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今回のテーマは、音楽の快感の3回目、「共感」についてです。
まず、「共感」とは何かということで、ウィキペディアで検索してみました。
「喜怒哀楽の感情を共有することを指す。例えば友人がつらい表情をしている時、相手が「つらい思いをしているのだ」ということが分かるだけでなく、自分もつらい感情を持つのがこれである。通常は、人間に本能的に備わっているものである。」
ということです。
つまり、感情を共有すること、実際に自分もその感情を感じることが「共感」なのですね。
心理学でよく出るマズローの欲求の5段階に当てはめてみると、「共感」は人に自分の感情を認めてもらえるとも言い換えることができるので、5段階の上から2番目にあたる「承認欲求」が満たされるものと思われます。
これだけでも幸せな気持ちになれそうです。
(※マズローの欲求の五段階は、1.生理的欲求➡2.安全の欲求➡3.所属と愛の欲求➡4.承認の欲求➡5.自己実現の欲求、というふうに、原始的なものから高次なものへ順に満たされる。)
次に、脳科学でも「共感」に対応する脳の働きが有ります。人が共感する時に働く脳の神経細胞である「ミラーニューロン」によるものです。「ミラーニューロン」とは、他人の行動見て、自分がその行動とったかのような感情を感じる神経細胞です。感情を感じてしまうとは、まさしく「共感」の定義そのものです。
ここでやっと、音楽における「共感」について考えてみます。
音楽を聴いて作曲家や演奏者に共感する。
音楽を演奏して、作曲家や共演者に共感する。
等のケースが「共感」ですが、音だけ聴いて共感する場合も含まれまるものとします。
たしかに、演奏していれば「承認欲求」とか、聴いている側なら「所属と愛の欲求」は満たされるでしょう。
また、ミラーニューロンも、音だけの場合でも働いていそうです。
しかし、それらだけでは説明がつかないレベルの感動が音楽にはあります。
例えば、クラシック音楽を聴かない方でも概ね知っている、ベートーベンの交響曲第5番「運命」。この曲を1楽章からずっと通して聴いて、4楽章に到達した時の絶頂感は、なかなかすさまじいものがあります。ミラーニューロンの働きを超えて、一瞬神の世界に繋がったかのような体験です。
この絶頂感を理解する為、神秘思想家である、ルドルフ・シュタイナーの言葉を引用してみます。
「彫刻、絵画など、音楽以外のあらゆる芸術は、自然の秘密の意図を推測するまえに、表象をまとめなければならない。それに対して、メロディ、ハーモニー、音楽は直接、自然自身の表明なのである。音楽家は、神の意志の脈拍が世界を貫くのを直接聴く。神の意志がいかに表現されているかを、音楽家は知覚する。」
(音楽の本質と人間の音体験 ルドルフ・シュタイナー著 西川隆範訳 イザラ書房より)
つまり、音楽は人と共感できるだけでなく、その作品を介して、人を神と繋げることができるのですね。
音楽は時間性を伴ったリアルタイムでの神の体験であり、通常の現世では存在しない種類の快感(=神体験)があたえられる訳です。すべての文化に音楽は存在するそうですので、この神の性質を思い出すのは人類共通のようです。人間には神を思い出す回路が組み込まれていて、それを起動させる装置が音楽なのかもしれません。
ところで、途中で脳のミラーニューロンの話を引き合いに出しつつ、脳を超えた話になってしまいましたが、脳科学者の間でも、脳イコール心なのか、脳を超えた何者かを想定すべきなのか意見が分かれるそうです。
あくまで、素人である私個人の妄想ですが、私としては、脳はパソコンの様な通信装置だと考えています。その脳に依存しているのが、自我です。
そして、自我をさらに高いところから操っているのが魂です。魂は神というインターネットの様な情報の海の中にあるアカウントみたいなものです。神とつながりつつ個性を伴った情報のゲシュタルト(一つの全体性をもったまとまり)が魂です。
と、そういうイメージで捉えています。
魂も自我も同時に他人そして神と繋がれる音楽。
まずは、その事を意識しながら、そしてそのことでどう自分(自我と魂)が変容するかを観察しながら、音楽を作っていきたいと考えます。
最終的には、神と繋がる自然な営みとして、音楽に向き合っていけたらと考えます。
考えがあちこちに飛んだ文章で失礼しました。今後、もっと分かりやすくしていきたいと思います。
では。










