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皆さんご存知ですか?

チェロ奏者の、

「フランツ・バルトロメイさん」のことを。

 

 

オケ好きでチェロ好きな方ならご存知な方も多いと思います。

 

フランツ・バルトロメイさんは、

 

39年間の長期間、

オーケストラの最高峰である

ウィーンフィルの首席奏者を

されていました。

 

そして引退された現在も音楽活動は

継続されているようです。

 

 

コンサートマスターだった

キュッヒルさんと共に、

 

ウィーンフィルの顔的存在でした。

 

 

ニューイヤーコンサートでは、

軽やかで鮮やかな弓さばきで、

ソロになると、

うつくしい音色を奏でられていました。

 

また、バルトロメイ家は

祖父の代からウィーンフィルの団員であり、

3代合わせて120年ウィーンフィルに

在籍し続けたという筋金入りの家系です。

 

まさに、

「音楽の都ウィーン」を代表する

音楽家のうちの一人でしょう。

「ウィーン伝統の至宝」とも言える存在です。

 

それではまず、3代続いたバルトロメイ家の歴史を見ていきます。

 

祖父のフランツ一世は、

1865年チェコのプラハに生まれます。

当時はオーストリア・ハンガリー帝国で

同じ国でした。

選んだ楽器はクラリネットでした。

 

最初はチェコの歌劇場に就職しますが、

ドボルザークがアメリカに渡った1892年、

27歳でウィーン宮廷歌劇場

(今のウィーン国立歌劇場とウィーンフィル)のオーディションに合格します。

 

彼は一流のプレイヤーだった様で、

クラリネット・ウィーン楽派とも

呼べる流れの創始者であり、

指揮者だったマーラーや、ワルツ王のヨハン・シュトラウスとも親交があった様です。

55歳で亡くなる一週間前まで、

クラリネットを教えていたそうで、

本当に音楽に生きた人生でした。

 

父のフランツ二世は

1911年にウィーンに生まれます。

そして1938年に、

第二バイオリン奏者として

ウィーン国立歌劇場、ウィーンフィルの

楽団員になります。

 

この年はちょうど

オーストリアがドイツに併合された年でした。

1945年にドイツが敗れるまで、

ナチスに団を仕切られ、

ナチスの党員だった団員が

権力を持つという、

暗い時代を経験します。

 

しかし、その後、

フランツ二世は、団の副楽団長を務め、

当時一世を風靡していた、

カラヤン、ショルティ、バーンスタイン等と

団の代表として交渉、調整する

などの仕事をこなします。

 

実務能力の高かった彼は、

その功績が認められて、

キャリアの最後には

ウィーンのもうひとつのオーケストラである

ウィーン交響楽団の音楽監督に就任します。

 

最期はウィーンで、

77歳で亡くなりました。

死後、ウィーン市から功績を称える

メッセージが贈られました。

 

そして、やっと今回紹介する、

バルトロメイさん(フランツ三世)です。

1946年にウィーンで生まれました。

 

4歳で、国立歌劇場の「ヘンゼルとグレーテル」を見て、

すぐこの世界の虜になりました。

9歳にはカサドとマイナルディのチェロを

聴いて、

チェロ奏者になる決心をしました。

 

その後、

19歳でチャイコフスキーコンクールに優勝、

20歳でウィーン国立歌劇、ウィーンフィルの

団員となります。

 

22歳の時、元ウィーンフィルチェロ主席で

師匠のクロチャックさんに、

糸巻きの先にライオンが彫ってある、

ライオンヘッドのチェロを譲り受けます。

 

このチェロで、リヒャルト・ストラウス

自身が指揮した、

リヒャルト・シュトラウスのドンキホーテを

弾いたりもしている、

ウィーンの伝統を身にまとった楽器です。

 

バルトロメイさんはこの楽器で主席を39年勤めました。

 

2012年、

バルトロメイさんが主席を退任する

こととなり、

バルトロメイ家とウィーンフィルの120年の

歴史が幕を閉じます。

 

 

 

実はバルトロメイさんの

大ファンになったのは

意外と最近の話です。

 

2017年、

横浜のみなとみらいホールで

バルトロメイさんのコンサートを

聴く機会がありました。

 

会場は2000人近く入る様なの大ホールでした。

 

こんな場所で、

オーケストラ奏者が一人で大丈夫か?

と聴く前には思ってしまいました。

 

しかし、これがまったくの杞憂でした!

 

テレビでは軽く見えた

フォームでしたが、

軽いなんてとんでもなかったです。

 

大ホール全体に、

チェロ一つで音が響きわたる、

それを作ることができる、

力強いフォームでした。

 

腕だけでなく、

肩とか、上半身の重みまでが、

弓で弦に伝わっているかのようでした。

 

右手で弾く8分音符のスタッカートの

一振りごとの腕の動きが、

ホール全体を響かせることを想定した強さと正確さを秘めたものだというのが、

見ていてわかる感じでした。

 

でも、動きは素早く洗練されて無駄がないので、

テレビの映像では軽やかに見えたんですね。

 

きっと、ウィーン国立歌劇場の最上階の後ろの席にも聴こえる様に想定され、洗練された技術なんでしょうね。

 

もちろん、パワーだけではありません。

 

美しいビブラートで奏でられる金色の音色。

 

とにかく、メロディーが美しい。

 

甘ったるい美しさではなく、

音楽を知り尽くした人にしか出せないような、成熟した、しかも充実した美しさでした。

 

演奏会後に、

自伝が出ていたので、

買って読んでみました。

 

その時初めて、

祖父、父から3世代続いてウィーンフィルの団員だったということを知りました。

 

本当に、モーツァルトあたりからのウィーンの伝統の流れの本流の中にいて、

 

しかし、本人はチャーミングで

大家然としていない性格なんです。

 

キャラも軽やかみたいです。

そういうところも好きです。

 

先生でチェロトップの先輩である、

クロチャックさんからもらった、

ライオンヘッドのチェロが愛器でした。

 

チェロはすでに息子さんに譲られましたが。

まだまだ末長く活躍していただきたいです。

 

もう一度生で聴きたいですね。

 

フランツ・バルトロメイさんについてでした。

 

それでは。