特にミヤベイワナは他の小魚や水中生物を好んで食べるらしく、それがそのまま味わいの違いにもなっている。

 

高度810mという然別湖の環境もまた、流入する水質に影響し、支笏湖と同様に貧栄養ではあるものの、硬度は琵琶湖と同程度である。これは宿の横に小さな流入河川があり、その水質は鉄分が強く、また宿の源泉も鉄分とわずかな硫黄を含む温泉であったことから、然別湖は支笏湖よりも硬度が高い。

 

こうしたことから、ミヤベイワナの香りは渓流のような爽やかさではなく、キレの良い透明感、森や木々の景色感は魚体の香りにはない。それはそのまま然別湖の水深の深さと貯水量の豊富さゆえの水の風合いと言える。


 

北海道の淡水湖は琵琶湖に比べて水質は栄養に乏しい。それは清流のように混じるものが少ない水。そこに育つ天然のサケ・マスの味わいは、明らかに森と土と水に生きる者たちの淡い記憶。

 

ビワマスの味と比べたとき、その違いの大きさにこそ旅の意味がある。

 

ただしどんなに透明度が高くきれいでも、淡水魚の料理がおいしくとも北海道の自然淡水を生水で人間は飲んではいけない。

 

エキノコックス感染症に注意しなければならないからである。

 

 

  飲めない天然水

 

支笏湖、然別湖に限らず、北海道での生水はエキノコックス寄生虫の感染症に注意しなければならない。

 

かつて礼文島に持ち込まれたキタキツネを仲介者として、礼文島で200人の死者を出したこの感染症。離島という条件下を活かして、島内での撲滅作戦が行われて礼文島ではエキノコックスはいなくなったが、北海道本島には別ルートで1960年代に持ち込まれた。

 

これによって1990年代には北海道全島に広がる風土病として定着してしまい、現在は北海道で生水を飲むことは非常にリスクが高い。全島のキタキツネの40%でエキノコックスに感染していると調査が出ているからである。

 

肝吸虫でもそうなのだが、感染即死亡ではない。エキノコックス感染については血清検査で調べることができ、除虫薬も開発済みであることから、疑わしいことがあればソッコーで検査をお勧めしたい。

 

 

生水が飲めないケースは他にもある。

(悪天候スケジュールの中、わずかに晴れ間が出た「白金青い池」)

 

もはや観光バスが何台も入れるように駐車場と道が開発され、アクセスが簡単になっている白金温泉の下流にある「青い池」。温泉成分に含まれる水溶性アルミニウムが日光に当たると青く見える。この温泉成分が飲むことができない理由である。日本各地には様々な温泉が火山近くにはあって、その鉱物資源が含まれる水は飲めないものが多い。

 

 

 

滋賀に暮らしていると、まだまだ山間部の湧き水、生水は飲める水として捉えられていることが多い。琵琶湖の水でさえ、湖水浴と水泳の最中に飲み込んだとしても、恐怖心はほとんどないだろう。だが道民の人たちにとって、きっと生水や淡水に対する感覚は、琵琶湖周辺と大きく違うだろう。

水巡饗土。

 

北海道には北海道の、そして滋賀にはやはり滋賀の暮らしが映し出される。


 

 

 
 
 
 

 

  琵琶湖のゴリ=ウロリ

7月20日から解禁された琵琶湖ウロリ漁。

このブログでビワマスと寄生虫の情報についての記事が年間を通して、最もアクセスの多いものになっているが、琵琶湖のゴリ=ウロリ、についての記事も毎年時期になると多くの人が情報収集に使ってくれているようだ。

 

ゴリ=ウロリとは、ヨシノボリ数種、ウキゴリ数種、ヌマチチブ、イサザ、これら淡水のハゼ科の稚魚の総称である。

 

通常ハゼ科は湖底や川底に住んでいたり、ヨシノボリという名称通り植物にペタッとくっついている。

 

だが、稚魚の時は水中に浮遊するように生息しており、琵琶湖ではそれを沖曳きするのである。

 

 

「ゴリ」という呼び方はいろいろな魚種に割り当てられてることも多く、有名な金沢の「ゴリ料理」のゴリは「カジカ」というのが正式な名前で、琵琶湖にもカジカは生息している。

 

また、琵琶湖流域文化圏において「ゴリ」≒「ウロリ」である。

 

これは琵琶湖以外の流域では浮遊するウロリを漁獲するのは困難なため、底に生息する成魚を網や仕掛けで漁獲することになることになるから、まったく同じと言えないのはそのためである。

 

 

琵琶湖流域文化圏とは、琵琶湖とそれに連なる河川を水源として生活する文化圏で、滋賀、京都、大阪、兵庫で合わせると1400万人程度に及ぶ。

 

 

  ウロリを美味しく食べる料理

 

 

琵琶湖釜揚げシラス ウロリの小鮎冷や汁仕立て

胡瓜の水玉献の下に釜揚げウロリが入る。

釜揚げだけをつまみにしたり、どんぶりにするのはもちろん美味しいのだが、いわゆるイワシの釜揚げシラスを作るのとは色々と勝手が違う事を、湖魚を扱う料理人は知っている。

 

魚体の塩分濃度や香り成分など、美味しくするには必要なことがある。

 

もっとも一般的なウロリの料理は佃煮である。

これも水揚げから何時間で鍋に入れるのかが、味に影響する。

理想は3時間以内。

魚体が小さいためやはり4時間以降からダレ始める。

翌日に料理することは不可能と言っても過言ではない。

 

入荷時のウロリ。

 

 

琵琶湖のシラスとビワマスヅケ重

hisagozushi origine2015

 

ビワマスがおいしいことはもはや有名になりつつあるが、ウロリについてはまだまだ知られていない美味しい琵琶湖の一つ。

 

だが、これもまた日本中の人たちのおなかを満たすにはあまりに希少な食べ物。

 

せめてジモティーはこのおいしさを子供たちにつないでおきたい。

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ご縁あって、比叡山で千日回峰行をされている阿闍梨さんに随行して比叡山を回峰してきた話。
 
別に出家したいわけではないのだが、これもなにかのご縁なのかせっかくのことなので、ご一緒させてもらった。
 

 

昭和戦後の行満された大阿闍梨は13人だけ。

今、山で行をされている方は来年に「堂入り」という。

 

 

 

 

そもそも知らなかったから好奇心しかない!
 
千日回峰行者の阿闍梨さんは普段どこにいるのか?
毎日何を食べているのか?
山の上のお寺暮らしはどんなもんなのか?
インドから持ち帰った菩提樹のお数珠を持って。
宝珠院を訪ねる。
 

 

  千日回峰行をいっしょに回る

ネットを検索すると「千日回峰行は行者一人の修行のため、回峰行に同行することはできない」と出てくる。

 

ところが宝珠院や他の比叡山無動寺谷の寺院にのこる日記や宿帳に、信者20~30人が寝泊まりし、阿闍梨さんと回峰行に随伴していた事実がのこっているようだ。

 

事実、私も阿闍梨さんからもその話を聞いており、宝珠院の座敷に男女廊下を隔てて部屋別で泊って、わりとぞろぞろとついて行ってたとの事。

 

無論、だれしもが参加できるイベントではないわけで、阿闍梨さんの修行と加持祈祷を妨げるようなことはあってはならない事が前提である。

 

私に至っては特別に信者というわけではないので、たまたまのご縁。山歩きは多少慣れていることもあって、お話をいただいたときに「ぜひとも」と。

 

 

  回峰行の道

阿闍梨さんが出立するのは午前2時。

 
その前にご自身が住職をされている宝珠院のご本尊の前で
午前1時半くらいから真言を唱えてはります。
 
阿闍梨さんが回る比叡山の山道ルートのことを無動寺回峰という。
 

比叡山の中心的な観光エリアは

国宝・根本中堂がある東塔エリア、

西塔や横川という修行が主なエリア、

簡単にいうと3つがメインである。

 

千日回峰行をまわる阿闍梨さんが日頃いてる場所は

根本中堂から歩いて10分ほどの「無動寺谷」

と呼ばれるエリアにある。

 

10分の道のりは決して険しくはないのだが、

観光案内などもちろんない。

あるがままでひっそりと静寂の中にある。

他の世界遺産と比べて大いに違う。

 

そこは

全国の行者が本尊とする不動明王の寺

「無動寺明王堂」があることから無動寺谷。

 

無動=不動だから、まあそういう名前なのだろう。

 
阿加井の水をくみ上げ、明王堂の前で加持祈祷の儀式をし、
山中の随所で加持祈祷を行いながら、
急登約20分ほどで東塔エリアに入る。
根本中堂とその周辺では特にその加持祈祷の場所も多く、
次いで、稜線沿いに山王院、浄土院と続く。
 
西塔エリアに入り、
漆黒の闇の中でにない堂を抜け、釈迦堂へ。
 
 
 
そして比叡山から京都の街が見える場所、
「玉体杉」に到着したのは4:00。
街の明かりが綺麗に見える場所。
 
 
ここから京都御所へ向かい
最大ボリュームで加持祈祷が行われる。
 
 
 
さらに横川エリアに向かい
志度門をくぐるころ、やっと薄明るくなってくる。
 
 
元三大師堂につく頃にはしっかり明るくなっている。
 
 
横川を過ぎると
山王総本宮日吉大社の奥宮牛尾宮を通り
麓の東本宮・西本宮へ下ってゆく。
 
 
牛尾宮から見える坂本の町並み。
 
磐座の前にはオオヤマクイの牛尾宮とタマヨリヒメの三宮宮が
並び立っている夫婦の社。
 
 
 
麓の滋賀院を抜けて、最後は無動寺谷を一気に上がる。
最後の登りだけにペースが中々上がらない。
阿闍梨さんはすごいスピードで。
 
 
約5時間半の山行。
 
宝珠院に戻ってくるとお風呂をさっといただく。
行者さんなら剃髪と着替えも含めて10分らしい。
烏の行水スピード。
 
宝珠院の廊下にあるこれまでの回峰行者の方々の直筆。
「北嶺行者」というのが比叡山での回峰行者の言い方のようだ。
 
朝食をご一緒させていただくのだが、
この玄米と汁と素朴な精進料理が体に染みる。
 
ご飯を頂きながらの素朴な話も心地いい。
 
そうして、また伺うことをお伝えして帰り道。
行者道とは別にある無動寺谷から根本中堂までの道を帰る。
 

 

 

 

  比叡山の中にあるもの

 

千日回峰行はNHKのドキュメンタリーやネットを介してたくさんの情報を探せばみつかる。無動寺谷回峰道も、別に立ち入り禁止でもないから、だれでも入ってあることもできる。
 

ご縁さえあれば、阿闍梨さんに随行して回峰行の1日とはどんなものなのかを疑似体験することもできる。

 

秘密のようなことは実のところそんなにないのかもしれない。

 

普通にどの家庭でも会社でもお店でも、そこにはその家の尊重されるルールがあるだけで、無動寺谷の阿闍梨さんに出会いたければ、知人に紹介してもらうだけのことなのだ。

 

ただ

AIにたずねて出てくる文字と画像を追っているだけでは感じられない。万博でも大いにテーマになっていた「没入感」から得られる実体験は、日本で最も古典的なところからすでに始まり、そしていまも続けられている。

 

だれでも体験可能なものなのだ。

(木の芽入り鯖寿し  器:古九谷寿楽窯)


いやはやこの鯖寿し・上方寿しのメカニズムについて書いたのは2021年のことで、もう5年も前だったのか。

 

テーマごとに書いてゆくとした割に、散逸したままだったので今一度まとめようと思う。

 

 

 

  今は鯖寿し黄金期

おおよそ「さばずし」と名前で呼ばれるものは日本でいろんなバリエーションが作られ、どのお店の味にもおいしさがあって、これはもう日本全国の食文化となった、と言っても過言ではないだろう。

 

もともとは上方を中心に、高知の皿鉢料理など、地域食、郷土料理の一つとしてあったものが、外食メディアと食品加工技術の発展とともに全国に波及したと言えるだろう。

 

今や高級料理屋からSAのお土産コーナーまでTPOを選ばない。

 

鯖の品質、塩と酢の締めかたの違い、シャリの違い、昆布のあるなし、中具のあるなし、食べ方の違いなどなど、千差万別で、50年前に生きてた鯖寿し好き人からすれば、きっと羨ましがるのではないだろうか。

 

また鯖寿しの亜流の一つ「焼鯖寿し」も、もはや亜流どころかそれが「鯖寿し」と思っている人がいるくらいに広く食べられているし、ジャンルとして確立されている。

 

そんな中で、ひさご寿しが創業来作り続けている「鯖寿し」をカテゴライズするとすれば、熟成型といえる。

 

これは前回のブログで2番目に挙げていたテーマだ。

2と4のテーマの深掘り。

 

今回は熟成型と、それを楽しむ方法について。

 

 

 

 

一方、1番目に挙げていたテーマの「米の種類と保存期間」等、3番目「炊飯から調味と練りあげ」については別途のブログで一度に紹介した。

 

 

 

  熟成型「鯖寿し」とは

(鯖寿しとならぶ名物「びわます棒寿し」)

 

熟成型鯖寿しとは、鯖が漁獲されてから熟成させることによって、旨味や香りが変化し増したものと定義できる。

 

また、熟成型は食品衛生的に保存性が高く、非加熱生食品ではあるものの、常温で3日間は食べてもらうことができる。

 

なので、伝統的に祭の大皿料理として数日間食べられたり、お土産として遠くに運ぶものとして定着してきた。

 

1日目は出来立てのおいしさを

2日目は味の変化したおいしさを

3日目は焼鯖寿しにして味変のおいしさを

 

 

 

だが時代の変化とともに、鯖の鮮度を良い状態で手に入れることができるようになって、現代的にはまるで鮮魚ままの香りや味わいをシャリの乗せたものが高級料理・すし店で主流となり、古典的な熟成型は徐々に作ることができる料理人が減っている。

 

 

一方、お土産や通販、SAなどでは、出来立てを食べてもらえないこともあって、熟成型と焼鯖寿しが主流といえるだろう。

 

 

鯖寿しを作る工程を分けると次の通り。

 

 

1.鯖を3枚おろしにさばく

2.塩で締める

3.酢で締める

4.シャリをこねて隙間を少なくする

5.締めた鯖と合わせて棒状に形成する

(6.白板昆布の甘酢漬けをかぶせる)

 

 

 

そもそも熟成はどこにあるのかというと

1と2と3と4の、それぞれの間にある。

 

 

 

  熟成型の核心

少なくとも2日以上はかかるだろう。

熟成型という上方寿しの伝統技法の核心は。

 

例を鯖寿しにして例えるとして。

 

 

鯖全体に均等な塩分濃度でなじむには時間がかかる。

なおかつ、酢で締める工程では若干の塩分流出が行われるため、そこからの全体均整がとられるのは、さらに時間がかかる。

 

こうしたことから、古典的な熟成型鯖寿しの鮮魚から仕上がりまでの時間経過を考えると、約5日程度がベストタイミングというところかもしれない。

 

 

鯖が漁獲されてからの流れで説明すると。

 

1日目

鮮度の最も良い状態。

魚体は最もフレッシュな香りを持っていて、細胞はまだ劣化があまり無く、タンパク質は旨味となっていない。高級料理・すし店においてはこの状態で市場から仕入れされることが多い。

仕入れた鯖を塩で締めて、約2時間程度。そこから酢を使って酢締めの仕上げが1日で行われることが多い。ただし、酢締めから1日寝かせてから寿しにすることが多く、この時間経過によって細胞内のATP(アデノシン三リン酸)はほどけて核酸イノシン酸というアミノ酸が生まれる。

 

一方、

伝統的な鯖の流通方法では、この1日目の時点で背開き内蔵除去の上、塩をして運ばれる。ここからすでに塩を使ったタンパク質の加水分解がスタートする。

 

以降は熟成型の工程。

 

 

2日目~3日目

熟成型はじっくりと塩分が鯖の魚体にまわる経過で、核酸イノシン酸他、タンパク質からアミノ酸への分解遊離が進む。

かつての物流で言えば、琵琶湖と陸の鯖街道を運ばれるタイムラインにあたる。

現代的には塩分調整を終えて、冷蔵庫で熟成させるタイミングといえる。

 

 

4日目

酢で締める。

どんな酢を使い、どんな酢酸濃度調整を行い、どんな糖度調整をするかは料理人によってかなり違うが、ひさご寿しでは加水した穀物酢を使い、加糖もする。

 

約20分~30分の酢締めなのだが、この締め酢には塩分濃度が無いため、この時間で若干の塩分が流出する。

 

こうして締めの工程が終わったものは、最低1日の熟成をさせる。

 

 

5日目

ここで初めてシャリと合わせた鯖寿しの完成となる。

以前のブログにも書いたが、棒寿しのシャリは程よく脱気させなければならない。

 

締めた鯖と合わせる前にシャリを練りこみ、シャリ同士の隙間を少なくするのである。この製法は熟成型の鯖寿しにおいて重要な工程で、おおよそ現代的な寿しの常識からすると信じられない料理人も多いことかもしれない。

 

理由については以前のブログで見てもらおう。

 

こうしたことから出来立ての味は初日のおいしさであるが、核心は鯖寿しに形成されてからの翌日である。

 

 

6日目

製造翌日の鯖寿し。

締めた鯖に残っている塩分が徐々にシャリに移行し、逆にシャリの糖分が鯖の水分を保水し、全体の味が調和してくる。

 

これが出来立ての初日や、鮮度良い塩分控えめの締め鯖で作った鯖寿しでは絶対に生まれない味である。

 

 

 

鮮度の良い鯖であれば、全体の塩分均整がとられなくとも、鮮魚として美味しいわけであるから、そくざま鯖寿しにしても美味しく食べることは可能である。こうしたことから、高級料理・すし店では海鮮型と言ってもいいタイプの鯖寿しが好まれる。

 

どちらが正しいとかではなくて、そもそも多彩な鯖寿しの在り方が広がっていて、食事のシーンやニーズを満たすアプローチがなされているに過ぎない。

 

 

そのほかにも照焼にした鱧を棒状にしてつくる「鱧棒寿し」も上方の寿しとして様々な料理屋・すし屋で作られる。

 

これもまた、シャリにする米の銘柄や熟成時間、製造方法は料理人によって大きく違うことから、その店ごとの料理人を楽しむ一つの指標といってもよいかもしれない。

 

 

10年考えてきた問いのひとつ。

 

郷土料理のおもしろさと豊かさが、世界遺産「和食~washoku」をつぎの世の中へとつなぐことができるのでは?

 

この10年の間にコロナ渦なんていう100年に1回のヤバい出来事もありながら、滋賀と郷土と日本というキーワードをぐるぐる考えてきました。

 

 

  ここ滋賀jack「ここ八幡」

「もうこれが東京で滋賀の料理を作るのも最後かなあ・・・」

なんて漠然なことを個人的に考えながら、日本橋「ここ滋賀」でのディナーの料理をみんなで作った夜。

 

思い出に残る一夜。

(奥村吉男の金柑鮒ずし)

 

 

ここ滋賀が滋賀県のアンテナショップとして開業したのは2017年。

 

オープニングにビワマス特集ディナー、1周年記念ディナーは近江商人のナラティブとジビエの会席、そしてコロナ渦でしたが2022年は「湖魚づくし寿し割烹」で12種のにぎりコース。

 

どれもこれも滋賀と琵琶湖を伝えるための料理を考えて、いろんな人たちに助けてもらいながら、特別な体験をさせてもらってきました。何もかもありがとうございました。

 

 

 

2024年の4月、仲間4人が地元観光物産協会総会の二次会で飲みながらノリで発想した瞬間。

 

「いっちょここ滋賀をjackしたろけ!!」

「ここ八幡や!」

 

 

まあそんな簡単なことでは無いにしても、仲間で飲んでたらそういう冗談も出るというもんです。

 

話がひろがって、いろんな経緯があったものの、結局話がなかなかまとまらないままで時間がすぎました。

 

事が動き始めたのはやはり当初の4人が集まったときでした。

「やろけ!」

「やったろけ!」

 

そんな八幡弁ともいえるあんまり綺麗ではない関西訛りのしゃべり方で、再びノリ始めた4人の夜でした。

 

 

  4人のたくらみはAIも使う


(生成AIチャッピーにさっきの画像を「戦国風に」とオーダーすると、こういうやつが出来上がります。市田姫加工への批判はAIによろしくお願いいたします。)

 

 

ひさご寿し、奥村佃煮、湖の国のかたちの3人は、ひさご寿しポップアップイベント「醸空kamosky」なんかでやってきた事もあって、お互いの持ち味を知った仲。あれから数えたらもう10年以上も前のイベント。

 

寛閑観という近江牛のパワープレイヤーの森嶋君と新庄料理長を加えて、どうやって滋賀を、琵琶湖を、近江牛を、歴史を、発酵を、そして自分たちをどうやって料理に投影するのかは簡単ではありません。

 

そして近江商人は勘定を合わせてこそ。

ピンポイントイベントであったとしても、ちゃんとビジネスとして成立させる収支計算が大切です。

 

短い時間でいろんな交渉と計画立案、今回も市田ディレクションがキレキレの冴えまくりでしたが、収支計画が整ったのも3週間前のこと。

 

 

イベントとしてのお題は「安土城築城450年記念」

 

 

このタイトルを食として表現できるものか、普通なら絶対にやりません。

 

 

だがしかし

滋賀を、近江八幡を深く知る者にとって、安土城や織田信長から紐解けるナラティブなど、何パターンも表現することができます。

 

・時代の転換点

・近江商人の本質

・物流が生んだ新しい時代

・現代だからこそできる食体験

 

市田ディレクションによって創られる6つのシーン
 
 
特に奥村吉男と市田恭子の二人はartな感性が強いほう。
生成AIを使った遊びもどんどんやります。
 
「寛閑観のイベントで人気の近江牛バーガー、あれ安土城みたいな何層にも重ねたやつでけへんのかな?」
 
「安土城って7層やったっけ?」
 
「信長の延暦寺焼き討ちのイメージで」
 
「もっとこう・・・信長っぽいイメージないの?」
 
「支配感とか?」
 
そんなアフォなオーダーをチャッピーにするとこうなります。

大爆笑!

 
 
こんなふざけたやり取りをしながらしっかりと市田ディレクションされた企画が
 
『湖と陸と人』
 
 

 

 

 

  近江商人がもたらした日本の食

安土城と近江商人の発生は相互関係にあります。

 

地図で説明するとわかりやすいのですが、琵琶湖の湖上流通の拠点五か所(小幡、薩摩、八坂、田中江、高島南市)をおさえていた近江商人ギルド。「五箇商人」というこのギルドの名称は五個荘町という地名に残る通り、その集積拠点は安土城のある安土山繖山のすぐ裏側の中山道沿いで、なおかつ愛知川からすぐに琵琶湖に出ることができるエリア。

 

 

 

 

水陸の両方の街道クロスポイントがもたらした物流と情報は、内需経済の利益と新しい文化を生み出してきたと言ってもいいでしょう。

 

そうした往来の行くさきざき日本全国に近江商人と食にまつわる事績は見つけることができます。

 

中でも北海道の開拓と北前船によって運ばれた食は、今の和食全般に影響していることが見えます。

 

 

昆布、鰊、そして塩鯖。

 

北海道の開拓は、アイヌの首領・シャコマインとの紛争を経て、松前にその最初の橋頭保を得て以後、京都へ向けた北海の産品を運ぶことができるようになったのです。

 

昆布が市場にでまわり、日本料理の出汁におおく使われるようになったのも、近江商人が北前船から琵琶湖の湖上流通を利用し、京の都へとどんどん運んだことが大きいと思います。

 

北前船は福井・敦賀港でいったん荷揚げして、琵琶湖の最北端から丸小船に乗せ換えると、あとは自然な水の流れに任せ、大津港に到着です。今でも福井県に昆布問屋が多いのはこうした事情なのです。

 

逆に、近江商人が各地の仕入れ先に向かう際、様々な蕪を持ち込んでいます。野菜の蕪です。蕪の種は粒マスタードと同様の小ささなので、きっと持ち運びも簡単。

 

 

  湖と陸と人のナラティブ6つ

 

いよいよ始まる直前で。

 

 

第一章 湖と陸の知恵  出発点は湖国

 

「水上幻城」~みずのまぼろし

食べるお茶。

信長が安土で点てたお茶の湧き水を政所茶玉味噌で食べる一皿。

敷き紙は信長が安土城下で始めた奇祭「左義長祭」に使われるものです。

 

 

三饗応皿~さんきょうおうさら

奥村佃煮、寛閑観、ひさご寿し、それぞれの持ち味の前菜。

 

奥村佃煮のウロリは飴煮と佃煮、琵琶湖固有種のホンモロコ、琵琶湖固有種の小鮎、それぞれに違う炊き方。湖魚、醤油、砂糖の使い方は熟年の日本料理人よりも詳しい。

 

寛閑観は近江牛のローストビーフ。

 

そしてひさご寿しは琵琶湖産真近の酢締めと丁字麩の辛し和え。近江八幡の郷土料理であり、出汁が発達する以前からある古典的日本人の味付けを現代風に再構築したもの。

 

器は古九谷・寿楽窯の揃え。近江八幡の豪農の蔵に眠っていたもの。

 

 

 

 

第二章 安土城築城  人と物が集まるハブの誕生

「重なりの城」

 

奥村吉男と市田恭子のチャッピー遊びをヒントに、寛閑観の新庄料理長が本物を創造したもの。7層で造られた安土城天守閣をバーガーする、しかも信長イメージを重ねて。

 

・鴨ロース低温調理たれ漬け
・赤こんにゃく塩胡椒焼
・丁字麩白味噌マスタード和え
・信長ネギ黒胡椒ソース
・ドフィノワーズ ツヤコブルー飯チーズを合わせて
・日野菜タルタル

 

黒のバンズは竹炭入りで作られたオリジナル。ソースや肉汁などが染み込むことで美味しくなるタイプ。

 

織田信長という人物にはいろいろな脚色が後世に行われてきましたが、進取の気性に富んだ人物であったことに疑うところはありません。

 

1人づつにはミニバーガーですが、どど~んとラージサイズも作ってみたの図。

 

 

安土城の周り楽市楽座ではタックスヘイブン、商人にとってもっとも儲かる場所。野心ギラギラの起業家、商人たちエネルギーがほとばしっていたことでしょう。

 

安土落城ののち、彼らは豊臣秀次が治める八幡城下に集まり、現在の近江八幡旧市街地が形成されてゆきます。物流の湖上利権は織田家から豊臣家へと引き継がれ、やがて江戸時代には八幡城下の「八幡商人」が近江商人として台頭してゆくのです。

 

 

 

 

第三章 北前船  海が近江につながる

「潮の余路」~しおのよろ

 

 

塩鯖を柔らかく塩煮にしたものを、滋賀羽二重糯粉と大根おろしと混ぜた生地でくるんで饅頭にした煮物椀。出汁には道南の真昆布と塩鯖の骨でとった出汁を使って清汁にし、香りには根付芹と生姜を添えて。

 

近江商人がもたらした食のナラティブは先に書いた通りですが、会席料理の煮物椀に仕立てるとこういう形になります。

 

湖上流通で京都に持ち込まれた塩鯖は「鯖寿し」として今も名物になっています。同時に海なし県・滋賀の琵琶湖周辺でも塩鯖を使った料理が食文化としてつながれてきました。

 

湖の鯖街道と陸の鯖街道。

 

海なし県だからこそ、手に入る鯖が大切にされてきた証拠です。

 

琵琶湖の漁業を生業にしている沖島でも、塩鯖は食べられてきたのです。塩鯖を使った郷土料理「じゅんじゅん」はおそらく沖島だけかもしれませんが、長浜では焼鯖を使って「鯖そうめん」が名物で、近江八幡でも昔から祭りの時には鯖寿しは家庭で作られてきたものでした。

 

鯖は大衆魚で、現代ではだれでも食べることができるものですが、高級魚でもない塩鯖をいかに工夫していままで以上に美味しい料理にするのか。そんなことが料理人の仕事の醍醐味だったり趣味だったりするのです。

 

 

 

 

第四章 御朱印船  世界とつながる近江

 

「香りの彼方、土の香」

NEO精進。

パプリカの寒天、ブロッコリのゼリー、永源寺蒟蒻、八幡赤蒟蒻、ビタミン大根、紅芯大根、厚揚げ豆腐、人参、8種を精進出汁で別々に仕込んだものを、カカオ田楽味噌と木の芽味噌で。

 

徳川家光によって与えられた御朱印船。近江商人・西村太郎衛門は安南(現在のベトナム)に渡り、国際ビジネスで安南国王に認められるほどに成功しました。伝統的なものが化学変化をおこすとしたら、それは海外のエッセンス。人口当たりの寺社仏閣数日本一滋賀。精進料理の伝統に近江八幡在住のチョコ職人の発酵カカオの香りを味噌加えました。

 

カカオ田楽味噌。多くのゲストから称賛をもらうことができて、これはひさご寿しの料理レシピとして再現決定です。

 

 

 

 

第五章 商いの完成形 日本橋へ 全国の物産が集い、ここで完成する

「商都余章」~しょうとよしょう

 

それぞれの得意分野、日本橋で近江八幡を食べてもらいたい渾身の一皿を用意しました。

 

 

金柑鮒ずし。

滋賀県の名物にして、奥村佃煮・奥村吉男にとっても名物。龍谷大学との共同研究による1匹漬けキットの開発や、江戸時代鮒ずしの再現研究、ツヤコフロマージュとの共同商品づくり、オーストリア・リンツでの鮒ずしワークショップ、といった彼にとって鮒ずしはもはや商品以上にまとわりついている。そんな彼の鮒ずしに金柑をスライスして目一杯のせて食べる。

そもそも淡水魚というのは柑橘の葉っぱやピールの香りとの相性が良いのです。ほかにもレモングラスもその一つ。

 

鮒ずしを鮒ずしのままでありながら、でも美味しいを一歩前に進める。そんな一品でした。

 

近江牛もりしま寛閑観、最高のすき焼き1枚。

 

関西風すき焼きと呼ばれるものは、まずは肉を焼いたところに砂糖と醤油を適量入れてさっと焼き上げる「瞬間」の料理です。後から野菜や糸蒟蒻などを入れて結局ぐつぐつと鍋で炊合せるのですが、そうなると最初の焼きたての味は1回しか味わうことができないものです。

 

関西風すき焼きは最初の1枚が最高。だとするならば、「ゲストには1枚づつ焼こう!」という事になりました。

 

1枚焼いてキビ砂糖を振り醤油をたらし焼からめる。

 

そして潔く1枚だけの余韻、残心。

 

ひさご寿しからは春の湖魚3種にぎり。

じょき、釣りびわます、本諸子新子仕立て。

 

 

 

画像無し

第六章 現代へ  発酵の余韻

「余光」

 

ツヤコブルー鮒寿しの発酵した飯のジェラードとひさご寿しの名物・琵琶湖の玉子。

 

発酵飯(はっこういい)は鮒寿しの副産物ですが、その利用はまだまだ発展途上。特に乳製品・クリームとはとても相性がいいもので、塩分があることから甘さと合わさると「甘じょっぱい」良い塩梅になるのです。

添える「琵琶湖の玉子」はほぼカステラの作り方で、すし屋の〆の玉子はほんのり甘く作ります。なぜ「琵琶湖の」と冠が付くのかというと、琵琶湖のモロコとスジエビがすり身で入るからです。

 

 

 

ドリンクのペアリングは市田恭子selectionで。

 

alcohol

ハッピーどぶろく穂の恵

七本槍80玉栄純米生酒(冨田酒造)

八仙シルバーラベル吟醸生酒(八戸酒造はルーツが滋賀)

ヴェルメンティーノ(Casa Bariconi Italy)

不老泉 玉栄山廃純米大吟醸木樽(上原酒造)

㐂量能 純米生(畑酒造)

 

non-alcohol

苺&甘糀(ハッピー太郎醸造所)

小谷・和りんごの発酵シードル(近江ワイン)

WABARA&生姜Spring(Rose Fame KEIJI,永源寺相谷ファーム)

wee-wee-wee(空色ワイナリー)

焙じたて秋冬番茶ほうじ茶(かたぎ古香園)

政所100年古樹番茶(滋茶園)

愛東ブルーベリージュース100%(TAKA FARM)

 

みんなでごあいさつ。

 

  あとがき

滋賀を料理するとき、それはどこに暮らしているのかで全くちがったアウトプットになります。

東西南北に分けるだけでも4つかもしれませんが、信楽や永源寺、葛川のような山間になれば琵琶湖周辺とは全く違った感性が生まれます。また、湖北・湖西の日本海に近いエリアは海の食文化がもっと多く、京都に近づくにつれて都の華やかな感性が育ちやすいものです。

 

滋賀を代表するトーテム「琵琶湖」であっても、岸辺から離れる距離に比例して、暮らしの中に琵琶湖を感じる濃度が違います。

 

「湖と陸と人」

 

滋賀のほぼど真ん中に位置する近江八幡周辺は、海も無く、都会も無く、清流も森も無く、豊かな山海の幸に恵まれない場所。だからこそ近い琵琶湖へのなじみが強く、田畑の米と豆が暮らしの主役を張ってきました。

 

近江商人の多くは寺への寄進が多く、八幡城下の堀周りには塔頭寺院が数十と並ぶほどだったとか。寺は読み書き算盤を教える今でいう学校。近江商人は教育投資にも力が入っていたことがわかります。現代も近江商人よろしく人の交わりが盛んで、人口8万人の中に経営者ボランティアクラブが5つもアクティブに活動しています。これも近江商人気質が今もこっそり続いているという事なのかもしれません。

 

最後に。

明治初期、竹中・森嶋兄弟が始めた「米久」によってこの湖東の農耕牛が東京に運ばれ「近江牛」の料理が広がるきっかけとなりました。近江牛もりしま寛閑観の歴史もまた現代の滋賀にとって多彩な食文化の1ページです。この機会と場所を作っていただいた事に感謝いたします。

 

滋賀を、湖東をディレクションするにはもはや必須の人なのかもしれない、市田恭子女史。

 

湖魚をパンクで考えてる。その割に根っこが古風。琵琶湖のアルスに挑んでるヤツ、奥村吉男氏。

 

やっぱり上手い近江商人バリバリ、森嶋正幸氏。

 

ジャンルは違えど、なんやかんやで職人価値観共有しやすい、新庄裕也氏。

 

みなさんおおきにありがとうございました。

料理人の休日。

9月の初めのころ。

 

急速に変化してゆく世界の中で、日本の泉源はどこにあるかを体感しに行く。

(画像は女人高野・室生寺)

 

  女人禁制の現場

 

奈良県にある山上ヶ岳は、世界で唯一の女人禁制エリアがある修験道の聖地である。

 

ジェンダーフリー、男女差別を無くしたい人たちにとっては格好の口撃標的ともなるが、なぜ伝統的に女人禁制であるのかについて、意見はさまざまである。

 

そこには1200年以上にもわたって歩んできた、日本の性に対する考え方が幾重にも折り重ねられて、今なお存在している。

 

私が簡単に女人禁制を説明するとすれば、

それは男がアホだからである。

大峯山龍泉寺の境内にある「第一水行場」

 

修験道の説明はウィキとAIに任せるとして、山上ヶ岳のふもとにある龍泉寺ではキンキンに冷えた山水が流れ込む池がある。

ここで水の中に入り「水行(みずぎょう)」を行う。

 

修験道では先達(せんだつ)と呼ばれる山伏の熟練者にもろもろアテンドをしてもらいながら、初心者は「行(ぎょう)」とよぶいろいろなフォーマットで経験を積んでゆくのだが、このお作法が先達さんの流儀によっていろいろと違う。なので、この水行場を使わない先達さんもいる。

 

とは言え、「行」をおこなって目指してゆくのは自らのブラッシュアップという点において、世界中のどこでも見られる自己研鑽に他ならない。ただそのやり方が世界と比較したときに、あまりにオリジナルすぎるだけなのだ。

 

この突拍子もないやり方で続けられてきた日本の女人禁制。いちいち「なぜ?」と聞かれたとき、その答えはすべて「男がアホだから」に帰結する。

 

(「山伏」とは修験道の行をおこなう人を指す)

 

  女人結界門を超えて

今回の先達さんは金峯山寺修験道の方で、願成就寺と日牟礼八幡宮の謎を教えてくれた方である。
願成就寺と近江八幡についてのブログ)


 

今回は地下足袋にて。

行者宿の一つ花屋徳兵衛さんでまずは出立の祈祷と般若心経。

女人結界門。ここからは女性の立ち入り禁止となっている。

とはいえ物理的にかんたんに女性がここを通ることは可能である。ただし1,000年以上にわたって女人禁制にしてきた意味「男がアホだから」の意味をよく考えてもらいたい(笑)

 

決して女性を卑下して立ち入りを禁止しているのではなく、女性の色香にすぐ惑わされてしまう愚かな我ら男にとって、危険な行場で気が散らないようにするための安全策といってもいい。

 

実際に登山経験者であればわかるだろうが、岩場での滑落は即死案件になりかねないうえに、現代においても山岳遭難の約70%が下山時の気のゆるみによる。

 

 

 

結界門を過ぎて200メートルほどだけ足元が整備された石。

 

数百メートル歩くと一の瀬茶屋跡につく。

かつては洞川温泉から行者は歩いてきたらしいのだが、ここまでで5kmである。なので茶屋で一服するにはほどほど良い距離にある。

 

事実上最初の休憩所といってもいい、一本松茶屋。

茶屋といっても誰も出店はしていない。

ただ腰掛がある程度。

 

人工樹林を抜けると。

洞辻茶屋。

ここは土日になると売店で飲み物や食べ物も売っているとの事。

平日しか行かないので、未だ見たことない。

 

そして陀羅尼助茶屋。

ここまでで約2時間15分。約4kmの距離である。

 

 

吉野の金峯山寺から始めるとここまで「24km」の標識がある。

遠い・・・

 

陀羅尼助茶屋の中にいつも生えているキノコ。

ヤマドリタケの肌感をしているが、こいつは触ると青く変色するので毒ヤマドリタケである。

ここを超えると、テレビでも時々登場する断崖を吊り下げる行場「西の覗」や岩登りの「鐘掛岩」、が登場する。

 

フォーマットされた行場はすべて安全に「行」がおこなえるように鎖や縄、ロープ、足場が用意されている。ある意味登山などしたことがない人でも、ある程度簡単にクリアできるようにはされている。もちろん体力の個人差については別であるが。

 

大峯山の鎖場についても、実は岩肌をよく見て足運びを選ぶと、鎖を必要とはしない程度に足場が実は安定している。

 

特に地下足袋で登っていると、岩肌と足裏は近いので、山そのものを足裏で感じ取りやすい。

 

こうした山と自然の中で安全に行動する基礎体力や経験値は、現代日本人において多く失われているのではないだろうか。

 

 

  修験道の頂上、山上ヶ岳

 

 

行場を抜けると見晴らしがとてもいい稜線となる。

6年連続して大峯山に来ているが、初めて好天に恵まれた。

 

特にはじめての大峯山が雷雨の中で全身ずぶ濡れ、普通の登山であれば低体温症をおこしかねない危険な状況だったことから比べれば、圧倒的な違いである。

ちょうどトリカブトの花がきれいに咲く。

この毒草・トリカブトによく似た植物に「ゲンノショウコ」があり、生薬「陀羅尼助」の重要な成分として使われる。外見はよく似ている葉っぱであるが、一方は生薬であり、一方は毒薬。どちらも日本でいにしえから伝えられてきた知恵である。

 

 

いよいよ山頂・大峯山寺に近づくと宿坊寺院が5つ現れる。

それぞれ麓に本寺院があって、まあ言うなれば出張所である。

 

かつては大峯山登拝は本当に大変な道のりだったため、山頂の宿坊はほんとうに重要だったと思う。江戸時代の近江八幡・不動講に残る記録では、往復9泊10日だったことが分かっている。

 

現在はほとんど洞川温泉の龍泉寺を起点にして、日帰りで下山できる。ゆえに山頂の宿坊寺院がもつ宿泊機能の重要性は急速に失われ、休憩所というのが実情だろう。それでも、先達さんの作法によってどの宿坊寺院に立ち寄るかは違うので、この辺もある意味おもしろい。喜蔵院だとオリジナルTシャツが売っていて、愛用している。

 

さて、吉野・金峯山寺を起点としてきたかつての時代であれば、片道20kmを超える山行となるため、常人であれば往復17時間もかかることになる。西の覗、鐘掛岩、裏行場も含めると絶対に日帰りできない。金峯山寺から上がってくる行者講がないわけではないから、一応は宿坊は必要だろう。

 

 

山上ヶ岳山頂・大峯山寺。

 

特に華々しさも無く、ただただ端正にそこにある。

 

修験道の開祖・役行者が本尊である金剛蔵王権現を感得したとされる場所。山上の蔵王堂とも呼ばれ、山下の蔵王堂は吉野の金峯山寺である。

 

大峯山を大いに権威づけたのは平安時代の藤原道長による登拝と納経かもしれない。天台宗の山門寺門抗争の真っ最中、日吉社や春日社は強訴を繰り返し、権門の秩序は乱れていたと言っていい。権力者自らの足で大峯山を登り、金文字で写経した法華経を大峯山に納経したインパクトはどれほどだったのだろうか。

 

道長が大峯山登拝・納経ののちに中宮・彰子は一条天皇の子を宿し、道長が外戚として絶対的な権力へと昇って行ったことは事実であり、ひとびとが大峯山への信仰が強まったことは間違いないだろう。

 

全国の「蔵王」と呼ばれる名称はここにすべて始まる。

 

現在、修験道は様々な宗派があることから、大峯山寺については持ち回りで世話がされている。

 

キリスト教であれば「異端の罪は異教よりも重い」のとおり、宗派を超えた相乗りはありえないが、こうした日本の在り方を世界はどう感じるだろう。

 

山上ヶ岳の頂上から見る滋賀・京都方向。

比叡山、比良山系も目視で確認できる。

 

本当に天気が良かった。

 

帰り道、陀羅尼助茶屋横の「不動明王像」。

 

役行者が生きていたとされる時代だと、まだ空海・最澄による密教の伝来はなかったが、平安時代以降の日本人の信仰において不動明王の存在は大きい。

 

観音菩薩へ慈悲と救いを求めるのに対し、憤怒と炎で表される不動明王のイメージは攻撃的である。

 

「力なき正義は無力」と言わんばかりのその表情は、ある意味世の中の本質であることは誰もが実感しているだろう。

 

だからこそ、そうした不動の心と力に願いを馳せる人々にとって、お不動さんは信仰の対象となり、修験道行者・山伏にはピッタリとイメージがはまったのだろう。

 

 

 

  洞川温泉の夜

 

下山して洞川温泉に戻ってくると、提灯に灯がともり始める。

 

ちょっと有名人になってきてしまった亀仙人のところで、先にビールをプシュッとやりたかったが、なんとも16:30でもう閉店。

 

前はもっと遅い時間でも飲めたのに。

どうやら鮎が売切れたら終いのようだ。

残念。

 

花丑さんで今晩用の陀羅尼助シートを買って。

 

下山後の温泉は最高だ。

 

 

精進上げの食べ物と酒は体にしみこむ。

すべてのものに素朴なおいしさを感じやすくなっているから、変哲もないこんにゃくにも面白さが見えてくる。

 

 

 

 

  消えた遊郭

洞川温泉にはかつて遊郭が存在していた。

 

 

かつては日本のあちこちに遊郭が存在していて、色町だの花街だの呼び方やその実情も幅広く、いわゆる風俗サービスを提供していた。近江八幡にも遊郭・花街が昭和30年頃までは存在していてた。

 

 

「風俗」という言い方において「性風俗」「売春買春」ととらえられていることは少なくない。

 

だが法的な言葉の定義では「料亭」「日本料理店」でも風俗業として営業許可が必要なものがある。

 

それはスタッフがお客様と同席でお酒を注ぐサービスをする場合、仲居さんがいわゆる「お酌をする」場合である。

 

こうした法定義もあって、お座敷で料理と酒を提供し、サービススタッフがお酒を注ぐサービスをするお店は風俗営業法に該当する営業許可を得なければならい。

 

いまどきのバッチバチの日本料理店・料亭において仲居さんがお酒を注ぐようなシーンはほとんど見受けられないかもしれないが、お座敷で瓶ビールや日本酒徳利からお酒を注いでもらうのは、ちょっとした気遣いであっても、法的に許可が必要な行為なのである。

 

かつて存在した「遊郭」はお座敷という場所で、料理と酒を提供するとともに性風俗的サービスが提供されていたことは事実であり、現在でも「料亭」というカテゴリーでそうしたサービスが存在することは暗黙知の状態といえる。

現在の洞川温泉にはかつて存在したといわれる遊郭は跡形もなく、どの宿も公序良俗に営業されていて、伝統的で古風な日本の温泉宿の景観を残している。灯のともされた提灯が並ぶ夜の景色はほんとうに綺麗である。

 

 

 

 

  翌朝の水行から護摩焚き

 

 

 

 

本堂内で行われる真言宗醍醐派の護摩行。

空海の真言密教よろしく人間の煩悩を智慧の炎で焼く。

大事なところの呪印や真言は見えない・聞こえないように秘される。

 

こうして大峯山の1泊2日はプログラムが一応終わる。

 

今年はここから吉野に回り、脳天大神、金峯山寺へと回り、女高野・室生寺でどっぷりと神仏習合2日間を終えた。

 

 

 

(シグネチャーパビリオン「null×null」外観)

現代日本においてもっとも影響力のあるアーティストのひとりとして呼び声も高い落合陽一氏がプロデュースするパビリオン。

 

予約型万博と言われながら、2か月前予約も7日前予約も、そして3日前予約でも当選しなかったものが、2回目の万博、当日予約でダイアログモードに当たったから行ってきた話。

 

 

パビリオン内で映し出されるメディアアート。

外観もそうだが、全面的に鏡面となっていて、実際映像が鏡面によって無限に映し出されてゆく。

 

 

落合陽一氏のコメントに時々出てくるが、null×nullは仏教哲学で説かれる「華厳の思想」そして「空」の概念からの起想があるという。

 

「null」とはたしかに「空」という概念に近いデジタル用語ともいえる。虚数は二乗すると実数となる。つまりnull×nullは実体化した、もしくは可視化されたnull、「空」を「華厳」を体験するパビリオンという事になる。

 

般若心経における「空」の実感は、お経をただ読んだところで大してなんも感じるものではない。「空」を実感する方法は人によってかなり違うし、表現もアクションもちがう。ジョンレノンはイマジンに歌った。千利休であれば茶の湯。世阿弥では夢幻能、役行者は修験道に至った。印象派のモネやドビュッシーも虚と実の境界線を往来するアートといえるし、浮世絵に影響されたネオジャポネスクも虚をとらえようとするものかもしれない。日本に影響されたゴッホに至っては農村や人の営み、そしてありふれた麦や花たちにこそ描くべき光と色をみつけ、最後には麦の実りの中で自然に帰った。なんていろいろ。実際に落合陽一氏はアートは日本文化への再認識をすすめている。

 

 

 

虚実ともに存在している事を言い表すとすれば、個人的には老荘の「道(タオ)」もまた同じとも感じる。有と無の根源となるのがタオであり、老子は水に例えてもいる。

 

老子においてタオは虚であり実でもあり、すべての始まりであり終わりである。華厳思想もまた「多即一、一即多」で知られるように、タオと同じと言える。

 

 

 

仏典はインド・ウイグル系民族出身の鳩摩羅什によって4世紀に漢語翻訳されたものが、儒教や道教のバイアスを経て中華仏教となり、日本に輸入された。奈良時代初期の日本仏教は華厳がメインストリートであったが、そこから日本は独自の古神道的アニミズム的感覚と習合し、最澄・空海という密教を経て日本仏教・神仏習合へと発展した経緯がある。

 

これらはひどく哲学的で、対機説法をしていたブッダに言わせれば、「おいおい、そんなことは言ってねえよ」かもしれないが、ブッダの教えは日本仏教を通して落合陽一氏に深く突き刺さっているようだ。

 

 

null×nullのダイアログモードの空間内では、実態物である色や形が鏡面を通して無限に広がってゆくのを見ることができる。実態は表面のひとつにしか映されていないが、鏡面の向こうには虚数世界としてはたまたパラレルワールドとして存在していることを視覚情報から感じ取ることができる。

 

言葉と音楽もパラレルワールド、始まりと終わりが同時に1空間で表現され、すべての事象と実体はnull(空)という総体へと還ってゆく。

 

エバンゲリオンの人類補完計画の様相を呈している。

 

 

 

ArsElectronicaでもこうしたデータアート&サイエンス(DAS)を通して未来を考える取り組みが、毎年行われるフェスと本部の展示に多く発表されているが、ここまで大がかりで日本仏教的メディアアートが発表されることは今後数十年無いかもしれない。

 

落合陽一氏がデジタルネイチャーと呼んでいるもの、テクノロジーがどんどん進歩して計算機速度が限りなく自然生命体に近づけた時、人は魂を生み出すことになるのだろうか。まさしく石黒浩氏「いのちの未来」や士郎正宗氏「攻殻機動隊」で描かれるテーマ、魂、soul、ghost、が発露するメカニズムに到達することができるのだろうか。

 

 

個人的な意見からすると、DASレストランがそうやったように、その答えはすでに目の前に存在してる。発明するというより、発見したほうが早いのではないかと思っている。

 

 

もちろん人類による工業的、科学的、物理的、技術的な開発と進歩を何ら否定することは無いしできない。だがしかし、日本に生まれ育ち、長く食に関わり続け、山や川、自然に近い生き方、長い年月を経て構築された構造物建築物やコミュニティーを体感していると、null×nullは今まさに自身の目の前で発露していることが実感できるのである。

 

たとえば、出産である。

 

DNAによって設計された生命体の設計図は、塩基配列によって有機物をどのように形づくるかをまさにデータで表したものであるが、そうして形づくられた器・箱・体に質量をもたない魂を宿らせるものは何なのか。

 

量子物理学者の言を借りると、「量子の意思」である。スピリチュアル的な人にとっては聞こえの良い言葉のようにも思えるが、物理の話。

 

物質の最小単位である量子に意思があることを私は物理学者でないから証明することはできないが、もしそうであるならば精子と卵子にはおのおの父母の記憶RNAと意思のカケラを携え、ひとつのDNAと個が生まれる。母胎では着々とDNAに基づいて物質分子が集められるが、そこに付随する量子の意思の総体は物質でないために実体を見ない。だがしかしこれこそがnullであり、魂であり、soulであり、ghostであると私は思う。

 

やがて胎児が生まれ、自らの人生を歩み始めると、いよいよnullが発露し始める。物質分子がDNAという設計図に基づいて形が出来上がってきた体に、明らかに質量をもたない個性というものが誰にでも認識できる。虚であるはずのものが「実体」として感じることができている。null×nullはそこにある。

 

 

虚と実。無と有。すべてをひとつに捉えるのが華厳やタオであるが、個人的には空海の持ち帰った密教、両界曼荼羅を使えば視覚的にわかりやすい。

 

落合陽一氏は密教については言及してはいないが、華厳をさらにわかりやすくアート表現したものが密教の両界曼荼羅だろう。

 

仏教用語でならぶ両界曼荼羅の説明はわかりにくいが、要は虚実の両面をわけてアートにしたものである。物質実体のある現象世界を胎蔵界曼荼羅に、物質実体を認識できない精神世界を金剛界曼荼羅に分けて描かれる。特に高野山の本山に行けばわかりやすいが、大塔の中に表現される立体曼荼羅はシグネチャーパビリオン「null×null」と同じであると言える。

 

空海・最澄が生きた1200年前も、ブッダが生きた2500年前も、人の悩みが終わることは無い。けれども、現在進行形で生きている私たちが日々暮らしているこの世界は何なのかという疑問を持ったのであれば、Art Thinkingが必要である。別にそんなことを考えなくても、生きている事、存在している事、誰しもが実はアートであるのだが、未来を担う若者にはぜひ一人でも多くそのことを感じてもらいたい。

 

 

すでに1年以上前になってしまったが、グランドラピッズの続きを書いておこう。

 

2025年の今年はミシガン州側から滋賀県に姉妹都市交流使節団がくる年。

 

色々な滋賀の市町がそれぞれに姉妹都市提携を結んでいる。

近江八幡の姉妹都市はグランドラピッズ。

 

今年の来日使節団に知り合いは都合が合わなかったとの事で、再会は先延ばしとなった。残念。

 

 

さてグランドラピッズに行ったのは2024年3月下旬の事。

(宿泊滞在したJWマリオットGRからのグランドラピッズ市街景色)

 

JWマリオットGRには姉妹都市である近江八幡の紹介プレートやちなんだ部屋などがちりばめられている。

ホテルニューオウミでもこうした取り組みが欲しい。

到着日は近くのシーフードレストラン。

姉妹都市委員会のアネッタさんとマユミさんに心温かく迎えていただいた。

GR(グランドラピッズ)には姉妹都市委員会という任意組織があって、行政では動けない所を補完する仕組みが存在している。

 

近江八幡市の場合、八幡ロータリークラブがGRロータリークラブと姉妹クラブ提携をしているところを考えると、そこに窓口があっても良いのではなかろうか。

 

さてメシの話。

イカフライなんだが、マヨネーズやフライに使われるオイル、スパイスの香りが日本とは結構違う。特にマヨネーズはそもそも酢が違う。日本の穀物酢より爽やかである。

タコの素揚げにパプリカのソースとハーブ。

これはミシガン湖のおいしい魚「walleye」のムニエル。

これが美味しい。

日本語読みしたらウォールアイ、だがワ~ライの方がより近い聞き音かな。

 

ホテルに紹介されている姉妹都市プレートたち。

幼子の歩く姿と桜がとてもアート。日牟礼さんはもはや説明はいらないだろう。

何気ない松と梅に道端の自転車も日本が現れているいい景色。

 

翌日3/24は日曜日ながら翌日の授業のために、朝から現場確認とマスターシェフ・ボブと顔合わせと打合せ。

 

キッチンや食材の調達具合、器、諸々やってたら14:00。

 

 

お昼はいろいろ世話焼きしてくれたマイクさんのご縁でラーメン屋さんNoodlepig。ジャパニーズスタイルラーメンと思うとそうでもない。アメリカに渡ってアメリカナイズされつつあるラーメンなのだ。チャイナ⇒日本⇒アメリカでラーメンも世界食。

 

続いてアジア系食材屋さんへ。Asian Delight Marketplace

海外アジア系あるある、スターアニス(ウイキョウ)の香りが漂う。

初めて知った「MOCHI」の真実。

 

日本でいう雪見大福がアメリカでは「MOCHI」モチである。

それもバリエーションが豊富で、いろんなアイスがくるまれている。これは良い進化だと思う。

 

むしろ日本でももっとバリエーションあっても良さげなものだ。

 

すぐ隣にあるHorrocks Market。

フリーでコーヒーが飲めるようになっていて、多くに人が入れたてコーヒーを片手に持ちながら買い物する。

 

むちゃんこ種類があるクラフトビール。

グランドラピッズはブリュワリーがたくさんある、クラフトビールの町でもある。

 

日本ではクラフトビールの楽しみ方がまだまだ浸透が浅いが、クラフトの楽しみは個性の楽しみなので、ヘンテコなやつもそれはそれとして面白いのである。旨いまずいだけで比べているうちは楽しみがほとんどわからないだろう。

グランドラピッズ市があるミシガン州はリンゴも盛んに作られている。収穫時期に家族でリンゴ狩りとアップルサイダーをやるというのがお決まりで、もはや日本文化でいう祭に近い。

 

リンゴはミシガン州というかアメリカの多くにとって重要な食文化となっている。日本でリンゴは食後かおやつ、またはデザートの扱いになるのが普通だが、アップルクリスプに見られるように家庭で簡単に作れる料理の材料として存在している。アメリカ独自のリンゴの価値が見て取れる。

売り場に並んだ大量でいろいろなサトイモたち。伝統的アメリカンにサトイモ(タロ)を食べる習慣はないと思うが、おそらく移民によって浸透しているのだろう。

キャンディー売り場、グミ売り場の景色が日本では考えつかない。何味か想像できないやつがいっぱいいる。

そして、とてもアメリカらしいと見えた売り場の一つがチーズコーナーだろう。その豊富さはアメリカを表している。

 

イタリアやオーストリアで見てきたことと比べて、チーズに対する考え方がかなり違うと見える。

 

日本だと出汁が料理のベースになっていて、様々な出汁を操るように、チーズもまた旨味の塊であることを考えると、彼らにとってチーズは料理になくてはならない。ハイカロリーだが。

 

やはりスーパーは民俗が現れる場所の一つとして、どの国であっても興味深い。

 

 

 

夕食はボスニアとインディアをベースにしたお店へマイクさんが案内してくれた。
クラフトビールをやりながら、揚げた芋やサラダたち、メインのCevapiチェバピ。牛ひき肉の皮無しソーセージみたいなもんとパニーニみたいな小麦粉練って焼いたもんが添えられる。クリームチーズソースとパプリカソースを挟んだりつけたりして食べる。

 

日本の出汁文化のように、すべに出汁が浸透しているようなものではなく、咀嚼しながら口内調味してゆくもので、料理スタイルとしてシンプルである。

 

案の定チーズソースバリバリの揚げた芋。ビールには合うんだわな~。

 

 

 

 

 

3/25、GRCCでの授業。

GRCC(グランドラピッズ・コミュニティー・カレッジ)はコミュニティー・カレッジという日本にはない教育システムの中にあって、イタリアの総合料理専門学校ALMAとも違う。専門学校がひとところに集まったような感じで、いろいろなジャンルの勉強を、世代も人種も違う生徒たちが自分たちのライフスタイルに合わせて学んでいるようである。

 

初日はすべて一通りデモンストレーションし、翌日ゲストを迎えてGRCC内のゲスト向けレストランで全く同じものを生徒さんたちが作るカリキュラムである。

 

茹でて野菜のアクを抜いたり、中軟水に出汁を煮出すこと、緑茶と水の関わり、などなど日本の水環境が料理に大きくかかわっている。そうしたところを比較して説明してゆく。

 

座学では料理というより「日本人はなぜそう考えるのか」という視点で日本の食を説明してゆく。

 

 

 

 

 

授業終了後はGR博物館とマーケットでミシガン湖の魚の事や、どのように売られているのかを見学。

GR Downtown Market

これは昨年のブログで書いたので割愛しておこう。

 

 

 

夕食はReserveというグリルレストランへ、地域のグルメ評論家さんと一緒に。(現在はイタリアンスタイルへリニューアルしている)

1年前でこの価格なので、現在はどれくらいインフレが進んでいるだろうか・・・

レストランの地下特別VIPルームとワイン庫をオーナーさんが見学させてくれた。銀行の金庫だったのだろうと思われるドアをアートとして使われている。他にも、GRは新鋭のアーティストたちを育てようとする気運があって、こうしたレストランは特に現代作家のアートと並走している。

 

日本では古典の影響がやっぱり強く、現代アートは日本料理の世界にはまだまだ理解が少ないかもしれない。

中身がなんか忘れたグリルサンドイッチ。

これが印象的だったセロリアークの千切りガレット焼、スプラウトサラダに鱒キャビアを添えて。

小蛸と豆のトマト煮の和え物。

マテ貝とムール貝の白ワイン蒸しのような料理。

そしてザ・アメリカンな味付けのTボーンステーキ。

煮豆、クリーム、バーター、チーズ、のソース。まあ旨いよね。

ホワイトフィッシュとムール貝にトマトを入れた白ワイン蒸しかな。

がっついてしまうわかりやすい美味しさのお店。

ガストロノミー美食にない素直さがアメリカっぽくてよい気がする。

 

 

3/26

昨日の座学と実演レクチャーをもとに、20人分の料理をみんなで仕上げる。

みんなこのプログラムを楽しんでくれた様子。特にグラシエラはノリノリ。

みなさんの前でひとこと。

テーブルコーディネートはアネッタさんのアレンジ。素晴らしい。

姉妹都市委員会の前プレジデントと現プレジデントのテーブルでご挨拶。

無事にGRCCでのミッション完了。

 

GRCCを後にして市役所に訪問。

シティ・マネージャーのマークさんと市議さんに偶然通りがかって記念撮影。奥に見えている赤いオブジェはGR市の形を立体造形した作品。この広場で現代アートフェスが開かれ、クラフトビールのブリュワリーたちも集まる。

 

GR市役所にある姉妹都市紹介プレート。

近江八幡市がもっとも早く姉妹都市提携をした。

おもしろいのはGR市のロゴマークで、赤は地域の形、青はミシガン湖に流れるグランドリバーを表していて、屋外のオブジェはその赤いGR市の形としてつながっている。

こうしたイメージ・刷り込み・認識付けにおいて、アートは人の深層心理へ影響することを行政が利用しているというのが面白い。日本の行政マンもぜひアート思考であってほしいものだ。

 

15:00~マスターシェフ・ボブの親友のお店Mexoへ。

メキシコがルーツのファインレストラン。

パイ生地のような中に煮込んだ肉、チリソースがスポイトで刺さっている。

タルト生地にフレッシュ野菜の和え物。

 

タコスは赤玉葱とビーツの甘酢漬け、チリソースで和えた肉。

 

オーナシェフは自家栽培プラントを半地下に作っていて、野菜類も色々使われている。そういえば前日のReserveさんも屋上だったかに自家製プラントがあると言ってたような。

タコスチップスに添えられるのはサルサ風に味付けされたサルサの再構築。

スイーツだったような・・・・

 

さすがマスター・ボブがおすすめするGRのファインレストラン。アイデアとアートがいろいろ炸裂した美味しいレストランだった。再訪したい。

 

 

 

 

夕方

GR市はクラフトビールの町という事で、ビアパブにKenさんとAleckさんが連れて行ってくれた。彼らは本当に親切誠実で、Aleckさんは日本で英語教師をしていたこともあって、ジャパニーズスラングが使えるほどだ。

HopCat GRというパブ。

なんか気に入ったパブの照明。

かなりの種類から選べるクラフトビール。

明らかに人気なさそうなヤツと人気ありそうなのを選ぶ。

フライドポテトはもはや世界共通のジャンクフードではあるが、この「コズミックほにゃらら」はいろいろなクラフトビールに相対できるスパイスがいろいろまぶされていて、いわゆるマクドナルドのシンプルなヤツではない。

 

 

 

3/27 

午前中からマイヤー・ガーデンズ植物園の見学。

 

「マイヤー」とはGR市が発祥の全国チェーンのスーパーマーケットで、いやハイパーマーケット。売上高は3.5兆円を超える、日本でいうイオンみたいなもんだ。

GR市は他にもAmwayの発祥でもあり、その本部がある。日本でAmwayというとどこなくネズミ講のようなシステムが取り沙汰されるが、GR市では社会貢献のある企業として位置づけされているようであるから、随分とイメージが違う。知らんけど。

 

さて、マイヤー・ガーデンズでは子どもたちがGR近辺の自然と生活の知恵を見て感じて体験することができるプログラムが用意されている。

子どもたちに人気で人だかりのバタフライ展示。

ドデカいやつから小ぶりなヤツまで。日本では蝶と蛾を分けますが、バタフライ。

近江八幡へ姉妹都市交流で前年ホームステイしてたエイドリアンさんも合流。

 

マイヤー・ガーデンズ内にあるレストランで。

サラダチキンサンドと日替わりスープ。

よく発酵した生地で焼かれたバンズに薄くスライスした具材が層をなして挟まれている。味付けはシンプルな塩にチーズ、甘酢に浸したセロリーアーク。上手い組み合わせ。

 

アネッタさんによると日替わりスープがおすすめだそうだ。

その日はパンプキン。

 

一言にサンドイッチと言っても色々あるが、使われていた野菜は伝統野菜であり、バーガーの国・アメリカにおける良い食べ物だと言える。

 

 

 

夕方

アネッタさんや姉妹都市委員会の女性委員さんに連れられて行ったのは、Speak EZ Lounge。

カウンターで飲んではったのが偶然の再会でシティマネージャーのワシントン氏と、ラウンジのオーナー。ありがたくも一杯おごってくれたので、近江八幡で再会できたらSeanのビールをごちそうしたい。

お店では何組かが続けてライブをしている。カントリーミュージックを聞きながらツマミとビールをやるのである。

個人的にアメリカのカントリーミュージックは好きなジャンルだ。ブルースやロック、R&Bも好きな曲はいろいろあるが、カントリーミュージックはなんか生活感がある。

テイラースウィフトのように世界に羽ばたく音楽の裾野は広い。

 

 

3/28 GR市最終日。

最終日はミシガン湖とミシガンの自然を体験させてもらうプログラム。その前に腹ごなし。

Maggie's Kitchenというメキシカンのお店。

何十年も続いているお店で、メキシコ母の味といったお店との事。

 

タコスの生地にもしっとり系、パリパリ系が同時あって、どういう名前かは知らないが、ふわっとしたバンズも添えられる。

ザ・ブリトーである。

これがまたたまらない。

MEXOではガストロノミックに料理されていたものの原型がこれかというところ。

 

肉を柔らかく煮こんでほぐし潰したもの、金時豆であろうか大粒の豆を煮込んで半分ペースト状になったもの、クスクスだったか米だったかはちょっと覚えていないが軽く味付けしたものがプレートで出てくる。

 

総じて言えるのは、そのどれもが素材味であって、まるで手巻寿しセットを自分で楽しむような感じである。

ウェットブリトー。ドストライクに美味しい。

 

アメリカは移民国家で今もメキシコからの移民が社会問題になってはいるが、何代も前から北米と中米は陸続きで移動してきた人たちが定住している。これは大陸であれば自然な成り行きであって、こうして食の文化も交じってゆくのである。GR市はメキシコからはかなり遠いが、母の味として残せる場所はどんなところでも非常に価値が高いと考える。

 

 

腹ごなしをしてから入ったのは、Blandford Nature Center。

人工的に街が形成されてゆく前のGR周辺の自然を保全している、というか教育体験場として存在している。

周辺はサトウカエデ(メープル)の森であって、メープルシロップの文化、自然資源の持続的な開発を教えてくれる。私たちと同じタイミングで小学校の課外学習授業っぽいグループもいてた。

メープルシロップ小屋。伝統的なシロップの精製技術を見せてくれる。

 

政所茶もそうであるが、自然環境から資源を得ようとする時、植物への思いがとても大切である。全く違う食文化であってもグランドラピッズのメープルの森に関わる人々は、政所茶の人たちと全く同じ価値観を共有している。

 

こうしたことはミシガン州との交換留学生、そして滋賀からアメリカに留学する滋賀県民全員に共有してもらいたい。国も民族も文化もちがえども、価値観を共有するという姉妹都市交流の本質に近づける重要なコンテンツではないだろうか。

 

そして

絶対に見たかったミシガン湖。

 

琵琶湖の約85倍に相当する巨大な淡水湖であり、北米五大湖のひとつ。北大西洋に流れ出す水源のひとつでもある。

 

アメリカ中部やミシガン州の河川から集まるその混沌たる水は、総じて丸みを帯びて雑多であり、琵琶湖よりもまろやかな味がする。

 

なかなかの強風で記念撮影。

 

GRにある「The Cheese Ladyチーズレディー」というチーズショップへ。彼女は2代目のチーズレディーだそう。スーパーマーケットの商品たちと比べて、世界のナチュラルチーズが量り売りされる。

まあ日本人が出汁を好んで茅乃舎のようなお店があるように、チーズレディーはアメリカに住む人たちの食の裾野を支えている。

日本では見かけないようなチョイスがいろいろ。

 

GR最終日の夜は姉妹都市委員会の多くの人たちとの懇談食会。

近江八幡にホームステイした人たちや、今GR市に留学している日本人、今回お世話になったいろんな人たちと。

 

3/29

マイクさんがめっちゃおすすめしてくれたパン職人のお店へ。
Buka Bakedhouse

マスターのBujarさんはコソボ出身で、天然酵母で醸すパンは彼のお爺さんが作ってきたやり方を継承しているそうだ。オーガニックで小麦粉のチョイスもこだわりがあるようで、よく発酵したそのパンはとても香りが良いし、旨味や酸味、甘味、食味など豊かで素晴らしい。

実はマイクさんが差し入れしてくれた彼のパンが美味しすぎて、ホテルの朝食は1回しか利用しなかった。

 

 

 

さて、GRを離れて州都ランシング。

最終ミッションのミシガン州立大学へ。

アメリカらしくアメフトに熱い。大学のスタジアムがでかい。

そして校内のブランドショップもすごい。アメフトを軸に民俗としてありとあらゆるところに深く突き刺さっている。生活リズム、ファッション、レジャー、ヒエラルキー、精神と肉体、食。じつに日本と違っていて面白い。

 

で、そんなところの大学で「なぜ日本人はそうするのか」を講義。

ジブリが好きな学生さんから質問~。

 

ミシガン州立大学はバスケのマジック・ジョンソンの出身校。記念像が立ってる。

 Grand Traverse Pie Companyグランドトラバース・パイカンパニーのお弁当が昼食。チキンサラダとミシガン州産のアップルパイというかクリスプ、チェリードレッシングを添えて。普段はほとんど甘いものを食べない私にとって、珍しい昼食。だがミシガンの郷土料理としては食べるべきだろう。近江八幡でカネ吉のコロッケがそうであるように。

 

食文化においてパンはあらゆる国に伝播して、日本でももはやご飯と双璧となっている。だがしかし、小麦粉を手軽に焼いて日常的に食べる習慣は日本では極端に薄い。アップルクリスプのように簡単にオーブンレンジで作れるやり方は家庭の食であって、その裾野の広さがあってこそ、こうした市販品の商品が広く消費される。日本でパンが広く浸透したのはまさしく学校給食が大いに影響しているだろう。

 

州立大学をあとにして、プチ観光でミシガン州議事堂ちょっと見学。

ランシングにもGR市と同じようにコミュニティーカレッジがある。学科を見ているとアート系が多いように見受けられた。

ミシガン州と滋賀県の姉妹都市提携に尽力された琵琶湖汽船・重松氏にちなんだ日本庭園がカレッジ内にあって、ガーデニングを学ぶプログラムに組み込まれているのかな。

 

 

 

ランシング内を流れるグランドリバー。

GR市から見て上流に当たり、流量は少なく透明度もさして良くない。自然の多いペタッとした大地を緩やかに流れていて、日本の短い流域と速い流れの川と多く違う。う~ん、この水はちょっと飲む気がしない。下流のミシガン湖は飲めたのに。

 

晩ご飯。

ミシガン最後の夕食は松原さんがおすすめするランシング人気のレストランへ。

Soup Spoon Cafe.

帆立のソテーにフレッシュブルーベリーとバターガーリック塩ソース。帆立とフルーツが相性良いのは世界で共通。

ウォーライ、パイで包んだローストにピスタチオと蜂蜜、深く煮詰めた玉葱とベリーのペーストだったかな。甘酸っぱく塩味も効いた美味しい。日本では使わない調味の代表だが、旨い。出汁を全く使わないが上手い組み合わせだ。

シグネチャースープのひとつ、スイカのガスパチョ。

そしてミシガン湖の鱒のムニエル的な料理にアスパラソテー、サワークリーム白ワインソースにチーズとフライドオニオン、そしてブラックライス。激うま。

そして締めはバーボンとベイクドチョコケーキ。

ウィスキーとスイーツは無罪である。

オーナーのキースさんが蝶ネクタイでビシッと決めて挨拶に。

普段はもうちょっとラフらしいのだが、松原さんが「料理人が来る」って言ったもんだからこれw

ケンタッキーバーボン、100周年のメーカーさん。

いかにジャパニーズウィスキーが世界で人気を博そうとも、バーボンが持つ新鮮なホワイトオークの香りは、アメリカとバーボンそのものである。彼らの民俗であり、彼らの生み出したアルスに乾杯する。

 

 

3/30、出発

デトロイト空港で出発待ち。

思い返せば一食もバーガーを食べずにいたことを思い出す。

これは食べておかねばならぬと、空港でガッツリバーガー。

 

これでアメリカ食も終わりかと思うと寂しいくらいに、アメリカという雑多な国の中に、やはりアメリカらしさが十分に表れていて、長い歴史や伝統だけが食の価値でないことを見せている。

 

 

人が生きて繋いできた証が食の中にしっかりと現れていて、それは自然の美しい景色と同等のアルスであった。

 

 

最後に

アネッタさん、マユミさん、ベンジャミンさん、アレックさん、ケンさん、マイクさん、キャサリンさん、エイドリアンさんたちGR姉妹都市委員会みなさんの親切に心から感謝いたします。

 

マスターシェフ・ボブのおかげでGRCCでの経験がとても意味あるものになりました。

 

そしてすべてのプログラムにサポートしてくださった滋賀県庁国際課の松原さんに最大限の感謝を申しあげます。

 

ありがとうございました。

 

また次の機会に出会えることを。

アルスエレクトロニカフェス2024、むずかしい話は終わりにして、料理人らしく食い物の話にしよう。

 

今回はただただ食べたもの日記である。

オーストリアまでの往復のフライトはフィンエアー。ロシア・ウクライナ紛争の影響で遠回りで北極点を通ることに。

軽く。

ゆーてまだ日本っぽい料理。

和牛のローストビーフとか白身魚のアメリケーヌソース。

食後はチーズとハードリカーで寝ます。

 

そんなこんなしてたら、北極点を超えたら北極点通過記念カードをCAさんがくれます。

 

そうこうしていいたら13時間でフィンランド到着。

 

ヘルシンキ・ヴァンター国際空港で乗り継ぎ待ち。

 

いろいろなゲート前で売られているテイクアウト飯たち。

世界寿しと日本寿しはもう分けた方がええかもしれない。

こういうオープンサンドな感じは日本ではあんまり食べる習慣が無いですな~。ミラノやデトロイトでもテイクアウト的にオープンサンドがよく見られましが、機内食を食べてきた人にはヘビーです。

 

 

シェンゲンエリアに入ってラウンジを物色します。

朝飯的に軽くつまむライ麦の焼いたやつとピクルスとハムチーズ。

こうやって挟んで食べるとうまい。

ほむほむ、小麦粉やライ麦焼いたヤツがいろいろ。シリアル的なのも。

 

ヘルシンキ~ウィーンの乗り換え便内

さらりと説明するCAさん。フィンランド開催のオリンピック記念モデルの国民的アルコール飲料。

とてもおいしいし、そのCAさんの自然感がすごく心地いい。

まあまあのボリュームの機内食。

 

 

乗り換え航路で3時間。

やっとウィーン到着。

空港内スーパーの生もの冷蔵品お土産コーナーに、いろんなキャビが。食べないとわからんレベル。

 

オーストリアに着いて一番驚いたことがパンの安さ!!

 

空港でこの価格。

バリエーションの豊かさ、庶民主食生活の豊かさ。

そんな中にオ・ニ・ギ・リw

 

 

 

ウィーンから第三都市のリンツまで特急で2時間半。

 

到着してすぐ目に入った懐かしい店舗マークと名前。

 

「スパー」

 

 

近江八幡市で一番最初に登場したコンビニエンスストアのブランドがこの「スパー」。今から36年前。

 

しかし店舗内はコンビニというよりほんまのスーパー。

 

ゲルマン文化圏らしく加熱系ハムが日常に根付いているの見える。

様々な豆。

 

 

 

 

 

さて到着したときはすでに午後3時過ぎ。

 

ホテルへのチェックインなどもろもろしていたら夕方になるので、そのまま夕食へ。

 

 

ブッラータのサラダ。

ゲルマン的チーズのサラダ。

ショートパスタに泡。

軽いオイルソース。

ラビオリ。

 

移動時間29時間の体調もあって、お酒もほどほどにおいしく楽しんで就寝。

 

 

 

さて朝食。

毎日同じホテルの朝食なのだが、これがなかなか口に合う。

パンいろいろ。

チーズいろいろ。

ハムいろいろ、があんまりない。

むしろ駅構内やスーパーのテイクアウトのほうが加工ハムの種類と食べさせ方のバリエーションが多い。

シリアルやナッツいろいろ。

 

ガス入り、ガスなしのミネラルウォーターは大体硬度250mg程度が多い。

ソーセージいろいろ。

このミニパプリカにクリームチーズ入れたやつがうまい。

朝からスイーツはヨシオ。

 

 

さてお仕事にポストシティへ。

久納さんのナビゲーションで展示ツアーをして、滋賀大学のみなさんと昼食へ。

リンツ大聖堂の見えるレストランで。

ビシソワーズ的な根セロリのスープ。

チキンサラダ。

そしてシュニッツェル。

そうそう、やっぱりゲルマンの味を食べたい。

そしてマスの料理。

豆とセップ茸とトマトのソースで。

 

 

昼食後は今一度リンツ旧市街へ移動。

 

リンツァートルテ発祥のお店。

 

 

もろもろ打合せ終了後は夕食をプロジェクトのみんなで。

Der Stiegl-Klosterhof

修道院の中庭で食べるオーストリア料理たち。

パプリカ、セロリの効いたスープ、グラーシュ。

そしてやはりシュニツェル。

なんだったかな・・・・ジャガイモのマッシュとなんかを合わせたやつに、皮付き豚のローストかな・・・

ソーセージを再度ローストして小さなパスタと合わせた料理に、濃いめのトマトワインソース。

 

 

翌日、ワークショップの前日仕込み後、ドナウ川を渡って内陸で珍しい焼き鯖屋さんへ。

1週間に数日しかオープンしない。

Kilimanjaro Plug Fish Barbecue

愛想が悪い第一印象から、ヨシオマジックで艶熟女スマイル。

焼いた鯖にライ麦パンとジャガイモのピクルス、唐辛子のピクルス添えて。

焼き鯖をほぐしながらピクルスと食べる、さっぱりして、ジャガイモのピクルスとの相性が絶妙。

 

 

明日の準備は万端というところで旧市街に戻って会食。

 

夜はインド料理のお店へ、滋賀大学関係のひとたち、TOYOTAのひとたち、そして私たちで。

もはや何だったかわからない。インド料理、今ならもっと味わえるのに。

 

 

翌日ワークショップ当日。

ホテルの朝食後から23:00まで何も食べずに夜。

MUTO Restaurantのオーナー、ミヒャエルがまかない用意してくれた。

クネーデル。オーストリアの伝統料理で、ジャガイモを団子の皮にして、中にレバーペーストなどが入る。

 

すべてミッションが終わってからの食事とお酒は最高。

 

 

最終日は午前中に小川氏のアルス・エレクトロニカ・フェス2024全体のツアーと、今回のプロジェクトにかかわった全体でのブリーフィング。

 

昼食時間がだいぶずれ込んで、空いてるお店でクラフトビールとバーガー。

 

最終日はDASミユージアムやアルス・エレクトロニカ・センターの展示へ。

 

 

最終日の夕食はドナウ川沿いのイタリアンレストランでプレートオードブルからのいろいろ。

 

話は尽きず。

みんなで開けたリモチェッロ。

 

 

 

翌日移動日。

ウィーンの空港ラウンジでクスクスとオーストリアワインで。

3時間のフライトにもシュニッツェルでてきたw

 

 

 

ヘルシンキ乗り換え待ちではフィンエアラウンジが使える。

充実の煮物料理たち。

しかし機内食もしっかり出ると予想して、スイーツとカクテルで時間つぶし。

おしゃれなヘルシンキ空港のインテリア。

 

 

 

機内食はさすがのしっかりとしたメインディッシュ感。

パイ包み焼の肉とサラダたち。

 

寝てたらもう日本手前。

もう関空に着こうかというぐらいに朝食。

 

ごちそうさまでした。

 

  Ars Electronica Festival 2024

2024年の話。

9/4~9/8
アルス・エレクトロニカ・フェスティバル2024に、お仕事で行ってきた。



世界最先端のデータ、アート、サイエンス、そして音楽のフェスである。



これはTOYOTAさんという世界企業が「未来のため」に考え、そして取り組む事業のひとつで、私はそのほんの一部である。



(芳賀健氏作、琵琶湖水系河川流域の降雨・水量を時系列で視覚情報としてみることができるLEDパネル)

アルス・エレクトロニカ
About Ars Electronica

 



フェスを主催している「アルスエレクトロニカ」自体は、世界的な文化教育機関、というのがとても日本語的表現かもしれない。だが実際はもっと横断縦断し、ありとあらゆるヒト・モノ・コトとネットワーキングしていてる。







「発想の泉源」

「思考の動物園」

「あしたの道しるべ」



というところだろうか。





 
Compass ,Navigating the Future


(アルスエレクトロニカ・センターの広報パネル)



ふふふ。



むずかしい・・。



未来への羅針盤。



11年前、日本政府はデフレから抜け出す直前で増税、つづいて10%に増税したら、案の定デフレ停滞してしまった。間違っていた。

80年前、日本は英米と戦うことが国益として選択したが間違っていた。

100年前、世界の資本主義は暴走し、マルクス哲学を試してみたが間違っていた。

500年前、欧州は宗派の違いで殺しあったが間違っていた。

1400年前、大和朝廷は大唐帝国と戦ったが、間違っていた。


2300年前、儒が大きな政治思想となったが、易姓革命という暴力革命が正当化されてしまった。



宗教、経済、イデオロギーの摩擦は、いつの時代も最終的解決手段に選択されるのはパワーになる。残念ながら。







日本の食や文化、それをつむぐ自然、環境、民俗、歴史、習慣、身体的能力・・・データでそれらを読み解き、最新のテクノロジーとして具現化したとき、もしかしたら明るい未来への道しるべとなるかもしれない。

Ars(アルス)とはアートの語源になるラテン語である。

 

 

 

 

  日本人のArsアルス

アートを日本語訳すると「芸術」と翻訳されるが、語源のアルスに立ち戻ると、芸術とはちょっと違うという事が見えてくる。



一般的に日本ではアートを芸術と翻訳してきたことで、アートの本質がちょっと見えない。私もいまいちわかってなかった。


(あらや滔々庵 現代作家さんの絵画と花入れ)


絵画や書、音楽、立体造形や建築物、服飾、和歌やポエム、舞踊、浄瑠璃、オペラにバレエ、ミュージカル、映画、写真。そんなものたちが芸術でありアートであると。

 

 


だがアルスやアートの意味するところには技術も含まれているのである。これはアルスのさらに語源であるギリシャ語が「テクネ」であることを知ればもっともなことであると理解できるだろう。テクネはそうテクニックの語源である。



見た目の華やかさや美しさ、色鮮やかな盛り付けを指して、まるで絵画や景色の美しさを称えるがごとく「芸術的」と料理を評価することに何ら間違いはない。だがしかし、技術こそがアートの本質であるとするならば、その賞賛の本質は見た目ではなくその美しさを作り出した技術をこそ称えているのである。





アートの泉源は技術であるとするならば、
技術の根源は民俗である。

民俗はだれしもに益をもたらす文明の利器ではなく、
特異点に発生する知恵の発露。


とどのつまり、アートの泉源は民俗を作り出すローカルな人であり地域なのだ。





日本はいまのところ実に多様でユニークな地域文化をまだ残している。飲食業界のトレンドは経済偏差を背景にグローバル化というか平準化が進んでいるようにも感じるが、一方でローカリズムも強く息づいている。

(応量器は林業・木地師・漆工・禅・精進そして料理が一体となって表れた日本のアルス)

日本人ほど食い物にあーだこーだ言う国民性地域性もないだろう。ファストフードからガストロノミーまで、誰もが食べ物に一家言を有している。まるでゲルマン人が交響曲に誰もが一家言を有するがごとく。


日本にとって料理と食にまつわる技術は、誰もが論するアートであり、そしてアルスなのだ。

 

 

ちなみにアルスエレクトロニカフェスは根源的に音楽フェスを出発点にしているため、ブルックナーの交響曲がフィーチャーされる。

 

  体感するワークショップ



アルスエレクトロニカフェスでは様々なイベント、コンサート展示、カンファレンス、そしてワークショップが行われる。
 

 

 

メイン会場であるポストシティ前広場。

 

ポストシティにある象徴的な造形物。

これは手紙全盛であった時代に使われてきた手紙の分配シューターである。手紙が人々の意思疎通の中心の時代には、ここをありとあらゆる人々の思いが駆け巡ってきた場所である。現代はメールとSNSでほとんどのやり取りがなされるようになり、ここも遺物となったわけであるが、「思いの通路」と言っても良い。

 

小手先で作られたものではない、人々の記憶があふれている。

 

ポストシティ全体案内図。

 

1F、音楽メインステージ準備中。ここは郵便が鉄道中心であったときのプラットフォームである。

手紙に記された人々の思いが出発する場所だった。

 

そして地下はかつて核シェルターでもあった。分厚いコンクリートの壁に囲まれた部屋にも、さまざまなアルスが表現される。

 

 

ポストシティー・メイン会場以外にも、リンツ市内の色々な場所がその会場となる

リンツ大聖堂。ブルックナーが落成式公演を行なった場所であり、アルスエレクトロニカフェスの初日はここでブルックナー交響曲が演奏され、屋外では新しい音楽とBon Danceで盛り上がる。





私たちのチームのワークショップは「Muto」というfineDiningを貸切って行う。



ワークショップの内容は大きく分けて3つ。

・鮒ずしキットによる鮒ずし作り体験

・淡水魚の寿しと出汁による水と滋賀の食

・日本酒による水の体験



奥村佃煮と龍谷大学の共同開発による「クラフト鮒ずしキット」

1匹単位で家庭でも鮒ずしを作ることができる、まさしく鮒ずしを家庭に取り戻すひとつの方法である。







材料はすべて現地調達。

 

意外にも淡水魚の種類としてはほぼ琵琶湖と変わらないような種類が手に入る。鯉、鮒、ます、イワナ、そしてニゴイ。もちろん厳密には違うが形状はほぼ同じであった。

オーストリア・リンツ周辺でとれる淡水魚。塩漬け(塩切)の工程はMutoのシェフが事前に仕込んでくれていたものだ。コメはEUで購入可能なジャポニカ種で「SUSHI RICE」なるものを使う。なぜ日本から持ち込まないのかについては別で記そう。





奥村吉男が熱心に語る!





そしてトミーの七本鎗たち。

木之本のテロワールである。



七本鎗の水源となる木之本の水は何を運んだのか。そして発酵はその水と米をどう変化させたのか。

語るトミー。

 

 

 


そして私のパート。

オーストリアのニゴイをオーストリアの水で煮込む。

上方寿しの要領で箱寿しに仕上げる。

 

京滋地方特有の鱧の箱寿しと同様、こうした郷土色のある箱寿しは日本全国でみられる。



そしてオーストリアの淡水魚を塩とタレの源平寿しに仕上げる。

ワークショップで伝える日本の郷土と環境。

山、森、岩、土壌、河川、田畑、集落、農業、琵琶湖、そして私たちの暮らし。そうして累々とつながれてきた日本の、いや滋賀のアルス。

 

オーストリアで再現してみせた。
ワークショップのメインテーマは「水」である。
 

  水の料理

今回のオーストリア源平寿しは、リンツ周辺で手に入る鯉・ニゴイを使用し、オーストリアの水を使って調理した、純正オーストリア淡水寿し。

一方、比較テイスティングに使用した水は、あえて滋賀県で採取された3地域の軟水・中軟水を持ち込んだ。

オーストリアのポピュラーなミネラルウォーターは硬度300mg程度であり、ニゴイのスープはそこに抽出した。

 

欧州に多い硬水のミネラルウォーターは、魚介の臭みや野菜のアクなどが抽出・溶解する割合が低い。

 

つまり、生臭さやえぐみがスープに出にくい。代わって旨味も抽出されにくい。




日本の軟水・中軟水をそのスープにブレンドしてどれほどの違いが感じられるかを試してもらったわけだが、この非常にささやかで判別しにくいテイスティングは、日本の料理思想がいかに水に起因しているかを印象付けるためのものである。

 

実際には、硬水で抽出された魚骨のクリアなスープに日本の軟水を添加すると生臭みが出てくるのであるが。



出汁はもちろんの事、煮物、お浸し、炊飯、お茶、日本酒、鮒ずし、そして日本のすべての調味料においても、水環境が変わると違った調理法が発想される。

 

 

今回わざわざオーストリアで調達した淡水魚と米を使った理由は、今回のワークショップがきっかけで、もしかしたら鮒ずしの新しい未来が欧州で開くきっかけかもしれないと思ったからである。

 

トマトケチャップがもともとインドネシアのケチャプという魚醤から伝えられ、アメリカに行った時にはトマトケチャップという全く違うものに変わってしまったが、「ケチャプ」というルーツの記憶は言葉に残している。こんな面白いことがもしかしたら欧州で起こったら、ヨシオの第一歩は歴史に残る偉業になるかもしれない。ならない確率が高いが、やらなければ永遠に確率は0%でもある(笑)

 




本題に戻って
日本の食文化の原点は水環境と言ってもいい。

 

 

滋賀の水、琵琶湖の水は私たちの食をどうさせたのか。

(琵琶湖水系愛知川最上流政所の清流)

 

つまり、水こそが日本のアルスの根源であると、私は認識するのである。

 

水=日本であり、日本を最も表現する方法、つまり松岡正剛氏が提唱していた「日本という方法」というのは水であり、その表現方法のひとつが食であり料理なのではないだろうか。

 

残念ながら松岡氏は昨年夏に帰幽されたこともあり、答え合わせは永遠にできないのであるが。


日本料理は水の料理。

 

 

「水の料理」は故ベルナール・ロワゾー氏をして「キュイジーヌ・ア・ロー」と称されて数十年が過ぎたが、氏の料理は伝統的なフレンチから飛び立った新しさであったが、日本のアルスにおいてはもっと根源的なものを指すのではないだろうか。

 

出汁に限らず、和え物、煮物、飯、漬物、茶、果ては焼物料理ですら素材の水環境は料理を構成している重要な要素である。

 

 

 

さて、随分と過ぎ去った話を書いているが、これは現在進行形を整理している日記である。

 

 

過去にない長さかもしれない記事になってしまったかな。

 

続きはお気楽なリンツ食日記にしておこう。