ひろさちや氏の心に響く言葉より…
仏教では阿修羅(あしゅら)
この阿修羅は、ほんらいは正義の神であった。
だが、彼はみずからの正義にこだわったがゆえに、
正義の神を魔類にするところに、
つまり仏教は、
「正義にこだわってはならない!」
と、われわれに教えているのである。
わたしたちは、ときに他人と対立し、争うことがある。
どう考えても相手に非があり、相手が悪い。
そういうときがある。
でも、だからといって、独り寝床の中で相手をなじり、
自分の正義を主張すればするほど、ますますイライラし、
じつは、それが「阿修羅の正義」である。
阿修羅は正義の神であるから、その主張は正しい。
けれども、仏教においては、阿修羅は魔類である。
したがって、あなたが「阿修羅の正義」を主張し、
魔類にこころの平安がないのは当然である。
あなたは一刻も早く阿修羅であることをやめ、
それにはどうすればよいか…。
あなたは正義にこだわることをやめて、
怒りそのものはそのままにしておいて(怒りを消し去ることは、
そのやさしさが人間であり、
仏教はそのように教えている。
小林正観さんの「正義感」の話がある。
『「自分はちゃんとしているのに、
ある段階までこなければよかったのに、
「怒り」「憎しみ」という感情を振り回せば、当然、
ですから、「宇宙の法則」で見るととても損。
したがって、あまり「正しい人」にならないほうがいいようです。
「正義」や「使命」を自分の中に感じ、
「正しい」ではなく、それをやることが「楽しい」
正義感を振りかざした途端、まわりから人は離れていく。
それがどんなに正しかろうと、一方的に言い立てられたら嫌になる。
また、お互いに自分の正しさを主張し合ったら、
正義感を振りかざす人は、人を許すことができないからだ。
正しいか正しくないかではなく、楽しいか楽しくないか。
正しく生きるより、楽しく生きるほうがいい。
「阿修羅の正義」
正義感を振りかざさない人でありたい。
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