ピ-カン・ファッジ(中古レコード店) 閉店 | 映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-クソング

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長年、利用してきた 「Yahooブログ・サ-ビス」 が終了しました。

 

 

長年通っていた 中古レコ-ド店/P-Can Fudge へ数ヶ月ぶりに行った。

閉店しておりシャッタ-が降りていた。

驚きと悲しみが同時に襲ってきて言葉が出てこない。

 

最近は、マメに店には行っていなかった。

いつでもあると言う安心感があったのでガッカリである。

 

 

 

 

 

 

初めて P-Can Fudge(ピ-カン・ファッジ) へ行ったのが35年ほど前。

 

その頃の自分は、GS中心にレコ-ドやカセットを集めていたけれど、市販のベスト盤ばかり。

特にGS関連はディスコグラフィもなく、ザ・タイガ-スですらベスト盤しか持っていなかった。

 

まだ貸レコ-ド店が健在で、レコ-ドを借りてはカセットテ-プに録音して楽しんでいました。

 

そんな時に、友人が面白い店があるからと、ピ-カン・ファッジへ連れて行ってくれた。

中古レコ-ド店が、この世に存在するのも知りませんでした。

並んでいる古いレコ-ドに興奮したのを覚えています。

 

その時、初めて購入したのが

 「青空のある限り/ワイルドワンズ」 と 「小さな日記/フォ-セインツ」 で、ともに350円。

 

 

 

「青空のある限り」は、ベスト盤LPに収録されていたが、B面の 「あの人」 はタイトルすら知らなかった。

次の日から、マメにピ-カン・ファッジへ顔を出すようになった。

店へ行くまでの道のり、色々な事を想像しながらワクワクしながら歩いていた。

今で言う、オタクか。

当時は廃盤ブ-ムもあり、店内はいつも混んでいて、商品の入れ替えも多かったので行くのが楽しみであった

次に購入したのが 「ブル-シャトウ/ブル-コメッツ」。 B面の 「甘いお話」 が聴きたくて購入。

そして次に  「シ-シ-シ-/ザ・タイガ-ス」  で、B面の 「白夜の騎士」  を聴いた時の感動は忘れはしない。

そんな経験をした、レコ-ドマニアも多いのではないか。

 

 

 

そんな感じで、月に3~5枚程度中古レコ-ドを購入しました。

あの頃は、だんだん増えていくGSのレコ-ドを床に並べ、全部で何枚になったと数える暗い暗い生活であった。

あの頃の自分は、ピ-カン・ファッジへ行くたびに、店員さんが  こいつ今日も来た! と思っているんじゃないかと、妙に気にしていた小市民だった。

当時、店員さんは3人で20代前半の若者達で店の雰囲気もよかった。

 

今思えば、自分のGSコレクションの原点は、ピ-カン・ファッジであり、ピ-カン・ファッジが青春の一部でもあった気がする。

 

GS研究科の黒沢進先生のGS本を購入してからは、GSディスコグラフィの全曲をコレクションしたいと欲が出て、毎日のように

ピ-カン・ファッジへ通った。

 

その頃、他の中古レコ-ド店の存在も知り、色々な店へ行く機会が増えた。

時が経ちすぎて記憶も薄れてしまったが、自分が通った店は

 

・バレンタインレコ-ド (上前津のビル2階)

・POP (八事交差点近くのビル2階)

・バナナレレコ-ド (大和生命ビル地下)

・バナナレコード四谷店 (四谷ビル地下)

・円盤屋 (大須観音近く)

・プワ-ハウス (円盤屋が名前を変えた)

・ハ-フウエイ・レコード (末盛のビル2階)

・ハ-フウエイ・レコード千種 (千種駅近く)

・スリーサウンズ・カンパニー (一社駅近く)

・キンキ-ハウス (本山交差点付近)

・キンキ-ハウス千神領店 (神領駅近く)

・キンキ-ハウス金山店 (市民会館向い)

 

今、営業しているのはバナナレコードだけ。

 

記憶では、円盤屋は、いつも早川義男(ジャックス)に似た人が、こちらを向いて座っていた。

ちょっと暗い雰囲気の店だが、GS・レコードは豊富であった。

ある日突然、プワ-ハウスと名前を変えた。

しばらくしたら、近くに違うスタッフで円盤屋がオ-プンしたが、何があったのか。

 

POPでは、「オックス・ファ-ストアルバム」を購入。

 

ハ-フウエイ・レコードは、キンキ-ハウスの店員が独立。

オ-プン第1号のお客が、自分であった。

オ-プンは、目玉商品が出ると期待したが、イマイチだった。

オ-プンしても客が来なくて、自分の次に来た客は30分後だった。

その時購入したのが、モップスのLP。

5枚で100円コ-ナ-では、マイナーGSや珍しいレコードが混ざっていたりした。

お店の人は、たけし軍団のダンカンにソックリだった記憶が。

 

キンキ-ハウス金山店は、ある日移転しますと案内があり、市民会館の裏に。

しばらくしたら、グレイテストヒッツと名前を変え,今も営業しています。

 

スリーサウンズ・カンパニーは、いつもジャズが流れてたような・・・・

 

上記以外に、中日ビル裏のレコード店、八事霊園近くの火事で全焼してしまったレコード店。

 

やたら、GS 「サイレンサー」 が出る一宮市妙興寺のレコード店。

 

一宮駅ロ-タリ-にあった、サラリーマンが仕事帰りにやってたようなレコード店。

 

栄・タテの街ビルのGSが高値の店。

正直、店名が思い出せませんが、店内の事は覚えています。

 

よく通ったレコ-ド店の、跡地近くを通るたびに店内を思い出す。

それと、何か少し切ない気分にもなる。

それだけ、自分も歳を取ったのか。

中古レコード店こそ、日本の文化遺産なので残って欲しい。

欲しいレコ-ドがあっても自分の予算を考えて、購入を見送ったケ-スも多く、そう言うのに限って今も心に引っかかったままだ。

 

通った中古レコード店の跡地も、大半が面影すら残っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピ-カンファッジには色々な想い出があります。

ある時、「寺内タケシ」のLPが100枚ほど一気に店頭に並び、寺内タケシ・コ-ナ-が出来たのだが、1枚1,000円で5枚購入するのが限界。欲しいのがいっぱいだが、予算が  。

しかしマニアがいたのだろうか、だんだん枚数が減っていき最後は全て完売。

 

二ュ-ロックのオムニバスLP  「幻野」  が5,000円で壁に飾られていた。

買うか買わないか悩んでいたら、目の前で男性に買われてしまった。

未だに聴く事が出来ていない、自分にとっては幻のLP。どなたか録音して貰えないだろうか。

また、ある時店に入ったら オックスのライブLP を、男性が手に持っていた。

 

 

 

あと数分早く店に着いていれば~あの人手放さないかなぁ~~と心で願いながら30分くらい緊張しながら店内を徘徊。

男性が手放して、店を出たのを確認し購入。

 

店を出たら男性に声をかけられた。こちらの動きを察知していたのだろう。

話しをすると、その年配の方はGSが好きでレコ-ドを集めていると言う。

その場で話が盛り上がり、男性の家に行きGSの話しをいっぱい聞かせてくれた。

 

GS研究科の黒沢進先生が、〇〇君と同じ年代のGSファンがいるから紹介するよと、名古屋のGSコレクタ-を紹介してくれ、ピ-カン・ファッジで待ち合わせをして親しくなった。

彼もGS後追い世代だが、ピ-カン・ファッジのオ-プン時より通っていたらしく、マイナ-GSのレコ-ドをたくさん持っており、貸してくれた。

あの頃は、本日の入荷コ-ナ-があり、そこを目当てに行く人も多く、先に買われてしまうのでは?と冷や冷やであった。

ピ-カン・ファッジのGSレコ-ド相場は、メジャ-GSは300円~1000円、B級GSが500円~800円、C級や自主制作レコ-ド

は、100円~500円のイメ-ジである。

よく、新幹線で名古屋に買いに行っても、元は取れると言われていたが、今思えば納得である。

 

アイドルズ、アウトキャスト、アダムス、オリ-ブ・・・・・多くのGSレコ-ドを数百円でピ-カン・ファッジで購入した。

特に印象深いのが、シングル 「思い出/アルファ-ド」 「ひとり行くさすらい旅/アルファ-ド」 「あわて者のサンタ/タイガ-ス」

「帰り道は遠かった/ジェノバ」 

 LP だと 「愛よこんにちわ/コンフィディエンス」 「ビート・イン・ ディスコ/ワイルダ-ス」 「オックス・オンステ-ジ」 「ティッディボ-イズ」

である。

「愛よこんにちわ/コンフィディエンス」 は、アルフィ-のメンバ-が高校時代に作成したLPで2,800円。

「ティディボ-イズ」は、1970年代前半の自主制作LPで、あまり興味はなかったが、九州の知人が買っておいてと言うので3,500円で購入し郵送した。

ピ-カン・ファッジに行くたびに、初めて行った頃からいる店員さんが白髪が増えたのを見て、自分も含めて年月が流れたなぁ~と感傷に浸る事もあり時の流れを感じた。

 

ピ-カン・ファッジが入っていた「新今池ビル」 は年内に老朽化で取り壊すそうです。

 

 

「新今池ビル」にはテナントの看板があるのだが、何年も前に閉店した「喫茶アシベ」の看板が今も残っている。

狭く薄暗い通路を通って行くのだが、少し暗い店内っぽかったが、いつか入りたいと思っていた。

どうもGS全盛の1960年代からあったようだ。

 

 

 

 

「新今池ビル」 には、かって名古屋唯一のジャズ喫茶 「グランドキャニオン」が地下2階にありました。

店員であった 「西郷輝彦」 が関係者の目にとまり、芸能界デビューした。

 

当時の資料に載っているテナントをチェックしたら、森永アイスクリ-ムコ-ナ-と書いてある。最近まで営業していた貴重な店だ。

 

 

 

 

中には入れませんが 「グランドキャニオン」 は今でも残っており、店内へ行く通路を通ると当時の雰囲気は味わえます。思い出がある方、ぜひ取り壊す前に行ってください。今でも1960年代を味わう事が出来ます。

ビルの薄暗い階段を降りて行くと、当時の 「グランドキャニオン」 の楽屋へ続いており、奇跡的に当時の落書き等も残っています。

 

 

 

 

ヒデトがんばれ・・・・書いたファンは今、どうしているのだろう。他にも色々書かれていました。

 

この 「グランドキャニオン」は、デビュ-前に、西郷輝彦がボーヤをやっていたり、カ-ナビ-ツの臼井啓吉や越川弘志、岡忠夫はカ-ナビーツ結成前に 「グランドキャニオン」で活躍しておりました。

また、オックスも定期的に出演し名古屋の夜を賑わしていたとか。

取り壊しにより、また一つの昭和が終わろうとしています。

 

2021年5月、久しぶりに通ったら、取り壊しが始まっていました。

もう、建物の中も入れない。

 

 

2021年秋

ついに建物がなくなりました。

 

 

そう言えば、アルファ-ドの丸山氏が最近、自分達が活躍していた「新宿二ュ-ACB」の跡地を訪問。

特別に中へ入れてもらったそうで、日記にアップしていました。

当時の 「新宿二ュ-ACB」 は、一般公開はされていないが、まだ壊されておらず当時の雰囲気がそのまま残されています。

きっと、当時通っていたファンが中に入ったら涙が止まらないでしょう。

楽屋からステ-ジに続く階段、今は錆びてしまっているようですが、その階段を降りてタイガ-スのメンバ-がいるステ-ジ

に向かった1970年12月20日の思い出を丸山さんは語っていました。

「新宿二ュ-ACB」の現在の写真がアップされています。

50年近く前の 「新宿二ュ-ACB」、令和元年の「新宿二ュ-ACB」・・・同じ建物内の同じ場所に残っている奇跡。

ぜひ、一般公開して欲しい。大阪のナンバ一番のように取り壊されたら悲しいです。

と言うわけで、今後はここでブログを書きますので宜しくお願いします。

 

余談ですが、最近 「あなたに今夜はワインをふりかけ」 と言う沢田研二の曲をよく聴いています。

ワインを振りかけ酔わせたい・・・・歌詞がとてもロマンチックです。

コバルトの中の季節~とても爽やかな曲で最高です。

そして、やっぱりタイガ-ス。