前回記事では、
戦後の憲法が、「地方自治」を保障することで、
民主化を強化しようとし、
そのために<市町村>に加えて
<都道府県>も「完全自治体化」して
《二層制》にした事について見ました。
なぜ「二層制」にしたのか、とういと、
自治体が<市町村>だけだった――単層的地方自治制度――戦前では、
<市町村>に「国の出先機関」が張られて、
国に取り込まれてしまうから、
今度は<都道府県>も”自治体化”して
《二層制》にすることで、国に取り込まれて、
”地方自治が圧殺されてしまうのを避けよう”とした
ということを書かせてもらいました。
そうした憲法理念の他方で、
戦後の地方自治体の動きについて、
すこし見てみたいと思います。
上記のような憲法理念のもと、
「都道府県知事の公選制」など
「都道府県の完全自治体化」が保障され、
地方制度改革が行われたのでありますが、
しかし地方制度を、
戦前と同様に、中央集権的に活用したがった
(旧)内務官僚たちが、
「法律レベル」では「機関委任事務制度」を、
戦後においても<都道府県のレベル>に、
”適用拡大する”ことで、継承したのでありました
(地方自治法1999年改正まで)。
この「機関委任事務制度」の、
<都道府県という完全自治体>への「拡大適用」
でもって、この「制度」を通じて、
<都道府県自治体>は<国家政府>から、
指揮監督を受けるようになり、
そして<市町村自治体>は、
<国家政府>と<都道府県自治体>との双方から
それぞれ指揮監督を受けるようになり、
結果的には
<国>と<両自治体>との「上下関係」が、
復活・維持されるようになってしまったようです。
この「機関委任事務制度」の復活および
<自治体化した都道府県>への「拡大適用」により、
<都道府県の知事>は、
「地元における国家事務を行なう」と同時に、
<市町村(などでの国家委任事務)>に対しては、
「監督官庁」的な「優位位置」に立つように
なってしまったようです。
ここに、「機関委任事務」制度でもっての、
<都道府県自治体>の「半‐国家機関化」
「国の総合出先機関化」が成立してしまうのを、
見受けることができます。
また他方、
戦後憲法の「地方自治」保障により、
<都道府県>と<市町村>の完全自治体化のための
《二層制》を採用した当初は、
<都道府県>と<市町村>の、
それぞれの性格や役割分担が
明確にはなっていなかったようですが、
1956年の地方自治法の改正により、
<市町村>は「基礎的な地方自治体」
<都道府県>は
「市町村を包括する広域な地方公共団体」
という性格づけが、なされるようになった模様。
この事から、
「機関委任事務制度」により、
「国民に対する国の事務を委任されたもの」については
<都道府県自治体>は
<市町村自治体>に対して”優越的な地位に立つ”
”国の出先機関化した”他方で同時に、
戦後憲法保障からくる《二層制》構造の下では
”地方自治に関して市町村による中心主義”が
採用されるようになって、
<都道府県自治体>は”補完的地位”に
立つようになったようです。
そうした立場に立つ<都道府県自治体>は、
1964年の臨時行政調査会による「機能分担論」が
打ち出されて以降は、
「機関委任事務」を中心にして
「<都道府県>独自の事務領域」が
”大幅に拡大される”ことになります。
すこし地味で退屈な内容だったかもしれませんが
「戦後憲法による人権保障」という
《20世紀憲法》的側面と
「機関委任事務制度」という
明治からの《中央集権の負の遺産》的側面とが
絡み合って、戦後における成り行きでは、
興味ぶかい展開を見せるのでありました。
(紙幅などの都合上、つづく)
(参考文献)
渡名喜庸安・行方久生・晴山一穂 (編著)
『「地域主権」と国家・自治体の再編
~現代道州制批判~』 日本評論社 2010年
~現代道州制批判~』 日本評論社 2010年
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