映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-ク  歌謡曲だよ人生は! -4ページ目

 

 

    <ジャズ喫茶・ライブ>

 

 

 

CBSソニ-発足第1号ア-チストとして、「旧約聖書」で華々しくデビューしたアダムス。

グループサウンズ人気投票では、15,517票を集め堂々の14位に輝きました。

中高校生を中心としたティ-ンエイジャ-に支持されたが、惜しまれつつ1969年11月に解散。

今では、当時を知らない 「後追いGSファン」 にも人気が高いGSです。

 

<メンバー>

・轟健二   ボ-カル(けんちゃん)

・水谷公夫  ギタ- (インコ)

・千原秀明 べ-ス(チーちゃん)

・川上幸夫  ドラム (クーキー)

・土屋守 オルガン(まもちゃん)

 

  

 

 

 

 

 

・加藤征也 (マネージャ-)

・吉田茂樹 (ボ-ヤ)

・中野良一 (ボ-ヤ)

 

吉田茂樹氏は、1969年に 「ザ・ファニーズ」 に参加しプロデビュ-。

「はだしのマリア」 で、デビュー予定だったが解散。

 

 

吉田茂樹氏は、ファニーズ解散後に 「ロックパイロット」 に参加。

 

 

しかし、レコーディングには参加したが、レコード発売前に脱退。

 

1972年6月のロックパイロット解散コンサートでは、サプライズゲストで 「嵐の恋」 を熱唱。

当日、元アダムスの轟健二氏が運転する車で、吉田茂樹氏は会場を後にした。

しかし、残念ながらその年の暮れに若くして亡くなりました。

 

また、アダムスのボ-ヤだった中野良一氏は、ロックバンド 「外道」 のドラムスとしてプロデビュー。

 

 

ロック・パイロットは、GSのアイドル色を引き継ぎ、さらにロック志向の強いバンドでした。

「グループサウンズとロック」 の橋渡しとしての貢献をしたと思っています。

短期間の活動で、シングル4枚アルバム3枚を残しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映像

 

 

 

自分が初めてアダムスを聴いたのが、1980年代の深夜ラジオでした。

壮大なイントロを聴いた時はインパクトが強く、他のGSの曲が耳に入りませんでした。

 

 

 

アダムスについて、写真、音源を交えて簡単に紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

1968年6月16日(日) 池袋ドラムで初ステ-ジ。

同じ日、新メンバーで再結成されたアウトキャストもデビューしました。

 

 

翌、17日にTV番組ヒットパレードで 「素敵なバレリ」 を歌いテレビ初出演。

 

7月10日、「CBSソニ-」 が設立。

第1号ア-チィストは、アダムスとバロネッツに決定。

 

 

7月30日 「旧約聖書」 「ギリシャの丘」 をレコーディング。

当初のタイトルは 「バイブル」 であった。

「旧約聖書」 に変えて正解だった気がします。

 

 

第36回 日劇ウエスタン・カーニバルに出場。

ステ-ジでは、レコード発売予定の 「旧約聖書」 を熱唱。

 

 

 

 

この第36回 日劇ウエスタン・カーニバルより、全席指定席となった。

それでも、早朝から並ぶファンの数が半端なかったのはなぜだろう。

 

 

  

 

その後、新宿ACB、ヤングメイツ、横浜プリンスなどのジャズ喫茶を中心に活動。

ちなみにジャズ喫茶としての最後のステ-ジは、1969年9月28日(池袋ドラム)でした。

8月29日 「ヤング720」 に初出演し、旧約聖書を熱唱。

この日は、久美かおりも出演しました。

 

1968年9月5日、「旧約聖書」 を発売。

15日に目黒パ-クにて「ファンの集い」を開催。

 

 

・旧約聖書 

(ボ-カル・轟健二) 

GS史上、最も派手なイントロから始まる壮大な楽曲

山下達郎が、好きな曲とラジオで語っていました。

 

・ギリシャの丘

(ボ-カル・土屋・千原) 

 軽快なポップス調のGS楽曲 

 

 

 

 

 

 

 

デビュー曲が 「8月発売」 と書いてあるが、実際は9月である。

これが昭和の良いところ。

ファンクラブも立ち上がり、順調なスタートを切りました。

会費が200円。レコードが370円~400円の時代でした。

 

 

 

 

1年の活動中、ファンクラブ・会報が2回発行されました。

ともに、ファンが喜ぶような内容です。

 

 

 

 

当時、雑誌ではファン同士の交流もあったようです。

今、この住所にいきなり

 

”文通しませんか?” 

 

と手紙を出したら返事が来るだろうか・・・・

 

それにしても、全国あちこちに熱いファンがいたもんです。

 

                                                           

 

 

雑誌の企画で 「ファンからのインタビュー」 が行われました。

50年前ですが、ファンは一般人ですので顔を塗りつぶしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月20日 レッゴ-・ヤングサウンズ(フジテレビ)出演。

この日は、スパイダ-スとゴ-ルデン・カップスとの共演でした。

「旧約聖書」 は、電子ピアノから始まる迫力あるイントロで始まり、轟健二のお祈りポ-ズが印象的だったようです。

この曲を歌う時、聖書を手にして歌う事もあったようです。

 

 

 

 

ウイア-・ハッピ-・ピ-プル

 

 

掲載出来る文字数の制限で、今回はここまです。

 

次回 アダムス② を作成します。

 

また、アダムスが当時好きだった方、後追いで好きになった方、直接メ-ルください。

 

アダムス②へ続く

中世の騎士 アダムス ② 

 

 

 

 

 

 

 

1968年3月公開(松竹)

 

 

1968年、グル-プサウンズ・ブ-ム真っ只中に公開された映画である。

 

当時 「世界は僕らを待っている」 「涙のあとに微笑を」 などの多くのGS主演映画が作成された。

 

「嵐に立つ」 は、シャ-プホ-クスやカ-ナビ-ツが出ているにも関わらず、GSマニアの認知度があまりに低い映画だ。

ぜひ観たいと言う声はほとんど聞かれない。

 

この映画、主演は中山仁と尾崎奈々となっているが、どちらかと言うと安岡力也とシャ-プホ-クスだと思う

 

   

 

ジャズ喫茶 「ニューポート」 を舞台に繰り広げられる芸能界の裏の世界に、まっすぐな心で立ち向かうミュ-ジシャンとスタ-を夢見るバンドの物語である。

 

比較するのは難しいが、ザ・タイガ-スの映画 「華やかなる招待」 では不良高校生に扮したタイガ-スのメンバ-が、夢を追い求めバンドを結成しスタ-になっていくが、「嵐に立つ」は、刑務所帰りの不良たち (シャ-プホ-クス) がバンドを結成し,スタ-になっていく。

 

ちなみに、映画のシャ-プホ-クスはメンバ-は6人で  「遠い渚」 の頃の4人組でバック演奏は井上宗孝とシャ-プ5の頃と違い、自分達で演奏するスタイルとなっている。

 

 

 

 「安岡力也とシャ-プホ-クス」 としてレコ-ドを発売したがセ-ルス面はイマイチであった。

この頃、 「安岡力也とシャ-プホ-クス」 はテレビに出ていたのだろうか。

 

1967年頃から連日、テレビで出まくっていた各GSの面々、いつの間にかテレビに出なくなっていた。

関西方面のOさんが、昨日貴重な資料を送ってくれた。

1970年に各GSが解散し、GSとしてのテレビ出演が減っている中、最後に現役GSとしてテレビ出演したのが、1972年7月23日(日)12:45~13:15 『ロッテ歌のアルバム』 に出演した 「ジャッキ-吉川とブル-コメッツ」 である。

 

それ以降~新聞番組欄にはGSの名前が消えた。

勿論、再結成してテレビに出演したGSもいたが少し意味合いが違う気がする。

 

再結成が一番目立った年が1976年。

 

7月16日 『今週のベストワン』 では 「遂に実現!懐かしのGS大集合」 のタイトルでゴ-ルデンカップスなどが集結。

 

8月1日 『ヤングインパルス』 では 「ヤ-ヤ-ヤ-GSがやってくる」 のタイトルで多くのGSが集結しています。

 

9月11日 『ベスト3夢の顔合わせ』 では 「美奈と五郎でGS復活」 なんて番組も放送された。

 

1972~1982年の10年間のGS関連テレビ番組が詳細に書かれている、貴重な資料です。

 

    

 

『嵐に立つ』 ・・・オープ二ングでいきなり、カ-ナビ-ツが登場し 「好きさ好きさ好きさ」 を熱唱。

アイ高野のお決まりのポ-ズがアップで映しだされる。

 

   

 

映画の中のバンド練習のシ-ンでは、ゴキゲンな演奏シ-ンを見せてくれる。

ゴキゲンなんて言葉、平成では完全に死語となっています。

ただ1960年代後半では、ゴキゲンと言う言葉がよく使われたようだ。

 

下の写真の練習シ-ンでは、珍しくインストナンバ-を披露している。

 

 

チンピラ役の安岡力也の演技は、迫力満点である。

   

 

河原で演奏するシャ-プホ-クス。

電気はどこから取っているのかとかは、考える必要のないのがGS映画の素晴らしさである。

 

やはりGS映画の醍醐味は演奏シ-ンである。

 

 

 

ヒット曲 「レット・ミ-・ゴ-」 では、迫力ある演奏を聴かせてくれる。

それもレコ-ドとは別テイクでカッコイイ。安岡力也はギタ-を弾いているが、弾けたのだろうか。

 

  

 

  

 

とにかく、シャ-プホ-クスの演奏シ-ンが多い映画です。

ジャズ喫茶での演奏シ-ンでは、突然演奏を止めて喧嘩が始まり、ヤクザとの殴り合いが始まる。

気の荒い役の安岡力也の俳優としての演技力は、この頃から輝いている。

ヤクザに飛びかかろうとする安岡力也を止めるメンバ-も、必死の演技をしているのが伝わる

 

  

 

  

 

中山仁に説得され、夕陽を見ながら反省するメンバ-達。まるで青春映画のように爽やかである。

 

  

 

ジャズ喫茶で演奏するのは、未発表曲 「太陽の子」 。

踊っている若者達も楽しそうだ。

シャ-プホ-クスも白のお揃いユ二フォ-ムでかっこい。

 

  

 

しかし、シャ-プホ-クスのメジャ-デビュ-を邪魔する 「悪徳芸能プロダクション」 の嫌がらせは続き、ついに安岡力也が我慢出来ずに 「悪徳芸能プロダクション」 に単独で乗り込み、監禁されてしまう。

 

  

 

監禁された安岡力也を助けようと奮闘する、シャ-プホ-クスの面々。

ついに安岡力也を助け出す。

 

とにかく暴力シ-ン、または銃撃戦など青春映画の分野には入らない映画だ。 

 

  

 

最終的には、メジャ-デビュ-しテレビ出演で人気バンドとなったシャ-プホ-クス。

 

この時代によくある、ゴ-ゴ-ガ-ル達と共に歌って演奏しているテレビでのシ-ンは、これぞGS!と思わせるカッコよさだ。

 

  

 

最近、普通に動画をアップするのではなく、映像をぼかしたり斜めからテレビ画面をカメラで撮影しユ-チュ-ブなどにUPするのが流行っているらしい。

ちょっと試しにやってみました。

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

  

 

同じメロディなのに、歌詞やタイトルが違う曲があります。

そんな曲を並べて音源をアップしました。

興味ある人は聴いてみてください。

 

自分は、「また逢う日まで」 が真っ先に浮かびます。

元歌である 「ひとりの悲しみ」 が発売されたのが1970年2月。

「また逢う日まで」 は、1年後の1971年3月に発売されました。

 

・「また逢う日まで/尾崎紀世彦」

・「ひとりの悲しみ/ズ-ニ-ブ-」

 

明日が見える~~今日の終わりに~~  ➡  また逢う日まで~逢える時まで~

 

 

当初、この曲は 「槇みちる」 が、三洋エアコンのCM用に録音しました。

その時の曲は、「やなせかおる:作詞 筒美京平:作曲」 

やなせかおるは、アンパンマンの作者であります。

 

筒美京平は、この曲をレコード化したいと考え、阿久悠に作詞を依頼。

出来上がった歌が 「ひとりの悲しみ」でした。

 

しかし、世の中は完全なグループサウンズ衰退期。

せっかくの名曲なのに 「ひとりの悲しみ」 はヒットしませんでした。

 

そして、尾崎紀世彦と 「また逢う日まで」 の運命的な出会い。

 

尾崎紀世彦が、 「ひとりの悲しみ/ズ-ニ-ブ-」 を聴いて、

 

 

”もし、これが売れなかったら、自分に歌わせて欲しい”

 

 

と音楽関係者に依頼したらしい。

 

予想通り、「ひとりの悲しみ」は売れなかった。

約束通り、尾崎紀世彦が歌詞を変えてレコード発売。

 

尾崎紀世彦は 運がいい! と何かに書かれていました。

しかし、尾崎紀世彦が自分で見つけてきた曲なんです。

尾崎紀世彦の音楽センスが、曲を生き返らせたんです。

 

 

 

・「別れた人なのに/ブルーコメッツ」

・「白い花/江田聖明とブレイズ」

 

 

 

ジャッキ-吉川とブルーコメッツは、LPに収録。

江田聖明とブレイズはシングルB面にて発売。

聞く限り、歌詞とメロディは同じでタイトルが違うだけです。

「別れた人なのに」 は、「ベストvo2」 と言うLPに収録されました。

なぜ、ベスト版LPに未発表曲を・・・・・

 

 

 

 

 

・「涙のシッポ-/ザ・タイガ-ス」

・「緑の館/城みちる」

 

 

 

  

 

「涙のシッポ- 」 は、「廃墟の鳩」 の次のシングル発売用に録音。

しかし、理由は知りませんが 「青い鳥」 がシングル発売されました。

残念ながら 「涙のシッポ- 」 は未発表曲となったが、解散後20年以上経ってCDに収録された。

「緑の館」 は、イルカに乗った城みちるによって、「星空への誓い」 のB面にて発売。

基本ベ-スのメロディは残っているが、アレンジして雰囲気が変わっている。

最近、城みちるを見かけないが、どうしているのだろうか。

 

 

ちなみに城みちるは、元ゴ-ルデンカップスのマモルマヌ-がシングル発売した 「サンゴ礁の娘」 もシングル発売。

哀愁あるマモルマヌ-の曲調と違い、明るく歌う 「城みちる」 らしさが出ている。

 

「サンゴ礁の娘」 は、1980年頃に深夜放送で初めて聞きました。

10年くらい、ゴ-ルデンカップスのオリジナル曲だと思い込んでました。

 

 

  

 

 

・パンパパ・パンパン/ブルー・ジ-ンズ

・恋のシンガリング/スト-ンズ 

 

 

「恋のシンガリング」 は、レコード未発売。

しかし、1985年に発売された 「面白愉快で懐かし原盤vol.1」 と言うLPレコードに収録された。

そのレコードでは、バンド名は 「石橋四郎とソールフォー」 。

 

その後、 「昭和元禄トーキョーガレージ 恋のサイケデリック」 でCD化。

CDでは、「石橋四郎とスト-ンズ」 となっていた。

 

ブルージ-ンズもスト-ンズも、ボ-カルはルイ高橋。

 

「恋のシンガリング」  ➡  「パンパパ・パンパン」

 

どうしてタイトルが、こんな風に変わってしまったのか不思議だ。

 

 

今度は、どちらもレコード発売されなかった悲運な曲を紹介します。

 

・ルビ-の涙/ヴァン・ドックス

・海に帰った少女/アイドルズ

 

 

 

  

 

タイトルは両方ともGSっぽい。

「ルビ-の涙」 は、2000年発売のCD 「GS・ウルトラ・レアトラックス」 に収録された。

「海に帰った少女」 は未CD化。

 

次に紹介する曲は

 

・風吹く丘で/青山ミチ

・亜麻色の髪の少女/ヴィレッジ・シンガ-ス

 

「亜麻色の髪の少女」 は大ヒット。

 

 

 

 

 

最後は、以前にも紹介した事ががある2曲。

 

・街の灯/堺正章

・僕とパパ/マモルとチャ-ルズ

 

 

  

 

「街の灯」 は、恋人を想う歌だが、「僕とパパ」 は星になった母を歌う悲しい歌。

 

小さいな息子と愛するパパを残して天国へ行ったママ・・・・・

 

<歌詞>

 

パパ、僕は泣かない。ママが話していたもん。ママが遠くへ行ったなら、いつも良い子でいてね。

 

夜空に星が光ったなら、それはママの微笑みよ。

 

パパがいれば大丈夫と、言っていたねパパ。

 

坊や、ここにおいでパパのそばにおいで。二人はいつも友達さ、ママが見ててくれる

 

 

一部の曲が、ユ-チュ-ブで引っかかりましたので、写真に置き換えました。

(2021年4月6日変更)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウッドぺッカ-

 

 

ポニ-ズ 1968年を駆け抜けた爽やかなGS ① | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング (ameblo.jp)

 

デビュ-曲 「ブルーエンジェル」 がヒットしたポニ-ズ。

1968年10月ザ・モンキ-ズ日本公演で、栄ある前座を務めました。

当日の前座はポニーズの他、ザ・フロ-ラルとブル-インパルス。

 

 

 

ポニーズは当日、なぜかモンキ-ズの曲を演奏しませんでした。

 

 

当時、ポニ-ズがレパ-トリ-にしていた曲は、

 

・踊ろよベビー/ママス&パパス   

・夢のカリフォルニア/ママス&パパス     

・マンデ-マンデ-/ママス&パパス 

・悲しき雨音/カスケーズ 

・サイモンセッズ/1910フル-ツガムカンパニ- 

・あなただけを/ジェファ-ソン・エアプレイ

・悲しみをぶっ飛ばせ/ビ-トルズ  

・ヤミ-ヤミ-ヤミ-/オハイエクスプレス  

・この世の果てまで/スキ-タデイビス  

・花のサンフランシス/スコットマッケンジ-

 

他、フォ-クやロックなど幅広い曲をレパ-トリ-にしていたようです。

 

 

またテレビ番組では、「ヤング720」 にデビュ-前より出演。

 

初出演時には、デビュ-曲になる予定の 「ブル-エンジェル」 を演奏。

籠利達郎がフル-トを吹きながら歌うと言う、特別アレンジでした。

 

その後も 「ヤング720」 には、何度か出演。

どうも、番組欄にポニ-ズの名前が載らない時もあったらしいとの事。

ポニ-ズは 「小学館プロダクション」 に所属しており、色々と規制もあったようです。

 

 

 

また、レコード化されなかった数曲のオリジナル曲がありました。

コンサートでは、歌ったりしていたようです。

 

村井邦彦作詞 山上路夫作曲

・子鹿のような女の子

・愛をあなたに      他数曲

 

これらの曲は、スタジオ録音もされました。

実際、「愛をあなたに」 が、第二弾シングル発売曲として、雑誌に紹介されました。

 

 

愛をあなたたに/村井邦彦作詞  山上路夫作曲

 

星が欲しいとあなたが言うのなら、僕はすぐにでも取ってきてあげたい

遠いアルプスの山に咲く花も僕はすぐにでも取っきてあげたい

だけど僕はそれが出来ない

あなたにあげるのは僕の愛さ

この胸に燃えてるこの愛をあなただけに僕は捧げたい

月の雫が欲しいと言うのなら、僕はすぐにでも取ってきてあげたい

遥か南の渚の貝殻も、僕はすぐにでも取ってきてあげたい

 

 

何と言う、ロマンチックな歌詞なんだろう ~星・花・渚・貝殻・・・・・ 

GSの世界オンパレードだ。

あと 「夕陽」 と言う文字が加われば完璧だった。

 

しかし、12月に発売された第二弾シングルは、「雨降る街角/アガナの乙女」 。

どこでどうなったのか、芸能界は不思議なところである。

 

 

1968年12月は、GSブ-ムが一気に衰退したタイミングでした。

 

そんな中、ポニーズは爽やか路線で雑誌に取り上げられる機会もありました。

 

 

 

 

 

 

 

<この時期に発売された主なグループサウンズのレコード>

 

・青い鳥/ザ・タイガ-ス

・純愛/ザ・テンプタ-ズ

・スワンの涙/オックス

・ガラスの聖女/スパイダース

・赤い靴のマリア/ワイルドワンズ

・雨の赤坂/ブルーコメッツ

・恋人たちにブルースを/ザ・ジャガーズ

・落葉とくちづけ/ヴィレッジ・シンガ-ス

・マイベビー/カ-ナビ-ツ

・過ぎ去りし恋/ゴ-ルデン・カップス

・さみしがりや/パ-プル・シャドウズ

・悲しき天使/スゥイング・ウエスト

・夜明けのバラード/ハプ二ングス・フォ-

 

   

 

   

 

  

 

  

 

 

 

  

 

「青い鳥」 や 「純愛」 「スワンの涙」 などはヒット。

しかし、他の曲は以前の勢いが薄れた印象です。

魅せるGSから、聴かせるGSへの転換期だった気もします。

しっとりと歌を聴かせる 「歌謡曲方向」 へGSがシフトした印象です。

 

それでも 「ザ・ヤンガ-ス」 や 「ザ・ラブ」 のようなGSサウンドを追求したバンドもありました。

 

 

 

A面 「雨ふる街角」 は、GSらしさが全面に押し出されている馴染みやすい曲。

B面 「アガナの乙女」 は、強烈なインパクトの曲。

シタ-ルを導入し、見事に歌い上げたコ-ラスが聴き終ったあとも暫く心に響く。

 

 

内容は、遠い島国で嫁としてお金持ちに売られていく女の子の物語。

アガナ村の娘さん(マリアンヌ)を、村人達が連れ去る悲しい歌。

 

 

そんな中、音楽の方向性の違いからポニ-ズは分裂の道を歩み出しました。

まだ、レコードデビューから3ヶ月。

 

1968年12月に入った頃から、仕事が入っても現場で4人が揃う事が段々と減ってきました。

 

年が明け、1969年1月にはポニ-ズとしての仕事が入っても4人が揃う事はなかった。

完全に自然消滅した状態になったのです。

 

1969年1月5日に、GS新春カ-二バル(京都/弥栄会館)が開催されました。

オックス、フォーリ-ブス、ゴ-ルデンカップス、タックスマン、スケルトンズ。

ポニ-ズとして名前が出ているが、全員揃っての出演ではなかった。

 

 

1月25日の事務所主催のコンサ-トには、ポニ-ズとしての出演は見送られた。

完全に、メンバ-は別々の道を歩んでいたから。

 

解散後、籠利達郎と橋本直樹は、「ミュ-ジック・ボンボン」 を結成。

 

このバンドは、二つのGSが合体したバンドです。

しかしデビュー前に籠利達郎は脱退。

残ったメンバ-で 「あなたの涙/瞳の中に」 を録音し、1969年5月にレコ-ドを発売。

「あなたの涙」 のレコ-ドには、籠利達郎は写っていない。

 

レコード・デビュー後しばらくして、脱退した籠利達郎がメンバ-に復帰。

 

このバンドが目指したのは、本格的なR&Bであった。

しかし発売された 「あなたの涙」 は歌謡曲。

歌謡曲として聴くと、爽やかな曲であり聴きやすい。

正直、好きな曲です。

 

 

ポニ-ズ解散後、原田正美はトップギャランに参加。

トップギャランは、GS出身メンバ-で1969年に結成された。

ポニ-ズ、スケルンズ、レモンル-ツ、マグマックスファイブ、B&B7

女性ボ-カルは、「サイケな街」 の万里れいこ。

 

デビュ-当時のバンド名は 「トップギャラン」 であった.

数年後 「森田公一とトップギャラン」 と名前を変え ”青春時代” が大ヒット。

 

 

 

 

また、谷田部進はポニ-ズ解散後、フォ-クグル-プ 「ウッドペッカ-」 を結成。

メンバ-の藤本房子は、「ウッドペッカ-」 解散後に 「ひらけポンキッキ」などを歌っていました。

 

 

 

  

 

  

 

<その後のポニ-ズ>

 

谷田部進は残念ながら数年前に亡くなり、橋本直樹は引退後消息不明。

 

50年ぶりの再結成を期待したが残念である。

 

籠利達郎と原田正美は現役ミュージシャンとして活躍中。

時にはセッションをしたりもしているようです。

人生を音楽にささげ、羨ましい限りです。

今後も活躍して欲しいとファンとして願っています。

 

コロナで大変な毎日ですが、乗り切ってお過ごしください。

 

 

 

「モナリザの微笑 / バロック調バ-ジョン」 

 

<解散から半年>

 

1971年1月24日、ザ・タイガ-スは解散しました。

50年経った今も、一部のファンから支持され、ブログで熱く語られています。

人のブログを読むのは楽しい。

 

最近、Facebookの 「ザ・タイガ-ス(ファン)」 と言うコミュ二ティ・グループに参加しました。

リアル世代の方のコメントは説得力があり、とても勉強になります。

 

・「永遠のグループサウンズ」

・「Japanese Group Sounds」 

 

も参加していますが、A級GS中心のサイトで基本的な事を思い出されます。

時々、マニアックなコメントを入れるのですが、煙たがられます。

以前、雑誌記事の写真を毎日アップしてたファンがいて、陰で煙たがれてました。

 

 

話は変わり、1971年の解散から半年後、「雑誌の企画」でメンバーの対談が行われました。。

各自の近況報告、そして連絡がつかない 「瞳みのる」 への想い。

 

 

 

また、1973年には 「ザ・タイガ-ス特集」 が深夜ラジオで数回にわたりオンエアされました。

番組内では、未だにCD化されていない未発表曲音源が流れました。

 

<ラジオ内でオンエアされた貴重な音源>

・さざ波 

・悪魔の子供 

・イエローキャッツ / 瞳みのるネコのものマネ入り

・風は知らない / シロ-参加の1969年再録音

・シ-・シ-・シ-/ 歌詞違い

・白い街 / 解散コンサートより

・南の島のカ-二バル / 波の音やカモメの鳴き声入り

・モナリザの微笑 / バロック調バ-ジョン

 

特に 「モナリザの微笑 / バロック調バ-ジョン」 は強烈です。

その時のラジオ音源を少しアップします。

 

 

 

  <元ザ・タイガ-ス・対談>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

一般人に戻ったピ-。

それなのにマスコミは追いかけました。

芸能雑誌では写真付き・住所付きで掲載される事もありました。

プライバシーの厳しい、今の時代には考えられません。

 

 

 

2021年も時間ある時に、気楽に訪問ください。

 

 

1960年代は時代遅れだ!これからは1970年代だ!

 

コンフィデンス 

(Confidence)

1970年代前半に活動していた高校生4人組のフォ-ク・グループをご存じでしょうか。

 

 

 

 

 

勿論、自分もレコ-ドを購入するまでは、名前すら聞いた事のないグル―プでした。

コンフィデンスを初めて知ったのは、今から25年前。

 

いつものように、中古レコ-ド店を巡っていた時に、ふと1枚のLPレコ-ドを手にしました。

 

知らないグル―プのLPに 『2800円』 のプレミア価格がついてるじゃありませんか!!

 

マイナ-なB級GSのレコ-ドですら、1,000円程度の値段しかつけない店にしは珍しい。

ちなみに購入は、ピ-カン・ファッジでした。

ピ-カン・ファッジ(中古レコード店) 閉店 | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング (ameblo.jp)

 

しかし開封厳禁との事で、悩んだ末に購入。

 

 

悩んだ末・・・・・これが結構失敗するんです。特に自主制作レコ-ドでの失敗は数知れず!


おかげで、今でも実家には何千枚と言うレコ-ドが所狭しとダンボ-ルに入れられています。

 

しかし、この勝負が面白い。

一か八か・・・

 

話しは逸れましたが、コンフィデンスを悩んだ末購入し、自宅で開封してメンバ-を見て、

 

おっ?と思いました。

 

あとで聞いたのだが、コンフィデンスのレコ-ドはファンにとっては幻の一品らしい。

 

CD化もされておらず、何とオ-クションで18,000円の値段がついていました。

 

 

東宝レコード 東宝映画 主題歌

『愛 こんにちは』     

歌  コンフィデンス

 

三田明主演との事だが、この映画、観てみたいものだ。

 

しかしネットで調べたら、撮影はしたが上映中止との事でした。

 

ちなみに、コンフィデンスはインストを含め12曲でアルバムに参加。

 

LPは見開きジャケットで、中にメンバ-紹介が書いてあります。

 

・リ-ドギタ-  

・坂崎幸二 

・隅田川高校3年

 

・リ-ドボーカル 

・桜井 賢   

・明治学園高校3年

 

・サイドギタ-   

・三宅康夫   

・明治学園高校3年

 

・サイドギタ-    

・高橋志郎     

・明治学園高校3年

 

 

その後、サイドギターの高橋志郎が脱退。

サポ―トメンバ-であった高見沢俊彦が参加。

 

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コンフィデンスは、その後 「ある青春 二十歳の原点」 と言うアルバムに参加。

参加と言っても歌詞を提供しただけだが・・・

 

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その後、

コンフィデンス~シド~ALFIE~ALFEE~THE ALFEE 

と名前を変えて現在も活躍しております。

 

東宝レコ-ドとの契約が切れ、田辺エ-ジェンシ-と契約し「夏しぐれ」で再デビュ―。

「メリ-アン」のヒットで一躍人気グル―プへ。

 

そんな感じです。

 

1度だけコンサ-トに行った事があります。また行きたいなぁ。

 

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自分の好きな歌は 

・「恋人達のペイヴメント」 

・「ROCKDOM -風に吹かれて-」 

・「聖夜 -二人のSilent Night」

 

「ROCKDOM -風に吹かれて-」は、1969年を舞台に青春を過ごした若者達の気持ちを綺麗なメロディで歌い上げています。

 

1969年に青春を過ごした方には、ぜひ聴いてもらいたいものです。

 

>俺たちの時代を忘れないで・・・・風に吹かれていたあの頃

 

>あいつが死んだ夜、何も知らずに抱き合っていた・・・

 

切ない歌詞が心に響きます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=cF_T5sK_c2g

 

https://www.youtube.com/watch?v=NaGaQHKfzwY

 

 

① 1970 僕たちの青春 ① | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング (ameblo.jp)

 

 

ドラマのオ-プ二ングは、1969年12月31日夜から始まる。

 

12月31日と言えば、昔はレコード大賞~紅白歌合戦。

1969年レコード大賞は 「いいじゃないの幸せならば」 であった。

 

 

2019年の紅白視聴率は、37.1%。

1969年は、69.7%だった。

単純に比較は出来ないが、昔は国民的番組だったと思う。

 

 

 

当時、「僕たちの青春1970」 を観て心に残った!と言う人が多い気がします。

 

普段、何気なく聞いている曲も、映像が重なると感動してしまう。

 

 

<ドラマで流れた曲>

☆サウンド・オブ・サイレンス ☆スカボロ・フェア ☆さらば青春 

☆ミスター・ロンリ-  ☆自由に歩いて愛して   ☆思い出の渚

☆エメラルドの伝説  ☆フランシ-ヌの場合   ☆あなた  他

 

 

このドラマを観るたびに

 

>あいつ元気にしてるかなぁ、久しぶりに会って話したいなぁ

>同窓会ないかなぁ

 

遠い昔を思い出してしまう。

前に進むだけの人生、時には振り返るのもいい。

 

 

自分の中では、ドラマ内で多くの場面が印象に残っています。

 

授業中、前ではなく 「よそ見」 をしているノンポリ。

このシ-ンを観るたびに、いつも思い出す友人がいる。

高校2年の時、彼は授業中にいつも好きな女性を見ていた。

 

>バレバレだから止めておけ!

 

と、何度も言ったが

 

>そうだよな、つい・・・

 

結局、忠告したがやめなかった。

 

 

また、公園で番長とリクソウが殴りあった後、無言で抱き合う場面。

憎みあって喧嘩したわけではない、友達だから許せなかったのだ。

 

 

 

他には、番長が家族に 「気持ち」 を打ち明ける場面。

祖国である北朝鮮へ行き、国の為に役に立ちたいと。

この場面も印象に残っている。

母は泣いており、父は止めなかった。

色々な事を考えさせられる場面だ。

 

 

 

番長と不良グループが決闘するので、止めて欲しいと先生に相談するノンポリ。

 

しかし先生は

 

>自分が止めても、本当の解決にはならないんじゃないのか

 

大人としての回答。

難しい判断だ。

 

 

 

卒業式が終わり、自転車で去って行くブンガク。

ノンポリが、ブンガクと永遠の別れをした場面。

 

 

他にも、多くのシ-ンが頭に焼きついています。

特に気になったのが下記の場面。

 

18歳と言う多感な時期。

何かに、つい当たってしまう事もある。

はっきりした理由もわからず、イライラしてしまう。

そんな思春期を表現した場面です。

 

 

そんな多くのシ-ンが撮影された場所は今、どうなっているのか。

100人に聞いたら100人が 「興味ない」 と答えるだろう。

しかし、個人的に気になってしまいます。

 

当時、ロケ地の豊橋市に住み 「石田ひかり」 の大ファンだった人がいます。

学生で時間もあったらしく、寒い真冬にロケの追っかけをしていたとの事。

とにかく寒かった・・・・これが、一番の思い出らしいです。

 

古い記憶を辿ってもらいましたが、30年の時の流れは予想以上に大きい。

正直、大半を忘れてしまっているので、間違っている事もあります。

特に、街中での撮影場所の記憶が混乱しているみたいです。

違ってたらごめんなさい。

 

記憶が曖昧な為、ゼットンさんにも協力して頂きました。

https://ameblo.jp/hilse1969ever/entry-12459950122.html

 

 

上がドラマ写真、下が現在と言う形で並べてみました。

 

番組オ-プ二ングの 「豊川稲荷」 。

600年以上前から、そんなには変わっていないと思う。

 

 

 

 

 

ノンポリが、ブンガクの裸を想像した教会。

内装は変わっていない。

 

 

 

 

教会の出入り口は、手すりが今はついている。

耐震などの関係だろうか。

 

 

 

 

 

教会敷地の木が、随分と変わっている。

植木で雰囲気は変わるものだ。

 

 

 

 

 

今は、門がなくなってしまった。

門があった方が、雰囲気がいい。

 

 

 

 

 

教会から出てくるブンガク。

看板の後ろに隠れているノンポリ。

現在は、看板の位置が少し移動している。

整備された感じたです。

 

 

 

 

教会近くを歩く、ノンポリとブンガク。

バックに教会が映っていて、雰囲気がいい風景だ。

 

 

 

 

ノンポリが足を滑らす散歩道。

一人で、夜は歩きたくない。

 

 

 

 

海辺・・・・地元では有名な砂浜。

普段は、サ-ファ-が多い海岸。

 

 

 

 

 

仲間たちとたわむれる校門。

今も、あまり変わってはいない。

某高校の門が、ドラマ撮影で使われた。

 

 

 

 

 

学校近くの路地裏。

右に見える店は、今も営業中。

 

 

 

 

バンチョウの自宅 (メガネ屋)

今でも、昭和を感じてしまう風景。

 

 

 

 

 

フェンスは改築されたが、城は変わっていない。

それにしても危ない。

 

 

 

 

 

 

ニシキが、番長の妹のさとみに振られた喫茶店。

店を出たら、不良グループが待っていた。

店は閉店して、数年前に建物も建て替えられました。

今は、面影もありません(3枚目の写真)

 

 

 

 

寂しく自転車を引く二人が渡った橋。

ドラマではお洒落な橋だが、普段は車が多い。

 

 

 

 

 

やはり、駅は変わってしまっています。

 

 

 

 

 

児島みゆきが待ってた、寂しそうな駅。

普段は、賑やかな駅で人が多い。

 

 

 

 

 

ミドリは、電話ボックスで泣いていた。

最近、電話ボックスが街から消えて寂しい。

小銭を持って、よく行った記憶が。

 

 

 

 

 

ミドリを励ます為、お酒に酔った店。

今なら、高校生の飲酒シ-ンは問題になるかも。

地元では、有名な店らしい。

 

 

 

 

酔っぱらったミドリを運ぶ3人。

今は、公園は整備され綺麗になっている。

 

 

 

 

ミドリとノンポリが語り合う階段。

 

​​​​​​

 

 

 

 

 

この場所は、多くの映画やドラマに使用されています。

 

 

LEADERSでは、GHQ本部に。

 

最近では、連続テレビ小説 「エ-ル」 のロケ地となりました。

 

路面電車に乗るミドリを、見送るノンポリ。

路面電車と夕焼けが、最高にマッチしている。

 

 

 

 

昭和と令和は、やはり何となく違う。

 

 

 

 

バンチョウとリクソウが殴り合った公園。

今は、遊具も綺麗に生まれ変わった。

 

 

 

 

 

卒業式の帰り道、ノンポリに別れを告げて立ち去るブンガク。

綺麗な並木道。

 

 

 

 

 

同窓会で、ノンポリと二シキが再会。

 

 

 

 

10年後、またドラマの風景写真を載せます。

きっと、さらに風景は変わっているでしょう。

 

  

 

  

 

  

 

   

 

           

 

長々とお付き合いありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

今から52年前の1968年8月。

ポニ-ズは 「ブル-エンジェル」 でレコ-ドデビュ-。

 

爽やかなGS路線で、デビュ-曲としては異例の、オリコン65位のヒット。

初めて聴いても馴染みやすい楽曲で、B面の 「夕ぐれの渚」 も聴きやすい。

ちなみに、ポニ-ズ演奏の 「オリジナル・カラオケ」 が残されています。

 

 

8月25日に1,500人のファンを集め、銀座ヤマハホ-ルで記念コンサ-トを開催。

GSブ-ムとは言え、いきなり1,500人は凄い。

 

 

キャッチフレ-ズは ”フレッシュで清潔”

 

 

 

<ポニーズ>

 

新宿のフォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 の吉田社長の発案で結成。

メンバーは、複数のバンドからピックアップされました。

 

ポニーズのメンバ-は

 

・籠利達郎 ドラム  

・谷田部進 ベ-ス 

・原田正美 ギタ-  

・橋本直樹 ギタ-

 

現役ジャズ・ミュ-ジシャンである籠利達郎氏に、遠い記憶を振り返ってもらいました。

 

 

<バインズ 結成>

ポニ-ズの前身バンド 「バインズ」 の話から書きます。

 

中学時代からの友人である 「籠利達郎と佐藤俊樹」 が、高校に入り結成。

暫くして、東京工大の長谷川氏が加わり 「バインズ」 は、3人組で活動。

 

「Vines」 と言う表記なので 「ヴァインズ」 と普通は読む。

と言いたいが、メンバ-達はそこまで考えていなかった。

「バインズ」 と名乗り、 「バインズ」 として活動。

実際、「バイタリス・フォ-クビレッジ」 では、バインズと紹介されている。

 

暫くして、佐藤俊樹が谷田部進を連れてきて、4人組のバンドとなった。

初期のワイルドワンズやヴィレッジ・シンガ-スのような フォ-クロックバンド として活動。

 

<バインズのメンバ->

 

・籠利達郎 ドラム  

・谷田部進 ベ-ス 

・佐藤俊樹 ギタ- 

・長谷川 ギタ-

 

 

<経歴>

1967年4月 「バイタリス・フォ-クビレッジ」 のオ-ディションに合格。

この番組はニッポン放送で、夜11時30分~45分に放送されていました。

合格したバインズは、定期的にフォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 に出演。

 

「バイタリス・フォ-クビレッジ」 は、毎週土曜日にオ-ディションを開催。

参加者が、自分達で録音したデモテ-プを審査してもらうのだ。

合格者のデモテ-プの曲を、スタジオで再録音し番組で流していました。

 

また、番組内では一般リスナ-から楽曲も募集し、入賞曲を選んでいました。

楽譜審査で、毎月300曲近くの応募がある中、1曲が選ばれ賞金が3万円だった。

選ばれた入選曲は、局側が選んだア-チストがスタジオ録音。

番組内の 「今月の歌」 と言うコ-ナ-でオンエアされた。

 

一般リスナ-として早川義夫が、「海と女の子」 で応募し見事入選。

局側が選んだ  「バインズ」 が、ニッポン放送のスタジオで録音。

バインズ演奏の 「海と女の子」 がラジオから流れました。

 

 

ちなみに早川義夫とは、「からっぽの世界」 をヒットさせた、ジャックスの早川義夫である。

 

 

 

<海と女の子>

 

「海と女の子」 は、バインズとしてはレコ-ド化されなかった。

 

バインズは、「今月の歌」 のコ-ナ-で流すために録音しただけである。

軽快なサウンドで、レコード化されなかったのは残念だ。

 

カレッジ・フォ-クの 「トライポット」 がレコードを発売。

「トライポット」 は、女の子3人組のフォ-クグループで、ヒットには至らなかった。

 

 

 

また 「バイタリス・フォ-クビレッジ」 のオムニバスLPに 「グリ-メン」 が収録。

 

 

 

グリ-メンは、「恋したら」 と言う曲をヒットさせたフォ-クグループです。

「恋したら」は、作詞・北山修 作曲・加藤和彦 フォ-クルの二人が作った曲。

 

また、グリ-メンの西村協は解散後に、寺内タケシとブルージ-ンズにボ-カルとして参加。

数枚のレコードを発売しました。

 

 

ジャックスは、レコ-ド化はしなかったが、ライブ音源が残されています。

また、1968年日活映画 「腹貸し女」 で、ジャックスの演奏のインストを使用。

 

その頃のバインズは、初期の 「ヴィレッジシンガ-ス」 とも交流がありました。

 

フォ-クジャンボリ-の会場で、ヴィレジ・シンガ-スの小松久から声をかけられ

 

>今度、新しいメンバ-で再出発する事になったんだぁ

 

そんな会話があったようです。

 

 

 

この新しいメンバーで 「亜麻色の髪の乙女」 をヒットさせました。

 

<バインズからポニーズへ>

 

バインズの長谷川氏 (ギター) が脱退。

残った3人でバインズを続けたが、色々な面でしっくりこなくなってしまった。

籠利氏は、別の同級生達と違うバンドを結成しようと模索している中、

 

>新しいバンドを作るので籠利くん、来てくれないか

 

フォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 の吉田社長より誘いがあった。

 

当時のフォ-クビレッジ

 

籠利氏はバインズを脱退し、新しいグループに参加する事となった。

そのバンドがポニーズで、色々なバンドからピックアップされたメンバ-構成であった、

バインズからは、籠利達郎と谷田部進、荒木一郎とマグマックス5から原田正美が参加。

 

ちなみに、マグマックス5は、荒木一郎のバックバンドであった。

 

 

 

 

荒木一郎主演 (1967年公開) 「日本春歌考」では、マグマックス5のメンバーも出演。

この映画は、ビデオテ-プで発売され、さらに近年DVDとしても発売されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マグマックス5解散後、他のメンバーは、スカイホ-クスを結成。

アングラソング 「天国からのお迎え」を発売。

その後、チェックメイツと改名。

 

 

荒木一郎と言えば 「空に星があるように」 がヒットした。

そう言う意味で、フォ-クソングのイメ-ジが強い。

しかし1968年前後には、「いとしのマックス」 のようなGSっぽい曲も多い。

GS関連では、ザ・ダイナマイツをバックに 「ブル-レタ-」 をシングル発売。

ザ・ダイナマイツは、コ-ラスと演奏を担当。

 

 

話をポニ-ズへ戻します。

「ブル-エンジェル」 でデビュ-し、雑誌にも取り上げられる事もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2回に分けます。次回まで・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俳優、司会者、ミュ-ジシャンとして活躍した 「岸部 四郎」 が8月28日に亡くなった。

 

 

今の若い人は、ひょっとして名前も知らないかも知れない。

 

年齢層によって 「ザ・タイガ-ス」 の岸部シロ-。

西遊記の 「沙悟浄」 の岸部シロ-。

「ルックルックこんにちは」 の司会者である岸部シロ-。

「岸部一徳の弟」 である岸部シロ-。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイドルだったと言うより、お笑いのイメージがあるかも知れない。

 

実際、あの関西弁で多くの人を笑わせてきた。

「西遊記」 は、子供も大人も楽しめた伝説の番組であった。

 

 

 

「西遊記」 の少し前、1970代前半は歌手や役者として存在感を示していた。

その頃、バラエティ番組に出演し歌も披露していました。

 

 

1981年 「日劇最後のウエスタンカ-二バル」 が開催されました。

ザ・タイガ-ス解散の10年後。

偶然にも1971年1月24日から10年、1981年1月24日開催でした。

 

テレビ放送では、岸辺シロ-はゲストみたいな形でMCのみ短時間の出演。

しかし、実際にはMCも長く、タイガ-スの演奏で 「ワ-ズ」を熱唱。

カットされたのが、少し惜しい感じです。

 

 

 

西遊記としての役者のイメージが強いが 「電車男」 のイメージも強烈でした。

2003年に入院して心配したが、役者として2005年に復帰。

この時は、完全復帰と思ったので演技に注目していました。

あぁ~~さすが岸部シロ-!演技は最高だ!

 

このドラマでは、主役の 「伊藤敦史」 の父親役。

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

 

15年ぶりのドラマ出演だったようだが、存在感が凄かった。

奧さん役は 「戸田恵子」 

 

 

その後、体調が悪化しメディア出演は減った。

しかし 「沢田研二ライブツアー2012」 の、日本武道館公演に車椅子姿で登場。

「若葉の頃」 を熱唱。

1971年の 「解散時のメンバー」 が全員揃った、記念すべき日となった。

 

 

千葉の老人ホ-ムに入居しているのは聞いていたが、体調面の情報があまり聞こえなかった。

そんな中、2013年のザ・タイガ-ス再結成のラストで登場したのであった。

「イエスタデイ」 を熱唱。

涙したファンも多かっただろう。

 

 

ファンにとっては、ザ・タイガ-スには 「なくてはならない存在 」なのだ。

 

 

あれから7年。

最近のような気もするが、確実に7年が過ぎてしまった。

情報も少なく、ファンは心配をしていた中、今回の訃報が流れた。

昔の70歳と違い、今の時代の70歳は若い。

昔で言う50代のような気がする。

戦国時代は、50歳を超えたら長寿だった。

 

岸部シロ-が加入して、ザ・タイガ-スの雰囲気が変わったと思う。

青年から、大人のバンドになったのかも知れない。

 

どこまでが真実かわからないが、新メンバーに3人の候補がいました。

当時の雑誌では 「トラになりそこなった3匹のネコくん」 と紹介されていた。

 

 

 

 

 

アルファ-ドの丸山氏が、岸部シロ-の思い出を日記に書いています。

紹介しますので、読んでみてください。

 

 

シローちゃんの訃報

 

 

 

長い間入院していたので、きっと疲れてしまったのでしょう。

彼は、ボクより1才年下です。

のっぽ時代(サリ-の店) のクセで、いつもシローちゃんと呼んでいました。

初めての出会いは、ザ・タイガースの楽屋だったと思います。
彼はステージを見るわけでもなく、黙々とメンバーのお世話係などの雑用をこなしていました。

そんな時、ボクはシローちゃんに聞きました。

 

ビートルズの 『アビーロード』 と 『ヒューマン・ルネッサンス』 の、どちらかを買おうと思っているんだけど、どっちを買ったほうがいいかな?

シローちゃん、間髪おかずに言いました。


「そんなもんビートルズに決まってるやないか。タイガースなんて買わんでええ」

自分がそのタイガースのメンバーになるなんて、夢にも思っていなかったでしょうね。

文子姉さん (シロ-の姉) とは、新宿駅前の三峰まで、ショッピングのお手伝いをしました。
ボクの体型が、サリーやシローちゃんに近い、ほっそりタイプだったからです。
その時は、茶系のタートルネックのシャツを買いましたっけ。

ある日、シローちゃんが 「のっぽ(サリ-の店)」 に来ました。

 

文子姉さん (シロ-の姉) と3人で、目黒ハイツ (ザ・タイガ-スのメンバ-が住んでた) まで、タクシーで行きました。

文子姉さん (シロ-の姉) とシローちゃんが住んでいる部屋しか行きませんでしたが、ここにメンバーが住んでいると聞いて、別世界にいるような気分でした。

アメリカに行っていたシローちゃんが、トッポの代わりにメンバーになるというのは、驚きましたが、それもありかなとも思いました。

あまり練習期間もない中でステージにたったシローちゃんを、のっぽのメンバーで、池袋のドラムまで応援にいきました。

この時はギターを抱えていたけど、持っているだけだったような気がします。
そんなに簡単に弾けるようになるわけありませんよね。


後々、彼はライブで 「トーク・コーナー」 と言う、独自の世界を造り出して、岸部シローという存在感をアピールすることができましたが、このころは、女の子たちからの批判も厳しく、つらい時期だったろうなと思います。

アルファードの初代ドラマーのよしのりは、タイガースの付け人時代もあったので、色々な情報を話してくれました。

ボクが 「ラ・レーニア」 を歌うようになったのも、よしのりが 

 

「アニキねえ、シローさんが歌っている 『ラ・レーニア』 が、すごくいい曲だから、うちでもやろうよ」

 

と言って勧めてくれたからなのです。

解散後、司会者、俳優として人気がでましたが、一時、ネットに書いていたシロー・マンションというブログが好きで、よく見ていました。

彼のとぼけた味がよく出た文章が書かれていましたが、途中で消滅してしまったのは残念でしたね。

トッポの高音とは、また違った味の高音で、さわやかな声を聴かせてくれましたが、一番印象に残っているのは、「ラ・レーニア」です。
シローちゃんの名唱だと思います。   丸山

 

 

 

話しを戻します。

 

ギターが弾けないまま、無理やり 「ザ・タイガ-ス」 に加入させられてメンバーとして参加。

解散コンサートでは、しっかりしたギターを弾いていたが、相当の努力があったと思う。

時には 「音の出ないタンバリン」 を使ったとか。

 

 

この映像のギタ-音を聴くと、岸辺シロ-のギターを練習した努力が伝わります。

(CDなどの音源とは違う未発表バ-ジョンです)

 

 

1970年の浅草国際劇場・ライブでは 「帰って来たヨッパライ」 を熱唱。

一徳のセリフがユニ-クだ。

 

 

 

1970年に 「サリ-&シロ-」 と言うLPを兄弟で発売。

「羊大学」 と言う歌は、いかにも岸シロ-らしい曲です。

ライブでは、ファンの手拍子で、盛り上がったようだ。

 

 

 

伝説の 「田園コロシアム・ライブライブ」 では、ギター1本で熱唱。

 

 

岸辺シロ-加入後、雑誌で座談会が行われました。

 

 

 

 

 

 

あまり知られていないが、1993年に 「ザ・タイガ-ス・マニア」 を結成。

「涙のロマンス」 を発売。

1度だけテレビで観かけ、運良く映像を録画しました。

 

メンバー 加橋かつみ ・ 森本太郎 ・ 岸部シロー ・ 岩本恭生

 

 

 

自分は一度だけ、岸部シロ-を見たことがある。

「ルックルックこんにちわ」 の頃だろうか。

 

駅前のデパートで、芸能人のチャリティーオ-クションが行われ、司会が岸部シロ-であった。

平日の昼間、ケチな愛知県人がオ-クションに参加?

予想通り、集まったのは30入程度であった。

自分はオ-クションには興味がなく、ただひたすらに 「岸部シロ-」 が見たかっただけである。

 

今でも思い出すのは、スタッフと一緒に普通に一般のエレベータ-から降りてきた岸部シロ-の姿。

思ったより背が高く驚いた。

 

そして帰る時に、一緒にエレベータ-に乗り込んだ。

残念ながら、話しかける勇気はなかった。

きっと優しい人だから、声をかけたら反応してくれただろう。

 

 

岸部シロ-の事を書いたが、ゴ-ルデン・カップスのマモルマヌ-も9月1日に亡くなった。

二人とも71歳。

 

 

1960年代のエレキブ-ム、GSブームのおかげで、現代の音楽があると自分は思う。

直立不動で歌う音楽が、見ても楽しめるようになったのだ。

 

元GSたちが集まったドラマのシ-ンでは、本当に楽しそうな雰囲気が伝わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴重な「JJS」の映像です

 

 

在宅勤務が始まり、4ヶ月が経ちました。

自宅では、パソコンに向かって真面目に仕事をしていますが、少しだらけてしまう。

会社にも行きますが、やはり電車が不安です。

 

先日、「shiba Tさん」 のブログを読んでいて、あるグループを思い出しました。

 

「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル」 と言うグループを知ってますか。

 

この記事を読んでる大半の人は、知らないでしょう。

 

名前の通り、ジャニーズ事務所のアイドルグループです。

 

簡単に説明します。

 

1974年に 「郷ひろみ」 のバックダンサ-として結成。

当初は、「ジャニーズ・ジュニア」 として、10人近いメンバーで活動。

 

その中の3人をピックアップ。

「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル」 として、3人は活動する事になりました。

 

 

 

 

 

 

時には、ハワイに行く事もありました。

 

 

ファンクラブも結成されました。

 

 

 

同時期、アニ-ズ・ジュニアなるグループも存在したが、誰も知らない。

 

 

メンバー

板野俊雄 

(愛称・トシちゃん)

 

・林正明 

愛称・マーちゃん)

 

・畠山昌久 

(愛称・チャーリー)

 

 

当初、3人グループで活動したが、途中 「井上純一」 も参加し4人で活動

 

 

 

 

 

 

井上純一が脱退し、元の3人組で再始動。

 

「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル」 として、12枚のシングルレコードと4枚のアルバムを発売。

 

 

 

  

 

   

 

   

 

   

 

   

 

  

 

       

 

 

 

 

 

 

 

デビュー曲 「ベルサイユのばら」

 

30秒にわたる 「ピアノ演奏」 のイントロから始まる大げさな曲。

まるでGS/ジェットブラザーズの曲みたい。

 

B面は 「愛しのオスカル」 で、両面ともに宝塚を意識したと思われる。

 

9枚目のシングルは、初代ジャニーズの 「太陽のあいつ」。

このレコードを聴きたくて、必死に中古レコード店を探しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事以降、雑誌などで取り上げられる事は、ほとんどなくなった。

 

 

1978年8月に女性が2人加入し、「VIP」 と名前を変えて5人で活動。

今のジャニ-ズ事務所のイメージでは、女性が所属していたのが信じられないかも知れない。

 

「VIP」 として、シングル3枚とアルバム1枚を発売。

アニメ 「新・エ-スを狙え!」 の主題歌を歌う。

 

1979年に5人メンバ-のうち、3人が脱退。

 

板野俊雄川村信子の二人が残り、デュオ「VIP」 として活動し、シングルを1枚リリース。

しかし、話題にならず解散。

 

 

 

 

 

 

板野俊雄は、ダンスグループ 「ジャPAニーズ」 に加入。

田原俊彦のバックダンサ-として活躍。

 

 

ジャPAニーズ

 

マーちゃんこと林正明は、ソロでのライブ活動をしていたが芸能界を引退。

2016年に57歳の若さで死去。

 

チャ-り-こと畠山昌久は、劇団四季に入り活躍。

2003年に45歳の若さで死去。

 

 

個人的な 「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル」 の思い出

 

子供の頃に後楽園球場近くのゲ-ムセンターで遊んでいたら、優しそうなお兄さん達が声をかけてきた。

 

>一緒に遊ぼうよ

 

1時間くらいクレ-ンゲ-ムなどしたりして一緒に遊んだ。

 

突然女の子達がゲ-ムセンターに乱入。

 

騒がしくなり

 

>また今度ね

 

と帰っていった。

 

女性に

 

>あの人達誰なの?

 

と聴いたら 「ジャニーズ・ジュニア・スペシャル」 と教えてくれた。

が、芸能人に興味ないので忘れてしまいました。

 

時は流れ、昔に録音した歌番組のカセットテ-プに 「ベルサイユのばら」 が入っていた。

レコードを聴きたくなり、中古レコード店へ。

ついに発見!50円。

 

中古レコード店は、買う買わないは別として、ワクワクする空間だ。

レコードに興味ない人間を連れていくと、いつの間にか自分でレコードを見てる。

 

>何か懐かしい!

 

忘れてしまった色々な事が思い出されるのかも。

自分のように、お宝ないかな?と言う目つきと違って純粋だ、

ぜひ、興味ない人も何気なく中古レコード店を覗いてみては?