ポニ-ズ 1968年を駆け抜けた爽やかなGS ① | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング

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今から52年前の1968年8月。

ポニ-ズは 「ブル-エンジェル」 でレコ-ドデビュ-。

 

爽やかなGS路線で、デビュ-曲としては異例の、オリコン65位のヒット。

初めて聴いても馴染みやすい楽曲で、B面の 「夕ぐれの渚」 も聴きやすい。

ちなみに、ポニ-ズ演奏の 「オリジナル・カラオケ」 が残されています。

 

 

8月25日に1,500人のファンを集め、銀座ヤマハホ-ルで記念コンサ-トを開催。

GSブ-ムとは言え、いきなり1,500人は凄い。

 

 

キャッチフレ-ズは ”フレッシュで清潔”

 

 

 

<ポニーズ>

 

新宿のフォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 の吉田社長の発案で結成。

メンバーは、複数のバンドからピックアップされました。

 

ポニーズのメンバ-は

 

・籠利達郎 ドラム  

・谷田部進 ベ-ス 

・原田正美 ギタ-  

・橋本直樹 ギタ-

 

現役ジャズ・ミュ-ジシャンである籠利達郎氏に、遠い記憶を振り返ってもらいました。

 

 

<バインズ 結成>

ポニ-ズの前身バンド 「バインズ」 の話から書きます。

 

中学時代からの友人である 「籠利達郎と佐藤俊樹」 が、高校に入り結成。

暫くして、東京工大の長谷川氏が加わり 「バインズ」 は、3人組で活動。

 

「Vines」 と言う表記なので 「ヴァインズ」 と普通は読む。

と言いたいが、メンバ-達はそこまで考えていなかった。

「バインズ」 と名乗り、 「バインズ」 として活動。

実際、「バイタリス・フォ-クビレッジ」 では、バインズと紹介されている。

 

暫くして、佐藤俊樹が谷田部進を連れてきて、4人組のバンドとなった。

初期のワイルドワンズやヴィレッジ・シンガ-スのような フォ-クロックバンド として活動。

 

<バインズのメンバ->

 

・籠利達郎 ドラム  

・谷田部進 ベ-ス 

・佐藤俊樹 ギタ- 

・長谷川 ギタ-

 

 

<経歴>

1967年4月 「バイタリス・フォ-クビレッジ」 のオ-ディションに合格。

この番組はニッポン放送で、夜11時30分~45分に放送されていました。

合格したバインズは、定期的にフォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 に出演。

 

「バイタリス・フォ-クビレッジ」 は、毎週土曜日にオ-ディションを開催。

参加者が、自分達で録音したデモテ-プを審査してもらうのだ。

合格者のデモテ-プの曲を、スタジオで再録音し番組で流していました。

 

また、番組内では一般リスナ-から楽曲も募集し、入賞曲を選んでいました。

楽譜審査で、毎月300曲近くの応募がある中、1曲が選ばれ賞金が3万円だった。

選ばれた入選曲は、局側が選んだア-チストがスタジオ録音。

番組内の 「今月の歌」 と言うコ-ナ-でオンエアされた。

 

一般リスナ-として早川義夫が、「海と女の子」 で応募し見事入選。

局側が選んだ  「バインズ」 が、ニッポン放送のスタジオで録音。

バインズ演奏の 「海と女の子」 がラジオから流れました。

 

 

ちなみに早川義夫とは、「からっぽの世界」 をヒットさせた、ジャックスの早川義夫である。

 

 

 

<海と女の子>

 

「海と女の子」 は、バインズとしてはレコ-ド化されなかった。

 

バインズは、「今月の歌」 のコ-ナ-で流すために録音しただけである。

軽快なサウンドで、レコード化されなかったのは残念だ。

 

カレッジ・フォ-クの 「トライポット」 がレコードを発売。

「トライポット」 は、女の子3人組のフォ-クグループで、ヒットには至らなかった。

 

 

 

また 「バイタリス・フォ-クビレッジ」 のオムニバスLPに 「グリ-メン」 が収録。

 

 

 

グリ-メンは、「恋したら」 と言う曲をヒットさせたフォ-クグループです。

「恋したら」は、作詞・北山修 作曲・加藤和彦 フォ-クルの二人が作った曲。

 

また、グリ-メンの西村協は解散後に、寺内タケシとブルージ-ンズにボ-カルとして参加。

数枚のレコードを発売しました。

 

 

ジャックスは、レコ-ド化はしなかったが、ライブ音源が残されています。

また、1968年日活映画 「腹貸し女」 で、ジャックスの演奏のインストを使用。

 

その頃のバインズは、初期の 「ヴィレッジシンガ-ス」 とも交流がありました。

 

フォ-クジャンボリ-の会場で、ヴィレジ・シンガ-スの小松久から声をかけられ

 

>今度、新しいメンバ-で再出発する事になったんだぁ

 

そんな会話があったようです。

 

 

 

この新しいメンバーで 「亜麻色の髪の乙女」 をヒットさせました。

 

<バインズからポニーズへ>

 

バインズの長谷川氏 (ギター) が脱退。

残った3人でバインズを続けたが、色々な面でしっくりこなくなってしまった。

籠利氏は、別の同級生達と違うバンドを結成しようと模索している中、

 

>新しいバンドを作るので籠利くん、来てくれないか

 

フォ-ク喫茶 「フォ-クビレッジ」 の吉田社長より誘いがあった。

 

当時のフォ-クビレッジ

 

籠利氏はバインズを脱退し、新しいグループに参加する事となった。

そのバンドがポニーズで、色々なバンドからピックアップされたメンバ-構成であった、

バインズからは、籠利達郎と谷田部進、荒木一郎とマグマックス5から原田正美が参加。

 

ちなみに、マグマックス5は、荒木一郎のバックバンドであった。

 

 

 

 

荒木一郎主演 (1967年公開) 「日本春歌考」では、マグマックス5のメンバーも出演。

この映画は、ビデオテ-プで発売され、さらに近年DVDとしても発売されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マグマックス5解散後、他のメンバーは、スカイホ-クスを結成。

アングラソング 「天国からのお迎え」を発売。

その後、チェックメイツと改名。

 

 

荒木一郎と言えば 「空に星があるように」 がヒットした。

そう言う意味で、フォ-クソングのイメ-ジが強い。

しかし1968年前後には、「いとしのマックス」 のようなGSっぽい曲も多い。

GS関連では、ザ・ダイナマイツをバックに 「ブル-レタ-」 をシングル発売。

ザ・ダイナマイツは、コ-ラスと演奏を担当。

 

 

話をポニ-ズへ戻します。

「ブル-エンジェル」 でデビュ-し、雑誌にも取り上げられる事もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2回に分けます。次回まで・・・・