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今回はイタリア出身のルイジ・ボッケリーニ(1743-1805年)です。

 

 

ボッケリーニは、イタリアのフィレンツェ郊外、ルカという街で生まれ、チェリストとしてだけでなく、ハイドン、モーツァルトと同時代の古典派の作曲者としても活躍しました。

 

 

それでは、彼の人生を見ていきます。

 

父がプロのコントラバス奏者で、最初は父、その後はルカ大聖堂の楽長からチェロを学びます。その後はローマでも勉強します。

 

17歳にはウィーン宮廷楽団で高い評価を得、18歳で作曲も始めます。

 

その後、ミラノ、パリを始めヨーロッパ中で演奏活動を行い、高い名声を得ます。

 

そして25歳の頃にマドリッドで高い評価を受けて、皇帝の弟、ドン・ルイス皇子付きのチェリスト兼作曲家として後半生を送ります。

 

しかし皇子が亡くなった後失職してしまいます。

 

さらに、作品を書いてもだまされてお金を送ってもらえず、貧困と失意の内にこの世を去りました。

 

チェロも作曲も現代にも名前が残るほどの実力を持ちながらも、人が良かったのか、かわいそうな最後でした。

 

 

ボッケリーニに関しては、

バロック界最高峰のチェリストであるビルスマが、世界最高のチェリストとして、演奏、作曲共に非常に高く評価しています。

 

ビルスマは、ボッケリーニの弟子なんじゃないかというくらい、好意的かつ的確な言葉を本に記されています。

 

 

 

対談本である、

「バッハ・古楽・チェロ、アンナー・ビルスマは語る  著:アンナー・ビルスマ+渡邉順生、編訳:加藤拓未/アルテスパプリッシング」

 

より、ビルスマの言葉を抜粋します。

 

 

まずは、ボッケリーニの時代上の位置付けです。

 

「時が過ぎて市民社会の時代になって・・・・人びとが感情を共有する感覚が生まれた。・・・・ボッケリーニはそうした新しい時代の「最初期」を生きた音楽家だと思うね。」

 

権力から解放された音楽の一番最初の頃の作曲家なんですね。

バロックとは違う聴きかた、つまり、神とか偉人ではなく、ボッケリーニの感じたことが音楽になっているということです。そういう意味では、モーツァルトとベートーベンの間くらいという感じでしょうか。

 

 

 

次に、ボッケリーニの音楽のキャラクターについてです。

 

「ボッケリーニの音楽とは「人を楽しませたい」という音楽なんだ。彼は主君を愛し、家族を愛した。」

 

彼は最高のチェリストでありつつ、愛情深い人だった、そしておそらく「いい人」だったのでしょうね。

 

 

 

 

曲の長さについてです。

 

「ボッケリーニの音楽は短いんだ。それは人生も短いから。」

 

彼は結核にかかっていたこともあり、常に死を意識していたことが考えられます。

命と時間の大切さ、そして生かされて人生を体験しているこの一瞬がいかに大切か、常に意識していたのかもしれません。そしてそれが音楽にも表れているのでしょう。

 

 

 

弦楽五重奏について。

 

「弦楽五重奏の美しさの秘密は、二本のチェロにあるんだ。二本のチェロがともに響きあって、この魅力的なサウンドを作っているんだ。」

 

チェロが響き合うサウンドなんですね。じつは、チェロの曲ばかり聴いていたので、私も聴かないといけませんね。

 

 

 

 

ビルスマは、彼のいたスペインの宮殿に行ってみたそうです。

 

「宮殿に入って、私はボッケリーニの弦楽五重奏が演奏されていた部屋に入ったんだ。理想的な空間だったね。響きも最高だった。」

 

理想的環境だった様ですね。そして弦楽五重奏曲は、この宮廷で、すべてストラディバリで弾かれていたという、夢のような恵まれた環境だった様です。

 

 

最後は、ボッケリーニの音楽についてです。

 

「今日、世界の音楽は、どんどん音が大きくなっている。しかし、ボッケリーニの音楽は「仲間」と「愛」に満ちた音楽なんだ。」

 

肥大した自我ではなく、親しい人間関係の上で成り立つ、等身大の私。その私を祝福する音楽が、ボッケリーニの音楽なのかもしれません。

 

現代社会にこそ、まさに求められるべき感覚ですね。

 

商業主義によりなかなか難しいですが、ここら辺はまさにアマチュアの出番かもしれません。

 

そして、もしかしたら一度忘れられたボッケリーニの音楽がまた時代に求められる時が来るかも知れませんね。

 

それでは。