ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

前回までで偉大なチェリストたちの紹介を終わり、今回は最後のまとめです。

 

 

書いていて感じましたが、巨匠たちの人生にはおおむね似たパターンがあります。

 

まず才能が見いだされ、よき教師やよき友に出会います。その後頭角を現して活躍しはじめ、確執や対立、苦悩などを乗り越えて、才能が開花して成功します。

行く先々で皆に祝福されます。しかし、成功は永遠には続かず、晩年は衰えやがて亡くなる、という感じです。

 

そういう人生の中で、音楽を通して本当に神と繋がるような体験があり、さらにそれを人と共有する貴重な音楽の営みがあったものと思われます。

 

才能を与えられた側の立場として音楽を真剣に追究し、人生の時間つまり命を、チェロを通して燃焼させた人たちのそういう物語を、私なりに短くまとめてこのブログで書かせていただきました。

 

 

私自身として考えさせられたのは、人生を生きる中でチェリストとして、音楽を追究するというのはどういうことか、ということです。

 

まだ、完全に答えは出切っていませんが、私の中では大切なメッセージがもらえた様に思います。

 

 

 

人生といえば、仏教で「縁起」という考え方があります。

人はすべての物、事の網の目の中にいる。その網の目の中で他者との関係性によってはじめて存在していると言える、というような考えです。

 

才能のある巨匠達は、その網の目を通じ、チェロの演奏を通して広い範囲に幸せ発することができた存在だったと思われます。

そして、幸せを発すれば、感謝としての幸せが帰ってくる。その循環で幸せが増幅して、偉業が残されていったのでしょう。

 

私自身のことを振り返って考えてみると、たとえ彼らほどの才能、影響力なくとも、世の中に幸福を与えるというベクトルを持って活動すれば、例え規模は小さくとも、より良い幸せの循環が誰にでも作れると考えます。

 

そして、最後に必ずこの世とのお別れが来ます。

必ず終わりがあることを認識しながら、ベストを尽したいですね。

 

 

ところで、今回は日本人チェリストの登場は無しでした。

身近過ぎて逆に共感に時間がかかりそうだったこともあり、今回はやめにしました。偉大なチェリストたち、日本人編も、もしかしたらもしかしたらやるかもしれません。

 

偉大なチェリストたちのシリーズをここまで読んでいただきありがとうございました。

 

ひでちぇろブログはテーマを変えてまだまだ続きます。

 

それでは。