映像・音源で振り返る グループサウンズ フォ-ク  歌謡曲だよ人生は! -5ページ目

 

 

 

 

 

2018年、フェイスブックで 「ザ・キッパ-ズ」 の解散を知った。

一部のGSファンからは、「北海道のブルーコメッツ」 と言われていました。

 

ただ、活動拠点が北海道のため、馴染みのない人も多い。

 

 

タイトルに、最後のグループサウンズと書いた理由。

1960年代のGSブ-ムにレコードデビュ-。

しかし、一度も 「解散」 せずにプロとして活動してきました。

 

ザ・タイガ-ス、ワイルドワンズなど多くのバンドが再結成しました。

一度は 「解散」 しての再結成です。

 

ザ・キッパ-ズは、1963年に結成されてから、55年も解散しませんでした。

それこそ 「最後のグループサウンズ」 と呼んでも問題はない気がします。

GSブ-ムの頃に発売された 「風のふるさと/星のロマン」 は、北海道では小ヒット。

フォ-ク調の曲であり、レコードジャケットも演歌風なのでGSとは言い切りにくい。

ただ、1968年に発売された 「GSカバァ-」 のアルバムは、GSサウンドと言えるだろう。

 

この頃は、ふるさとと言えば、 「風のふるさと」 だけでなく 「海はふるさと」 と言う曲もあった。

「親分&子分ズ」 が、レコードを発売している。

 

この「海はふるさと」 は、「親分&子分ズ」 と 「トニーズ」 の競作でもあった。

 

 

 

 

ちなみに「親分&子分ズ」は、テレビ時代劇 「遠山の金さん」 の主題歌も歌っていました。

 

 

「トニーズ」は、吉永さゆりと組んだ 「勇気あるもの」 がヒット。

コ-ラスグループのイメージが強い。

 

 

しかし 「アカプリコの娘」 や 「夕焼けの砂浜」 などGSサウンドの曲も多い。

 

 

アニメ 「がんばれマリンキッド」 もレコード発売しており、謎の多いバンドだ。

 

 

「トニーズ」は、1969年に 「ザ・リバティ-ズ」 と改名。

ザ・リバティ-ズは、トニーズ時代の 「愛のペンダント」 を再録音しレコードデビュー。

 

 

 

トニーズの 「愛のペンダント」 は間奏にセリフがあったが、ザ・リバティ-ズ・バ-ジョンにはない。

しかしライブではセリフ入りで歌っている。

それも凄いファンの歓声だ。

 

 

ザ・リバティ-ズは、1970年に 「ファイブ・ジャックス」 と改名。

 

 

 

さらに 「ブルー・シャンデリ-」 と改名。

レオビ-ツの 「別れの歌」 などをカバァ-しレコ-ディング。

 

この頃になると、GSだ歌謡曲、演歌だとかどうでもよくなってくる。

 

これ以上書くと 「ザ・キッパ-ズ」 から離れていくので、元に戻します。

 

自分が 「ザ・キッパ-ズ」 を知ったのは、カセットで発売された「GSカバァ-」でした。

 

「廃墟の鳩」 「エメラルドの伝説」 「ガ-ルフレンド」 など、GSサウンドで見事に歌っていました。

 

そのGSサウンドを引きずって、「風のふるさと」 や 「はまなすの恋」 のレコードを入手。

失敗だったかも知れない。

 

「ザ・キッパ-ズ」 は、4枚のシングルと2枚のCDを発売。

 

 

・風のふるさと/星のロマン (1969年)

 

・はまなすの恋/夜明けのファンタジー (1973年)

 

・星のコ-ラス/小雨の風景画(1974年)

 

・結構します/ほほえみながら(1981年)

 

・MY BACK PAGE(1996年)

 

・はまなすの恋(2003年)

 

 

 

 

 

1960年~1970年代~1980年代~1990年代~2000年代と各年代に発売。

 

ザ・キッパ-ズは、昭和~平成と走り続け、令和を迎えることなく解散しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は戦争を経験していない、いわゆる 「戦争を知らない子供たち」 です。

今の子供は 「戦争を知らない子供たちの子供」 が多い。

 

時の流れは残酷で、髪の毛が長いアイドルが映画で特攻隊員を演じて、

 

戦争は格好良いものだ! 

 

と、勘違いさせられる。

戦時中、ロングヘヤ-はダメだったはずだが。

 

特攻隊は、出撃にあたり片道の燃料しか飛行機には積まなかったようだ。

それが何を意味するのか。

 

8月15日に戦争が終わったにも関わらず、終戦を特攻隊員には伝えず出撃させたと聞いた。

 

以前、テレビで俳優の西村晃 (水戸黄門を演じた元特攻隊員) が戦争の番組に出演。

若い司会者に、戦争の話を聞かれた。

 

 

当初は冷静にエピソードを語る西村晃さんでした。

 

あの日8月15日、特攻隊員で出撃するために自分は列に並んだ。

死は覚悟していました。

順番に仲間が、一人一人見送られ出撃していった。

自分の出撃の順番が来た時に上官が

 

 

> 出撃に行くのは、ここまで!

> 戦争は終わった。

> ここから後ろは宿舎に戻れ!

 

 

と、上官に言われ、出撃せずに終戦を迎えた。

 

 

すかさず司会者が

 

 

>西村晃さん、良かったですね~

>本当についてる。

>自分の前に並んだ人までが、出撃して死んで行ったわけですから。

 

 

西村晃さん、目に涙をいっぱいためて

 

> お前には俺の気持ちなんてわからん

> だから答えたくない!

 

と、テレビの生番組にも関わらず、真剣に怒りだした。

 

自分がもし、当時兵隊だったら・・・・真剣に考えてみたい。

 

 

 

戦争に関する歌は多く、軍歌が象徴的だと思う。

 

このブログは、フォ-ク&ロック中心なので 「軍歌」 について私は知識がない。

 

GS関連だと 「寺内タケシとブルージ-ンズ」 や 「ジャイアンツ」 がアルバムを発売。

 

また、尾崎紀世彦が在籍した 「ザ・ワンダース」 もカセットで軍歌を発売。

 

 

 

 

また、戦争に関連した曲では、ザ・タイガ-スが 「坊や歌っておくれ」 を歌っている。

この曲、元々は 「坊や祈っておくれ」 と言うタイトルで録音されました。

 

実際には、録音予定日に、トッポが失踪したので4人での録音となった。

 

その後、岸辺四郎がメンバー時に 「坊や歌っておくれ」 とタイトルとアレンジを変えてメンバーで演奏するようになったようです。

 

 

荒れた野原の戦場に、坊やのパパはいる。

綺麗な花になって寂しく咲いている

 

 

初めてライブLPで聴いた時は、物悲しく何て綺麗な曲だと思いました。

 

GSでは他にも、「戦争は知らない/フィフィ・ザ・フリ-」 がシングル・レコード化されている。

 

 

GSで戦争に関連した曲は、他には浮かばないがフォ-クソングでは、多く取り上げられている。

 

代表なのは 「戦争を知らない子供たち」 で、杉田二郎が在籍したジロ-ズが歌って大ヒット。

 

 

「戦争を知らない子供たち」 は、映画化されサントラLPも発売された。

この映画、チュ-リップが出演し 「どこまでもどこまでも」 を演奏。

この曲は、この映画かサントラLPでしか聴けない。

 

 

 

 

また、大阪万博でのフォ-クソング・コンサートの模様を収録したLPも発売された。

北山修も 「戦争を知らない子供たち」 と言うアルバムを発売。

 

 

 

また、フォ-ククルセダーズは 「戦争は知らない」 と言う曲をレコーディングしている。

 

 

 

>戦で死んだ悲しい父さん、私はあなたの娘です。

>20年後の、この故郷で明日お嫁に行きます。

 

 

娘が顔を知らない父親に感謝を込めた歌詞で、何か感動してしまう。

この曲は、坂本スミ子も発売。

 

 

戦争関係では、「坊や大きくならないで」 と言う曲が競作となった。

その中では、マイケルズのシングルが一番売れたようだ。

 

 

 

 

坊やが大きくなると、きっと戦争に行って血に染まる。

だから、大きくならないでと願う母親の気持ちを歌っている。

 

他に戦争を歌った歌として

 

戦場の星 ライジングサン・トリオ

 

戦場の愛  ライジングサン・トリオ

 

1970年代に入り

 「あの人の手紙」 と言う曲を かぐや姫 が発表。

 

戦争から 「あの人」 が帰ってきた。

幸せな日々を取り戻し、優しくしてくれる 「あの人」

ある日 「あの人」 との別れが來た。

「あの人」 の死亡通知が・・・・・

実は、奥さんは以前から知っていた。

そばにいた 「あの人」 は、もうこの世の人ではないが

私に会いに帰ってきてくれていたんだと。

 

この歌も初めて聴いた時は、悲しかったです。

「神田川」 もいいけど、「あの人の手紙」 もお勧めです。

 

戦争の歌は他にもたくさんあるが、私が一番好きな曲 「幻の翼と共に」 です。

 

「西岡たかしと五つの赤い風船」 の歌です。

 

1969年に発売されたアルバム 「おとぎばなし」 に収録された曲。

 

 

 

また、ジロ-ズ解散後にソロになった杉田二郎がライブアルバムに収録。

「長い旅のはじまる前に」 と言うタイトルでCD化もされています。

余談だが、LPに杉田二郎にサインを貰いました。

自分のお宝です。

 

 

 

戦時中とは言え、恋をする若者は今の若者と同じでたくさんいました。

戦争が引き裂いた恋もいっぱいあったでしょう。

たまたま、あの時代に若者だっただけで、心は今の若者と同じだ。

 

この歌は、愛する恋人がいたのに国のため特攻で散っていった一人の青年の歌。

 

青年は、出撃する前日に恋人と別れ、幻の翼に乗って炎の中で死んで行った。

どんな気持ちで、好きな人と別れてきたのだろう。

そして残された彼女も次の日に死んだ。

 

作者である、西岡たかしが歌詞の中で何度も何度も

 

もう嫌だこんな世界は、もう二度と見たくない

 

と綴っている。

 

多くの特攻隊員は、蛍になって愛する人の前に戻って来ると聞きました。

 

多くの人が悲しみにくれた戦争。

それだけは、時代が変わっても忘れたくない。

 

 

 

 

 

 

  テレビ音源より

 

 

 

 

今から52年前の1968年6月、ジャズ喫茶・池袋ドラムでの討論会が放送されました。
GSが嫌いな人達と、GS代表格のザ・タイガ-スの意見交換の番組でした。

GSが社会問題になっていた時期で、いいタイミングであった。

 

放送は、夜の10時30分からジャズ喫茶 「池袋ドラム」 からの生中継でした。

 

 

この 「木島則夫ハプニングショー」 は、画期的な番組でした。

新宿からの中継では、パトカーまで出動してしまったとか。

 

 

 

総合司会者         

・木島則夫 43歳 

 

 

 

音楽プロデューサー  

・ 田中敦   36歳 

  

実業家、フィクサー    

・菅原通済  74歳 

 

落語家            

・柳家小さん  53歳

 

元宝塚、映画女優    

・宮城千賀子 46歳

 

 

<番組の流れ>

 

 

上に掲載した音源。

50分の音源を5分にまとめたので、かなり無理があったかも。

 

 

番組のオープニングは 「傷だらけのアイドル」

 

その後、木島則夫の挨拶から番組は始まった。

 

ジュリー~サリー~タロー~ピー~トッポの順で自己紹介。

 

お客さんが入場。

 

ザ・タイガースのメンバーを見て、キャーキャー大騒ぎ。

 

間髪入れずに

 

『アンダーサム』 ~ 『君だけに愛を』 を熱唱!!

 

あまりのウルサさに司会の木島則夫、店の外に脱出し通行人達にインタビュー

 

>あなたはグループサウンズに興味ありますか?”

 

インタビューされた男性、女性全員が 

 

>興味あります!

 

木島則夫、思わずジャズ喫茶の中が息苦しいと言いたげに 

 

>やっぱり外の空気はいいね~

 

店内では、トッポの澄み切った声の 『ワールド』 が始まり、静かに歌が流れ続ける。

 

途中、理解ある男性が 

 

>凄いね、泣いてる人もいる・・・・

 

曲が終わり、木島則夫が 

 

>はい、どうもありがとう。

 

>なんか僕が静かにして下さいというよりも、沢田さんが言った方が効果がありそうだね

 

その後、会場のお母さんたちにインタビュー

 

>思ったよりはね、健康的なような気がいたしますけれども

>夜分遅いということが心配です

 

司会の木島則夫が

 

>じつは、タイガースがこの喫茶店に入るときの模様を、先に録画しておりました。

 

> その模様がいま画面に出ておりますからね、ごらんください

 

 

それを見ていたお母さんに、木島則夫がインタビュー

 

>あんな風うにして、大変な騒ぎで入ってくるのをお母さん自身でごらんになってね、どんな感じ?

 

>ちょっとキチガイじみたようなところはありますけどね

>でもいいんじゃないですか?

 

まぁ、こんな感じで差別用語も飛び交い、番組は進行していおきます。

 

途中、眼鏡をかけた高校教師がインタビューを受け、熱く意見を述べ番組は盛り上がる。

 

この時、演奏された曲目 (テレビでは一部の曲がカットされた)

 

・傷だらけのアイドル

・アンダー・マイ・サム

・君だけに愛を

・ワールド

・アンド・アイ・ラブ・ハー

・銀河のロマンス

・花の首飾り

・ジャスティン

・シー・セッド・イエー

・アイ・アンダースタンド

 

1981年 「日劇最後のウエスタンカ-二バル」 が開催されました。

テレビ放送ではカットされましたが、沢田研二が語っていました。

 

僕たちは汚い大人になりたくない。

 

 

 

 

当日、撮影会場にいたアルファ-ドの丸山氏が、日記を書いているので紹介します。

 

この時、丸山氏はアルファ-ド結成前で、サリーのおばさんが経営する 「モナミ」 でアルバイトをしていた学生でした。

 

この 「モナミ」 は、その後 「ノッポ」 と名前を変えて、ザ・タイガ-ス・ファンの聖地となった。

 

   

 

   

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

ノッポには、メンバーもプライベートで時々、顔を出したそうだ。

運が良いと、ファンも話が出来たみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノッポの朝」   

 

開店前の店内雰囲気を録音した音源を丸山氏がユ-チュ-ブでアップしている。

なぜ録音されたのか不明だが、ほのぼのとして面白い。

 

 

 

 

 
丸山氏(アルファ-ド・ボ-カル)の日記より~

 

1968年6月22日、それは土曜日の夜。

 

ボクは、まだ 「のっぽ」 に発展する前の 「モナミ」 で、アルバイトをしていました。

サリー(岸辺一徳)の親戚である、清水のオバチャンが 

 

> さあ、今からみんなで、ドラムへ行こう!

 

と先頭を切って、従業員一同とファンの子数人で、タクシー数台で池袋のジャズ喫茶 「ドラム」へ。

当時、ザ・タイガ-スのボーヤをやっていたヨシノリ(アルファ-ド・ドラムス)を呼んで、中へ入れてもらい、ボクらは、2階席に陣取りました。

夜の10時半頃に、番組はタイガースの 「傷だらけのアイドル」 で、生放送をスタート。

メンバ-が客席に降りてきて自己紹介のあと、ファンの女の子たちが、突如乱入して大騒ぎ。
それは、すさまじいばかりの光景でした。

途中、いろいろと対談が入ったりして 「君だけに愛を」 「花の首飾り」 「銀河のロマンス」 「アンダーマイ・サム」 「シー・セッド・イエー」 などが演奏されました。

教師3人の言葉には、全員そうとうに頭にきたみたいで、ジュリーはさかんに彼らと論争をいどんでいました。


サリーもピリッとしたこと (もっとキレイな大人になりたい?) を、言っていました。

ピーは 「ジャスティン」 のきっかけで、うまく反発 (教師の言葉をさえぎってスタートした?)。

清水のオバチャンも、大人のひとりとしてスポットがあたり、タイガースの味方発言ができた場面は、とても気分がスッキリしましたね。

出来レースのような番組進行には、もちろん女の子たちはプンプン!
泣き出してしまった子もいました。

最後は、おなじみの 「アイ・アンダースタンド」 でしめくくり、ジュリーが最後の言葉を訴えていましたが、この部分はTVには入らず、時間切れになってしまいました。

木島則夫という人は、もう少しまともな人間だと思っていましたが、この時から信用できない大人に変わりましたね。

 

 

こんな感じで日記は書かれていました。

 

番組構成上、普通に進行したらつまらないわけで、木島則夫や出演者が故意に喧嘩をしかけている感じもしました。

 

どう言う設定で参加者が選ばれたのかは知らないが、あの毒舌の高校教師は面白い。

 

本当に教師なら、月曜日に学校で生徒から叩かれたでしょうね。

 

1968年6月、GSブ-ムがピ-クを迎えていた時代の番組でした。

 

 

 

時代とともに風景は変わるもの。

しかし、舞台となった 「池袋ドラム」 のビルはそのまま残されている。

 

 

 

 

 

 
 
1968年に「恋の季節」 の大ヒットを飛ばした、ピンキ-とキラ-ズ主演のミュ-ジカル映画。
 
 
 
映画公開と同時に、 サウンドトラック・レコードも発売。
1980年代、映画はVHSビデオテ-プで発売されたが、DVD化はされていない。  
 
 
 
 
<主な出演者>
・ピンキ-とキラ-ズ
・大矢茂 (ザ・ランチャ-ズ)
・前田武彦
・由起さおり
・佐良直美
・土居まさる
・左ト全。
・皆川おさむ
 
<2017年のブログ記事より>      
                               
2週間前に、外付けハ-ドディスクが動かなくなりました。
1台目が破損の時は、ハ-ドディスクが壊れると言う認識が頭になく、大切な音源などが消失してしまい頭の中が真っ白になりました。
今回は、前回の反省から大切な物はCDやDVDに残しておいたので、最小限の被害で済みました。
前回同様、ブログで知り合った人達が市販のCDやDVDを貸してあげると申し入れてくれて、感謝に尽きません。
それと今のメディアは便利だけど、少しの傷で再生出来なくなったりします。
でも、昔のビデオやカセットテープは、多少の事では消えません。
結局、古い物が捨てれなくて難しい問題です。
 
 
<恋の大冒険> 
1970年・東宝映画
 
「恋の季節」 「涙の季節」 に続く ピンキ-とキラ-ズ の主演映画。
 
 
陽子 (ピンキ-)は、田舎から東京に出てきてラ-メン屋に就職。
ある日、通勤電車で女スリと間違われて、もめてる所を大矢茂に救われる。
陽子は、大矢茂に人目惚れ。
    
 
ちなみに、「真冬の帰り道」をヒットさせた 「ザ・ランチャ-ス」 の解散は1971年。
この映画の時期は、大矢茂は 「ザ・ランチャ-ズ」 のギタリストであった。
 
 
また役者として 「加山雄三の若大将シリーズ」 の2代目若大将を引き継いだばかり。
大矢茂は、ソロレコードも2枚発売し役者や歌手として将来有望視された。
 
  
 
映画の続き・・・・ 
その後、名前も名乗らずカッコよく立ち去った大矢茂と、動物園で偶然の再会。
 
 
大喜びのピンキー!バンザ~イ!
 
 
この映画、ミュージカルなので、やたら歌うシ-ンが多い。
歩いていて、突然歌い出したり踊ったり。
一人が歌い出したら、通行人が踊り出すのは面白い。
 
 
 
 
 
 
 
この映画、ユニ-クな俳優や歌手が出演しています。
 
佐良直美や由紀さおりの歌も魅力的。
そう言えば佐良直美は今、どうしているのだろう。
 
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黒猫のタンゴ   皆川おさむ
 
老人と子供のポルカ  左ト全
 
前田武彦
 
土居まさる
 
由紀さおりと大矢茂のダンスシ-ンは、さすがミュ-ジカル映画!と感じてしまいました。
この映画の中では、この二人は恋人同士と言う設定です。
 
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しかし、どこでどうなったか由紀さおりは前田武彦と結婚式を挙げる。
 
列席者たちが式場でラ-メンを食べている所にカバのサブ吉が乱入。
無茶苦茶な映画である。
 
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最後は、失恋して田舎へ帰る汽車へ飛び乗った陽子を、追いかけてきたカバのザブ吉が叫んだ。
 
「行っちゃいけないよ、陽子そっちに明日はないよ」 
 
ザブ吉はアニメであるが、この映画では重要な存在だ。
 
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この映画、ピンキ-こと今陽子の表情がとても素敵です。
また、大矢茂さんは二枚目ですよね。
今、何をしてるのでしょうか。
 
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今陽子さんに先日メ-ルをしたら、
 
>自分はポップスシンガ-を貫いて、歌手生活50年現役バリバリなので、まだまだ進行形です((^○^)  
 
と返信がありました。
確かに今陽子さんは、前を常に進んでいるスタ-です。
 
 
 
最後に、この映画には関係ないですが、自分の好きな映像を掲載します。
 
「ファンキーエンジェルエンジェル」 パンチョのドラムが格好いい。
 
 
 
「星空のロマンス」 10代のピンキーが見事に歌い上げる大人の歌
 
<当時のライブ音源>

 

 


 
<チェリ-サウンズ>
この記事をきっかけに、行方不明で連絡すら取れなかったメンバーが、40年ぶりに再会しました。
また、多くの方が間に入ってくれたおかげで、今では再結成に近い形で活動しています。
報告を受けた時は、非常に嬉しかったです。
「奇跡は一度でいい」 
1970年頃に発売された歌。
ズ-二-ブ-、シャ-プホ-クス解散直後に、町田義人と安岡力也がそれぞれシングルレコードとして発売しました。
とても素敵なバラ-ドですが、個性派だけあり感動的な曲です。
同じ歌なのに、随分と違う感じがしてしまう。
 
  
 
拉致被害者家族の横田滋さんが亡くなりました。
国民の多くが、奇跡が起こって欲しいと願っていたと思います。
他人事には思えず、同じ目線で悲しんでいた人が多い事件です。
まだ、国民は奇跡が来るのを願っています。
国として、奇跡のために真剣に動いて欲しい。
 
 
<チェリーサウンズについて>
 
1960年代に福岡の博多に 「プレイメイト」 と言うジャズ喫茶がありました。
そのジャズ喫茶のレギュラ-バンドが、チェリーサウンズ。
 
自主制作レコード「機嫌を直してもう一度」を1970年に発売。
発売したと言うより、解散記念に作成されたレコードです。
 
チェリーサウンズは、1966年よりグループサウンズとしてプロ活動していました。
東京から博多にやってきた歌手などのバックを担当したり、実力的には認められていたようです。
B面の「面影の渚」は波の音が効果的で、GSっぽさが感じられる。
 

 

「機嫌を直してもう一度」は、1970年に「望月ひろし」がレコードを発売しヒットさせました。

 
 
元々、この曲は黒人ガール・グループの 「シフォンズ」 が、1966年に 「STOP、LOOK、& LISTEN」 というタイトルで発売したのが、オリジナルと言われています。
しかし日本では、その4年前の1962年にカビリー歌手・高松秀晴がレコード発売。
どうなってるのでしょうか。
 
 
1978年には、ブラックレコードより「スピリッツ」がレコードを発売。
 
 
このブラックレコードと言う会社、時々見かけるので調べました。
いずみたくが企画したレコードとの事です。
 
参考までに、GS時代から活動し1970年代に入ってレコードを発売した「カ-二バルス」のレコードも、ブラックレコードからの発売でした。
 
 
 
 
『機嫌を直してもう一度』 は、チェリー・サウンズのステージでの持ち歌でした。
望月浩が福岡に来た時に、チェリー・サウンズが歌っているのを聴いて気に入り、東京に戻ってレコーディング。
「プレイメイト」 に立ち寄ったとの事です。
発売したら大ヒットしたと言うわけです。
 
ちなみに望月ひろしは、GSブ-ムの頃に「ザ・サンダ-バ-ズ」を結成。
「ひとりぼっちのバ-スデイ」 を発売したがヒットはしなかった。
さらに「サンダ-バ-」は「ム-ディ-ナイツ」と名前を変えて歌謡曲に転身。
 
 
 
元々、「機嫌を直してもう一度」は、日本語詞が1番までしかありませんでした。
チェリー・サウンズのボビー吉田氏がステージで歌うために、2番以降の詩を作詞したわけです。
そう言う意味合いでは、日本語のオリジナルの『機嫌を直してもう一度』はチェリー・サウンズがオリジナルと言っても過言ではないのかも知れません。
 
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『機嫌を直してもう一度』 の話に戻りますが、女GSの「ピンキーチックス」がテレビドラマの中で、この歌を披露。

 

   

 

          

 

 

 

 

 

 

  
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チェリー・サウンズから話が逸れてしまいましたが、チェリー・サウンズは写真を見てわかるように、ブルーコメッツのようなバンドを目指していました。

ステージでも、大半がブルコメのナンバーだったようです。

 

ステージ衣装は、博多にやってきたブルーコメッツの衣装をみて、お揃いの衣装(白いスーツ)を作ったそうです。

メジャーデビューの話はなく、解散前(1969年)にグループの活動の想い出に残しておこうということで「気嫌を直してもう一度」のレコーディングをすることになったようです。
曲の前にセリフを入れるのも、レコーディング時に急きょ決めたようで面白い。

 

 

1966年から解散した1969年までのライブ音源が多数残されています。

一部ですが、紹介させて頂きます。

 

 

上記以外にも、『草原の輝き』 や 『心の虹』 などのブルコメ・ナンバーや、 『ペルシャの市場』 などのインストナンバーの音源が残されており、聴く限り実力バンドだったように思われます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「特別機動捜査隊 398話」より~映像です

 

 

 

1960年代に活躍した、フォ-ク・ロックバンド 「フォ-セインツ」。

メンバ-である、ダニ-石尾氏が亡くなった2014年に記事を書きました。

あれから6年、時の流れは早いものです。

 

 

 

フォーセインツは、1968年10月に 「小さな日記」 でレコ-ドデビュー。

いきなり、デビュー・シングルが大ヒットしました。

 

 

 

 

 

 「小さな日記」は、カバー・シングルレコードが発売されたり、天地真理やアグネスチャンなどのLPでも取り上げられた。

 

 

 

 

 

実は、亡くなられた 「ダニ-石尾」 は。鹿島アントラーズのファンにとっては伝説の存在であった。

1993年に鹿島スタジアムが開場以来、 「クラブDJ」 を務め 「鹿島アントラーズ」 の多くのサポ-タ-に支持された。

スタジアムに応援に行ったサポータ-は、ダニ-石尾のDJを楽しんだ事だろう。

亡くなった直後に追悼式が行われ、スタンドからは  「ダニ-石尾」 の名前が大合唱されたと言う。

ただ、元フォ-セインツと知ってたサポーターは少なかったと思う。

 

自分が、フォ-セインツはフォ-クグループか? と聞かれたら回答に困ってしまう。

「小さな日記」 や 「希望」 を聴くと、フォ-クソングだろうと思うし、中にはグループサウンズ的な楽曲もあるし迷う。

エレキ、ドラム、オルガンなどを演奏、やはり ? である。

 

しかも、多くのGSが出演していた 「ジャズ喫茶」 にも出演していました。

 

 

 

写真のスケジュール表を見ると、「ザ・ダイナマイツ」 と対バンです。

トンネル抜けて~~~とダイナマイツが叫んだ後、山に初雪~~とフォ-セインツが歌う。

 

デビュ-曲 「小さな日記」 のジャケットは5人が写っていますが、デビュ-直後にオルガン担当の加賀氏が脱退。

発売後の脱退は、よくある事ですがデビュ-時は5人。

フォ-セインツ(4人の聖者たち)はおかしい。

ファイブ・セインツが普通であるが、50年以上前の事を言っても、誰にも相手にされないのだ。

 

<メンバー>

・上原徹      ギタ-

・ダニ-石尾   ギタ-

・志賀正浩     べ-ス

・荒木茂          ドラムス

 

 

 

 

 

 

「小さな日記」

山で遭難してしまった、初恋の彼氏を想う悲しい曲。

 

「ふりかえらないで」

エレキにオルガン、ドラムがメインで爽やかなフォ-ク・ロック。

 

 

 

「希望」

希望と言う名前の女性を探し求めて、旅をする悲しい曲。

この曲も、前作に続き大ヒット。

 

「お前だけはギター」

本人達は、フォ-クかGSかどちらを目指していたのか。

エレキにドラムに大爆発。

 

 

 

「涙の手紙」

片想いの女性が夢に出てきて、”うつむいて歩いていた” 

だから、心配で眠れなくなる悲しい曲。

 

「嵐の丘に立つ」

ドラムの音と、間奏のエレキギターがカッコいい。

 

 

 

 

「この道は暗いけど」

進む道は暗いけど僕は行く!と言う、人生に対し前向きに生きる歌。

 

「夕陽と少年」

波の音が流れ、1人の少年が恋をした~と言うセリフから始まる。

少年が海で出会った少女に恋をしたが、少女は海で死んでしまう。

間奏のエレキギターとオルガンの音色が物悲しい。

 

 

 

LP 「小さな日記」 に収録されている 「チーちゃん」 と言う曲がある。

当時流行していた 「帰ってきたヨッパライ」 のようにテ-プを早まわしの曲で、ユニ-クな曲である。

LPは、CD化されていますので、聴く機会があればお勧めです。

 

 

 

フォ-セインツは、1971年1月14日の神田共立講堂のステ-ジを最後に解散。

「嵐の丘に立つ」 は,レコ-ドと違い迫力がある。

 

 

半年後、同じメンバーで 「フォ-・クロ-バ-ズ」 と名前を変え再デビューし 「冬物語」 がヒット。

この曲は、テレビドラマ 「冬物語」 の主題歌でした。

なお、このドラマは2012年にスカパーで再放送された。

「フォークロ-バ-ズ」 は1973年に解散。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解散後、ドラムの荒木しげるは俳優に転身。

子供向けの「仮面ライダーストロンガ-」では、主役の ”城しげる” を演じ、さらには刑事ドラマの「特捜最前線」では、人情味あふれる津上刑事を演じた。

殉職時の146話では、久しぶりにドラムを披露。

また、「暴れん坊将軍」では、お庭番・木葉才蔵として忍者役で出演。

若くして亡くなったのは残念だ。

 

 

 

また、ベ-スの志賀正浩は司会やレポータ-として活躍。

 

 

1975年、「フォ-セインツ」 として、郵便貯金ホ-ルのイベントで2年ぶりに4人で演奏。

さらに、翌年の1975年7月に中野サンプラザで開催された 「帰ってきたカレッジ・フォ-ク」 にも出演。

ヒット曲  「小さな日記」  「希望」  を演奏

当日、荒木しげるが演じた 「仮面ライダーストロンガ-」 のテ-マ曲まで披露。

ドラムの、荒木しげるのセリフが迫力満点だ。

 

 

 

2008年に再結成。

新曲も発売したが、2012年4月14日の荒木茂の死去で解散。

ダニ-石尾氏の命日が、2014年4月15日なのは因縁か。

 

 

 

<映像>

フォーセインツは、1969年6月16日放送の 「特別機動捜査隊 398話」 に出演。

歌に演技に主役級の扱いであった。

特にドラムの荒木しげるは氏は、演技も含め完全に主役の刑事たちを差し置いて、ドラマの主役になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<アイドルズ~ワイルダ-ス・音源>

 

 

 

 

エレキやGS、さらには歌謡曲を一度に味わえるグル-プ、それが 「ジ・アイドルズ」

1983年の秋だったか、中古レコ-ド店で 「日本ポピュラー史研究」 と言う雑誌を購入しました。

多くのグル-プサウンズが載っており、初めて名前を聞くバンドばかりだった。

 

 

 

その頃自分は、ザ・タイガ-スやテンプタ-ズなどの 「ベスト盤LP」 しか持っておらず、これらのGSの存在に驚かされた。

 

 

 

この本には、多くのグル-プサウンズのレコ-ドがリスト化されており、当時としては画期的でした。

この本をきっかけに、マイナーGSに興味を持った人も多いと思う。

マイナ-GSは聴けば聴くほど、とんでもないオタクの世界に吸い込まれていくのだ。

 

また文中には、マイナーGSの音源を聴かせてくれるという 「カセットコピ-・サ-ビス」 と言うのが載っていた。

惜しげもなく、貴重な曲の数々を聴かせてくれた筆者の黒沢さんに感謝した人も多いだろう。

 

 

雑誌の最初に紹介されていたバンド、それがアイドルズです。

 

エレキバンドのジャイアンツが母体で GS になったバンドです。

 

ちなみに 「ケメコの唄」 のジャイアンツとは別のバンドです。

 

 

ジャイアンツは、エレキブ-ムの頃から活躍しており、初期にはザ・サベ-ジの渡辺氏もメンバ-であった。

 

1965年には 「恋愛射撃隊 /あと5分待ってみよう」 と言うボ-カル物のレコ-ドを発売している。

 

愉快なタイトルだが、内容はナンパもたくさんすれば、いつか成功もするだろ~と言う歌詞。

 

この 「恋愛射撃隊」 は、藤本好一や原耕二もシングル化し競作となった。

 

 

 

 

ジャイアンツは、シングル盤発売は1枚だが、「女の子」 と言う未発表曲があります。

この 「女の子」 と言う曲は、近年 「カルトGSモンスタ-・ビクタ-編」 でCD化されました。

CDは、意外とレンタルショップに置いてあり、興味ある方にはお勧めです。

もし、興味あるのに入手出来ない場合は、私まで遠慮なく連絡ください。

 

1966年1月にジャイアンツからアイドルズに改名。

テレビドラマ 「平四郎危機一髪」 で主題歌を担当。

 

  

 

 

ドラマにもアイドルズとして出演し、「あと5分待ってみよう」 や 「若いダンスパ-ティ」 を演奏。

この番組では、「新宿ACB」 の外観や室内が見られるが、今の新宿とは雰囲気が全く違うのが面白い。

この頃は、アイドルズと名乗っているが、エレキバンドのジャイアンツのメンバ-なので、GSらしさがない。

 

 

 

 

 

また、屋外ステ-ジでは 「南弘子とアイドルズ」 として出演。

演奏中に銃で狙われるという、恐ろしいドラマです。

 

  

 

 

 

 

その後、アイドルズはメンバ-チェンジを行い、エレキバンドのイメ-ジから脱却しグル-プサウンズ化。

「夕陽よ燃えろ」 で1968年8月にレコードデビュ-。

このレコード・ジャケットを初めて見た時は強烈だった。

 

 

当時の歌本に 「夕陽よ燃えろ」 が紹介されているが、夕陽のイラストが微笑ましい。

ボ-カルは、岡雅巳。

ちなみに、岡雅己はアイドルズ解散後、CMソング 「がんばらなくっちゃ」 を歌いました。

 

 

同じく1968年8月、叶修ニのシングル「抱きしめて抱きしめて」でコ-ラスと演奏で参加。

ジャケットにも、アイドルズの名前がクレジットされている。

正直、この曲の方がGSらしい。

 

 

同じ頃、ザ・ワイルダ-ズと言う名前でキングレコ-ドより 「ビ-ト・イン・ディスコ」 を発売。

キングレコ-ドがインストアルバムを作成するにあたり、即興で譜面が読めるアイドルズが選ばれたのであった。

ただ、ポリド-ルレコ-ドでアイドルズがレコ-ドを発売してる関係で、名前は使用出来ず 「ザ・ワイルダーズ」 名義で発売。

GSヒット曲などが中心の全曲インストのアルバムで録音は文京公会堂で行われた。

個人的には、オルガンの音色がお気に入り

 

 

曲目 ・神様お願い! ・亜麻色の髪の乙女 ・あの時君は若かった ・バラの恋人 他

 

 

3ヶ月後には、同じく 「ザ・ワイルダーズ」 名義で 「ロック・ビ-ト・ア・ゴ-ゴ-」 を発売。

こちらは洋楽カバァ-で構成。

オ-ルディ-ズが中心で、前作と違いビ-トが効いた曲は少ない。

 

曲目  ・ルシア  ・ダイアナ  ・監獄ロック  ・君は我が運命  ・悲しき街角  他

 

また、「ヒット速報1968」 と言うオムニバスレコ-ドにも、ザ・ワイルダーズとして参加。

LP レコ-ドジャケットは、当時流行していたヌ-ドジャケット。

 

 

 

ザ・ワイルダ-スの中で、自分の一番のお気に入り

  ・あの時君は若かった

 

 

2枚目シングルは、立花京子とアイドルズとして 「嫁ゆかば」 と言うドラマの主題歌。

マイナ-調の曲で、アイドルズはコ-ラスと演奏で参加。

B面の 「恋の伝説」 は、アイドルズの単独曲で、こちらがA面でもよかったのではないかとは思う。

個人的には、「嫁ゆかば」 の立花京子の歌声も好きではあるが。

 

 

 

この時期、アイドルズとしてLP制作の話があったかどうかは不明だが、何曲かオリジナル曲をレコ-ディング。

残念ながらレコ-ド化はされず、今もCD化すらされていない。

 

・恋におやすみ

・幸福への招待状

・永遠の愛

・海に帰った少女

・青空の果て

・僕だけの道

 

 

この頃は、他の歌手のバック演奏をしたり、テレビドラマの演奏シ-ンなどに出演する事も多かったようだ。

 

   

 

 

 

また、服部良一や都はるみのLPレコ-ドにも参加。

なぜ都はるみ?と思うが、しっかりとコ-ラスと演奏で参加している。

ただ、GSファンがわざわざ中古レコ-ド店で必死に探すのはお勧めしない。

 

 

 

意味不明ながら、交通安全協会からソノシ-トも出している。

作曲が、服部良一なのでアイドルズが選ばれたのだろうか。

この曲、ザ・ライオンズも 「よい子のゴ-ゴ-」 のタイトルでシングルレコ-ドで発売。

どちらがいいか・・・・・・・・・と考えるのも無駄だ。

 

   

 

 

記事の最後に、未発表曲などを入れましたので、時間があればお聴きください。

 

3枚目のシングルは 「あの日の君に」

 

 

1969年9月発売で、GSブ-ムは終わりかけており歌謡曲である。

GSとしてではなく、歌謡曲として聴けば良い曲だと思う。

ボ-カルは、中野と言う人らしいが、初期メンバ-にその名前は見当たらない。

しかし、ジャケットをよく見ると 「あの日の君」 からメンバ-が1人増えている。

いつの間にか5人から6人になっていたのだ。

 

 

1969年12月3日放送の 「特別機動捜査隊/第422話 上流階級」 において、ハ-ナビ-ズと言う謎のGSが 「さよならは朝が来てから」 を熱唱。

6人組のバンドで、いわゆるアイドルズの変名である。

雰囲気的には、ム-ド歌謡グル-プと思わせる白いお揃いのス-ツが、時代を象徴しているようだ。

 

 

 

   

 

 

 

 

 

年ごろ(1968年7月公開 東宝映画)

 

主演  内藤洋子  松本めぐみ   岡田真澄   黒沢年男 

ジャッキ-吉川とブル-コメッツ

 

 

 

4月20日 、ジャッキ-吉川さんが自宅で亡くなられているのが発見された。

前日の4月19日に亡くなったようだ。

 

エレキバンド時代から活躍し、GSブ-ムを支えたブル-コメッツ。

当時、エレキ・インスト曲でレコ-ドデビュ-したのは、ブル-コメッツとシャ-プ5であった。

自分は勝手に、2大エレキ~GSバンドと呼んでいる。

 

 

 

偶然ではあるが、井上宗孝とシャ-プ5のリ-ダ-・井上宗孝さんが亡くなられたのが2019年4月19日。

奇しくも、2大ドラマ-の命日が、4月19日と重なった。

ザ・タイガ-スの瞳みのる他、この二人が音楽界に与えた影響は多い。

 

 

 

ブル-コメッツは、エレキ~GS~歌謡曲と時代とともに音楽界に君臨したが、メンバー交代を繰り返し解散らしい解散をしていないバンドであった。

プライベートでは1973年に結婚したが、あまり私生活は話題にならなかった。

 

 

10年くらい経つだろうか、知人がブル-コメッツと一緒に名古屋に来ると言うので駅まで行きメンバ全員のサインを頂きました。

寄せ書きは、自分のバイブル的なGS本に貰いました。

 

ベ-スの高橋さんが、優しい口調で

 

>最後に BC と真ん中に、ジャッキ-さんに書いて貰うといいよ

 

 

 

<年ごろ>

この映画、VHSビデオテ-プで発売されたが、残念ながらDVD化はされていない。

ただ、スカパーでは放送されたようです。

 

忙しい中、急いで製作された他のGS映画と似た感じではあるが、スキ-場でロケをしたり、空を飛んだり評価は出来る映画です。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ブル-シャトウ」 で日本レコード大賞を受賞したブル-コメッツですが、意外に映画出演は少ない。

 

・夢で逢うましょう(1962)  

・二人の銀座(1967) 

・クレ-ジ-の黄金作戦(1967) 

・年ごろ(1968)

 

メインで出演しているのは、「年ごろ」 だけ。

聞いた話だと、NHKに出演するにあたり、拘束時間があまりにも多く、映画出演どころではなかっようです。

 

 

 

 

 

 

 

<あらすじ>

高校生の内藤洋子が、スキ-場で知り合った30歳を過ぎた岡田真澄の大人の魅力に、憧れの恋心を描く青春映画。

 

ジャッキ-吉川とブル-コメッツは、スキ-場での演奏だけでなくセリもあり、主演の黒沢年男の友人と言う設定で出演。

 

今思えば、この映画に出演時の岡田真澄は30代前半で、今の自分り年下であるが、随分と大人に感じられる。

背伸びをして、大人の恋に憧れる内藤洋子も魅力的である。

内藤洋子がブル-コメッツと 「甘いお話」 を歌う空想のシ-ンは、いにもGS映画とう感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブル-コメッツが映画で歌う楽曲

ブル-シャトウ

・心の虹

・甘いお話

・青い彗星

・空の彼方に

 

内藤洋子・松本めぐみとの掛け合いも面白い

 

大人の魅力の岡田真澄

 

大人の世界に憧れる内藤洋子

 

パイロットに扮したブル-コメッツと内藤洋子

 

 

 

残念ながら 「映画全編」が動画アップがNGのようです。

 

映画の中で何度も流れる 「空の彼方に」の、当時のコンサート音源をアップします。

 

この「空の彼方に」は、LPに収録されたオリジナル曲で、コンサートのオ-プ二ングとエンディングに使われていました。

 

 岸部一徳 (ザ・タイガ-ス)

 

 

 

 テル・ミ- ~ 涙かれても

 

 

 

   

 

 

岸部一徳・・・・・本名は岸部修三(しゅうぞう) ザ・タイガ-ス時代は、おさみ。

 

今では、ブラウン管の中では欠かせない存在となっています。

画面に出てくるだけで、何か嬉しくなる。

真面目な役、ユ二-クな役など幅広くこなす一流俳優。

 

 

50年前の5月17日、サリ-は仙台へ。

 

仙台駅で待ち構えていた100人位のファンに、見つからないようにタクシ-に飛び乗ったサリ-は、タクシーを追いかけるファンが乗った5台のタクシーに追いかけられたが、何とか振り切って「仙台グランドホテル」へ午後2時20分に到着。

しかし、「仙台グランドホテル」前には、自家用車で待機していた2人の女性も含め、40~50人のファンが待っていた。

 

サリ-> 参ったなぁ

 

「仙台グランドホテル」へ行くのを諦めたサリ-は、トンボ帰りで仙台市北目町にある「一楽荘」へ、行き先を変更。

「一楽荘」で鍋焼きうどんを食べたサリ-は、カ-キ色の作業服に着替えて長靴を履き、さらにはほおかぶりに麦わら帽子と言う、ハウスキ-パ-に変装し「一楽荘」の玄関へ。

しかし、外にはファンが乗った自家用車2台にタクシー1台、合計3台の車が待ち構えていた。

そんな中、サリ-を乗せたタクシ-は出発。

いつの間にかファンの車は5台に増えサリ-のタクシ-を追いかけるが、最終的にファンの車をまく事に成功。

サリ-のタクシ-は、川内大橋通りの高台へ到着。

その場所は、元・駐日米軍将校宿舎をそのまま国家公務員宿舎にしている一画で、アメリカの郊外住宅のに雰囲気のある場所であった。

 

ちょうど、自宅前で芝刈りをしていた原田さん(49歳)にお願いして、原田さんの家のハウスキ-パ-になりすました。

 

 

 

しかし、3分も経たないうちに発見されてしまった。

 

サリ~サリ~の大騒動。

 

この一画の奥に、東北大学の付属植物園があり、200人近いファンが、きっとサリ-は仙台のこの辺りに来るとヤマを張って、周辺をパトロ-ルしていたのだ。

 

あっ!サリ-だ!

 

松田姉妹 (20歳・19歳) の叫び声で、ファンが周りに群がった。

 

 

サリ-> ノッポは目立つからダメだなぁ

 

 

サリ-は降参し集団デ-トへ。

そしてファン達は、サリ-と共に植物園へ。

 

 

そこで急遽、 「ファンの集い」を開催する事になったが、30人くらいのファンが慌てて木陰の目立たない場所に逃げ出した。

実は学校の先生らしき女性が現れ、ファンのリ-ダ-らしき女性に説教を始めたのだ。

 

そしてサリ-に同行した記者に対し先生らしき女性が

 

うちの生徒が30人くらい授業をサボって、ここに来てるんです。

こう言う催しがあるなら、事前に学校へ連絡ください!(怒)

 

実はこの先生らしき女性は、仙台の名門校・白百合学園の補導係だったのだ。

結局、女学生達はサリ-とのデ-トを諦め退散。

残された近所の主婦達と、芝生での上で語らう事になったのだ。

 

 

個人的には、仙台は一度も行った事はないが、学生時代の友人やネットを通じての知人は多い。

仙台は、野球や音楽が盛んで綺麗な街のイメ-ジです。

その仙台を50年前に、岸部一徳(サリ-)が訪問したのだ。

多くのファンは、当日ワクワクしながら仙台駅で待った事でしょう。

待つ間の仲間同士の雑談、これがまた楽しい。

どんな会話をして待ったのだろうか。

 

・サリ-、変装してるかなぁ

・声かけたら相手してくれるかな

・サインくれるかなぁ

 

こんな会話を、友達同士でしてたのでしょうか。

 

50年前サリ-が歩いた場所は、どんな場所だったのか調べてみたが、仙台駅はわかるが「仙台グランドホテル」は場所が特定出来なかった。

また、「一楽荘」も雑誌に住所が掲載されていたが現在地は不明。

この写真の辺りだろうと言う、推測しか出来なかった。

 

 

しかし植物園は現在も残されていた。

 

芝生広場

 

 

 

 

 

 

サリ-は、田園コロシアムライブや解散コンサ-トでは、かまやつひろしの作品である 「どうにかなるさ」 を歌っていますが、この 「ドッグ・オブ・べ・ザイ」 も代表曲の1つだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナが猛威をふるい、色々と影響が出てきています。

やっと購入するパソコンを決めたのですが、部品の入荷の影響で入荷待ち状態。

色にこだわらなければ入手出来るのですが、やはり妥協したくないから待ってしまう。

取りあえず、モバイルパソコンで今年初めての記事を書いています。

画面が小さくて文字入力が難しい。

 

 

 

フォ-リ-ブス・FOREVER ①の記事を読んだ、多くのフォ-リ-ブス・ファンからメ-ルを頂きました。

続きの記事を書いて欲しい、違う映像が観たいなど、ありがたいメ-ルばかり。

ただ新しい情報も特になく、映像もそんなに持っているわけではないので、少し写真を増やして映像を長くする事にしました。

長さを意識し過ぎたのか、妙に長い映像になってしまい、観るのが大変かも知れません。

 

 

 

 

 

デビュ-前の記事を読んでいたら、デビュ-曲の事が興味深く書いてあった。

デビュ-曲はスロ-バラ-ドの「壁のむこうに」に決まったが、B面は未定。

しかし翌月の記事では、B面は「太陽のマドリカル」に決まったと書いてある。

さらに翌月の記事では、A面「オリビアの調べ」 B面「壁の向こうに」に最終的に決まったと書いてある。

 

 

 

 

 

映像を観ながら感じた事は、昔の映像を観ても再結成の映像を観ても男性が映っていない。

 

 

 

 

 

再結成から20年近く経つんですね。

最近のように感じてたのですが、時の流れは早いものです。

 

 

 

 

 

事務所引っ越し

 

 

 

 

 

1968年デビュ-時に着ていたファッション

 

 

 

 

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

 

 

デビュ-時は、失神バンド・オックスのライバルみたいな扱いもあった。

GS二ュ-パワ-として、フォ-リ-ブスも強引にGSに入れられた。

 

 

ボ-ヤの岡君にサイフの中身を握られていた頃

 

左から2番目の男性は、バニ-ズの黒沢博。

数年後、「3年目の浮気」 をヒットさせた.

 

 

釣りを楽しむ4」人の」少年たち

 

     

 

雪合戦を楽しむ少年たち

 

 

キャンピングカー

 

 

デビュ-当時、住んでたマンション前には深夜までファンがいたようだ。

メンバーが外に出ると、ファンが取り囲み大騒ぎ。コンビニすら行けない。

と言うより、コンビニがない。

 

 

 

野口五郎とひそひそ話、楽しそうだなぁ

 

 

ソックリさんは、葵てるよし

 

バスが壊れたらしい

 

大人の男性、北島三郎。大人の女性、栗原小巻

 

 

浜松市・中田島砂丘 右端は野村正樹

 

浜松城、郷ひろみも一緒

 

プライベ-ト写真もよく載ってました。