現行憲法による「地方自治」保障と「二層制」 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

前々回前回の記事では、「道州制」の下では、
国家下に自治体>が置かれてしまう
三層制」という言葉が出てきました。

今回は、
いま死守せねばならない《現行憲法》が
地方自治を保障するのですが、
地方自治のために、
なぜ二層制を採用したのかについて
見てみたいと思います。


戦前の「日本帝国憲法明治憲法」における
地方制度は、
1886年の地方官官制に基づいて
国家の中央政府が任命する「国の官吏」として
府県知事が充てられ、国の大臣の指揮監督のもとで、
府県の事務処理されていたのに対して、
1946年制定の「日本国憲法」においては、
地方自治体
中央集権的な官治体制から独立した完全自治体
にするために、
から独立した法人格をもつ地方自治体として
新たに設け
そして地元の住民が選択決定できる「公選制など
が採用され
そして戦後の自治体制度は、
都道府県」と「市町村」という《二層制》として
制度化されたのでした。

 なぜ戦後の「日本国憲法」においては
地方自治」が保障されたのか、について、
押さえておきたいと思います。

日本国憲法が、
「地方自治(地方による自治)」を保障したのは

A)
全国的に画一的な施策を実施する官治行政
ではなく、
地域の特殊な利害状況に、
それぞれ対応した自治行政」を
もたらそうとしたから。

B)「地方自治」は、
民主的な国政の基盤の形成に資する
と考えられたから。

のようです。


というのには、
地方自治体の運営に、<住民>が参加することで
地方自治行政の”民主化徹底してもらい”、
それを通して
”「国政の民主化の基盤を培ってもらう
という意図があったからのようです。


そして、その「地方自治」のために、
二層制」が採用されたのは、
戦前の府県制>では
中央集権的な制度」だったことを反省して、
戦後においては、
市町村>に加えて、<都道府県をも
完全自治体」にした《二層制》にすることで、
戦後こそは、
”「地方自治」を実現させよう”としたようです。


戦前における
市町村だけの「単層的地方自治制」では、
”かならず「国の出先機関」が生まれ、
結果的に、
地方自治を圧殺してしまう”ことになってしまうので、
市町村に加えてもうひとつ
歴史的かつ伝統的に、
地元の広域的地方公共団体として存在していた
府県>を、
国から独立した法人格をもった「完全自治体化」
にしたようです。

しかも、
>と<都道府県市町村>との基本的関係は
戦後においては制度の建前としては、
戦前とは違って
対等・平等の関係に置かれることになっています。

しかも、「明治憲法においては
主権者は<天皇>で、
国民は<天皇の臣民でしかなかったのが、
戦後においては、<国民>が「主権者」となり、
『戦後憲法』の前文にもあるように、
<国>や<自治体>という
政治システム・統治機構というものは、
国民住民権利利益福祉基本的人権」を
保障するために存在する”ことが
存在理由・存立理由”であるので、
住民の人権保障し実現するための機構としての
都道府県
>も<市町村>も共に
住民人権を保障し”、”民主主義を確立する
のに不可欠な「地域レベル統治団体」として
<自治体>は、
『戦後憲法』においては
位置づけられるようになったようです。


そのように戦後憲法』は
自治体を位置づけるのですが、
戦後の<都道府県>は、
どのようになったのか、
すこしだけ見てみたいと思います。


(つづく)




(参考文献)
渡名喜庸安・行方久生・晴山一穂 (編著)
『「地域主権」と国家・自治体の再編
~現代道州制批判~』 日本評論社 2010年


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