八葉山 天台寺
(はちようざん てんだいじ)
【宗派】天台宗
【寺院本尊】聖観世音菩薩
【札所】奥州三十三観音霊場 第33番
【札所本尊】聖観世音菩薩
【創建年】(伝)神亀5年(728年)
【開基】(伝)行基(開山)
【所在地】岩手県二戸市浄法寺町御山久保33-1
奥州三十三観音結びの札所。
三十三番札所の天台寺。
1200年余りの歴史を誇る東北有数の古刹。
今日、この日を迎えらえれた事に感謝
寺伝によれば、奈良時代の神亀5年(728年)に行基菩薩が聖武天皇の命を受けて、八葉山と命名し、山中の桂の大木を刻んで本尊聖観音菩薩とし、天皇直筆の額を掲げて開山したものという。草創の正確な時期は不明であるが、寺に伝わる仏像の制作年代から、平安時代には寺観が整っていたと思われる。もともとは山道下の桂の大木の根元から清水が湧き出ていたことから「桂泉観音」「御山の観音」と呼び親しまれており、霊地として崇められていた桂清水が、のちに観音の霊場として、そして古代において日本最北の仏教文化へ発展したものと考えられている。
「天台寺」の名称が初めて資料にあらわれるのは南北朝時代、正平18年(1363年)の銅鰐口で、元中9年(1392年)と伝えられる銅鐘銘には「桂泉」の名も見られる。この頃には勢力を拡大してきた南部氏が天台寺を崇敬・保護するようになり、室町時代中期には、糠部三十三所観音巡礼の第一番礼所ともなった。江戸期になり、万治元年(1658年)盛岡藩主南部重直が天台寺を再興、続いて元禄3年(1690年)、南部重信が大修理を行った。このとき建築されたのが現在の本堂(観音堂)である。このとき敷地内には27社もの末社も整備され、寺院として隆盛を誇った。藩からは100石を超える寺領が与えられ、別当(住職)桂寿院を中心に、徳蔵坊・池本坊・実蔵坊・宝蔵坊・中之坊・代仙坊・月山別当三光院などが補佐し、一山の運営・管理にあたっていた。(wikiより)
最後までご覧頂き有難うございます。
無事に結願することができました
親父の病気平癒がきっかけで始めた寺社巡り。
そして、見知らぬ女性が夢に出てきて『観音様に行きなさい』と言われて始めた奥州三十三観音巡り。
いろいろな想いを持ってで三十三箇所を巡り、祈りました。
親父の病気平癒祈願、あとは主に故人の冥福を祈りました。
震災の津波で亡くなった友人・知人、急逝した義父、自殺した親戚、オーバードーズで亡くなった親友、事故死した従兄・・・。
親父は元気です。月に半分くらいに減りましたが仕事にも復帰してます。
奥州三十三観音巡り結願。
『平成のうちにやりたい事』の1つが無事に出来た事に感謝
記録として後日まとめ記事をアップします。
~奥州三十三観音霊場巡りの旅~
第33番 八葉山 天台寺
重ね重ね、最後までご覧頂き有難うございますm(_ _)m