本日は奈良・漢国神社(かんごうじんじゃ)と率川神社(いさがわじんじゃ)の例祭「鎮華三枝祭」。
三枝とは山百合・笹百合のことで、例祭は奈良一宮・大神神社に由来する、日本でも最も古い例祭の一つだ。
清和四條流では数十年前から例祭に庖丁式を奉納しているが、今年は私が庖丁人として「神厳の二見鯉」を奉納した。
メディア係はいなかったので最中の写真はないが、師範からは満点で評価をいただいた庖丁式でした。
男女や陰陽を表現したり、穢れと浄めをあらわしたり、
様々な意味が込められていて、形状をいろいろ。
古来、まんじゅう神様として日本に最初に菓子を伝えた
渡来人の「林」氏がまつられていることから、
全国の和菓子メーカーからの崇敬をあつめている。
しかしながらこの神社のすごいところは
古事記や日本書紀に記される
まさに日本の正史にその存在を見ることができる。
その史跡がこれ。
「白雉塚」だ。
これはただの石碑だが、
ここに白雉が納められたという場所。
白雉とは漢字のとおりしろいキジのことで、
百済から日本の天皇に献上され、
この漢国神社でお上の白雉を預かっていた。
本来の雉は色がついているので、
白雉とはアルビノゆえにとても珍しい。
ゆえに古代では現れること自体が吉祥とされ、
神鳥・白鳳にもたとえられたとのこと。
(最近心ある人から漢国神社に本物の白雉のはく製が献上された)
吉祥の鳥が百済王から天皇に献上され、
吉祥の年として、
かの大化の改新で日本初の元号「大化」が定められた
次の元号、日本第二の元号は白雉となったのである。
なぜ漢国神社にそんな神鳥ともいえる白雉が預けられたのか。
それは大神神社にまつわる日本最初の王朝の歴史にまつわる。
神武天皇より数えて37代。
時は大唐帝国と大イスラム帝国が世界を席巻している時代。
オオミワの物語はまだちゃんとリアルとして息づいていたのだろうな。